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沢山の家紋素晴らしいですね。いろんな意味が有ると思います。貴重な動画配信有難う御座居ます。感謝🎉
こう見ますと、家紋は芸術的な美しさがあって見飽きませんね。😌
家紋を見ているだけで色んなのがあって面白いし、由来や説明が有ると勉強になるね。家は佐藤家だけど、潰し木瓜と元呉服屋さんに言われた事があります。
左三階松家紋家 梅鉢片喰家紋家です。祖母は苗字を変えていないので 正確には左三階松家紋家の 豪族です。豪族のお武家さんです。祖父母は笑顔が素敵です。母はいいところを頂いて賢く日本画家です。繊細なタッチの絵画でインターナショナルです。私は勉強が好きで今は編みものも好きです。祖母が手芸の先生です。左三階松さんのご先祖様達は学校の先生ばかりで皆さん頭がいいとききました。けれど其れをはなにかけない明るくいい人達です。祖父は教師をする予定だったのですが出張が多いので一流のパン職人になりました。わんちゃん猫ちゃんにも大変優しい優しい人達です。😊私は天照皇大神様や月よみ様や須佐さんや貧乏神様以外の神様が好きです。😊そして私は今とくに伊勢大神楽さんが伊勢内宮で舞われる舞が凄く好きです。中でも神来舞が大好きです。😊✨✨✨🌸✨✨✨
一つ一つが美しいですね。ご先祖様のデザイン力に感嘆するのみです。
偶然のお導きありがとうございます 面白かった!
動画に出会え感謝申し上げます。
私の先祖は地方の豪族とかで、残念ながらご説明いただいた中には見当たりませんでしたが、家紋文化が日本独特のものと分かって良かったです。
両親から聞いていた通り武家でした。実は信じていなかったw大切な文化ですね。
ルイヴィトンの模様はこの日本の家紋をモデルにしたのはかなり有名ですな、ちなみに我が家の家紋は丸に梅鉢です。
菅原道真の家と同じですね
我が家の家紋は葵の御紋です。先祖が日光の方に住んでいたと聞いています。かなり珍しいのですね。😮
地方の武家分家筋で丸に三柏が家紋ですが、半家の家紋でもあると初めて知りました。本家が武家に多い釘抜紋なので、うちは公家関係ないとは思うのですが、夢で妄想が膨らみました。
全く同じ感想を持ちました。当家も丸に三つ柏紋で、関東某所の地名にもなっている、武家の血筋です。遠い親戚かもしれませんね。まあ柏紋は使用している家も多いですから、偶然の可能性もありますけど(苦笑)。半家との繋がりもある紋とは知らなかったので、新たな知見を得られてちょっと嬉しかったです。
@@user-yellowwolf 丸に三柏紋で武家の方ですか。親戚かもしれませんね(笑)コメントありがとうございます。
我が家の家紋は、井桁に左三階松です。岡山県の美作市に有った三星城の家老だったそうです。
家は加藤で家紋は下がり藤だけど本当に藤原氏の子孫なのかな?まぁ、あれだけ数多くいたらその中からかなり分家を繰り返せば、そのうちの一派かもしれないけど…ちなみに加藤姓で下がり藤を使ってるのは加藤嘉明という武士だけで、かの豊臣秀吉に重宝された猛将、七人の槍名人の一人でした。今の加藤さんは皆、一人のある武士から全国に広がったと名字研究家が言っていました。彼の名は加藤景廉という人で、彼を遡ると藤原利仁がいて、中臣鎌足にたどり着きます。家紋で遡るとこうなりますが、もしこれが本当なら凄いですよね。ちなみに下がり藤紋を唯一使用していた加藤嘉明もこの加藤景廉の子孫で、中臣鎌足、藤原利仁の子孫でもあるんですよ。もし家紋にまつわる事が事実だとして自分が1000年前、800年前のこの人たちと繫がっていて、遠いご先祖様だったらとしたら、果てしなく長い悠久の歴史のロマンにワクワクしながら酔いしれます。
現代の家紋はアイコンなのかなと思うと面白い🤣家紋作ったら動物や記号が人気になりそう😸🩷
3〜4世代目くらいの道民ですが、珍しく出身地と共に先祖が何だったか遺品と一緒に伝わってはいて、先祖は父方が武士だったときいています。家紋は抱き茗荷ですが、名字からいったら藤系のほうがしっくりくるはずなので、実は分家?とかなのかなあと予想しています。明治時代の先祖が自分の事業を拡大するためとはいえ、北海道に来れたってことは多分そうだろうなと。本家とか分家っていう概念自体、北海道では無いに等しいから、実際にどうなのかはちょっとややこしい家系なのでよくわからない。
屯田兵で来てたなら、士族と明記された文書に出会えたりしますね
家紋で先祖はわからんよ明治に町人、百姓等は自分の領主の家紋を使った家が殆どだから家系図が無い家などは先祖の身分は確認出来無いから
我が家の家紋は三つ葉葵13本芯です。レアだったのですね
私の家の家紋はだきみょうがでした家紋でいろんなルーツ調べは楽しいです😌💓ありがとうございます🙇
ご一緒です☺️
嬉しい😌🌸💕思います✨😌✨ありがとう存じます🙇
丸に違い茗荷です。遠からず近からず、というところでしょうかね?失礼しました。
実家も、抱き茗荷です。コメントにも出てきてうれしいです。茗荷紋 8:58〜
私の家も抱き茗荷です。家には竹林が有ったので、子供の頃は「タケノコ」だと思っていました。
武家は血筋の正統性を表す為に古くからある公家の家紋を取り入れる事が多かったし、主君から賜った物もある。それに殆どの平民は自分達で明治辺りにつけたので家紋で氏素性が解る事は滅多に無い。ちなみに本多の立葵を気に入った家康が真似て三葉葵を作った説がありますからあちらが最初ですね
嫁ぎ先の家紋はわからないけど、実家の家紋は九曜星で、平将門公や浅間神社と同じ家紋です。母方の実家の家紋は鷹の羽で武士でした。
丸に三つ柏の家紋で田中です、公家の半家と関係あるのでしょうか?そうだと嬉しいです‼︎
下がり藤です。苗字もやはりさもありなんと思う苗字です。お墓にもドーンと彫られていますね。親に聞いていた通りの由来でした。ありがとうございました。
本家から分家して、さらに分家になってる時の家紋は?戦火で家系図無しです。本家の墓は有り。本家と縁が切れてるからやはり分家?今の家紋だと2つ有ります。1つ目は男家紋の丸無し太めで四つ目菱、2つ目は丸無し女家紋の細めで四つ目菱。今の家紋は2つ目の方です。(本家の家紋は、吉川家、吉川元春の家紋と同じ)
出雲族では?図案に隠された暗号X~出雲族の幸の神信仰を表し、ご先祖さまは子孫繁栄(Xマーク。神社の千木も同じ意味)を強く願われたようです?
本家じゃ無ければ、ただの人だよ。それだけ。
うちの家紋は左三つ巴紋だけど名前は名家にあるんですけど何故なのかなぁ?左三つ巴紋は新選組の土方歳三さんも左三つ巴紋ですよね!
父方の家紋は丸に日の丸扇です。高知県なので同じ扇系の家紋を使う土佐佐竹氏と関係があるかもしれませんね。我が家の本貫地も土佐佐竹氏の拠点のすぐ近くにあるので。
三つ葉葵の家紋です。半家の五条家がもとで、鎌倉時代の天皇からとある神社の名を姓として賜り、東北へ派遣されるような形で住み着いたと聞いています。姓や家紋のルーツを調べる方法はあるのでしょうか?
丸の中に家紋が入ってるのと入ってないのがあるのはどう違うのですか?
我が家の家紋、本で調べても出てきません数少ないせいか、詳しく調べる方法あるのでしょうか?
いつもありがとうございます🌼質問お願いします🥺家紋は一つではない(例:真田家は「結び雁金」と戦に出る時の「六文銭」がある)様ですが他所でも一つきりではない家も多いのでしょうか?六文銭は「三途の川」由来で何処ぞのお坊さんが作ってくれたそうですが作って増やす事も珍しくないのでしょうか?家紋、花押を作ってくれる所があってちょっと驚いたのです。どちらもはるか昔から代々伝わって来たもの、と思ってました。次回動画も楽しみにしていますね😊🍀
信長が菊花紋使ってましたし、長宗我部は船紋と葉っぱ紋がありますね。うちはうちの本家は武家だったみたいですが他所でみたことない紋です、菊花紋見たく真ん中に小さい丸に五枚葉っぱ紋。探しても無いんですよなコレ。菊花紋の変種みたいな家紋、まぁ本家とうちは家紋違うんですが
表紋、裏紋などがあるんじゃないかなと思います。女性は、嫁ぎ先と実家の2つを使い分けますね。あと、男性であっても、武家のように負けて皆殺しになりそうになると、こっそり男性を隠して、お嫁さんの姓を名乗らせ、お嫁さんの家紋などを使ったようです。死んだら、もともこもないですもんね。
自分の家紋が三つ葉葵を使用した家紋でびっくりしためちゃめちゃレアだったのか
丸に違い鷹の羽武家です
母方の家紋が、あげは蝶でした。父方が鷹の羽違い。何だかご先祖様の職業に関係していたのかと感慨深くなりました。
アゲハ蝶だと、平家じゃないですか。姫君だったかもですよ。
うちの家紋は丸に並び矢 梶原景時が居る立派な源氏の一族つまりコメ主とは時代が違えば敵だったのか
@@ディヴィジョーンズ揚げ足の様になるかもですが,梶原景時は源氏に味方していましたが, 桓武平氏良文流の一族なので平氏だと思います…。
家の家紋桐です。名字は鎌田です。士族とは聞いていましたが、なかなか面白いです
北海道出の先輩も同じく鎌田で 家紋も同じです頼まれて調べたら、徳島藩淡路島藩家老衆一族士族でした明治騒動後 北海道開拓へ藩毎赴いた士族でした。あの有名なお登勢かな?
追記、淡路島や兵庫にもあるようですね。昔々秀吉様からの褒美らしいですね。
家紋の由来成り立ちを知ると御先祖様が身近に感じられますもっと詳しく知りたくなりました
如何な事でしょう
もっと たくさんの家紋を知りたいです。
丸に五三桐、母方が丸に揚羽蝶因みに最初に桐紋を下賜したのは足利尊氏が同門に行ったのが最初とされている。
先祖代々繋がってるのは稀で、多くは明治期以降、本名を付けるのと同時によろしかろうと思われる家紋を付けてみた程度のものでしょう。皇族、公家、高家はあまり変わらないが、戦国時代を経た武家の家紋は、時によりまるで違った家紋を使っています。
私の実家の家紋は、まるなしの左ふたつ巴で秋葉と申します。祖母から藤原成田氏流と、聞きております。同じ町内でも、まるなし右ふたつ巴の秋葉家も、あります。其方は、平家三浦家流だそうです。母方も、みんな藤原系だそうです。
江戸時代の日本の江戸などの都市では寺子屋が多く普及して庶民を含めて5割程度の識字率が有りました。 田舎は識字率が1~2割だったので家紋で家を表すのは分かりますが、都市では文字で家の識別が出来ました。家紋は同族意識やステータスの意味が大きかったと思います。ところで、現在、一番多い家紋は何でしょう。庶民でも家紋を持つことが出来たので、それ一番多い家紋が一番人気が有って、多くの子孫が居ると云う事です。
葵の御紋は、三河地方の寺で結構使われている。
それは寺紋ですよ
知り合いのお坊さんの家の家紋があれ?黄門様と一緒ですか?って聞いたらちょっとだけ違うんだよって教えてもらったことあるなぁ
自分の家の家紋「三つ星に一文字」なんだけど…(一文字が上にあるほう)これはどれに当たるんでしょうか
三つ葉葵(旧姓、松平)です。
ウチは近衛牡丹です。本流を辿れば1400年前から続いてるんだなと思うと不思議な気がします。
農家で明治以後に姓を持った家には元々ないし後付けになるから分からないよね
苗字も上に田んぼか゚あるとか、中程にある村だとかって決めたそうですから。判りませんね。
武士を捨て農民になった人は家紋を持っている。
我が家紋は『木瓜に桔梗』、、剣道の胴に家紋を入れる際、本家に聞いたところ信長の直系だと伺いました。私自信確かめてはいませんが家系図が残されているとのこと。しかし花の部分が明智光秀の桔梗というのが💦
藤と桐って似てますか?丸いのに桐っぽいのだったかな~?何か葉っぱっぽいのが下にワサッってなった気がする。鈴蘭?アレは何だ?小さな花みたいのも付いてました。沢山あるからコレ!って分かんないですよね。確か先祖はお侍さんだったらしいってのは聞いたことはあります。
藤と桐は似ていますけど、藤の花は下に下がって、桐の花は上を向いています。
父の家紋は重ね鷹の羽で浅野内匠頭と一緒と聞いてます。母方は丸に四つ菱で将軍家で大学職を賜っていてお城の様な家だったと聞いてます。仕事の内容は将軍家の跡取りなどに勉強を教えるお仕事です。今、調べても大学職の説明が見つからないのが皆さんご存知無いのですね。
分析の根拠はともかく、現在自分が住んでいる地域からして、先祖が武家の可能性が非常に高いということがわかり、大変誇らしく感じることができました。しかも今現在に残る、国宝の城を建てた人物です。誠、面白く興味深い記事を配信できる素晴らしいRUclipsRさんです!
左三階松です。この形は、北斗七星から、来ている、水軍で、渡来人とあり、 丁重に代々権力者に、迎えられ受継れた存在だったと、ここまで解りましたが真意は何処迄か?です。
天皇の末息子や負けた戦国武将が敵の領地で農民になってたり商人になったりしてるから解らなくても血が繋がってる可能性はある。うちは家系図もあって家としては飛鳥時代までは解る。婿養子とかもあるから家としては藤原系だけど血は源氏
水を差す様だけど、家系図に信憑性は余り無いです。現在も蔵持ちで代々の美術品並みの家宝がある様なお宅は別として、武家が特にやった事ですが家柄に箔をつける為に家系図を偽造しまくりました。大体飛鳥時代に家系図なんて天皇家みたいな特別な家でしか記録は無いんで。正直、鎌倉時代以降の家系図は見栄の張り合いの道具ですよ。
私奴の本家の家紋は、「竹に雀」ですが分家なので、「丸に梅鉢」を使っています。 半家ではないようですね。ウチ等は農民でしたから・・・。
周囲に囲みが無いのが本家の家紋。五桟の桐などの桐紋は、藤原宗家。中輪で囲われれば、分家の家紋。藤姓足利氏は中輪に桐紋じゃなかったっけ?
とても綺麗ですねちなみにウチの家紋はサムネ右上の「丸に笹竜胆」です
ウチの家紋は丸桔梗紋
我が家の家紋は、「丸に九枚笹」だが・・・笹の家紋は、どこから来ているんだろう?
実家は改宗して、今は仏教徒では有りませが、父が、葵祭の紋と同じと話していました。4葉だったか?3葉だったか?不明ですが、武士で有ったようです。どちらにしても、ご先祖様を誇りに思っています。ありがとうございます。😊
家紋は母方の、丸に武田菱を継承した形で武田菱に母が死去した時にしました
家紋が全く同じ人同士は遠い先祖での繋がりなどあったのでしょうか?😳
スズメかわいいな。アゲハ蝶もいいなぁ。うちは三つ葉の笹竜胆です。
デザインが好き
家の家紋は、丸に州浜。武家で神官の家系です❤
うちは父方が丸に根笹母方が笹竜胆でした祖先は誰なんだろう🙄気になりますね
イスラエルのような家紋は紹介されなかったけど、五芒星を家紋に持つ家系はなんなんでしょうね?先祖のルーツを知る上で紹介されなかったので、新しいのかな?
実家の家紋は菱に橘嫁ぎ先は丸に橘菱と丸は意味あるのかな?
黒田紋は官兵衛が有岡城の座敷牢で見た藤に由来します
我が家は、家紋は、菊水だと両親から聞いてました又先祖は楠本正成と言ってました。天皇家が入っていると大切にしなさい‼️と教わりました。貴重な動画ありがとうございました。ほとんど無いと聞いてました。
菊水です✌️😄
我が家は桐紋らしいです。苗字は紀氏の家系と聞いてますが祖母も祖父もボケてしまいよくわからなくなりました
身元ばれしそうですが、ここで紹介された、家紋です当然家系図なども引き継がれてます。今更ですが、以外と特殊なしきたりもあり、一番困るのが家紋の袴等作るのが大変な事もありますよ
織田信長や沖田総司と同じ家紋って凄くロマンがある…
家紋が葵の門です!徳川家と関係があるのでしょうか?
蔦の家紋、つるの家紋のは、先祖が、なになのかを知りたい😮
うちは、◯に四つ葉の剣方喰なんか幸運そうで好き
家の家紋は、鹿の角(5本)
父方が丸に立ち沢瀉、母方が橘ですね。
丸に左三つ巴ですが調べたら、清和源氏の紋らしいので、世を欺く為に付けた家紋ではないかと思われます。昔々は石川と名乗ってたと聞きましたので。
両親の家紋が下り藤、上り藤、◯に十文字の家紋が有った!両家とも武家なんだけど🧐
家の家紋は「丸に抱き茗荷」なんですが家系図とかないのでご先祖様をたどることができません。祖母からは武家の出だと聞かされてるけど家紋でどれだけ遡れるのか知りたいです。
大分の人から聞いた話 その人の家紋は五三の桐で 格好いい❗と言ったら 下の下の家紋だよ!答えた 家康公が豊臣家を滅ぼした後 最下層の家紋として誰でも使って良い❗としたと言ってた ちなみに大分藩の初代藩主は家康の孫❗❗
斯波源氏からの分家の守護職の家からの一族の直系の武家です。
丸に蔦らしいです。由来もスゴいかもしりませんが😅
私の実家は織田家とは名前違うけど正に織田瓜を使用していて祖父の自慢でした。同じ苗字は織田家の家臣で見ないけどどうして貰えたのかな?と思ったことも有ったのですが、織田家は忠義を尽くした一般人にも褒美として家紋を授けていた事も割と有るらしいので、家臣説よりそちらの方が有力かもしれません。でももし信長様の家臣出身で有れば誉れ高いと思ってます。ちな関東出身です。
小田?
両親、親類と先祖は辿れるけど、同じ家紋で有名どころは、信玄と光秀。…数百年経って一緒になった(笑)
桓武平氏の西洞院家から別れて丸に揚羽蝶です。
同じ名字(苗字)でも家紋が違う事が多いし、同じ家紋だからって同じ名字(苗字)とは限らない果たしてどれくらいの割合でこれらが当てはまる人が居るんだろう?
オープニングからバーンとあらわれた 丸に井桁 が私の家紋です。
これが幾何学模様なのだから不思議世界で最も洗練されたデザインというのもうなずける
私の家紋が、変わっていて、どんな意味か、解りません。
私の家は、鎌倉の御紋です。
私の 梅ばち 菅原家
橘だったかな。バーさんによれば 柳川の武士
家の家紋は、丸に十の字で九州では結構有名なんだけど…ここでは出てこなかった 寂しい
島津さん?
昔は名字を公に名乗ることが許されなかったのであり、持っていなかったわけではありません。庶民でも 非公式に名字は持っていました。
我が家の家紋は「丸に片喰」ですが、先祖は長野の上田のほうから流れて来て新潟県は柏崎のほうに落ち延びたらしいところまでは自分で調べを付けました。何しろその頃は戦国時代だったので、武田信玄辺りに目を付けられ急襲されては落ち延びるしかなかったと思われます。当時はそうやって落ち延びるのは仕方ない事だったのだと思われます。我が家の先祖もその一つだったと思います。
母が和服の虫干しをしている時に、教えて貰いました。冠婚葬祭の時に目にします。父方、母方の両方とも最初の部分に出て来ました。時代劇を見ている時に、家の家紋が出て来るのを見る事があります。興味深いですよね。
今の段階で自分の家紋が全くわからないです。調べる方法も分かりません、調べる方法はあるのでしょうか?
江戸時代になったら一般人も変えて良くなったから家系図がないと結果分からない
うちには3つある。下り藤、丸に釘抜き、立葵
沢山の家紋素晴らしいですね。いろんな意味が有ると思います。貴重な動画配信有難う御座居ます。感謝🎉
こう見ますと、家紋は芸術的な美しさがあって見飽きませんね。😌
家紋を見ているだけで色んなのがあって面白いし、由来や説明が有ると勉強になるね。家は佐藤家だけど、潰し木瓜と元呉服屋さんに言われた事があります。
左三階松家紋家
梅鉢片喰家紋家です。
祖母は苗字を変えていないので 正確には左三階松家紋家の 豪族です。
豪族のお武家さんです。
祖父母は笑顔が素敵です。母はいいところを頂いて賢く日本画家です。繊細なタッチの絵画でインターナショナルです。
私は勉強が好きで今は編みものも好きです。祖母が手芸の先生です。左三階松さんのご先祖様達は学校の先生ばかりで皆さん頭がいいとききました。けれど其れをはなにかけない明るくいい人達です。祖父は教師をする予定だったのですが出張が多いので一流のパン職人になりました。わんちゃん猫ちゃんにも大変優しい優しい人達です。😊私は天照皇大神様や月よみ様や須佐さんや貧乏神様以外の神様が好きです。😊
そして私は今とくに伊勢大神楽さんが伊勢内宮で舞われる舞が凄く好きです。中でも神来舞が大好きです。😊✨✨✨🌸✨✨✨
一つ一つが美しいですね。ご先祖様のデザイン力に感嘆するのみです。
偶然のお導きありがとうございます 面白かった!
動画に出会え感謝申し上げます。
私の先祖は地方の豪族とかで、残念ながらご説明いただいた中には見当たりませんでしたが、家紋文化が日本独特のものと分かって良かったです。
両親から聞いていた通り武家でした。実は信じていなかったw大切な文化ですね。
ルイヴィトンの模様はこの日本の家紋をモデルにしたのはかなり有名ですな、ちなみに我が家の家紋は丸に梅鉢です。
菅原道真の家と同じですね
我が家の家紋は葵の御紋です。先祖が日光の方に住んでいたと聞いています。かなり珍しいのですね。😮
地方の武家分家筋で丸に三柏が家紋ですが、半家の家紋でもあると初めて知りました。本家が武家に多い釘抜紋なので、うちは公家関係ないとは思うのですが、夢で妄想が膨らみました。
全く同じ感想を持ちました。
当家も丸に三つ柏紋で、関東某所の地名にもなっている、武家の血筋です。遠い親戚かもしれませんね。まあ柏紋は使用している家も多いですから、偶然の可能性もありますけど(苦笑)。
半家との繋がりもある紋とは知らなかったので、新たな知見を得られてちょっと嬉しかったです。
@@user-yellowwolf 丸に三柏紋で武家の方ですか。親戚かもしれませんね(笑)コメントありがとうございます。
我が家の家紋は、井桁に左三階松です。岡山県の美作市に有った三星城の家老だったそうです。
家は加藤で家紋は下がり藤だけど本当に藤原氏の子孫なのかな?
まぁ、あれだけ数多くいたらその中からかなり分家を繰り返せば、そのうちの一派かもしれないけど…
ちなみに加藤姓で下がり藤を使ってるのは加藤嘉明という武士だけで、かの豊臣秀吉に重宝された猛将、七人の槍名人の一人でした。
今の加藤さんは皆、一人のある武士から全国に広がったと名字研究家が言っていました。
彼の名は加藤景廉という人で、彼を遡ると藤原利仁がいて、中臣鎌足にたどり着きます。
家紋で遡るとこうなりますが、もしこれが本当なら凄いですよね。
ちなみに下がり藤紋を唯一使用していた加藤嘉明もこの加藤景廉の子孫で、中臣鎌足、藤原利仁の子孫でもあるんですよ。
もし家紋にまつわる事が事実だとして自分が1000年前、800年前のこの人たちと繫がっていて、遠いご先祖様だったらとしたら、果てしなく長い悠久の歴史のロマンにワクワクしながら酔いしれます。
現代の家紋はアイコンなのかなと思うと面白い🤣
家紋作ったら動物や記号が人気になりそう😸🩷
3〜4世代目くらいの道民ですが、珍しく出身地と共に先祖が何だったか遺品と一緒に伝わってはいて、先祖は父方が武士だったときいています。家紋は抱き茗荷ですが、名字からいったら藤系のほうがしっくりくるはずなので、実は分家?とかなのかなあと予想しています。
明治時代の先祖が自分の事業を拡大するためとはいえ、北海道に来れたってことは多分そうだろうなと。
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屯田兵で来てたなら、士族と明記された文書に出会えたりしますね
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明治に町人、百姓等は自分の領主の家紋を使った家が殆どだから家系図が無い家などは先祖の身分は確認出来無いから
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丸に違い茗荷です。遠からず近からず、というところでしょうかね?失礼しました。
実家も、抱き茗荷です。
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茗荷紋 8:58〜
私の家も抱き茗荷です。
家には竹林が有ったので、子供の頃は「タケノコ」だと思っていました。
武家は血筋の正統性を表す為に古くからある公家の家紋を取り入れる事が多かったし、主君から賜った物もある。それに殆どの平民は自分達で明治辺りにつけたので家紋で氏素性が解る事は滅多に無い。ちなみに本多の立葵を気に入った家康が真似て三葉葵を作った説がありますからあちらが最初ですね
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丸に三つ柏の家紋で田中です、公家の半家と関係あるのでしょうか?そうだと嬉しいです‼︎
下がり藤です。
苗字もやはりさもありなんと思う苗字です。
お墓にもドーンと彫られていますね。
親に聞いていた通りの由来でした。
ありがとうございました。
本家から分家して、さらに分家になってる時の家紋は?戦火で家系図無しです。本家の墓は有り。本家と縁が切れてるからやはり分家?今の家紋だと2つ有ります。1つ目は男家紋の丸無し太めで四つ目菱、2つ目は丸無し女家紋の細めで四つ目菱。今の家紋は2つ目の方です。(本家の家紋は、吉川家、吉川元春の家紋と同じ)
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X~
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丸の中に家紋が入ってるのと入ってないのがあるのはどう違うのですか?
我が家の家紋、本で調べても出てきません数少ないせいか、詳しく調べる方法あるのでしょうか?
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家紋は一つではない(例:真田家は「結び雁金」と戦に出る時の「六文銭」
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家紋、花押を作ってくれる所があってちょっと驚いたのです。どちらも
はるか昔から代々伝わって来たもの、と思ってました。
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信長が菊花紋使ってましたし、長宗我部は船紋と葉っぱ紋がありますね。うちはうちの本家は武家だったみたいですが他所でみたことない紋です、菊花紋見たく真ん中に小さい丸に五枚葉っぱ紋。探しても無いんですよなコレ。菊花紋の変種みたいな家紋、まぁ本家とうちは家紋違うんですが
表紋、裏紋などがあるんじゃないかなと思います。女性は、嫁ぎ先と実家の2つを使い分けますね。
あと、男性であっても、武家のように負けて皆殺しになりそうになると、こっそり男性を隠して、お嫁さんの姓を名乗らせ、お嫁さんの家紋などを使ったようです。死んだら、もともこもないですもんね。
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武家です
母方の家紋が、あげは蝶でした。父方が鷹の羽違い。何だかご先祖様の職業に関係していたのかと感慨深くなりました。
アゲハ蝶だと、平家じゃないですか。姫君だったかもですよ。
うちの家紋は丸に並び矢 梶原景時が居る立派な源氏の一族つまりコメ主とは時代が違えば敵だったのか
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家の家紋桐です。名字は鎌田です。士族とは聞いていましたが、なかなか面白いです
北海道出の先輩も同じく鎌田で 家紋も同じです
頼まれて
調べたら、徳島藩淡路島藩家老衆一族士族でした
明治騒動後
北海道開拓へ藩毎赴いた士族でした。
あの有名なお登勢かな?
追記、淡路島や兵庫にもあるようですね。昔々
秀吉様からの褒美らしいですね。
家紋の由来成り立ちを知ると御先祖様が身近に感じられます
もっと詳しく知りたくなりました
如何な事でしょう
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丸に五三桐、母方が丸に揚羽蝶
因みに最初に桐紋を下賜したのは足利尊氏が同門に行ったのが最初とされている。
先祖代々繋がってるのは稀で、多くは明治期以降、本名を付けるのと同時に
よろしかろうと思われる家紋を付けてみた程度のものでしょう。
皇族、公家、高家はあまり変わらないが、戦国時代を経た武家の家紋は、時により
まるで違った家紋を使っています。
私の実家の家紋は、まるなしの左ふたつ巴で秋葉と申します。祖母から藤原成田氏流と、聞きております。同じ町内でも、まるなし右ふたつ巴の秋葉家も、あります。其方は、平家三浦家流だそうです。母方も、みんな藤原系だそうです。
江戸時代の日本の江戸などの都市では寺子屋が多く普及して庶民を含めて5割程度の識字率が有りました。 田舎は識字率が1~2割だったので家紋で家を表すのは分かりますが、都市では文字で家の識別が出来ました。
家紋は同族意識やステータスの意味が大きかったと思います。
ところで、現在、一番多い家紋は何でしょう。
庶民でも家紋を持つことが出来たので、それ一番多い家紋が一番人気が有って、多くの子孫が居ると云う事です。
葵の御紋は、三河地方の寺で結構使われている。
それは寺紋ですよ
知り合いのお坊さんの家の家紋が
あれ?黄門様と一緒ですか?って聞いたらちょっとだけ違うんだよって教えてもらったことあるなぁ
自分の家の家紋「三つ星に一文字」なんだけど…(一文字が上にあるほう)
これはどれに当たるんでしょうか
三つ葉葵(旧姓、松平)です。
ウチは近衛牡丹です。本流を辿れば1400年前から続いてるんだなと思うと不思議な気がします。
農家で明治以後に姓を持った家には元々ないし後付けになるから分からないよね
苗字も上に田んぼか゚あるとか、中程にある村だとかって決めたそうですから。判りませんね。
武士を捨て農民になった人は家紋を持っている。
我が家紋は『木瓜に桔梗』、、
剣道の胴に家紋を入れる際、本家に聞いたところ信長の直系だと伺いました。私自信確かめてはいませんが家系図が残されているとのこと。しかし花の部分が明智光秀の桔梗というのが💦
藤と桐って似てますか?丸いのに桐っぽいのだったかな~?何か葉っぱっぽいのが下にワサッってなった気がする。
鈴蘭?アレは何だ?小さな花みたいのも付いてました。沢山あるからコレ!って分かんないですよね。
確か先祖はお侍さんだったらしいってのは聞いたことはあります。
藤と桐は似ていますけど、藤の花は下に下がって、桐の花は上を向いています。
父の家紋は重ね鷹の羽で浅野内匠頭と一緒と聞いてます。
母方は丸に四つ菱で将軍家で大学職を賜っていてお城の様な家だったと聞いてます。
仕事の内容は将軍家の跡取りなどに勉強を教えるお仕事です。
今、調べても大学職の説明が見つからないのが皆さんご存知無いのですね。
分析の根拠はともかく、現在自分が住んでいる地域からして、
先祖が武家の可能性が非常に高いということがわかり、
大変誇らしく感じることができました。
しかも今現在に残る、国宝の城を建てた人物です。
誠、面白く興味深い記事を配信できる素晴らしい
RUclipsRさんです!
左三階松です。この形は、北斗七星から、来ている、水軍で、渡来人とあり、 丁重に代々権力者に、迎えられ受継れた存在だったと、ここまで解りましたが真意は何処迄か?です。
天皇の末息子や負けた戦国武将が敵の領地で農民になってたり商人になったりしてるから解らなくても血が繋がってる可能性はある。
うちは家系図もあって家としては飛鳥時代までは解る。婿養子とかもあるから家としては藤原系だけど血は源氏
水を差す様だけど、家系図に信憑性は余り無いです。現在も蔵持ちで代々の美術品並みの家宝がある様なお宅は別として、武家が特にやった事ですが家柄に箔をつける為に家系図を偽造しまくりました。大体飛鳥時代に家系図なんて天皇家みたいな特別な家でしか記録は無いんで。正直、鎌倉時代以降の家系図は見栄の張り合いの道具ですよ。
私奴の本家の家紋は、「竹に雀」ですが分家なので、「丸に梅鉢」を使っています。 半家ではないようですね。ウチ等は農民でしたから・・・。
周囲に囲みが無いのが本家の家紋。五桟の桐などの桐紋は、藤原宗家。中輪で囲われれば、分家の家紋。藤姓足利氏は中輪に桐紋じゃなかったっけ?
とても綺麗ですね
ちなみにウチの家紋は
サムネ右上の「丸に笹竜胆」です
ウチの家紋は
丸桔梗紋
我が家の家紋は、「丸に九枚笹」だが・・・
笹の家紋は、どこから来ているんだろう?
実家は改宗して、今は仏教徒では有りませが、父が、葵祭の紋と同じと話していました。4葉だったか?3葉だったか?不明ですが、武士で有ったようです。どちらにしても、ご先祖様を誇りに思っています。ありがとうございます。😊
家紋は母方の、丸に武田菱を継承した形で武田菱に母が死去した時にしました
家紋が全く同じ人同士は遠い先祖での繋がりなどあったのでしょうか?😳
スズメかわいいな。アゲハ蝶もいいなぁ。うちは三つ葉の笹竜胆です。
デザインが好き
家の家紋は、丸に州浜。武家で神官の家系です❤
うちは父方が丸に根笹
母方が笹竜胆でした
祖先は誰なんだろう🙄
気になりますね
イスラエルのような家紋は紹介されなかったけど、五芒星を家紋に持つ家系はなんなんでしょうね?
先祖のルーツを知る上で紹介されなかったので、新しいのかな?
実家の家紋は菱に橘
嫁ぎ先は丸に橘
菱と丸は意味あるのかな?
黒田紋は官兵衛が有岡城の座敷牢で見た藤に由来します
我が家は、家紋は、菊水だと両親から聞いてました又先祖は楠本正成と言ってました。天皇家が入っていると大切にしなさい‼️と教わりました。貴重な動画ありがとうございました。ほとんど無いと聞いてました。
菊水です✌️😄
我が家は桐紋らしいです。
苗字は紀氏の家系と聞いてますが祖母も祖父もボケてしまいよくわからなくなりました
身元ばれしそうですが、ここで紹介された、家紋です
当然家系図なども引き継がれてます。今更ですが、以外と特殊なしきたりもあり、一番困るのが家紋の袴等作るのが大変な事もありますよ
織田信長や沖田総司と同じ家紋って凄くロマンがある…
家紋が葵の門です!徳川家と関係があるのでしょうか?
蔦の家紋、つるの家紋のは、先祖が、なになのかを知りたい😮
うちは、◯に四つ葉の剣方喰
なんか幸運そうで好き
家の家紋は、鹿の角(5本)
父方が丸に立ち沢瀉、母方が橘ですね。
丸に左三つ巴ですが調べたら、清和源氏の紋らしいので、世を欺く為に付けた家紋ではないかと思われます。昔々は石川と名乗ってたと聞きましたので。
両親の家紋が下り藤、上り藤、◯に十文字の家紋が有った!
両家とも武家なんだけど🧐
家の家紋は「丸に抱き茗荷」なんですが家系図とかないのでご先祖様をたどることができません。祖母からは武家の出だと聞かされてるけど家紋でどれだけ遡れるのか知りたいです。
大分の人から聞いた話 その人の家紋は五三の桐で 格好いい❗と言ったら 下の下の家紋だよ!答えた
家康公が豊臣家を滅ぼした後 最下層の家紋として
誰でも使って良い❗としたと言ってた ちなみに大分藩の初代藩主は家康の孫❗❗
斯波源氏からの分家の守護職の家からの一族の直系の武家です。
丸に蔦らしいです。由来もスゴいかもしりませんが😅
私の実家は織田家とは名前違うけど正に織田瓜を使用していて祖父の自慢でした。
同じ苗字は織田家の家臣で見ないけどどうして貰えたのかな?と思ったことも
有ったのですが、織田家は忠義を尽くした一般人にも褒美として家紋を授けていた
事も割と有るらしいので、家臣説よりそちらの方が有力かもしれません。
でももし信長様の家臣出身で有れば誉れ高いと思ってます。
ちな関東出身です。
小田?
両親、親類と先祖は辿れるけど、同じ家紋で有名どころは、信玄と光秀。
…数百年経って一緒になった
(笑)
桓武平氏の西洞院家から別れて丸に揚羽蝶です。
同じ名字(苗字)でも家紋が違う事が多いし、同じ家紋だからって同じ名字(苗字)とは限らない
果たしてどれくらいの割合でこれらが当てはまる人が居るんだろう?
オープニングからバーンとあらわれた 丸に井桁 が私の家紋です。
これが幾何学模様なのだから不思議
世界で最も洗練されたデザインというのもうなずける
私の家紋が、変わっていて、どんな意味か、解りません。
私の家は、鎌倉の御紋です。
私の 梅ばち 菅原家
橘だったかな。バーさんによれば 柳川の武士
家の家紋は、丸に十の字で九州では結構有名なんだけど…ここでは出てこなかった 寂しい
島津さん?
昔は名字を公に名乗ることが許されなかったのであり、持っていなかったわけではありません。庶民でも 非公式に名字は持っていました。
我が家の家紋は「丸に片喰」ですが、先祖は長野の上田のほうから流れて来て新潟県は柏崎のほうに落ち延びたらしいところまでは
自分で調べを付けました。何しろその頃は戦国時代だったので、武田信玄辺りに目を付けられ急襲されては落ち延びるしかなかったと
思われます。当時はそうやって落ち延びるのは仕方ない事だったのだと思われます。
我が家の先祖もその一つだったと思います。
母が和服の虫干しをしている時に、
教えて貰いました。
冠婚葬祭の時に目にします。
父方、母方の両方とも最初の部分に出て来ました。
時代劇を見ている時に、家の家紋が出て来るのを見る事があります。
興味深いですよね。
今の段階で自分の家紋が全くわからないです。調べる方法も分かりません、調べる方法はあるのでしょうか?
江戸時代になったら一般人も変えて良くなったから家系図がないと結果分からない
うちには3つある。下り藤、丸に釘抜き、立葵