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孫世代です。よくお盆にお墓参りに行ってましたが、お墓を下に移動してからというもの、行かなくなったのでこの風景懐かしいです。
良識のある行動と歴史検証、何時も楽しく拝見しています、有り難う・
昭和63年6月に杉、保月、五僧を歩みましたが杉には2世帯住まわれて先の道を尋ねました。40代女性で五僧を訊ねたら「這って征かないと駄目」と教えて貰いました。
島津越えが有りましたが昭和63年6月に五僧に行った時に元住人の方が「としみちさんやきちのすけさんも越えたんや」って言われてました。
関西電力の鉄塔管理道があるなら、有志で整備すればMTBやトレランのコースとして借りる事が出来ますよ。大阪箕面市や兵庫県たつの市は、関電や自治体の管理地(未利用地)を有志で整備してMTBのコースとして利用しています。
こんなところで島津街道の話しが出るとは思わなかったです。300人いた兵の殿が命を捨てて時稼ぎ、次に追いつかれたらまた殿が命を捨てて時を稼ぐ、捨てかまり戦法で、生きて戻れた兵は80人と記録されているので、その街道でも多くの兵が亡くなったのかも知れませんね。私は平家の末裔なので、そう言った話は心にくるものがあります。
コメントありがとうございます!昔の偉人たちの逸話には心を動かされますね。この場所で主君の為に倒れた人たちがいたと思うと見え方が全く変わってきます。
16:42関ヶ原踏破隊って、すごく良い取り組みだな!😲素晴らしい。
昔の箱膳だとおもいます。使い終わった茶碗はお湯ですすぎ飲み、箱になっている下に置きました。むかしの農家はこうした膳でした。
元住民?の方の集落の話、いいですね。少なくとも「石碑」という形で、先祖の歩みを後代に伝えていきたいという思い、素晴らしいです。若いあなた方が、そんな役割を動画で残してくれるのも同じ行為”語り部”の役割です、ジジイには嬉しいです。
コメントありがとうございます!そう言っていただけると励みになります。
私の幼少頃わ箱膳と言い食卓を囲んでました。後は旅館等で仕用してました、懐かしいです😮爺
現在行政が廃村の土地所有者を探し出して所有権放棄の手続きを進め様としているみたいです けど動画内で言って居られた様に自分が相続している事やこの村の出身者である事を知らない人達が多々居ることも?近畿二府四県だけではなく中国地方や信越地方又東北方面でも過疎化が進み 地図から消えた町や村がありますからね! 寂しい限りですね
コメントありがとうございます。行政も努力してくれていますが、中々解決に至るのは難しいですね。
10個ぐらい捨ててあったのは、たぶんお膳(ぜん)ですね。一人前の食器と食物を載せる台ですが、昔は、いろいろな行事で、神社や村の有力者の家に人々が集まったので、その名残りでしょう…。
日本も 内陸に行けば 土地はいっぱい有る。
昔:放棄集落今:放棄宅地分譲地(ニュータウン)
木の電柱!昔何本か見たことある40代です。懐かしい。
杉の集落を登って行くと!保月と云う集落が廃村と成っているやと思います。保月集落を道なりに下って行くと、降りきった所が、T字路で左に下りきれば、権げん谷と云う集落にでます。下って行くと河内の風穴に出ます。この風穴は三重県に繋がて居ると云われています。
8:40銘々膳ですねちゃぶ台と言うかテーブルが普及する明治くらい迄は各個人の膳で食事する(今の旅館スタイル)のが一般的でした
はじめまして!このような動画を探していたので見つけた時ドキドキしました。😅映像を見るたびに45年前にダムの底に沈んだ故郷を思い出し涙が出ます。便利な都会に住み豊かな暮らしをしていても故郷が懐かしく帰りたくなる事があります。それにしても何処の廃村にも必ず神社がありますね。⛩️苦しい時の神頼みと言いますが何時の時代も人々は心の拠り所にして大切に守って来たのでしょうね。これからは山の中とは言え猛暑になると思います。気を付けて撮影して下さいね。🍵🐶👵
コメントありがとうございます😊故郷がダムに沈んだのですね・・・現在の豊かな生活と引き換えに失われた場所もあるということを忘れてはなりませんね。
水辺や水生生物が好きなので琵琶湖及び滋賀県には何度も足を運びましたし、これからも行くと思います。ここで何かあるならぜひ足を運んでみたいですね。単に滋賀が好きと言うのもありますが、私はこの島津義弘に縁がある日置市伊集院の育ちなのでなじみ深いものがあります。向こうでも同じように島津の退き口を偲んで鹿児島市内から島津義弘を祀る徳重神社までの約20㎞の距離を夜通し歩く妙円寺参りという行事がありまして、それも子供の頃何度か参加しました。
あの膳(?)昔は、結婚式など自宅でやってたので、お客様に出す時に使ってたようです。私が滋賀に来た時、昔はそうだったんだと聞きました。多分、個人宅です。
静岡s浜松市天竜区京丸集落 取材して欲しいです。
行政で土地の所有者をきちんと管理して訳の分からない外国人に奪われないようにしないといけませんね。
毎回、驚かされていますが、とにかく、立派な石崖が多いのに驚きます。開発するにはその間の食料も住居もいるのでどんだけ苦労したのか想像がつきません。ところで、暖かくなってから草藪に入るとマダニの被害を受けることがあります。私は調査で山に入るときは必ずダニ忌避剤(私は天使のスキンベープ)を使っています。十分気をつけて下さい。
配信、お疲れ様です😊滋賀県多賀町のその辺りは廃集落が多いのかしら。見ている方は楽しいですが、廃集落マップが出来そうな勢いですね。集落を管理されてる方にお会い出来て、よかった。そういう偶然の出会いもやはりご縁があったということで、この辺を巡ってらっしゃるおかげなのかな。沢山放置されていたお盆とか食器類ですが、昔は冠婚葬祭は個人の家でしていたので、そのためのご馳走のためのものです。今みたいに仕出し屋さんとかありませんので、何かあるとその家の台所に集落の女性陣がお手伝いに出て、料理をしていました。お祭りの時にもご馳走するので、親戚一同が寄ってくることもあり、食器は沢山必要でした。私の家ももう親戚一同が集まることはほぼないですが、昔ながらの農村で、無駄にその冠婚葬祭用の食器が山とあります😅コーヒー☕️をご馳走してくださった男性は、杉集落で土地を借りるか購入するかされて、塾の合宿所を建てられたのでしょうか。元々の縁があるわけでもないのに、高齢化した元住民の方のために土地の管理をなさってるようですね。頭が下がります。鹿児島県から島津の退き口を訪ねてくる人たちがいるくらいなので、それに関係した施設とか森林公園とか多賀町辺り考えてくれないかなと思いました。次回はアンドウさん主導、オカヤスさん引き摺られて、桃原集落への抜け道を辿る、かな。楽しみにしております♪
いつもありがとうございます!あのお盆はそういった経緯で一般家庭で使用されたものだったんですね😳毎回情報を補完いただき感謝です!この場所は鹿児島から遥々訪れてくる子供たちの為にも残しておきたいですよね。我々も何かの形で協力できれば良いのですが・・・
都会に住んでると、廃村という存在自体が歴史上のことかと思ってしまいます。こういう場所に5日とか1週間とか、長期休みのときに滞在してみたい。スマホの電波もWi-Fiもな居場所で過ごす数日は、貴重な体験になりそう。。
岡安さんと、二人、ヤジさん、きたさん、みたいで、いいかんじ。
長野の大平宿なんかは廃村を貸し出し、宿泊施設にしていたりするけど、所有者不明だと難しいかな。
今日は。いつも楽しんでますよ!。5:10の樹は多分サクラの一種だと思います。葉が分かる画像があればどんな種かも分かりますが。樹が好きなので、特に秋の動画での何気ない紅葉は格別です。
私も父方の祖父が三河地方の出身と言うことは知っていても、それ以上のことは知りません。丁稚奉公で静岡に来たと聞いたことがあるような気がしますが、もしかしたら山を降りた(村を離れた)って可能性もあるかもしれない。もう祖父母も、父も亡くなって10年以上経ちますから、(除)戸籍謄本でもみないと分からない。地域によっては、古い戸籍が空襲で存在していないって地域も日本にはありますしね。
日本は所有権が強い故に手を入れられず廃村が廃墟化しても土地割りなどが在りし日の姿を留めてくれる。。。ただ、まあ、一般論としては、土地の有効活用のためには制度をナントカしないとなあ。。。
上等のお膳ですね。昔は冠婚葬祭などのイベントで使うのに食器なんかも一杯しまってました。
こんばんは。島津街道の退却。勉強になりました。ありがとうございました。今日も良いおじさんにめぐりあいましたね。
コメントありがとうございます!毎回素敵な出会いに感謝です😊
貴重なお話伺えて有難かったです。ちなみに五右衛門風呂は、和歌山の親戚の家は離れにありました。桃原はスキー場があったとこですね。峠道の行程もアップして頂けると有難いのですが・・
コメントありがとうございます!やはり風呂は離れなんですね~次回はしっかり峠道の行程も収録してますのでお楽しみに😉
廃れ具合が趣があってカッコイイ方だと思います。既に、首都圏郊外も外側から廃墟化が始まっていますし、経済成長期に開発された各地の住宅団地や集合住宅も廃墟化していくと思いますが、もっと無惨な様子になると思います。
土地・家屋の所有者、誰が、いや、どの行政組織が管理しているんでしょうね?まさか宣言(ここからあそこまで自分のものと)で決める訳じゃないでしょうし、かと言って、こんな斜面が入り組んだ、形もはっきりしない、変化しやすい山肌の集落、測量基準点が地面に打ち込まれ、正確な測量図を作って市・町の地方行政組織が管理しているとも思われないし...まして90,100年の昔、そんな技術も法的手続きも、行政組織もなかったろうし...いつもその点が知りたいなと期待を持って拝見していますが、ついぞ、ヒントさえ散見しません。自分が所有者であると証明する土地権利書がそんな昔あったとも思えないし...所有者なしの土地、自動的に公有地になる、のは良いにしても、その所有者を公的にどう確定出来るんでしょう?今日、所有権移譲とか放棄に関わる法的手段の実践の際、きちんとした資料がないことには誰にもどうしようもないと思えるのですが…
昔は、住宅そのものも広い家があって、旧家や手広く商売をやっているような家は、使用人も多く冠婚葬祭を自宅で行う事も多かったみたいですよ。今みたいに結婚式も派手ではなく、また式場を備えたホテル等も無い時代です。特に田舎となると村の女性達が集まって準備して男性陣が酒席に着くなんて時代もあったんじゃないでしょうか❔ 田舎でも有名な街道沿いだったら旅籠もあったとは思いますが…。まあ、いずれにせよ色々と昔に思いを巡らせてああだこうだと推測するのも楽しい時間ですネ🌷
通りすがりですが、非常に興味深く見させていただきました。現実問題ですね。私の実家あたりも人口が減って将来はこの通りになるかも知れません。考えさせられます。
前回の保月集落とは隣村になるのですね!あの神社で100年ちょいの歴史があるのですね🌿 苔むした石段がいいですね~!! 五右衛門風呂は昭和の時代でもありましたよ☺️祖父の家にもありました!昔は木造家屋のためトイレ、お風呂は外にありました!トイレは匂いと畑用の肥やしにするため、お風呂は湿気予防と焚き付けのため離れに建てたと母に聞いた記憶があります!五右衛門風呂は今は物入れになっています(^^)v料理をのせる台(笑)はお膳ですね!銘々膳(めいめいぜん)でこれも祖父の家にありました🍀昔は家族が多かったので10脚位は普通にありました!今でもまだあると思います!めいめい=各自という意味ですね~(^^)v 廃村になってしまったこの村もやがては朽ち果ててなくなってしまうのでしょうか? 何か寂しいですね🍃 配信ありがとうございました🌷 次回も楽しみにしています🤗殴り合いはダメですよ〰️😄仲良くジャンケンで🤣💦ww
コメントありがとうございます!毎回色々なことを教えていただき感謝です😊あの量のお膳がまさか一般家庭で使用されていたとは思わず・・・昔の暮らしはまだまだ知らないことだらけです。
@@neu_historica 昔は専門業者もなく、婚礼も葬式も全部家でやっていたから10脚くらいは標準装備で、足りない場合は隣家(隣組)で融通しあってました。映像に出てくる漆塗りのお膳もそういう節目節目の喜怒哀楽とともにあったものでしょう。
廃村の土地の有効利用をかなり考え直さないとならないと感じさせられます。人を呼ぶと言うのは、インフラなどを考えるとあまり現実的とも言えないと言えるので、あまり人口の多い場所に置けない施設の設置もありかと思われますね。
コメントありがとうございます!やはりこういう場所はアクセスの悪さが一番の課題ですね😥
田舎は家で行事をすることが多いので御膳たくさんあると思いますよ。
島津の退き口の当時を忍ぶ道として整備すれば少なくとも草木の中に朽ちていく事は避けられるんじゃないかと思うのですが…ここって多賀大社や彦根からすぐの所だし、もったいないなあ。
お疲れ様です
杉や檜の人工林を広葉樹林に戻せば、人もまた住める様になるのではないでしょうか?広葉樹林の時代は野生動物だけでなく人も恩恵に預かっていたそうです。
今年から法律が変わります。相続登記されないまま、放っておかれると、国に接収されることになります。遅ればせながら、少しづつ空家対策が進んでいくのかな?
家づくり好きな自分にとってはすごく魅力的。まだ使える廃材もあり、庭も広いし。水、電気、ガス、電波が通じていれば最高。大学の建築課や内装デザイン、都市計画の生徒の実践ゼミで使えそう、それで村おこしができたら最高だと思う。
勝手、それぞれの、家に、家族ガ、一生懸命生きた、時代があったのでしょう、不便でも、電灯の、下で笑いながら、食事をしたり、きれいな、空気のなかで、育った、人たち、きっと、林業トか、炭焼きトか、生活ガ、成り立ったのでしょう。いろんなことを、がまんしながら、、なみだがでます。
勝手、?変な、文字に、変換されて?、すいません。
そうなんです!不便でもやっぱり祖先が開拓して建てた家を粗末に出来なくて、住まないのに直してます😅子供が孫が活用してくれたら嬉しいのですが (’-’*)♪
石垣や、石段は、当時の人たちは、機械もない、なか、人の手で、こつこつ、少しでも、便利を、求めて、作り上げたもの、敬意を、ひょうしたいと、おもいます。
持ち主が税金を納められなければ国が税金がわりに国の土地とすればいいのではないですかね。国がきちんと管理しなければ日本の国が他国のものになってしまう。それは国の責任ですよ。未来の子孫の為に!!
それができたら、土地を放棄する人が多数出るだろうね。そしてそこに税金を投入することを良しとする人がどれだけいるか?国だって山のなかの廃村の土地なんていらないってのが正直なところだろ。役人にしたって自分の間に問題が起きなければいいって感じだろうし。
「スギ」⤴️のイントネーションが気になって😮
現場さん 企画提案です 恵那市旧山岡町兼平〜峰山〜東木の実〜上矢作達原海なら1日周遊コースで回れますよ。車可能
日本人は歴史的に土地で悪事を働いてたと言われますが、法律を大改正して所有を「主張」しない土地は国のものとなるようにしなくてはいけませんね。でもそんな天下百年の計を考える政治家は存在しません。そもそも国土を個人所有できることがおかしいのです。
孫世代です。よくお盆にお墓参りに行ってましたが、お墓を下に移動してからというもの、行かなくなったのでこの風景懐かしいです。
良識のある行動と歴史検証、何時も楽しく拝見しています、有り難う・
昭和63年6月に杉、保月、五僧を歩みましたが杉には2世帯住まわれて先の道を尋ねました。40代女性で五僧を訊ねたら「這って征かないと駄目」と教えて貰いました。
島津越えが有りましたが昭和63年6月に五僧に行った時に元住人の方が
「としみちさんやきちのすけさんも越えたんや」って言われてました。
関西電力の鉄塔管理道があるなら、有志で整備すればMTBやトレランのコースとして借りる事が出来ますよ。
大阪箕面市や兵庫県たつの市は、関電や自治体の管理地(未利用地)を有志で整備してMTBのコースとして利用しています。
こんなところで島津街道の話しが出るとは思わなかったです。300人いた兵の殿が命を捨てて時稼ぎ、次に追いつかれたらまた殿が命を捨てて時を稼ぐ、捨てかまり戦法で、生きて戻れた兵は80人と記録されているので、その街道でも多くの兵が亡くなったのかも知れませんね。
私は平家の末裔なので、そう言った話は心にくるものがあります。
コメントありがとうございます!
昔の偉人たちの逸話には心を動かされますね。
この場所で主君の為に倒れた人たちがいたと思うと見え方が全く変わってきます。
16:42
関ヶ原踏破隊って、すごく良い取り組みだな!😲素晴らしい。
昔の箱膳だとおもいます。使い終わった茶碗はお湯ですすぎ飲み、箱になっている下に置きました。むかしの農家はこうした膳でした。
元住民?の方の集落の話、いいですね。少なくとも「石碑」という形で、先祖の歩みを後代に伝えていきたいという思い、素晴らしいです。若いあなた方が、そんな役割を動画で残してくれるのも同じ行為”語り部”の役割です、ジジイには嬉しいです。
コメントありがとうございます!
そう言っていただけると励みになります。
私の幼少頃わ箱膳と言い食卓を囲んでました。後は旅館等で仕用してました、懐かしいです😮爺
現在行政が廃村の土地所有者を探し出して所有権放棄の手続きを進め様としているみたいです けど動画内で言って居られた様に自分が相続している事やこの村の出身者である事を知らない人達が多々居ることも?近畿二府四県だけではなく中国地方や信越地方又東北方面でも過疎化が進み 地図から消えた町や村がありますからね! 寂しい限りですね
コメントありがとうございます。
行政も努力してくれていますが、中々解決に至るのは難しいですね。
10個ぐらい捨ててあったのは、たぶんお膳(ぜん)ですね。一人前の食器と食物を載せる台ですが、昔は、いろいろな行事で、神社や村の有力者の家に人々が集まったので、その名残りでしょう…。
日本も 内陸に行けば 土地はいっぱい有る。
昔:放棄集落
今:放棄宅地分譲地(ニュータウン)
木の電柱!昔何本か見たことある40代です。
懐かしい。
杉の集落を登って行くと!保月と云う集落が廃村と成っているやと思います。保月集落を道なりに下って行くと、降りきった所が、T字路で左に下りきれば、権げん谷と云う集落にでます。下って行くと河内の風穴に出ます。この風穴は三重県に繋がて居ると云われています。
8:40
銘々膳ですね
ちゃぶ台と言うかテーブルが普及する明治くらい迄は各個人の膳で食事する(今の旅館スタイル)のが一般的でした
はじめまして!
このような動画を探していたので見つけた時ドキドキしました。😅映像を見るたびに45年前にダムの底に沈んだ故郷を思い出し涙が出ます。便利な都会に住み豊かな暮らしをしていても故郷が懐かしく帰りたくなる事があります。それにしても何処の廃村にも必ず神社がありますね。⛩️
苦しい時の神頼みと言いますが何時の時代も人々は心の拠り所にして大切に守って来たのでしょうね。これからは山の中とは言え猛暑になると思います。気を付けて撮影して下さいね。🍵🐶👵
コメントありがとうございます😊
故郷がダムに沈んだのですね・・・
現在の豊かな生活と引き換えに失われた場所もあるということを忘れてはなりませんね。
水辺や水生生物が好きなので琵琶湖及び滋賀県には何度も足を運びましたし、これからも行くと思います。
ここで何かあるならぜひ足を運んでみたいですね。
単に滋賀が好きと言うのもありますが、私はこの島津義弘に縁がある日置市伊集院の育ちなのでなじみ深いものがあります。
向こうでも同じように島津の退き口を偲んで鹿児島市内から島津義弘を祀る徳重神社までの約20㎞の距離を夜通し歩く妙円寺参りという行事がありまして、それも子供の頃何度か参加しました。
あの膳(?)
昔は、結婚式など自宅でやってたので、お客様に出す時に使ってたようです。
私が滋賀に来た時、昔はそうだったんだと聞きました。
多分、個人宅です。
静岡s浜松市天竜区京丸集落 取材して欲しいです。
行政で土地の所有者をきちんと管理して
訳の分からない外国人に奪われないようにしないといけませんね。
毎回、驚かされていますが、とにかく、立派な石崖が多いのに驚きます。開発するにはその間の食料も住居もいるのでどんだけ苦労したのか想像がつきません。ところで、暖かくなってから草藪に入るとマダニの被害を受けることがあります。私は調査で山に入るときは必ずダニ忌避剤(私は天使のスキンベープ)を使っています。十分気をつけて下さい。
配信、お疲れ様です😊
滋賀県多賀町のその辺りは廃集落が多いのかしら。見ている方は楽しいですが、廃集落マップが出来そうな勢いですね。
集落を管理されてる方にお会い出来て、よかった。
そういう偶然の出会いもやはりご縁があったということで、この辺を巡ってらっしゃるおかげなのかな。
沢山放置されていたお盆とか食器類ですが、昔は冠婚葬祭は個人の家でしていたので、そのためのご馳走のためのものです。今みたいに仕出し屋さんとかありませんので、何かあるとその家の台所に集落の女性陣がお手伝いに出て、料理をしていました。
お祭りの時にもご馳走するので、親戚一同が寄ってくることもあり、食器は沢山必要でした。
私の家ももう親戚一同が集まることはほぼないですが、昔ながらの農村で、無駄にその冠婚葬祭用の食器が山とあります😅
コーヒー☕️をご馳走してくださった男性は、杉集落で土地を借りるか購入するかされて、塾の合宿所を建てられたのでしょうか。元々の縁があるわけでもないのに、高齢化した元住民の方のために土地の管理をなさってるようですね。頭が下がります。
鹿児島県から島津の退き口を訪ねてくる人たちがいるくらいなので、それに関係した施設とか森林公園とか多賀町辺り考えてくれないかなと思いました。
次回はアンドウさん主導、オカヤスさん引き摺られて、桃原集落への抜け道を辿る、かな。
楽しみにしております♪
いつもありがとうございます!
あのお盆はそういった経緯で一般家庭で使用されたものだったんですね😳
毎回情報を補完いただき感謝です!
この場所は鹿児島から遥々訪れてくる子供たちの為にも残しておきたいですよね。
我々も何かの形で協力できれば良いのですが・・・
都会に住んでると、廃村という存在自体が歴史上のことかと思ってしまいます。
こういう場所に5日とか1週間とか、長期休みのときに滞在してみたい。
スマホの電波もWi-Fiもな居場所で過ごす数日は、貴重な体験になりそう。。
岡安さんと、二人、ヤジさん、きたさん、みたいで、いいかんじ。
長野の大平宿なんかは廃村を貸し出し、宿泊施設にしていたりするけど、所有者不明だと難しいかな。
今日は。
いつも楽しんでますよ!。
5:10の樹は多分サクラの一種だと思います。葉が分かる画像があればどんな種かも分かりますが。
樹が好きなので、特に秋の動画での何気ない紅葉は格別です。
私も父方の祖父が三河地方の出身と言うことは知っていても、それ以上のことは知りません。
丁稚奉公で静岡に来たと聞いたことがあるような気がしますが、もしかしたら
山を降りた(村を離れた)って可能性もあるかもしれない。
もう祖父母も、父も亡くなって10年以上経ちますから、(除)戸籍謄本でもみないと分からない。
地域によっては、古い戸籍が空襲で存在していないって地域も日本にはありますしね。
日本は所有権が強い故に手を入れられず廃村が廃墟化しても土地割りなどが在りし日の姿を留めてくれる。。。ただ、まあ、一般論としては、土地の有効活用のためには制度をナントカしないとなあ。。。
上等のお膳ですね。
昔は冠婚葬祭などのイベントで使うのに食器なんかも一杯しまってました。
こんばんは。島津街道の退却。勉強になりました。ありがとうございました。
今日も良いおじさんにめぐりあいましたね。
コメントありがとうございます!
毎回素敵な出会いに感謝です😊
貴重なお話伺えて有難かったです。ちなみに五右衛門風呂は、和歌山の親戚の家は離れにありました。
桃原はスキー場があったとこですね。峠道の行程もアップして頂けると有難いのですが・・
コメントありがとうございます!
やはり風呂は離れなんですね~
次回はしっかり峠道の行程も収録してますのでお楽しみに😉
廃れ具合が趣があってカッコイイ方だと思います。既に、首都圏郊外も外側から廃墟化が始まっていますし、経済成長期に開発された各地の住宅団地や集合住宅も廃墟化していくと思いますが、もっと無惨な様子になると思います。
土地・家屋の所有者、誰が、いや、どの行政組織が管理しているんでしょうね?まさか宣言(ここからあそこまで自分のものと)で
決める訳じゃないでしょうし、かと言って、こんな斜面が入り組んだ、形もはっきりしない、変化しやすい山肌の集落、測量基準点が
地面に打ち込まれ、正確な測量図を作って市・町の地方行政組織が管理しているとも思われないし...まして90,100年の昔、
そんな技術も法的手続きも、行政組織もなかったろうし...いつもその点が知りたいなと期待を持って拝見していますが、ついぞ、
ヒントさえ散見しません。自分が所有者であると証明する土地権利書がそんな昔あったとも思えないし...所有者なしの土地、
自動的に公有地になる、のは良いにしても、その所有者を公的にどう確定出来るんでしょう?今日、所有権移譲とか放棄に関わる
法的手段の実践の際、きちんとした資料がないことには誰にもどうしようもないと思えるのですが…
昔は、住宅そのものも広い家があって、旧家や手広く商売をやっているような家は、使用人も多く冠婚葬祭を自宅で行う事も多かったみたいですよ。今みたいに結婚式も派手ではなく、また式場を備えたホテル等も無い時代です。特に田舎となると村の女性達が集まって準備して男性陣が酒席に着くなんて時代もあったんじゃないでしょうか❔ 田舎でも有名な街道沿いだったら旅籠もあったとは思いますが…。まあ、いずれにせよ色々と昔に思いを巡らせてああだこうだと推測するのも楽しい時間ですネ🌷
通りすがりですが、非常に興味深く見させていただきました。現実問題ですね。私の実家あたりも人口が減って将来はこの通りになるかも知れません。考えさせられます。
前回の保月集落とは隣村になるのですね!あの神社で100年ちょいの歴史があるのですね🌿 苔むした石段がいいですね~!! 五右衛門風呂は昭和の時代でもありましたよ☺️祖父の家にもありました!昔は木造家屋のためトイレ、お風呂は外にありました!トイレは匂いと畑用の肥やしにするため、お風呂は湿気予防と焚き付けのため離れに建てたと母に聞いた記憶があります!五右衛門風呂は今は物入れになっています(^^)v
料理をのせる台(笑)はお膳ですね!銘々膳(めいめいぜん)でこれも祖父の家にありました🍀昔は家族が多かったので10脚位は普通にありました!今でもまだあると思います!めいめい=各自という意味ですね~(^^)v 廃村になってしまったこの村もやがては朽ち果ててなくなってしまうのでしょうか? 何か寂しいですね🍃 配信ありがとうございました🌷 次回も楽しみにしています🤗
殴り合いはダメですよ〰️😄仲良くジャンケンで🤣💦ww
コメントありがとうございます!
毎回色々なことを教えていただき感謝です😊
あの量のお膳がまさか一般家庭で使用されていたとは思わず・・・
昔の暮らしはまだまだ知らないことだらけです。
@@neu_historica 昔は専門業者もなく、婚礼も葬式も全部家でやっていたから10脚くらいは標準装備で、足りない場合は隣家(隣組)で融通しあってました。映像に出てくる漆塗りのお膳もそういう節目節目の喜怒哀楽とともにあったものでしょう。
廃村の土地の有効利用をかなり考え直さないとならないと感じさせられます。人を呼ぶと言うのは、インフラなどを考えるとあまり現実的とも言えないと言えるので、あまり人口の多い場所に置けない施設の設置もありかと思われますね。
コメントありがとうございます!
やはりこういう場所はアクセスの悪さが一番の課題ですね😥
田舎は家で行事をすることが多いので御膳たくさんあると思いますよ。
島津の退き口の当時を忍ぶ道として整備すれば少なくとも草木の中に朽ちていく事は避けられるんじゃないかと思うのですが…
ここって多賀大社や彦根からすぐの所だし、もったいないなあ。
お疲れ様です
杉や檜の人工林を広葉樹林に戻せば、人もまた住める様になるのではないでしょうか?広葉樹林の時代は野生動物だけでなく人も恩恵に預かっていたそうです。
今年から法律が変わります。
相続登記されないまま、放っておかれると、国に接収されることになります。遅ればせながら、少しづつ空家対策が進んでいくのかな?
家づくり好きな自分にとってはすごく魅力的。まだ使える廃材もあり、庭も広いし。水、電気、ガス、電波が通じていれば最高。大学の建築課や内装デザイン、都市計画の生徒の実践ゼミで使えそう、それで村おこしができたら最高だと思う。
勝手、それぞれの、家に、家族ガ、一生懸命生きた、時代があったのでしょう、不便でも、電灯の、下で笑いながら、食事をしたり、きれいな、空気のなかで、育った、人たち、きっと、林業トか、炭焼きトか、生活ガ、成り立ったのでしょう。いろんなことを、がまんしながら、、なみだがでます。
勝手、?変な、文字に、変換されて?、すいません。
そうなんです!不便でもやっぱり祖先が開拓して建てた家を粗末に出来なくて、住まないのに直してます😅
子供が孫が活用してくれたら嬉しいのですが (’-’*)♪
石垣や、石段は、当時の人たちは、機械もない、なか、人の手で、こつこつ、少しでも、便利を、求めて、作り上げたもの、敬意を、ひょうしたいと、おもいます。
持ち主が税金を納められなければ国が税金がわりに国の土地とすればいいのではないですかね。
国がきちんと管理しなければ日本の国が他国のものになってしまう。それは国の責任ですよ。
未来の子孫の為に!!
それができたら、土地を放棄する人が多数出るだろうね。そしてそこに税金を投入することを良しとする人がどれだけいるか?
国だって山のなかの廃村の土地なんていらないってのが正直なところだろ。
役人にしたって自分の間に問題が起きなければいいって感じだろうし。
「スギ」⤴️のイントネーションが気になって😮
現場さん 企画提案です 恵那市旧山岡町兼平〜峰山〜東木の実〜上矢作達原海なら1日周遊コースで回れますよ。車可能
日本人は歴史的に土地で悪事を働いてたと言われますが、法律を大改正して所有を「主張」しない土地は国のものとなるようにしなくてはいけませんね。でもそんな天下百年の計を考える政治家は存在しません。そもそも国土を個人所有できることがおかしいのです。