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1981年4月12日始発から島式1面2線にまとめられた後は、同年7月31日に移設・統合化工事が、その後同年10月3日にはバスターミナルの整備がそれぞれ完成して、これらをもって一連のリニューアル工事は終了しました。
一口に言えば、1981年4月12日始発の段階では、京津線と石坂線のホームが島式1面2線にまとめられただけで、リニューアル工事そのものはまだ終わっていなかったはず。
これは浜大津駅が2個あった頃の映像?
仰る通りですが、びわこ国体の開催に先駆けてかつての江若鉄道の駅の跡地に新駅舎を建設することを正式に決め、時系列に換算して以下の手順を踏んで一連のリニューアル工事が行われました。①:1981年1月9日:石山坂本線の駅舎を従前までの相対式2面2線から島式1面2線に改装した上でまず石山寺方面行きのみ先行的に移転し、この際に構内配線を変更して双方間の連絡線をいったん廃止した上、三条方面からの石山寺直通列車を廃止。②:1981年4月12日:坂本方面行きならびに琵琶湖側ほぼすれすれにあった京津線の駅舎を①の駅舎に移転して1つの駅舎に集約(但し④で記す通り、まだこの時点で移設・統合化工事は完全に終わったわけではない)。この際に大津線ではダイヤ改正を実施して急行を廃止(朝夕限定、準急停車駅から追分・大谷を除外したもの)したほか、毎時4本あるうち全線直通と坂本~浜大津間の折り返し運転を2本ずつ設定していた石山坂本線は全列車が原則として全線直通に一本化(このため①の石山寺直通列車廃止のあおりを受けて島ノ関寄りには従前までの亘り線に代わって引き上げ線を新設)。同時に従前までと向きを変更した上でいったん廃止していた双方間の連絡線が復活。③この間に京津線所属車両は浜大津駅でのスイッチバックが廃止されたことにより、保守点検で不都合等が生ずることになったあおりを受け、いったん錦織工場に一定数ずつ集結して仮設の転車台を設置し、一定期間内において1両ずつ車両の向きを逆転させる作業を実施。④1981年7月31日:新駅舎への移設・統合化工事が完成。⑤1981年10月3日:最後まで残っていたバスターミナルの整備が終わり、これをもって一連のリニューアル工事が完成。
1981年4月12日始発から島式1面2線にまとめられた後は、同年7月31日に移設・統合化工事が、その後同年10月3日にはバスターミナルの整備がそれぞれ完成して、これらをもって一連のリニューアル工事は終了しました。
一口に言えば、1981年4月12日始発の段階では、京津線と石坂線のホームが島式1面2線にまとめられただけで、リニューアル工事そのものはまだ終わっていなかったはず。
これは浜大津駅が2個あった頃の映像?
仰る通りですが、びわこ国体の開催に先駆けてかつての江若鉄道の駅の跡地に新駅舎を建設することを正式に決め、時系列に換算して以下の手順を踏んで一連のリニューアル工事が行われました。
①:1981年1月9日:石山坂本線の駅舎を従前までの相対式2面2線から島式1面2線に改装した上でまず石山寺方面行きのみ先行的に移転し、この際に構内配線を変更して双方間の連絡線をいったん廃止した上、三条方面からの石山寺直通列車を廃止。
②:1981年4月12日:坂本方面行きならびに琵琶湖側ほぼすれすれにあった京津線の駅舎を①の駅舎に移転して1つの駅舎に集約(但し④で記す通り、まだこの時点で移設・統合化工事は完全に終わったわけではない)。この際に大津線ではダイヤ改正を実施して急行を廃止(朝夕限定、準急停車駅から追分・大谷を除外したもの)したほか、毎時4本あるうち全線直通と坂本~浜大津間の折り返し運転を2本ずつ設定していた石山坂本線は全列車が原則として全線直通に一本化(このため①の石山寺直通列車廃止のあおりを受けて島ノ関寄りには従前までの亘り線に代わって引き上げ線を新設)。同時に従前までと向きを変更した上でいったん廃止していた双方間の連絡線が復活。
③この間に京津線所属車両は浜大津駅でのスイッチバックが廃止されたことにより、保守点検で不都合等が生ずることになったあおりを受け、いったん錦織工場に一定数ずつ集結して仮設の転車台を設置し、一定期間内において1両ずつ車両の向きを逆転させる作業を実施。
④1981年7月31日:新駅舎への移設・統合化工事が完成。
⑤1981年10月3日:最後まで残っていたバスターミナルの整備が終わり、これをもって一連のリニューアル工事が完成。