18歳の時に日本の本屋で小野洋子の存在を知りました。1964年、14歳の時から"Please Please Me' ""I Wanna Hold Your Hand" "Twist And Shout"などリアルタイムで聴きジョンのパートでビートルズ・コピーバンドを作って高校の学芸会にも出演しました。小野洋子さんには失礼ですが当時の少年に目にはとても彼女の顔が四角で不細工に見えジョンの美的感覚を疑ったほどです。私も大学卒業後アメリカ留学今71歳でワシントン在住で美術家です。近年、小野さんの若い時の写真をみてなんとチャーミングで神秘的なまた日本人離れした風貌であっとこの歳でやっとわかるようになりました。ジョンが惹かれた理由も今になってわかるようになりました。アメリカに在住している日本女性とは一線かけ離れた存在です。考えもしっかりしているし英語力も一般在住日本人とは違う。
An Interview of Yoko Ono by Hans Ulrich Obrist ---- HANS ULRICH OBRIST: Could you tell me a little about the early beginnings of instructions in your work? YOKO ONO: It started with music. I was trained as a musician since my pre-school years. My mother put me in a very special school called Jiyu-Gakuen (自由学園) in Japan, before I went to the elementary school. Jiyu-Gakuen, which translates as "Learning Garden of Freedom," gave early musical training to pre-school children. We learnt perfect pitch, harmony, playing the piano, and composing simple songs. Some very famous Japanese composers came out of this school. One of the most important things I learnt in that school, though I only knew how important it was in hindsight, was to listen to the sounds in ones' own environment. We received homework in which you were supposed to listen to the sound of the day, and translate each sound into musical notes. This made me into a person who constantly translated the sounds around her into musical notes as a habit.
ジョン・レノンは、幼いころから父親フレッドは船乗りで、ジョンのことは帰り見ず、母親ジュリア(JULIA・The Beatlesの曲の中)は他の男と暮らすようになり、両親の愛情を知らないまま成長していきました。その為マザコンのまま大人になりました。小野洋子さんと出会ったことで、母親の愛情と良き理解者を得ることになります。このことはジョンのThe Beatles(ホワイト・アルバム)以降、そして解散以降の作曲に大きな影響を与えることになります。解散後の最初のアルバム(ジョンの魂)の一曲目は、おか-さんから始まり、ほとんど母親(小野洋子)のことばかりです。2枚目のアルバムIMAGINEもまた、ほとんど母親(小野洋子)のことばかりで、アルバムの最後の曲は、オー・ヨ―コです。3枚目のアルバムSOMETIIME IN NEW-YORK CITYもまた(小野洋子)の事ばかり。4枚目のアルバムMIND GAMESもまた小野洋子さんの事ばかり。ジャッケトの写真には、小野洋子さんの顔が地平線に横たわっています。1968年のロバ-ト・フレイザ-・ギャラリ-で、小野洋子さんと出会い、母親に飢えていたジョンはそれから洋子の尻を、追いまくるようになります。これらの曲を日本語に訳して聴いてみれば、すべてとは言いませんが、おか-さん・おか-さん・洋子・洋子と叫び続けています。 いちBEATLESファンとしては、作曲はいいのですが、作詞には抵抗があります。また苦楽を共にしてきたポールの心情としては、無二の親友を奪われた気持ちになったのではないでしょうか。一番不満なのは洋子さんが、ビートルズサウンドに出しゃばってきたことです。ホワイト・アルバムのCONTINUING STORY OF BUNGALOW BILLのかん高い声は、ビートルズサウンドを破壊したようで不快に思います。
昔、オノ・ヨーコさんが帰国したとき
人気のニュース番組に特別出演したのですが
キャスター(って和製?)がNHK出身の、
政治経済系に強い、人気の木村太郎氏だった。
二人は幼馴染みで、
インタビュー中ずっとオノ・ヨーコは木村太郎の事を
「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」と呼んでいて
やり手の敏腕キャスターも形無し。
それだけでも面白かった。
オノ・ヨーコがとてつもない御嬢様だと言うのは
私の年代では有名な事でした
とてもとても美しい日本語を話される方です
引きこもり問題について聞かれて、彼らは僧侶のようなものなのかも知れないから少しほっといてあげてください
とか言ってたのはさすがだと思った
YOKOさんはビートルズを知らなかったって言う常識ではあり得ないことをジョンに会ったときに言ったらしくてそのことがジョンにとって良かったんだよね、ビートルズのジョンって認識があると普通の人間ではないスーパースターで地位も名誉も財産も全て得た成功者であってそんなジョンの妻に成りたいっていう欲望で近づいてくる女ばっかりいる中にあってジョンにとってYOKOさんはジョン自身を普通の一人の人間として付き合える世界で唯一の存在だったわけなんだよ。
と
すごく面白かったです。オノヨーコの事を自分は何も知らなかったんですね。昔、アイルランドに行った時にスペイン人の若い男が「オノヨーコなんて嫌いだ。ビートルズを解散に追い込んだ」と言っていて。それを聞いたイタリア人の若い女性は「何言ってるの。ジョンはヨーコに救われたのよ」と反論して、なんだか「ホッ」とした事がありました。
Tea
素晴らしい女性だ
オノヨーコの家系を辿ると……。
父方の祖父が日銀総裁
母方の曾祖父が安田財閥創始者
母方の祖父は貴族院議員
父は東京銀行のエリート銀行員
弟は数多くの企業で社長を務めたスーパー経営者。妹は世界銀行に勤務した国際公務員で、今は世界で活躍する彫刻家
親戚には医学者、国連大使、画家、歌舞伎役者、バイオリニストなど錚々たる顔ぶれ。
こうなると、歴史的人物や芸術家とも接点が深い。
そして夫は一柳慧にジョン・レノン。
謎多き前衛芸術家でありつつ、
華麗なる一族のお嬢様。
最近、デイリー新潮で横尾忠則さんがジョンと洋子さんについて書いているのを読んだけど
小野洋子さんと横尾さんがゲージツ話に花を咲かせていると
「ハッケヨイ!ノコッタ、ノコッタ」とジョンがウザがらみしてきたというエピソードが実にほほえましかった。
ジョンがこの人と出会えてクスリ漬けのアイドル人形から人間に戻れたことがうれしい。
そして、前衛芸術家でありながら日本のトラディショナルを粗末に扱わなかった日本人であったことも、ちょっとうれしい。
ビートルズそれぞれのメンバー紹介動画の尺よりも長いところが、本当にオノ・ヨーコさんへの誤解を解きたいんだなって感じる…
英語圏だとヨーコdisすごいからね
ジョン ヨーコ夫妻がおぼんこぼんの漫才を見に行った際ヨーコが通訳してジョンに聞かせていた。意味の解ったジョンは少し遅れて爆笑していたという。
二人ともお笑いが好きだったらしい。
それは初めて聞いた。ものすごくいい話だ!
ヨーコ・オノじゃなくてオノ・ヨーコて呼ばれて有名になってるのが凄い
語呂がいいからね
オノヨーコ、凄すぎて庶民が共感できる部分が1ミリもないのが、世間に誤解されてる理由かも
最近のみのさんは、みのミュージックというよりみの"アート"とよべるくらい裾野を広げていて素晴らしいと思います。
@さらば青春の光 いいじゃないの、そんなマウントとらなくたって
息子が「もし母がアジア人でなく白人だったらだいぶ評価も違っただろう」みたいなこと言ってたけど、オノヨーコの努力と勇気は凄いものがあったと思う
2010年代になって欧米社会においてアジアンが本格的に認められはじめたけど、ヨーコはもっと評価されていいよね
ってSNSのフォロワー数からして充分評価されてるんだろうけど
失礼ですけど
そういう想定は全く意味がないよね?
アジア人だからこそ意味があった。
その昔、渋谷陽一の番組で『無限大の宇宙』の数曲を聴いて深い深い衝撃を受けて以来、長年にわたってオノ・ヨーコすげえ!と訴え続けてきたおっさんとして、今回の動画には溜飲が下がりました。心から、ありがとう! ちなみに、私の一番好きな曲は「凧」(kite)という曲で、音楽的にもかっこいいロックなんですが、女としての自立と解放を力強く歌いつつ、しかもそこはかとない悲しさや暗さまで表現する、とてつもない曲だと思います。ついでに、何年か前のイベント(ヨーコの美術家としての回顧展)で、会場に設置された電話にNYからヨーコさんが電話をかけてくる瞬間に居合わせることができ、1分ぐらいですが直接お話しできたのが、今でも現実のことだったのか?と思うくらいの体験でした。
すごい!!!
ミノさんの解説力がすばらしくて、楽しく拝見しました。ヨーコさんはミノさんのおっしゃる通り、アーティストとして人としてスケールが大きく魅力的な存在だと思う。ジョンがハウスハズバンドをしていた時のビジネス取り仕切りの才能、ジョンが亡くなった時の品格ある態度。
このヨーコ解説はとても大切なエピソードをしっかり網羅していて嬉しかった。一柳さんのことなども教えてもらって嬉しかった。
アンディ・ウォーホルも自身の日記の中で何度もヨーコに言及していて、アンディはてらいや嫉妬の発言が多い人なのに、ヨーコを魅力的な友人、アーティストとしてストレートに認めている様子が窺えました。ミノさんのヨーコ観と符合します。
ジョンのアルバムに確か「あいすいません」っていう歌があります、歌詞の中で「あいすいませんヨーコ」って歌ってました、感慨深い曲です!
一部のビートルズファンからずっと不当なバッシング受け続けて来た印象があります。
そんな雑音を意に介さないで、表現活動を続けて来たんですね。凄いよほんと。
オノヨーコさんを紹介してくださってありがとうございます!天才なのに馬鹿にされて、でもいつも凛とされてて、楽曲も芸術も本当に素晴らしい。曲は確かに体調が悪いと聴くの無理、みたいな時もありますが、インスタレーション作品は誰が観ても素晴らしいので。under rateされて黙殺され続けてアート界はひどいな。
私が最も尊敬するアーチストの一人です。ヨーコさんの芸術や活躍、ぶっ飛び加減、あの美しい日本語、ジョンを殺した犯人にも「彼の一番善い部分と繋がりたい」と思っていらっしゃった高次の魂、もっともっととみんなに知ってほしいです。
ジョン「この壁の釘は何?」
ヨーコ「好きなところに打っていいのよ、ただ5シリング払ってね」
ジョン「じゃあ想像で5シリング払うから、想像の釘打つわ」
ヨーコ(私とこの人同じ考えやん)
このエピソード本当に好き。
ジョンとヨーコのすべてを表してると思う。
グレープフルーツまだ燃やしてないな・・・
早く燃やそう。
最終ページが燃やしなさい。だったのを思い出した…実家にまだあるだろうか。
ショーン・レノンを見れば真面目な良い母親だったことがわかるし、ジョンが主夫やっていた時も不動産業で家計を助けたり、別にジョンと結婚してなくても偉人になる人だと思う。
みのさんって、本当に頭が良い人なんだろうなぁ
話が聴きやすい
ヨーコが子供の頃庭で遊んでて転んでも周りのお手伝いさんはヨーコが自分の力で立ち上がるのをあえて見守っている。みたいな本物の上級階級なエピソードが好き。
ヨーコさんの御先祖の戦国武将、小野和泉が主家の立花宗茂を育てたエピに似てますね。家系なんでしょうね。
ジョン・レノンも訪れたことがある辻堂にあった実家は洋館だったが、自分が小学生の時に通りがかった時には、広めの庭は土だけで芝もなかった。
めっちゃ強い女性だと思う。
世界を制覇したとも言えるビートルズの解散の原因はヨーコだ!みたいな
心ない噂で攻撃され続けた。
しかしヨーコがいなければ
後期のビートルズに前衛性は、もっと物足りないものになった可能性は高い
3分間ポップソングヒットメーカーのビートルズに
スピリチュアルな支柱が芽生えるのに
影響与えたと思うよ
僕のオノ・ヨーコ体験の最初が、小6のとき友人宅で聴いたジョン・レノンのシングル盤「Mother」のB面曲だった「Why」なんですよね。衝撃でした。聴いた当時はすでに1979年でポストパンク/ニューウェーヴの時代。「Why」はそれらと同じことをそれより遥か10年近く前にやっていたという。「Why」で体験したヘヴィネスを求めて色んな音楽を聴き漁ったけど満足できず、ようやくその感覚を味わえたのは80年代末期に聴いたソニック・ユースや初期のマイブラッディバレンタインでした。その時期、息子のショーン・レノンがリードするようにオノ・ヨーコの音楽への再評価と、ヨーコ自身の音楽活動の再開で、あの「Why」の時期を彷彿とさせるようなアルバム「Rising」をショーンレノンのバンドIMAと一緒に発表。一気にオノ・ヨーコの音楽がロックファンに認められる時代が到来して嬉しかったなぁ。当時のYoko Ono&IMAとして来日公演もしてくれて、当然観に行きましたが本当にかっこよかった!
失われた週末に触れてくれたのは嬉しい
動画の趣旨とは外れるけどこの頃のジョンレノンめちゃくちゃ好き
オノヨーコ自身は本当にすごいと思う
人類には100年ほど早い存在だっただけ
私もオノヨーコ、すごいと思います。ジョンとの共作、ダブルファンタジーとかにはとくに傑作というようなのがないのが残念ですが。おそらく、じっくり作ったアルバム「無限の大宇宙」を最近聴いたのですが、本当にいいアルバムだなと思いました。メロディーの綺麗なのもいっぱいありました。ぜひーヨーコの再評価、進んでほしいですね。
あと、みのさんのいうとおり、誤解や偏見に対して、作品で勝負するところ、ほんとにエラい‼️ グッジョブです。
色んなところ見ててもオノヨーコがこんなに賞賛されてるのここくらいだったな〜
やってることどうこうより前に本当にとんでもなく強い人間なのは間違いないよね
世界中のビートルズファンから攻撃?(批判?)されたような時期が長かったんだよね
前衛アートは理解しがたいが数々の巨匠と話や気が合う時点でオノ・ヨーコは偉人
ハウスハズバンド時代に、ジョンがごはんを炊いていた、という話が、日本人としてものすごく親近感が湧いて嬉しくなります
ポールがソロで『平和を我等に』を歌ったとき客席でゆらゆら揺れてたヨーコすき
オノ・ヨーコの書いた曲はそれまで抱いていたイメージと裏腹にパワフルで官能的なものが多くて初めて聴いた時は驚いた
今日のは力が入ってますね。グッドジョブ。知らなかったことがたくさん聞けて良かったです。
オノヨーコはよく詳しく分からなかったからこういう動画ありがてー
嫌悪感も含めて芸術家ってところでしょう。
自分は前衛芸術、現代アートに感動した経験はないけど、少なくともオノヨーコの曲は聴こえた瞬間に飛ばすくらいには感情を起こされる。
ジョンの魂の生々しさとかコールドターキーのあのおぞましい音と同じくらい生命力にあふれてるんだと思います。
本当何も知らない若者なのですが、オノヨーコさんが纏っている雰囲気がとても好きなんです。今回の動画で彼女の魅力とその背景を知れて良かったです。音楽を各々の方法で周りを気にせずに表現することは素敵ですね。
何故ジョンがヨーコに傾倒したか若い時はよく理解出来ませんでした。ビートルズを聴き出した中学生の時先輩からジョンの奥さんは日本人なんだ!!って教えてもらった時は誇らしく思ったけどジョンとヨーコの愛は中々理解出来ませんでしたよ。でも今はヨーコがいたからジョンは生きてけたのかと確信してます。
ヨーコの家系を見れば金銭目的でジョンに近づいてない事は明らかだ。
レコーディングの時もジョンの側にいて他のメンバーが嫌っていたって言われているけど、『ゲット・バック』を見るとモーリンがいる時もあるし、リンダに至ってはスタジオに子供を連れてきている。ジョンやリンゴは子供の話し相手になったりしてメンバー以外がスタジオに入ってもそれほど問題にしてないように見える。
スタジオではヨーコだけがいつもジョンと一緒だったような印象があったけど、実際は他のメンバーも彼女をスタジオに連れてきていたんだと思ったよ。
やっぱり東洋人に対する偏見があったのかな。
本当にそうです!!!!!!!ヨーコをGold DiggerとかDisる人も結構いて(RUclipsのコメントで見かけた)ほんと顎がはずれそうに驚きましたね。皇太子妃の候補にでもなりそうなお家柄。下手すりゃジョンより財産持ち?だったんでは、くらい思います。
私の旦那はイギリス人なのですが、60年代ですし、東洋人への偏見はあったんでは、とつぶやいていました・・・よくあるモデルタイプでもない東洋人がいきなりやってきてひどい言い方ですけどうざい、って思われたのかな・・・。
みのさんのおっしゃるとおり、大変知的で魅力的な女性だったんでしょう。
ジョンはポールにヨーコに手を出したら容赦しないっておどされた話がありますね。
ジョンはジェラスガイだから仕方ないっかww
そうですよね。特にジョージが嫌ってたように言われるけど、実はメンバーはジョンをヨーコに奪われたように感じてたんじゃないですか?
18歳の時に日本の本屋で小野洋子の存在を知りました。1964年、14歳の時から"Please Please Me' ""I Wanna Hold Your Hand" "Twist And Shout"などリアルタイムで聴きジョンのパートでビートルズ・コピーバンドを作って高校の学芸会にも出演しました。小野洋子さんには失礼ですが当時の少年に目にはとても彼女の顔が四角で不細工に見えジョンの美的感覚を疑ったほどです。私も大学卒業後アメリカ留学今71歳でワシントン在住で美術家です。近年、小野さんの若い時の写真をみてなんとチャーミングで神秘的なまた日本人離れした風貌であっとこの歳でやっとわかるようになりました。ジョンが惹かれた理由も今になってわかるようになりました。アメリカに在住している日本女性とは一線かけ離れた存在です。考えもしっかりしているし英語力も一般在住日本人とは違う。
「男女平等?なぜ優れている私たち女が男たちのところまで下がってきて、平等にならなくちゃいけないの?」
もちろん賛否両論ある発言かもしれないけども、このヨーコさんの言葉めちゃくちゃロックで好き。
かっこいい
@@rubrud1513 前提として男女平等ではないからですよ。そりゃこの男性社会で男が言ったら炎上するに決まってる
削除された返信先は、"男女逆だったら炎上するだろうに女が言ったらロックで済まされるんだな"みたいなコメント
男女平等はこれから先絶対に実現しないよね。
政治家に女性を増やせという人もいるけど、ブルーワーカーに焦点は全く向けられない。
逆に美容師は女性率が高い。
何を基準にして男女平等を求めるかで変わってくるけど、生物的に違う生き物だから男女平等なんて無理なのは明白。
実際は現代文明の発明品は殆ど全て男が発明してるっていうね
@@user-lr2pd7ko7n 社長や政治家に男性が多い理由を男性の方が女性より優秀だからって思ってるタイプ?環境や社会の風潮とか、女性の選択の幅を狭める目に見えない構造的な女性差別は沢山あるよ(職種などによっては逆も然り)。
ヨーコさんは、もうすぐ90歳だけど、1~2歳くらいの頃のホームビデオが残っている。しかも、ハイハイして登っているむきだしの階段は、大きなホテルなどのロビーにしか見えない。それで、自宅なんですね。
お父さんは、東京帝国大学を卒業され、太平洋を又にかけて活躍された小野財閥を率いた方。いとこには、北海道大学の名誉教授などもいらっしゃる。
お母さんは、今のみずほ銀行などの源流である安田財閥のご令嬢。世間は、「お嬢様」ではなく「お姫様」と呼んでいたそうです。
ヨーコさんは、学習院大学に入学されていますが、ご卒業はされていないかもしれません。
1980年12月にジョンが亡くなった後、翌年かな、プレイボーイ誌に生前最後のインタビューが掲載されます。そこで、ジョンは、「イマジン」の共作者としてヨーコさんをクレジットしなかったことを、とても恥じて後悔したのが、今でも印象に残っています。
私も、「グレープフルーツ」の内容を知ってからは、ヨーコさんも共作者だよと思っていました。
何年か前、クレジットされたと聞いた時には、本当に良かったと思いました。
アンチ・ヨーコの考えを乗り越えてヨーコに興味を持ってから、ビートルズやその後のそれぞれのソロ活動をよりクリアに深く聴けるようになった気がしています
お疲れ様です!
これは大傑作!
尊敬してます、ヨーコ・オノ
途中にでてきたリンゴのダブルピースが可愛くて笑ってしまった
私のリスペクトする日本の誇るべきアーティストであるヨーコさんの功績にスポットライトを当ててもらって嬉しいです!
注目すべきポイントが凝縮され、その上分析も素晴らしいみのさんのコメントを聞かせてもらって大変満足しています。
不安定な混沌とした時代だからこそ、ヨーコさんのように強く生きたいと願う日本の全ての女性達に
今こそ注目してもらいたいものです。
YES
ドーンワーリードーンワリドントワーリー
キスキスキス😘
We're All Water !!
実生活で虫眼鏡を使う場面で「なんかYesって書いてある」っ言ってしまう小ネタ
ジョンがタイトルにヨーコさんの名前を入れて書いた「Oh Yoko!」と「Dear Yoko」は明るい曲なのにどこか切ない。聴くと涙出そうになるくらい大好き。
どちらもジョンの書いた隠れた傑作だと思う。
個人的なラブソングを普遍的な愛の歌にしてしまうカリスマ、ジョン。こんな天才もう現れないな。
ジョンをビートルズの呪縛(ビートルズを汚すつもりはないです)から解放した偉大な方だと思う
ソロ活動はヨーコあってのもの
面白かったです。ただ、夫に愛人を宛がうのが狂った発想だっていうの、それは上流階級あるあるなんじゃないかなって思いました。国内外の貴族や王族の話でそういうの多いですもんね。
NHKでやってたけど
イマジンの元々は
オノ ヨーコの文章?本?だったけど
ジョンのイメージがあるから
黙っててって言った話がスゴイ
An Interview of Yoko Ono by Hans Ulrich Obrist
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HANS ULRICH OBRIST:
Could you tell me a little about the early beginnings of instructions in your work?
YOKO ONO:
It started with music. I was trained as a musician since my pre-school years. My mother put me in a very special school called Jiyu-Gakuen (自由学園) in Japan, before I went to the elementary school. Jiyu-Gakuen, which translates as "Learning Garden of Freedom," gave early musical training to pre-school children. We learnt perfect pitch, harmony, playing the piano, and composing simple songs. Some very famous Japanese composers came out of this school.
One of the most important things I learnt in that school, though I only knew how important it was in hindsight, was to listen to the sounds in ones' own environment. We received homework in which you were supposed to listen to the sound of the day, and translate each sound into musical notes. This made me into a person who constantly translated the sounds around her into musical notes as a habit.
ヨーコさんの個展で若い頃のハプニングアートの映像見たけどえらい綺麗なかたでしたね。
そのうちNHKの連続テレビ小説でオノヨーコの一生みたいな作品がはじまりそうな雰囲気の人生ですね。
彼女の人生をドラマでぜひとも見てみたいな‼️
イマジンと近しきテーマの作品で、白い駒だけのチェスの作品も好きです!
この動画がオノヨーコ氏との対談の布石だったとは…
ジョンの魂買おうとして間違えてヨーコの心ポチっちゃって一瞬萎えたけど、聴いてみたら間違えてよかったと思った。
ポールがこの前ラジオだっけ、「解散のきっかけはジョンやで。ヨーコは関係あらへんで。」みたいなこと言ってたね。
それを知らずに誤解したままお亡くなりになられた方々が可哀想でならない
ヨーコがジョンの精神的なスタビライザーであったことを理解しないとホントいけないと思います。ジョンの死後、ヨーコには未亡人としてジョンの膨大にストックされた作品群を伝え続けるか、ショーンの母として、前衛芸術家として個人として生きるという選択肢とがあり、ヨーコが前者を選び、このことでジョンの作品、動画が引き続き紹介され続けた。この点だけでもファンは彼女に感謝しないといけないといつも思います。ビートルズ終盤での彼女との出会いはひょっとするとジョンの人生を延ばしたという逆説的な言い方ができるかもです
みのさん ヨーコさんを取り上げてくださってありがとうございます。ヨーコさんのアートはとってもピュアで物凄く素敵です。以前はセントラルパークにしょっちゅう出ていらしていましたけれど、快復される事を祈っています。
サインした石が超高値になったりチャック・ベリーとジョンとのセッションに奇声で参加したりと変なエピソードが先行しがちなヨーコさん
返り血の付いたメガネ飾っちゃたりねw
@@スズキ不空 ジョンの熱心なファンの心を踏みつける行為ですよね。頭どうかしてる
@@beautydevil174...まあ、象徴的ではあるんだよな。
もうジョンはいない、っていうヨーコの気持ちかも知れんな。
自分はあのカバーいいと思う。
チャックベリーとの演奏の奇声はまじでくそ
Yoko: Go to the middle of the Central Park Pond and drop your all jewelry.
Me: Except Diamonds. For Lucy has stolen those. She's in the sky now.
一柳さんの現代音楽、大好きなんよなぁ。
オノヨーコの視覚的な芸術は面白くて好き
素晴らしい…
「女性上位万歳」は小泉今日子がカヴァーしていて、そちらもキュートで素敵です。
昔は嫌いだったが、ジョン目線で見た時、物凄く魅力的で多彩な女性だと確信した
今は尊敬する女性の1人
天才だと思う
ジョンの絵も禅画っぽいですね😊
ビートルズの解散の原因はジョンがヨーコに夢中になってビートルズに興味なくしてまず解散を決めた、という話がありますね。最近ポールがビートルズの解散は「ジョンがヨーコとの人生を始めたがっていた」からとも言ってますしね。正直ヨーコが悪いというよりは、むしろジョンがヨーコに夢中になりすぎてスタジオに参加させたり、ただただヨーコも「そうしたかったから」ついていっただけ、なんでしょうね。
ただポールやジョージは心底イヤだったらしくてそのスラストレーションでジョージが書いたりしたらしいです。
ジョンがヨーコにのめりこみすぎたことが解散の原因なんだろうな、というのが真相な気がします
痛快です。
彼女をここまで、シンプルに解りやすく解説してくれて。
好きなアルバムが、もろ被りで笑っちゃいました。
実は、ヨーコのアルバムはアナログでほぼ持っています。
ジョンもヨーコは10年時代を先取りしてるって言ってたけど、
いや10年どころじゃなかったですね。
ヨーコ・オノ&プラスティック・オノ・バンドとしての活動が若者に評価された時は灌漑深かったな。
ジョン・レノンはヨーコについて
「ポールとディランは足したくらい重要な存在だ」と説明していたのを本で読んだことあります
好みは人それぞれ!うぇーうぇーと叫びながらタンバリンを叩いてる!ジョンレノンが選んだ人だから仕方ない。只、シンシアとジュリアンのその後のことを考えたら複雑だけど。
オノ・ヨーコの演奏のコメント欄「アート」をわかってくれない人が多くて悲しい。
すぐに「技術」ってところに行って、下手とか雑音だとか言ってる人が多すぎる。
流石みのさん、分かってるなあ。嬉しいわ。👍
みのさんの動画はいつも面白いですが、今回はそれとなく真剣味も混ざっていてことのほか素晴らしく感じました👏👏👏自分もオノ・ヨーコさんのことはほとんど知らずイメージしか先行していなかったので、みのさんがあらためて紹介しているのを目にできて本当に良かったです✨
ジョン・レノンは、幼いころから父親フレッドは船乗りで、ジョンのことは帰り見ず、母親ジュリア(JULIA・The Beatlesの曲の中)は他の男と暮らすようになり、両親の愛情を知らないまま成長していきました。その為マザコンのまま大人になりました。小野洋子さんと出会ったことで、母親の愛情と良き理解者を得ることになります。このことはジョンのThe Beatles(ホワイト・アルバム)以降、そして解散以降の作曲に大きな影響を与えることになります。解散後の最初のアルバム(ジョンの魂)の一曲目は、おか-さんから始まり、ほとんど母親(小野洋子)のことばかりです。2枚目のアルバムIMAGINEもまた、ほとんど母親(小野洋子)のことばかりで、アルバムの最後の曲は、オー・ヨ―コです。3枚目のアルバムSOMETIIME IN NEW-YORK CITYもまた(小野洋子)の事ばかり。4枚目のアルバムMIND GAMESもまた小野洋子さんの事ばかり。ジャッケトの写真には、小野洋子さんの顔が地平線に横たわっています。1968年のロバ-ト・フレイザ-・ギャラリ-で、小野洋子さんと出会い、母親に飢えていたジョンはそれから洋子の尻を、追いまくるようになります。これらの曲を日本語に訳して聴いてみれば、すべてとは言いませんが、おか-さん・おか-さん・洋子・洋子と叫び続けています。 いちBEATLESファンとしては、作曲はいいのですが、作詞には抵抗があります。また苦楽を共にしてきたポールの心情としては、無二の親友を奪われた気持ちになったのではないでしょうか。一番不満なのは洋子さんが、ビートルズサウンドに出しゃばってきたことです。ホワイト・アルバムのCONTINUING STORY OF BUNGALOW BILLのかん高い声は、ビートルズサウンドを破壊したようで不快に思います。
今日たまたまJohnLennonのサングラス買ったの!!!!手に入れてルンルンだった所にオノ・ヨーコ特集だと!??
最高!!!!
聴いたこと無かったけど今日はオノ・ヨーコ聴いて寝る!!!
安田財閥と銀行家の小野家の血を引くオノヨーコは学習院の中高出身、大学中退(NYに引越し)上皇や常陸宮殿下ののお妃候補リストに載っていたと言われるほどすごい超特権階級の家柄です。少なくとも同じ平民として比較すると美智子上皇后どころではないお嬢様でした。ジョンレノンはアイルランド系の労働者階級出身で、オノヨーコに惹かれたのはそういった上流出身女性への憧れもあったと言われてますよね
大学中退(NYに引越し)上皇や常陸宮殿下ののお妃候補リストに載っていたと言われるほどすごい超特権階級の家柄です>>>やっぱり!先日彼女はGold Digger(カネ目当て)っていう英語コメントみて彼女のバックグランド知ってるだけにそんな目的でジョンに近づいた、って思いもよらなかったディスりだな、とショックでした。・・・無知が八つ当たりしているだけなんだなーって思いました。
20分以上お互いの名前を言い続けるだけの「ジョンアンドヨーコ」って曲、凄い面白い。
トリビアの泉でありましたね
面白いことをやる人たちだと思った
知らないことが一つ知れたので偶然この動画に巡り会えてラッキーです。thanks!
Walking on thin iceはあまりに名曲過ぎる
ビートルズを解散させた女とか魔女とかいろいろ言われてるけれど、ヨーコさんいなかったらイマジンは誕生しなかっただろうし、ジョンも結構ダメ人間になってたのではないかと思う。
Open Your Box1曲めの「You're The One」大好き。
実は「ダンス・ミュージックのヒットメーカー」という側面もちょっと前まで知らなかったなぁ。
数年前のグラストンベリーで演奏したDon't Worryは凄かった。コメントも低評価の嵐。聞くに堪えないと言われても、メッセージの通り歌い切るヨーコ氏には何か勇気づけられるものがあった。常人には感知できないスケールの持主かも。
ジョンレノンsuper Liveに行った時にオノヨーコさんのパフォーマンスを見たんですが、そりゃあジョンレノンと結婚するよなって納得した。
初めてコメントします。
13歳からのビートルズファン、中でもジョンレノンの大ファンとして、今回の動画を興味深く視聴しました。
私は現在59歳のおじさんですが、ビートルズがデビューした1962年に生まれたことを大変誇りに思っています。
今回の動画の内容ですが、ほぼその通りだと思います。
ヨーコの存在とビートルズ解散は別の話ですよね。
ただ、このチャンネルの以前のビートルズ関係の動画で、エプスタインの死後、バンドの主導権をポールが握ったという主旨の発言があったと記憶していますが、私は個人的には違うと考えます。
確かにサージェントペッパーで初めてポールの曲数がジョンを上回りましたが、重要な曲はしっかりジョンが押さえています。
その後も、エプスタインの代わりをポールが務めようと努力していたのは確かですが、それが必ずしも成功したとは思えません。
2人の音楽的な最盛期がビートルズ時代にずれていた為、ポールがジョンを追い抜いた様に見えることは理解しますが、私にはポールの作詞家としての拙さがとても気になります。
中学生の頃、ポールの妙に無意味な前向きさを感じさせる歌詞は、メロディの素晴らしさのせいもあって、どの曲を聴いても深みに欠け、ポールはあまり頭の良い人ではないことに気づきました。(あくまで個人的な感想ですが)
何れにせよ、作詞についてはジョンと比較できるレベルには全くなく、ホワイトアルバム以降はジョージにも負けていた時期が長かった様に思います。
ゲットバックのセッションに参加したビリープレンストンが明言した様に、解散に向けて走っていた頃であっても、バンド内ではジョンがボスだったという事実は動かせないと考えます。
最後に一つ。
Whatever gets you through the night は完全にジョンの曲であって、エルトンジョンはピアノを弾いてコーラスを付けただけです。
いい間違いだと思いますが、動画ではエルトンの曲の様に紹介されていたので、この点だけ指摘させて頂きます。
なるほど。
私はヨーコにフォーカスして彼女の曲をあまり意識して真剣に聴いてこなかったので、とても勉強になります。
私もヨーコの心というアルバムは何度か聴きました。ジョンの魂と同時期に制作され、同じミュージシャンが演奏していますから。
ジョンがギターとピアノ、リンゴがドラム、クラウスフォアマンがベース、ボーカルがヨーコですね。前衛音楽とは縁遠く見えるあのリンゴが、ヨーコの要望通りと思われるドラムプレイを普通に見せていたのには驚きました。
Whyは、ベースラインが特徴的なゴリゴリの前衛音楽という印象があります。
ちなみに、私が個人的に一番好きなヨーコの曲は、ジョンが亡くなる直前までアレンジをいじっていたWalking on the thin iceです。
私の世代はパンクをモロに体験し、ディスコサウンドやテクノ全盛の時代をよく知っています。
貴重なコメント、ありがとうございます。
Bad Dancer聴いた時
あ、オノ・ヨーコって10年から20年程時代が早すぎたエレクトロニカな人間だったんだなと感じた
なんかもう国籍とか肩書で人を捉えることが心底バカバカしく思えて来る、、。かっこいい人だ。
現代美術・コンセプチュアルアートって苦手意識あったんだけど、
最近調べ始めててオノヨーコは避けて通れなかったから音楽以外での紹介はとてもありがたいな
でもやっぱり幾らどう調べてスマホ介して見ても、絵画とも彫刻とも違うから現場での直接的な感情に頼らなきゃ分からないものがあるな
「Whatever Gets You Thru The Night(真夜中を突っ走れ)」はエルトン・ジョンの曲ではありません。ジョン・レノンの曲です。バックヴォーカルとピアノでエルトン・ジョンが参加しています。
この曲、好きだったのですが、エルトンジョン作と聞いてちょっとがっかりしていしまいました。そうですよね。
「walls & bridges」というジョンのソロアルバムで一番気に入ってるLPのÅ面1曲目でした。
みのさん訂正願います。
私は、去年の夏頃から、ジョンレノンとヨーコさんのフアンになりました。遅咲きですが、みのさんの解説を読ませていただいて、益々ヨーコさんが大好きになりました。アメリカのRUclipsを見ていたら、凄くメイパンを褒めちぎっていて、ヨーコさんさんを見下しているのが、我慢できませんでした。色々なユーチューブや、プレイボーイ社のインタビュー本を熟読しましたが、ジョンレノンは出合いからヨーコさんに助けられた感じがします。大げさかもしれないが、命を救われたと言ったらいいぐらいです。その証拠にジョンレノンの亡くなる日のRKOラジオのインタビューで「ヨーコより早く死にたい、ヨーコが死んだら僕は生きて行けない」と言ったことが、どれだけヨーコさんへの信頼が甚大だった事が伺われます。
無限の大宇宙はめちゃくちゃ愛聴盤です。ビートルズ関連者で、天才はポールとヨーコかなと最近よく思います。
ジョンのほんとうの姿はものすごく優しくておとなしい少年で、伝聞されてる姿はロックンローラーとしてのジョンだということがヨーコの親戚の元外交官の書いた本花だに残らばに書かれてます。それとポールとは多少行き違いはあったかもしれませんが、悟りという曲を作ったのを早速国際電話でポールに伝えて、この曲どう思う?という感じで子供のように話してるのが録音されてます。その時のポールの受け答えも家族みたいな感じでした。
この前の「ジョンとヨーコ展」でヨーコと描いてたローマ字の日本語が載ってる絵が面白かった
「想像してごらん」でピースのコントを思い出す世代です。
もしジョンがヨーコと出会ってなかったらというのが、私的に凄い興味深いです。
結構歴史が変わるくらいのインパクトあるのかな。
ヨーコのグレープフルーツの影響のイマジンはあの形ではでてないだろうから。
Whatever Gets You Through The Nightはエルトン・ジョンの曲ではありません。ジョンの曲の中から彼が気に入った曲がこの曲です。
私はオノヨーコに憧れてアメリカに来て今もずーっと住んでるんよ🇺🇸
十代の頃からめっちゃ彼女に影響受けて、憧れてて🤩🤩🤩
彼女が私の人生に与えた影響は今日(こんにち)の"私"なんよ😎
英語圏の方々に是非見て貰いたいですね。
でも自分の服をハサミで切らせる作品の事を聞いた時は流石に空いた口が塞がりませんでしたw
ストーンズのロックンロールサーカスでオノ・ヨーコを観たぼく「ひぇっ…」
ロックンロールサーカスのヨーコはかっこよかったよ
なにかに取り憑かれたような呪術的なボーカルに惹かれてしまった
魔女のコスプレも怖かった
オノ・ヨーコについてのコンパクトな紹介ありがとうございます。前衛芸術家ヨーコがジョンを通して音楽に出会うと思っていたけど、それ以前に夫の一柳慧はじめ、ジョン・ケージや武満徹とも接点があったとは。びっくりしました。正直オノ・ヨーコは避けてきた感があります。ここらでちゃんと向き合ってみます。
それは耐えれねえのかよ!で吹いた
無限の大宇宙名盤ですね。ちょっと演歌テイストも感じたりするけど。