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和歌山線に定期の特急が走ったことはありません。和歌山線の定期優等列車は、1962年に準急はまゆう(京都925・名古屋810→白浜口1428と白浜口1455→京都2008・名古屋2127)と準急はやたま(新宮830→名古屋1726)が設定されたのがはじまりです。又同時に急行大和の和歌山市行編成(東京2245→王寺853→和歌山市1128と和歌山1752→王寺2039→東京640・和歌山線には2等寝台客車1両が直通・和歌山線内は普通列車として運行)が設定されました。その後1966年に国鉄の運賃形態の変更に伴い準急2列車は急行に格上げされ、その後同年の10月改正で王寺駅経由から桜井線経由に変更されました。1968年10月改正で、急行はまゆう(この改正で鳥羽~紀伊勝浦の急行名に変更されました。)と急行はやたま(のちに天王寺 ~名古屋の夜行普通列車の愛称に使用されました。)は急行しらはまに統合されました。又急行大和の和歌山行編成は廃止されました。(急行大和の大阪側の終着駅が湊町→奈良(奈良~王寺は普通列車))に短縮されたためです。その後しばらくは変化はありませんでしたが、1980年10月改正で運行区間を京都・名古屋~新宮・白浜から京都~和歌山に短縮したうえで、急行しらはまから急行紀の川に変更されました。そして1985年3月改正で急行紀の川は廃止され、和歌山線から定期優等列車は消滅しました。※その後京都から南紀方面への需要に応えるために、京都から奈良線・関西本線・阪和貨物線・阪和線・紀勢本線を経由して白浜を結んだ臨時特急ふれ愛紀州路と白浜が1987年~1989年に設定されましたが、同年に特急くろしおが京都駅に乗り入れを開始したため廃止されました。
和歌山線は曽て特急列車が走っていたなど、時代を色濃く映す路線と私は思いますね。行動力と好奇心旺盛で詳しく解析し解説して下さるひろきさんらしさで、勉強になりました。2023.11.23
和歌山線に(定期の)特急列車が走っていましたでしょうか?私の記憶では和歌山線に特急列車が走っていたことはないと思いますが。(普通)急行列車としては,京都駅発で奈良線・関西線(木津・奈良間です)・桜井線・和歌山線経由の白浜駅行きの急行列車に天理駅から乗車したことがあります。また東京・湊町間の急行大和(1968年4月では,列車番号が2901レ・2902レ)が王寺駅で寝台車1両を分割併合していたことは有名ですが,王寺駅・和歌山市駅間は普通列車の525レ・528レに併結です(当時は紀伊中ノ島駅の阪和線のガード下を通って和歌山駅(現在の紀和駅)から和歌山市駅までの運行ですね)。さらに田井ノ瀬駅から紀伊中ノ島駅・紀和駅を経て和歌山市駅までは大昔の和歌山線ですが,この和歌山市駅から紀和駅の区間についても,南海難波駅発の準急列車や急行列車が東和歌山駅(現在の和歌山駅)で阪和線経由で天王寺駅発着の列車と分割併結をしていましたが,特急列車は走ったことがないと思います。
地元民ですが、朝夕は6両でしかも立ち客が結構出るくらいには混みます。その上コロナ前までは昼間でも両数の多い難波快速が2〜3本あって便利だったんですが、一気に王寺までの2両が毎時1本まで減らされてしまいました。最近はまあまあ混雑が戻りつつあるのでせめて高田までの区間に関しては増便してくれないと座れない……
熟す前の青い果物は柿ですね。和歌山県は柿の名産地です。奈良や和歌山は柿の葉寿司も有名ですね。柿の葉寿司、、、食べたくなって来た。
大阪方面から来る時に電車の前と後ろで奈良方面と和歌山方面に分かれるのはなかなかのトラップ。懐かしき地元路線取り上げてくれてありがとうございます。
和歌山線の227系1000番台は2019年に登場しました。
確か五條からは面積が日本一の十津川村を経由して新宮へ抜ける五新線が計画されてました。結局幻に終わりましたが代わりに大和八木と新宮には全長170キロの路線バスが走っていて五条駅にも止まるので実質五新線のような役目を果たしています。
和歌山線は国鉄時代に寝台特急や急行も走っていたなあ東京から名古屋でスイッチバック、亀山で紀勢線編成と分割、和歌山線内は普通というのもあった5:07 チャイムがセルスター製レーダーの時報音(旧製品)
和歌山線は関西地区の大回りで乗ると良さそうですね!
15:09 吉野神宮から和歌山に帰る際便利である。
❌特急列車全滅⭕そもそも特急列車なんて無かった
そうなんですか!?
国鉄以前は資料に乏しいが、国鉄時代に奈良県内を走っていた特急は「あすか」と臨時特急「しらはま」だけでいずれも王寺から関西本線→阪和貨物線経由でした。和歌山線には準急「はやたま」「はまゆう」→急行「しらはま」→「紀ノ川」と急行「大和」(崩れの普通列車)だけでした...
特急あすかは東和歌山駅と名古屋駅間の運転です。特急あすか号の上り列車は,東和歌山駅始発で阪和線経由で堺市駅に停まり,杉本町駅から通称阪和貨物線を経由して,八尾駅(実際上は龍華機関区や久宝寺駅のところ)から関西本線に入り,奈良駅,伊賀上野駅,亀山駅,四日市駅に停車しました。したがって和歌山線は経由しません。
八尾も停まっていたような記憶がありますが。
@@さいごのとりで さま特急「あすか」ですが,1965年(昭和40年)3月から1967年(昭和42年)10月までの2年半走りました。短命ですね。停車駅と発車時刻を調べてみました。下り3D列車の1965年夏の発車時刻は,名古屋19:00,四日市19:36,亀山20:02,伊賀上野20:36,奈良21:18,堺市21:58で,終着東和歌山着が22:40です。上り4D列車の1965年夏の発車時刻は,東和歌山7:10,堺市7:57,奈良8:43,伊賀上野9:22,亀山9:55,四日市10:14,終着名古屋着が10:50です。1年後の下り3D列車の1966年7月の発車時刻は,名古屋18:40,四日市19:19,亀山19:47,伊賀上野20:27,奈良21:07,王寺21:21,堺市21:49で,終着東和歌山着が22:37です。王寺駅に追加で停まるようになりました。上り4D列車の1966年7月の発車時刻は,東和歌山7:00,堺市7:57,王寺8:28,奈良8:44,伊賀上野9:22,亀山9:57,四日市10:18,終着名古屋着が10:55です。上りも王寺駅に追加で停車するようになりました。これらのデータから,特急「あすか」の八尾駅停車はなかったのでないかと考えます。
あまりにも乗車率が悪くて、10年弱ぐらいで廃止になった、特急あすか。
37:35 柿(かき)です。 柿の生産量日本一は和歌山県です。
ここを走っていた105系は、かつて常磐緩行線で使われていた103系を改造したもので、4扉でした。北宇智駅は、スイッチバック構造のまま列車がワンマン化されたため、ワンマン化当初はクルマをバックさせる時のように窓から顔を出して後方確認しながら駅ホームと引上線を行き来していました。さすがにこれはまずいと、エンド交換して運転台を行ったり来たりして運行するようになったのですが、ATSの入れ忘れが度々発生したためにスイッチバックが廃止されたという経緯があります。なお、和歌山線には急行が走ったことはありますが、特急は設定されていません。
103系1500番台改造の105系時代はコイルバネで乗り心地も悪く、ほんまに地獄でした。常磐線の後継車両203系はジャカルタに転属し、「ワイの地元はジャカルタより古い電車使てるんやな」と嘆いておりましたが、227系になって乗り心地も大幅に改善されました😀
32:36 たぶんですが、和歌山なので柿ではないでしょうか。
ようこそ、奈良県へ🎉そういや、トンネルありませんでした😅忘れておりました
和歌山線はかつてはにぎわってたのは知ってたが、全区間乗車したのはすごいですね。
227だから可能です105は忍耐
@@ワイたん-s9b10年ほど前にやった事があるのですが105系でおっしゃる通り忍耐でした。笑
和歌山線は北宇智駅がスイッチバック現役時代に乗りました。山合いを抜けながら奈良まで105系でゆらゆらゆっくりと。
JR五位堂駅は昔信号場だった場所が駅になりました
「地獄の和歌山線」と言われる理由として「和歌山駅で『奈良ゆき』と買いている電車に乗り込むも、なかなか奈良に着かない。五条駅で運転士に「奈良へはいつ着くのか」と問い詰めると「このままご乗車ください」といわれるから。
急行しらはまが走っていましたね。北宇智駅はスイッチバックの駅でしたし、結構山越えの区間もあります。磐越西線の中山宿駅もそうですが、最近では多くのスイッチバックが廃止されています。大和二見駅は棒線化されましたし、掖上駅も微妙な感じです。御所駅は近鉄と目と鼻の先ですし、スーパーの横に火葬場があるなど違和感があるため見てみる価値があります。
近鉄と南海を乗り継ぐために吉野口から橋本まで乗ったことある。
和歌山線は特急走ったことないよ。特急あすか(名古屋~東和歌山(現:和歌山)65.10~67.10)も特急しらはま(京都~白浜:88.3~89.3)も阪和貨物線経由でした。
臨時あすかやエーデルなどイベント列車も多数走っていましたね。南海の甲種輸送も走る時があります。昼間の難波直通が廃止されて高田駅は寂しくなりましたね。一昨年までは和歌山行きは奈良始発がメインでしたが今は廃止されて全部が王寺始発になってしまった、高田での方向転換は廃止。何故か和歌山線はMHを切ってる運転士が多くてフルに聴くことが出来ない。MH搭載車の投入が遅い路線だったからMH鳴らしたがる運転士が少ないんだろうね。
私が子供の頃にはまだ大和二見駅から分岐する貨物線がありました。今も恐らく線路跡が分かるはずで、そのまま紀ノ川方面に歩いて行くと橋げた跡とかも残っている筈です。
和歌山線はあまりに遅い為、僕が王寺駅で「和歌山まで和歌山線経由で」と乗車券を購入しようとした時、駅員から「天王寺まで出て、阪和線で行かれた方が速いですよ」とアドバイスされた事があります。また、白浜発、紀勢本線、和歌山線、桜井線、関西本線経由での名古屋行の急行〔しらはま〕と言う列車が走っていた記憶があります。電化工事では予算削減の為、五条〜和歌山間は直吊式での架線とした事もスピードアップの妨げになったと聞いた事があります。
和歌山線の長旅お疲れ様でした。いくつか気になる点があるのでコメントさせていただきます① 0:32頃「関西本線は東海道新幹線開業以前、名古屋と大阪を結ぶ主力路線」⇨新幹線開業以前から名阪間の主力路線は東海道本線だった 動画では「関西本線は東海道新幹線開業前名古屋と大阪を結ぶ主力路線」としていますが、新幹線開業以前から名阪間の主力路線は東海道本線でした。1960年代後半の東海道新幹線開業以前の時刻表を見ると、◆関西本線経由で名古屋~大阪(湊町)間を直結する優等列車は1日3往復しかなかった。所要時間も東海道本線に比べて遅かった。◆東海道本線経由で名古屋~大阪(湊町)間を直結する優等列車は夜行列車以外で1日30往復以上、夜行列車を含めると約50往復あった。所要時間も関西本線に比べて速く、特急、急行、準急と様々な種別があった。 関西本線が、東海道本線と張り合っていたのは明治時代の話で、1907年の関西本線国有化以後は、徐々に東海道本線に主力の座をを奪われローカル線化して行きました。② 5:56頃「1980年代まで東京からの直通のブルートレイン急行「大和」があった」⇨急行「大和」ブルートレインではない ブルートレインとは、1958年特急「あさかぜ」運用に登場した20系以降の特急寝台客両又は特急寝台客車列車のことであり、急行である「大和」はこれに当たらない。紀伊半島で唯一ブルトレインと言うべき列車は、1975年に急行「紀伊」が昇格され全車両寝台列車になった特急「紀伊」のみである。➂5:56頃「1980年代まで東京からの直通のブルートレイン急行「大和」があった」⇨急行「大和」は1968年に急行「紀伊」に併合され、1972年には亀山以西の編成は廃止された。 急行「大和」は、1950年に、東京~名古屋間の準急が関西本線経由で湊町まで延長され急行に昇格し、さらに「大和」という愛称がつけられたのが始まりで、和歌山市行の寝台車は1962年から連結されるようになった。東海道新幹線開業後、急行「大和」は「伊勢」「能登」などと併結されるようになったが(併結の仕方は何度か変更された)、1968年10月のダイヤ改正(ヨンサントオ)で、急行「紀伊」に併合されて「大和」という愛称は消え、更に急行「紀伊」の関西本線亀山以西の編成も王寺までとなった。さらに、1972年に亀山~王寺間の運用の編成が無くなり、東京と奈良県を直結する列車は無くなった。そして、1975年に急行「紀伊」は特急「紀伊」に昇格した。 なお、急行「大和」は荷物車と前よりの5両が名古屋止まりだった。東京から奈良、湊町、和歌山市への直通列車であるとともに、東名間の夜行寝台列車としての役割があった。④ 17:07頃「客車は床部分が低くなっている」⇨客車の床は低くない。出入口のドアの部分が一段低くなっている 旧型客車をはじめ客車の床が低くなっているわけではありません。もともとホームが現在より低く作られていて、旧型客車をはじめ客車は、出入り口のドア付近に一段低いステップが設けられている。これは、日本が鉄道技術を取り入れたヨーロッパがそうであり、今でもフランスのTGV、イタリアのフレッチャロッサなどヨーロッパの高速列車の車両は乗車の際にホームから一段ステップを登ることになる。従って、思いスーツケースなどを持参していると、乗車の際に少し苦労する。なお、ヨーロッパの高速列車車両の幅は約2m90㎝前後で、これは日本の在来線特急の車両幅とほぼ同じである。従って、日本の新幹線の車両幅(N700系 3m36㎝)に乗り慣れていると、ヨーロッパの高速列車は狭く感じる。
東海道本線が電化されるまでは所要時間の面では勝っていたのですが、東海道本線の電化が完了し電車の優等列車が多数運行されるようになると所要時間でも負けるようになってしまい、国鉄からも見放されてしまったようです。(又この頃に紀勢本線が全通したことで、それまで単独で運行されていたかすがに紀勢方面や草津線に向かう優等列車が併結されるようになったことで、所要時間が余計にかかるようになったことも大きいです。)その影響で1963年10月の改正で、かすが1往復の運行区間が名古屋~湊町から名古屋~奈良に短縮されてしまいました。(湊町~奈良は快速列車に格下げされました。)ここから関西本線の凋落が本格化していきました。※その後1968年10月改正で、さらに1往復のかすがが名古屋~奈良に短縮されしまいました。そして湊町~奈良の電化が完成した1973年10月改正でかすがの湊町~奈良の運行は完全に終了しました。
@@頬予大橋 いろいろ、んわしぃじ用法ありがとうございます。 コメントの通り、1956年東海道本線全線電化完成以後、1957年準急「東海」、準急「比叡(命名は1958年)」の80系電車運用開始以来、東海道本線の昼行優等列車の電車化が一気に進みましたね。1960年代前半には、151系(特急「こだま」「富士」「つばめ」「はと」「おおとり」)、153系(急行「六甲」「いこま」「なにわ」「せっつ」「よど」、準急「東海」「比叡」「伊吹」など)電車王国になっていましたね。これら優等列車電車化の流れが0系の東海道新幹線に受け継がれたようなものです。
和歌山線にはかつて大和二見〜隅田に隧道があった明治時代の煉瓦隧道で、老朽化により1951年、カーブに変更された遺構はまだ存在している
鉄道にはトンネルがあった方がいいだろうから作ったという、ほんとか嘘かわからない話があります😅
大昔は優等列車が運転されたと思えない、のどかな山間の2両編成です。ただ、王子駅から大和高田駅までは郊外住宅地になっていて、ラッシュ時は混み合いそうです。
特急列車が廃止寂しいけど😭😭😭かなり風情がある!🤵🤵🤵🤵
スイッチバック時代の北宇智ではたまに吉野口方面から駅に進入する下りと引上線から駅に進入する上りとの並走が見られたりした。
かつて京都駅の奈良線ホームから発車していた紀の川号も復活することはないでしょう。
1:29 遠回りすぎwww2時間半かかるのも納得!大阪と奈良の山の勾配が緩やかなところを通っていますね
山の間を縫っていく車窓は気持ちよさそう
「笠田駅」は「かせだ駅」と読みます。
阪和線とは違うルートにも特急があるなんてね 見てみたかったな…
えるいぃでぃ〜んのワンちゃんも『映え』やしっ♡
ひろきくんの動画を観ると、レンガに詳しくなれる
ひろきさん、和歌山線に特急列車が運転されてたなんて聞いたことありません。何年頃にその特急が運転されてたの?その名称と運転区間を教えてくださいな? 急行しらはま、紀の川は運転されてたのは写真や映像で見たことあるけど。
JR和歌山線乗りました。奈良から、和歌山、和歌山から、阪和線で、天王寺駅です。車内の、ICタッチ機は、石川県金沢の、七尾線にもあります。
32:36 これは柿ですね和歌山県の名産品ですとは言っても実は元々産業が成り立たない地域な為半ば無理矢理に農業誘致を施して名産品にしたとも言われています
柿の生産は市町村別では沿線の奈良県五條市をトップに、かつらぎ町、紀の川市、橋本市と沿線で独占していますね。紀勢本線沿線がミカンの産地であるのと対称的ですね。
吉野口は2路線4方向の乗換え接続ですね
棒線化された大和二見駅は、ホーム上に跨線橋(街中の歩道橋と同じタイプ)の土台が残っています。また、大和二見からは紀ノ川の近くまで貨物支線があり、終点には川端(貨)駅が置かれていました。線路跡は一部が残り、築堤やレンガの橋台・橋脚もあります。
紀の川に沿って走る非電化単線の和歌山線…天竜川&飯田線コンビの弟分か?
電化されてますよ
30:48に出てくる煙突は織物工場ですね🤔その次に出てくるシブい建物は「葛城館/かつらぎかん」という明治末期に建てられた旅館との事です。(現在は有形文化財として保存されてます)
王寺からでも一旦天王寺まで出て阪和線経由で行った方が早いという…
和歌山線に乗車した事があるんですが、紀ノ川沿いを走行しているんですよね王寺駅から五条駅の大回りで和歌山駅へ至るのは阪和線が南海山手線だった私鉄の名残りもあるかと思います余談ですが、大阪難波より奈良県五條市はじめ南部へは十津川村などのバス乗り換えも含め南海高野線橋本駅乗り換えが鉄道での最短ルートになるそうです
俺の母親の故郷です今の王寺は大阪へのワーカーの為の重要なベッドタウンになっていますまた、大和路線は奈良への重要な路線でもあるため結構人が乗降してきますし途中の久宝寺が第2の大阪のベッドタウンやおおさか東線への分岐点として重要な役割を担っています嘗ては「やまとじライナー」なる特別列車が運行されていましたが、それも廃止されてしまいました和歌山線は流石に完全なローカル線としての存在なのは昔と変わらないですねもし王寺から和歌山へ向かう場合は一度天王寺や新今宮へ出てから阪和線や南海線で向かった方が早く向かえますほぼ奈良県南部は近鉄線の独占地帯と言っても過言ではありませんね
西村京太郎氏の短編小説に、和歌山線の鈍速さをトリックにしたものがありましたな。105系電車での和歌山線全線乗車はハードでした。柿の葉寿司が良い旅の友。
和歌山線は特急以外に南紀と京都を結ぶ急行しらはまや1日に1本片道だけの名古屋行き急行もありましたね。今では優等列車もなく、王寺と和歌山を乗り通す人もマニアしかいなくなりましたが、それでも地域住民の足としての和歌山線は必要な存在だと思います。急行紀ノ川の廃止の時に和歌山線最後の急行列車に乗っておいて良かったと思います。
橋本という駅名は京王線もありますね。ローカル線の雰囲気が良いですね。
紀の川を渡る橋梁がいい味を出している。
奈良と和歌山を短絡するルートだけど、今ではそういう目的で乗る人はマニアくらいでしょうね。JR(と転換第三セクター)だけで本州34都府県の代表駅を一筆書きで回ろうとすると和歌山線の存在は重要になってきますw
43では…?
天王寺乗換えの方が断然早いですからね
@@cs-atc 本州って書いてあるの見えない?指摘になっていないことを言ってたら煽りたくなっちゃうから文章をよく読んでコメントしようね。
@@평화우애 失礼しました。仰る通りでしたね。ありがとうございます。一筆書きだと四国を通れないから43か…と勘違いしてました。
227系は広島でも走ってますよ!好きですこの音❤️
なお夕方〜夜に出没する大和路快速・区間快速五条行きは、大和路快速を名乗ってるくせに奈良に行かずに和歌山線の五条まで連れていかれるという完全初見殺しなので要注意ですね!特に前4両加茂行き、後ろ4両五条行きとかの編成は関西人でも普通に間違えてしまう。
3:17 あと、「せんいち」とか「しおたいおう」とか駅周辺にも美味しい店も。15:16 かつては近鉄の方が本数も多くて、JRはほとんど105系なのに対して近鉄はシリーズ21とかも来て何もかも近鉄優位な状況だったのに、車両だけは逆転された感が。
3年前に大回りで和歌山線通ったけど想像以上に所要時間が長くてキツかった思い出。
16:30今でも「五條市」は旧字体、駅名は「五条駅」と新字体になっています。吉野口駅はJR管理なので近鉄側の駅名標もJR形式になっています。
バスみたいな車内ICカードタッチ機って簡易ICOCAよりも便利だと思うんですけどね。列車だとなかなか増えないのはなぜでしょうね。
この様なシステムが増えない理由の1つとして、その路線に走る電車をICカードタッチ機を付けた電車に限定されてしまうというのがあります。例を上げると福知山線の篠山口~福知山は和歌山線と同様普通列車は2両編成ワンマン運転が基本ですが、朝夕夜にはこの区間に車掌が常務した大阪からの4両または6両の快速列車が乗り入れてきます。その関係でこの区間でICOCAエリアが拡大されるとき、車内にカードタッチ機を付けるのではなく、各駅に自動改札またはカードリーダーが設置されました。
今回はJR和歌山線ですか。実は一番最初に和歌山に線路が到達したのは、この和歌山線です。(正確には現在の紀和駅まで(旧和歌山駅))ただ、そのすぐ後に南海本線が和歌山市駅まで開業したので、早くも重要性が低下し、最終的にはローカル線になりました。現在は阪和線単独の駅になっている、紀伊中ノ島駅、ですが、元は和歌山線が通っていました。ですが、東和歌山(現在の和歌山駅)へ行く短絡線ができてそちらが重要になり、全列車がその短絡線へ行くことになり、1974年に紀和駅へ行くルートが廃止になりました。
紀伊中ノ島駅や紀和駅へ行けばその廃線跡などがわかります。五条駅(奈良県)までは、大和路線からの列車乗り入れがあるので、そこまでは線路規格がいいです。吉野口駅ですが、近鉄吉野線は元はJR和歌山線と乗り入れして貨客を運ぶために建設されたそうです。そのために線路幅が同じです。
夏草や兵どもが夢の跡目を閉じれば浮かぶ北越急行
長崎線も江北以南は特急列車が全滅しましたよね
和歌山線の記憶では、急行「しらはま」が(後に紀ノ川)ありました。残念ながら乗ることは、できなかったですが、和歌山、奈良線内で、スレ違いしたことは、何度か😒近鉄とかの、乗り換え駅に停車していたイメージがありましたが、吉野口は通過していたようです。また北宇智のスイッチバックも覚えてますね。そして非電化のころ、普通の一部は無人駅を通過する列車も。車内放送で、「◯◯には止まりません」と言ってました。 また無人駅に停車した時一両分だけしか、ホームにかかってなくて、あとの車両は、ホームから出た状態で止まり、しかもハミ出た車両は、ドアを開けてたんですよね、これはヤバいんやないかと、思ったもんでしたが今やったら問題になるでしょうね😮もちろん今はホーム延長してすべてホームにかかるように、なってます。 そして和歌山線の非電化時代は、今の和歌山駅やなく終点は和歌山市やったそうで、田井ノ瀬からまっすぐ紀伊中ノ島に抜けさらに今の紀和駅に続いていたようで。このルートは、50年ぐらい前に廃止にかり、紀伊中ノ島駅の下にその当時のホームが、残っています。
南海電鉄のチロルチョコ(小型クーラー)満載のステンレスカー6300系、1970~1973年に作られたので全車製造50年!
和歌山駅で和歌山線専用改札出来てたのはワロタw
1:04逆Lの字というよりは90度左に傾けたというほうが適切では
ホームが長いのは、大和路せんから直通が数本あるからですね。6両だったと思います。
おお。ひろき氏、俺の田舎来てたんやなあ😂。実家の前、通ったわあ。確か子供の頃、急行白浜とか有った気がする。🙂
和歌山線は難読駅名が多いですね。千且(せんだ)、布施屋(ほしや)、隅田(すだ)は初見殺し😱。厳島神社が真横にあった駅は、西笠田(にしかせだ)駅で、これも難読駅名。
今日もひろきさんの動画投稿待ってました!
王寺に来てたのですか!?😳
和歌山線に特急とは、恥ずかしながら初めて知った33:00過ぎ、サブリミナル効果発動で草
和歌山県出身の私としての『和歌山線』は、幼少期の非電化時代に急行『紀の川』が走っていたというイメージでしかない。無論、利用経験なんてないが………………… 電化後もせいぜい9月~10月辺りに、381系による沿線中学校の『修学旅行団臨』運用がかろうじて乗り入れる程度でした。しかし、本来路線のない『近鉄』が何故に長年、和歌山市内に自前の『近鉄百貨店』を構え、現在も続いているのか???どうやら噂では元々和歌山線は、『近鉄』が路線を拓いて運行する『青写真⁉️⁉️⁉️』があった模様のようです。真偽のほどはともかく、もし実現していればビスタカーとスナックカーに、さらには『ひのとり・しまかぜ』らの自慢の特急群が、『紀の川筋』をなぞって和歌山から奈良京都に名古屋に伊勢志摩方面を結んでいたかもと考えると、大いにロマンを感じてしまいます。
京奈和自動車道は全通していない。
近鉄特急止まるのに無人駅は良いですよね😊
全滅していませんよ。特急まほろばがある。
柿ですねorz
吉野口駅の付近で近鉄と架線柱共用していたり、対面乗り換え可能だったりする構造が意外でした。線路幅も同じですから、吉野口駅から何かしらの列車が直通していたのですかね
吉野山の材木を運ぶのに貨物が直通してたみたいです
貨物列車が直通してたはずですね。
吉野鉄道(いまの近鉄吉野線)が、吉野口駅から分岐する形で開業しました。
和歌山から関東に青春18きっぷで帰る時全線乗り通し亀山経由名古屋~東海道本線で無事帰宅した懐かしい
それでもまだJRが採算取れるという理由で営業してるからマシですな(^o^;)
分かる、その気持ち。
特急列車が全滅した駅何て何処か悲しい駅。
急行「しらはま(のちに紀ノ川)」と臨時特急「しらはま」と混同されてませんか?(;^ω^)臨時特急の方は、奈良線・関西本線・阪和貨物・阪和線経由で和歌山方面に行ってました。運行期間も臨時特急「ふれあい紀州路」時代と合わせても2年程度の運航でした。
青春18きっぷ持ってるか〜ぁいっ⁉︎(持ってない)
特急が全滅してたの可哀想
奈良~和歌山、時間だけでなく運賃も天王寺経由の方が安いのに。奈良~天王寺&天王寺~和歌山に特定運賃があるので、天王寺駅で途中下車したらめちゃ安運賃で行ける!
さぁフォトハンよ〜ぉっ☆☆☆
❤五新線 ゴシンセン 誤診ですね
昔は賑わってたひろき最高
しらはまって…あのアクロバティック急行のやつのかな?( ̄▽ ̄;)解説してる動画見たことあるけどもむっちゃごっちゃごちゃだった…
高校時代に必然的に3年間乗りまくってた路線を取り上げてくれるのはありがたいんやけど…和歌山線って開業以来定期の特急って走ってる事ないんやなぁ他の人が言ってるみたいに、寝台車を繋いだ普通列車なら1往復あったけど、ブルトレではなかったんだよね…もう少し勉強しないと知らない人に嘘情報流す事になっちゃうよ💦
八高線と似てる気がする
ひろきくんナレーション解りやすいよ😮😮😮😮😮
こんばんは
和歌山線に特急なんて走ったことないと思うが。
せいぜい秋辺りに、381系による沿線中学校の『修学旅行団臨』運用が乗り入れる程度。もっとも、381系が撤退した現在ではどうなるかは未知数ですが………………
😉👍✨🚃🎫
和歌山線に定期の特急が走ったことはありません。和歌山線の定期優等列車は、1962年に準急はまゆう(京都925・名古屋810→白浜口1428と白浜口1455→京都2008・名古屋2127)と準急はやたま(新宮830→名古屋1726)が設定されたのがはじまりです。又同時に急行大和の和歌山市行編成(東京2245→王寺853→和歌山市1128と和歌山1752→王寺2039→東京640・和歌山線には2等寝台客車1両が直通・和歌山線内は普通列車として運行)が設定されました。その後1966年に国鉄の運賃形態の変更に伴い準急2列車は急行に格上げされ、その後同年の10月改正で王寺駅経由から桜井線経由に変更されました。1968年10月改正で、急行はまゆう(この改正で鳥羽~紀伊勝浦の急行名に変更されました。)と急行はやたま(のちに天王寺 ~名古屋の夜行普通列車の愛称に使用されました。)は急行しらはまに統合されました。又急行大和の和歌山行編成は廃止されました。(急行大和の大阪側の終着駅が湊町→奈良(奈良~王寺は普通列車))に短縮されたためです。その後しばらくは変化はありませんでしたが、1980年10月改正で運行区間を京都・名古屋~新宮・白浜から京都~和歌山に短縮したうえで、急行しらはまから急行紀の川に変更されました。そして1985年3月改正で急行紀の川は廃止され、和歌山線から定期優等列車は消滅しました。※その後京都から南紀方面への需要に応えるために、京都から奈良線・関西本線・阪和貨物線・阪和線・紀勢本線を経由して白浜を結んだ臨時特急ふれ愛紀州路と白浜が1987年~1989年に設定されましたが、同年に特急くろしおが京都駅に乗り入れを開始したため廃止されました。
和歌山線は曽て特急列車が走っていたなど、時代を色濃く映す路線と私は思いますね。行動力と好奇心旺盛で詳しく解析し解説して下さるひろきさんらしさで、勉強になりました。2023.11.23
和歌山線に(定期の)特急列車が走っていましたでしょうか?
私の記憶では和歌山線に特急列車が走っていたことはないと思いますが。
(普通)急行列車としては,京都駅発で奈良線・関西線(木津・奈良間です)・桜井線・和歌山線経由の白浜駅行きの急行列車に天理駅から乗車したことがあります。
また東京・湊町間の急行大和(1968年4月では,列車番号が2901レ・2902レ)が王寺駅で寝台車1両を分割併合していたことは有名ですが,王寺駅・和歌山市駅間は普通列車の525レ・528レに併結です(当時は紀伊中ノ島駅の阪和線のガード下を通って和歌山駅(現在の紀和駅)から和歌山市駅までの運行ですね)。
さらに田井ノ瀬駅から紀伊中ノ島駅・紀和駅を経て和歌山市駅までは大昔の和歌山線ですが,この和歌山市駅から紀和駅の区間についても,南海難波駅発の準急列車や急行列車が東和歌山駅(現在の和歌山駅)で阪和線経由で天王寺駅発着の列車と分割併結をしていましたが,特急列車は走ったことがないと思います。
地元民ですが、朝夕は6両でしかも立ち客が結構出るくらいには混みます。
その上コロナ前までは昼間でも両数の多い難波快速が2〜3本あって便利だったんですが、一気に王寺までの2両が毎時1本まで減らされてしまいました。最近はまあまあ混雑が戻りつつあるのでせめて高田までの区間に関しては増便してくれないと座れない……
熟す前の青い果物は柿ですね。和歌山県は柿の名産地です。奈良や和歌山は柿の葉寿司も有名ですね。柿の葉寿司、、、食べたくなって来た。
大阪方面から来る時に電車の前と後ろで奈良方面と和歌山方面に分かれるのはなかなかのトラップ。
懐かしき地元路線取り上げてくれてありがとうございます。
和歌山線の227系1000番台は2019年に登場しました。
確か五條からは面積が日本一の十津川村を経由して新宮へ抜ける五新線が計画されてました。
結局幻に終わりましたが代わりに大和八木と新宮には全長170キロの路線バスが走っていて五条駅にも止まるので実質五新線のような役目を果たしています。
和歌山線は国鉄時代に寝台特急や急行も走っていたなあ
東京から名古屋でスイッチバック、亀山で紀勢線編成と分割、和歌山線内は普通というのもあった
5:07 チャイムがセルスター製レーダーの時報音(旧製品)
和歌山線は関西地区の大回りで乗ると良さそうですね!
15:09 吉野神宮から和歌山に帰る際便利である。
❌特急列車全滅
⭕そもそも特急列車なんて無かった
そうなんですか!?
国鉄以前は資料に乏しいが、国鉄時代に奈良県内を走っていた特急は「あすか」と臨時特急「しらはま」だけでいずれも王寺から関西本線→阪和貨物線経由でした。和歌山線には準急「はやたま」「はまゆう」→急行「しらはま」→「紀ノ川」と急行「大和」(崩れの普通列車)だけでした...
特急あすかは東和歌山駅と名古屋駅間の運転です。特急あすか号の上り列車は,東和歌山駅始発で阪和線経由で堺市駅に停まり,杉本町駅から通称阪和貨物線を経由して,八尾駅(実際上は龍華機関区や久宝寺駅のところ)から関西本線に入り,奈良駅,伊賀上野駅,亀山駅,四日市駅に停車しました。したがって和歌山線は経由しません。
八尾も停まっていたような記憶がありますが。
@@さいごのとりで さま
特急「あすか」ですが,1965年(昭和40年)3月から1967年(昭和42年)10月までの2年半走りました。短命ですね。
停車駅と発車時刻を調べてみました。
下り3D列車の1965年夏の発車時刻は,名古屋19:00,四日市19:36,亀山20:02,伊賀上野20:36,奈良21:18,堺市21:58で,終着東和歌山着が22:40です。
上り4D列車の1965年夏の発車時刻は,東和歌山7:10,堺市7:57,奈良8:43,伊賀上野9:22,亀山9:55,四日市10:14,終着名古屋着が10:50です。
1年後の
下り3D列車の1966年7月の発車時刻は,名古屋18:40,四日市19:19,亀山19:47,伊賀上野20:27,奈良21:07,王寺21:21,堺市21:49で,終着東和歌山着が22:37です。王寺駅に追加で停まるようになりました。
上り4D列車の1966年7月の発車時刻は,東和歌山7:00,堺市7:57,王寺8:28,奈良8:44,伊賀上野9:22,亀山9:57,四日市10:18,終着名古屋着が10:55です。上りも王寺駅に追加で停車するようになりました。
これらのデータから,特急「あすか」の八尾駅停車はなかったのでないかと考えます。
あまりにも乗車率が悪くて、10年弱ぐらいで廃止になった、特急あすか。
37:35 柿(かき)です。 柿の生産量日本一は和歌山県です。
ここを走っていた105系は、かつて常磐緩行線で使われていた103系を改造したもので、4扉でした。
北宇智駅は、スイッチバック構造のまま列車がワンマン化されたため、ワンマン化当初はクルマをバックさせる時のように窓から顔を出して後方確認しながら駅ホームと引上線を行き来していました。さすがにこれはまずいと、エンド交換して運転台を行ったり来たりして運行するようになったのですが、ATSの入れ忘れが度々発生したためにスイッチバックが廃止されたという経緯があります。
なお、和歌山線には急行が走ったことはありますが、特急は設定されていません。
103系1500番台改造の105系時代はコイルバネで乗り心地も悪く、ほんまに地獄でした。
常磐線の後継車両203系はジャカルタに転属し、「ワイの地元はジャカルタより古い電車使てるんやな」と嘆いておりましたが、227系になって乗り心地も大幅に改善されました😀
32:36 たぶんですが、和歌山なので柿ではないでしょうか。
ようこそ、奈良県へ🎉そういや、トンネルありませんでした😅忘れておりました
和歌山線はかつてはにぎわってたのは知ってたが、全区間乗車したのはすごいですね。
227だから可能です
105は忍耐
@@ワイたん-s9b10年ほど前にやった事があるのですが105系でおっしゃる通り忍耐でした。笑
和歌山線は北宇智駅がスイッチバック現役時代に乗りました。山合いを抜けながら奈良まで105系でゆらゆらゆっくりと。
JR五位堂駅は昔信号場だった場所が駅になりました
「地獄の和歌山線」と言われる理由として「和歌山駅で『奈良ゆき』と買いている電車に乗り込むも、なかなか奈良に着かない。五条駅で運転士に「奈良へはいつ着くのか」と問い詰めると「このままご乗車ください」といわれるから。
急行しらはまが走っていましたね。
北宇智駅はスイッチバックの駅でしたし、結構山越えの区間もあります。
磐越西線の中山宿駅もそうですが、最近では多くのスイッチバックが廃止されています。
大和二見駅は棒線化されましたし、掖上駅も微妙な感じです。
御所駅は近鉄と目と鼻の先ですし、スーパーの横に火葬場があるなど違和感があるため見てみる価値があります。
近鉄と南海を乗り継ぐために吉野口から橋本まで乗ったことある。
和歌山線は特急走ったことないよ。特急あすか(名古屋~東和歌山(現:和歌山)65.10~67.10)も特急しらはま(京都~白浜:88.3~89.3)も阪和貨物線経由でした。
臨時あすかやエーデルなどイベント列車も多数走っていましたね。南海の甲種輸送も走る時があります。
昼間の難波直通が廃止されて高田駅は寂しくなりましたね。
一昨年までは和歌山行きは奈良始発がメインでしたが今は廃止されて全部が王寺始発になってしまった、高田での方向転換は廃止。
何故か和歌山線はMHを切ってる運転士が多くてフルに聴くことが出来ない。MH搭載車の投入が遅い路線だったからMH鳴らしたがる運転士が少ないんだろうね。
私が子供の頃にはまだ大和二見駅から分岐する貨物線がありました。今も恐らく線路跡が分かるはずで、そのまま紀ノ川方面に歩いて行くと橋げた跡とかも残っている筈です。
和歌山線はあまりに遅い為、僕が王寺駅で「和歌山まで和歌山線経由で」と乗車券を購入しようとした時、駅員から「天王寺まで出て、阪和線で行かれた方が速いですよ」とアドバイスされた事があります。
また、白浜発、紀勢本線、和歌山線、桜井線、関西本線経由での名古屋行の急行〔しらはま〕と言う列車が走っていた記憶があります。
電化工事では予算削減の為、五条〜和歌山間は直吊式での架線とした事もスピードアップの妨げになったと聞いた事があります。
和歌山線の長旅お疲れ様でした。
いくつか気になる点があるのでコメントさせていただきます
① 0:32頃「関西本線は東海道新幹線開業以前、名古屋と大阪を結ぶ主力路線」⇨新幹線開業以前から名阪間の主力路線は東海道本線だった
動画では「関西本線は東海道新幹線開業前名古屋と大阪を結ぶ主力路線」としていますが、新幹線開業以前から名阪間の主力路線は東海道本線でした。1960年代後半の東海道新幹線開業以前の時刻表を見ると、
◆関西本線経由で名古屋~大阪(湊町)間を直結する優等列車は1日3往復しかなかった。所要時間も東海道本線に比べて遅かった。
◆東海道本線経由で名古屋~大阪(湊町)間を直結する優等列車は夜行列車以外で1日30往復以上、夜行列車を含めると約50往復あった。所要時間も関西本線に比べて速く、特急、急行、準急と様々な種別があった。
関西本線が、東海道本線と張り合っていたのは明治時代の話で、1907年の関西本線国有化以後は、徐々に東海道本線に主力の座をを奪われローカル線化して行きました。
② 5:56頃「1980年代まで東京からの直通のブルートレイン急行「大和」があった」⇨急行「大和」ブルートレインではない
ブルートレインとは、1958年特急「あさかぜ」運用に登場した20系以降の特急寝台客両又は特急寝台客車列車のことであり、急行である「大和」はこれに当たらない。紀伊半島で唯一ブルトレインと言うべき列車は、1975年に急行「紀伊」が昇格され全車両寝台列車になった特急「紀伊」のみである。
➂5:56頃「1980年代まで東京からの直通のブルートレイン急行「大和」があった」⇨急行「大和」は1968年に急行「紀伊」に併合され、1972年には亀山以西の編成は廃止された。
急行「大和」は、1950年に、東京~名古屋間の準急が関西本線経由で湊町まで延長され急行に昇格し、さらに「大和」という愛称がつけられたのが始まりで、和歌山市行の寝台車は1962年から連結されるようになった。東海道新幹線開業後、急行「大和」は「伊勢」「能登」などと併結されるようになったが(併結の仕方は何度か変更された)、1968年10月のダイヤ改正(ヨンサントオ)で、急行「紀伊」に併合されて「大和」という愛称は消え、更に急行「紀伊」の関西本線亀山以西の編成も王寺までとなった。さらに、1972年に亀山~王寺間の運用の編成が無くなり、東京と奈良県を直結する列車は無くなった。そして、1975年に急行「紀伊」は特急「紀伊」に昇格した。
なお、急行「大和」は荷物車と前よりの5両が名古屋止まりだった。東京から奈良、湊町、和歌山市への直通列車であるとともに、東名間の夜行寝台列車としての役割があった。
④ 17:07頃「客車は床部分が低くなっている」⇨客車の床は低くない。出入口のドアの部分が一段低くなっている
旧型客車をはじめ客車の床が低くなっているわけではありません。もともとホームが現在より低く作られていて、旧型客車をはじめ客車は、出入り口のドア付近に一段低いステップが設けられている。これは、日本が鉄道技術を取り入れたヨーロッパがそうであり、今でもフランスのTGV、イタリアのフレッチャロッサなどヨーロッパの高速列車の車両は乗車の際にホームから一段ステップを登ることになる。従って、思いスーツケースなどを持参していると、乗車の際に少し苦労する。なお、ヨーロッパの高速列車車両の幅は約2m90㎝前後で、これは日本の在来線特急の車両幅とほぼ同じである。従って、日本の新幹線の車両幅(N700系 3m36㎝)に乗り慣れていると、ヨーロッパの高速列車は狭く感じる。
東海道本線が電化されるまでは所要時間の面では勝っていたのですが、東海道本線の電化が完了し電車の優等列車が多数運行されるようになると所要時間でも負けるようになってしまい、国鉄からも見放されてしまったようです。(又この頃に紀勢本線が全通したことで、それまで単独で運行されていたかすがに紀勢方面や草津線に向かう優等列車が併結されるようになったことで、所要時間が余計にかかるようになったことも大きいです。)その影響で1963年10月の改正で、かすが1往復の運行区間が名古屋~湊町から名古屋~奈良に短縮されてしまいました。(湊町~奈良は快速列車に格下げされました。)ここから関西本線の凋落が本格化していきました。※その後1968年10月改正で、さらに1往復のかすがが名古屋~奈良に短縮されしまいました。そして湊町~奈良の電化が完成した1973年10月改正でかすがの湊町~奈良の運行は完全に終了しました。
@@頬予大橋
いろいろ、んわしぃじ用法ありがとうございます。
コメントの通り、1956年東海道本線全線電化完成以後、1957年準急「東海」、準急「比叡(命名は1958年)」の80系電車運用開始以来、東海道本線の昼行優等列車の電車化が一気に進みましたね。1960年代前半には、151系(特急「こだま」「富士」「つばめ」「はと」「おおとり」)、153系(急行「六甲」「いこま」「なにわ」「せっつ」「よど」、準急「東海」「比叡」「伊吹」など)電車王国になっていましたね。これら優等列車電車化の流れが0系の東海道新幹線に受け継がれたようなものです。
和歌山線にはかつて大和二見〜隅田に隧道があった
明治時代の煉瓦隧道で、老朽化により1951年、カーブに変更された
遺構はまだ存在している
鉄道にはトンネルがあった方がいいだろうから作ったという、ほんとか嘘かわからない話があります😅
大昔は優等列車が運転されたと思えない、のどかな山間の2両編成です。
ただ、王子駅から大和高田駅までは郊外住宅地になっていて、ラッシュ時は混み合いそうです。
特急列車が廃止寂しいけど😭😭😭かなり風情がある!🤵🤵🤵🤵
スイッチバック時代の北宇智ではたまに吉野口方面から駅に進入する下りと引上線から駅に進入する上りとの並走が見られたりした。
かつて京都駅の奈良線ホームから発車していた紀の川号も復活することはないでしょう。
1:29 遠回りすぎwww2時間半かかるのも納得!
大阪と奈良の山の勾配が緩やかなところを通っていますね
山の間を縫っていく車窓は気持ちよさそう
「笠田駅」は「かせだ駅」と読みます。
阪和線とは違うルートにも特急があるなんてね 見てみたかったな…
えるいぃでぃ〜んのワンちゃんも『映え』やしっ♡
ひろきくんの動画を観ると、レンガに詳しくなれる
ひろきさん、和歌山線に特急列車が運転されてたなんて聞いたことありません。何年頃にその特急が運転されてたの?その名称と運転区間を教えてくださいな? 急行しらはま、紀の川は運転されてたのは写真や映像で見たことあるけど。
JR和歌山線乗りました。奈良から、和歌山、和歌山から、阪和線で、天王寺駅です。車内の、ICタッチ機は、石川県金沢の、七尾線にもあります。
32:36
これは柿ですね
和歌山県の名産品です
とは言っても実は元々産業が成り立たない地域な為半ば無理矢理に農業誘致を施して名産品にしたとも言われています
柿の生産は市町村別では沿線の奈良県五條市をトップに、かつらぎ町、紀の川市、橋本市と沿線で独占していますね。紀勢本線沿線がミカンの産地であるのと対称的ですね。
吉野口は2路線4方向の乗換え接続ですね
棒線化された大和二見駅は、ホーム上に跨線橋(街中の歩道橋と同じタイプ)の土台が残っています。また、大和二見からは紀ノ川の近くまで貨物支線があり、終点には川端(貨)駅が置かれていました。線路跡は一部が残り、築堤やレンガの橋台・橋脚もあります。
紀の川に沿って走る非電化単線の和歌山線…天竜川&飯田線コンビの弟分か?
電化されてますよ
30:48に出てくる煙突は織物工場ですね🤔
その次に出てくるシブい建物は「葛城館/かつらぎかん」という明治末期に建てられた旅館との事です。(現在は有形文化財として保存されてます)
王寺からでも一旦天王寺まで出て阪和線経由で行った方が早いという…
和歌山線に乗車した事があるんですが、紀ノ川沿いを走行しているんですよね
王寺駅から五条駅の大回りで和歌山駅へ至るのは阪和線が南海山手線だった私鉄の名残りもあるかと思います
余談ですが、大阪難波より奈良県五條市はじめ南部へは十津川村などのバス乗り換えも含め南海高野線橋本駅乗り換えが鉄道での最短ルートになるそうです
俺の母親の故郷です
今の王寺は大阪へのワーカーの為の重要なベッドタウンになっています
また、大和路線は奈良への重要な路線でもあるため結構人が乗降してきますし途中の久宝寺が第2の大阪のベッドタウンやおおさか東線への分岐点として重要な役割を担っています
嘗ては「やまとじライナー」なる特別列車が運行されていましたが、それも廃止されてしまいました
和歌山線は流石に完全なローカル線としての存在なのは昔と変わらないですね
もし王寺から和歌山へ向かう場合は一度天王寺や新今宮へ出てから阪和線や南海線で向かった方が早く向かえます
ほぼ奈良県南部は近鉄線の独占地帯と言っても過言ではありませんね
西村京太郎氏の短編小説に、和歌山線の鈍速さをトリックにしたものがありましたな。105系電車での和歌山線全線乗車はハードでした。柿の葉寿司が良い旅の友。
和歌山線は特急以外に南紀と京都を結ぶ急行しらはまや1日に1本片道だけの名古屋行き急行もありましたね。今では優等列車もなく、王寺と和歌山を乗り通す人もマニアしかいなくなりましたが、それでも地域住民の足としての和歌山線は必要な存在だと思います。急行紀ノ川の廃止の時に和歌山線最後の急行列車に乗っておいて良かったと思います。
橋本という駅名は京王線もありますね。ローカル線の雰囲気が良いですね。
紀の川を渡る橋梁がいい味を出している。
奈良と和歌山を短絡するルートだけど、今ではそういう目的で乗る人はマニアくらいでしょうね。JR(と転換第三セクター)だけで本州34都府県の代表駅を一筆書きで回ろうとすると和歌山線の存在は重要になってきますw
43では…?
天王寺乗換えの方が断然早いですからね
@@cs-atc 本州って書いてあるの見えない?指摘になっていないことを言ってたら煽りたくなっちゃうから文章をよく読んでコメントしようね。
@@평화우애 失礼しました。仰る通りでしたね。ありがとうございます。一筆書きだと四国を通れないから43か…と勘違いしてました。
227系は広島でも走ってますよ!好きですこの音❤️
なお夕方〜夜に出没する大和路快速・区間快速五条行きは、大和路快速を名乗ってるくせに奈良に行かずに和歌山線の五条まで連れていかれるという完全初見殺しなので要注意ですね!特に前4両加茂行き、後ろ4両五条行きとかの編成は関西人でも普通に間違えてしまう。
3:17 あと、「せんいち」とか「しおたいおう」とか駅周辺にも美味しい店も。
15:16 かつては近鉄の方が本数も多くて、JRはほとんど105系なのに対して近鉄はシリーズ21とかも来て何もかも近鉄優位な状況だったのに、車両だけは逆転された感が。
3年前に大回りで和歌山線通ったけど想像以上に所要時間が長くてキツかった思い出。
16:30
今でも「五條市」は旧字体、駅名は「五条駅」と新字体になっています。
吉野口駅はJR管理なので近鉄側の駅名標もJR形式になっています。
バスみたいな車内ICカードタッチ機って簡易ICOCAよりも便利だと思うんですけどね。列車だとなかなか増えないのはなぜでしょうね。
この様なシステムが増えない理由の1つとして、その路線に走る電車をICカードタッチ機を付けた電車に限定されてしまうというのがあります。例を上げると福知山線の篠山口~福知山は和歌山線と同様普通列車は2両編成ワンマン運転が基本ですが、朝夕夜にはこの区間に車掌が常務した大阪からの4両または6両の快速列車が乗り入れてきます。その関係でこの区間でICOCAエリアが拡大されるとき、車内にカードタッチ機を付けるのではなく、各駅に自動改札またはカードリーダーが設置されました。
今回はJR和歌山線ですか。
実は一番最初に和歌山に線路が到達したのは、この和歌山線です。(正確には現在の紀和駅まで(旧和歌山駅))
ただ、そのすぐ後に南海本線が和歌山市駅まで開業したので、早くも重要性が低下し、最終的にはローカル線になりました。
現在は阪和線単独の駅になっている、紀伊中ノ島駅、ですが、元は和歌山線が通っていました。
ですが、東和歌山(現在の和歌山駅)へ行く短絡線ができてそちらが重要になり、全列車がその短絡線へ行くことになり、1974年に紀和駅へ行くルートが廃止になりました。
紀伊中ノ島駅や紀和駅へ行けばその廃線跡などがわかります。
五条駅(奈良県)までは、大和路線からの列車乗り入れがあるので、そこまでは線路規格がいいです。
吉野口駅ですが、近鉄吉野線は元はJR和歌山線と乗り入れして貨客を運ぶために建設されたそうです。
そのために線路幅が同じです。
夏草や兵どもが夢の跡
目を閉じれば浮かぶ
北越急行
長崎線も江北以南は特急列車が全滅しましたよね
和歌山線の記憶では、急行「しらはま」が(後に紀ノ川)ありました。残念ながら乗ることは、できなかったですが、和歌山、奈良線内で、スレ違いしたことは、何度か😒近鉄とかの、乗り換え駅に停車していたイメージがありましたが、吉野口は通過していたようです。また北宇智のスイッチバックも覚えてますね。そして非電化のころ、普通の一部は無人駅を通過する列車も。車内放送で、「◯◯には止まりません」と言ってました。 また無人駅に停車した時一両分だけしか、ホームにかかってなくて、あとの車両は、ホームから出た状態で止まり、しかもハミ出た車両は、ドアを開けてたんですよね、これはヤバいんやないかと、思ったもんでしたが今やったら問題になるでしょうね😮もちろん今はホーム延長してすべてホームにかかるように、なってます。 そして和歌山線の非電化時代は、今の和歌山駅やなく終点は和歌山市やったそうで、田井ノ瀬からまっすぐ紀伊中ノ島に抜けさらに今の紀和駅に続いていたようで。このルートは、50年ぐらい前に廃止にかり、紀伊中ノ島駅の下にその当時のホームが、残っています。
南海電鉄のチロルチョコ(小型クーラー)満載のステンレスカー6300系、1970~1973年に作られたので全車製造50年!
和歌山駅で和歌山線専用改札出来てたのはワロタw
1:04逆Lの字というよりは90度左に傾けたというほうが適切では
ホームが長いのは、大和路せんから直通が数本あるからですね。
6両だったと思います。
おお。ひろき氏、俺の田舎来てたんやなあ😂。実家の前、通ったわあ。確か子供の頃、急行白浜とか有った気がする。🙂
和歌山線は難読駅名が多いですね。千且(せんだ)、布施屋(ほしや)、隅田(すだ)は初見殺し😱。厳島神社が真横にあった駅は、西笠田(にしかせだ)駅で、これも難読駅名。
今日もひろきさんの動画投稿待ってました!
王寺に来てたのですか!?😳
和歌山線に特急とは、恥ずかしながら初めて知った
33:00過ぎ、サブリミナル効果発動で草
和歌山県出身の私としての『和歌山線』は、幼少期の非電化時代に急行『紀の川』が走っていたというイメージでしかない。無論、利用経験なんてないが………………… 電化後もせいぜい9月~10月辺りに、381系による沿線中学校の『修学旅行団臨』運用がかろうじて乗り入れる程度でした。
しかし、本来路線のない『近鉄』が何故に長年、和歌山市内に自前の『近鉄百貨店』を構え、現在も続いているのか???
どうやら噂では元々和歌山線は、『近鉄』が路線を拓いて運行する『青写真⁉️⁉️⁉️』があった模様のようです。真偽のほどはともかく、もし実現していればビスタカーとスナックカーに、さらには『ひのとり・しまかぜ』らの自慢の特急群が、『紀の川筋』をなぞって和歌山から奈良京都に名古屋に伊勢志摩方面を結んでいたかもと考えると、大いにロマンを感じてしまいます。
京奈和自動車道は全通していない。
近鉄特急止まるのに無人駅は良いですよね😊
全滅していませんよ。特急まほろばがある。
柿ですねorz
吉野口駅の付近で近鉄と架線柱共用していたり、対面乗り換え可能だったりする構造が意外でした。
線路幅も同じですから、吉野口駅から何かしらの列車が直通していたのですかね
吉野山の材木を運ぶのに貨物が直通してたみたいです
貨物列車が直通してたはずですね。
吉野鉄道(いまの近鉄吉野線)が、吉野口駅から分岐する形で開業しました。
和歌山から関東に青春18きっぷで帰る時
全線乗り通し亀山経由名古屋~東海道本線で無事帰宅した
懐かしい
それでもまだJRが採算取れるという理由で営業してるからマシですな(^o^;)
分かる、その気持ち。
特急列車が全滅した駅何て何処か悲しい駅。
急行「しらはま(のちに紀ノ川)」と臨時特急「しらはま」と混同されてませんか?(;^ω^)
臨時特急の方は、奈良線・関西本線・阪和貨物・阪和線経由で和歌山方面に行ってました。運行期間も臨時特急「ふれあい紀州路」時代と合わせても2年程度の運航でした。
青春18きっぷ持ってるか〜ぁいっ⁉︎(持ってない)
特急が全滅してたの可哀想
奈良~和歌山、時間だけでなく運賃も天王寺経由の方が安いのに。奈良~天王寺&天王寺~和歌山に特定運賃があるので、天王寺駅で途中下車したらめちゃ安運賃で行ける!
さぁフォトハンよ〜ぉっ☆☆☆
❤五新線 ゴシンセン 誤診ですね
昔は賑わってた
ひろき最高
しらはまって…あのアクロバティック急行の
やつのかな?( ̄▽ ̄;)
解説してる動画見たことあるけども
むっちゃごっちゃごちゃだった…
高校時代に必然的に3年間乗りまくってた路線を取り上げてくれるのはありがたいんやけど…
和歌山線って開業以来定期の特急って走ってる事ないんやなぁ
他の人が言ってるみたいに、寝台車を繋いだ普通列車なら1往復あったけど、ブルトレではなかったんだよね…
もう少し勉強しないと知らない人に嘘情報流す事になっちゃうよ💦
八高線と似てる気がする
ひろきくんナレーション解りやすいよ😮😮😮😮😮
こんばんは
和歌山線に特急なんて走ったことないと思うが。
せいぜい秋辺りに、381系による沿線中学校の『修学旅行団臨』運用が乗り入れる程度。もっとも、381系が撤退した現在ではどうなるかは未知数ですが………………
😉👍✨🚃🎫