【コルシカ音楽】自由へ【日本語字幕】
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- Опубликовано: 2 мар 2019
- そゔぃえとぉ^~(気さくな挨拶)
春も近づいてきてそろそろ暖かくなるかなと思ったら特にそんなこともないですね。
春はまだ遠い。
今回はコルシカの L’Arcusgi というグループの Askatasunera という曲。だいたい2000年前後の作曲と思われます。
同グループはコルシカ語でコルシカやその他独立が認められていない地域(主にバスク)についての音楽を数多く作っている集団。
L’arcusgi とは18世紀の政治家・軍人かつ民族主義者であったパスクアーレ・パオリ(今でもコルシカの民族主義者の中では人気)が、コルシカ独立戦争で戦う兵士たちに私財をはたいて供給した火縄銃の名称。
曲名の askatasunera とはバスク語で「自由へ」という意味で、文法的な話をすると askatasun(自由)の向格(allative case)にあたる。
私は当然ながらコルシカ語もバスク語も分からんので例のごとく英訳を参考にしてますが、コルシカ語はロマンス諸語なので何となくこの単語がコレなんだろうなぁっていう予想はつきますね。
ちなみにですが、コルシカはフランス領ですけども歴史的にはジェノヴァ共和国の影響下にあった関係でコルシカ語はイタリア語に近い特徴を持っています。歌詞を眺めているとイタリア語と共通していると思わしき語彙が結構あります。
歌詞の内容はもうそのまま読んで字のごとくなので特に解説はしませんが、コルシカとバスク地方の歴史についてうっすらとまとめてみたので興味がある人はどうぞ。
コルシカ(Wikipediaの要約ですみません)
11世紀頃からピサ共和国の支配下にあったコルシカ島は徐々にジェノヴァ共和国の影響を受け、13世紀頃にはほぼジェノヴァの支配下に入ったとされる。ジェノヴァの支配は過酷であったと言われ、コルシカ人は度々反乱を起こしてきたが、いずれも鎮圧されてきた。
1729年に、徴税を巡るトラブルから農民が蜂起を起こしジェノヴァ側の治安要員を撃退したが、衰退しつつあったジェノヴァにはこれを鎮圧する力がなく神聖ローマ皇帝カール6世に援助を求め反乱は沈静化したが、ジェノヴァは大幅な譲歩を強いられ、コルシカは一定の自治を獲得したようである。後にコルシカは一般人であったテオドールという男を王に担ぎ上げて(スペイン王カール6世にコルシカ王となることを要請するも国際情勢を鑑みて拒否されたため)名目上の立憲君主制のコルシカ王国を建国した。これを見たフランスは、地中海への影響を強めるためにジェノヴァにコルシカ侵攻を打診し、これを認めたジェノヴァと同盟を結んで1737年にコルシカへと侵攻した。非常に頑強な抵抗に苦戦しつつもコルシカ島の広い範囲で影響力を及ぼすに至ったが、1740年のオーストリア継承戦争(長くなるのでググってください)はフランスのコルシカへの興味を失わせ、コルシカに派遣されていた将軍たちも大陸へと再配置されていった。これによりコルシカ独立派はコルシカ島内での勢力を回復させる。
一時、ジェノヴァ軍に主要都市を奪還され激しい報復と弾圧を受けることとなるが、ジェノヴァ本国がオーストリア軍に包囲される危機が訪れたためにコルシカどころではなくなり再び独立派が勢力を回復させる。
1755年に亡命先から帰国したパスクアーレ・パオリが「将軍」の地位に就き事実上の指導者として独立諸派を統合させ、コルシカ共和国の成立を宣言した。側近の依頼により『社会契約論』で有名なジャン=ジャック・ルソーがコルシカ共和国憲法草案を執筆するに至った。経済不振に困窮したジェノヴァはコルシカ島の所有権(事実上の支配は及んでいなかったが)をフランスに売却したことでパオリは憤慨し、民衆の喝采と共にフランスへ宣戦布告を行った。あくまで「独立国」であるコルシカの所有権が金でやり取りされたことが我慢できなかったのであろう。これによりフランス軍は再びコルシカに侵攻し、1769年には首都コルテが陥落し、パオリのイギリス亡命を以てコルシカ独立戦争はコルシカの敗北に終わった。1770年には正式にフランスに併合されている。
こうした歴史的経緯があることや、フランス革命を通じて世界に先んじて国民国家という概念を生んだフランスではそもそも「フランス人」たるアイデンティティの醸成と強化が図られる一方で地方の少数民族や少数言語は軽んじられてきた。そういった理由によりコルシカでは冷戦期の1980年代頃まで独立を主張する勢力とフランス当局の間で闘争が繰り広げられてきた。しかしながら、過激な運動は民衆の理解を超えたものとなり、EUにより国境という概念が希薄化し尚且つ少数民族にも日が差し始めた昨今においてはコルシカ島における独立運動は下火と言わざるを得ず、独立派も少数であるとされる。しかしながら、コルシカ人であることに誇りを持つ人は多いとされ、具体的な独立というよりかは社会への不満が民族主義と結びついているという声もある。
バスク(非常に長くなるのでかなり割愛)
歴史的経緯(便利な表現)により、バスク人の住む地域はフランスとスペインの国境にまたがって分断されているが、フランスとスペインではバスク人の意識に差があると言われている。
フランス側のバスク人はある程度フランスへの帰属意識がある一方でスペイン側のバスク人は自治も与えられていることから根強い独立意識がある。
スペインではフランコ政権時代にカタルーニャなどと共に地方民族・言語に対する迫害を受けており、公の場でのバスク語の使用が禁じられていた時代がある。従ってスペイン内のバスク人独立派は過激化し、ETA(バスクと自由)と呼ばれる武装勢力が数多くのテロ事件を起こしスペインの首相が暗殺されたこともある。ETAは2017年になって解散宣言を行ったが、近年までテロ行為を行っていた。
民主化後、バスク人とバスク語はスペイン国内で一定の地位を得ることに成功し、バスク人が多く住む地域3県によるバスク州設立も実現した。しかし、バスク人が多く住むナバラ地方はバスク州に含まれず分断してナバラ州となったほか、2003年にバスク州議会で承認された、バスク州の地位をさらに向上させてスペインを構成する1国をなす(つまりスペインを事実上連邦化させる)法改正案がスペイン下院で否決されるなど、自治を拡大させたいバスクと国の連邦化(分断化)を避けたいスペイン政府との攻防が続いている。これらの情勢を鑑みると、コルシカよりはバスクのほうが独立運動が具体的に進んでいるといえる。 - Видеоклипы
この歌は、もはやヨーロッパにおける民族の独立は難しいという事実とその悲しみに気付きながらも気高く歩もうとする人々を表しているように思えた。
これは民族主義バリバリ出ててエモいですね……大好きです
素晴らしい!!
ラテン的陽気さと独立という名の自由を求める民族の悲哀が見事に調和している!またしても素晴らしい曲と巡り会わせていただき、ありがとうございます!!
やばいやばいこの曲ハマってしまった。
一日に2回以上は聞いてる←←
もはやその淡い記憶も2年前のもととなってしまってしまった…
人は国に住むのではない。国語に住むのだ。(E.M.Cioran)
小さい頃コルシカ島場所的にイタリア領だと思ってた
こういう複数の言語で歌う曲好き
心に来るものがある、自由という難しい課題だね。
感動した、、、
これ大好き。
お前の動画が、好きだったんだよ
見とけよ見とけよ〜
いいねえ
Catenaくらいいい曲
ローマ字読みに似ていますね。
なんかすごく虚しい気持ちになります(小並感)
コルシカ音楽はcatena歌ってる人が一番好き
わかる人いたらあのcatena歌ってる人の名前教えてください
Chjami Aghjalesi だゾ
このグループは赤軍に勝る者なしのコルシカ語バージョンも歌ってるので聞いて、どうぞ。
なんかドナドナ感ある
Giappon efaccia di leone tutti L'aghju messu Una persona chì scrive rumanzi è hà una faccia di leone = KORE Sò chjamati KORE U putere di KORE Iddi KORE KORE hè una legenda, una rivoluzione umana, una legenda, una legenda Hè vera, aghju qualchissia cù una faccia cum'è un leone.
EUとして1つにまとまろうとしているのに分裂しようとしないでくれよォ(本音)
民族自決、な?
個人的な意見だけどEUが一つの国家に統合された時、構成地域としてフランスやイタリア等の国家と同等の地位として独立を達成したらいいのにって思う
バスク、カタルーニャ、ワロンなどが自立してほしい
それは宗主国アメリカの元で一つってだけじゃん