Probably the only english speaker here but can you please make the watermark look smaller and less of a distraction and a eyesore? I've seen some people complaining about it
@@terayamagreenward2871 Now i've been looking for an full version of NET sign off from 1972, but unfortunately all i can find is a reupload of your version of the video with audio cuts around the part with music. If possible please upload one with full audio.
今年8月にお亡くなりになった古谷一行さん若いですね。「孤独のメス」昨年12月にDVDが発売されました。
重厚なドラマでした。UPありがとうございました。
しかしこれだけ長時間も、この時代のテレビを見られることがとても貴重でうれしいです。
15:01~アポロ11号報道特別番組、記念すべき人類初の月面着陸の時だったんですね。
「~させていただきます。」という表現がこの時代既に使われていたんですね。
@@sengyoumi ほんとですね。近年の過剰にへりくだったものかと思っていました。
いつもテロップにテロップがかぶってコントみたいなので今回うえに移動してます(*´ω`*)
提供クレジットで、サンスター歯磨の社名の下に小さく「シオノギ」の文字があるのが時代を感じさせるよねぇ😃
また、社名の上に描かれているペンギンのイラストは、サンスターの前身会社の1つだった星光社が1947年に塩野義製薬と歯磨き粉の販売提携を結んだ時に、シオノギからの提案で商品キャラクターに採用されて、シオノギの分銅マークと共にサンスター製品のパッケージに表記されました。
その後、69年にシオノギとの提携解消によって一旦廃止されたものの、72年にサンスターがシオノギから商標権を譲り受けて、ペンギンマークが復活しました。
もし、サンスターとシオノギの提携が今も続いていたら、サンスターの製品には「製造元 サンスター 販売元 シオノギヘルスケア」と書かれていたかもね。
サンスターさんが塩野義製薬さんと提携していた事に驚きですね🫢
@@幸子高木-u5p さん
シオノギと販売提携をしていたのは、日本臓器製薬(旧大日本臓器製薬→マスチゲン等)もそうですよ。
サンスターってオートバイ製品も作ってるし不思議な会社ですね
@@patch33 さん
Wikiで調べたら、サンスターは元々、自転車部品のメーカーとして立ち上げられ、第2次大戦後に自転車用ゴム糊の包材として開発した金属製チューブを転用した歯磨剤の製造、販売を始めたのがきっかけで、オーラルケア製品の分野に進出しました。
その後、4つの会社が合併して今のサンスターが設立され、自転車用部品や金属加工の部門が後に分離独立し、社名変更などを経て1982年に今のサンスター技研が設立され、自転車用部品からは撤退したものの、バイクの部品や金属加工の事業を手掛けており、サンスターの本流を引き継いでいます。
今のサンスターグループ全体から見ると、オーラルケア製品の売り上げが圧倒的に多いんだろうけど、トランジスターラジオの大ヒットで世界的企業にのしあがったソニーが、今もラジオの製造を続けたり、自転車用の照明にも使える角形ランプのヒットで企業としての礎を築いたパナソニックが、グループ会社のパナソニックサイクルテックで自転車の製造を手掛けているように、会社の祖業を大切に守り続けているんだねぇ😃
その歴史線ならおそらくサンスターがシオノギヘルスケアに吸収され、
サンスターブランドの商品が製造元シオノギヘルスケアになってるかと思います。
シオノギのブランドのひとつとしてサンスターがあるって感じに。
ドラマ「孤独のメス」から。
確かに映像が乱れているとはいえども、アポロ11号関連の特番の告知も入ってて、とても貴重ですね。
三菱の扇風機、形の似ているのを家では使っていましたよ🎵冷蔵庫もナショナルでしたが1ドアで氷が作れるやつが家にはありましたので、まさに昭和40年代にタイムスリップした気分になりました。😌貴重な映像に感謝ですよ🎵
この「孤独のメス」というドラマ本格的に見たくなった。貴重な映像ありがとうございました。半世紀以上前のドラマですが、よく保存してましたね。
なんだかんだ1960年代が一番楽しい時代だった。1970年代に入ると全体的に暗い世界になりました・・・。
43分間、あっという間のタイムスリップでした。CM前の心拍計を思わせる転換が今観ても洒落てますネ。缶詰を送ろうは珍しいですね、缶詰協会なるものが当時PRを猛烈にしてたんですネ!
凄い映像見つけたので嬉しいですね〜。
私が一歳ですよ!
今思えば3歳〜6歳当時の自宅の白黒テレビがこんな感じだったのかと思いながら見させて頂いてます。
だけど、浅間山荘の突入当時は自宅のテレビがカラーになってた記憶があるんですよね。
しかし凄い映像が、こんなに長く収録されてるのは凄いですね。
放送局用のビデオだろうか?
六歳のとき、リアタイで観てました。患者が階段から落下するシーンもあり、結構怖かったです。1969年ですから、NHKの人形劇「空中都市008」を放映してた頃でした。
本編中も字幕でCMが流れるのが昭和時代。
バラエティで、出演者の台詞が字幕に流れるのが平成・令和時代。
「孤独のメス」このオープニングは初めて観た!😶。
当時の貴重な映像が今も見られるなんて本当にいまは幸せな時代です😄😄😄😄
2:50三菱扇風機の古いものを当時から現在も使っています。
指が「入る」設計として映っているのと同じ形なので、おかげさまで1969年より前のものと分かりました。ありがとうございます。
ラベルは「30cmお座敷扇R30-X3型」「製造番号(かすれて読めないけど数字5桁)」などで時期が不明。
なお古い扇風機をお使いの方はコンデンサの劣化による発火事故があるので修理や注意を怠らないようにしてください。
かなり貴重なドラマとcmですね
いずれこんなに劣化した映像でも完璧に修復出来る技術が開発されるのだろうか。
私もそれを期待してやみません😓 それにより、どれ程の埋もれた作品が陽の目を見られるのか………😌
孤独のメスは確か救急車のサイレンは「ウーウー」だったな、当時はとても紛らわしい、その後パトカーと救急車のサイレンが変わった。
CM概論の本に「CMの枠が足りず、番組中にテロップ広告が導入された事も短期間あった」と書かれてた文献を見たことがあったのですが…本当にそんな時期があったんですね😅
6:29 TBSラジオ「おはよう片山竜二です」のパーソナリティー・片山竜二氏の貴重な顔出しCM。
今は亡き、大橋巨泉サンみたい😅
今はドラマ放送中に提供のテロップが出ないから逆に新鮮に感じます😎今なら邪魔だとかクレーム入れる視聴者がいそうです😂ニュース速報は別として番組を楽しんでいる方にはテロップは邪魔に思える方もいるでしょうね😎
ヤシカカメラは、本当に懐かしいですね。(コンパクトカメラ)
(^^)スポンサー各社も、時代を感じますね。
ヤシカカメラは35mmカメラの先駆者で、女子バレーボールチームは、日紡貝塚(後のユニチカ→現:東レ)と共に日本リーグ(現:Vリーグ)黎明期の強豪でしたが、オイルショックで業績不振に陥り、最終的には京セラに吸収されましたからね。
主人公役が加藤剛・音楽が山下毅雄なのでどうしても大岡越前みたいに見えてきますね
あとタイトルバックがこの時代の特撮っぽいなと思ったらプロデューサーが円谷英二の息子の円谷一なので本当に円谷プロとかに依頼して作ってもらったのかも
国際放映の制作だから円谷とのつながりはあるでしょうね
最近出たDVDのブックレットによるとタイトル制作は円谷プロが担当しているようですね
川合伸旺さんの名前もお見かけするので、ほんとそれっぽく感じます。
@@manaby3
悪代官と言えば川合伸旺さん。
川合さん、声が非常に良い俳優さん。
@@ゆうちゅーぷ さん
ポール・ニューマンのアテレコ(吹き替え)といえば川合さんでしたね。
4:42 サンスター歯磨きCMの江利チエミさん、若いですね。今も変わらぬ物価高特有の時代が反映されていてとても懐かしいです。
サンスターさん、当時は「ヘアスプレイ」だったのですね。
懐かしいVTRですね😁
実は1970年生まれなので
逆に嬉しいですね😁
拍手物です😁
はい、この頃はサイレンが紛らわしいと苦情が相次ぎました
@@タツヒトミナミ だから、後に刑事物に使うサイレンは現実には無い音を使うようになったんでしたか?
この番組はモノクロだったみたいですが、CMの中にはカラーのCMもあったんでしょうね!
このドラマのED、日立提供の特別機動捜査隊みたいな落ち着きを感じます。家電メーカーが自社のカラーテレビの性能を示したくてスポンサーになってるというか。
日航の欧州路線、この3年後に南回りはニューデリーで、北回りはモスクワでともに墜落してしまいますね😢
そして85年夏に日本国内であの123便の大事故が…。
16:25 十朱さんめちゃくちゃかわいいな
十朱サン、幾つになってもほのぼのしてて好きです❤
住民「パトカーも救急車の「ウーウー」なんて、紛らわしいよ!。」
「サイレン音変えてくれないと困りますよ!。」
「本当ですわ。」
自分が生まれた年の映像。しかし白黒だからなのかあまりにも70年代に入ってからの映像と違いすぎますね。この頃が色んなことの転換期だったように感じます。それは昔から思ってましたが、その通りだった(笑)
プロデューサーが円谷一氏 一さんが円谷プロに入る前 TBS社員時代の最終期に手掛けた作品ですね
5:03 の子仮面ライダーに出てた五郎ちゃんだ!
いつもありがとうございます
いつも思うんですけど、音がすごくいいと思います
11:53 & 20:29 衝撃ですよここから。747登場前のCM。しかもこの頃はアエロフロートの二重反転ターボプロップ旅客機:Tu-114が、羽田-モスクワ間をJALマーキング入りで飛んでいました。
鶴丸もようやく胴体に付いた位で、尾翼に描かれるのはまだ先の時代。路線図の後ろで遠ざかっていくDC-8-53/55の姿が粋ですね~
この時代からビデオデッキってあったんですねΣ(・□・;)驚きです
ソ連機が羽田に乗り入れてたんですね。東西冷戦期でしたが。
@@TATANKA-nf4ckさん
アエロフロートの羽田乗り入れは、日航の欧州路線のモスクワ経由開設(それ以前の4発レシプロプロペラ時代は南回りが主流)との見返りでしたからね。
@@にこちゅうどくさん
そうなんです。家庭用のVTRは1965年にソニーが最初に商品化し、その後、松下電器(今のパナソニック)、日本ビクター(今のJVCケンウッド)、東芝などからも発売されました。
ただ、当時はオープンリール式のテープしかなかったので取り扱いが面倒だったのと、値段の高さ(当時のソニーのVTR本体が198000円。30分用テープが5000円。現在の価値基準では各々、約2000000円と50000円に相当)がネックになって一般家庭には殆ど普及せず、芸能人やテレビ業界の関係者が主なユーザーでした。
その後、70年代初めにソニー、松下、ビクターが共同開発したU規格でテープがカートリッジ化され、テープをリールに巻き付ける手間からは解放されたものの、カートリッジの大きさ故に一般には広まらず、75年にソニーが発売したベータ方式と翌年にビクターが発売したVHS方式が対立した、いわゆるビデオ戦争の頃からようやく一般家庭でも普通の電化製品として使われるようになりました。
劣化してるとはいえども、結構綺麗な部分の方が多いので楽しませてもらってますよ。
笠智衆さんって、この頃から老けてたのかwww
くろうど・ちえり・ぱみゅ‥‥さん
笠智衆さんは、30代で既に老け役専門になっていた様で、黒澤明作品(題名は失念しましたが、佐野周二(関口宏の実父)の父親役をしていたとか。
男はつらいよで午前様役を演じ始めた頃ですね。
21:44 ホーユーって今でこそヘアカラーのリーディングカンパニーなんですが、この当時からこういうシャンプータイプのヘアカラーを発売していたんですね
黒髪向けから白髪向けまで14色あって、リンスまでついて当時の値段で800円と当時としては高めの商品だったそうです。
ちなみに、みなさんご存知のビゲンヘアカラーはこの2年後に発売され、さらに今日でもさまざまなヘアカラー製品を世に送り出しています。
当時の800円って今の壱万円相当かと思いますが
当時は髪染めできるような家に住める時点で富裕層だったから
この値段設定でも特に問題なかったのでしょうね。
この映像はŪマチック3/4インチカセットですか?
それともUマチック以前のオープンリールかな?
すごい!よく再生環境がありましたね。
「孤独のメス」の心電図の波形が広がるトランジションかっこいい!!
今のビデオ編集ソフトにほしいクールなエフェクトですね。
JALのDC-8ってのも凄いですねー!
統一1型オープンです。再生環境は簡単です。横浜の中区か墨田区の変換屋さんにしてもらってるので。両方親友なのでほとんどタダです。うちは2インチも1インチのテープも所有してるのでそう言うプロの店で変換してもらってます。
@@terayamagreenward2871 さん
すごい!>2インチ、1インチのテープ所有!!
テープは磁器転写するし同期が狂うので変換は必須ですね。
なるほど変換屋さんですか、心強い!そんな強者が今もいるんですね。
録画文化は下火になりましたが、
今でも貴重なコンテンツを残そうという業者さんがいるのは嬉しいです。
当時のNHKは貴重なドラマなどのテープを上書きしてしまい、
ほとんどアーカイブしなかったので、
結局、少数のマニアが録画したテープに頼らざるを得ないとか、
本当に情けないと思います。
「当時のビデオテープは高価だった」なんて理由にならない。
放送コンテンツを時代の遺産として理解していなかった、
自覚の無さしか感じられません。
バルン
日本サンホームになる前の
モノゲンブランドですね。
パンチが見たい!
42:10のミツワ石鹸も日本サンホームに合流したのち、ほどなくP&G社に買収されて現在に至っている訳ですね。。。
この年からTBS系では「水戸黄門」「8時だョ!全員集合」などが放送スタート。
で、まだこの時はABC朝日放送テレビはJNN・TBS系列でしたね。
もし今もTBS-ABC体制だったら今どんなテレビ業界になっていたのか…。
多分ABCの永遠の宿敵のMBS毎日放送テレビはNETテレビ(現テレ朝)と絶縁して自らがキー局としてネットワークを結成して12チャンネル(現テレ東)を買収して傘下に置いてクロスネット局を含めてネット局を量産する事だろうね。
で、絶縁された方のNETテレビ(現テレ朝)はMBSの代わりにサンテレビや近畿放送(現KBS京都放送)等の関西の各独立系テレビを近畿圏をネットする為に新生NET系列に加入させて行くだろうな。そしたらサンテレビボックス席も新生NET系の全国ネットで放送していたかも…。
カラーテレビのCMを観てそういえば昔はカラーテレビに名称を付けてたなと思い出しました。
三菱は『高雄』ナショナルは『嵯峨』三洋電機は『薔薇』みたいに・・。
カラーテレビに限らず、洗濯機や冷蔵庫も必ずニックネーム付きでしたからね。洗濯機だとシャープは「愛情」。東芝は「銀河」。ナショナルは「うず潮」。日立は「青空」、三菱電機は「千曲」と名付けられていたし、冷蔵庫ならシャープは「アラスカ」。東芝は「北斗星」という具合に。
こんな当時の家電メーカーの姿勢について、「『愛情』などという文字を、たかがせんたく機ごときに気やすく使われては、背すじをさかなでされる気分である。地名にいたっては、まるで無意味である」(1971年12月発行の第2世紀第15号に掲載された、2槽式電気洗濯機の商品テストの記事より引用)と 批判したのが、雑誌「暮しの手帖」の初代編集長だった花森安治さんでした。
翌年に救急車と血液センターのサイレンは「ピーポーピーポー」に変わりました、ちなみにパトカーは昭和44年の5月に「ファオンファオン」に変わりました
三菱カラーテレビ高雄のナレーション
19:23〜 納谷悟朗
25:19〜 城達也
番組放送中に宣伝テロップが出てくるところ、今の時代ブログの画面が広告だらけなのと似ているなぁと感じました。
昔も今も媒体は変わっても宣伝の熱心さや執念さは変わりなしですねぇ。
こんにちは。6:29 からの、カメラのCMが素晴らしく秀逸です。
ドラマに集中できないくらいちょっと煩い番組内テロップCMが面白かった。今までテレビ探偵団やCM動画などで歌番組内で出ていたのは見たことあるけど、ここまで頻繁に出てくるのは初めて見た
昭和44年 警視庁のパトカーのサイレン音は「ファオンファオン」
昭和45年7月 救急車と血液センターの緊急輸送車のサイレン音は「ピーポーピーポー」
此ん当時は、此げなVTR、相当な素封家じゃ無けりゃ持てんやろだい📼📺📻👀!!
初めて見ましたが、何かこの番組がヒントになって、大川越前が出来たのかな?と思いました。
飄々とした、故・近石真介さんの語り口によるコンタック600のCMは、長きに渡って放送されていましたね!
長きにわたってTBSで放送されていた『はがきでこんにちは』が2020年に終了したときは一つの時代の終わりを感じましたね
2022年は近石さんだけでなく番組を引き継いだ後任の三遊亭圓楽氏まで急死されまして現在は『伊集院光のおたよりください』になっています。
この年、パトカーと救急車のサイレン「ウーウー」が問題され、住民や消防団たちも苦情が相次ぎました。
5:49
株式割り当てのをテロップCMで出してんですね
看護婦「救急車も血液センターの車もウーウーなんですか、これじゃとっても紛らわしいわ。」
0:06 〜
萩本欽一さんの高校時代の同級生、住吉正博さん(故人)ですねー。
住吉正博さんというと、「がんばれ!ロボコン」の二代目パパさんですね。
大学時代の友人の親が自動車かビデオデッキのどちらを買うか悩んだ末にビデオデッキを買ったという話を思い出しました。
当時のビデオデッキとビデオテープは幾らぐらいしたのでしょうか?
劇中のCMテロップは、この頃の民放各局のドラマでは当たり前の様に流れていたもの
14:57 このドラマはフィクションですの但し書きは1972年の超人バロム1のドルゲ事件がきっかけで初出説がありますが、既に1969年の時点で但し書きがありますね
当時はパトカーと救急車や血液センターの緊急車と消防車、サイレン音は「ウーウー」でした、その後ドライバーや住民も苦情が相次ぎました。
一番最初のCMの男性、がんばれロボコンの居候先のお父さん役の方ですかね。
提供読みは桝井論平さんとは限らないんですね
ロンペーさん、
TBSハウジングのナレーションや、
時事放題の提供読みを思い出しました。
@@ゆうちゅーぷさん定年退職直前直後はハウジング担当の部署にいたため自身のところのコマーシャルしていましたね。声が変わらないですね
年代物だ!今年60の俺も6歳だった。
1969年
この頃には食器洗い機って
あったんだね~(・・;)
50年代にもあったと思います
アメリカなら20年代くらいにはもうありそう
同じこと思った
家電製品はデザイン含め進化しているが見た目だけではあまり変わってませんね
三菱電機以外は、週替わりスポンサーだったのでしょうか?
21:44 シャンプータイプのヘアカラー
三菱電機が親会社のドルフィンズが今季Bリーグ初のSF進出やってやるぜ‼︎
いちばん最初の「バルン」という洗濯洗剤は、ニッサン石鹸(現:NSファーファ・ジャパン)が発売した洗剤でしょうか?
1969年といえば、今年公開の最後のインディジョーンズの舞台となった時代らしい。
「孤独のメス」出演者の江村奈美さん→「戦え!マイティジャック」の江村隊員ですね🩷
加藤剛さん出ていたとは孤独のメスのドラマ
@@pastelpureakgjze5791 さま、それは貴重ですね。
@@pastelpureakgjze5791 さん
監督家城巳代治をお忘れでは?
御前崎の田舎町からスターになるのが不思議
高雄♪
9:27コント55号じゃん。
初々しいね
エンディングには救急車が走行していたな
白黒w
冒頭のCMは住吉正博さん?(^_^;)))
21:44
山発産業!
ホーユー株式会社
4:56 永野裕紀子かしら?
そうだと思います。懐かしいな、可愛かったなぁ~。『飛び出せ!青春』とか『水もれ甲介』とか
『俺たちの旅』とかちょこちょこと出てたなぁ・・。
ヘアスプレーCMナレーションは納屋吾朗さん?
Probably the only english speaker here but can you please make the watermark look smaller and less of a distraction and a eyesore? I've seen some people complaining about it
これはわざとです。わざと汚して商品価値下げて削除されにくくしてます。
@@terayamagreenward2871 Now i've been looking for an full version of NET sign off from 1972, but unfortunately all i can find is a reupload of your version of the video with audio cuts around the part with music. If possible please upload one with full audio.
@@terayamagreenward2871 Very sorry if i'm bothering you or annoy you in any way.
洗剤のダッシュは覚えてます。ワンカップ大関がまだ♫狭い日本も旅すりゃ広いよ♫になる前か。
8:51 カネゴンの繭かと思った。
アサヒ本生の人って福田豊士?
VO5 ヘアースプレーで、固めていました、そう言えば…😅
当時はまだ若かった在りし頃の加藤剛さんを発見しました!どうも有難うございます!😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣
1969年8月11日放送
13:20 十朱幸代?
昭和版大岡越前
十朱幸代さんお美しい
孤独のメスは観てた。怖かった。
11:29の笠智衆さんの助手を務められる女性はどなたでしょうか?
5:40「孤独のメス」なんてタイトルだろう。それに画面下やたら字幕でしつこくcmやり過ぎ。
だから番組本編のこの余りにシツコイ字幕CMが乱発していたので、数年後各民放局内で協議した結果、事実上字幕CMはほぼ廃止になりました。
@@GravityFallsRyukyu字幕CMがある事すら知らなかったです😢
@@幸子高木-u5p そうなんですよ…。宣伝のしつこさは昔も今も変わりなしですねぇ…。