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高松宮杯がスプリント戦になったことを知らなかった説が1番好き
フラワーパーク好きな私にとっては気になるわね☺️
復帰を焦って病み上がりで秋天なんてややこしいレース出して惨敗させたのも不味かった。あれで完全にリズムがおかしくなった。コース的に素直なジャパンカップまで待てば良かったと思う。
南井が降ろされたんじゃなくて、南井が他馬に機乗が決まっていた高松宮記念にわざわざ出てきたが正しい。
武が、「あの時のブライアンは調子悪かった。阪神大賞典の時くらいの出来なら勝てたと思う」みたいなこと言ってたから、休養して秋に挑めば当時難しいと言われてた秋天、JC、有馬の3つ獲る姿みれたかもしれないですね
この年の高松宮記念は相手も強かったですし。当時ビコーペガサスが直線で後ろから差を詰められる光景を初めてみたので、ナリタブライアンめちゃめちゃ強いなと思った記憶がある。
タバラセーキの『ブライアンが全盛期ならこんなもんじゃない』の補足に『もしブライアンが全盛期ならトップガンはスタンドまで吹っ飛ばされていたよ』をつけ加えて貰いたかったです 笑 それほど凄まじい馬だったんだと思います
ナリタブライアンこそ史上最強ディープインパクトで騒いでる奴らには全盛時のナリタブライアンの凄さは分かるまい
ダービーと菊花賞のブライアンは正に怪物(^o^;
@@アイーン四郎 菊花賞の時の3コーナーから4コーナーにかけてのギアチェンジは他馬と違う加速でした
@@よしくんたた イナリワンが春天勝った89年も凄いが比べものにならない加速でしたね(^o^;
@@アイーン四郎 あの凄みのあるイナリワンと毎日王冠を叩きあったからオグリキャップはそのあとの天皇賞を落としたのかも。
結果論になってしまうが、スプリントに出すくらいなら、宝塚に直接行ってればメンバーレベル的にもトップガンくらいしか相手いなかったし、勝てたんじゃないかと思ってしまう。
馬主がダビスタのやりすぎだったんだと思ってた
当時競馬関連で仕事をしていたので、ブライアン乗り替わりの件は直接厩舎から記事にしない条件で話してくれました。答えはただ単に南井を下ろしたかっただけ。1200mは使いたくて使ったわけではない。宮記念は南井はエイシンバーリンというお手馬がいる。仕方なく、武豊に依頼したという事にしたかったから。そして宝塚記念も引き続き依頼するという事です。天皇賞春も南井の騎乗が許せなかったのが動機です。
南井さんはご自分が調教師になってみても考え方は変わらなかったみたいですね。大久保調教師の考えは理解出来なかったみたいな話を聞いたことがあります。昨年のアイビスSDでオールアットワンスに騎乗して勝った石川騎手が21年は勝ったけど22年は乗り替わり負けた事が悔しかったのか『彼女の事を一番知ってるのは僕だから!』と言った言葉が凄く印象的。隼人さんもソダシの事を知っているのは自分という気持ちがあったかもしれない。
一生見れない夢を見ていて叩き起こされその夢から覚め現実に絶望する…悲しい限りです…このような馬がまた出てきて欲しい限りです
@@hitokuchiyamero 私は馬券購入歴10年ほどのにわかです。ブライアンの名前はゲームで知ってたくらいで実際にレースをみたのはRUclipsでですがクラシックでの走りは見ててワクワクするような走りでしたね。実際に馬券握って応援したかったです…
南井を降ろすためというのは当時も言われてましたよ。宝塚記念で武豊にすると批判が出るから、高松宮杯から武豊に替えたら騎手じゃない方に批判が行くから。
この後南井克巳騎手も不振に陥ってますが、エイシンバーリンで逃げて逃げて逃げまくると言う新境地を開いて復活宝塚記念では武豊騎手の代打(武豊騎手が先約のあったエアグルーヴに騎乗の為)で騎乗したサイレンススズカでサイレンススズカG1制覇をしています。但し宝塚記念でも、馬上で喧嘩して直線半ばまで全く追わず、ステイゴールドやエアグルーヴに追い詰められてますが、この時はここで追いまくって二の脚使う事で逃げて差すと言うモノホンの化け物完全覚醒に貢献してます。
実際、調教師さんがこの時どう思っていたかは本人しか解らないのかも知れません。ただ南井騎手は、サクラローレルに敗れた春の天皇賞で、ブライアンが最強ではなくなっていた事を理解したのは恐らく間違いないと思います。どこの雑誌だったかは忘れましたが、最強になってから初めて春の天皇賞でローレルに後ろから差し切られた時、全盛期なら差し切られる事なんてなかった、ナリタブライアンと言う一つの時代の終わりを感じた、みたいな事を答えていましたから。
悲しいね…時代が終わるのは…
私は、今でもナリタブライアンが史上最強のサラブレッドだと思っている。
全盛期はものすごかったよ…
ルドルフ ブライアン オグリキャップは最強クラス
1600〜3000
南井が油断していなければ完封していたと言うけど、このあとのレースで横山が上手く乗ればローレルはこの後G1を3勝して合計G14勝していたかも知れないのにと思うんだけどね
動画内でよく使われているウィポの能力表記で行くなら全盛期SS怪我後はS~Aの間って感じか
ブライアンで思い出したが同期のサクラバクシンオーが同じスプリングSに出て4着だったのもなかなかの適正外のローテーションだろう
最強かは分からないけど三冠馬で一番カッコいい馬だと思っています
ナリタブライアンは まごうことなき 最強馬です!
故障前までなら最強かもね
内枠でスタートからダッシュがつかず、直後に外から他馬に行かれて後方になってしまったし、ペースに慣れて追い上げてきたときは勝負が決まった後だった。でも、直線途中までは完全に沈んだように見えたのに、そこから猛然と追い込んで4着まできたし、もう1回チャンスがあったら勝てたんじゃないかと感じたね。負けたけど、やっぱブライアンは強いわと再認識した記憶がある。
的場均騎手が乗ったとき、毛並みが乱れていて輪ゴムでまとめていたのと、レース後に次走騎乗予定の武豊騎手が人ごみをかきわけ的場騎手に取りついて状態を聞きに行ったのが懐かしい夕方の4時から6時のQRラジオで小倉智昭氏が突如高松宮記念出走に反対を言い出したのはびっくりした実は元・テレビ東京の競馬実況担当だった(佐々木竹見騎手の最多勝記念のときは朝のフジテレビの番組司会で特集をねじこんだりしている)
武豊は貪欲よね…そういうところは好感がもてる…
「菊花賞のようなスタートが出来ていれば」って、大久保師はスプリント戦のスタートの速さを知らないのか?w(解説で、「ブライアンのスタートは非常に良かった」と大川さんも言っていた)併せて「もっとテンから果敢に行けば」って意見もあったけど、この時のブライアンのテン3Fは毎日王冠のスズカよりずっと速く、中長距離馬としては限界に近い。それでも後方からになってしまうのがスプリント戦。ただ、結果としてはG1級の3頭以外には勝ってるし、ブライアンの能力は再認識出来たレースだった。願わくば無事に行って、もう少し先を見たかったなあ。
本来は自分の影に怯えるような馬だったと考えるとね…怪我の恐怖は絶望的トラウマだったのかも最強ゆえの越えられない壁本気で走ればブッチギリだったと思う寂しいもんだが仕方無かったかなしかし。。。俺の中で最強はいつまでもブライアンなのだ
あの3歳時(現2歳時)の目の覚めるようなレースを見てればそれを追っかけて……ってのはわかるなぁ今でもあの強い勝ち方は記憶に残ってるし、近くにいれば猶更認めたくはないだろうと
異種格闘技戦を見るようなワクワク感はあったなあ。
斤量じゃなくて距離でハンデって感じかなおいらはわくわくしたなぁ😃💕
というか故障した段階で引退して種牡馬として活躍させとけばに尽きる。せめて長期休暇ぐらいはしとけば結果は色々変わったろう。
早熟馬のレッテルが嫌だったんでしょうね。
母のパシフィカスがノーザンダンサー晩年の産駒だったせいでノーザンダンサーの血が近すぎるところにあって(ノーザンダンサー系の繁殖牝馬が多かった)絶妙に付けにくい種牡馬だからなかなかに厳しい。
4着だったけど、強い馬だなって思えたレースだったわねローテの理解には苦しむけれども
ディープインパクトを見て競馬場ではしゃいでた世代はディープインパクトが史上最強だと言うだろうが競馬歴35年の自分が見てきた中ではナリタブライアンこそ史上最強だと断言する。彼が明け4歳時の阪神大賞典のレースを見ればオルフェーヴルでさえ勝てなかった凱旋門賞も優勝出来たのではと思う。パワー、スタミナ、末脚は近年の名馬の更に上のレベルだし、何よりも怪我する前のナリタブライアンには他馬よりギアが3つほど多くあったかのように仕掛けた回数分だけ確実に加速とパワーを増し後続馬を引き離す一方であった。ダービーや有馬記念あと明け4歳の阪神大賞典を見てもらえれば分かるが南井はゴール前はほぼ追っていない。ナリタブライアンとビワハヤヒデの兄弟は現在のメンバーと闘っても間違いなくワン・ツーでゴールする完璧な馬だったと思う。惜しむらくはナリタブライアン・ビワハヤヒデとも酷使や強すぎる調教が災いしたのか故障に泣いたが
最後の結論部分がほぼ同じ考察です。ブライアンは完調していた。しかし全力で走ることを恐れてしまった。これが全てかと。大久保調教師は本当に苦心し試行錯誤されていたと思います。
大久保正に預けられたのが運の尽きだったのかもね
イイデセゾン潰したし エリモジョージも変な使い方していたしね
馬主の資金繰りが悪化してたからなぁ🥺
一度でいいからビワハヤヒデとぶつかって欲しかった
私の持っている書籍にも(2001年取材)ナリタブライアンを現代のタケシバオーにさせたかったと大久保調教師が語っていました
「なぜ高松宮記念を使ったのか?」という問いに対する答えは、単に「もうひとつG1を勝たせたかったから」というのが真実なのではないでしょうか。春の天皇賞を勝っていればおそらく使っていなかったであろうというコメントがそれを裏付けていると思います。
@@hitokuchiyamero さん 安田記念だとトロットサンダーという強敵もいて宝塚記念まで中2週になるので、相手関係と宝塚記念への間隔を考慮して、勝てる可能性が高く最悪こぼしても宝塚記念への調整期間を取れる高松宮記念がベストだと踏んで出走した、ということだと解釈しています。
@@テツロー-x5m トロットサンダーが当時ナリタブライアンが憚るほどの強敵だったと思われてたかな?私はトロットサンダーを条件戦からずっと追いかけてましたけれどそもそも前走の京王杯SCは3着ですよね。現場で見てましたがいかにも距離不足の走りに映りやはり1600mじゃないとダメなんだなぁとか思っていましたけれど。結果としてどんな条件であれ距離が1600mなら負けることの無かった名馬ですが安田記念も一番人気とはいえそんな絶対的存在では無かったよなぁ、と。
あの時の競馬ファンは股関節炎発症で引退と考えていました。何故ならばフジキセキのような種牡馬の期待があったし最強のイメージが残るから。そこからなんで現役続行したかわかりませんが少なくともまだいけるという欲があったのはおおかた予想がつくと思います。
まあ、覚醒したサクラローレルも相当強かったけどなぁ…
ナリブと同世代だし、全盛期対決見たかったです。ナリブが勝つと思いますが、流石のサクラローレルも強いと思うので、僅差になると思います。ディープも強い馬には負けたりしてるので。
雨の菊花賞を現地で見てました。エアダブリンと叫びながら…
@@hitokuchiyamero チケットでさえズブいと思っていたのにエアダブは輪をかけてズブズブトニービン産駒らしさが印象的でしたね
思ったけど……朝日杯FSからの三冠馬って居ないよなぁ……とか思ってしまった……やっぱ、三冠馬になるような馬って2000mから3000mが適正な感じにも思えるからマイルも勝てる馬だったという事は、1200のスプリントもと感じなくは、無い気がしてしまう……マイル中距離長距離の3階級制覇はしているんだなぁ……ある意味4階級制覇できる可能性すらあったということなんだなぁ……一層、ナリタブライアンが好きになりました
確か、金鯱賞も、ナリタブライアンの現役最終年から、負担重量とグレードがハンデのG3から別定のG2になり、しかも、宝塚記念の前哨戦に位置付けられてたから、斤量青天井の別定ではなく、「G1ホースであれば最大59kg」の阪神大賞典と同じパターン。だから、単純にレース間隔が空くのを嫌ったのであれば、金鯱賞使うと思うんだ。少なくともオレが調教師なら、金鯱賞使うと思う。競馬ゆっくりの「平成のタケシバオー伝説作る」って考え方、腑に落ちる感じするね。
当時もやもやしていた幾つかの事柄に合点がいきました。ありがとうございます。甥の影響で再びブライアンを考えるにあたって新たな視点を獲得できました。大変参考になりました。
サクラローレルはすごく強かった。中山記念からのローテで勝つ馬当時はいなかったと思い真っ先に外した。そして直線で早々と馬券ハズレた自分がいうのだから間違いない。有馬記念のサクラローレルもすごく強かった。
骨折復帰明けで、皐月賞馬で適距離のジェニュインを並ぶ間もなく差し切ってますしね。あのときはほんとこいつやべーって思いましたよ。岡部びいきの自分でもお手上げでした。
脚部の弱さがなければもっとタイトル取れたがそれでも強すぎたローレル(^o^;
当時のことや大久保のローテーションのことはわかりませんが、オーストラリアや香港では目標のレースの前に短距離のレースをステップに使うことはあるみたいですね。ブライアンズタイム産駒は限られた厩舎にしか預けられてないと聞きますし、大久保なりにナリタブライアンを目標のレースでスムーズに走れるように工夫したのだと思います。
これ、ブライアン出走してくれたお陰で馬券取れたんだわ。ナリタブライアンには申し訳なかったけど···
当時の圧倒的先行有利の小回り中京、それもG1で4着なら普通に立派。3着までのフラワーパーク、ビコーペガサス、ヒシアケボノは当時の短距離スペシャリスト。前走が春天じゃなければ分からなかった。
ナリタブライアンのダービーに(父のブライアンズタイムの)生産者を招待したという記事を見て、アメリカから呼び寄せるなんて凄い自信だなーと子供心に思っていました。実際はサンシャインフォーエヴァー関連で日本に来ていたのを競馬場に招待したのだと思いますけど。
みんなロマンを求めるが、金だろ!
金がロマンだと感じる人もいるらしい。
実は大久保正陽師自身ナリタブライアンの状態を掴みかねていて頭が混乱していて冷静な判断がつかず、普通ならあり得ない高松宮杯挑戦に至ったのではないかと思う。
実際白井最強こと白井調教師もダンスパートナーでは騎手選択で相当苦労し、一度は武豊騎手を降板させたもの、引退レースでは武豊再登板まで考えていたそうです。その経験と、息子さんの「ダンスパートナーは最後まで武豊騎手で行くべきだった。エリザベス女王杯も武豊騎手だったら繰り上げではなく実力で勝っていた」と考えて「親父の厩舎への入厩条件は武豊騎手騎乗」と明言、入厩後も「まだ乗ってもらってないのか」と連日電話してました。橋口調教師も「何故武豊騎手をあまり乗せないのか」と言う質問にうちの厩舎には高橋君がいる。何戦か彼に乗ってもらって途中から豊君にスイッチ、これは彼にも豊君にも失礼過ぎる。高橋君には経験積ませる為にドンドン乗せる。敢えて武豊騎手を起用するとしたら、ダンスインザダーク級の大物が入って来た時で、その時は最初から武豊騎手で行きます。と答えてます。このようにナリタブライアンやダンスインザダーク、スペシャルウィークやディープインパクト級の超大物を預かる調教師は常に騎手選択には頭痛めてます。
4着に来たから大健闘とみることもできるけど、レースを見ると完全に大勢が決してから追い始めて、フラワーパークに競り負けた馬をなんとか一頭かわしてるだけ。ブライアンの生涯で最大のタイム差で負けたレースでもあるんだよな。着順以上にボロ負けしてる。
正直あんな姿見たくなかった…
@@hitokuchiyamero 確かあのレースでメジロマックイーンを抜いて獲得賞金歴代一位になったんでしたっけ。まぁ、あの勝つ気のない騎乗を見るにとりあえず賞金だけ持って帰って来いって言われてたんじゃないですかね。
ケガをして終わってしまった馬全盛期はまさに怪物
凄いなぁレースビデオもしっかり見直ししてるなんて❗私が馬券始めた時はタッチで全盛期過ぎなんでup主が羨ましいよ!
確かに勝った時の事を考えれば唯一無二の馬になる、難しいわな。
ミナイを完全におろす為だろうに、ミナイは高松宮ですでに他の馬に騎乗馬が決まっていた。だからあえて高松宮を走らせた。ただたんにミナイいじめの為ですわ、
高松宮杯に出走させた経緯についてですが「オーナーの意向であった」と、当時何かの競馬雑誌に載っていたと記憶しています。中学生の時の記憶なので間違っていたら申し訳ないのですが、その時書いてあった内容として「馬主欄には山路と表記されているが、ある時点で別の方にトレードされたため、元を取るために走らされた。トレードしたので、山路さんはローテに口出しできない」といった事だったと思います。真実かどうか分かりませんが、オグリの件とも重なり、とてもショックでした。
当時出てた本に書いてあったけど中京で4着ならブライアンなら中山のスプリンターズは勝てる。と書いてあった。多分無理だと思うけど。話は変わりますがあの菊花賞の暴力的なまでの内容を見ると90年代の最強はブライアンでしかるべきだと思います。ブライアンのベストレースは菊花賞。これは譲りません。
俺は皐月。
ナリタブライアンは大好きな馬だけど、ナリタブライアンファンにはちょいちょい他馬への敬意が足りないなと思うわ今もねいつまでもたらればで他馬をぶっ千切ってたと息巻くその姿勢はぶっちゃけ嫌いだわ
ディープインパクトのコアなファンより相当マシでしょ?😏
もうあの股関節炎やってからなんか先が無いんではと見えていたね
3冠レースで一番衝撃受けたのは皐月賞でしたわ…あの当時は破格のレコードだったし全盛期はなぎ倒すと言う言葉がピッタリなイメージでした
@@hitokuchiyamero 確かに重要かもですオペラオーはじめ皐月賞をやばい勝ち方した馬ってかなりの確率ですごい活躍してるような…
ディープもスタートやばかったのに何事もなかったかのように勝ちましたしね。
@@hitokuchiyamero あっアンライ………
あのハイペースで好位追走して直線さらに脚を伸ばす競馬の常識を覆した走り
高松宮記念、ナリタブライアンのエンジンがかかる前に決着してたね。スプリント勢がヨーイドンの競馬してたらわからんかった。まあ、武がそれに合わせたら4着すらないけどな。
安田記念じゃなかったのが本当に不思議だった。
連帯率の高さが強さの証明になっていた時代も強く影響してたと思います。早い段階で連帯率落としたブライアンには三冠の”次の偉業”を時代が求めてましたから。
フラワーパークペガサス馬連当たりや5千円買ってた懐かしいな
故障前の阪神大賞典のパドックで鞍上の南井がニコニコしていたのを思い出したよ。レースも楽勝だったからなぁ。
なんだかんだでちゃんと伸びてきて4着だから適正がなかったわけじゃないんだろうなぁ
ブライアンズタイムも産駒が色々なタイプ出ましたしね
グラスワンダーの的場Jも朝日杯の怪物グラスワンダーの幻影に憑かれてた節があると思ってます。 あちらはグランプリ3連覇してるので十分凄いのですが。
スペシャルウィークを寄せ付けない強さでしたしね~
あの頃のバッシングは本当にすごかった。でもその中でビコーペガサス陣営が「4歳時には対戦できなかった(マル外だし短距離馬だし)ので一緒に走れるのは光栄です」といったニュアンスのコメントを残していて、中京のファンも走りを見たかったでしょうし自分は「安田記念じゃないの?」と思いつつも当時は出走を受け入れてました
ナリタブライアンのダービーを見て競馬を始めたので、印象的な馬ですねディープやオルフェーブルとは違った強さでした。
どなたかも書いてるけどの番組改編に抗議というか当てつけで1200に出走させたと私も思っていたが、この動画を見るともっと深い思惑があったのかも知れませんね。
これオーナーの話が聞きたいね。流石にオーナーを無視して高松宮記念の出走決めたり南井騎手を降ろしたりしないだろうからオーナーが大久保調教師からどんな説明を聞いたか気になる。
天皇賞も阪神大賞典もブライアンの走りじゃないんだよなぁ
ブライアンはたくさんの関係者の夢を背負ってたんやな、、、
今でも納得いかない。レースの勝ち負けが決まった頃にガーっと追い込んで来ての4着。そらそうだ…と思ったよ。短距離路線に行くならせめて安田だよね…府中の1600なら勝ち負けになってたと思うよ。そもそも短距離に行く必要なんか全くなかったと思うがね。俺はブライアンが早世してしまったのは1200の負け戦をさせられたからだと思ってるよ。
最後の高松宮杯は論外としても本当に批判されるべきは故障明けの秋の使い方にあるんだろうなと思う馬が痛みを恐れて全力で走れないのが分かっているならじっくり待つべきだった無理に走らされた秋によってブライアンが規格外の馬から普通の強い馬になってしまったのでは?と思う
当時ナリタブライアンの放牧面積が10000㎡位有ってスゲーと思った。
早田牧場…そういうとこなのかな…
ブライアンが全盛期のような強さならそもそも高松宮杯には行かない。
うちの中でも最強馬ですわー。実際、高松宮でも馬券は買ってたしブライアンならやってくれるかも?ってのは有ったなぁ。産駒が結果残す前に無くなっちゃったのは残念だけど。。。。とりあえず!!サムソンビック・・・・・でてきたことに笑いましたw
全て同意です。同時期に、凄いローテの怪物牝馬もいましたね。ブライアンに通じるところもありそうなので是非リクエストさせて頂きたいです。
イクノ?
ヒシアマゾンです
@@お花見-u7s 牡馬と堂々と渡り合った強さは最強牝馬に違いなし繁殖では残念な成績でしたが血統は申し分ない
当時を振り返ると、三冠馬のナリタブライアンの種牡馬としての価値を上げるために挑戦した意図もあったと思います。調教師も勝ち負けになるくらいは予想してたと思いますよ。掲示板でも立派ですけどね。今の人はコントレイルが短距離G1にでると思ったらちょうどいいのかも知れませんね。
@@hitokuchiyamero さん、勝てば官軍で結果論ですから真相は…よく分かりませんねぇ…ただの最強馬としての価値を取り戻したかったのは事実でしょうねゆっくりさんの動画のタヴァラ弄りは大好きです。これからも楽しい動画を期待しています。
大久保師独特の叩きレースの使い方天皇賞馬エリモジョージを札幌の短距離レースに使ったりグランプリ2勝馬メジロパーマーをスワンステークスに使ったのと同じ
ヤマノシラギクの大久保先生か?(察し…
いまだに自分の中では、ブライアンが最強馬です。世代が弱かったと言う人もいるでしょうが、ディープインパクトの年だって世代が弱く感じたし抜け出た強さの馬はそう見られ易いんだろうな~ってゆうのが自分の感覚です。
三冠馬って良くも悪くも難しい生き物ですよね…
バリバリのスプリンター、フラワーパークに勝てたわけないやん。
ですよね~明らかに中~長距離がゴリゴリのマッチョスプリンターには勝てませんタケシバオーは例外だけど
三点リーダーが多すぎるんじゃい!!
いつも面白い動画ありがとうございますまさに先日お話のあった件についての動画でなるほどと感心しました未だにナリタブライアンが一番好きで一番強かったと思っている自分にとって一つの区切りにもなる考察でしたナリタブライアンになハヤヒデとの兄弟対決最強時の復活そして産駒色々と思うことがありすぎる馬なので現実を認めたくないというのは大久保師はじめ多くのファンも同じなのでしょうね
当時、大久保調教師が闘争心を煽るために短距離G1を使った記憶がある
怪物だったが怪我で全てが狂ってしまったサッカーのロナウドと一緒だよ怪我前は怪物で怪我後は只の一流悲しいけどね
他だと小野伸二も同じことが…。
ナリタブライアンマジで好きだったなぁ。今でも私の中では最強馬はディープではなくナリタブライアン!噂レベルでだけど総賞金でトップを獲るために無理矢理高松宮杯に出したって聞いた時はマジで腹が立った……。
そうなんです…普通に考えたらなんで高松宮杯なんだ!?ってなりますよね( ̄▽ ̄;)当時の私も宝塚記念出しておけば安牌だったのにと怒りがふつふつと……。
天皇賞を勝てなかったからそれを埋める為に1円でも馬主が金欲しかったんでしょ。
@@hitokuchiyamero 馬主・・山路さんでしたっけ?勝てると思ってたんでしょう。
>名馬は人を狂わせるニジンスキーの馬主が有名ですね( ̄Д ̄;
高松宮杯は調教でしょう。そう思ってました。(単勝買ったけど)色んな思惑はあったでしょうけど、大本命は宝塚記念で、「まあ勝てるかな!?」くらいだったんじゃないかと。だから「負けさせてしまった」ことに、後々後悔の念が出てきたのではないかと推察します。当時、「スタートが良いから」というコメントを読みました。確かにゲートは早かったけど、スプリント戦独特の二の足が付かず後手になった。4着には入っているし、並みの馬ではできない。故障キッカケに『普通のオープン馬』になってしまったナリブーだけど、阪神大賞典という有観客の調教で闘魂注入されて、闘志は戻ってきた。さすがは武豊。とはいえ、天皇賞・春は南井じゃなきゃね、ということで南井が乗ったけど、最強馬時代しか知らない南井は足元を掬われてしまった(田原かユタカが、そういうコメントを言っていた)。武豊を確保したので、「ゲートの上手いユタカであわよくば」ってな感じの高松宮杯だったのかと思う。GⅠ初年度だし、ナリブー参戦は話題にもなって興行的には良かったけど、故障は残念でしたね。ビワハヤヒデの弟なのに、良血らしからぬ叩き上げの競争成績。白いシャドーロールに、低重心でクビを前後に動かすダイナミックなフォーム。記憶に残る最高の最強馬だった。
強かった❗️フォーム的にはユタカの方が向いてたのかもしれないけど、やっぱ南井あってのブライアン‼️
大川さん激怒してたし、私もアホかって思ってたけど蓋開けてみたら勝ちそうだったよ何回かやったら一回は勝てそうだった本当にスタートだけの可能性はあった
スタートが決まっていた世界を見たかった…
いや、大川さんも言ってましたけどスタートは非常に良かったんです。そこから2~4F目に掛けて生涯最速の3F33秒(切ったかも)。毎日王冠のスズカより全然速く、中長距離馬の限界に近い速度でしょう。でも速く見えないのは先行型スプリンターが更にそれより速いからで(2~4F目32秒前半)、これは生まれついての差なんですよ。レース後の大川さんの「(ブライアンは)良くやった、褒めてやって下さい。無事だといいなあ」という発言が印象的でした。
内容に何ら関係ない種馬になってからナリタブライアンが私の故郷の隣り町で手術受けた施設に仕事行った事あるよ 早く亡くなり過ぎだよね
ローレルの天皇賞は二点で獲りました。(もう一点はブライアン~サマーサスピション…鞍上の爆発に期待していました。)ブライアン同様、ローレルは怪我で長期休養があった馬とはいえ、そこまでの内容が抜群、加えて当時一流の血統背景だったので、タヴァラのトップガンを切ってローレルを選びました。しかしまさかブライアンまで負かしてしまうまでは想像できなかった…。四歳時(※当時の馬齢表記)のブライアンとアマゾンには逆らっちゃいけないオーラが見えていました。アマゾンと血統背景が似ているブリザードを含めた3頭は引退まで応援していました。それが…ブライアンは故障から完全復帰しないまま引退、アマゾンは謎の狂気に取り憑かれ低迷、足元を見ながら走り続けたブリザードはBC二年連続トンコロとはいえ、G1も取れました。応援のしがいがあった年代でした。サムソンがエアダブリンやヤシマソブリンと並列してもらえてうれしい…。
馬主の言葉を無視して高松宮、南井下ろしはどうかと。。。馬主は南井に乗って欲しかったと。
あり得るんではなく、そうなんです!
平成のタケシバオーにしたかった説妄想が捗るので推したいもし春天→宮杯ムーブが見事に決まっていたら大久保「引退レースは来年G1昇格するフェブラリーSで」
タケシバオーも怪物でしたね(^o^;
大久保「ナイスネイチャやマチカネタンホイザでも勝てるレースだろ」って舐めていた説
万全なら、あの阪神大賞典はぶっちぎってたはず。4歳時(現3歳)は間違いなく当時の世界最強!怪我なく無事なら、ラムタラとの凱旋門対決が見たかった(´;ω;`)
ノーザンダンサー付けにくい馬同士の対決ですな(笑)
@@キングクラウン 様確かに両馬ともに種牡馬としては厳しかったですね。晩年はどちらも不遇というか不運と言うか、、、人間のドロドロに巻き込まれた名馬になってしまいました💦
90年代の日本馬が世界最強www??
@@billk516 未だにエルコンドルパサーのレートも超えられず国内最強だったタイキシャトルはともかく、イマイチレベルのシーキングザパール、アグネスワールドらが勝ってる欧州G1すら勝てないのが今の日本馬だけどな
怪我する前は本当に最強馬だった。復活の阪神大賞典?、あれはマヤノから少しだけ前に居ればいいでしょ?と突き放そうとしなくなったブライアンを見せつけたレースだったよ。最強だった時の印象が強すぎて陣営がそれに囚われてたってのは説得力あるね、色々納得がいく説明だった。
タヴァーさんの怪我前だったらマヤノトップガンなんか並べもせずに突き放されてたと言っちゃうくらいですからねぇ全盛期なら距離関係無く勝ってたかもしれませんねぇ……ぶっちゃけ、後ろからで唯一掲示板に入った馬でしたからねぇ……
60オーバーのレースに出した日にゃあテンポイントの悪夢を平成の世で再現することになるわ😱
本当怪我前はどんな馬でも勝てないと思うわ、スイッチ入った時のブライアンはチーターみたいなフォームだったもんなー
いや普通に負けたでしょ 無敗三冠でもないし
ブライアンの話ありがとうございます。旧5歳の有馬記念では馬なりでマヤノを追走しているから普通に考えれば直線で5馬身は引き離せるはずなのに。結果は・・。私もブライアンについては記事を集めていたので陣営がもう一つだけG1を取らせたいと思って脚部に負担がすくないダート(フェブラリー)を検討していた記事も見ました。関係者は近くに居過ぎて真実を認めれなかったんですね。ファンは天皇賞秋のパドックで既に気づいてましたが。一番良い未来は股関節炎で引退だったんですね。故障のニュースが流れた時は現役復帰できるのか、良かったと思ってた。結果は最弱三冠馬候補にブライアンはなってしまった・・当時を知っていると最弱三冠馬なんて有りえないが。ゲームは旧4歳で凱旋門賞を取らせ、ナリタブライアン系を確立させています。オグリキャップ~ナリタブライアンまでがロマンがあった競馬時代だと思っています。長文すみません。また当時の空気感として中京競馬第1回目のG1高松宮はあまり盛り上がっていませんでした。しかし3冠馬が名古屋に来る!となった時の地元フィーバーは凄まじかったです。
高松宮杯がスプリント戦になったことを知らなかった説が1番好き
フラワーパーク好きな私にとっては気になるわね☺️
復帰を焦って病み上がりで秋天なんてややこしいレース出して惨敗させたのも不味かった。あれで完全にリズムがおかしくなった。コース的に素直なジャパンカップまで待てば良かったと思う。
南井が降ろされたんじゃなくて、南井が他馬に機乗が決まっていた高松宮記念にわざわざ出てきたが正しい。
武が、「あの時のブライアンは調子悪かった。阪神大賞典の時くらいの出来なら勝てたと思う」みたいなこと言ってたから、休養して秋に挑めば当時難しいと言われてた秋天、JC、有馬の3つ獲る姿みれたかもしれないですね
この年の高松宮記念は相手も強かったですし。当時ビコーペガサスが直線で後ろから差を詰められる光景を初めてみたので、ナリタブライアンめちゃめちゃ強いなと思った記憶がある。
タバラセーキの『ブライアンが全盛期ならこんなもんじゃない』の補足に『もしブライアンが全盛期ならトップガンはスタンドまで吹っ飛ばされていたよ』をつけ加えて貰いたかったです 笑 それほど凄まじい馬だったんだと思います
ナリタブライアンこそ史上最強
ディープインパクトで騒いでる奴らには全盛時のナリタブライアンの凄さは分かるまい
ダービーと菊花賞のブライアンは正に怪物(^o^;
@@アイーン四郎 菊花賞の時の3コーナーから4コーナーにかけてのギアチェンジは他馬と違う加速でした
@@よしくんたた イナリワンが春天勝った89年も凄いが比べものにならない加速でしたね(^o^;
@@アイーン四郎 あの凄みのあるイナリワンと毎日王冠を叩きあったからオグリキャップはそのあとの天皇賞を落としたのかも。
結果論になってしまうが、スプリントに出すくらいなら、宝塚に直接行ってればメンバーレベル的にもトップガンくらいしか相手いなかったし、勝てたんじゃないかと思ってしまう。
馬主がダビスタのやりすぎだったんだと思ってた
当時競馬関連で仕事をしていたので、ブライアン乗り替わりの件は直接厩舎から記事にしない条件で話してくれました。答えはただ単に南井を下ろしたかっただけ。1200mは使いたくて使ったわけではない。宮記念は南井はエイシンバーリンというお手馬がいる。仕方なく、武豊に依頼したという事にしたかったから。そして宝塚記念も引き続き依頼するという事です。天皇賞春も南井の騎乗が許せなかったのが動機です。
南井さんはご自分が調教師になってみても考え方は変わらなかったみたいですね。大久保調教師の考えは理解出来なかったみたいな話を聞いたことがあります。
昨年のアイビスSDでオールアットワンスに騎乗して勝った石川騎手が21年は勝ったけど22年は乗り替わり負けた事が悔しかったのか『彼女の事を一番知ってるのは僕だから!』と言った言葉が凄く印象的。隼人さんもソダシの事を知っているのは自分という気持ちがあったかもしれない。
一生見れない夢を見ていて叩き起こされその夢から覚め現実に絶望する…
悲しい限りです…
このような馬がまた出てきて欲しい限りです
@@hitokuchiyamero 私は馬券購入歴10年ほどのにわかです。
ブライアンの名前はゲームで知ってたくらいで実際にレースをみたのはRUclipsでですがクラシックでの走りは見ててワクワクするような走りでしたね。実際に馬券握って応援したかったです…
南井を降ろすためというのは当時も言われてましたよ。
宝塚記念で武豊にすると批判が出るから、高松宮杯から武豊に替えたら騎手じゃない方に批判が行くから。
この後南井克巳騎手も不振に陥ってますが、
エイシンバーリンで逃げて逃げて逃げまくる
と言う新境地を開いて復活
宝塚記念では武豊騎手の代打(武豊騎手が先約のあったエアグルーヴに騎乗の為)で騎乗したサイレンススズカでサイレンススズカG1制覇をしています。
但し宝塚記念でも、馬上で喧嘩して直線半ばまで全く追わず、ステイゴールドやエアグルーヴに追い詰められてますが、この時はここで追いまくって二の脚使う事で
逃げて差す
と言うモノホンの化け物完全覚醒に貢献してます。
実際、調教師さんがこの時どう思っていたかは本人しか解らないのかも知れません。
ただ南井騎手は、サクラローレルに敗れた春の天皇賞で、ブライアンが最強ではなくなっていた事を理解したのは恐らく間違いないと思います。どこの雑誌だったかは忘れましたが、最強になってから初めて春の天皇賞でローレルに後ろから差し切られた時、全盛期なら差し切られる事なんてなかった、ナリタブライアンと言う一つの時代の終わりを感じた、みたいな事を答えていましたから。
悲しいね…時代が終わるのは…
私は、今でもナリタブライアンが史上最強のサラブレッドだと思っている。
全盛期はものすごかったよ…
ルドルフ ブライアン オグリキャップは最強クラス
1600〜3000
南井が油断していなければ完封していたと言うけど、このあとのレースで横山が上手く乗ればローレルはこの後G1を3勝して合計G14勝していたかも知れないのにと思うんだけどね
動画内でよく使われているウィポの能力表記で行くなら全盛期SS怪我後はS~Aの間って感じか
ブライアンで思い出したが同期のサクラバクシンオーが同じスプリングSに出て4着だったのもなかなかの適正外のローテーションだろう
最強かは分からないけど三冠馬で一番カッコいい馬だと思っています
ナリタブライアンは まごうことなき 最強馬です!
故障前までなら最強かもね
内枠でスタートからダッシュがつかず、直後に外から他馬に行かれて後方になってしまったし、ペースに慣れて追い上げてきたときは勝負が決まった後だった。でも、直線途中までは完全に沈んだように見えたのに、そこから猛然と追い込んで4着まできたし、もう1回チャンスがあったら勝てたんじゃないかと感じたね。負けたけど、やっぱブライアンは強いわと再認識した記憶がある。
的場均騎手が乗ったとき、毛並みが乱れていて輪ゴムでまとめていたのと、レース後に次走騎乗予定の
武豊騎手が人ごみをかきわけ的場騎手に取りついて状態を聞きに行ったのが懐かしい
夕方の4時から6時のQRラジオで小倉智昭氏が突如高松宮記念出走に反対を言い出したのはびっくりした
実は元・テレビ東京の競馬実況担当だった
(佐々木竹見騎手の最多勝記念のときは朝のフジテレビの番組司会で特集をねじこんだりしている)
武豊は貪欲よね…そういうところは好感がもてる…
「菊花賞のようなスタートが出来ていれば」って、大久保師はスプリント戦のスタートの速さを知らないのか?w
(解説で、「ブライアンのスタートは非常に良かった」と大川さんも言っていた)
併せて「もっとテンから果敢に行けば」って意見もあったけど、この時のブライアンのテン3Fは毎日王冠のスズカよりずっと速く、中長距離馬としては限界に近い。それでも後方からになってしまうのがスプリント戦。
ただ、結果としてはG1級の3頭以外には勝ってるし、ブライアンの能力は再認識出来たレースだった。願わくば無事に行って、もう少し先を見たかったなあ。
本来は自分の影に怯えるような馬だったと考えるとね…怪我の恐怖は絶望的トラウマだったのかも
最強ゆえの越えられない壁
本気で走ればブッチギリだったと思う
寂しいもんだが仕方無かったかな
しかし。。。俺の中で最強はいつまでもブライアンなのだ
あの3歳時(現2歳時)の目の覚めるようなレースを見てればそれを追っかけて……ってのはわかるなぁ
今でもあの強い勝ち方は記憶に残ってるし、近くにいれば猶更認めたくはないだろうと
異種格闘技戦を見るようなワクワク感はあったなあ。
斤量じゃなくて距離でハンデって感じかな
おいらはわくわくしたなぁ😃💕
というか故障した段階で引退して種牡馬として活躍させとけばに尽きる。
せめて長期休暇ぐらいはしとけば結果は色々変わったろう。
早熟馬のレッテルが嫌だったんでしょうね。
母のパシフィカスがノーザンダンサー晩年の産駒だったせいでノーザンダンサーの血が近すぎるところにあって(ノーザンダンサー系の繁殖牝馬が多かった)絶妙に付けにくい種牡馬だからなかなかに厳しい。
4着だったけど、強い馬だなって思えたレースだったわね
ローテの理解には苦しむけれども
ディープインパクトを見て競馬場ではしゃいでた世代はディープインパクトが史上最強だと言うだろうが競馬歴35年の自分が見てきた中ではナリタブライアンこそ史上最強だと断言する。彼が明け4歳時の阪神大賞典のレースを見ればオルフェーヴルでさえ勝てなかった凱旋門賞も優勝出来たのではと思う。
パワー、スタミナ、末脚は近年の名馬の更に上のレベルだし、
何よりも怪我する前のナリタブライアンには他馬よりギアが3つほど多くあったかのように
仕掛けた回数分だけ確実に加速とパワーを増し後続馬を引き離す一方であった。
ダービーや有馬記念あと明け4歳の阪神大賞典を見てもらえれば分かるが南井はゴール前はほぼ追っていない。ナリタブライアンとビワハヤヒデの兄弟は現在のメンバーと闘っても間違いなくワン・ツーでゴールする完璧な馬だったと思う。
惜しむらくはナリタブライアン・ビワハヤヒデとも酷使や強すぎる調教が災いしたのか故障に泣いたが
最後の結論部分がほぼ同じ考察です。
ブライアンは完調していた。しかし全力で走ることを恐れてしまった。
これが全てかと。
大久保調教師は本当に苦心し試行錯誤されていたと思います。
大久保正に預けられたのが運の尽きだったのかもね
イイデセゾン潰したし エリモジョージも変な使い方していたしね
馬主の資金繰りが悪化してたからなぁ🥺
一度でいいからビワハヤヒデとぶつかって欲しかった
私の持っている書籍にも(2001年取材)
ナリタブライアンを現代のタケシバオーにさせたかったと
大久保調教師が語っていました
「なぜ高松宮記念を使ったのか?」という問いに対する答えは、単に「もうひとつG1を勝たせたかったから」というのが真実なのではないでしょうか。春の天皇賞を勝っていればおそらく使っていなかったであろうというコメントがそれを裏付けていると思います。
@@hitokuchiyamero さん 安田記念だとトロットサンダーという強敵もいて宝塚記念まで中2週になるので、相手関係と宝塚記念への間隔を考慮して、勝てる可能性が高く最悪こぼしても宝塚記念への調整期間を取れる高松宮記念がベストだと踏んで出走した、ということだと解釈しています。
@@テツロー-x5m
トロットサンダーが当時ナリタブライアンが憚るほどの強敵だったと思われてたかな?
私はトロットサンダーを条件戦からずっと追いかけてましたけれどそもそも前走の京王杯SCは3着ですよね。
現場で見てましたがいかにも距離不足の走りに映りやはり1600mじゃないとダメなんだなぁとか思っていましたけれど。
結果としてどんな条件であれ距離が1600mなら負けることの無かった名馬ですが安田記念も一番人気とはいえそんな絶対的存在では無かったよなぁ、と。
あの時の競馬ファンは股関節炎発症で引退と考えていました。何故ならばフジキセキのような種牡馬の期待があったし最強のイメージが残るから。そこからなんで現役続行したかわかりませんが少なくともまだいけるという欲があったのはおおかた予想がつくと思います。
まあ、覚醒したサクラローレルも相当強かったけどなぁ…
ナリブと同世代だし、全盛期対決見たかったです。ナリブが勝つと思いますが、流石のサクラローレルも強いと思うので、僅差になると思います。ディープも強い馬には負けたりしてるので。
雨の菊花賞を現地で見てました。エアダブリンと叫びながら…
@@hitokuchiyamero チケットでさえズブいと思っていたのに
エアダブは輪をかけてズブズブ
トニービン産駒らしさが印象的でしたね
思ったけど……朝日杯FSからの三冠馬って居ないよなぁ……とか思ってしまった……
やっぱ、三冠馬になるような馬って2000mから3000mが適正な感じにも思えるから
マイルも勝てる馬だったという事は、1200のスプリントもと感じなくは、無い気がしてしまう……
マイル中距離長距離の3階級制覇はしているんだなぁ……
ある意味4階級制覇できる可能性すらあったということなんだなぁ……
一層、ナリタブライアンが好きになりました
確か、金鯱賞も、ナリタブライアンの現役最終年から、負担重量とグレードがハンデのG3から別定のG2になり、しかも、宝塚記念の前哨戦に位置付けられてたから、斤量青天井の別定ではなく、「G1ホースであれば最大59kg」の阪神大賞典と同じパターン。
だから、単純にレース間隔が空くのを嫌ったのであれば、金鯱賞使うと思うんだ。少なくともオレが調教師なら、金鯱賞使うと思う。
競馬ゆっくりの「平成のタケシバオー伝説作る」って考え方、腑に落ちる感じするね。
当時もやもやしていた幾つかの事柄に合点がいきました。ありがとうございます。甥の影響で再びブライアンを考えるにあたって新たな視点を獲得できました。大変参考になりました。
サクラローレルはすごく強かった。
中山記念からのローテで勝つ馬当時はいなかったと思い真っ先に外した。
そして直線で早々と馬券ハズレた自分がいうのだから間違いない。
有馬記念のサクラローレルもすごく強かった。
骨折復帰明けで、皐月賞馬で適距離のジェニュインを並ぶ間もなく差し切ってますしね。あのときはほんとこいつやべーって思いましたよ。岡部びいきの自分でもお手上げでした。
脚部の弱さがなければもっとタイトル取れたがそれでも強すぎたローレル(^o^;
当時のことや大久保のローテーションのことはわかりませんが、
オーストラリアや香港では目標のレースの前に短距離のレースをステップに使うことはあるみたいですね。
ブライアンズタイム産駒は限られた厩舎にしか預けられてないと聞きますし、
大久保なりにナリタブライアンを目標のレースでスムーズに走れるように工夫したのだと思います。
これ、ブライアン出走してくれたお陰で馬券取れたんだわ。
ナリタブライアンには申し訳なかったけど···
当時の圧倒的先行有利の小回り中京、それもG1で4着なら普通に立派。3着までのフラワーパーク、ビコーペガサス、ヒシアケボノは当時の短距離スペシャリスト。前走が春天じゃなければ分からなかった。
ナリタブライアンのダービーに(父のブライアンズタイムの)生産者を招待したという記事を見て、アメリカから呼び寄せるなんて凄い自信だなーと子供心に思っていました。
実際はサンシャインフォーエヴァー関連で日本に来ていたのを競馬場に招待したのだと思いますけど。
みんなロマンを求めるが、金だろ!
金がロマンだと感じる人もいるらしい。
実は大久保正陽師自身ナリタブライアンの状態を掴みかねていて頭が混乱していて冷静な判断がつかず、普通ならあり得ない高松宮杯挑戦に至ったのではないかと思う。
実際白井最強こと白井調教師もダンスパートナーでは騎手選択で相当苦労し、一度は武豊騎手を降板させたもの、引退レースでは武豊再登板まで考えていたそうです。
その経験と、息子さんの「ダンスパートナーは最後まで武豊騎手で行くべきだった。エリザベス女王杯も武豊騎手だったら繰り上げではなく実力で勝っていた」と考えて「親父の厩舎への入厩条件は武豊騎手騎乗」と明言、入厩後も「まだ乗ってもらってないのか」と連日電話してました。
橋口調教師も「何故武豊騎手をあまり乗せないのか」と言う質問に
うちの厩舎には高橋君がいる。何戦か彼に乗ってもらって途中から豊君にスイッチ、これは彼にも豊君にも失礼過ぎる。高橋君には経験積ませる為にドンドン乗せる。
敢えて武豊騎手を起用するとしたら、ダンスインザダーク級の大物が入って来た時で、その時は最初から武豊騎手で行きます。
と答えてます。
このようにナリタブライアンやダンスインザダーク、スペシャルウィークやディープインパクト級の超大物を預かる調教師は常に騎手選択には頭痛めてます。
4着に来たから大健闘とみることもできるけど、レースを見ると完全に大勢が決してから追い始めて、フラワーパークに競り負けた馬をなんとか一頭かわしてるだけ。
ブライアンの生涯で最大のタイム差で負けたレースでもあるんだよな。着順以上にボロ負けしてる。
正直あんな姿見たくなかった…
@@hitokuchiyamero
確かあのレースでメジロマックイーンを抜いて獲得賞金歴代一位になったんでしたっけ。
まぁ、あの勝つ気のない騎乗を見るにとりあえず賞金だけ持って帰って来いって言われてたんじゃないですかね。
ケガをして終わってしまった馬
全盛期はまさに怪物
凄いなぁレースビデオもしっかり見直ししてるなんて❗
私が馬券始めた時はタッチで全盛期過ぎなんでup主が羨ましいよ!
確かに勝った時の事を考えれば唯一無二の馬になる、難しいわな。
ミナイを完全におろす為だろうに、ミナイは高松宮ですでに他の馬に騎乗馬が決まっていた。
だからあえて高松宮を走らせた。ただたんにミナイいじめ
の為ですわ、
高松宮杯に出走させた経緯についてですが「オーナーの意向であった」と、当時何かの競馬雑誌に載っていたと記憶しています。中学生の時の記憶なので間違っていたら申し訳ないのですが、その時書いてあった内容として「馬主欄には山路と表記されているが、ある時点で別の方にトレードされたため、元を取るために走らされた。トレードしたので、山路さんはローテに口出しできない」といった事だったと思います。
真実かどうか分かりませんが、オグリの件とも重なり、とてもショックでした。
当時出てた本に書いてあったけど中京で4着ならブライアンなら中山のスプリンターズは勝てる。と書いてあった。多分無理だと思うけど。話は変わりますがあの菊花賞の暴力的なまでの内容を見ると90年代の最強はブライアンでしかるべきだと思います。ブライアンのベストレースは菊花賞。これは譲りません。
俺は皐月。
ナリタブライアンは大好きな馬だけど、ナリタブライアンファンにはちょいちょい他馬への敬意が足りないなと思うわ今もね
いつまでもたらればで他馬をぶっ千切ってたと息巻くその姿勢はぶっちゃけ嫌いだわ
ディープインパクトのコアなファンより相当マシでしょ?😏
もうあの股関節炎やってからなんか先が無いんではと見えていたね
3冠レースで一番衝撃受けたのは皐月賞でしたわ…あの当時は破格のレコードだったし
全盛期はなぎ倒すと言う言葉がピッタリなイメージでした
@@hitokuchiyamero
確かに重要かもです
オペラオーはじめ皐月賞をやばい勝ち方した馬ってかなりの確率ですごい活躍してるような…
ディープもスタートやばかったのに何事もなかったかのように勝ちましたしね。
@@hitokuchiyamero あっアンライ………
あのハイペースで好位追走して直線さらに脚を伸ばす競馬の常識を覆した走り
高松宮記念、ナリタブライアンのエンジンがかかる前に決着してたね。
スプリント勢がヨーイドンの競馬してたらわからんかった。
まあ、武がそれに合わせたら4着すらないけどな。
安田記念じゃなかったのが本当に不思議だった。
連帯率の高さが強さの証明になっていた時代も強く影響してたと思います。早い段階で連帯率落としたブライアンには三冠の”次の偉業”を時代が求めてましたから。
フラワーパーク
ペガサス
馬連当たりや
5千円買ってた
懐かしいな
故障前の阪神大賞典のパドックで鞍上の南井がニコニコしていたのを思い出したよ。レースも楽勝だったからなぁ。
なんだかんだでちゃんと伸びてきて4着だから適正がなかったわけじゃないんだろうなぁ
ブライアンズタイムも産駒が色々なタイプ出ましたしね
グラスワンダーの的場Jも朝日杯の怪物グラスワンダーの幻影に憑かれてた節があると思ってます。
あちらはグランプリ3連覇してるので十分凄いのですが。
スペシャルウィークを寄せ付けない強さでしたしね~
あの頃のバッシングは本当にすごかった。でもその中でビコーペガサス陣営が
「4歳時には対戦できなかった(マル外だし短距離馬だし)ので一緒に走れるのは光栄です」
といったニュアンスのコメントを残していて、中京のファンも走りを見たかったでしょうし
自分は「安田記念じゃないの?」と思いつつも当時は出走を受け入れてました
ナリタブライアンのダービーを見て競馬を始めたので、印象的な馬ですね
ディープやオルフェーブルとは違った強さでした。
どなたかも書いてるけどの番組改編に抗議というか当てつけで1200に出走させたと私も思っていたが、この動画を見るともっと深い思惑があったのかも知れませんね。
これオーナーの話が聞きたいね。
流石にオーナーを無視して高松宮記念の出走決めたり南井騎手を降ろしたりしないだろうからオーナーが大久保調教師からどんな説明を聞いたか気になる。
天皇賞も阪神大賞典もブライアンの走りじゃないんだよなぁ
ブライアンはたくさんの関係者の夢を背負ってたんやな、、、
今でも納得いかない。
レースの勝ち負けが決まった頃にガーっと追い込んで来ての4着。
そらそうだ…と思ったよ。
短距離路線に行くならせめて安田だよね…府中の1600なら勝ち負けになってたと思うよ。
そもそも短距離に行く必要なんか全くなかったと思うがね。
俺はブライアンが早世してしまったのは1200の負け戦をさせられたからだと思ってるよ。
最後の高松宮杯は論外としても
本当に批判されるべきは故障明けの秋の使い方にあるんだろうなと思う
馬が痛みを恐れて全力で走れないのが分かっているならじっくり待つべきだった
無理に走らされた秋によってブライアンが規格外の馬から普通の強い馬になってしまったのでは?と思う
当時ナリタブライアンの放牧面積が10000㎡位有ってスゲーと思った。
早田牧場…そういうとこなのかな…
ブライアンが全盛期のような強さならそもそも高松宮杯には行かない。
うちの中でも最強馬ですわー。実際、高松宮でも馬券は買ってたしブライアンならやってくれるかも?ってのは有ったなぁ。産駒が結果残す前に無くなっちゃったのは残念だけど。。。。
とりあえず!!サムソンビック・・・・・でてきたことに笑いましたw
全て同意です。
同時期に、凄いローテの怪物牝馬もいましたね。ブライアンに通じるところもありそうなので是非リクエストさせて頂きたいです。
イクノ?
ヒシアマゾンです
@@お花見-u7s 牡馬と堂々と渡り合った強さは最強牝馬に違いなし
繁殖では残念な成績でしたが血統は申し分ない
当時を振り返ると、三冠馬のナリタブライアンの種牡馬としての価値を上げるために挑戦した意図もあったと思います。
調教師も勝ち負けになるくらいは予想してたと思いますよ。掲示板でも立派ですけどね。
今の人はコントレイルが短距離G1にでると思ったらちょうどいいのかも知れませんね。
@@hitokuchiyamero さん、勝てば官軍で結果論ですから真相は…よく分かりませんねぇ…
ただの最強馬としての価値を取り戻したかったのは事実でしょうね
ゆっくりさんの動画のタヴァラ弄りは大好きです。これからも楽しい動画を期待しています。
大久保師独特の叩きレースの使い方
天皇賞馬エリモジョージを札幌の短距離レースに使ったり
グランプリ2勝馬メジロパーマーをスワンステークスに使ったのと同じ
ヤマノシラギクの大久保先生か?(察し…
いまだに自分の中では、ブライアンが最強馬です。
世代が弱かったと言う人もいるでしょうが、ディープインパクトの年だって世代が弱く感じたし抜け出た強さの馬はそう見られ易いんだろうな~ってゆうのが自分の感覚です。
三冠馬って良くも
悪くも難しい生き物ですよね…
バリバリのスプリンター、フラワーパークに勝てたわけないやん。
ですよね~明らかに中~長距離がゴリゴリのマッチョスプリンターには勝てません
タケシバオーは例外だけど
三点リーダーが多すぎるんじゃい!!
いつも面白い動画ありがとうございます
まさに先日お話のあった件についての動画でなるほどと感心しました
未だにナリタブライアンが一番好きで一番強かったと思っている自分にとって一つの区切りにもなる考察でした
ナリタブライアンにな
ハヤヒデとの兄弟対決
最強時の復活
そして産駒
色々と思うことがありすぎる馬なので現実を認めたくないというのは大久保師はじめ多くのファンも同じなのでしょうね
当時、大久保調教師が闘争心を煽るために短距離G1を使った記憶がある
怪物だったが怪我で全てが狂ってしまった
サッカーのロナウドと一緒だよ怪我前は怪物で怪我後は只の一流
悲しいけどね
他だと小野伸二も同じことが…。
ナリタブライアンマジで好きだったなぁ。今でも私の中では最強馬はディープではなくナリタブライアン!
噂レベルでだけど総賞金でトップを獲るために無理矢理高松宮杯に出したって聞いた時はマジで腹が立った……。
そうなんです…普通に考えたらなんで高松宮杯なんだ!?ってなりますよね( ̄▽ ̄;)
当時の私も宝塚記念出しておけば安牌だったのにと怒りがふつふつと……。
天皇賞を勝てなかったからそれを埋める為に1円でも馬主が金欲しかったんでしょ。
@@hitokuchiyamero 馬主・・山路さんでしたっけ?勝てると思ってたんでしょう。
>名馬は人を狂わせる
ニジンスキーの馬主が有名ですね( ̄Д ̄;
高松宮杯は調教でしょう。そう思ってました。
(単勝買ったけど)
色んな思惑はあったでしょうけど、大本命は宝塚記念で、「まあ勝てるかな!?」くらいだったんじゃないかと。
だから「負けさせてしまった」ことに、後々後悔の念が出てきたのではないかと推察します。
当時、「スタートが良いから」というコメントを読みました。確かにゲートは早かったけど、スプリント戦独特の二の足が付かず後手になった。4着には入っているし、並みの馬ではできない。
故障キッカケに『普通のオープン馬』になってしまったナリブーだけど、阪神大賞典という有観客の調教で闘魂注入されて、闘志は戻ってきた。さすがは武豊。
とはいえ、天皇賞・春は南井じゃなきゃね、ということで南井が乗ったけど、最強馬時代しか知らない南井は足元を掬われてしまった(田原かユタカが、そういうコメントを言っていた)。
武豊を確保したので、「ゲートの上手いユタカであわよくば」ってな感じの高松宮杯だったのかと思う。
GⅠ初年度だし、ナリブー参戦は話題にもなって興行的には良かったけど、故障は残念でしたね。
ビワハヤヒデの弟なのに、良血らしからぬ叩き上げの競争成績。
白いシャドーロールに、低重心でクビを前後に動かすダイナミックなフォーム。
記憶に残る最高の最強馬だった。
強かった❗️
フォーム的にはユタカの方が向いてたのかもしれないけど、やっぱ南井あってのブライアン‼️
大川さん激怒してたし、私もアホかって思ってたけど蓋開けてみたら勝ちそうだったよ
何回かやったら一回は勝てそうだった
本当にスタートだけの可能性はあった
スタートが決まっていた世界を見たかった…
いや、大川さんも言ってましたけどスタートは非常に良かったんです。
そこから2~4F目に掛けて生涯最速の3F33秒(切ったかも)。毎日王冠のスズカより全然速く、中長距離馬の限界に近い速度でしょう。
でも速く見えないのは先行型スプリンターが更にそれより速いからで(2~4F目32秒前半)、これは生まれついての差なんですよ。
レース後の大川さんの「(ブライアンは)良くやった、褒めてやって下さい。無事だといいなあ」という発言が印象的でした。
内容に何ら関係ない種馬になってからナリタブライアンが私の故郷の隣り町で手術受けた施設に仕事行った事あるよ 早く亡くなり過ぎだよね
ローレルの天皇賞は二点で獲りました。(もう一点はブライアン~サマーサスピション…鞍上の爆発に期待していました。)ブライアン同様、ローレルは怪我で長期休養があった馬とはいえ、そこまでの内容が抜群、加えて当時一流の血統背景だったので、タヴァラのトップガンを切ってローレルを選びました。しかしまさかブライアンまで負かしてしまうまでは想像できなかった…。
四歳時(※当時の馬齢表記)のブライアンとアマゾンには逆らっちゃいけないオーラが見えていました。アマゾンと血統背景が似ているブリザードを含めた3頭は引退まで応援していました。それが…ブライアンは故障から完全復帰しないまま引退、アマゾンは謎の狂気に取り憑かれ低迷、足元を見ながら走り続けたブリザードはBC二年連続トンコロとはいえ、G1も取れました。応援のしがいがあった年代でした。
サムソンがエアダブリンやヤシマソブリンと並列してもらえてうれしい…。
馬主の言葉を無視して高松宮、南井下ろしはどうかと。。。
馬主は南井に乗って欲しかったと。
あり得るんではなく、そうなんです!
平成のタケシバオーにしたかった説妄想が捗るので推したい
もし春天→宮杯ムーブが見事に決まっていたら
大久保「引退レースは来年G1昇格するフェブラリーSで」
タケシバオーも怪物でしたね(^o^;
大久保「ナイスネイチャやマチカネタンホイザでも勝てるレースだろ」って舐めていた説
万全なら、あの阪神大賞典はぶっちぎってたはず。
4歳時(現3歳)は間違いなく当時の世界最強!
怪我なく無事なら、ラムタラとの凱旋門対決が見たかった(´;ω;`)
ノーザンダンサー付けにくい馬同士の対決ですな(笑)
@@キングクラウン 様
確かに両馬ともに種牡馬としては厳しかったですね。
晩年はどちらも不遇というか不運と言うか、、、
人間のドロドロに巻き込まれた名馬になってしまいました💦
90年代の日本馬が世界最強www??
@@billk516
未だにエルコンドルパサーのレートも超えられず
国内最強だったタイキシャトルはともかく、イマイチレベルのシーキングザパール、アグネスワールドらが勝ってる欧州G1すら勝てないのが今の日本馬だけどな
怪我する前は本当に最強馬だった。
復活の阪神大賞典?、あれはマヤノから少しだけ前に居ればいいでしょ?と突き放そうとしなくなったブライアンを見せつけたレースだったよ。
最強だった時の印象が強すぎて陣営がそれに囚われてたってのは説得力あるね、色々納得がいく説明だった。
タヴァーさんの怪我前だったらマヤノトップガンなんか並べもせずに突き放されてたと言っちゃうくらいですからねぇ
全盛期なら距離関係無く勝ってたかもしれませんねぇ……
ぶっちゃけ、後ろからで唯一掲示板に入った馬でしたからねぇ……
60オーバーのレースに出した日にゃあテンポイントの悪夢を平成の世で再現することになるわ😱
本当怪我前はどんな馬でも勝てないと思うわ、スイッチ入った時のブライアンはチーターみたいなフォームだったもんなー
いや普通に負けたでしょ 無敗三冠でもないし
ブライアンの話ありがとうございます。旧5歳の有馬記念では馬なりでマヤノを追走しているから普通に考えれば直線で5馬身は引き離せるはずなのに。結果は・・。私もブライアンについては記事を集めていたので陣営がもう一つだけG1を取らせたいと思って脚部に負担がすくないダート(フェブラリー)を検討していた記事も見ました。関係者は近くに居過ぎて真実を認めれなかったんですね。ファンは天皇賞秋のパドックで既に気づいてましたが。一番良い未来は股関節炎で引退だったんですね。故障のニュースが流れた時は現役復帰できるのか、良かったと思ってた。結果は最弱三冠馬候補にブライアンはなってしまった・・当時を知っていると最弱三冠馬なんて有りえないが。ゲームは旧4歳で凱旋門賞を取らせ、ナリタブライアン系を確立させています。オグリキャップ~ナリタブライアンまでがロマンがあった競馬時代だと思っています。長文すみません。また当時の空気感として中京競馬第1回目のG1高松宮はあまり盛り上がっていませんでした。しかし3冠馬が名古屋に来る!となった時の地元フィーバーは凄まじかったです。