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テンシュテットの『復活』には他にもっと熱量の高いライブ録音があるが、このセッション録音も興味深い。どこか彼は爆演型のイメージが広がっているが、フルトヴェングラーやバーンスタインのように完全に陶酔しきっているわけではなく、細部の指示は細かくて知的抑制が働いている。ま、細かな要件をこなしつつ、それでいて炎上しろと要求するんだから、実演では指揮者もオケもヘトヘトになるだろうし、続けていたら精神に異常を起こしかねない危ういバランス感覚だ。そういう狂気じみた熱さはこの録音には不足しているが、逆にベースとなったテンシュテットの知的アプローチはかなり判りやすい。聴き所は第五楽章、それも大団円のフィナーレ部分ではなく、その前の部分だ。この部分はどうにも纏まりが悪く、最後のカタルシスを味わうための苦行みたいな乱暴な演奏がされることが多いのだが。この録音では見事な品格と自然な音楽の流れが体験できる。子細に聴き取れば、おそろしく細かなフレージングとニュアンス付けの作業がなされていることが確認される。そういう作業はほぼ全曲で行われていて、さすがにこれではセッション録音で熱量を求めるのは酷かもしれない。それでもあちこちで爆発を起こすのがテンシュテットの性なのだろうが。ただこの録音、第七番ほど酷くないとはいえ、ドンシャリ音響で、オケを慣らすのが上手い彼の持ち味をかなり殺してしまっている。初期のEMIデジタル録音不手際で犠牲になったと思われる演奏は少なくないが、この記録も生け贄になってしまった一例だろう。
テンシュテットの『復活』には他にもっと熱量の高いライブ録音があるが、このセッション録音も興味深い。
どこか彼は爆演型のイメージが広がっているが、フルトヴェングラーやバーンスタインのように完全に陶酔しきっているわけではなく、細部の指示は細かくて知的抑制が働いている。
ま、細かな要件をこなしつつ、それでいて炎上しろと要求するんだから、実演では指揮者もオケもヘトヘトになるだろうし、続けていたら精神に異常を起こしかねない危ういバランス感覚だ。
そういう狂気じみた熱さはこの録音には不足しているが、逆にベースとなったテンシュテットの知的アプローチはかなり判りやすい。
聴き所は第五楽章、それも大団円のフィナーレ部分ではなく、その前の部分だ。
この部分はどうにも纏まりが悪く、最後のカタルシスを味わうための苦行みたいな乱暴な演奏がされることが多いのだが。この録音では見事な品格と自然な音楽の流れが体験できる。
子細に聴き取れば、おそろしく細かなフレージングとニュアンス付けの作業がなされていることが確認される。
そういう作業はほぼ全曲で行われていて、さすがにこれではセッション録音で熱量を求めるのは酷かもしれない。
それでもあちこちで爆発を起こすのがテンシュテットの性なのだろうが。
ただこの録音、第七番ほど酷くないとはいえ、ドンシャリ音響で、オケを慣らすのが上手い彼の持ち味をかなり殺してしまっている。
初期のEMIデジタル録音不手際で犠牲になったと思われる演奏は少なくないが、この記録も生け贄になってしまった一例だろう。