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【ゲーンさん情報】〇『ORACLE gehn/ハイファンタジー物語画集』(小学館集英社プロダクション)amzn.to/4efPbUIShoPro Books(購入先まとめ)books.shopro.co.jp/?contents=9784796873727〇gehn / ゲーン:TSUTOMU KITAZAWA 公式Xx.com/gehng5555〇HARERUYA×gehnコラボ企画特設ページwww.hareruyamtg.com/ja/user_data/gehn_collaboration〇SF小説「混沌の惑星」The Planet of Chaos 公式サイト(表紙&挿画:ゲーン)planet-of-chaos.com〇あだん堂公式Xx.com/ADANDOU_8jo【参考文献のリンク】〇戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」amzn.to/4cdng6j〇OTEMON VIEW 「死海文書とは何か。日本語訳プロジェクトに携わる研究者が明かす、その全貌」newsmedia.otemon.ac.jp/2016/【ゆる民俗学ラジオグッズはこちら】狐のアクリルキーホルダー⇨www.valuebooks.jp/bp/VS0063362534狐の折りたたみ傘⇨www.valuebooks.jp/bp/VS0063376643狐の手ぬぐい⇨www.valuebooks.jp/bp/VS0063341869【サポーターコミュニティへの加入はこちらから!】yurugakuto.com/minzoku
東日流外三郡誌の嘘バレエピソードだと「古民家である自宅の天井裏に隠されていた古文書を発見」っていう設定だったのに、実際にはその家は『発見』の10年ほど前に新築された家だったってのが一番ギャグやってて好き
黒川さんの語りで平行植物や鼻行類を聞きたい気持ちが湧きあがってくる。まことしやかな語りに自ら吞まれにいく楽しさって、確かに存在している。
母方の祖母が与那国島出身でした。当時私が中学生のころです。祖母の葬儀の際、納棺して火葬せずに墓にしまい、一年後に棺を取り出して洗骨という行程を実際に体験しました。骨こぶりはしませんでしたが、もしかしたら大人たちはこっそりやっていたのかもしれません。昔の記憶ですが、今回の話でふいに思い出しました。ありがとうございます。
すっかり本家そっちのけでこっちの更新を楽しみにしている自分が居る…
東北勢としては嬉しい企画! 私の年代だと「るろうに剣心」とかは、もろにif世界の歴史だったなぁ。。最近だとゴールデンカムイとかも。。古くから、義経=チンギス・ハーン説やら、るろ剣の新編も北海道舞台だし、火サスの犯人は北に逃げるもそうだし、ロマンの世界だよなぁ。聖書やら、寺の縁起とかを偽書とは言わないように、人々の信心にスポットを当てたのは、黒川さんの優しさがにじみ出てて良いなぁと思いました(学術、歴史学としてはアウトかもしれないが…)設定資料集、めちゃめちゃ解像度高くて、緻密な絵で買いたく成りました!チェックしてみたいと思います。死海文書の博物館に収蔵されたのはホボホボ偽らしいけど、確か3年くらい前に、ほんまもんの洞窟の壺の中に眠っていた3世紀当時の文書が新死海文書では?とキリスト教界隈では騒がれていました。最近ではポンペイ火山の遺跡の中で見つかった炭化した文書を科学手法で読み解き、プラトンの死に様とか埋葬場所が特定されたとか。。面白い時代に成っていますね。
「それがこちらになります!」で、大塚英志の木島日記が出てくるかと思いました。偽書の効果(よるべない心の人の拠り所になる)としてムー大陸を取り上げてたり、偽書の危険性とフィクションとの関係も、あとがきの中で面白く描かれてました。もうだいぶ前の作品だけど、ずっと自分の中に残っています。
碇ゲンドウ「死海もんじゃのレシピ通りだ。問題ない。」
凄くしょっぱいもんじゃ焼きなのかな
ここでヘアピンまみれの話出ると思ってなかった!笑
突然の音合わせ、羊の鳴き真似が上手すぎて繰り返して見ちゃいました 芸コマって大好きです
お話がめぐりめぐってきれいに着地したのが素敵
ぎしょのみりょく がせはあくだが おもしろい 偶然できた タイトル川柳
偶然できた コメント短歌
読みやすくてキャッチーなタイトル考えると川柳になりがち
コメント欄にたまに現れる文章力終わってる人かと思いきやセンスある人だった
死して真の王となる者がオシリスっぽかったり、「王冠器官」を有する神々がメソポタミアの神々の角のようであったり、実際の神話とも共鳴するところがある設定なのが凄く「ありそうな世界」で好き
最近こちらのチャンネルを好きになり、過去の動画をいろいろ拝見していますおふたりのお話の仕方ややり取りも聴きやすく、とても面白いですこれからも楽しみにしていますね!
小さな時に買ってもらった「ノーム 不思議な小人たち」を思い出しました。実際にノームの国へ出かけルポをしたという設定で書かれた良書。素晴らしいイラストの数々。巻末の方にお話とか、歌とか載っていた思い出。兄と一緒にずっと読み耽っていた。この本もまことしやか本だから、時々現実とごっちゃになって、良いのだろうな〜と想像しています。
アラハバキのことですよね。何時かとり上げてもらえないかと、コメントしてみようかと考えているところでした。有難うございます。
プロモーションを含んでいて嬉しすぎる偽書の話も面白かった
東日流外三郡誌に限らず偽書は山ほどあるけど、いずれも歴史を原作とする二次創作みたいなもんだよね。自分が読みたい物語を望む人がいる限り、偽書はなくならないんでしょうね。
ヲシテ(ホツマ文字)とか?
@@早川眠人 ヲシテもそうだし、近代では上記や竹内文書、中世の倭姫命世記なんかもありますね。
ORACLE片手に楽しんで拝聴しました!次回も楽しみに待っています!
骨となった親しい人を見てどうしようもない想いに駆られ、少し「どうにかこうにか」してしまった、という話は今もありますね。私もそうしたいと思ってしまったことがあるし、そうした人も知っております。(何かしらの法律に触れるかもしれないので「その、それ、そう」とさせていただきますが)骨の話は西日本ではわりと聞く話で、死生観に対する本能的な部分なのかもしれないと、幼いころから愚考しております。
かつて無名世界観にハマったり聖剣伝説のマナの木の絵が好きだからこの本もめっちゃハマりそう
二次創作って楽しいんですよね、読む楽しさもありますし、創る楽しさもわかります
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の遺訓として伝わるものに、「御臨末の御書」と呼ばれる文があります。「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり。」これは文献学的には後世に捏造されたものなのですが、だからこそ作成当時の人々が聖人をどう偲び、どう敬っていたかが伺える文章だなと思っています。
画集持って聞きながらニヤニヤした😁
偽書ということで「椿井文書」かなと一瞬期待した自分がいました。黒川さんがTwitterで三崎律日さんとやりとりされていたので、将来ゲストでお招き頂き、椿井文書の話を聞きたいな、と淡い期待を抱いております。
骨こぶりは初耳でしたが、真田広之主演の「たそがれ清兵衛」でそれらしきシーンがありました。時代設定は幕末の東北地方。てっきり登場人物がおかしいのかと思っていましたが、実在の風習だったとは・・。
3:21 アラム語はフェニキア語のついとなる、モンゴル語等中国を除くアジアの言語に多大な影響を与えた言語ですね!!
浦下さんがたまに「なるへそ」って言うのがちょっとツボ
思うに、 なるほど→なるほぞ→なるへそ という流れでできた言葉だと推測
途中で見るのやめて画集勝手読み終わってからみてるぜ
名前出していいのかあれだけど三崎さん好き
カードゲームのイラストと背景ストーリーの関係みたいで面白そう
ミステリアスな謎の本って魅力的インテリアにも良さそう
一時期Twitterで、「フィクションに対して現実じゃないから嫌い、意味ない」という言説に賛否が沸き起こったことがあったと思います。偽史とフィクションの線引き、受容のかたちも人ごとに違うのではと感じました。
自治体をだますという意味では、椿井文書の”実績”は欠かせない。
黒川さんの「偽」にまつわる話を聞いているうちに、なぜか西尾維新の物語シリーズを思い出してしまう…今までもそうだったけど…
概念「本物」要素- 起源- 純度 - 転じて、変化の余地・揺らぎの少なさ- 蓋然性- 期待値- 唯一無二性- その時点での最高私から観た概念「本物」が構成される要素をリストアップしてみた。【偽物語より引用】つきひフェニックス其の肆16:38~(詳細18:33~)『区別がつかないほどの本物と偽物、どちらが価値があるか』という問いに対して、三名、「影縫余弦」、「忍野メメ」、「貝木泥舟」、それぞれの回答。影縫余弦「本物の方が価値がある」忍野メメ「等価値である」貝木泥舟「偽物の方が圧倒的に価値がある。そこに本物になろうという意思があるだけ偽物の方が本物よりも本物だ」所感そもそもこの話をするのには「本物」と「価値」という言葉について整理しなければならない。今回の場合、「区別がつかないほどの本物と偽物」とあるので「本物=時間的に先にある存在=オリジナル(起源)」として捉えるべきであると推量する。条件が「本物と偽物の区別がつかない」、つまり組成する要素も同等・同質・同型であるならば、違いはそれが成り立つまでの過程(時間)にしか差がない。余弦は過去(オリジナル)を、忍野は今を、貝木は未来に価値があると説いているように思える。影縫余弦の言い分を考察すると、オリジナルは、0⇒1にするという意味で圧倒的。存在や方向性を示すうえでオリジナルがなければその先の未来が存在し得ない。忍野メメの言い分を考察すると、今、存在している「区別がつかないほどの本物と偽物」は、「区別がつかないほどの本物と偽物」なのだから果たせる役割も機能も価値も違いが存在しない。(過去も未来も顧みない。関係しない。)貝木泥舟の言い分を考察すると、未来のことを考慮したときの「区別がつかないほどの本物と偽物」は、偽物の方がその純度を高めていく意思がある限りにおいて、本物よりも本物(純度がより高まる状態)になり得る可能性を秘めている。本物は「起源」であり、その意味で原点として固定化される面が存在する(変化を許容されないことが多い)。から偽物の方が(純度を追い求める)意思の存在分圧倒的に価値がある。
昔々、某所にかなり拙い自作のファンタジー小説を投稿していたことがあるのですが、冒頭に「その創作世界における創世神話と神話に紐付けられたその世界の風習の解説」みたいな内容でかなりの文量を費やしてしまったことがありました黒川さんの解説を聞いているとORACLEは自分のような設定大好き頭でっかち人間にはかなり響いてきそうな感じですね!
ハイファンタジーが好きすぎてたまらない民です。
最近『椿井文書』を読んで、いわば「偽史家」みたいな仕事があったのを知って面白かった
最初の一文を聞いて「死海文書!」と叫んでる自分に引いた
お骨を拾うと食事は近いお骨を拾う時に2人で別々の箸で一つのお骨を拾いあげるので縁起が悪いから…と、食事の時に一つの食べ物を2人でそれぞれの箸で同時に挟むなと子供の頃に親・祖父母からよくしつけられていました。(なお、宗派によるものか女は骨拾いに参加してはならないので私は立ち会ったことはない。そして県外から来た夫に伝わらないことの一つ。)嘘と創作の曖昧さをかんがえると難しいなぁと思ってしまいます。嘘をついていい境界線みたいなテーマでいつか、語ってほしいです。(偽書ならそれなりのサインを記しておけばええやんけ…とも思ってしまいました)
某人妻Vチューバーの方が「旦那が好きすぎて先立たれたら骨を食べたい」といって居ましたがアレは古い伝統に則った悼み方だったんですね。私の不勉強でドン引きしてしまったのを悔いるばかりです
刃牙の解説も「ああ、そうなんだ」ってなる ゆる運営人
お二方とも、髪の毛ツヤツヤで可愛い
偽書がなぜ生まれるのか、伝説などとの線引きは何なのか、そこに人々の背景が見え隠れするという考え方、モノの見方がとても勉強になりました。昔から歴史にはあまり興味がないのですが、ゆる民俗学ラジオさんの民俗学はいつも面白いです!歴史は事実、偽書は虚構、でも事実は小説より奇なり…人って面白いですね
3:01 唐突なヘアピンまみれ
東日流外三郡誌だ〜〜〜!!
鯨統一郎先生の『邪馬台国はどこですか?』を思う内容でした
偽書と言えば、半村良の小説「産霊山秘録」を思い出しました。
設定資料集、好きなのわかるマンマレウスモンストルムを買おうかどうしようか迷うくらいにはww(偽書っていうとビリティスの詩とか台湾史とかが出てくるくらいには某チャンネルに毒されてる僕です)
逃げるは恥だが役に立つの言い回しだ!
「偽書」と言えば!三崎律日(みさきりつか)氏の「世界の奇書をゆっくり解説」!!(^_^)v更新が遅い事で有名なチャンネルですが、面白いです。
神代文字やカタカムナとかも。
現在進行形で日本大学の先生の偽書が史実と言い張られて世界がその日本の歴史を真実と思い始めてるんだけど世界のポリコレ的に都合が良かったから広まっていってるんだろなと思ってたけど確かにエンタメ的に美味しいから広まっていってる要素もあるんだと思った
事実であれ創作物であれ物事を書きたい感情はホントだし。真実でもウソでも信じちゃう気持ちはホント。空想と分かってても、見たいと思う厨二心を刺激する案件やわ
このチャンネルで「ヘアピンまみれ」の名を聞くことになるとはwww
偽書シリーズだど馬部先生の研究が有名な椿井文書も気になりますね
まみれさん見てるの草
歴史書としてはアウト。でも“流行り神”としては面白い。まさにそうですね。既存の神様では自分達の心を救うことは出来なかった。だから“偽りの神様”のような神を創るとなった。ということなら分からなくもないですね。
「死海もんじゃ」はパタリロ!のネタ…さては浦下氏(´Д`)
ゴッドハンドとか言われた人もいましたよね
嘘を付くことは駄目だけど。嘘付くならもう少し賢く付かないと(笑)
『台湾史』の話ききてぇ〜!
偽書って思い込みで悪いものと思い込んでたけど、創作だと思うとたしかにSFちっくなものからファンタジーなものまであるし、面白いのか……その視点無かったからこういう解説は非常にありがたい!いつか黒川さんの創作論とかも聴いてみたいな(そういえば黒川さんが自分の作品について語る動画って無い気がするなと思い。あったら教えて欲しい)
タイトル逃げ恥の捩りなのかな
あれ?積ん読チャンネルの新しいの消えちゃった?と残念がってたのですが、ゆる民でしたかぁ~
全然軸は違うけど、クトゥルフ世界もベン図に仲間入りしてくれたら嬉しいなあ…
偽書はポピュリズムどこまで行ってもこの世は需要と供給
アラム語は、イエスが使っていたと言われている言語ですね。
はくほう☓ねきべい◯
偽書ではないけども、宮城県と日本考古学の恥として有名な神の手事件もありますね
偽書がファンタジー作品だとしたら、現代のゴジラも1000年後に『歴史的な大発見だ!いや偽書だ!』となるのかなぁ
伝説って?
14:19 糸を引く→テグスを引く→手ぐすねを引く連想ゲームしすぎや!綺麗にテロップしてないで訂正して下さいw
18:30 やはり虚構新聞の様に虚構/嘘と謳ってない物は偽と言って良いのでは?
伝説って?
42:40 火葬後の骨はまだ熱い。骨を拾うとき素手で摘むわけにいかない。では何で拾うか? 箸を使うのは必然では? この時の箸は食器と云う位置付けは弱いのでは?
火鉢の炭も箸で移動させますしね
うぽつ
偽書とフィクションのそれぞれの真実性に関する評価基準には長年疑問を抱いてきました。(東日流外三郡誌がそうであるかについては触れませんが)たとえ事実として偽書であるものも、現在の大方の評価基準では断定的な言葉は用いられず「偽書とされるもの」となってしまいます。これは、状況証拠があっても(発見者自身が偽書であることを認めたとしても)それ以外の可能性を100%排除できないというある種の配慮によるものだと思います。ところがこれはおかしな話で、最初からフィクションとして世に出た作品はそれが真実である可能性について一切言及されません。たとえ作者がフィクションであることを宣言しようが、そうでない(=真実である)可能性を100%否定できないにも関わらず、です。ですが、フィクションが真実である可能性を考えることにはなんの意味もなく、それは「偽書とされるもの」についても同じことが言えるはずですが、先述の通り評価方法が歪んでしまっているのです。この評価方法は、偽書評価のプロセスを見ずに結果だけを見た人が「断定されていないということは本物かもしれない」という極めて0%に近い可能性だけに着目してしまう危うさがあります。なので、十分な状況証拠が積み上げられたものは一旦偽書と断定してしまうことが健全な評価だと思います。(何をもって十分とするかも難しい問題ではありますが)
民俗学とあまり関係のない長文ですみません
【ゲーンさん情報】
〇『ORACLE gehn/ハイファンタジー物語画集』(小学館集英社プロダクション)
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ShoPro Books(購入先まとめ)
books.shopro.co.jp/?contents=9784796873727
〇gehn / ゲーン:TSUTOMU KITAZAWA 公式X
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〇HARERUYA×gehnコラボ企画特設ページ
www.hareruyamtg.com/ja/user_data/gehn_collaboration
〇SF小説「混沌の惑星」The Planet of Chaos 公式サイト(表紙&挿画:ゲーン)
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〇あだん堂公式X
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【参考文献のリンク】
〇戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」
amzn.to/4cdng6j
〇OTEMON VIEW 「死海文書とは何か。日本語訳プロジェクトに携わる研究者が明かす、その全貌」
newsmedia.otemon.ac.jp/2016/
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狐の折りたたみ傘
⇨www.valuebooks.jp/bp/VS0063376643
狐の手ぬぐい
⇨www.valuebooks.jp/bp/VS0063341869
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東日流外三郡誌の嘘バレエピソードだと
「古民家である自宅の天井裏に隠されていた古文書を発見」
っていう設定だったのに、実際にはその家は『発見』の10年ほど前に新築された家だったってのが一番ギャグやってて好き
黒川さんの語りで平行植物や鼻行類を聞きたい気持ちが湧きあがってくる。
まことしやかな語りに自ら吞まれにいく楽しさって、確かに存在している。
母方の祖母が与那国島出身でした。当時私が中学生のころです。祖母の葬儀の際、納棺して火葬せずに墓にしまい、一年後に棺を取り出して洗骨という行程を実際に体験しました。
骨こぶりはしませんでしたが、もしかしたら大人たちはこっそりやっていたのかもしれません。
昔の記憶ですが、今回の話でふいに思い出しました。ありがとうございます。
すっかり本家そっちのけでこっちの更新を楽しみにしている自分が居る…
東北勢としては嬉しい企画! 私の年代だと「るろうに剣心」とかは、もろにif世界の歴史だったなぁ。。
最近だとゴールデンカムイとかも。。古くから、義経=チンギス・ハーン説やら、るろ剣の新編も北海道舞台だし、火サスの犯人は北に逃げるもそうだし、ロマンの世界だよなぁ。
聖書やら、寺の縁起とかを偽書とは言わないように、人々の信心にスポットを当てたのは、黒川さんの優しさがにじみ出てて良いなぁと思いました(学術、歴史学としてはアウトかもしれないが…)
設定資料集、めちゃめちゃ解像度高くて、緻密な絵で買いたく成りました!チェックしてみたいと思います。
死海文書の博物館に収蔵されたのはホボホボ偽らしいけど、確か3年くらい前に、ほんまもんの洞窟の壺の中に眠っていた3世紀当時の文書が新死海文書では?とキリスト教界隈では騒がれていました。
最近ではポンペイ火山の遺跡の中で見つかった炭化した文書を科学手法で読み解き、プラトンの死に様とか埋葬場所が特定されたとか。。
面白い時代に成っていますね。
「それがこちらになります!」で、大塚英志の木島日記が出てくるかと思いました。
偽書の効果(よるべない心の人の拠り所になる)としてムー大陸を取り上げてたり、
偽書の危険性とフィクションとの関係も、あとがきの中で面白く描かれてました。
もうだいぶ前の作品だけど、ずっと自分の中に残っています。
碇ゲンドウ「死海もんじゃのレシピ通りだ。問題ない。」
凄くしょっぱいもんじゃ焼きなのかな
ここでヘアピンまみれの話出ると思ってなかった!笑
突然の音合わせ、羊の鳴き真似が上手すぎて繰り返して見ちゃいました 芸コマって大好きです
お話がめぐりめぐってきれいに着地したのが素敵
ぎしょのみりょく がせはあくだが おもしろい 偶然できた タイトル川柳
偶然できた コメント短歌
読みやすくてキャッチーなタイトル考えると川柳になりがち
コメント欄にたまに現れる文章力終わってる人かと思いきやセンスある人だった
死して真の王となる者がオシリスっぽかったり、「王冠器官」を有する神々がメソポタミアの神々の角のようであったり、実際の神話とも共鳴するところがある設定なのが凄く「ありそうな世界」で好き
最近こちらのチャンネルを好きになり、過去の動画をいろいろ拝見しています
おふたりのお話の仕方ややり取りも聴きやすく、とても面白いです
これからも楽しみにしていますね!
小さな時に買ってもらった「ノーム 不思議な小人たち」を思い出しました。
実際にノームの国へ出かけルポをしたという設定で書かれた良書。
素晴らしいイラストの数々。巻末の方にお話とか、歌とか載っていた思い出。
兄と一緒にずっと読み耽っていた。
この本もまことしやか本だから、時々現実とごっちゃになって、良いのだろうな〜と想像しています。
アラハバキのことですよね。
何時かとり上げてもらえないかと、コメントしてみようかと考えているところでした。
有難うございます。
プロモーションを含んでいて嬉しすぎる
偽書の話も面白かった
東日流外三郡誌に限らず偽書は山ほどあるけど、いずれも歴史を原作とする二次創作みたいなもんだよね。自分が読みたい物語を望む人がいる限り、偽書はなくならないんでしょうね。
ヲシテ(ホツマ文字)とか?
@@早川眠人 ヲシテもそうだし、近代では上記や竹内文書、中世の倭姫命世記なんかもありますね。
ORACLE片手に楽しんで拝聴しました!
次回も楽しみに待っています!
骨となった親しい人を見てどうしようもない想いに駆られ、少し「どうにかこうにか」してしまった、という話は今もありますね。
私もそうしたいと思ってしまったことがあるし、そうした人も知っております。(何かしらの法律に触れるかもしれないので「その、それ、そう」とさせていただきますが)
骨の話は西日本ではわりと聞く話で、死生観に対する本能的な部分なのかもしれないと、幼いころから愚考しております。
かつて無名世界観にハマったり聖剣伝説のマナの木の絵が好きだからこの本もめっちゃハマりそう
二次創作って楽しいんですよね、読む楽しさもありますし、創る楽しさもわかります
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の遺訓として伝わるものに、「御臨末の御書」と呼ばれる文があります。
「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり。」
これは文献学的には後世に捏造されたものなのですが、だからこそ作成当時の人々が聖人をどう偲び、どう敬っていたかが伺える文章だなと思っています。
画集持って聞きながらニヤニヤした😁
偽書ということで「椿井文書」かなと一瞬期待した自分がいました。黒川さんがTwitterで三崎律日さんとやりとりされていたので、将来ゲストでお招き頂き、椿井文書の話を聞きたいな、と淡い期待を抱いております。
骨こぶりは初耳でしたが、真田広之主演の「たそがれ清兵衛」でそれらしきシーンがありました。時代設定は幕末の東北地方。てっきり登場人物がおかしいのかと思っていましたが、実在の風習だったとは・・。
3:21 アラム語はフェニキア語のついとなる、モンゴル語等中国を除くアジアの言語に多大な影響を与えた言語ですね!!
浦下さんがたまに「なるへそ」って言うのがちょっとツボ
思うに、 なるほど→なるほぞ→なるへそ という流れでできた言葉だと推測
途中で見るのやめて画集勝手読み終わってからみてるぜ
名前出していいのかあれだけど三崎さん好き
カードゲームのイラストと背景ストーリーの関係みたいで面白そう
ミステリアスな謎の本って魅力的
インテリアにも良さそう
一時期Twitterで、
「フィクションに対して現実じゃないから嫌い、意味ない」という言説に賛否が沸き起こったことがあったと思います。
偽史とフィクションの線引き、受容のかたちも人ごとに違うのではと感じました。
自治体をだますという意味では、椿井文書の”実績”は欠かせない。
黒川さんの「偽」にまつわる話を聞いているうちに、なぜか西尾維新の物語シリーズを思い出してしまう…
今までもそうだったけど…
概念「本物」
要素
- 起源
- 純度
- 転じて、変化の余地・揺らぎの少なさ
- 蓋然性
- 期待値
- 唯一無二性
- その時点での最高
私から観た概念「本物」が構成される要素をリストアップしてみた。
【偽物語より引用】つきひフェニックス其の肆16:38~(詳細18:33~)
『区別がつかないほどの本物と偽物、どちらが価値があるか』という問いに対して、三名、「影縫余弦」、「忍野メメ」、「貝木泥舟」、それぞれの回答。
影縫余弦「本物の方が価値がある」
忍野メメ「等価値である」
貝木泥舟「偽物の方が圧倒的に価値がある。そこに本物になろうという意思があるだけ偽物の方が本物よりも本物だ」
所感
そもそもこの話をするのには「本物」と「価値」という言葉について整理しなければならない。
今回の場合、「区別がつかないほどの本物と偽物」とあるので「本物=時間的に先にある存在=オリジナル(起源)」として捉えるべきであると推量する。
条件が「本物と偽物の区別がつかない」、つまり組成する要素も同等・同質・同型であるならば、違いはそれが成り立つまでの過程(時間)にしか差がない。
余弦は過去(オリジナル)を、忍野は今を、貝木は未来に価値があると説いているように思える。
影縫余弦の言い分を考察すると、
オリジナルは、0⇒1にするという意味で圧倒的。存在や方向性を示すうえでオリジナルがなければその先の未来が存在し得ない。
忍野メメの言い分を考察すると、
今、存在している「区別がつかないほどの本物と偽物」は、「区別がつかないほどの本物と偽物」なのだから果たせる役割も機能も価値も違いが存在しない。(過去も未来も顧みない。関係しない。)
貝木泥舟の言い分を考察すると、
未来のことを考慮したときの「区別がつかないほどの本物と偽物」は、偽物の方がその純度を高めていく意思がある限りにおいて、本物よりも本物(純度がより高まる状態)になり得る可能性を秘めている。
本物は「起源」であり、その意味で原点として固定化される面が存在する(変化を許容されないことが多い)。から偽物の方が(純度を追い求める)意思の存在分圧倒的に価値がある。
昔々、某所にかなり拙い自作のファンタジー小説を投稿していたことがあるのですが、冒頭に「その創作世界における創世神話と神話に紐付けられたその世界の風習の解説」みたいな内容でかなりの文量を費やしてしまったことがありました
黒川さんの解説を聞いているとORACLEは自分のような設定大好き頭でっかち人間にはかなり響いてきそうな感じですね!
ハイファンタジーが好きすぎてたまらない民です。
最近『椿井文書』を読んで、いわば「偽史家」みたいな仕事があったのを知って面白かった
最初の一文を聞いて「死海文書!」と叫んでる自分に引いた
お骨を拾うと食事は近い
お骨を拾う時に2人で別々の箸で一つのお骨を拾いあげるので縁起が悪いから…と、食事の時に一つの食べ物を2人でそれぞれの箸で同時に挟むなと子供の頃に親・祖父母からよくしつけられていました。(なお、宗派によるものか女は骨拾いに参加してはならないので私は立ち会ったことはない。そして県外から来た夫に伝わらないことの一つ。)
嘘と創作の曖昧さをかんがえると難しいなぁと思ってしまいます。
嘘をついていい境界線みたいなテーマでいつか、語ってほしいです。
(偽書ならそれなりのサインを記しておけばええやんけ…とも思ってしまいました)
某人妻Vチューバーの方が「旦那が好きすぎて先立たれたら骨を食べたい」といって居ましたがアレは古い伝統に則った悼み方だったんですね。
私の不勉強でドン引きしてしまったのを悔いるばかりです
刃牙の解説も「ああ、そうなんだ」ってなる ゆる運営人
お二方とも、髪の毛ツヤツヤで可愛い
偽書がなぜ生まれるのか、伝説などとの線引きは何なのか、そこに人々の背景が見え隠れするという考え方、モノの見方がとても勉強になりました。
昔から歴史にはあまり興味がないのですが、ゆる民俗学ラジオさんの民俗学はいつも面白いです!
歴史は事実、偽書は虚構、でも事実は小説より奇なり…人って面白いですね
3:01 唐突なヘアピンまみれ
東日流外三郡誌だ〜〜〜!!
鯨統一郎先生の『邪馬台国はどこですか?』を思う内容でした
偽書と言えば、半村良の小説「産霊山秘録」を思い出しました。
設定資料集、好きなのわかるマン
マレウスモンストルムを買おうかどうしようか迷うくらいにはww
(偽書っていうとビリティスの詩とか台湾史とかが出てくるくらいには某チャンネルに毒されてる僕です)
逃げるは恥だが役に立つの言い回しだ!
「偽書」と言えば!
三崎律日(みさきりつか)氏の
「世界の奇書をゆっくり解説」!!(^_^)v
更新が遅い事で有名なチャンネルですが、面白いです。
神代文字やカタカムナとかも。
現在進行形で日本大学の先生の偽書が史実と言い張られて世界がその日本の歴史を真実と思い始めてるんだけど
世界のポリコレ的に都合が良かったから広まっていってるんだろなと思ってたけど確かにエンタメ的に美味しいから広まっていってる要素もあるんだと思った
事実であれ創作物であれ物事を書きたい感情はホントだし。
真実でもウソでも信じちゃう気持ちはホント。
空想と分かってても、見たいと思う厨二心を刺激する案件やわ
このチャンネルで「ヘアピンまみれ」の名を聞くことになるとはwww
偽書シリーズだど馬部先生の研究が有名な椿井文書も気になりますね
まみれさん見てるの草
歴史書としてはアウト。
でも“流行り神”としては面白い。
まさにそうですね。
既存の神様では自分達の心を救うことは出来なかった。
だから“偽りの神様”のような神を創るとなった。
ということなら分からなくもないですね。
「死海もんじゃ」はパタリロ!のネタ…さては浦下氏(´Д`)
ゴッドハンドとか言われた人もいましたよね
嘘を付くことは駄目だけど。
嘘付くならもう少し賢く付かないと(笑)
『台湾史』の話ききてぇ〜!
偽書って思い込みで悪いものと思い込んでたけど、創作だと思うとたしかにSFちっくなものからファンタジーなものまであるし、面白いのか……その視点無かったからこういう解説は非常にありがたい!いつか黒川さんの創作論とかも聴いてみたいな(そういえば黒川さんが自分の作品について語る動画って無い気がするなと思い。あったら教えて欲しい)
タイトル逃げ恥の捩りなのかな
あれ?積ん読チャンネルの新しいの消えちゃった?と残念がってたのですが、ゆる民でしたかぁ~
全然軸は違うけど、クトゥルフ世界もベン図に仲間入りしてくれたら嬉しいなあ…
偽書はポピュリズム
どこまで行っても
この世は需要と供給
アラム語は、イエスが使っていたと言われている言語ですね。
はくほう☓
ねきべい◯
偽書ではないけども、宮城県と日本考古学の恥として有名な神の手事件もありますね
偽書がファンタジー作品だとしたら、現代のゴジラも1000年後に『歴史的な大発見だ!いや偽書だ!』となるのかなぁ
伝説って?
14:19
糸を引く→テグスを引く→手ぐすねを引く
連想ゲームしすぎや!綺麗にテロップしてないで訂正して下さいw
18:30 やはり虚構新聞の様に虚構/嘘と謳ってない物は偽と言って良いのでは?
伝説って?
42:40 火葬後の骨はまだ熱い。骨を拾うとき素手で摘むわけにいかない。では何で拾うか? 箸を使うのは必然では? この時の箸は食器と云う位置付けは弱いのでは?
火鉢の炭も箸で移動させますしね
うぽつ
偽書とフィクションのそれぞれの真実性に関する評価基準には長年疑問を抱いてきました。
(東日流外三郡誌がそうであるかについては触れませんが)たとえ事実として偽書であるものも、現在の大方の評価基準では断定的な言葉は用いられず「偽書とされるもの」となってしまいます。これは、状況証拠があっても(発見者自身が偽書であることを認めたとしても)それ以外の可能性を100%排除できないというある種の配慮によるものだと思います。
ところがこれはおかしな話で、最初からフィクションとして世に出た作品はそれが真実である可能性について一切言及されません。たとえ作者がフィクションであることを宣言しようが、そうでない(=真実である)可能性を100%否定できないにも関わらず、です。ですが、フィクションが真実である可能性を考えることにはなんの意味もなく、それは「偽書とされるもの」についても同じことが言えるはずですが、先述の通り評価方法が歪んでしまっているのです。
この評価方法は、偽書評価のプロセスを見ずに結果だけを見た人が「断定されていないということは本物かもしれない」という極めて0%に近い可能性だけに着目してしまう危うさがあります。
なので、十分な状況証拠が積み上げられたものは一旦偽書と断定してしまうことが健全な評価だと思います。(何をもって十分とするかも難しい問題ではありますが)
民俗学とあまり関係のない長文ですみません