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日根野弘就の話から外れるけど、斉藤龍興って亡命した後は真面目に兵法や武芸の稽古をそれなりにしてたようでかなり良い武将になったそうです
本願寺の一向一揆に参加したり、三好党に客将として参加したり、越前朝倉氏に仕官したりして、徹底的に織田軍と戦って歴戦の猛者へと成長していたみたいですよね。刀根坂の戦いで討死した時もかなり奮闘して意地を見せたらしいですしね。
焼き魚定食 蝮の孫という小説で刀根坂の戦いの前に自分の部隊に死にたくない者は逃げよと言ったのですが誰一人逃げることはなく全員討ち死しました、創作の可能性が高いですが、彼は人望もあったんじゃないかと個人的に思います
すごいですよね
すごい
割と好きな武将、兜をデザインするのは天才的だったが末路がちょっとマヌケ小説にもされ『逆らうて候』『浪浪を選びて候』に書かれている。
明るい解説だよなぁ〜
斎藤家の有力家臣だったけど、そう言えば確かにいつの間にか存在感がなくなったイメージの武将でござるなあ。再仕官先で度々不運に見舞われながらも、何だかんだで80歳まで頑張ってた!地味だけど、そのしぶとい逞しさみたいな生き方が最後の逸話として生まれたのかも知れないでござるな。
弘就の家臣は苦労しただろうな…
島津義弘・家久を撃退した佐伯惟定の動画よろしくお願いします!
弘就という人を今回初めて知りましたが、本当に物凄い人生だったのですね。疫病神と言われたかもしてませんね。
重臣かと思いきや一転厄病神にw切腹は介錯人いないとなかなか死ねないですね。まともなバイパス血管通ってないし、古い時代になると一人で死ねる様に十文字に深く切ったそうです
モモイロプリン 介錯人居なくて方な腹に刺したまま一晩中たったって話もある
あちちあちち そっち系のサイトではしょっちゅう何処かに何か刺さったり貫いたりしてますよね、生きてんのが不思議って位に
モモイロプリン 案外人間って死ねないんだなって思った、ちなみに朝倉義景は滅亡寸前の時に介錯人探したけどいなくてやっとの思いで見つけて切腹したそうだ
あちちあちち よく知る戦国時代前夜とも言える1530年頃までは十文字に切ってたけど(出来て一人前)刀の進化の過程で出来た首刈り刀などの登場や作法の確立で一文字になったとか
モモイロプリン 首狩り刀初めて聞いた、江戸時代の切腹は戦国時代ほどの潔さがなかったみたいだよ
徹底的に生きて、もうどうしようもないって時に華々しく散るが戦国のイメージ
T K 真田左衛門佐が良い例だね!
あちちあちち 松永久秀とかもかな。彼は派手だけど。あと高橋紹運も。まさに獅子奮迅って感じですね
お疲れ様でした。日根野弘就の生涯、切腹の話が本当か?別としてとても面白かったです。斎藤兄弟暗殺の時に使った刀は「有働刀」と云う有名な物でした。(信長公記)不思議に思うのは義龍は疎まれているからと云って弟二人を目の前で殺してしまった事実です。義龍は道三の側室(深芳野)との子供と言われてますが。。。実は深芳野のお腹には土岐頼芸の子が既にいたのではないかと云う噂がありますね。そしてその事を義龍本人も知っていたら当然なのかもと納得してしまいます。
不死身の疫病神ですね。絶対に味方にしたくない男です。
あれ、なんか死なないって・・・・・・。いや、まあ戦国時代はいろんな人がいますなw
ホーエンジョージ 俗説だけどね
スカッとするLINEの人じゃね?(゚д゚)
個人的にこのナレーターのほうが好きです🙈 歴史感ってのを感じる...
日根野弘就の話から外れるけど、斉藤龍興って亡命した後は真面目に兵法や武芸の稽古をそれなりにしてたようでかなり良い武将になったそうです
本願寺の一向一揆に参加したり、三好党に客将として参加したり、越前朝倉氏に仕官したりして、徹底的に織田軍と戦って歴戦の猛者へと成長していたみたいですよね。刀根坂の戦いで討死した時もかなり奮闘して意地を見せたらしいですしね。
焼き魚定食 蝮の孫という小説で刀根坂の戦いの前に自分の部隊に死にたくない者は逃げよと言ったのですが誰一人逃げることはなく全員討ち死しました、創作の可能性が高いですが、彼は人望もあったんじゃないかと個人的に思います
すごいですよね
すごい
割と好きな武将、兜をデザインするのは天才的だったが末路がちょっとマヌケ
小説にもされ『逆らうて候』『浪浪を選びて候』に書かれている。
明るい解説だよなぁ〜
斎藤家の有力家臣だったけど、そう言えば確かにいつの間にか存在感がなくなったイメージの武将でござるなあ。
再仕官先で度々不運に見舞われながらも、何だかんだで80歳まで頑張ってた!地味だけど、そのしぶとい逞しさみたいな生き方が最後の逸話として生まれたのかも知れないでござるな。
弘就の家臣は苦労しただろうな…
島津義弘・家久を撃退した佐伯惟定の動画よろしくお願いします!
弘就という人を今回初めて知りましたが、本当に物凄い人生だったのですね。疫病神と言われたかもしてませんね。
重臣かと思いきや一転厄病神にw
切腹は介錯人いないとなかなか死ねないですね。
まともなバイパス血管通ってないし、古い時代になると一人で死ねる様に十文字に深く切ったそうです
モモイロプリン 介錯人居なくて方な腹に刺したまま一晩中たったって話もある
あちちあちち そっち系のサイトではしょっちゅう何処かに何か刺さったり貫いたりしてますよね、生きてんのが不思議って位に
モモイロプリン 案外人間って死ねないんだなって思った、ちなみに朝倉義景は滅亡寸前の時に介錯人探したけどいなくてやっとの思いで見つけて切腹したそうだ
あちちあちち よく知る戦国時代前夜とも言える1530年頃までは十文字に切ってたけど(出来て一人前)刀の進化の過程で出来た首刈り刀などの登場や作法の確立で一文字になったとか
モモイロプリン 首狩り刀初めて聞いた、江戸時代の切腹は戦国時代ほどの潔さがなかったみたいだよ
徹底的に生きて、もうどうしようもないって時に華々しく散るが戦国のイメージ
T K 真田左衛門佐が良い例だね!
あちちあちち 松永久秀とかもかな。彼は派手だけど。あと高橋紹運も。まさに獅子奮迅って感じですね
お疲れ様でした。日根野弘就の生涯、切腹の話が本当か?別としてとても面白かったです。斎藤兄弟暗殺の時に使った刀は「有働刀」と云う有名な物でした。(信長公記)
不思議に思うのは義龍は疎まれているからと云って弟二人を目の前で殺してしまった事実です。義龍は道三の側室(深芳野)との子供と言われてますが。。。
実は深芳野のお腹には土岐頼芸の子が既にいたのではないかと云う噂がありますね。そしてその事を義龍本人も知っていたら当然なのかもと納得してしまいます。
不死身の疫病神ですね。
絶対に味方にしたくない男です。
あれ、なんか死なないって・・・・・・。
いや、まあ戦国時代はいろんな人がいますなw
ホーエンジョージ 俗説だけどね
スカッとするLINEの人じゃね?(゚д゚)
個人的にこのナレーターのほうが好きです🙈 歴史感ってのを感じる...