ヤマトタケルの東方遠征と前方後方墳を作った勢力~日本古代史を地図で考える

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  • Опубликовано: 4 окт 2024

Комментарии • 7

  • @pleasure5458
    @pleasure5458 2 года назад

    分かり易いですね👍
    岐阜の一ノ宮の南宮には、イワレビコが祀ってましたよ~
    岐阜の入口の琵琶湖側には、多賀大社イザナギ・イザナミですから、名残なんですかね?
    方墳、吾妻の吾は、屋根の四角の意味なので、源頼朝の先祖の領域?頼朝公位の年代だと先祖の事知ってたでしょうから、吾妻鏡にしたんでしょうか?
    地図は、真実を示す道しるべ👍です。

  • @user-writer1918
    @user-writer1918 Год назад

    各研究者の我田引水の風潮の中、古荘さんの言わば外堀から埋めていく方法によって、納得せざるを得ない答が見えてきそうです。

    • @ancientJapanesehistorywithMAP
      @ancientJapanesehistorywithMAP  Год назад +1

      ありがとうございます
      ぼくは古代史を文学のように考えてます
      この地形でこんな環境でこんな文明度なら人はどう行動するだろうか?
      それで勝手に考えたことが、事実と一致することがありそこが面白くて古代史を続けてます
      なので全く学問的な検証ではありません

    • @user-writer1918
      @user-writer1918 Год назад

      @@ancientJapanesehistorywithMAP 確かに、古荘さんのお話をうかがっていると、作家が執筆するにあたり、プロットをひとつひとつ検証していくような工程が想像できます。あるいは、ミステリーの謎解きの思考過程が見えるようです。思考のシステムが似ている人(私もそうかもしれません)にとっては、いずれのコンテンツも明解で楽しいです。今は、古荘さんの全部の番組に目を通すのを目標にしております。

  • @kghr_9001
    @kghr_9001 5 месяцев назад +1

    東北の福島県に前方後方墳が普通にいくつもあるのですが。