武士の鑑と称された畠山重忠のルーツ【鎌倉殿の13人登場人物解説】
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- Опубликовано: 10 сен 2024
- 畠山一族と源氏の繋がりをそのルーツから探ります。
その強さゆえに権力者から常に警戒されていた重忠。鎌倉殿の13人でも見せ場はかなり多いでしょう!
※話すの忘れていましたが、平家に従っていた父・重能は史料からもフェードアウトしてしまうので、その後の動向は不明です。(平知盛に助けられ東国へ帰ったとも)
■主な参考文献
中世武士 畠山重忠: 秩父平氏の嫡流 (歴史文化ライブラリー) amzn.to/3JnKMPq
三浦一族の中世 (歴史文化ライブラリー)
amzn.to/3Khp1Be
鎌倉・室町人名辞典
amzn.to/3B2ALnI
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【画像引用】
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式サイト
www.nhk.or.jp/...
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式Twitter
/ nhk_kamakura13
また、解説に必要な範囲で大河ドラマ本編の一部シーンを引用しています。
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#鎌倉殿の13人 #畠山重忠
中川大志はとても畠山重忠役に合ってますね。
畠山重忠公の生誕の地、深谷市畠山に住んでいます。畠山重忠公史跡公園として、重忠公の墓や産湯の井戸などがあります。それから、重忠公が愛馬三日月を背負った素晴らしい銅像も設置されています。子供の頃から、この場所は「重忠様」と呼ばれ「重忠様」に遊びに行ってくるよと言っていました。改めて、郷土出身の畠山重忠公を誇りに思っています。
中川大志さん演じる畠山重忠と佐藤浩市さん演じる上総広常の演出、描き方が対象的で面白いですねー🤣
文武両道のイケメン、真面目で力持ちときたら相当モテたでしょうね。
出る杭は打たれる、悲しきかな
頼朝公に言われて先陣切ってる姿マジイケメン👍
あの女性たちを見下げるシーン、ウチの嫁までトロトロでした笑
その後の不貞腐れた上総広常で笑ってしまった
@@user-hg1fk7dd4q それよww
逃げないで立ち向かったんですね
真田丸で豊臣秀頼演じた方だよね。
当時から凛々しかったけど、畠山の役凛々しくて、
マジイケメンですわ。
畠山重忠が馬を背負った銅像が深谷市にあるとTVで言ってました。栄一を思い出して懐かしかったな~!
鵯越え(ひよどりごえ)、
当然、神戸市の六甲山の方にも有ります!
畠山重忠さんを主神とする神社が、深谷市にはあって、
動物愛護活動のお祭りが毎年あるそうですが?
@@user-tq4qo4kl4p さんへ
行ってみたいです!
畠山重忠を主人公とした物語でも面白くなりそう
いつも見て、楽しみで面白いすごい解説ありがとういつもありがとう武士道さんこれからもいっしょに大河ドラマ見ましょう❤️
大蔵合戦は、源氏・秩父平氏ともども叔父vs甥のいくさで、甥の側が勝ったわけだ。
中川大志は、「真田丸」では豊臣秀頼を演じてたね。初登場のオーラは確かにあった!
大蔵合戦は保元の乱の地方版ではなく、義朝、義賢兄弟の内輪揉めでしょう
ただ、源氏の嫡流は為義でさえ嫡流であったか定かでなく、義朝は為義の長男であっても為義とは別な家ということかもしれません
為義の官職を考えると朝廷は義家の嫡流とは見なしていなかったのかもしれません
畠山重忠は、旧川本町の出身です。私は隣町の旧花園町出身です。小学生の時に
運動会で、重忠節をみんなで踊りました。懐かしいです。
共通の敵がいれば一致団結するけどその敵がいなくなると内輪揉めになっていきますな
チャンネル登録しましたよ〜
鎌倉幕府参考になりますね〜
畠山重忠とうとう御家人争いに巻き込まれる可能性出てきました。早く畠山重忠の乱見たいです。(笑)👍🫡🫡
免許更新でしか行った事のない二俣川で、
そんな歴史があったとは。
二俣川の合戦で敗れ、畠山重忠の首洗い井戸や首塚などの史跡が私の育った横浜市旭区にあります。
小学校の授業で実際現地に見学に行ったことを思い出しました。
ただ畠山重忠の地盤は横浜市ではないので、この戦い以外のことはほとんど知りませんでしたので、この動画を見て畠山重忠のことがよくわかりました。
ゆかりの地巡りではぜひ最後敗れた地に来て下さい。
そしてその動画楽しみにしています。
私も現地見学行きましたよ。懐かしいなぁ。
畠山重忠ゆかりの地ロケでは武蔵嵐山の菅谷館跡へ行かれたでしょうか?地元なので楽しみにしています。
近くに畠山重忠関連の場所がいくつもあります、何年か前知って時々出かけてます、相鉄線鶴ヶ峰駅周辺にあります、畠山重忠の首塚横浜市旭区区役所周辺その他
本人は陰謀ができないので、他の御家人とは、違った意味で一番悲劇ですね
秩父氏が豪族となった時代より昔、律令国が制定された頃の武蔵国で現在の東京特別区の多くは、多摩川と当時は江戸湾に流入していた利根川に挟まれた湿地だったので、国府は現在の府中市となり、農耕地を領地とするためには内陸部、という状況だったのでしょう(おそらく荒川より北の方が肥沃だったのでは?)
ちなみに武蔵国総社大國魂神社のくらやみ祭で清めの汐水を、今は自動車に乗って品川まで取水しにいくのですが、この神事が始まった頃は、現代の多摩川のすぐ南側が海岸線だったのでは?とされています。府中市からさほど遠くない場所で海水を取水していたのが、海岸線の後退と埋め立てのせいで、今は遠く品川まで行かなければならなくなった、ということになります。
源氏と繋がりがあっただけに源氏に乗っ取られちゃった可哀想な一族()
斉藤実盛の話してほしい❗️😄
文武両道、全てに優れた重忠の生涯、欲張って力をつけたようには思えず、されど、いつの時代もひがみや嫉妬、それが高じて、陥れられる、人が存在する限り、こうした人の性は続くのでしょうねぇ。真っ当なだけにかわいそうすぎます。配役もこうしたイメージにばっちりで、最後の場面があるとしたら、私涙確実だと思います。ちなみに、現在の川越はこの河越氏からきているのですね?今回もべんきょになりました。ロケ動画楽しみにしています。
源平の争いが 後々 天皇家の分裂やら後継者争いからの乱世、戦国時代への布石等々、臣籍降下って、歴史の授業でもっと詳しく触れてほしい事態ですよね…。
ほんとですよね、そしたらもっと歴史を好きになる中高生が増えるかも。まあ、それ以降は全部とは言わないけど大学とか趣味の領域か…
平家の武闘派の平知盛が武蔵守だったこともあり、相模よりも武蔵は親平家のお国柄だったのかもしれません。
まぁそれも畠山河越一族が頼朝に降ったことで源氏一色になるわけですが…
お疲れ様です!十万人もうちょっとで、ござる!
動画、楽しく拝見させていただきました。
畠山重忠ゆかりの地の動画を今後公開するとのことで、ぜひその際に旭郵便局の風景印を押されることを提案いたします。
風景印というのは一種の消印で、配備されている郵便局では、郵便局員に尋ねることで押印することが可能です。
旭郵便局(相鉄線二俣川駅から徒歩10分くらいでしょうか)の風景印には、畠山慰勲碑が描かれています(現物は確か旭区役所近くにあるはずです)。
そして、二俣川から相鉄いずみ野線で一駅進んだ南万騎が原駅の万騎が原の由来は、幕府側一万騎に由来していると聞いています。
ぜひ巡った動画を見てみたいと思います。
清和源氏ではなく、陽成源氏という話をリクエストします。
わかりやすい解説ありがとうございます。
畠山重忠は北条氏の後継者争いに巻き込まれたんじゃないかなと思います。当時の北条氏は時政と政子で時政の次の当主を誰にするかで揉めていたみたいです。時政としては鎌倉のすぐ近くの武蔵の兵力を自分の手中にする事で、頼朝の正室の立場で源氏一門の兵力を握っている政子に対抗しようとしたのではないのでしょうか?だから、娘婿で武蔵の国司である平賀朝雅と対立する畠山重忠が邪魔だったのでしょう。だから無理矢理謀叛の罪をでっち上げて討伐したのだと思います。
畠山氏や千葉氏や上総氏と大庭氏で連合して北条氏に対抗出来なかったんでしょうか?
政子が源氏の勢力を握っているという見方はほぼ間違っている。
そもそも坂東に源氏の勢力はほとんどおらず北条も元をただせば平氏である。
頼朝は自身の兄弟を次々に殺し並び立つ源氏の一族を滅ぼしたので源氏ゆかりの家はほぼ残っておらずその当初は問題にならないほど小さな存在でなかった足利ぐらいしか残っていないほどだ。
源平合戦とは言うが事実上平家同士の内輪もめである。
頼朝死後に争いとなるのは平家の棟梁はいずれの家かということであり畠山は家柄だけを言うなら平氏の棟梁を名乗る資格はあったといえる平氏としてはかなりの傍流で北条にとって三浦とともにいずれは消さなくてはいけない坂東平氏であったのだと思う。
坂東武士の鑑「畠山重忠」は北条時政の謀略で滅亡しましたが、現代でも愛されている武士です。私は横浜市旭区万騎が原に20年ほど暮らしていました。自宅のすぐ近くに重忠の公遺烈碑があり町内で手厚くお守りしておりました。二俣川には「重忠最中」があり銘菓となっています。鎌倉から戸塚、万騎が原、二俣川まで「霊道」と言われており、至る所で落武者の霊が見える人には見えるそうです。旭区役所にも「首洗いの井戸」があります。重忠の無念を感じます。重忠ゆかりのロケ地動画を楽しみにしております。ありがとうございました。
二俣川の重忠最中の店、今もありますか?
閉店をしたと思っていました。
現国分寺市の恋ヶ窪にも行きますか
初めまして、もし畠山重忠の首塚(相鉄線鶴ヶ峰)に行かれるようどしたら籠塚がありますので寄ってください。重忠が戦死してから駆けつけた内室の菊の前(足立遠元の娘)が自害し籠のまま埋葬された場所です。二俣川合戦の後の悲しいお話です。二俣川合戦は知っててもその後の話は以外と知らないと思いますので是非紹介してください。
分かりやすい解説ありがとうございます。
畠山重忠の名前は知っていましたが何をした人なのかが分からなかったので良かったです。
畠山重忠は波乱な人生を送ったんだなと思いました。
本編解説で軽く触れておいて、人物解説で深掘りしていく事で
しっかり理解できる様になっている。
簡潔で分かりやすく、おまけに楽しい。
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もうすぐだ!応援してます☺️
長年に渡って、疑問だった畠山重忠公との関係が、今回の大河ドラマの様々な情報で解決しました。と言いますのは、私も畠山姓ですが、父は信州出身で家紋も五三の桐で重忠公と違うので、ずっと関係は無いと思っていましたが、重忠公の三男の家紋が五三の桐で、重忠公も信州に出向いた事で東北だけでなく、長野の畠山家も一族である事が分かりました。現在、私の住むさいたま市にもゆかりの寺や場所があります。与野公園の中央に畠山重忠が800年前に鎌倉への途中、立ち寄り湧き水で刀をゆすいで武勲を立てたと書かれた池があります。近いうちに深谷の屋敷跡にも行こうと思います。
地元にお墓があります。
義平ヤバすぎ
足利に乗っ取られた御家ですな
北条氏に滅ぼされて跡継ぎがなく北条時政の娘でその妻は足利義兼の子義純に再嫁し、重忠の旧領も義純に与えられた。ここで、畠山氏は元来、平氏であったものが、足利一門の義純が家名を継いだことでここで源氏に生まれ変わる。
室町幕府の管領として歴史に名前を残すわけですな
良いのか悪いのか…
@@maronnkuririnn
そして応仁の乱を引き起こす原因の一端を担うわけですね
@@maro3280
本当に日本史に大きく絡んだ御家なんですよねえ…
現代になっても末裔が東証一部上場を起業していたりとねえ
@@maro3280 しまいには同じ源氏の山名と細川を巻き込んで泥沼化…
アレ⁉️床屋💈行ったのかなぁ❓
畠山より カッコ良いじゃん
教養高く立派な武士なのに二度も謀反をでっち上げ殺してしまうなんて、北条一族が嫌いになりそう(笑)
よくも中川くんを…(違う)
もとは、畠山重忠息子とあわや刃傷沙汰の口論をした挙げ句、北条時政、りく(牧の方)にあることないことを讒言して畠山重忠一族を死に追いやった原因を作ったチクり魔平賀朝雅が最も悪い。北条一族も悪いが。
大蔵合戦で、重忠の父は斉藤実盛と共に幼い木曽義仲を逃がしてます。後に倶利伽羅峠の合戦で手塚(長野県、諏訪出身)と一騎討ちして敗れた斉藤実盛の首を見て「恩人を殺してしまった」と木曽義仲は号泣したとか…
神奈川県で重忠を三万騎で囲んだ場所は万騎が原(以前は牧ヶ原だった?)軍勢が肌着である帷子(かたひら)を洗濯したので、近くの川を帷子川と呼ぶのだとか…
重忠本人で大河ドラマの主人公が十分できる逸話の多い武士ですね。江戸時代以前は、かなり人気あったのではないでしょうか。
畠山氏の反撃に幕府軍も「二俣一発」とはならなかったか。
という県民ネタ。
いつも入りがだれかさんのRUclips大学そっくりなんだよな
詳しい解説でとても勉強になります。
吾妻鏡によると建久4年(1193年)2月9日、武蔵国の同族的武士団(武蔵七党)の児玉党(ご先祖様です)と
丹党の両武士団間で確執が生じ、合戦が生じる直前にまで及んでいた。
それを聞いて駆けつけた畠山次郎重忠の仲裁によって、18日には和平をして両党は退いたとある。
約10日間も両武士団が睨み合う緊張状態が続いていた事になり、もしそのまま開戦していたら、幕府に断りなく
私的な争いを起こしたことを咎められて、両党共に所領の没収等の処罰を受けていたかもしれません。
それを諌めてくれた畠山次郎重忠さんはご先祖様の恩人だと思っております。
畠山さんって、イケメンですね‼️ますます観たくなる鎌倉どの観たいな
私のおばあちゃんの先祖が畠山重忠の可能性があるらしいです。出身だったり、役職などの特徴が当たっているんですよ。ちなみに刀もありました。
登場人物が多過ぎて、全然覚えられなくて、動画を見たけど頭の中がぐちゃぐちゃです。大河ドラマの登場人物の写真をもう少し長く出しておいていただけると嬉しいです。
写真に矢印をつけるとか、名前の文字に矢印をつけるとかして今誰の話をしているのかを、その時その時でわかるようにして欲しいです。
昔のホワイトボードの時みたいに、武士道さんがここって指さしをしながらだとわかりやすいのですが。
いつも、動画ありがとうございます😃
秩父平氏は現在の秩父市吉田が源流ですが、現在でも山村の吉田にいるより平野の旧川本まで行けば、交通の便が良いですから、秩父から出てきたかったのもわかる気がします。
すみません、能登畠山氏と関係あるのでしょうか?ないのでしょうか???
中国で有能な人材を登用するために無能な奴でも登用するみたいなのあるけど、それと似た様な事は考えてなかったのかなと思った。
一回平家側として頼朝に刃向かった人でも活躍してます!みたいな
イントネーション秩父⤴︎より秩父⤵︎です
鑑は鏡ではないので 冒頭の「眩しい〜!」のギャグは…でも、中川大志さんが演じるので 確かに眩しい〜ですねー❣️ 2段ヒネリのギャグだったんだァ〜と感激しましただし! 中川大志さん、大河のイケメン枠の常連ですねー。by the way この頃の背景等についても、また 小和田先生と対談してみて下さいね、『戦国 前夜』とも言うべき坂東の状況が深掘り出来るかも…デス❣️ いつも お疲れ様です❗️
大江広元の末裔としては気になるドラマではありますが、NHKだし小栗は嫌いだしで観る気にならない。。。。