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いつも楽しく拝見しています。今回もとても知りたいテーマなので、何度も見返して知識を増やしたいと思います。ハルキーさんも言及されていますが、松木先生がご逝去されたのは大変ショックでした。先生ご自身が吉備の古墳を訪ねて解説されている動画が40本以上あって、そのチャンネルも最近はヘビーローテーションで見ています。先生にはもっと元気でご活躍いただきたかったです。
ありがとうございます。私も松木先生の動画を見ていました。あの解説ぶりにバイタリティを感じ、これからさらに活躍されてる方と思っていたので、ショックでした。もう直接お話を聞く機会がなくなりましたが、せめて松木先生が残したものを読んでいきたいです。
@@takedaharuki ご返信ありがとうございます。入口の狭い石室の中も案内いただき、先生の発掘や調査の経験が随所に動画に盛り込まれていて、引き付けられました。アカウント名が先生のお名前を少し変えたものだと気がついたとき、興奮したのを覚えています。動画を撮られたのはつい3~4年前なのに・・・とても残念です。私も先生の本を読んでいきます。
@@雲霞のごとく候ふ 声が松木先生でしたね。
初心者向け土器解説動画、ありがとうございます。まずは形が特徴的かつ全国的に見られる「二重口縁壺」がら覚えるのが実践上やりやすいとみました。しかも「これを見たら出土地は大和王権の影響下にある」という、きわめて重要な情報を読み取ることができることも大きいですね。
二重口縁壺は形が分かりやすいし、全国の古墳で見られるので、覚えて損はない土器だと思います。これが前方後円墳や前方後方墳から出土していることから、私もいろいろ妄想しています。次回の動画はそれ絡みになるかも。
ありがとうございます。ちょっぴりですが、理解が深まった気がします。相変わらずどれも同じように見えますが、、、「特殊器台」だけ異彩を放っていて興味深いです。私にとっては、「あれは器じゃ無くてハニワだろう?」「器と台がセット?」「水平部のパーテーションは強化?丸や三角や縦長の穴の意味は?」に興味が有ります。また、上部の器は「供物用」、下部の台は「下に埋めた生贄用」と勝手に思っています。
ありがとうございます。特殊器台は祭祀用の土器なので、この中で、ちょっと目立っています。初期には巴形のような穴があったり、そのルーツをたどっていくと、いろいろありそうで、興味深いです。
土器は全く詳しくないので勉強になります!今度抗議してください!いや!講義してください!
ありがとうございます。地味なところを攻めてみました。(^^)
@@takedaharuki いやいや。ここはまとめようとしても中々資料集め大変なので💦私は土器とか詳しくないので本当に教えて欲しいです!
@@mousou 歴史、日本古代史を愛するものとして、結果的にであれ、少額であれ、お金を受け取って対価を渡さず、返金もしない、そのような不誠実な行動をとるような方にのうのうと情報発信してもらいたくありません。純粋な楽しみだったものが、見るたびにモヤモヤした気持ちを抱く対象に変わってしまった精神的苦痛は、金額の多寡では片付けられない問題です。お金を払ってもあなたの本を買いたいという熱心に応援する気持ちを持っていた人間に、そういう思いをさせているのです。今後も活動されるなら、しっかりと対応してください。
博物館や資料館に行くと土器がよく展示され 今までは こんなものかと眺めてましたがハルキーさんのおかげで 動画で見た型だと興味深く見るようになりました それと博物館や資料館に行くと お目当ての展示品より他の展示が目を引くコトが良くあります 最近 日田の埋蔵物文化センターに行ったのですが 目当ては小迫辻原遺跡の展示品ですが 受付に展示されていた阿蘇山の火砕流で埋没した巨大な樹木の展示に圧倒されました コンパクトであまり人が立ち寄らない所で その日は自分達だけが訪れただけでした 街中から離れた場所なので仕方ないかなとではまた動画楽しみにしてます
私も少しづつ分かるところから勉強して、博物館での土器観賞の楽しみを増やしていっています。(^^) 日田の埋蔵物文化センター。私もそこに行かねば! 実は日田あたりも旅行計画しています。そこと天領日田資料館に行きたいです。小迫辻原遺跡は非常に興味深いです。旅行に向けて休館日チェックです。
ガランドヤ古墳も内部も見れるそうです 詳しいは日田市ホームページです 日田市埋没財文化センターは山の中にあります 歩きは辛いかなと ハルキーさんならわかりませんが
@@夏羽-o2j 山の中……。じっくり計画を練ろうっと! 今、地図を見て、山ということを考慮すると、片道で1時間かかりそう。
私も行こうと思います。美しい鏡が出土していますが、銅鏡ではなく鉄鏡ですね、興味深いです。レプリカでも見たいです。情報、ありがとう😊
日田と言えば 進撃の巨人そして 日田焼きそばですね ボリュームがあり絶品です
S字状土器も登場しました!(個人的には嬉しい)雲出川流域の砂が必ず使われるという神秘です、それにしても土器にロマンを感じる武田さんはやっぱりすごすぎです。しかし土器こそ目下唯一の正しい編年かもしれないですね
あの混和剤の話。不思議です。それを使うと繋ぎ的にしっかりした土器が焼けるのか。それとも信仰的な理由なのか。土器は廃棄率が高いから量的にも使用期間の短さ的にも編年に一番適した遺物だと思います。年代も分かるし、人々の交流も移動も分かるし。地味ながら確かな空想にふけることができる遺物です。
@@takedaharuki 考えたらキャラクターがそもそも特殊器台ですもんね(笑)!
おはようございます。土器のお話ありがとうございます。当チャンネルに出会わなかったら土器の事なんか知らないままだったでしょう。とくに須恵器についてはちょっとばかり詳しくなりました。博物館でガラスにへばりついて見るもんだから顔の皮脂付きます。土器の名前がそのまま時代の代名詞になる文化ですからね!縄文時代!埴輪との関連も楽しいネタですよね!本日は大阪市内をウロチョロします。森ノ宮神社お参りです。
ありがとうございます。土器への関心が増し、博物館訪問がさらに楽しくなっているのは嬉しいです。動画を作っている甲斐があります。私も連休だからどこか出かけたりけど、今日は住んでいる場所の雑排水管洗管があって家で待機です。(TT)
@@takedaharuki勝手に皮盾報告先日京丹後へ幾坂古墳群より出土の皮盾の報告会いきました。会場満員!御年配ばかり!え?お前がいうな?国道建設に伴う古墳群の発見です。丘陵地のてっぺんです。誰もここが古墳だとは思わないところです。盗掘もありません。標高の高いところですので現地での説明会は大変ということでアグリセンター大宮というところで報告会ありました。冒頭そのように説明ありました。木製の盾に舐めした動物の皮を張り黒漆を施した目にも鮮やかな一品だったことでしょう(妄想)木製部や皮は腐敗してあとかたもありません。皮に刺繍が施されその模様が土に漆がへばりついて残りました。今回その搬出にヘリコプターが使われ無事成功しました。極めて画期的です。関係各位のお役所の方々に感謝です。まだまだ調査の余地のある古墳群です。新たな発見も期待できそうです。ちなみにGoogleマップにも記載ありません。それと報告会でのニュースです。築造が4世紀末か5世紀ではとの見立てです。出土の鉄鏃が参考らしいです。この時期は妄想膨らみますよね!京都も侮れませんよ!
勉強、勉強! この間松坂のはにわ博物館で、二重口縁壺(底抜け)のサンプルをみてきました、結構感慨深いです。
私も自分で撮った松坂のはにわ博物館の写真を見ていたら二重口縁壺がありました。地域を超えて同じ形の土器があるというのは感慨深いです。この感動を共感できて嬉しいです。
久々です。免田式土器は、佐賀平野から熊本、そして、沖縄まで出土してますので、この一帯は、共通の土器文化圏と言えますね。免田式土器の中でも特に底部が広くて細長い口のものは、船上でも倒れにくく、倒れても中の液体(飲料水)が一気に零れ出てしまうこともないので、船乗りにはうってつけの器(土器)です。沖縄でも多く出土するのはそれなり理由がありますね。
お久しぶりです。免田式は沖縄でも出土しているんですね。熊本を中心に気になる分布です。なるほど。船乗りにうってつけの土器というのは面白い解釈です。なかなかこの地域にまで行くことがないのですが、いつかちゃんと調べ、免田式土器の動画を作りたいです。(^^)
昔、カブトムシの幼虫探しに地面を掘ったら、どでかい縄文式土器やら矢じりが出土しました(笑)
凄い経験をされていますね。羨ましいです。土器はあるところにあるはずですが、私自身はいまだ身近なところでは見つけたことがないです。逆に近所で葉っぱの化石を拾ったことがあります。
土器の地域・時代による変遷は追っていくととても面白いものなんですよね〜。当時のトレンドによる変化もあれば製作者集団の世代交代などによる変化もあったのかもしれませんね。こちらの動画を拝見中に松木武彦先生の訃報が…弥生・古墳期の解像度を高める事に多大な貢献をされた先生のご冥福を、この場を借りてお祈りします。
世代交代、流行の変化。土器は時間的にも変化してくれるので凄く便利なものさしです。松木武彦さんの訃報。信じられないです。これからさらに活躍される方と思ってました。実に残念です。
邪馬台国探しを始めて、まだ2年くらいで、神話や遺物関係はさっぱりわからないし、覚えられないので、この様な動画解説はありがたいです。^_^
ありがとうございます。昔、土器はほぼ素通りだったのですが、最近は解説や時代や出土地の札なども見るようになりました。他の地域の土器とかを見つけて、それが知っているものだったりすると、なんか感動します。(^^)
なるほど、土器にもかなり種類があるのですね。これはなかなか難しい。古墳の動画でもコメントしたけど「流行り廃り」だけなのかと思ってましたが、、、、、これは「地域性」ってのもあるのか。あれか、技術者個人ではなく「技術者集団」だとすれば、地域性は出ますね。「会社」が違うってことですから。この技術者集団という概念は、国という概念よりも狭い気がします。気軽に行き来してるように感じます。(国同士が敵対してても無関係ってこと。)信長が「国友衆」を取り込んで鉄砲を大生産させたように、国が技術者集団を雇う形態がもうその時代にはあったのかもしれませんなぁ。いや、、技術者集団のまとまりこそが「国」なのかもしれん。古墳や鏡、銅鐸、須恵器、鉄器などの技術は、「安定」した勢力でないと発展しなそうですからね。日本人としての「まとまり」ってのは、案外遅かったのかもしれませんね。
土器は興味深いです。流行り廃り。地域性。近隣との交流。全国的な交流。いろいろ詰まっている感じです。当時の技術者集団。国との関係も含めて確かに想像が膨らみます。これを正しくとらえることができれば、古代史の世界がさらに復元できそうな気がします。
最後の最後に免田式土器をご紹介いただき、熊本説からお礼申し上げます(笑)。以前、免田式土器の頸がなぜ長いのか、どのように使ったのかなど、いろいろ考えたことがありましたが、結論に至りませんでした。何かお考えがあれば、また動画にしてください。
免田式土器。気になる土器です。私も古荘さんに続いて、方保田東原遺跡に年内には行く予定です。確かに首が驚くほど長いです。どの土器にもルーツとなる親土器があるはずだから、そのあたりも今後の旅の中で見つけていきたいです。いつか近くて古い土器に巡り合いそうな気がします。
素朴な質問ですが免田式土器は形状的に使用の用途が限られてきそうですが!花瓶としては下の部分が大きすぎます特殊な用途の様に見えます。ハクション大魔王が使ってたとか?
やっぱり、液体を入れていたと予想します。祭祀の時に使うものとして、水と考えるか酒と考えるか。酒の気がします。そう言えば、確かにハクション大魔王の壺に著しく似ています。現代なら、液体を貯蔵するものとしては醤油を入れるのにも使えそう。香油もありかな。
毎度恒例goodボタン👍を押しに参りました。まだ営業時間中なので後ほどゆっくり見に来ます。免田って地名は音の響きだけなら「倭の面土國」っぽいなぁって思ってます。
ありがとうございます。いつも感謝です。その説、実は最近、猿田彦さんからも聞きました。いつか免田にも行ってみたいです。免田で免田式土器を見る。夢のようなお話。確か人吉のあたり。
@@takedaharuki そういう方もいらっしゃるんですね!(^^)稲作にも向いた感じの土地ですしね。そういう遺跡巡りをされてるのは羨ましくもあります。自分などは先日の家族サービスで山陰の鳥取道(国道9号)を走行中に青谷上寺地遺跡公園というのを見かけましたが妻子はそういう系に余り興味がないので、目の前にあるのに素通りでした( ω-、)
@@maron9648 素通り。一人旅じゃないと、そういうのは仕方がないです。私も友達との旅行の時は気を使っています。(^^)
朝起きて土器。土器の時間の流れで素直に思うのはやはり吉備がHUBになっている気がしますね。まず偉い人がいた。金もあった。祭祀的な作品、作風が必要だったので作られていたんだと素直に思います。単に発見されただけでしょうか?日本中にあったんですか?
確かに私もそう思います。吉備が重要なポジションにいます。立地かな。古墳時代が近づくと、瀬戸内海交易の重要性が増したのかも。発見されるのは一部だから、同じものが何個も出ているということは、実際にはさらに凄い数、当時、作られていたことになります。
素直にそう見えますよね。。。良かった。
ハルキーさん、こんにちは😃弥生時代に60万人だった人口が、古墳時代には540万人に増加していますね。数字に弱い私ですが、キリがいいので覚えました。推測するに、生活水準が向上し外国から多くの人が渡来した、かなりすごい時期なのでしょう。土器もオシャレですよね。写真で見ると一目瞭然、わかりやすかったです。S字甕の混和材ですが、どの土地で出土されたものにも伊勢の砂が使われていた、ということですか?纏向も?
人口が増加するということは食料生産力が上がったのかも知れませんね。混和材はすべて伊勢のものという研究結果を聞いたことがありますが、纒向のものは調べていないかも。そのあたりは知らないです。ただ、纒向で作られたものはそうでなくても、纒向に持ち込まれたものは東海のものと同じになるはず。
そうですか、纏向に行って現物を見たいものです、S字甕、渋くて私の好みです。
師匠の研究続きますね。埋蔵文化財センターで学芸員さんいたら話聞きますが、サッパリわかりません。口が広いと注ぐ時便利ですよね。(笑)
ちょっとずつ土器を研究しています。細かい違いについては私もさっぱりです。土器の用途。注いだり、蓄えたり、煮炊きに漬かったり。そういうことを考えると、当時の世界がいろいろ頭に浮かびあがります。
何か顔が色々混み合っていますが、作品もダイザーUではなくマジンガーが乗っ取ってますね。東海地方の土器、伊勢の砂が使われてる特徴に何か意味や理由があったのか興味深いですね。
マジンガーのようなグレンダイザーのような混ぜてみました。伊勢の砂。気になります。ガラス質的な砂を入れて、しっかり焼きあがるように砂を入れているはずなのですが、どうして、伊勢でないとダメなのか。全く不思議です。東国にとって伊勢は聖地なのかな。
伊勢はやはり何らかの聖地として見られていたかも?工人や職人集団がいた、または砂その物のブランド性とか。多気周辺は丹の産地でもあり、縄文後期から東国との交流は深かったのも関係あるのかな。
@@トミヤマサキオ 確かにブランド性があるようにしか見えない状況です。丹も絡んできっと重要な場所だったのかも知れません。西から見れば、伊勢は東への出発点です。
土器を見る時、祭祀用ならば象徴的な意味を考えるのですが、実用となるとどういう意味でこの形になったのかと多少ながら轆轤に親しんだ人間としては考えてしまいます。口縁が立ち上がった物は布地の様なものを被せて首のところでひもで縛って蓋をするのだろうかトカ。土中から出てくる土器は、祭祀用と実用のどちらの用途なのかを分けて考えるようにしています。
布をかぶせる。なるほどです。他の方の意見で木蓋というのもありました。中の液体の蒸発を防ぐなら、確かに蓋はあって然るべきの気がします。今回は混在させてしまってますが、確かに、祭祀用と実用とでその広がり方や形態のあり方も違うような気がします。いろいろ深く感がさせられます。退化に同じ吉備でも吉備甕と特殊壺は全然違います。
さっそく朝日遺跡(バーチャル)へ行って土器を見た。これが ”東海の土器” と言うにはいろんな土器があった。横っ腹に丸孔の付いた土器。物の取り出しには便利か。赤彩の合子の蓋にぼかしが入れてあるのが気になる。現地に行って確認してみるかな(近所)。
近くなら見る価値あるはず。本物を見ると、また、実感が変わってくるかも。
西陣式土器とか、他の北部九州の土器が無いのには意図を感じます。西部瀬戸内海&北部東九州方面(そんな地区あるんかい。)特集をするのでしょうか。
北部東九州方面。ここは特集する予定です。敢えて深掘りを避けました。筑紫側については特徴を説明するが難しくて割愛しました。弥生中期なら、前回の九州旅行動画で登場した丹塗磨研土器や、袋状口縁壺とかがあります。また、西新式についても興味はあるのですが、庄内でもあり、弥生でもあるという微妙な時期の土器なので、腰を据えて取り掛からねばと思っています。
三つの心で 呼ぶのなら 正義と 愛と 友情とマジンガーZは大映の大魔神のオマージュだと思いますが、大魔神は巨大埴輪。武田さんはそういう意味でマジンガーZに惹かれているのでしょうか?
なるほどです。本能的にそういうところに惹かれているのかも知れません。確かに「魔人」の響きは好きです。
お待ちしておりました‼︎ズサ━━━━⊂(><。⊂⌒`つ≡≡≡━━━━!!
ありがとうございます。(^^)
こういうの待ってた庄内式とか言われてもわからん
ありがとうございます。自分自身の勉強のためにも、おさらいしてみました。(^^)
時々、楽しく拝見しています。長野県の長野盆地に弥生時代の後期に赤い土器の時代があったようで、「信濃の赤い土器」と言われて、国立博物館の展示が行われたり、その赤い土器の写真が、ネット上にあります。私はその付近に住んでいる者ですが、土器は見てないのですが、この動画と関連させると、どういう位置づけの土器なのか知りたいと思いました。ハルキーさんの感想などをお聞きしたいです。
今、ネットで見ました。私も詳しくはないのですが、信濃の赤い土器。東海のパレススタイル土器に近い印象を受けました。説明のところでも東海の文字があったので、たぶん、合っているはず。こんな美しい土器が他にもあったなんて感動です。ありがとうございます。土器を見るのを目的に長野にもいつか行きたいです。
さっそく、ありがとうございます。いつかぜひ長野にも来てみてください。いつかその動画が出来るのを楽しみにしております。私はあまり考古学などこういった分野に詳しくなく、どこで見られるのか分かりませんが千曲市の県立歴史館などで聞いたら色々と情報が分かると思います。
@@上田市東山の紹介 情報ありがとうございます。30年近く前、森将軍塚古墳に行ったことがあります。その時から博物館もだいぶ新しくなっているはず。是非とも再訪したいです。そうそう、その頃、友人と真田めぐりもしました。旅行記を見ると、上田あたりでは、真田太平記館、上田市立博物館、戸石城跡、信綱寺、日向畑遺跡、松尾城跡、長谷寺、真田本城跡、真田歴史資料館を巡ってました。
こんにちは!土器回何回も観返し勉強させていただきました😚土器・埴輪・古越磁など、ハルキー先生=焼き物マニアイメージも相当強いですよねw余談ですが、壱岐に「魏志倭人伝 一支国」という原の辻遺跡をイメージした弥生土器型地酒がありましたので、現地はなかなか行けないためネットで注文して中身を入れ替えながら愛用しています。現代物と分かっていてもやはり土器は魅力的ですよね😚
ありがとうございます。昔は神話や伝説ばかり追っていたのですが、年をとるごとに焼き物が好きになってきました。博物館で須恵器見て、「いい仕事している」とか、呟いています。(^^)
@@takedaharuki古代史版・中島誠之助ですねw私事で失礼しますが、来年1/26の高知県で開催のお笑いLIVEチケット当たりましたんで、まだ未踏の四国初上陸ですwその際に史跡も見学したいと思ってますが、高知城や岡豊城跡など戦国辺りのイメージが強く、弥生遺跡や古墳は阿波・伊予の影に埋もれてるので、穴場がないか調べてます(¯―¯٥)笑
いつも楽しく拝見しています。今回もとても知りたいテーマなので、何度も見返して知識を増やしたいと思います。ハルキーさんも言及されていますが、松木先生がご逝去されたのは大変ショックでした。先生ご自身が吉備の古墳を訪ねて解説されている動画が40本以上あって、そのチャンネルも最近はヘビーローテーションで見ています。先生にはもっと元気でご活躍いただきたかったです。
ありがとうございます。私も松木先生の動画を見ていました。あの解説ぶりにバイタリティを感じ、これからさらに活躍されてる方と思っていたので、ショックでした。もう直接お話を聞く機会がなくなりましたが、せめて松木先生が残したものを読んでいきたいです。
@@takedaharuki ご返信ありがとうございます。入口の狭い石室の中も案内いただき、先生の発掘や調査の経験が随所に動画に盛り込まれていて、引き付けられました。アカウント名が先生のお名前を少し変えたものだと気がついたとき、興奮したのを覚えています。動画を撮られたのはつい3~4年前なのに・・・とても残念です。私も先生の本を読んでいきます。
@@雲霞のごとく候ふ 声が松木先生でしたね。
初心者向け土器解説動画、ありがとうございます。まずは形が特徴的かつ全国的に見られる「二重口縁壺」がら覚えるのが実践上やりやすいとみました。しかも「これを見たら出土地は大和王権の影響下にある」という、きわめて重要な情報を読み取ることができることも大きいですね。
二重口縁壺は形が分かりやすいし、全国の古墳で見られるので、覚えて損はない土器だと思います。これが前方後円墳や前方後方墳から出土していることから、私もいろいろ妄想しています。次回の動画はそれ絡みになるかも。
ありがとうございます。ちょっぴりですが、理解が深まった気がします。相変わらずどれも同じように見えますが、、、「特殊器台」だけ異彩を放っていて興味深いです。
私にとっては、「あれは器じゃ無くてハニワだろう?」「器と台がセット?」「水平部のパーテーションは強化?丸や三角や縦長の穴の意味は?」に興味が有ります。
また、上部の器は「供物用」、下部の台は「下に埋めた生贄用」と勝手に思っています。
ありがとうございます。特殊器台は祭祀用の土器なので、この中で、ちょっと目立っています。初期には巴形のような穴があったり、そのルーツをたどっていくと、いろいろありそうで、興味深いです。
土器は全く詳しくないので勉強になります!
今度抗議してください!いや!講義してください!
ありがとうございます。地味なところを攻めてみました。(^^)
@@takedaharuki いやいや。ここはまとめようとしても中々資料集め大変なので💦私は土器とか詳しくないので本当に教えて欲しいです!
@@mousou
歴史、日本古代史を愛するものとして、
結果的にであれ、少額であれ、お金を受け取って対価を渡さず、返金もしない、そのような不誠実な行動をとるような方にのうのうと情報発信してもらいたくありません。
純粋な楽しみだったものが、見るたびにモヤモヤした気持ちを抱く対象に変わってしまった精神的苦痛は、金額の多寡では片付けられない問題です。
お金を払ってもあなたの本を買いたいという熱心に応援する気持ちを持っていた人間に、そういう思いをさせているのです。
今後も活動されるなら、しっかりと対応してください。
博物館や資料館に行くと
土器がよく展示され 今までは こんなものかと眺めてましたがハルキーさんのおかげで 動画で見た型だと興味深く見るようになりました
それと博物館や資料館に行くと お目当ての展示品より他の展示が目を引くコトが良くあります
最近 日田の埋蔵物文化センターに行ったのですが
目当ては小迫辻原遺跡の展示品ですが 受付に展示されていた阿蘇山の火砕流で埋没した巨大な樹木の展示に圧倒されました
コンパクトであまり人が立ち寄らない所で その日は自分達だけが訪れただけでした 街中から離れた場所なので仕方ないかなと
ではまた動画楽しみにしてます
私も少しづつ分かるところから勉強して、博物館での土器観賞の楽しみを増やしていっています。(^^) 日田の埋蔵物文化センター。私もそこに行かねば! 実は日田あたりも旅行計画しています。そこと天領日田資料館に行きたいです。小迫辻原遺跡は非常に興味深いです。旅行に向けて休館日チェックです。
ガランドヤ古墳も内部も見れるそうです
詳しいは日田市ホームページです
日田市埋没財文化センターは山の中にあります
歩きは辛いかなと
ハルキーさんならわかりませんが
@@夏羽-o2j 山の中……。じっくり計画を練ろうっと! 今、地図を見て、山ということを考慮すると、片道で1時間かかりそう。
私も行こうと思います。美しい鏡が出土していますが、銅鏡ではなく鉄鏡ですね、興味深いです。レプリカでも見たいです。情報、ありがとう😊
日田と言えば 進撃の巨人
そして 日田焼きそばですね ボリュームがあり絶品です
S字状土器も登場しました!(個人的には嬉しい)雲出川流域の砂が必ず使われるという神秘です、
それにしても土器にロマンを感じる武田さんはやっぱりすごすぎです。しかし土器こそ目下唯一の正しい編年かもしれないですね
あの混和剤の話。不思議です。それを使うと繋ぎ的にしっかりした土器が焼けるのか。それとも信仰的な理由なのか。土器は廃棄率が高いから量的にも使用期間の短さ的にも編年に一番適した遺物だと思います。年代も分かるし、人々の交流も移動も分かるし。地味ながら確かな空想にふけることができる遺物です。
@@takedaharuki 考えたらキャラクターがそもそも特殊器台ですもんね(笑)!
おはようございます。
土器のお話ありがとうございます。
当チャンネルに出会わなかったら土器の事なんか知らないままだったでしょう。
とくに須恵器についてはちょっとばかり詳しくなりました。博物館でガラスにへばりついて見るもんだから顔の皮脂付きます。
土器の名前がそのまま時代の代名詞になる文化ですからね!縄文時代!
埴輪との関連も楽しいネタですよね!
本日は大阪市内をウロチョロします。
森ノ宮神社お参りです。
ありがとうございます。土器への関心が増し、博物館訪問がさらに楽しくなっているのは嬉しいです。動画を作っている甲斐があります。私も連休だからどこか出かけたりけど、今日は住んでいる場所の雑排水管洗管があって家で待機です。(TT)
@@takedaharuki
勝手に皮盾報告
先日京丹後へ幾坂古墳群より出土の皮盾の報告会いきました。
会場満員!御年配ばかり!
え?お前がいうな?
国道建設に伴う古墳群の発見です。丘陵地のてっぺんです。
誰もここが古墳だとは思わないところです。盗掘もありません。
標高の高いところですので現地での説明会は大変ということでアグリセンター大宮というところで報告会ありました。冒頭そのように説明ありました。
木製の盾に舐めした動物の皮を張り黒漆を施した目にも鮮やかな一品だったことでしょう(妄想)
木製部や皮は腐敗してあとかたもありません。皮に刺繍が施されその模様が土に漆がへばりついて残りました。
今回その搬出にヘリコプターが使われ無事成功しました。極めて画期的です。関係各位のお役所の方々に感謝です。
まだまだ調査の余地のある古墳群です。新たな発見も期待できそうです。
ちなみにGoogleマップにも記載ありません。
それと報告会でのニュースです。
築造が4世紀末か5世紀ではとの見立てです。出土の鉄鏃が参考らしいです。
この時期は妄想膨らみますよね!
京都も侮れませんよ!
勉強、勉強! この間松坂のはにわ博物館で、二重口縁壺(底抜け)のサンプルをみてきました、結構感慨深いです。
私も自分で撮った松坂のはにわ博物館の写真を見ていたら二重口縁壺がありました。地域を超えて同じ形の土器があるというのは感慨深いです。この感動を共感できて嬉しいです。
久々です。免田式土器は、佐賀平野から熊本、そして、沖縄まで出土してますので、この一帯は、共通の土器文化圏と言えますね。免田式土器の中でも特に底部が広くて細長い口のものは、船上でも倒れにくく、倒れても中の液体(飲料水)が一気に零れ出てしまうこともないので、船乗りにはうってつけの器(土器)です。沖縄でも多く出土するのはそれなり理由がありますね。
お久しぶりです。免田式は沖縄でも出土しているんですね。熊本を中心に気になる分布です。なるほど。船乗りにうってつけの土器というのは面白い解釈です。なかなかこの地域にまで行くことがないのですが、いつかちゃんと調べ、免田式土器の動画を作りたいです。(^^)
昔、カブトムシの幼虫探しに地面を掘ったら、どでかい縄文式土器やら矢じりが出土しました(笑)
凄い経験をされていますね。羨ましいです。土器はあるところにあるはずですが、私自身はいまだ身近なところでは見つけたことがないです。逆に近所で葉っぱの化石を拾ったことがあります。
土器の地域・時代による変遷は追っていくととても面白いものなんですよね〜。
当時のトレンドによる変化もあれば製作者集団の世代交代などによる変化もあったのかもしれませんね。
こちらの動画を拝見中に松木武彦先生の訃報が…
弥生・古墳期の解像度を高める事に多大な貢献をされた先生のご冥福を、この場を借りてお祈りします。
世代交代、流行の変化。土器は時間的にも変化してくれるので凄く便利なものさしです。松木武彦さんの訃報。信じられないです。これからさらに活躍される方と思ってました。実に残念です。
邪馬台国探しを始めて、まだ2年くらいで、神話や遺物関係はさっぱりわからないし、覚えられないので、この様な動画解説はありがたいです。^_^
ありがとうございます。昔、土器はほぼ素通りだったのですが、最近は解説や時代や出土地の札なども見るようになりました。他の地域の土器とかを見つけて、それが知っているものだったりすると、なんか感動します。(^^)
なるほど、土器にもかなり種類があるのですね。これはなかなか難しい。
古墳の動画でもコメントしたけど「流行り廃り」だけなのかと思ってましたが、、、、、これは「地域性」ってのもあるのか。
あれか、技術者個人ではなく「技術者集団」だとすれば、地域性は出ますね。「会社」が違うってことですから。
この技術者集団という概念は、国という概念よりも狭い気がします。気軽に行き来してるように感じます。(国同士が敵対してても無関係ってこと。)
信長が「国友衆」を取り込んで鉄砲を大生産させたように、国が技術者集団を雇う形態がもうその時代にはあったのかもしれませんなぁ。
いや、、技術者集団のまとまりこそが「国」なのかもしれん。古墳や鏡、銅鐸、須恵器、鉄器などの技術は、「安定」した勢力でないと発展しなそうですからね。
日本人としての「まとまり」ってのは、案外遅かったのかもしれませんね。
土器は興味深いです。流行り廃り。地域性。近隣との交流。全国的な交流。いろいろ詰まっている感じです。当時の技術者集団。国との関係も含めて確かに想像が膨らみます。これを正しくとらえることができれば、古代史の世界がさらに復元できそうな気がします。
最後の最後に免田式土器をご紹介いただき、熊本説からお礼申し上げます(笑)。
以前、免田式土器の頸がなぜ長いのか、どのように使ったのかなど、いろいろ考えたことがありましたが、結論に至りませんでした。何かお考えがあれば、また動画にしてください。
免田式土器。気になる土器です。私も古荘さんに続いて、方保田東原遺跡に年内には行く予定です。確かに首が驚くほど長いです。どの土器にもルーツとなる親土器があるはずだから、そのあたりも今後の旅の中で見つけていきたいです。いつか近くて古い土器に巡り合いそうな気がします。
素朴な質問ですが免田式土器は形状的に使用の用途が限られてきそうですが!花瓶としては
下の部分が大きすぎます特殊な用途の様に見えます。ハクション大魔王が使ってたとか?
やっぱり、液体を入れていたと予想します。祭祀の時に使うものとして、水と考えるか酒と考えるか。酒の気がします。そう言えば、確かにハクション大魔王の壺に著しく似ています。現代なら、液体を貯蔵するものとしては醤油を入れるのにも使えそう。香油もありかな。
毎度恒例goodボタン👍を押しに参りました。まだ営業時間中なので後ほどゆっくり見に来ます。免田って地名は音の響きだけなら「倭の面土國」っぽいなぁって思ってます。
ありがとうございます。いつも感謝です。その説、実は最近、猿田彦さんからも聞きました。いつか免田にも行ってみたいです。免田で免田式土器を見る。夢のようなお話。確か人吉のあたり。
@@takedaharuki そういう方もいらっしゃるんですね!(^^)
稲作にも向いた感じの土地ですしね。
そういう遺跡巡りをされてるのは羨ましくもあります。自分などは先日の家族サービスで山陰の鳥取道(国道9号)を走行中に青谷上寺地遺跡公園というのを見かけましたが妻子はそういう系に余り興味がないので、目の前にあるのに素通りでした
( ω-、)
@@maron9648 素通り。一人旅じゃないと、そういうのは仕方がないです。私も友達との旅行の時は気を使っています。(^^)
朝起きて土器。
土器の時間の流れで素直に思うのはやはり吉備がHUBになっている気がしますね。まず偉い人がいた。金もあった。
祭祀的な作品、作風が必要だったので作られていたんだと素直に思います。単に発見されただけでしょうか?日本中にあったんですか?
確かに私もそう思います。吉備が重要なポジションにいます。立地かな。古墳時代が近づくと、瀬戸内海交易の重要性が増したのかも。発見されるのは一部だから、同じものが何個も出ているということは、実際にはさらに凄い数、当時、作られていたことになります。
素直にそう見えますよね。。。良かった。
ハルキーさん、こんにちは😃弥生時代に60万人だった人口が、古墳時代には540万人に増加していますね。数字に弱い私ですが、キリがいいので覚えました。推測するに、生活水準が向上し外国から多くの人が渡来した、かなりすごい時期なのでしょう。
土器もオシャレですよね。写真で見ると一目瞭然、わかりやすかったです。
S字甕の混和材ですが、どの土地で出土されたものにも伊勢の砂が使われていた、ということですか?纏向も?
人口が増加するということは食料生産力が上がったのかも知れませんね。混和材はすべて伊勢のものという研究結果を聞いたことがありますが、纒向のものは調べていないかも。そのあたりは知らないです。ただ、纒向で作られたものはそうでなくても、纒向に持ち込まれたものは東海のものと同じになるはず。
そうですか、纏向に行って現物を見たいものです、S字甕、渋くて私の好みです。
師匠の研究続きますね。埋蔵文化財センターで学芸員さんいたら話聞きますが、サッパリわかりません。
口が広いと注ぐ時便利ですよね。(笑)
ちょっとずつ土器を研究しています。細かい違いについては私もさっぱりです。土器の用途。注いだり、蓄えたり、煮炊きに漬かったり。そういうことを考えると、当時の世界がいろいろ頭に浮かびあがります。
何か顔が色々混み合っていますが、作品もダイザーUではなくマジンガーが乗っ取ってますね。
東海地方の土器、伊勢の砂が使われてる特徴に何か意味や理由があったのか興味深いですね。
マジンガーのようなグレンダイザーのような混ぜてみました。伊勢の砂。気になります。ガラス質的な砂を入れて、しっかり焼きあがるように砂を入れているはずなのですが、どうして、伊勢でないとダメなのか。全く不思議です。東国にとって伊勢は聖地なのかな。
伊勢はやはり何らかの聖地として見られていたかも?工人や職人集団がいた、または砂その物のブランド性とか。
多気周辺は丹の産地でもあり、縄文後期から東国との交流は深かったのも関係あるのかな。
@@トミヤマサキオ 確かにブランド性があるようにしか見えない状況です。丹も絡んできっと重要な場所だったのかも知れません。西から見れば、伊勢は東への出発点です。
土器を見る時、祭祀用ならば象徴的な意味を考えるのですが、実用となるとどういう意味でこの形になったのかと多少ながら轆轤に親しんだ人間としては考えてしまいます。口縁が立ち上がった物は布地の様なものを被せて首のところでひもで縛って蓋をするのだろうかトカ。土中から出てくる土器は、祭祀用と実用のどちらの用途なのかを分けて考えるようにしています。
布をかぶせる。なるほどです。他の方の意見で木蓋というのもありました。中の液体の蒸発を防ぐなら、確かに蓋はあって然るべきの気がします。今回は混在させてしまってますが、確かに、祭祀用と実用とでその広がり方や形態のあり方も違うような気がします。いろいろ深く感がさせられます。退化に同じ吉備でも吉備甕と特殊壺は全然違います。
さっそく朝日遺跡(バーチャル)へ行って土器を見た。これが ”東海の土器” と言うにはいろんな土器があった。横っ腹に丸孔の付いた土器。物の取り出しには便利か。赤彩の合子の蓋にぼかしが入れてあるのが気になる。現地に行って確認してみるかな(近所)。
近くなら見る価値あるはず。本物を見ると、また、実感が変わってくるかも。
西陣式土器とか、他の北部九州の土器が無いのには意図を感じます。西部瀬戸内海&北部東九州方面(そんな地区あるんかい。)特集をするのでしょうか。
北部東九州方面。ここは特集する予定です。敢えて深掘りを避けました。筑紫側については特徴を説明するが難しくて割愛しました。弥生中期なら、前回の九州旅行動画で登場した丹塗磨研土器や、袋状口縁壺とかがあります。また、西新式についても興味はあるのですが、庄内でもあり、弥生でもあるという微妙な時期の土器なので、腰を据えて取り掛からねばと思っています。
三つの心で 呼ぶのなら 正義と 愛と 友情と
マジンガーZは大映の大魔神のオマージュだと思いますが、大魔神は巨大埴輪。
武田さんはそういう意味でマジンガーZに惹かれているのでしょうか?
なるほどです。本能的にそういうところに惹かれているのかも知れません。確かに「魔人」の響きは好きです。
お待ちしておりました‼︎ズサ━━━━⊂(><。⊂⌒`つ≡≡≡━━━━!!
ありがとうございます。(^^)
こういうの待ってた
庄内式とか言われてもわからん
ありがとうございます。自分自身の勉強のためにも、おさらいしてみました。(^^)
時々、楽しく拝見しています。長野県の長野盆地に弥生時代の後期に赤い土器の時代があったようで、「信濃の赤い土器」と言われて、国立博物館の展示が行われたり、その赤い土器の写真が、ネット上にあります。私はその付近に住んでいる者ですが、土器は見てないのですが、この動画と関連させると、どういう位置づけの土器なのか知りたいと思いました。ハルキーさんの感想などをお聞きしたいです。
今、ネットで見ました。私も詳しくはないのですが、信濃の赤い土器。東海のパレススタイル土器に近い印象を受けました。説明のところでも東海の文字があったので、たぶん、合っているはず。こんな美しい土器が他にもあったなんて感動です。ありがとうございます。土器を見るのを目的に長野にもいつか行きたいです。
さっそく、ありがとうございます。いつかぜひ長野にも来てみてください。いつかその動画が出来るのを楽しみにしております。私はあまり考古学などこういった分野に詳しくなく、どこで見られるのか分かりませんが千曲市の県立歴史館などで聞いたら色々と情報が分かると思います。
@@上田市東山の紹介 情報ありがとうございます。30年近く前、森将軍塚古墳に行ったことがあります。その時から博物館もだいぶ新しくなっているはず。是非とも再訪したいです。そうそう、その頃、友人と真田めぐりもしました。旅行記を見ると、上田あたりでは、真田太平記館、上田市立博物館、戸石城跡、信綱寺、日向畑遺跡、松尾城跡、長谷寺、真田本城跡、真田歴史資料館を巡ってました。
こんにちは!土器回何回も観返し勉強させていただきました😚土器・埴輪・古越磁など、ハルキー先生=焼き物マニアイメージも相当強いですよねw余談ですが、壱岐に「魏志倭人伝 一支国」という原の辻遺跡をイメージした弥生土器型地酒がありましたので、現地はなかなか行けないためネットで注文して中身を入れ替えながら愛用しています。現代物と分かっていてもやはり土器は魅力的ですよね😚
ありがとうございます。昔は神話や伝説ばかり追っていたのですが、年をとるごとに焼き物が好きになってきました。博物館で須恵器見て、「いい仕事している」とか、呟いています。(^^)
@@takedaharuki古代史版・中島誠之助ですねw私事で失礼しますが、来年1/26の高知県で開催のお笑いLIVEチケット当たりましたんで、まだ未踏の四国初上陸ですwその際に史跡も見学したいと思ってますが、高知城や岡豊城跡など戦国辺りのイメージが強く、弥生遺跡や古墳は阿波・伊予の影に埋もれてるので、穴場がないか調べてます(¯―¯٥)笑
こういうの待ってた
庄内式とか言われてもわからん