日本最初のマイコン組立キットTK-80を動かしてみました。ムーアの法則、著しいコンピュータの進歩を感じてください。
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- Опубликовано: 24 фев 2021
- 日本電気 NECから1976年に発売された 日本最初のマイクロコンピュータ 組立キット TK-80 を動かしてみました。マイコンを使ったパソコン黎明期の商品です。
「TK-80」は、CPUはインテル互換NEC製の8080を搭載したワンボードマイコン トレーニングキットで1976年8月に8万8500円でNECから発売されました。ユーザーは、ハンダゴテを使って、自分で組み立てなければならない物でした。アメリカのAltair8800がデビューした翌年の事です。アルテアが実際に使うには高価なテレタイプ端末やディスプレイ装置をつなぐ必要があったのに対して、TK-80は、電卓のような8桁のLED表示と電卓のような16進キーが付いていました。
スティーブジョプスやビルゲイツがマイクロコンピュータに興味を持って活動しだしたのもこの頃で、パーソナルコンピューター誕生の黎明期に、日本でブームを起こした商品になります。
TK-80の実機が発売されていた子供の頃、雑誌でその写真を見ただけで実機を見ることは叶いませんでした。今こうして操作している様子を映像で見られて幸せです。ありがとうございます。
昭和51年か52年に大阪の近鉄百貨店阿倍野店で開催された「生活と情報化展」という催しで初めてTK-80を見ました。会場にはTK-80がズラリと並べられ、色々なデモを行っていました。覚えているのはTVを接続して遊ぶ潜水艦ゲーム、新幹線の時刻表を表示するデモですね。コンピュータはSFや研究所、大企業にしかなくて、出力は穿孔テープと思っていた私には、コンピュータが個人で買える、ソフトも自分で作れる時代が来たというのは凄いカルチャーショックでした。
学生時代、マイコンの実習でTK-80を使っていました。
ハンドアセンブルはキツかった。
その後、SHARPのポケコンPC-1210でBASICを覚え、FM-7に。。。
懐かしいな。。。
今も捨てきれず大切に持っています。私のマイコンは、Z80でした。価格は39,800円。テープレーコーダーによるロードとセーブは付いていませんでした。トランジスタ技術に載っていた回路を元にさくせいしました。16Bitのレジスタ対を使用して除算プログラムを書いた記憶があります。ROMを消去する時殺菌灯を使用して消去していました。長く光を見すぎて、目が開かなくなり眼科に行きました。ああ懐かしい。
懐かしいですね。ありがとうございます。
1981年当時高校生の自分は、Z-80が乗ったほぼ同機能のボードを手作り、プログラムを作ってました。
最初は紙にアセンブリ言語で書いてからハンドアセンブルして16進数で打ち込んでたけど、慣れると16進数のコードで直接プログラムを書いてました。でも今は無理。
コメントありがとうございます。8080の後はZ80の全盛時代がやってきましたね。自分で回路を組んでプログラムは機械語が勝手に出て来るとは、かなりやりこんでおられたのでは? 私も今回久々に8080のプログラムをアセンブラで作りましたが、若い時にやっていた事は、少しやり始めると意外と思い出して(HLレジスターとか懐かしいですよね)できる事が分かりました。“のんびり行こう”さんもアセンブラやってみられたらどうですか?
今もマシン語、覚えてますわ。懐かしいですね。見た目がスケルトンどころか、部品群の生々しいところも好きです🥰
すごいですね。私もこのころからマイクロコンピューターに馴染み始めたのですが、さすがにTK-80は高くて手が出なく、68に憧れながら8080やZ80の机上ハンドアッセンブルで我慢していました。
いいですねー。
8080の前は8008 その前が4004で4bitでした。2進化10進をキーボード入力というのが画期的でしたね。これが出る前は自作でトグルスイッチを並べて入力したものです。もちろんコンピューターはありましたよプログラマーもいました。
ただしコンピューターは真空管(6SN7メタルGT)フリップフロップの組み合わせ、・・・私はそのころ見習いだったんで、
真空管とハットケースの大きさのある重いハードディスク(その当時もハードディスクはあったんですよ。)をかかえて、銀行の電算室まで届けたものです。
コアメモリー・・・ロッドメモリー・・・いやぁ懐かしいです。
コメント拝見しました。マイクロコンピュータの黎明期と言うよりも、それより以前のお話で驚きました。そんな時に既にハードディスクが銀行などでは使われていたのですか?それも驚きです。私は紙テープに穴を開けてデータを記録していたのを知っていますが、今から思うとよくそんな原始的な方法を使っていたと思います。
当時のハードディスクは装置というより設備です。SPINJITTYANさんが運んでいたのは、本当にディスク=記録用メディア部分だけがケースに入ったものなんです。
さん孔テープは入出力装置との少量データ受け渡し用です。
ちょっとググってみましたら、ハードディスクは当時は洗濯機くらいの大きさのコンピューターの設備ですね。あの大きなハードディスク部分だけ外せたとは意外です。フロッピーディスクではないし、高回転するディスクの精度が良く保てたと思いました。
おつかれさまです。当時 発売価格は168,000円くらいだったと記憶しています。
その金が工面できなくて、アキバの裏の怪しげな店でジャンクの基盤を買い込んで
TTL ICを外し、回路図を書き直しCPUを8080からZ80に変更してハンだ付け
基本の基を勉強しました。その後CP/Mを動かせるようにしBASICでモニター
プリンターのドライバーまで 5~6台作りました。懐かしい映像ありがとうございました。
コメントありがとうございます。ジャンクから部品取りして回路も書かれるとは、ソフト・ハード共にかなりやりこんでおられたのですね。パソコンパーツが流通し誰でも組み立てられる様になる前ですから、かなり現物で勉強されたのだと思います。当時を知っているだけに、現在のスマホやタブレット等と比べるとあまりの差に驚きますよね。
@@smart_idea おはようございます。当時のラジオ会館だったかにNECの店があって、回路図等々が販売されてました。
Z80はシングル電源で、単相クロックだから 逆に簡単に変更できました。
益々のご活躍をお祈りいたします。
秋葉原のラジオ会館7階のBit inで実機を見た事を思い出します。
当時のラジオ会館は至る所でマイコンがデモ展示されていました。
個人的にはPC-8801とカラー・ディスプレイをボーナスで購入してマイコン雑誌片手にプログラムを学んでいました。
懐かしいです。当時はプログラムをきちんと入力できただけでも喜んでいました。でもすごいですね、一発で立ち上がるとは、品質が良かったのですね!
コメントありがとうございます。私も最初にプログラムを入力し、それが動いた時にはあまりにも一瞬で終わって、CPUの速さを実感しました。このキットですが、何百箇所もICソケットの接触部分が有りキーボードの接点も有るのに、45年間何もしなくてよく動くと思います。ビニール袋に入れていたのが良かったのかもしれません。
当時すでにICやLSIは日本でも製造こそされていましたが、メインフレームやスパコン用途がほとんどで、民生用では、せいぜい電卓に使われている程度だったと思います。TK80がなかったら、その後の8bitパソコン文化やファミコンブームもなかったかもしれませんね。
カセットテープでデータ保存するのは知らない世代ですが、
ダイヤルアップでインターネット接続した時の、ピーヒョロロ ガー ザー ゴーを思い出して懐かしくなりました。
でも、その音の20年以上前か・・・
懐かしいですね。この後廉価版のTK-80EやMK-80が出て、TK-80BSへと続きました。Lkit-16なんていう16bitも有りましたね。当時は地方のパーツ屋でバイトしていたので、TK-80のオーナーさん複数から色々と聞きました。
また、初めて購入された方からは色々と面白い?(本人は大真面目なので失礼かも)エピソードもありました。
1.100バスの電源端子にACコードを半田付け、壁コンセントに差したら殆どのICが一瞬でパッケージが吹き飛び、足だけになった。「こんなの不良品だぁ」と怒鳴り込まれました。
2.「組み立てたのですが、上手く動きません。見て貰えますか?」「ん?何か黄色いベタベタが基板一杯に付いているなぁ」「あぁ。金属同士だったのでボンドG17を使いました。セメダインの方が良かったですか?」「・・・・・。」
3.7セグLEDとキーボードを残してアルミホイルでラッピング。「あの。どうしてこういう事に?」「静電気に弱いから、導電スポンジやアルミホイルで保護するってマイコン雑誌に書いてあったので」「・・・・。」
4.アマチュア無線家の方が、「いや~マイコンの電源は面倒だね」とオールトランスとセレン整流器、縦型のコンデンサ(ねじ端子のデカイ奴)、鉄心入りチョークコイルで組み立てたおよそ10kgは有るだろう電源部を持っていました。スイッチング電源は信用できなかったらしいです。
毎日が驚きの連続でした。楽しかったですよ。
>4.アマチュア無線家の方が、「いや~マイコンの電源は面倒だね」とオールトランスとセレン整流器、縦型のコンデンサ(ねじ端子のデカイ奴)、鉄心入りチョークコイルで組み立てたおよそ10kgは有るだろう電源部を持っていました。スイッチング電源は信用できなかったらしいです。
これ当時のアマチュア無線ではこのクラスの電源有るの常識です。
自分も持ってました。
@@ab_221B コメありがとうございます。
私も自作電源は幾つか作りました。SELの2410のトランスとかはタップも多く結構重宝していました。とは言え、最後はアルインコ社製の16v30Aを購入し、現在も現役ですが、これも中身はトランスとシリコン整流器とお化けコンデンサです。40年地殻経過していますが、これといった不具合も無く、流石日本製という感じですね。
何でこんな電源買ったかというと、当時はTS-600 + 6エレ水平スタックで出ていたのですが、TS-600の内蔵電源がヘボ(SSBでしゃべると表示灯が暗くなるとか)く外部の13.8V電源用に購入しました。懐かしい時代の話です。
懐かしい。
私は中学生の時I/O誌で売ります買いますで東芝EX-80を入手。
角田X1の最上階の東芝のショールームで修理してもらいました。
EX-80はBSが無くてもディスプレーが接続できて簡単なTV-GAMEも出来ました。
実家にはTK-85があるはず。
8bit 最高ですね。ありがとうございます。
TK80は僕の青春時代の懐かしい思い出です。
大学でフォートラン言語でIBMのシステム360にプログラムを読み込ませ走らせていました。このメインフレームのメイン記憶容量はわずか2MBでした。
卒研が、流体の渦に関する偏微分方程式の数値計算によるミュミレーションでした。当時は、1枚のパンチカードに1行のプログラムを打ち込み、穿孔させたもの700~800枚を読み込ますところから始まります。
出力媒体は、ラインプリンターが打ちだしたペーパーと、1インチ幅の磁気テープで直径が30センチ近くもありました。計算が始まると磁気テープがすごいスピードでくるくる回り始めます。
タイムシェアリングのため、10時ごろスタートさせた答えが出るのが夕方4時ごろでした。流速を少しずつ増加させ渦の発生をシュミレーションさせるのですが、一連の計算に何か月も掛かりました。
卒業後、NECから、カセットテープをプログラムの保存に使い、付属のタイプライターのキーボードからベイシック言語を入力し、メインメモリー7KBで、TV画面でプログラム修正ができるTK-80コンポが発売され、画期的だった性能に一目ぼれしてボーナスをはたいて購入しTV画面でベイシックが走り、画面に結果が出るのを見て歓喜していました。なんせ、NASAのジェミニ計画のパイロットが軌道計算の検算に宇宙カプセル内で計算尺を使っていた時代ですから・・・。
初代マイコン4004を開発したビジコン社がマイコンの特許をインテルに売っていなければ・・・。
国産OS「TRON」の世界普及が軌道に乗っていれば・・・。
マイクロコンピューター史の地層には様々なIFが埋もれている。
TK-80は高価で買えなかったので、自作Z80ワンボードマイコンを作りました😽まだ持ってます。
裏の配線見ると嫌になります。アドレスバス8本、データバス16本だったかな、、、
今は、picマイコンとかやってます😸✨これはソフトに集中出来ていいです。
懐かしい、電気屋の兄ぃーちゃんに触らせてもらってました。マシン語めんどくせーって子供ながら思ってましたねw、APPLEクローンでもすごく高価で、その後80BSやTRS-80、MZー80辺りまで来て一般人(でもないかw)が触れるようになってきましたよね。
コメントありがとうございます。私も8080のアセンブラプログラムを何十年ぶりかでやってみて面倒でも、命令が懐かしかったです。APPLEクローンは秋葉ではやっていたのですかね、東京の知人からよく聞きました。マイコンも7セグからすぐにBWモニターで表示できるパソコンの原形のような時代に入りましたね。
わたしはその次の世代ですね。マイコンと言ってたのにパソコンだと言われるようになり、語感にとても違和感を持ってましたねw
初体験は体験教室のシャープMZでした。BASIC世代なので機械語、ニーモニックにはとても憧れます。すごいですよね。
コメントありがとうございます。そう言うと、私もパソコンをマイコンと言ってしまい言い直していた時期がありました。TK-80の後はあっという間にBASICが広く使われる様になりましたね。NECではPC-8001を思い出します。
うん、素晴らしい!
まさか21世紀になって再びこれを目にするとは…懐かしくて感無量です。
ただ、すぐに飽きてしまい、10年後(1985年頃)に登場したMSXにハマりました。
貴重な動画を有難う御座います。私は当時大型汎用機をパンチカードでプログラム入力して使っていました。本機が発売になった時はアラン・ケイ先生の理論が現実化し始めたと思いました。友人は早速購入し8255を通じて鉄道模型の運転制御をし後に鉄道技術研で現在の列車運行システムを完成し他界しました。私はSUN社の計算機が入るとすぐ乗り換え使い続けました。初めて購入したパソコンはSPARC Station ELCです。今は不要になったノートPCを貰って使っています。私は後何年生きられるのでしょう。
コメントありがとうございます。パンチカードのプログラムは、私も授業で触った事が有るので知っています。それから半世紀も経ってないのにタブレットやスマホが当たり前になり、この間のコンピュータの進歩はすごかったと思います。実際にパソコンや周辺機器でこれらを経験できたのは我々の世代ですので、これからもこの貴重な経験を将来に活かして元気に暮らしていきたいものですね。
@@smart_idea お返事有難う御座います。60年代にIBM360が初めてハードとOSを分離し1台の計算機でどの様なプログラムも処理できる様にしました。富士通はコンパチ機のFACOM230で対抗しました。ジョン・バッカス先生は天才と思います。端末は9450。ワンボードマイコンも無い時代で富士通独自のAPCSという独自OSで動作していました。NECがワンボードマイコンを発売する数年前にTI社が98Bという2進バイナリスイッチ入力型の工業用制御機を販売していました。かつては計算機が上手く動作しない時、ハードの部分故障か、OSのバグか、プログラムミスか問題を切り分けて解決していました。仰る様にプログラミングの根幹は不朽です。小手先だけのパソコン遊びで満足したくないですね。
コンピューターの進化にお詳しいですね、私はマイクロコンピューターが発売されてからになりますが、それ以前の海外と日本のメーカーの奮闘ぶりが伺えます。子供の頃に大きな磁気テープのリールがテープレコーダーとは比較にならない速度で、機敏に動いているコンピュータルームに入ったのは覚えているのですが、多分FACOM230だったのですね。
懐かしね、当時は高くて買えませんでした、仕方なくZ80で自作しました、トグルスィツチを並べてADバスDBバスをパチパチやってました、カセットテープで、今でもハードウエアーいじる時使います、今は32ビットですが、捨てられないです・
静電気でROMのデータが飛びやすく苦労しました。元々はメーカーの技術者のuPD8080評価キットでしたが、日本電気が秋葉原にアンテナショップ BIT INN を開設したことで愛好家も体験・購入できるようになったことがブレイクの一因だったと記憶しています。小学生のころ BIT INN でデモ機の順番待ちをしたことを覚えています。良い時代でした。
コメントありがとうございます。小学生時代から秋葉原に通われていたとはこちら京都なので羨ましいです。この製品はNECとしても発売の許可がおりなくて、担当者がキットにして出すと言う苦肉の策を思いつかれたと書かれていました。当時のROMは静電気に弱かったとの事でしたら、なおさらキットで良く出して頂けたものだと思います。モニターROMが1bitでも消えたら動かなくなっていたと思いますが、よくぞ動いてくれました。
秋葉原ピットインは私も小学生の頃、通いました、毎週来ている主のようなあんちゃんがいてお店の人と仲良し常連さんもいました。朝早くから並んでコンポ80bsだったか、それにセッセとプラグラムを打ち込んでゲームしてました。
動くんですね。半導体はともかく、コンデンサがとかが
寿命を迎えてるかと思ってました。
TK80じゃなくてTK85持ってましたが、懐かしいです。
ロードとセーブの音がモールス信号風…これがピッチが速くなって「ピーガガガガガガ…」となるわけか
大学院時代に隣の研究室が購入し、よく遊んだもんです。この業界に入るなんて思ってなかったなあ
当時のラ製でよく広告を見かけました。電解コンデンサと液晶が無いから壊れにくいのかな?
私は同じようなワンボードマイコンで、東芝製のEX-80を持ってましたね
こっちは一応TV出力があるので、オセロとか結構遊べました
コメントありがとうございます。TK-80は7セグだけで大した事ができませんでしたが、テレビが使えるとやる気も出ますね。各社が本格的に動き出して、今から思うと1970年後半から始まるマイコンの進化は凄かったですね。
私もEX−80で遊んでいました、16進数でプログラム打ち込むのと。アセンブリ言語を覚えるのが、大変だったですね。
こんな面倒なことは今となってはもうできません。当時、FM-7でダンプの打ち込みをしていましたが、キーのチャタリングがありアドレスがずれて往生した思い出。それ以前のポケコン(PC-1210)では記憶媒体もなく、プログラム更新毎に打ち込み直していました。暇な学生だからできることでした。
当時、小学生でした。
MONでモニタを起動し16進数を入力しましね。
ほとんど入力にミスでぼうそうしました・・・
か〜っ😆…
このNEC:TK-80トレーニング・キットが出た頃は俺も高校生だったけど、値段がねぇ〜で買わずじまいで終わりました。(ガキん頃、″電子ブロック″(ガキの知的玩具)でマニュアル見つつ色々と回路組んじゃ〜電気と言うものに魅入られてましたが😳…ソレも工業高校:電気科入ってしまう迄は🤣)。
で、高校時のこのTK-80発売から少し後に電気科授業(の電Ⅲだったかな?)に担当教師が中々、俺らの教室に来ない時が在り、何人かで電気科職員室を覗きに行ったら、我が工高に初めて導入のパソコン(日立のベーシックマスター(初代))の前で担当教師が熱心に悩んでる所でした🤣🤣🤣。
当時、俺はバイトもチョクチョクやってたので、パイオニアのTV音多チューナー(日本で初の地上波音声多重放送(ステレオor二か国語放送)開始で)を買わなければ、このマイコン買えたんですがね…😅。
そして、これから数年後の社会人に成って巷をやはりNECの PC-8001と言う本格的(?)8bitパソコン(笑)が席巻の頃、俺もやっとパソコン(TVにビデオ出力、然もかカラーで!更に低価格❗️):米コモドールのVIC-1001(CPU:6502A(確か初代ファミコンでも使われてたナショナル・セミコンダクター社製CPUだったかな?))を、この動画でも出てたDATAセーブ・ロード用専用カセット機も付けて購入❗️😂。
そして、この後もひたすらメジャー(高価格とも言う)なパソコンには目もくれず😅、パナソニックのMSX2(CPU:ザイログ社Z80A)の機種でポンコツプログラムを組んじゃ〜遊んでました。
仕事も汎用コンピュータ:オペレーターやコンピュータ系ソフト屋だったけど。
でも、やっぱ〜最初のパソコン購入は少し無理しても【NEC PCシリーズ💻(か、シャープor富士通】からにした方が、色んな面からも良かったな❗️😑と、後々に後悔したのは言うまでも有りませんね。
なにぶん、かなり古い話↑なので【記憶違い】も有るとは思いますが、ご愛嬌〜。
懐かしい思い出をありがとうございます。出て来る機種はほとんど私も知っています。ファミコンが6502ってよくご存じでしたね、私はファミコンのプログラマーだったので、6502(ファミコンはRockwell製を元にしてます)は、あのポピュラーなZ80より詳しいです。
白パッケージのセラミック素材。懐かしい。
5件隣の本屋さんに売っていましたね~
その後プラスチック製の廉価版になりましたが。
最初に作ったのは日数計算だったかな。
プログラム消えちゃうから一週間は電源入れっぱなしでしたね。
コメントありがとうございます。TK-80持っておられたのですね、ここに使われている何個かのLSIはセラミックパッケージで、CPUは金メッキされた足が出ており、当時はかなり貴重品扱いをされているのがわかります。
テープに録音しても再生でちゃんと読み出せない事が有るので(その場合誤ったプログラムが上書きされ、全てがパーになるので)より確実な “電源入れっぱなし” を私も良くしていました。
8万だったよね。当時は高いとは思わず相応の値段だと思った。
今はパソコンが買える値段
懐かしい(T_T)
工業高校の授業でやりました。
ニモニックを紙に書いてハンドアセンブル、そして入力
当時は「これが便利なの?」と思っていました。
いまはマイコンプログラムバンバン書いています😁
懐かしい物を持ってますね。 僕も持っていました。 会社にもありましたね。 大昔の話です。
何十年も放っておいたのに、動いて逆に驚いています。持っておられたのならプログラム作成時の不便さはご存じだと思います。それにしてもコンピューターの進歩は開発環境も含めて、すごく変わりましたね。
@@smart_idea 当時はこの不便(ハンドアセンブラー)さが普通だと思っていました。 会社でアセンブラーを使った時、感動でしたね。
タモリが宣伝していた、FM7持っていました。
富士通のFM-7ですね、BASICでプログラムが作れてモニター出力もできてゲームとかやれることが急に増えた時代ですね。
当時これで8255の入出力を学習したのが始まり。今はクソGGになりましたが、現役でPICアセンブラまだやってます。
インテルは、アドレス指定が素直なんですが、ザイログは、捻くれてましたね(笑)
懐かし~
今は記録媒体はDVDやメモリカードとかだけど、フロッピーディスクが出る前は
カセットテープに記録してたな~
確かシャープのMZ2000かMZ2500のどっちかはFDとカセットテープの両方のドライブ装置が
付いていたはず。
これより前だとパンチカードだもんね~
コメントありがとうございます。この時代を経験してきた者にしか分かりませんね。私はついこの前の様にも感じます。でも改めて考えると、コンピューターの進化は尋常でないのが分かります。今から45年先はどうなるのでしょうね。
カセットテープインタフェース。カンザスシティースタンダードに対抗してサッポロシティースタンダードなんていうのもありましたね。
この音はFSKの110ボーだな
TK80はBSも繋げなきゃ
タイニーTREKが動かないじゃない
TK80上のROMソケット開けとくとBSのBASIC の乱数品質が悪くなるのだ
ちなみにターミネーターが追いかける時に視野に8080のアセンブラが。
ターミネーターのCPUは8080w
5:21 右側の灰色の箱が気になりました。色は黒ですが、同じ形の箱を所有しています。
ADPCMで音声を記録再生するキットに付属していた物ですが、かつての入手性の高い汎用品なのでしょうね。
コメント有難うございます。これは昔よく電子パーツ屋さんで売っていたELEHOBYというキットで、ステレオアンプです。同じケースで色々な物が出ていましたね。
@@smart_idea あ!ELEHOBYのひとつですね。理解しました。
この音はトーンバーストカセットインタフェースですね
課長決済で買えたから売れまくった。
動かないと焦ってたら、LSIをぐさっと奥までさしていなかった
マイコンKitは当時中学生だったため高価で手が出ず専門誌の特集記事で我慢してた思い出(笑)
スタートレックゲームっていうクリンゴンの戦闘機を発見して打ち落とすなんて言うプログラムが載ってた気がする。
7セグの表示でどうやるのか興味津々だった。
コメントありがとうございます。今でもこのTK80と同じ10万円程する物ってなかなか買えませんよね。自分でもよく買ったと思います。それだけ当時の最先端の体験ができる貴重な商品だったのだと思います。
ゲームのプログラムも本が出ていて、それをそのまま入れて7セグをピコピコ動かしていましたけど、大変な労力を要した記憶があります。
TK-80BSでならやった事があります。ASR33等プリンターが必要でした。
テレビモニタがないものというのがわかりました。
今のパソコンは電源オンすると。画面が立ち上がる。携帯電話と同じです。
8080がRUclipsだなんて、粋な計らいですわねw( ゚Д゚)
日本初のマイクロコンピュータ組み立てキットは、実は東芝のEX-0だったりする
コメントありがとうございます。検索したら・・そう見たいですね、全く知りませんでした。ご教授いただきありがとうございました。
2年も前の動画にコメントもアレなのですが、データrecorderがテープの劣化で使えなくなるため、今はICrecorderを使うのが主流だそうです。劣化なしでコピーやバックアップができますよ。
なるほど、そうですね!
電源ノイズで固まる
短いですが、難解なコメントありがとうございます。電源ノイズでCPUがフリーズして動きが止まったと言う経験ですかね?
@@smart_idea
そうです
昔の掃除機だと
離れた部屋でもほぼ確実に固まる
掃除機のモーターにはブラシが付いていて火花が飛んでいますから、また電力も食うのでノイズのレベルも大きいのだと思います。ちなみに私は今でもPCの電源には、TOKIN製のかなり大きなノイズフィルターを入れています。安心保険代わりに。
@@smart_idea
当時100V電源電圧
結構不安定な記憶がある
そうですね、そう言われると当時は私の所も90V台の時がありましたね、今はちゃんと100V出てます。
さっぱり・・・??
なつかしDATAの音。。。
うるさかったな。。。