Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
零戦は艦載機なので航続距離が最重要なのですよね。それと飛行機が重装甲化するとあらゆる性能が悪くなり、燃費も悪いし機動性も悪いしそこらへんは車と同じですね。今と昔の軽自動車を比較し良しとするか、悪いとするかの違いです。
こんなわかりやすい授業をしてくれる歴史の先生が居たらなぁぁぁぁ
たぶん、今、車のことだから興味があって、聞いてたいんだと思います。当日、歴史に興味がなかったんだと思います。
学校教育だと近代史は濁すじゃん。教えたくてもできない事情があるからね。あの当時の日本の技術はすごかった。と言いたくてもそれすら駄目ってね。兎に角日本褒めたらアウトだから。自分の国なのに。おかしな話。個人的にマニアな先生だと個人的に教えても教壇では絶対に教えない。
真珠湾攻撃に参加した空母は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「瑞鶴」「翔鶴」です。
車会社歴史シリーズみたいな感じで他社もやって欲しい
追加すると、六連星(むつらぼし)のデザインは、プレアデス星団を由来としています。SUBARU(スバル)の名前も、プレアデス星団の日本名の「昴」に由来します。あと、6社を統合する「統べる(すべる)」=「統合する」という意味合いも込めています。
そのプレアデス星団の中で最も明るいのがAlcyone(アルキオネ =アルシオーネ)当時のSUBARUがどれだけアルシオーネに期待してたかが分かるネーミングですね
@@humanscrapper3664 また作ってほしい車だ。四駆メーカーのスーパーカーとして。
ちなみにプレアデス星団は牡牛座です。
@@山崎昭治-p2l ありがとう。
いい話です。感動しました。ありがとうございました。
GHQ「飛行機作んなや!」中島(スバル)「車作るで!」プリンス(日産)「車作るで!」山本健一(マツダ)「ロータリー作るで!」航空各社「YS-11作るで!」糸川博士(JAXA/ISAS)「ロケット作るで!」たくましい。
その戦闘機を設計したエンジニアの一部が、新幹線の開発に携わっています。
マツダは少し違うのでは?国の施策により日本のメーカーが多過ぎるといった思惑もありメーカーを少なくしようとした時代が有りました、山本さんが技術力を世間に知らしめるために、死にものぐるいでチャレンジした一面も有ります!
@@好彦-c3i 山本さんは川西航空機に入社し、航空機エンジニアとしてまだまだこれからというときに、敗戦とGHQの方針で道を閉ざされてマツダに入社した経緯がありますので、GHQがなければREの開発をしていない可能性が高いです。「東洋工業(マツダ)」と記載すると、ご指摘の通り、GHQではなく国の政策が元になりますので、「山本健一(マツダ)」とさせて頂きました。
ドイツが発明したWankelエンジンの車を発売したのはNSU、Citroen、そしてNSUから技術導入したMazda。本家のNSUはそれで会社が傾き、結局実用化したのは日本人的執念の努力でついに成功したMazdaのみ。そして1992年にはCitroenの故郷のルマンを制するまでになった!
@@kumaturare6373 それはいいんだけど同じ自動車なのになぜにロータリーは別枠w吹いたわw確かにマツダも変態だけどスバルも変態だけどw愛すべき変態紳士だw
スバル愛好家として、六連星のエピソード取り上げて頂き光栄です。この歴史を知った時、現在に至るスバル、日産、三菱のファイティングスピリットのルーツを見た気がしました。
11:50 零戦の生産数は本家の三菱製が約3800機に対してライセンス生産の中島製は約6200機と中島製の方がはるかに多かったんです。
スバルの研修時、その話を聞いたな、懐かしい。
スバルが中島飛行機なのは知ってたけど凄い知識量です!
け
歴史とは奥が深い!!
プリンスの前身までは知らなかったです…さすがです✨
中島飛行機時代のアルミボディの溶接作業で培われた技術が生かされたのが「プリンスR380」です(^^)
SUBARU、NISSAN、MITSUBISHIのエピソードは湾岸ミッドナイトでも出てきてましたねちなみに、90年代まではSUBARUとNISSANのパーツは一部互換性があったりします(エアフロとか)
富士重工もプリンスも究極を求めた結果どちらも最終的に縦置きフルタイム4WDターボに行きついたというのは歴史の因果を感じます。
humanscrapper Z32用エアフロの流用が流行ってましたね😁
@@GoodSpeedVision それは知りませんでした。スバルがバブル(崩壊時かな?)時に日産の支援を受けていましたが、スバルの人達は今のトヨタより、良くは言っていませんでした(苦笑い)。
大戦時からある企業と言えばKYBもそうですね軽巡洋艦由良に搭載された「萱場式艦発促進装置」(要するにばね式カタパルト)を作った萱場製作所が現在のKYBの前身だそうですこの頃からばね・ショックの類を作ってるんですね
零戦の脚を見た時にも萱場製作所とありました
カ号ジャイロコプターも確かカヤバ
創業が明治~大正の製造業はたくさん残ってますからね。ニコンが大和の主砲の光学照準器作ってたりとか。
スバリストとしてはただただ感動です🥺
元を辿ればみんな親族
SUBARUマニアの私はSUBARUの歴史はスゴいと思ってますよ😃
お早う御座います グッドスピードさん博学ですね、何時も関心しながら楽しく拝見させていただいてます。今回の動画も楽しい内容ですね。プリンス繋がりで、スカイラインはプリンスが作った名車でしたね。スカイラインの名前からプリンスの文字が抜けたのは残念な気がしたのを思い出しました。オマケに35GTRはスカイラインの名前も消えてしまいました、GTRと来ればスカイラインなのに涙。ふと思ったこと、バイク車好きの方は、飛行機好きが多い様に思う!コメントも楽しい内容が多くてグッドスピードな今回の動画でした!楽しかったです。
三菱零式艦上戦闘機万歳!!そして自走式榴弾砲!!当時の三菱は最高だぁ
スバルの生い立ちが理解できました。詳しく解りやすい説明ありがとうございます。
六連星エンブレムって、昔はダサくて、不評で車種別のエンブレムとの選択制だった。インプレッサなら、イニシャルのiをもじったデザインでヴィヴィオは、vだった。デザインを何度も見直して、WRCの活躍でブランド力が高まったところで、六連星エンブレムを選ぶ人が増えたね。
レガシィもLが2つで1つを反転させたエンブレムでしたね3代目レガシィのD型以降から今の六連星に戻りましたね
@@spikeevo 反転した「L」は富士重工の「フ」だとも聞きました。
BH5のD型からの六連星エンブレムがデザイン的にも洗練されたと思います☺️
BG5レガシィには全くスバルマーク付いて無かったよ。車検証入れにしか。
自分はミラバンもどきのプレオバンに乗っているけど以前にインプに乗っていた時は何も感じなかったけどこのプレオバンの前後の大きい六連星エンブレムは気恥ずかしい あまり車に詳しくない知人が スバリストって言うけど個人的には水平対向エンジン搭載車に乗っている人がスバリストだと思ってるまたこのエンブレムが目立つんだよねー…
中島飛行機→スバル、中島飛行機→日産プリンス ???の疑問がやっと解けました。ありがとうございます。スバルAWDの元祖は、スバル1000だったかに無理やりブルーバードのシャフトを通して4WDに改造したとか、どこかで読んだ記憶が。そんな事しちゃう繋がりがいろんなところで残っていたんでしょうね。
それは当時の東北電力の「冬期間の作業用に荷物が積めて雪道にも強い快適な車を作ってくれ」って依頼で、宮城スバルのスタッフがFFのレオーネを手作業で改造して4WDにしたって話です。出来が良かったので後にカタログモデルに昇格したんです。
後の、スバルのWRXと三菱のランエボのライバル関係もクルマ好きとしては何か面白いなと思う。
互いに「負けてたまるか」精神が凄かったですよね。
良い話聞きました❗勉強になりました‼️
GSさんは博識ですね。いつも楽しい動画をありがとうございます。
すごく勉強になりました!
零戦は2型からエンジンも三菱ではなかったでしたっけ?少し前にEVOとインプがつるんでるのを見て零戦と隼と思ってしまいました。
零戦は○三型まで中島の栄を積んでます。三菱のエンジンを積んだのは五四型。金星を積んでいました。実戦配備は間に合ったとか間に合わなかったとか。ちなみに、零戦の試作型は三菱の瑞星を積んでいます。中島のエンジンを採用するというのは英断でした。設計から中島製である一式戦闘機(隼)もエンジンは栄です。
@@pantani6604 さん、ご教示ありがとうございます。栄や、寿が重たいエンジンで、改良されたと間違っておぼえてました。
@@toshi_rs 寿は零戦の前の九六艦戦に積まれていたエンジンです。
エボとインプレッサは、ど直球ですからその様に連想する方が多いですね。BE5レガシィと8代目ギャランではどんな航空機に例えられるのだろうとよく、、妄想してましたね。当時お付き合いしてたスバルショップの整備士さんにインプレッサが隼ならば、レガシィは一式陸攻ですかね〜なんて話してましたが、整備士さんはうーん。どうなんでしょうね〜。まあねレガシィはグランドツーリングカーですからねと困惑してましたね笑今調べると困惑してたのは、一式陸攻って、、、。三菱重工業製だったんですよね。笑
@@takaakiharaguchi7572 楽しいおはなしですね、私はどちらかというとスバル派でして、BC-5が初めてのスバルでした。会社の同僚が私にライバル心を持っていてギャランVR4を購入したのを思い出しました。それは、その時代の零銭と隼ではないでしょうか(笑)ツーリングワゴンのBE-5とは、レグナムのVR4がそんな感じ?
零戦の生産機数って、中島飛行機の方が多かったんですけど、三菱製が32型、52型という風にバージョンアップしていったのに対して、旧型の21型を大戦後期まで継続生産してた、しかもエンジンは出力低いままなのに、プロペラだけは、大きな新型タイプに変えていたので、加速が鈍く、パイロットには、「ちぇっ、こいつ中島かよ。」と思われてたそうな。
まあそれは中島飛行機のせいじゃなくて日本軍が貧しかったせいですけどね。
中島飛行機としては、やはりライバルの飛行機を作るのは面白くなかったんだと思います。陸軍の戦闘機は順調に性能上げていってますから。
色々事情がありそうですね。
海軍も隼みたいな設計思想ならパイロットの生存率高く長く活躍できたかもと 素人は考え
@@シオンムート 零戦は広大な太平洋を渡り、交戦して、還ってくる必要がある海軍機ですからね。海軍の無茶ぶり(攻撃力、旋回性能、上昇力、航続距離をマシマシで!)に応えるために、要求されなかった部分は徹底的に割り切ったから。
スバルのお話面白いですね😁繋がりが深い🤩
ためになります!
ちょい足しするとスバル360を販売する時におうし座のプレアデス星団を日本では六連星=昴と呼ばれていた事から、今のエンブレムとは違う形の、プレアデス星団の形に星を並べたエンブレムが完成し、その後並びは変わったが六つの星は統合した象徴としてエンブレムに残されたみたいですね。
大戦中は一企業の生産だけでは限界があるわけですし、生産振り分けは当然。
ワンショットファイヤーとか呼ばれてたみたいですからね。ただ運動性能が良いだけじゃなくて、軽いから航続距離が段違いで良かった点も強み。
重機関銃の弾丸は座席に鉄板入れたぐらいでは防げないですけどね。
オフサイド 防げないですし、そもそも圧倒的に少ない資源のため苦肉の選択だったのでは?と、その反面、出来上がったのが運動性能に特化した機体と言うところでしょうか。
開発時はまだ資源不足ではないと思います。軽量化しなければならなかったのは、エンジンの馬力不足で普通に作っていては海軍の求める運動性能を実現できなかったりからです。開発者の堀越二郎も軽量の三菱製のエンジンを使いたかったけど海軍の要請で重いけど馬力のある中島製のエンジンにしたのです。零戦のコンセプトは軽量化して馬力不足を補い運動性能を上げるでしたから。アメリカの戦闘機と違って防弾装備が薄いのもそのためです。
1929年の世界恐慌とその後の日中戦争、東南アジアの解放による資源の確保という動向から、資源があったとは余り考えづらいのですが、海軍の要求が関係していたと…なるほどですね。
T M 資源不足になるのはアメリカとの関係が悪化してからですね。1940年くらいからじゃないかな〜。日中戦争では零戦が活躍してるし、大和等建造してますしね。最低限の資源はあったという事です。開戦後、南方に行った最大の目的はもちろん資源ですが、戦争継続の為の石油資源獲得が一番の目的でした。
昔から日本の企業の技術はそこそこあって、当時艦上戦闘機としては最新だった単葉機。まだアメリカもイギリスも複葉機だった時代に日本は進でいて、単葉機だったのは凄い。
スバルってそういう意味だったんですね、勉強になりました。プリンスも中島飛行機のひとつだったとは・・・。ハコスカが速かったわけですよね。ゼロ戦のエンジン技術がベースで車のエンジンに化けたわけだから遅いわけがない。
ハワイ作戦に参加した第一航空艦隊は、第一航空戦隊(赤城、加賀)、二航戦(飛龍、蒼龍)及び五航戦(翔鶴、瑞鶴)で編成されておりました。ですから、加賀と瑞鶴の2隻だけではなく、計6隻の空母に(艦戦、艦爆、艦攻計約400機)を投入しています。航続距離が短い二航戦は苦労したようですね。奇襲なのか強襲なのか?そもそも攻撃させられたのか?には触れませんが、当時の日本の国力を考えるとかなり投機的だと思います。
よくもまあ、原稿も見ないでこれだけスラスラ出てくるな!敬服します!!
零戦のことは別のRUclipsrで零戦再現の話しの中で結構詳しくしてましたがスバルの6連星の由来は知らなかったです😅エンジンはいずれ磨耗すると言う話しですが、オイルにモリブデンを入れ続け現在50万㎞越えでノートラブルと言う旧車クラウンが話題になった話しをご存知ですか(丸山モリブデンをネット販売までこぎ着けた斎藤商会さんの話しではオイルに添加するが添加材ではなくエンジンコーティング材でエンジンだけではなく色んな箇所に添加する事で磨耗させないとの事ですガソリンタンク用はあったか忘れましたがヒュウエルワンといっしょに添加すれば50万㎞オーバーでも故障しない車両になるかも❓グッドスピードさん丸山モリブデンについて調べて下さいお願いします🙇⤵️
富士精密工業(プリンス)にも、富士重工設立への参加を打診したが、富士精密工業にはブリジストンが出資していたために、横槍が入って参加できなかった。ブリジストンが認めていれば、スカイラインは富士重工から誕生していたのかも。
細かい話ですがプリンス自動車=富士精密工業ではありません。たま電気自動車が社名をプリンス自動車に変更した後、富士精密工業と合併したわけですねw
それにしても凄い知識量だな!goodさん最高!! タンブラーも最高(^^
そうですね、トヨタでさえ、三菱でのプレス機でボディーを押切したと言われてました、歴史はおもしろい。
なぜ7つ星じゃないのかと思ってました(北斗七星…汗)スバルのエンブレムにそのような意味があったとは知りませんでした!ありがとうございました
こんばんは!ちょっと違うかもしれませんが、三菱とスバルって因縁めいた関係だったんですね!実は自分歴史科卒です!まぁ考古学専攻でしたが・・・
給気管は抵抗が少ないほどよい。かつ、適正な径と管長を備えるのが好ましい。排気管はオーバーラップの影響もあり、適切な排圧が求められる。こちらも排気量と最高回転数・気筒数から最適径を求める事ができる。
ホント、グッドさんはお話上手。六連星の意味、なんかいいお話ですね。このエンブレムを冠したクルマが、北米を走り回ってるんですね。
とても興味深い内容でした❗️
スカイライン、ランサー、WRXが実は親戚筋だった!という事でしょうか?
純粋に血統という意味ではランサーは親戚ではないですね。
さらに戻ると 馬車
うーむ、谷村新司の歌声が聞こえるw w w さらばスバルよ、、、、富士重工業が結成されるにあたって富士精密工業もかなり密接な立場にいたようで、ひょっとしたら『あの』プリンス自動車が存在しなかった可能性もありますね。あと、富士精密工業には名機栄20型エンジンの後継機、超高性能の『誉エンジン』を設計開発した中川良一氏がいましたね。プリンス自動車がスカイラインやグロリアなど名車を産むにはそれだけの人材がいたわけですね。富士精密工業の人材を加えたスバルがどうなっていたかにも興味が湧きます。。。
真珠湾攻撃に参加した日本帝国海軍の航空母艦は、赤城および加賀・蒼龍・飛龍・翔鶴・瑞鶴の計6艦でした。航空機の作戦機数は350機(第一次発進部隊183機、第二次発進部隊167機)で、空母部隊はほぼ総力戦です。富士重工(スバル)の前身たる中島飛行機も零戦は作りました(総数の半分以上が中島製)が、一式戦「隼」などの陸軍機が主力です。トヨタとヤマハの関係性に近いですね。荻窪の工場は、米軍に狙われて良く爆撃されていたと亡くなった祖父から聞かされました。
富士重工業時代に使っていた「(フ)」のマークが懐かしい。
デザイナーがテールランプの光り方で「フ」を残しているという都市伝説があります
スバルの話しは ためになりました。中島飛行機の話しは知ってましたが プリンスと繋がってたのは 初めて知りました!流石 Goodさん 知識が凄過ぎる!
始動時のタペット音はラッシュアジャスターのへたりじゃないですかね? 何エンジンか知りませんが・・・ラッシュ使ってない奴ならカムチェーンの音と勘違いしてるとか?とエスパーしてみるw
詳しくエンジンの形式が指定されてないので何とも言えない部分もありますね。ラッシュの動作不良もしかり、VVTの動作不良もしかり(;^_^
以前のスバルは「農家の車」と揶揄されて二軍扱いをされていたイメージがありますが、WRCでレガシィ、インプレッサの活躍があって今のブランド認知に貢献したのは言うまでもないと思います。また、ダークブルーに(555 を経てブルーメタリックの六連星はワークスカラーとして多くの人に定着する程のインパクトがありました。
サンバートラックに名付けられた「農道のポルシェ」というニックネームは最高の称号だと私は思います。
@@toshi_rs さん軽トラックと言えども決して手を抜かないところにスバルの矜持が感じられます。今はハイゼットのOEMになってしまい、残念に思うスバリストは多いと思います。
そらそうよ。ダイハツとかスバルに比べたらしょぼいのしか無いし
以前スバルのベテラン営業マンが「スバルの軽はレガシィと同じ基準で造ってます」と誇らしげに説明してましたが、プレオ乗って実感できました。乗り心地やエンジン音、ドア閉める音も普通車並みでしたね。
初代のレガシィやフォレスターはボディ剛性がかなり高く、念入りに補強されていると聞きました。プロドライブがレガシィをラリーカーに仕立てるにあたり、デビット・ラップワースは逆に「やりすぎ」な補強を取り外していたと話しています。
いつも動画楽しみに拝見しています。グッドさんにコメ返して欲しいのですが、車の購入で悩んでいるのですが、直5アウディRS3直6BMW M240iV6スカイライン400Rの中で購入価格が同じ場合どの車を購入しますか?自分は見た目RS3が良いのですが。グッドさんの意見を聞かせて下さい。
昔、富士重でで期間工やってたせいでスバルのエンブレムに拒否反応を起こしてしまう…頑張って作ってたんで大事にしてくれる人はありがたいですけど。微妙な気持ちです。
お前だろ〜T-TOPの雨漏れ(笑)
俺のインプG4は故障なく元気に走ってますよ。完璧な仕事をしていただき感謝です。
期間工がシンドイのは、どこの自動車メーカーも同じみたいですよ、ただ、昔は普通の会社の正社員よりも高給が取れましたが、今は酷い事になってますね。
ホンダの期間工やりましたが寮での嫌な思いでもあり 楽しい思いでも 同室者にルービックキューブの解き方習いました 自力で編み出したらしく 普通の説明書には無い方法でした 休日は疲れで何もできなかったなあ
@@riki8484 あんたみたいな、体育会系が精神的に追い詰めるから、アカンのだろう。自動車メーカーの工場周辺の病院は、精神科や心療内科が大盛況だと、マリオ高野サンが言ってたぜ。
スバルって、360を作ったときに何かテキトーなエンブレム欲しいよねって、半分思い付きでプレアデス星団(=昴=スバル)の形のエンブレムを作ったって、プロジェクトXか何かで言ってた様な気がしますけど、違いましたっけ?
プロジェクトXの話って事実との整合性の取れない部分が多いから自分で資料探すしかないです(話が出鱈目に組まれて、紹介された会社の技術者が呆れたモノがかなりある)。
プリンスが日産に吸収された後、荻窪工場が日産の航空宇宙部門となって航空機産業に復帰したというのも胸アツなエピソードですね
その後、荻窪工場は石川島播磨重工業に吸収されたけど、日本初のロケットやハヤブサを打ち上げたḾーVロケットを製造した由緒正しい会社でしたよね。
SUBARUの六連星エンブレムって、アメリカの国旗によく似ていますね。中島飛行機のエンジンの名前は、確か「栄シリーズ」でしたね。僕も小学生後半は、ゼロ戦のプラモを作ったり、昭和の歴史のマンガを読んで、栄エンジンの存在がある事を、初めて知りました。
零式戦闘機は運動性能が当時遥かに他国の戦闘機より上回っっていた、搭乗員の人命が....以前に肉抜き穴等、零式戦闘機の軽量化は戦中にアメリカン軍が零式戦闘機の不時着した機体を手に入れ研究したぐらいなものだった、何故零式戦闘機がそこまでの軽量化が必要だったか?単純に栄エンジンが非力だった。エンジンが屎だったが、航続距離が他国の戦闘機より遥かに長かったのは利点だった、しかし主翼にシワがよる、急降下で機体が分解するデメリットも当然有った、大戦中期では圧倒的な馬力と機体剛性を誇るアメリカン軍の戦闘機に、全く歯がたたなかった。搭乗員の技量、機体の軽量化は世界屈指だったが栄エンジンがまるで非力だった事が零式戦闘機の悲劇の元凶だった。
原稿に目を落とさないで、よくこれだけ話せる事に敬服致します。ただ、歴史事実の訂正箇所が2カ所。わかっておられると思いますが、冒頭の零式艦上戦闘機は設計製作が三菱重工なので「中島飛行機の零式艦上戦闘機」との言い方は如何かと思います。ライセンス生産で中島の工場製の方が多い事が頭に残っていたのかと。もう一点、真珠湾攻撃には赤城、加賀、飛龍、蒼龍、翔鶴、瑞鶴の6隻から零式艦戦が
発艦しています。宣戦布告前の攻撃も在米日本大使館のミスの結果であり事実上、米国は事前に暗号解読によって宣戦布告内容を知りながら現地には知らせずにハワイの自国艦隊を見殺しにしたと言われています。老婆心ながら歴史的事実には一言・・・スバルの6連星の由来は疑問に思っていたので勉強になりました。今後も楽しみにしています。
11:32で零戦は三菱重工で作ってたってちゃんと言ってますやん
ガレージ完成おめでとうございます!新潟は、観測史上初の9月40度みたいでしたが、心身共に大丈夫でしたか?ガレージ準備も多々あると思いますが熱中症には注意して下さいね!
プリンスも中島の系譜だったのは初めて知りました…戦時中に戦闘機を設計してた人が戦後に関わった4輪や2輪ってどれくらいあるのでしょうね
概ね1970年代までに生産された国産車はほぼすべて大なり小なり航空機エンジニアが関わってると思います。中には三菱重工で零戦の開発に従事して、戦後YS-11の開発リーダーを経て三菱自工の社長に就任した東條輝雄(東条英機の実子)とか、川西航空機から戦後東洋工業(現マツダ)に入社してロータリーエンジンを開発したのちマツダ社長に就任した山本健一みたいに航空機エンジニアから自動車会社社長に就任したパターンもあります。
皇紀2600年・・・零戦
昔は富士重工と日産自動車のメーンバンクが日本興業銀行(現みずほ銀行)で、富士重工が最初に作った乗用車スバル1500の市販化ができなかったのは日産自動車との共倒れを危惧した日本興業銀行の意向という話も中島飛行機で航空技術師だった中村氏が、後に日本航空に入って開発したのがリニアモーターカーのHSSTだったり中島飛行機出身者は結構(というか、やはりというか)すごい人が多いので調べてみると面白いですよ
興銀が融資に応じなかったというのもあるみたいですが、実際のところ1500ccの本格的小型乗用車を量産しようにもスクーターしか作ったことのない工場で量産できるわけもなく、乗用車の工場を作るにも当時の金額で一基何千万円もする工作機械を幾つも購入する必要があって、販売するにもディーラー網が無くスクーターの販売店でいきなり1500ccセダンを売るのも無理な話で富士重工の資本能力では無理筋だろうという見方が社内にも広まっていたというのが真相のようです。
@@すばる企画鈴木修一郎 「会社に能力がないので諦めた」というのは、銀行に睨まれないように顔色を伺った表向きの理由と聞いたことがありますが…
スバルは日産より株式配当がいいんだよな。
大東亜戦争と言ってほしかった、日本は悪くないです。
確か富士精密+たま電気自動車でプリンス自動車でしたね。そのプリンス自動車のメインバンクが「あの」住友銀行だった…あと元々一緒だったところだと日野自動車といすゞ自動車もそうでしたね。
昔、日産とスバルの機構系設計は同じCADを使ってましたね。
スバルのロゴデザインはプレアデス星団(日本名:昴)を模したものですね。
スバルのエンブレムはスバル360(開発コードK10)開発時にデザイナーの佐々木達三がK10の前に開発していたものの市販に至らなかったP-1試作車がスバル1500というブランドになるはずだったと聞いて、このクルマもスバルのブランドになるだろうと勝手にデザインしたもので、あのエンブレムもスバル360というブランドも特に会議をして決めたものではなくいつの間にかそうなったというエピソードがあります。
フラット4のタペット音は、消えなかったなー うるさくはなかったが HLAが付いていたのにーー
ゼロ戦の話も聞けるとは!今年の河口湖自動車博物館はコロナで閉館してたので、ゼロ戦や桜花、何より九三式中練を見に行けなかったのが残念でした。あとここには世界で唯一稼働するゼロ戦用の栄12型エンジンがあるんですよ。以前に、当時はパッキンの技術がなくて、接合面を可能な限り平らにして密着させることでオイル漏れを軽減してたって話も聞けました。とはいえ、その栄エンジンはオイル漏れまくってましたが。
スバル関連で言うとSTIのエンブレムがウサギなのは、元々はバイクのラビットからきてると聞いた事がありますが、本当なのでしょうか?
スバル360は市販までこぎつけましたが、それ以前、富士重工は1500ccのP-1という試作車を完成させておりましたね。このうち何台かは、富士精密のエンジンを積んでいたという話を聞いたことがあります。既に富士精密がブリヂストン資本下に入りつつあったため、急遽大宮工場での自社生産に切り替えたそうです。精密と重工の両社はともに旧中島時代の仲間であり、開発の苦労はあったと思いますが、昔話に花が咲いたのかもしれません。
そこまで音がするまで乗ってもらえたのら車も幸せ
中島飛行機の創業者 中島知久平が「これからはモータリゼーションの時代になるから、自動車産業に転換せよ」と後身に事実上の遺言をしていました。これが航空機会社から自動車会社への転換になります。この後、航空機メーカーの技術を生かした日本初のモノコックボディ市販車となるスバル360に繋がります。小さく高性能な物を作るには技術の承継が必要です。スバルの軽自動車技術を廃させたトヨタの罪と、日産が倒産危機の時にプリンス、グロリア、スカイラインといったプリンス自動車時代のブランド名を買い取らなかったスバルの経営者の罪は重いですよ。
作れば作るほど赤字だった軽自動車部門を廃止する大義名分を手に入れて、スバルとしてはおお喜びだったそうです。
戦闘機がこちらに向かって編隊飛行している様子だと思ってました。
『 地上の星 』 ※ 作詞・作曲 中島みゆき風の中のすばる砂の中の銀河みんな何処へ行った 見送られることもなく草原のペガサス街角のヴィーナスみんな何処へ行った 見守られることもなく地上にある星を誰も覚えていない人は空ばかり見てるつばめよ高い空から教えてよ 地上の星をつばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう崖の上のジュピター水底のシリウスみんな何処へ行った 見守られることもなく名立たるものを追って 輝くものを追って人は氷ばかり掴むつばめよ高い空から教えてよ 地上の星をつばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう名立たるものを追って 輝くものを追って人は氷ばかり掴む風の中のすばる砂の中の銀河みんな何処へ行った 見送られることもなくつばめよ高い空から教えてよ 地上の星をつばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう
【ぽ】我楽多寅ぢ郎 中島飛行機の技術者が精魂込めてつくった機体が彼方で散っていった事を想いながら、鎮魂の意を込めてエンブレムをつくった事を勝手に想像して胸を熱くします。
あらら、零戦は三菱で、まあ中島(スバル)もありますけどね、追記;ごめん途中でコメしちゃったけど後半でのお話は Good Speed さんのおっしゃる通りです。
機体は三菱でエンジンは中島って、言うなればランエボにフラット4積んでたのと同じ💧
一緒になれなかったプリンスを含めて6つという説もあるね。
エンブレムの歴史いいですね、海外ではアウディのフォーシルバーリングのエンブレムはドイツの自動車業界規制緩和でこれからアメリカの巨大自動車産業が進出するのに対抗する為に中堅メーカー4社が団結してアウディを起業したことに由来するとディーラーの人に聞いたことを思い出しました。
ダイハツの前身、大阪発動機は戦時中に揚陸強襲挺のエンジンとか作ってましたね。トラックの架装機メーカーの新明和は、飛行挺も作っていましたし。名だたる企業の歴史を紐解いても面白いかもしれませんね。
スバルの六連星をやったらアウディの4つ輪もやらないと…BMW等もエンブレムに各社の歴史が刻まれていたりしますし…
まぁ、昔は三菱、日産(プリンス)とコラボしていたんですが、インプやレガシーなどが売れた時代もありますね。今は、トヨタの傘下に入っているけどレガシーとインプはトヨタブランドにしないみたいですね。にしても、いくら傘下とはいえ86の水平対向エンジンは無いだろうと思っていますね。スバリストかは言ったら、アレは無いよねぇってな感じかな。
今やNISSANのお家芸ともいえる「ATTESA E-TS」は、無段階で前後のトルク配分を行うシステムですが、世界で初めて無段階で前後のトルク配分を行えるシステムを開発したのはSUBARUなんです。SUBARUと資本提携してた時期に、SUBARUの技術を応用して、開発されたと言われています。因みに「ATTESA E-TS」を初めて搭載した車はブルーバード(U12型)が最初です。
まさかのプリンス工業が,,, 立川飛行からのたま電気自動車(プリンス工業)と合併していたんですね中島飛行機は解体されてるのは知ってましたが、、、
スバルの話ですが、太田の本工場から北工場まで、今でも繋がっている防空壕があるとかないとか・・・そして、本工場の本館は、防爆仕様で壁の厚さが1m以上あるとかないとか・・・(笑)定年された人達から色々な面白エピソードを伺っております。何年か前も本工場のテストコース内に新たに建物を建てようとしたら、当時の機関銃が出てきたりしてましたね。
深い話しです。
最後、いい話聞けたわ〜✨_φ(・_・
ほんまやなぁ〜 (´・ω・`)スバルに対して「想い入れ」も「興味」も無いオッサン σ(゚∀゚ )オレ なんだけど、興味深い 『 良い話 』だった。 ※ マダムKiller、恐るべし!! 😆👍
機体はBMWでエンジンはダイムラーが作ってたけど、最終型は全てBMWで作ったメッサーシュミットと似てるな戦後、飛行機を作らせて貰えなくなったのも似てる
堀越技師のウチの発動機はダメだ!という判断が名機を生みました(寸法が塩梅良くなかった)。グラム単位で肉抜きして軽量に仕上げたら世界レベルの戦闘機になった…。エンジンの馬力が無かった為の処方。熟練工が居て成立する開発、生産が根こそぎ動員で人が居なくなり(大量生産に向かない設計💦)💦過渡期で大出力エンジン前提の新型が続々開発されますが、燃料の備蓄も無く、高品位燃料が現代のレギュラー以下という『何で戦争始めたのかなぁ』というオチがつきます(充分な新型燃料の開発と備蓄が出来るまで米英とは戦わない筈でしたが…やられましたね)。『世界レベルだった技術者が自動車、新幹線に行った』訳ですから…成功しますね。電器も『やれる訳ないやろ』開発指示で振り回された開発者の一つがソニーだったり…。時間と準備があったら解らなかったですね。原油を狙って南方に行きましたが当時の日本には占領地の原油では高品位燃料は製造出来ませんでした(やはりカリフォルニア州の原油がちょうど良かったと判明💦)(新開発の燃料精製特許の購入手前まで行きましたが、米国政府の禁止令でご破算になってます)(ターボの試作品も何故かゲット💦カナダ経由で持ち出せる手筈が失敗)。高性能燃料製造出来ないのに以降は高出力新型続々開発…。なんで戦争したんでしょうw
楽しく動画拝見しています。だいぶ前ですが、社名もSUBARUになりましたね。コーションプレートの打刻もFHIからSUBARU coに変わりました。(当たり前ですが(^_^;))エンブレムの由来は、アウディに似てる感じもありますね。
零戦の三菱と中島がらみの部分、さすがです❗ 設計生産三菱 エンジン中島 後に生産中島も開始
タペット音の解消には二硫化モリブデンをエンジンオイル容量の10(%)入れて解消した事が有ります。スズキ ジムニーのエンジンでしたが。燃費も良くなります。
歴史を知ると面白いですね!昔の車が懐かしいです~♪(^O^)
中島は隼ですね。六連星は群馬の生産拠点(富士ロビンも含めて)です。若い頃研修に行き知ったわけで。
街を歩いているとタペット音する車って結構ありますが、ホンダ車に多い気がします。
GCインプのウィンドウスイッチの裏に日産のロゴ入ってたりしたから、ほかにもそうゆうのあるんだろうな。
ダイハツのテリオスキッドのリアハッチ脇のルームランプに富士重工業の「フ」のマークが付いていて驚いた事を思い出しました☺️
レガシィとブルーバードの関係とかも語って欲しかったなぁ
マツダのFDも零戦の残骸を元に作られたって聞いたことあるからみんなどこかで繋がってるんですね
日本の技術を恐れたアメリカが、今はスバルを絶賛してる摩訶不思議な時代(笑)
SUBARUの走行安定性と車の安全性はトヨタの豊田章男社長でさえ認めてるからね。
日本は未だに戦闘機とかまともに作らせてもらえないF-2を作ろうとしたらアメリカが無理矢理入ってきてF-16ベースの対艦攻撃機が出来上がってしまった
未だに日本の技術力を恐れているって事でしょうね。独自開発を許したら今度はどんな化け物を生み出すか分からないからね。
零戦は艦載機なので航続距離が最重要なのですよね。
それと飛行機が重装甲化するとあらゆる性能が悪くなり、燃費も悪いし機動性も悪いしそこらへんは車と同じですね。今と昔の軽自動車を比較し良しとするか、悪いとするかの違いです。
こんなわかりやすい授業をしてくれる歴史の先生が居たらなぁぁぁぁ
たぶん、今、車のことだから興味があって、聞いてたいんだと思います。
当日、歴史に興味がなかったんだと思います。
学校教育だと近代史は濁すじゃん。教えたくてもできない事情があるからね。
あの当時の日本の技術はすごかった。と言いたくてもそれすら駄目ってね。
兎に角日本褒めたらアウトだから。自分の国なのに。おかしな話。
個人的にマニアな先生だと個人的に教えても教壇では絶対に教えない。
真珠湾攻撃に参加した空母は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「瑞鶴」「翔鶴」です。
車会社歴史シリーズみたいな感じで他社もやって欲しい
追加すると、六連星(むつらぼし)のデザインは、プレアデス星団を由来としています。
SUBARU(スバル)の名前も、プレアデス星団の日本名の「昴」に由来します。
あと、6社を統合する「統べる(すべる)」=「統合する」という意味合いも込めています。
そのプレアデス星団の中で最も明るいのがAlcyone(アルキオネ =アルシオーネ)
当時のSUBARUがどれだけアルシオーネに期待してたかが分かるネーミングですね
@@humanscrapper3664
また作ってほしい車だ。四駆メーカーのスーパーカーとして。
ちなみにプレアデス星団は牡牛座です。
@@山崎昭治-p2l
ありがとう。
いい話です。感動しました。ありがとうございました。
GHQ「飛行機作んなや!」
中島(スバル)「車作るで!」
プリンス(日産)「車作るで!」
山本健一(マツダ)「ロータリー作るで!」
航空各社「YS-11作るで!」
糸川博士(JAXA/ISAS)「ロケット作るで!」
たくましい。
その戦闘機を設計したエンジニアの一部が、
新幹線の開発に携わっています。
マツダは少し違うのでは?国の施策により日本のメーカーが多過ぎるといった思惑もありメーカーを少なくしようとした時代が有りました、山本さんが技術力を世間に知らしめるために、死にものぐるいでチャレンジした一面も有ります!
@@好彦-c3i 山本さんは川西航空機に入社し、航空機エンジニアとしてまだまだこれからというときに、敗戦とGHQの方針で道を閉ざされてマツダに入社した経緯がありますので、GHQがなければREの開発をしていない可能性が高いです。「東洋工業(マツダ)」と記載すると、ご指摘の通り、GHQではなく国の政策が元になりますので、「山本健一(マツダ)」とさせて頂きました。
ドイツが発明したWankelエンジンの車を発売したのはNSU、Citroen、そしてNSUから技術導入したMazda。本家のNSUはそれで会社が傾き、結局実用化したのは日本人的執念の努力でついに成功したMazdaのみ。そして1992年にはCitroenの故郷のルマンを制するまでになった!
@@kumaturare6373 それはいいんだけど同じ自動車なのになぜにロータリーは別枠w吹いたわw
確かにマツダも変態だけどスバルも変態だけどw愛すべき変態紳士だw
スバル愛好家として、六連星のエピソード取り上げて頂き光栄です。
この歴史を知った時、現在に至るスバル、日産、三菱のファイティングスピリットのルーツを見た気がしました。
11:50 零戦の生産数は本家の三菱製が約3800機に対してライセンス生産の中島製は約6200機と中島製の方がはるかに多かったんです。
スバルの研修時、その話を聞いたな、懐かしい。
スバルが中島飛行機なのは知ってたけど凄い知識量です!
け
歴史とは奥が深い!!
プリンスの前身までは知らなかったです…さすがです✨
中島飛行機時代のアルミボディの溶接作業で培われた技術が生かされたのが「プリンスR380」です(^^)
SUBARU、NISSAN、MITSUBISHIのエピソードは湾岸ミッドナイトでも出てきてましたね
ちなみに、90年代まではSUBARUとNISSANのパーツは一部互換性があったりします(エアフロとか)
富士重工もプリンスも究極を求めた結果どちらも最終的に縦置きフルタイム4WDターボに行きついたというのは歴史の因果を感じます。
humanscrapper Z32用エアフロの流用が流行ってましたね😁
@@GoodSpeedVision それは知りませんでした。スバルがバブル(崩壊時かな?)時に日産の支援を受けていましたが、スバルの人達は今のトヨタより、良くは言っていませんでした(苦笑い)。
大戦時からある企業と言えばKYBもそうですね
軽巡洋艦由良に搭載された「萱場式艦発促進装置」(要するにばね式カタパルト)を作った萱場製作所
が現在のKYBの前身だそうです
この頃からばね・ショックの類を作ってるんですね
零戦の脚を見た時にも萱場製作所とありました
カ号ジャイロコプターも確かカヤバ
創業が明治~大正の製造業はたくさん残ってますからね。
ニコンが大和の主砲の光学照準器作ってたりとか。
スバリストとしてはただただ感動です🥺
元を辿ればみんな親族
SUBARUマニアの私はSUBARUの歴史はスゴいと思ってますよ😃
お早う御座います グッドスピードさん博学ですね、何時も関心しながら楽しく拝見させていただいてます。今回の動画も楽しい内容ですね。プリンス繋がりで、スカイラインはプリンスが作った名車でしたね。スカイラインの名前からプリンスの文字が抜けたのは残念な気がしたのを思い出しました。オマケに35GTRはスカイラインの名前も消えてしまいました、GTRと来ればスカイラインなのに涙。ふと思ったこと、バイク車好きの方は、飛行機好きが多い様に思う!コメントも楽しい内容が多くてグッドスピードな今回の動画でした!楽しかったです。
三菱零式艦上戦闘機万歳!!そして自走式榴弾砲!!当時の三菱は最高だぁ
スバルの生い立ちが理解できました。詳しく解りやすい説明ありがとうございます。
六連星エンブレムって、昔はダサくて、不評で車種別のエンブレムとの選択制だった。インプレッサなら、イニシャルのiをもじったデザインでヴィヴィオは、vだった。デザインを何度も見直して、WRCの活躍でブランド力が高まったところで、六連星エンブレムを選ぶ人が増えたね。
レガシィもLが2つで1つを反転させたエンブレムでしたね
3代目レガシィのD型以降から今の六連星に戻りましたね
@@spikeevo 反転した「L」は富士重工の「フ」だとも聞きました。
BH5のD型からの六連星エンブレムがデザイン的にも洗練されたと思います☺️
BG5レガシィには全くスバルマーク付いて無かったよ。車検証入れにしか。
自分はミラバンもどきのプレオバンに乗っているけど以前にインプに乗って
いた時は何も感じなかったけどこのプレオバンの前後の大きい六連星エンブレム
は気恥ずかしい あまり車に詳しくない知人が スバリストって言うけど
個人的には水平対向エンジン搭載車に乗っている人がスバリストだと思ってる
またこのエンブレムが目立つんだよねー…
中島飛行機→スバル、中島飛行機→日産プリンス ???の疑問がやっと解けました。ありがとうございます。
スバルAWDの元祖は、スバル1000だったかに無理やりブルーバードのシャフトを通して4WDに改造したとか、どこかで読んだ記憶が。
そんな事しちゃう繋がりがいろんなところで残っていたんでしょうね。
それは当時の東北電力の「冬期間の作業用に荷物が積めて雪道にも強い快適な車を作ってくれ」って依頼で、宮城スバルのスタッフがFFのレオーネを手作業で改造して4WDにしたって話です。出来が良かったので後にカタログモデルに昇格したんです。
後の、スバルのWRXと三菱のランエボのライバル関係もクルマ好きとしては何か面白いなと思う。
互いに「負けてたまるか」精神が凄かったですよね。
良い話聞きました❗勉強になりました‼️
GSさんは博識ですね。いつも楽しい動画をありがとうございます。
すごく勉強になりました!
零戦は2型からエンジンも三菱ではなかったでしたっけ?
少し前にEVOとインプがつるんでるのを見て零戦と隼と思ってしまいました。
零戦は○三型まで中島の栄を積んでます。三菱のエンジンを積んだのは五四型。金星を積んでいました。実戦配備は間に合ったとか間に合わなかったとか。ちなみに、零戦の試作型は三菱の瑞星を積んでいます。中島のエンジンを採用するというのは英断でした。設計から中島製である一式戦闘機(隼)もエンジンは栄です。
@@pantani6604 さん、ご教示ありがとうございます。栄や、寿が重たいエンジンで、改良されたと間違っておぼえてました。
@@toshi_rs 寿は零戦の前の九六艦戦に積まれていたエンジンです。
エボとインプレッサは、ど直球ですからその様に連想する方が多いですね。
BE5レガシィと8代目ギャランではどんな航空機に例えられるのだろうとよく、、妄想してましたね。
当時お付き合いしてたスバルショップの整備士さんにインプレッサが隼ならば、レガシィは一式陸攻ですかね〜なんて話してましたが、整備士さんはうーん。どうなんでしょうね〜。まあねレガシィはグランドツーリングカーですからねと困惑してましたね笑
今調べると困惑してたのは、一式陸攻って、、、。三菱重工業製だったんですよね。笑
@@takaakiharaguchi7572 楽しいおはなしですね、私はどちらかというとスバル派でして、BC-5が初めてのスバルでした。会社の同僚が私にライバル心を持っていてギャランVR4を購入したのを思い出しました。それは、その時代の零銭と隼ではないでしょうか(笑)
ツーリングワゴンのBE-5とは、レグナムのVR4がそんな感じ?
零戦の生産機数って、中島飛行機の方が多かったんですけど、三菱製が32型、52型という風にバージョンアップしていったのに対して、旧型の21型を大戦後期まで継続生産してた、しかもエンジンは出力低いままなのに、プロペラだけは、大きな新型タイプに変えていたので、加速が鈍く、パイロットには、「ちぇっ、こいつ中島かよ。」と思われてたそうな。
まあそれは中島飛行機のせいじゃなくて日本軍が貧しかったせいですけどね。
中島飛行機としては、やはりライバルの飛行機を作るのは面白くなかったんだと思います。陸軍の戦闘機は順調に性能上げていってますから。
色々事情がありそうですね。
海軍も隼みたいな設計思想ならパイロットの生存率高く長く活躍できたかもと 素人は考え
@@シオンムート 零戦は広大な太平洋を渡り、交戦して、還ってくる必要がある海軍機ですからね。海軍の無茶ぶり(攻撃力、旋回性能、上昇力、航続距離をマシマシで!)に応えるために、要求されなかった部分は徹底的に割り切ったから。
スバルのお話面白いですね😁繋がりが深い🤩
ためになります!
ちょい足しすると
スバル360を販売する時におうし座のプレアデス星団を日本では六連星=昴と呼ばれていた事から、今のエンブレムとは違う形の、プレアデス星団の形に星を並べたエンブレムが完成し、その後並びは変わったが六つの星は統合した象徴としてエンブレムに残されたみたいですね。
大戦中は一企業の生産だけでは限界があるわけですし、生産振り分けは当然。
ワンショットファイヤーとか呼ばれてたみたいですからね。
ただ運動性能が良いだけじゃなくて、軽いから航続距離が段違いで良かった点も強み。
重機関銃の弾丸は座席に鉄板入れたぐらいでは防げないですけどね。
オフサイド 防げないですし、そもそも圧倒的に少ない資源のため苦肉の選択だったのでは?と、
その反面、出来上がったのが運動性能に特化した機体と言うところでしょうか。
開発時はまだ資源不足ではないと思います。軽量化しなければならなかったのは、エンジンの馬力不足で普通に作っていては海軍の求める運動性能を実現できなかったりからです。開発者の堀越二郎も軽量の三菱製のエンジンを使いたかったけど海軍の要請で重いけど馬力のある中島製のエンジンにしたのです。
零戦のコンセプトは軽量化して馬力不足を補い運動性能を上げるでしたから。アメリカの戦闘機と違って防弾装備が薄いのもそのためです。
1929年の世界恐慌とその後の日中戦争、東南アジアの解放による資源の確保という動向から、資源があったとは余り考えづらいのですが、
海軍の要求が関係していたと…なるほどですね。
T M
資源不足になるのはアメリカとの関係が悪化してからですね。1940年くらいからじゃないかな〜。日中戦争では零戦が活躍してるし、大和等建造してますしね。最低限の資源はあったという事です。
開戦後、南方に行った最大の目的はもちろん資源ですが、戦争継続の為の石油資源獲得が一番の目的でした。
昔から日本の企業の技術はそこそこあって、当時艦上戦闘機としては最新だった単葉機。まだアメリカもイギリスも複葉機だった時代に日本は進でいて、単葉機だったのは凄い。
スバルってそういう意味だったんですね、勉強になりました。プリンスも中島飛行機のひとつだったとは・・・。ハコスカが速かったわけですよね。ゼロ戦のエンジン技術がベースで車のエンジンに化けたわけだから遅いわけがない。
ハワイ作戦に参加した第一航空艦隊は、第一航空戦隊(赤城、加賀)、二航戦(飛龍、蒼龍)及び五航戦(翔鶴、瑞鶴)で編成されておりました。ですから、加賀と瑞鶴の2隻だけではなく、計6隻の空母に(艦戦、艦爆、艦攻計約400機)を投入しています。
航続距離が短い二航戦は苦労したようですね。
奇襲なのか強襲なのか?そもそも攻撃させられたのか?には触れませんが、当時の日本の国力を考えるとかなり投機的だと思います。
よくもまあ、原稿も見ないでこれだけスラスラ出てくるな!敬服します!!
零戦のことは別のRUclipsrで零戦再現の話しの中で結構詳しくしてましたがスバルの6連星の由来は知らなかったです😅
エンジンはいずれ磨耗すると言う話しですが、オイルにモリブデンを入れ続け現在50万㎞越えでノートラブルと言う旧車クラウンが話題になった話しをご存知ですか(丸山モリブデンをネット販売までこぎ着けた斎藤商会さんの話しではオイルに添加するが添加材ではなくエンジンコーティング材でエンジンだけではなく色んな箇所に添加する事で磨耗させないとの事ですガソリンタンク用はあったか忘れましたがヒュウエルワンといっしょに添加すれば50万㎞オーバーでも故障しない車両になるかも❓
グッドスピードさん丸山モリブデンについて調べて下さいお願いします🙇⤵️
富士精密工業(プリンス)にも、富士重工設立への参加を打診したが、富士精密工業にはブリジストンが出資していたために、横槍が入って参加できなかった。
ブリジストンが認めていれば、スカイラインは富士重工から誕生していたのかも。
細かい話ですがプリンス自動車=富士精密工業ではありません。
たま電気自動車が社名をプリンス自動車に変更した後、富士精密工業と合併したわけですねw
それにしても凄い知識量だな!
goodさん最高!! タンブラーも最高(^^
そうですね、
トヨタでさえ、三菱でのプレス機で
ボディーを押切したと言われてました、歴史はおもしろい。
なぜ7つ星じゃないのかと
思ってました(北斗七星…汗)
スバルのエンブレムにそのような意味があったとは知りませんでした!
ありがとうございました
こんばんは!ちょっと違うかもしれませんが、三菱とスバルって因縁めいた関係だったんですね!実は自分歴史科卒です!まぁ考古学専攻でしたが・・・
給気管は抵抗が少ないほどよい。
かつ、適正な径と管長を備えるのが好ましい。
排気管はオーバーラップの影響もあり、適切な排圧が求められる。こちらも排気量と最高回転数・気筒数から最適径を求める事ができる。
ホント、グッドさんはお話上手。
六連星の意味、なんかいいお話ですね。
このエンブレムを冠したクルマが、北米を走り回ってるんですね。
とても興味深い内容でした❗️
スカイライン、ランサー、WRXが実は親戚筋だった!という事でしょうか?
純粋に血統という意味ではランサーは親戚ではないですね。
さらに戻ると 馬車
うーむ、谷村新司の歌声が聞こえるw w w さらばスバルよ、、、、
富士重工業が結成されるにあたって富士精密工業もかなり密接な立場にいたようで、ひょっとしたら『あの』プリンス自動車が存在しなかった可能性もありますね。
あと、富士精密工業には名機栄20型エンジンの後継機、超高性能の『誉エンジン』を設計開発した中川良一氏がいましたね。
プリンス自動車がスカイラインやグロリアなど名車を産むにはそれだけの人材がいたわけですね。
富士精密工業の人材を加えたスバルがどうなっていたかにも興味が湧きます。。。
真珠湾攻撃に参加した日本帝国海軍の航空母艦は、赤城および加賀・蒼龍・飛龍・翔鶴・瑞鶴の計6艦でした。
航空機の作戦機数は350機(第一次発進部隊183機、第二次発進部隊167機)で、空母部隊はほぼ総力戦です。
富士重工(スバル)の前身たる中島飛行機も零戦は作りました(総数の半分以上が中島製)が、一式戦「隼」などの陸軍機が主力です。
トヨタとヤマハの関係性に近いですね。
荻窪の工場は、米軍に狙われて良く爆撃されていたと亡くなった祖父から聞かされました。
富士重工業時代に使っていた「(フ)」のマークが懐かしい。
デザイナーがテールランプの光り方で「フ」を残しているという都市伝説があります
スバルの話しは ためになりました。
中島飛行機の話しは知ってましたが プリンスと繋がってたのは 初めて知りました!
流石 Goodさん 知識が凄過ぎる!
始動時のタペット音はラッシュアジャスターのへたりじゃないですかね? 何エンジンか知りませんが・・・ラッシュ使ってない奴ならカムチェーンの音と勘違いしてるとか?
とエスパーしてみるw
詳しくエンジンの形式が指定されてないので何とも言えない部分もありますね。ラッシュの動作不良もしかり、VVTの動作不良もしかり(;^_^
以前のスバルは「農家の車」と揶揄されて二軍扱いをされていたイメージがありますが、WRCでレガシィ、インプレッサの活躍があって今のブランド認知に貢献したのは言うまでもないと思います。また、ダークブルーに(555 を経てブルーメタリックの六連星はワークスカラーとして多くの人に定着する程のインパクトがありました。
サンバートラックに名付けられた「農道のポルシェ」というニックネームは最高の称号だと私は思います。
@@toshi_rs さん
軽トラックと言えども決して手を抜かないところにスバルの矜持が感じられます。今はハイゼットのOEMになってしまい、残念に思うスバリストは多いと思います。
そらそうよ。
ダイハツとかスバルに比べたらしょぼいのしか無いし
以前スバルのベテラン営業マンが「スバルの軽はレガシィと同じ基準で造ってます」と誇らしげに説明してましたが、プレオ乗って実感できました。
乗り心地やエンジン音、ドア閉める音も普通車並みでしたね。
初代のレガシィやフォレスターはボディ剛性がかなり高く、念入りに補強されていると聞きました。プロドライブがレガシィをラリーカーに仕立てるにあたり、デビット・ラップワースは逆に「やりすぎ」な補強を取り外していたと話しています。
いつも動画楽しみに拝見しています。
グッドさんにコメ返して欲しいのですが、車の購入で悩んでいるのですが、
直5アウディRS3
直6BMW M240i
V6スカイライン400R
の中で購入価格が同じ場合どの車を購入しますか?自分は見た目RS3が良いのですが。
グッドさんの意見を聞かせて下さい。
昔、富士重でで期間工やってたせいでスバルのエンブレムに拒否反応を起こしてしまう…
頑張って作ってたんで大事にしてくれる人はありがたいですけど。微妙な気持ちです。
お前だろ〜
T-TOPの雨漏れ(笑)
俺のインプG4は故障なく元気に走ってますよ。完璧な仕事をしていただき感謝です。
期間工がシンドイのは、どこの自動車メーカーも同じみたいですよ、ただ、昔は普通の会社の正社員よりも高給が取れましたが、今は酷い事になってますね。
ホンダの期間工やりましたが寮での嫌な思いでもあり 楽しい思いでも 同室者にルービックキューブの解き方習いました 自力で編み出したらしく 普通の説明書には無い方法でした 休日は疲れで何もできなかったなあ
@@riki8484 あんたみたいな、体育会系が精神的に追い詰めるから、アカンのだろう。自動車メーカーの工場周辺の病院は、精神科や心療内科が大盛況だと、マリオ高野サンが言ってたぜ。
スバルって、360を作ったときに何かテキトーなエンブレム欲しいよねって、
半分思い付きでプレアデス星団(=昴=スバル)の形のエンブレムを作ったって、
プロジェクトXか何かで言ってた様な気がしますけど、
違いましたっけ?
プロジェクトXの話って事実との整合性の取れない部分が多いから自分で資料探すしかないです(話が出鱈目に組まれて、紹介された会社の技術者が呆れたモノがかなりある)。
プリンスが日産に吸収された後、荻窪工場が日産の航空宇宙部門となって航空機産業に復帰したというのも胸アツなエピソードですね
その後、荻窪工場は石川島播磨重工業に吸収されたけど、日本初のロケットやハヤブサを打ち上げたḾーVロケットを製造した由緒正しい会社でしたよね。
SUBARUの六連星エンブレムって、アメリカの国旗によく似ていますね。
中島飛行機のエンジンの名前は、確か「栄シリーズ」でしたね。
僕も小学生後半は、ゼロ戦のプラモを作ったり、昭和の歴史のマンガを読んで、
栄エンジンの存在がある事を、初めて知りました。
零式戦闘機は運動性能が当時遥かに他国の戦闘機より上回っっていた、搭乗員の人命が....以前に肉抜き穴等、零式戦闘機の軽量化は戦中にアメリカン軍が零式戦闘機の不時着した機体を手に入れ研究したぐらいなものだった、何故零式戦闘機がそこまでの軽量化が必要だったか?
単純に栄エンジンが非力だった。
エンジンが屎だったが、航続距離が他国の戦闘機より遥かに長かったのは利点だった、しかし主翼にシワがよる、急降下で機体が分解するデメリットも当然有った、大戦中期では圧倒的な馬力と機体剛性を誇るアメリカン軍の戦闘機に、全く歯がたたなかった。
搭乗員の技量、機体の軽量化は世界屈指だったが栄エンジンがまるで非力だった事が零式戦闘機の悲劇の元凶だった。
原稿に目を落とさないで、よくこれだけ話せる事に敬服致します。
ただ、歴史事実の訂正箇所が2カ所。わかっておられると思いますが、冒頭の零式艦上戦闘機は設計製作が三菱重工なので「中島飛行機の零式艦上戦闘機」との言い方は如何かと思います。ライセンス生産で中島の工場製の方が多い事が頭に残っていたのかと。
もう一点、真珠湾攻撃には赤城、加賀、飛龍、蒼龍、翔鶴、瑞鶴の6隻から零式艦戦が
発艦しています。宣戦布告前の攻撃も在米日本大使館のミスの結果であり事実上、米国は事前に暗号解読によって宣戦布告内容を知りながら現地には知らせずにハワイの自国艦隊を見殺しにしたと言われています。
老婆心ながら歴史的事実には一言・・・
スバルの6連星の由来は疑問に思っていたので勉強になりました。今後も楽しみにしています。
11:32で零戦は三菱重工で作ってたってちゃんと言ってますやん
ガレージ完成おめでとうございます!
新潟は、観測史上初の9月40度みたいでしたが、心身共に大丈夫でしたか?
ガレージ準備も多々あると思いますが熱中症には注意して下さいね!
プリンスも中島の系譜だったのは初めて知りました…
戦時中に戦闘機を設計してた人が戦後に関わった4輪や2輪ってどれくらいあるのでしょうね
概ね1970年代までに生産された国産車はほぼすべて大なり小なり航空機エンジニアが関わってると思います。中には三菱重工で零戦の開発に従事して、戦後YS-11の開発リーダーを経て三菱自工の社長に就任した
東條輝雄(東条英機の実子)とか、川西航空機から戦後東洋工業(現マツダ)に入社してロータリーエンジンを開発したのちマツダ社長に就任した山本健一みたいに航空機エンジニアから自動車会社社長に就任したパターンもあります。
皇紀2600年・・・零戦
昔は富士重工と日産自動車のメーンバンクが日本興業銀行(現みずほ銀行)で、富士重工が最初に作った乗用車スバル1500の市販化ができなかったのは日産自動車との共倒れを危惧した日本興業銀行の意向という話も
中島飛行機で航空技術師だった中村氏が、後に日本航空に入って開発したのがリニアモーターカーのHSSTだったり
中島飛行機出身者は結構(というか、やはりというか)すごい人が多いので調べてみると面白いですよ
興銀が融資に応じなかったというのもあるみたいですが、実際のところ1500ccの本格的小型乗用車を量産しようにもスクーターしか作ったことのない工場で量産できるわけもなく、乗用車の工場を作るにも当時の金額で一基何千万円もする工作機械を幾つも購入する必要があって、販売するにもディーラー網が無くスクーターの販売店でいきなり1500ccセダンを売るのも無理な話で富士重工の資本能力では無理筋だろうという見方が社内にも広まっていたというのが真相のようです。
@@すばる企画鈴木修一郎 「会社に能力がないので諦めた」というのは、銀行に睨まれないように顔色を伺った表向きの理由と聞いたことがありますが…
スバルは日産より株式配当がいいんだよな。
大東亜戦争と言ってほしかった、日本は悪くないです。
確か富士精密+たま電気自動車でプリンス自動車でしたね。
そのプリンス自動車のメインバンクが「あの」住友銀行だった…
あと元々一緒だったところだと日野自動車といすゞ自動車もそうでしたね。
昔、日産とスバルの機構系設計は同じCADを使ってましたね。
スバルのロゴデザインはプレアデス星団(日本名:昴)を模したものですね。
スバルのエンブレムはスバル360(開発コードK10)開発時にデザイナーの佐々木達三がK10の前に開発していたものの市販に至らなかったP-1試作車がスバル1500というブランドになるはずだったと聞いて、このクルマもスバルのブランドになるだろうと勝手にデザインしたもので、あのエンブレムもスバル360というブランドも特に会議をして決めたものではなくいつの間にかそうなったというエピソードがあります。
フラット4のタペット音は、消えなかったなー うるさくはなかったが
HLAが付いていたのにーー
ゼロ戦の話も聞けるとは!
今年の河口湖自動車博物館はコロナで閉館してたので、ゼロ戦や桜花、何より九三式中練を見に行けなかったのが残念でした。
あとここには世界で唯一稼働するゼロ戦用の栄12型エンジンがあるんですよ。
以前に、当時はパッキンの技術がなくて、接合面を可能な限り平らにして密着させることでオイル漏れを軽減してたって話も聞けました。
とはいえ、その栄エンジンはオイル漏れまくってましたが。
スバル関連で言うとSTIのエンブレムがウサギなのは、元々はバイクのラビットからきてると聞いた事がありますが、
本当なのでしょうか?
スバル360は市販までこぎつけましたが、それ以前、富士重工は1500ccのP-1という試作車を完成させておりましたね。このうち何台かは、富士精密のエンジンを積んでいたという話を聞いたことがあります。既に富士精密がブリヂストン資本下に入りつつあったため、急遽大宮工場での自社生産に切り替えたそうです。精密と重工の両社はともに旧中島時代の仲間であり、開発の苦労はあったと思いますが、昔話に花が咲いたのかもしれません。
そこまで音がするまで乗ってもらえたのら車も幸せ
中島飛行機の創業者 中島知久平が「これからはモータリゼーションの時代になるから、自動車産業に転換せよ」と後身に事実上の遺言をしていました。これが航空機会社から自動車会社への転換になります。この後、航空機メーカーの技術を生かした日本初のモノコックボディ市販車となるスバル360に繋がります。
小さく高性能な物を作るには技術の承継が必要です。スバルの軽自動車技術を廃させたトヨタの罪と、日産が倒産危機の時にプリンス、グロリア、スカイラインといったプリンス自動車時代のブランド名を買い取らなかったスバルの経営者の罪は重いですよ。
作れば作るほど赤字だった軽自動車部門を廃止する大義名分を手に入れて、スバルとしてはおお喜びだったそうです。
戦闘機がこちらに向かって編隊飛行している様子だと思ってました。
『 地上の星 』
※ 作詞・作曲 中島みゆき
風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく
草原のペガサス
街角のヴィーナス
みんな何処へ行った 見守られることもなく
地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう
崖の上のジュピター
水底のシリウス
みんな何処へ行った 見守られることもなく
名立たるものを追って 輝くものを追って
人は氷ばかり掴む
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう
名立たるものを追って 輝くものを追って
人は氷ばかり掴む
風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう
【ぽ】我楽多寅ぢ郎
中島飛行機の技術者が精魂込めてつくった機体が彼方で散っていった事を想いながら、鎮魂の意を込めてエンブレムをつくった事を勝手に想像して胸を熱くします。
あらら、零戦は三菱で、まあ中島(スバル)もありますけどね、追記;ごめん途中でコメしちゃったけど後半でのお話は Good Speed さんのおっしゃる通りです。
機体は三菱でエンジンは中島って、言うなればランエボにフラット4積んでたのと同じ💧
一緒になれなかったプリンスを含めて6つという説もあるね。
エンブレムの歴史いいですね、海外ではアウディのフォーシルバーリングのエンブレムはドイツの自動車業界規制緩和でこれからアメリカの巨大自動車産業が進出するのに対抗する為に中堅メーカー4社が団結してアウディを起業したことに由来するとディーラーの人に聞いたことを思い出しました。
ダイハツの前身、大阪発動機は戦時中に揚陸強襲挺のエンジンとか作ってましたね。
トラックの架装機メーカーの新明和は、飛行挺も作っていましたし。
名だたる企業の歴史を紐解いても面白いかもしれませんね。
スバルの六連星をやったら
アウディの4つ輪もやらないと…
BMW等もエンブレムに
各社の歴史が刻まれていたりしますし…
まぁ、昔は三菱、日産(プリンス)とコラボしていたんですが、インプやレガシーなどが売れた時代もありますね。
今は、トヨタの傘下に入っているけどレガシーとインプはトヨタブランドにしないみたいですね。
にしても、いくら傘下とはいえ86の水平対向エンジンは無いだろうと思っていますね。
スバリストかは言ったら、アレは無いよねぇってな感じかな。
今やNISSANのお家芸ともいえる「ATTESA E-TS」は、
無段階で前後のトルク配分を行うシステムですが、
世界で初めて無段階で前後のトルク配分を行えるシステムを開発したのは
SUBARUなんです。
SUBARUと資本提携してた時期に、SUBARUの技術を応用して、
開発されたと言われています。
因みに「ATTESA E-TS」を初めて搭載した車は
ブルーバード(U12型)が最初です。
まさかのプリンス工業が,,, 立川飛行からのたま電気自動車(プリンス工業)と合併していたんですね
中島飛行機は解体されてるのは知ってましたが、、、
スバルの話ですが、太田の本工場から北工場まで、今でも繋がっている防空壕があるとかないとか・・・
そして、本工場の本館は、防爆仕様で壁の厚さが1m以上あるとかないとか・・・(笑)
定年された人達から色々な面白エピソードを伺っております。
何年か前も本工場のテストコース内に新たに建物を建てようとしたら、当時の機関銃が出てきたりしてましたね。
深い話しです。
最後、いい話聞けたわ〜✨_φ(・_・
ほんまやなぁ〜 (´・ω・`)
スバルに対して「想い入れ」も「興味」も無いオッサン
σ(゚∀゚ )オレ なんだけど、
興味深い 『 良い話 』だった。
※ マダムKiller、恐るべし!! 😆👍
機体はBMWでエンジンはダイムラーが作ってたけど、最終型は全てBMWで作ったメッサーシュミットと似てるな
戦後、飛行機を作らせて貰えなくなったのも似てる
堀越技師のウチの発動機はダメだ!という判断が名機を生みました(寸法が塩梅良くなかった)。グラム単位で肉抜きして軽量に仕上げたら世界レベルの戦闘機になった…。エンジンの馬力が無かった為の処方。熟練工が居て成立する開発、生産が根こそぎ動員で人が居なくなり(大量生産に向かない設計💦)💦過渡期で大出力エンジン前提の新型が続々開発されますが、燃料の備蓄も無く、高品位燃料が現代のレギュラー以下という『何で戦争始めたのかなぁ』というオチがつきます(充分な新型燃料の開発と備蓄が出来るまで米英とは戦わない筈でしたが…やられましたね)。『世界レベルだった技術者が自動車、新幹線に行った』訳ですから…成功しますね。
電器も『やれる訳ないやろ』開発指示で振り回された開発者の一つがソニーだったり…。時間と準備があったら解らなかったですね。原油を狙って南方に行きましたが当時の日本には占領地の原油では高品位燃料は製造出来ませんでした(やはりカリフォルニア州の原油がちょうど良かったと判明💦)(新開発の燃料精製特許の購入手前まで行きましたが、米国政府の禁止令でご破算になってます)(ターボの試作品も何故かゲット💦カナダ経由で持ち出せる手筈が失敗)。高性能燃料製造出来ないのに以降は高出力新型続々開発…。なんで戦争したんでしょうw
楽しく動画拝見しています。
だいぶ前ですが、社名もSUBARUになりましたね。
コーションプレートの打刻もFHIからSUBARU coに変わりました。(当たり前ですが(^_^;))
エンブレムの由来は、アウディに似てる感じもありますね。
零戦の三菱と中島がらみの部分、さすがです❗
設計生産三菱 エンジン中島 後に生産中島も開始
タペット音の解消には二硫化モリブデンをエンジンオイル容量の10(%)入れて解消した事が有ります。スズキ ジムニーのエンジンでしたが。燃費も良くなります。
歴史を知ると面白いですね!
昔の車が懐かしいです~♪(^O^)
中島は隼ですね。六連星は群馬の生産拠点(富士ロビンも含めて)です。若い頃研修に行き知ったわけで。
街を歩いているとタペット音する車って結構ありますが、ホンダ車に多い気がします。
GCインプのウィンドウスイッチの裏に日産のロゴ入ってたりしたから、ほかにもそうゆうのあるんだろうな。
ダイハツのテリオスキッドのリアハッチ脇のルームランプに富士重工業の「フ」のマークが付いていて驚いた事を思い出しました☺️
レガシィとブルーバードの関係とかも語って欲しかったなぁ
マツダのFDも零戦の残骸を元に作られたって聞いたことあるからみんなどこかで繋がってるんですね
日本の技術を恐れたアメリカが、今はスバルを絶賛してる摩訶不思議な時代(笑)
SUBARUの走行安定性と車の安全性はトヨタの豊田章男社長でさえ認めてるからね。
日本は未だに戦闘機とかまともに作らせてもらえない
F-2を作ろうとしたらアメリカが無理矢理入ってきてF-16ベースの対艦攻撃機が出来上がってしまった
未だに日本の技術力を恐れているって事でしょうね。独自開発を許したら今度はどんな化け物を生み出すか分からないからね。