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人間よりあるね❤心温まるお話一杯ありますよ。人間は冷たいけど動物達は優しいし恩を返そうと奮闘してますね。裏切らないし。可愛いねー動物達は🧡🩷❤️🩵💕
こんな講義が無料で配信されるなんて、なんと素晴らしい時代に生きているのかと、感激しました。どうもありがとうございます。学生の方々からのどの質問も、とても面白く参考になりました。将来の研究者が生まれてくると思うと楽しみですね。
東大の先生のお話しを拝聴できてとても幸せで有意義な朝を迎えております🫶テグーちゃんやラットちゃん達がとっても賢い行動を行うようになってるのは、東大の生徒さんや先生にお世話してもらってるうちに、賢い子ちゃんになったのでしょうね。実験動物ちゃん達が一律賢くなったら、、、なんか、やっぱり東大ステキですね💓
有ります。絶対に!人間と同じく嬉しい悲しい辛い怖い怒り 全て有ります。ただ言葉をもたないだけです。ずっと動物と接してるから分かります。だから動物実験や動物園など、あってはならないと心から思います
あなたの前半の意見には賛成します。その通りだと思います。しかし、後半の考え方には反対です。この意見がまかり通ると、牛を食べることも新薬の開発も一切できなくなります。
意識と心の働きは電子の波のような作用だと感じました
通して2回拝見しました。興味深い講座を無料で提供してくださったことに感謝します。大変恐縮なのですが、科学として腑に落ちない箇所があり、視聴者からの素直な感想という形でお伝えさせていただきます。まず、「動物に心があるか」という設問自体が、最低でも、「動物」の定義、「心」の定義、「(心が)ある、もしくはない」の定義を前提にしなければ成立しないことをきちんと共有して下さい。それなしに、「動物には心がある(あるいはない)」とは言えず、論理的に理解できません。講座の前半部分で、それぞれの実験等を通じて「〇〇という結果になったということは、心はあると思われる」と結論付ける度に、どう考えても論理の飛躍があります。具体的にお伝えすると、①情動伝染が見られる⇒心がある②時間を待つことが出来る⇒心がある③組み合わせ行動が出来る⇒心がある④利他行動がある⇒心がある⑤メタ記憶から行動を決定している⇒心があるこれらの結論、つまり「他者からの情動伝染が認められ、報酬に対する期待に紐づく時間感覚があり、組み合わせ行動が出来て、利他的に行動出来て、メタ記憶から行動が決定できる、そんなものは心しかない」を支える「心」の定義なしに「心があるよね」と言われても、先生のおっしゃる通り「心があるように見える」としか言えず、しかも「観察している私たちからは心があるように見える」というこの「私たち」に、少なくとも私は入っていません。私はそれらを持って心があるようには見えません。定義されていないものの有無を問われても、判別出来ないからです。「心があるように見えるよね?心を定義しなければ」というのは、文系・理系の得手不得手など一切関係なく、精緻な検証を行う際の科学的な姿勢ではありません。1:17:38 質問4に対して「なんでも定義すりゃいいってもんじゃないってことも学んでほしい」→一般的なアウトリーチとして不可解です。「心ってなんだ?→みんなが思ってる心です」→実験結果について、それぞれが心の有無について解釈していいことになりませんか?「(心が)定義できるようになると研究としてはほぼ完成している」→おそらく、主観的体験や意識を計測できるようになったら研究が飛躍的に進む、ということをおっしゃっているのだと思いますが、煙に巻くような響きがあります。暫定的に、心を、計測できない「主観的な経験・意識」と定義した時に、その研究手法は実のところ模索中、とおっしゃった部分が先生の正直なところかと思います。つまり、主観や意識のブラックボックスの中に踏み込むアイデアはまだないと、だから「心」も「心がある」も未だ定義できずにいる、と、お認めになることの方が、「定義すればいいってもんじゃない」と諭すことよりも、よほど高校生、大学生には理解しやすいと思います。少なくとも同情してもらえると思います。彼らは強がりや虚栄心を見抜くだけの十分な判断力を持っています。「問題がある程度複雑になってくると、定義できない」「定義してしまうと問題を矮小化してしまうことになる」ここは本当に詭弁としか思えませんでした。例えば「心」を狭く定義したことで、「心がある」状態の輪郭が不明瞭になったり、拾いきれない事象が見つかった時は、それを補うように再定義すればよいだけではないでしょうか。それを持って、「やっぱり定義してはいけないんだ」「定義しない方がいいんだ」とはならないはずです。他の方もおっしゃっていますが、自分にだけは心があることが明らかであるのならば、自らの心的表象の定義からはじまり、それが他人にもあるのか、それがどうしても確かめられないのであれば(哲学的ゾンビでもボルツマン脳でもいいですが)「自分の心」はどう定義できるのか、それを探求するのが科学で、クラスメイトの手紙を読んで「ああみんなにも心があるんだ」と腑に落ちてしまうのは科学的な態度ではない、ということをお伝えしています。繰り返しになりますが、特に自然科学において、「定義」はものごとを客観的に様々な角度で眺めるために用いる共通語であり、より正しいものが見つかるまでの仮定と言って差し支えないと思います。定義しようとする姿勢があたかも未熟であるように思わせてしまうことは、ともすれば論理の飛躍への批判を避け、精緻な検証を妨げる態度となってしまうではないかと危惧し、本当に恐れ多いのですが、批判的な感想を述べさせていただきました。もし私の勘違いや思い違いでしたら、「定義によって矮小化された自然科学の問題」の実例を教えて下さい。果たしてそれは再定義によって正しく捉えなおすことが出来なかったでしょうか。もし出来たのであれば、「定義したこと」が間違っていたわけではないことになります。「定義しないこと」ではなく再「定義したこと」で前に進んだのですから。定義出来ないことは未だ多くあるでしょうが、今回のケースで心を定義して扱おうとすることが低次元であるかのように、「心」や「心がある」を定義しないままに「心かあるか」を問うことが複雑な問題への向き合い方としていかにも高尚であるかのように錯覚させるより、例えば心を複数の定義で捉えた時、それぞれの定義で「わかること」「(現状では)わからないこと」は何かを整理することの方が、よほど科学的に真摯な姿勢だと思いました。「定義」の定義まで遡らずとも、私の意図や文脈は理解していただけると信じて・・・。
心を感じられんヒトが最近いるんじゃン!愛犬にはいつも心がある!複雑な気持ちはいらんと最近つくづくおもうヨ
鳥のさえずりの意味を心で感じ取るのか、もしくは周波数の高さが示す安全度と危険度の状況認識が本能的に埋め込まれていて反射的に行動に移るのか、本能と感情及び心の境界線がいろんな動物にも存在するのか、大変興味深い動画と実験解説だった。
心はあります。
高校生は大昔の自分にも大変興味をかきたてられるご研究と感じました。人を含め生命体は本能的に死を避け、自己機能の持続の唯一無二の手段「摂食嚥下」を実現するためには、如何なる現象をも摂食にヒモ付ける能力を発揮するものだと、私はあるサーカスで調教師から一芸ごとにご褒美として一口エサがもらえる環境を学習しつくした動物たちを見て感じました。
『人を含め生命体は本能的に死を避け、自己機能の持続の唯一無二の手段「摂食嚥下」を実現するためには、如何なる現象をも摂食にヒモ付ける能力を発揮するものだ』は、「こころ」の有無に何か関係があるのでしょうか?摂食欲求は、単に生存本能の(強さの)現われに過ぎません。それ(「摂食嚥下」を実現するためには、如何なる現象をも摂食にヒモ付ける能力を発揮する)は学習行動であり、心を介在させずとも可能なものです。
4:50岡ノ谷一夫8:55無⇒15:42そもそも・・・26:16⏱️時間感覚1:00:11自分の状態のモニターが心の起源1:02:05🤖小5のとき、「おかあさんはロボットか病」になるり、精神病院?に一週間ほど入院1:19:04❤️心とは1:22:53ソシュール1:41:19🐟ホンソウワケベラ1:46:00🐒ベルベットモンキー1:51:00ホメオスタシス1:54:50 choice blindness2:02:20🐦オウムは話す2:08:08🐛ユクスキュル2:12:19👻シャーデンフロイデ
先生の質疑応答を聞いていると、いずれ人の心の中(主観的体験)を観測出来たりするのかなぁ、何を考えて何を想像してるのか丸見えだと人権的にも問題ありそうだ、どうすんだろ、とか漠然と思ったりしました。
動物どころか機械さえ心を持ってるよ あるいは自分に何かがそう錯覚させている
哲学の世界ではいまだに人間を別格視しようとしている。時代遅れも甚だしい。
あ、『さえずり言語起源論』の先生だ……!先生の講義+聴講生さんの質疑応答を無料で見られるなんて嬉しすぎる~😭🙏東大TVさんありがとうございます✨
先ずもって心とは何かを問わねばならぬ。
あれ?書き込めない心をなくしてるのは人間だけ
タイトルに脊髄反射で不満を言っている人はもう一度内容をよく見て、学問として動物の心の存在を示す試みについて学び直した方が良い
「動物に心があるか」を問う前に「人間に心があるか」を問わねばなるまい。
そもそも人間も動物に含まれますw
@@taisukenakaskao だから?
@@syn9ro だから、動物と人間は同じレイヤーにないという意味ですよ〜
地球上に知的生命体はいないよ
心とはなんですか?
動物に心があるか?と言う命題に、極めて何か生命に対する侮辱の様な違和感を感じました人間だけが特別な生命ではない事は自明で、どのレベルの生命に心と定義出来るイデアが存在するかは気になります
ずっと理屈捏ねていれば良い
ありますよ
動物の親でさえ、息子らには愛情を注ぐ。国民より、海外の人にお金ばらまく今の環境について教えて
アニミズムの世界を科学されたのですね
人間でも金銭を報酬にして似たような実験ができそうですね。それが社会でしょうか。
「心」の「定義」が不明だからな。
言葉の概念の規定ですが「意識」と「こころ」は、違う領域ですよね?
動物といっても高等動物だけだし、心というより知能って感じ。
あれ、コメントまだ消えたよ😮 1:22:49
猫も、数千年の間人類と生活していますが。犬ほど、隷属的に服すことはない。
まあ、犬や猫には、あると、思います。
あるに決まってる、動物と区切るのがおかしい。
西洋は未熟ゆえ 本能とか 生命機械 とか 恐ろしく単純思い込みで論じたね
認識論では、不快、快の2種類に分かれます。または、不快、どちらでもない、快の3種類です。ラベリング化するだけですね。やって生命体には、感情があります。
あるに決まってる (笑)
人間でも、心の無い人が、多いですね~。
人間は裏切る
一緒に売らせば わかる事 理屈じゃ無理
動物に心がないって考えられる人間の心はどうなっているのか研究した方がそういう冷たい人間を排除出来るんではないでしょうか?タイトルがびっくりします心あるに決まってるでしょ、日本人大丈夫ですか?
心を研究したければ仏教だね
ペットと暮らせば 心あることが分かりますよ 心が物質だって研究は無駄骨
日本語では心ない人なんて言い方もある。更には人でなしとかも。心は漠然としてて、あるかないかわからないし、科学的には脳の電気信号と言うのが一応の結論なのではないか。意識のハードプロブレム、クオリアとかでさえ統一した見解には至らない。
動物を知らない人が持つ疑問だね
動物にも植物にもウィルスにも石や水にも「心」はあるでしょう。
石と水には心はないでしょ
弱肉強食とかの前に、これは、上から目線というやつ
どんな定義の下の心ですか?寂しい嬉しいまた、怒り。子供達への時に人間様より深い慈しみと守護行動・・コレ心でなくてなに?ご大層な講義のようですが
「鬼滅の刃」界隈では、「ワニには心が無い」が定説。
人間も哺乳動物だけど(大爆笑)
こいつ、わかってないな😂 1:23:20
東大の先生様は動物の心の否定派かな?、だからと言っても動物を虐待していいとは言えないのだよ!
褒められたら尻尾を振って喜ぶ犬とか、群れで尻尾振ってじゃれてる狼を見るとあると確信するなぁ感情があるかどうかは死というものを理解しているかに近いと思いますゾウやサルが死んだ仲間や子のそばで悲しそうに(そう見える)してる様子やもうそこを離れた方がメリットがあるのに、ずっとそばにいるのを見ると、やっぱり感情豊かなんじゃないかなぁと思います魚や虫には感情があるのか 私は嫌だと思う気持ちはあると思います 本能かもしれませんがストレスや恐怖が感情に直結してそう
人間よりあるね❤心温まるお話一杯ありますよ。人間は冷たいけど動物達は優しいし恩を返そうと奮闘してますね。裏切らないし。可愛いねー動物達は🧡🩷❤️🩵💕
こんな講義が無料で配信されるなんて、なんと素晴らしい時代に生きているのかと、感激しました。
どうもありがとうございます。
学生の方々からのどの質問も、とても面白く参考になりました。
将来の研究者が生まれてくると思うと楽しみですね。
東大の先生のお話しを拝聴できてとても幸せで有意義な朝を迎えております🫶テグーちゃんやラットちゃん達がとっても賢い行動を行うようになってるのは、東大の生徒さんや先生にお世話してもらってるうちに、賢い子ちゃんになったのでしょうね。
実験動物ちゃん達が一律賢くなったら、、、なんか、やっぱり東大ステキですね💓
有ります。絶対に!人間と同じく嬉しい悲しい辛い怖い怒り 全て有ります。ただ言葉をもたないだけです。ずっと動物と接してるから分かります。だから動物実験や動物園など、あってはならないと心から思います
あなたの前半の意見には賛成します。その通りだと思います。しかし、後半の考え方には反対です。この意見がまかり通ると、牛を食べることも新薬の開発も一切できなくなります。
意識と心の働きは電子の波のような作用だと感じました
通して2回拝見しました。興味深い講座を無料で提供してくださったことに感謝します。
大変恐縮なのですが、科学として腑に落ちない箇所があり、視聴者からの素直な感想という形でお伝えさせていただきます。
まず、「動物に心があるか」という設問自体が、最低でも、「動物」の定義、「心」の定義、「(心が)ある、もしくはない」の定義を前提にしなければ成立しないことをきちんと共有して下さい。それなしに、「動物には心がある(あるいはない)」とは言えず、論理的に理解できません。講座の前半部分で、それぞれの実験等を通じて「〇〇という結果になったということは、心はあると思われる」と結論付ける度に、どう考えても論理の飛躍があります。
具体的にお伝えすると、
①情動伝染が見られる⇒心がある②時間を待つことが出来る⇒心がある③組み合わせ行動が出来る⇒心がある④利他行動がある⇒心がある⑤メタ記憶から行動を決定している⇒心がある
これらの結論、つまり「他者からの情動伝染が認められ、報酬に対する期待に紐づく時間感覚があり、組み合わせ行動が出来て、利他的に行動出来て、メタ記憶から行動が決定できる、そんなものは心しかない」を支える「心」の定義なしに「心があるよね」と言われても、先生のおっしゃる通り「心があるように見える」としか言えず、しかも「観察している私たちからは心があるように見える」というこの「私たち」に、少なくとも私は入っていません。私はそれらを持って心があるようには見えません。定義されていないものの有無を問われても、判別出来ないからです。
「心があるように見えるよね?心を定義しなければ」というのは、文系・理系の得手不得手など一切関係なく、精緻な検証を行う際の科学的な姿勢ではありません。
1:17:38 質問4に対して
「なんでも定義すりゃいいってもんじゃないってことも学んでほしい」→一般的なアウトリーチとして不可解です。
「心ってなんだ?→みんなが思ってる心です」→実験結果について、それぞれが心の有無について解釈していいことになりませんか?
「(心が)定義できるようになると研究としてはほぼ完成している」→おそらく、主観的体験や意識を計測できるようになったら研究が飛躍的に進む、ということをおっしゃっているのだと思いますが、煙に巻くような響きがあります。
暫定的に、心を、計測できない「主観的な経験・意識」と定義した時に、その研究手法は実のところ模索中、とおっしゃった部分が先生の正直なところかと思います。つまり、主観や意識のブラックボックスの中に踏み込むアイデアはまだないと、だから「心」も「心がある」も未だ定義できずにいる、と、お認めになることの方が、「定義すればいいってもんじゃない」と諭すことよりも、よほど高校生、大学生には理解しやすいと思います。少なくとも同情してもらえると思います。彼らは強がりや虚栄心を見抜くだけの十分な判断力を持っています。
「問題がある程度複雑になってくると、定義できない」「定義してしまうと問題を矮小化してしまうことになる」
ここは本当に詭弁としか思えませんでした。
例えば「心」を狭く定義したことで、「心がある」状態の輪郭が不明瞭になったり、拾いきれない事象が見つかった時は、それを補うように再定義すればよいだけではないでしょうか。それを持って、「やっぱり定義してはいけないんだ」「定義しない方がいいんだ」とはならないはずです。
他の方もおっしゃっていますが、自分にだけは心があることが明らかであるのならば、自らの心的表象の定義からはじまり、それが他人にもあるのか、それがどうしても確かめられないのであれば(哲学的ゾンビでもボルツマン脳でもいいですが)「自分の心」はどう定義できるのか、それを探求するのが科学で、クラスメイトの手紙を読んで「ああみんなにも心があるんだ」と腑に落ちてしまうのは科学的な態度ではない、ということをお伝えしています。
繰り返しになりますが、特に自然科学において、「定義」はものごとを客観的に様々な角度で眺めるために用いる共通語であり、より正しいものが見つかるまでの仮定と言って差し支えないと思います。定義しようとする姿勢があたかも未熟であるように思わせてしまうことは、ともすれば論理の飛躍への批判を避け、精緻な検証を妨げる態度となってしまうではないかと危惧し、本当に恐れ多いのですが、批判的な感想を述べさせていただきました。
もし私の勘違いや思い違いでしたら、「定義によって矮小化された自然科学の問題」の実例を教えて下さい。
果たしてそれは再定義によって正しく捉えなおすことが出来なかったでしょうか。もし出来たのであれば、「定義したこと」が間違っていたわけではないことになります。「定義しないこと」ではなく再「定義したこと」で前に進んだのですから。
定義出来ないことは未だ多くあるでしょうが、今回のケースで心を定義して扱おうとすることが低次元であるかのように、「心」や「心がある」を定義しないままに「心かあるか」を問うことが複雑な問題への向き合い方としていかにも高尚であるかのように錯覚させるより、例えば心を複数の定義で捉えた時、それぞれの定義で「わかること」「(現状では)わからないこと」は何かを整理することの方が、よほど科学的に真摯な姿勢だと思いました。
「定義」の定義まで遡らずとも、私の意図や文脈は理解していただけると信じて・・・。
心を感じられんヒトが最近いるんじゃン!
愛犬にはいつも心がある!複雑な気持ちはいらんと最近つくづくおもうヨ
鳥のさえずりの意味を心で感じ取るのか、もしくは周波数の高さが示す安全度と危険度の状況認識が本能的に埋め込まれていて反射的に行動に移るのか、本能と感情及び心の境界線がいろんな動物にも存在するのか、大変興味深い動画と実験解説だった。
心はあります。
高校生は大昔の自分にも大変興味をかきたてられるご研究と感じました。人を含め生命体は本能的に死を避け、自己機能の持続の唯一無二の手段「摂食嚥下」を実現するためには、如何なる現象をも摂食にヒモ付ける能力を発揮するものだと、私はあるサーカスで調教師から一芸ごとにご褒美として一口エサがもらえる環境を学習しつくした動物たちを見て感じました。
『人を含め生命体は本能的に死を避け、自己機能の持続の唯一無二の手段「摂食嚥下」を実現するためには、如何なる現象をも摂食にヒモ付ける能力を発揮するものだ』は、「こころ」の有無に何か関係があるのでしょうか?
摂食欲求は、単に生存本能の(強さの)現われに過ぎません。それ(「摂食嚥下」を実現するためには、如何なる現象をも摂食にヒモ付ける能力を発揮する)は学習行動であり、心を介在させずとも可能なものです。
4:50岡ノ谷一夫
8:55無⇒
15:42そもそも・・・
26:16⏱️時間感覚
1:00:11自分の状態のモニターが心の起源
1:02:05🤖小5のとき、「おかあさんはロボットか病」になるり、精神病院?に一週間ほど入院
1:19:04❤️心とは
1:22:53ソシュール
1:41:19🐟ホンソウワケベラ
1:46:00🐒ベルベットモンキー
1:51:00ホメオスタシス
1:54:50 choice blindness
2:02:20🐦オウムは話す
2:08:08🐛ユクスキュル
2:12:19👻シャーデンフロイデ
先生の質疑応答を聞いていると、いずれ人の心の中(主観的体験)を観測出来たりするのかなぁ、何を考えて何を想像してるのか丸見えだと人権的にも問題ありそうだ、どうすんだろ、とか漠然と思ったりしました。
動物どころか機械さえ心を持ってるよ
あるいは自分に何かがそう錯覚させている
哲学の世界ではいまだに人間を別格視しようとしている。時代遅れも甚だしい。
あ、『さえずり言語起源論』の先生だ……!
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先ずもって心とは何かを問わねばならぬ。
あれ?書き込めない
心をなくしてるのは人間だけ
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「動物に心があるか」を問う前に「人間に心があるか」を問わねばなるまい。
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地球上に知的生命体はいないよ
心とはなんですか?
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「心」の「定義」が不明だからな。
言葉の概念の規定ですが「意識」と「こころ」は、違う領域ですよね?
動物といっても高等動物だけだし、心というより知能って感じ。
あれ、コメントまだ消えたよ😮 1:22:49
猫も、数千年の間人類と生活していますが。犬ほど、隷属的に服すことはない。
まあ、犬や猫には、あると、思います。
あるに決まってる、動物と区切るのがおかしい。
西洋は未熟ゆえ 本能とか 生命機械 とか 恐ろしく単純思い込みで論じたね
認識論では、不快、快の2種類に分かれます。
または、不快、どちらでもない、快の3種類です。
ラベリング化するだけですね。
やって生命体には、感情があります。
あるに決まってる (笑)
人間でも、心の無い人が、多いですね~。
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心あるに決まってるでしょ、日本人大丈夫ですか?
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「鬼滅の刃」界隈では、「ワニには心が無い」が定説。
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こいつ、わかってないな😂 1:23:20
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感情があるかどうかは死というものを理解しているかに近いと思います
ゾウやサルが死んだ仲間や子のそばで悲しそうに(そう見える)してる様子や
もうそこを離れた方がメリットがあるのに、ずっとそばにいるのを見ると、やっぱり感情豊かなんじゃないかなぁと思います
魚や虫には感情があるのか 私は嫌だと思う気持ちはあると思います 本能かもしれませんが
ストレスや恐怖が感情に直結してそう