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私の最初の車はアスカでした。11年20万キロ乗りましたが、故障は皆無でした。、燃費がよく、軽油満タンで1000キロ走ったこともあります。いい車でしたね。
免許取得の時の教習車がアスカでした、エンストしなくて楽だったなぁまあ、エンスト連チャンしたら腹切りだって言われましたけど
いすゞと言えばやっぱリデザイン多くの車種でジウジアーロにデザインを依頼していたが超絶かっこよかった乗用車を作らなくなったのは本当に残念だと思う
ジェミニZZR PF60乗ってました。当時周りは、皆 AE86に乗ってたけど、スタイリング、内装、スパルタンな感じでジェミニ選びました。結果ノーマルは、曲がらない、止まらないで、アンダー凄く、エンジンは2バルブ、暖まると、パワーもありますが、フィーリングは、昔のスポーツカーでした。でも、デートにも使ってたんで、一番の 思い出のクルマですね。
isuzuと言えばジェミニの街の遊撃手!あのCmは今でも忘れられん。欲しかったなぁ・・・・・
ジェミニの初代FRも良かったですよ、ZZとか。乗り心地はイマイチ、室内も狭かったけど、オシャレな感じでね。
最近、駐車場に停まっているハンドリング バイ ロータス見つけました。
@@今宵満月 ウラヤマシイ・・・・・・w
大学生のときに2代目の車として手に入れたのが中古のジェミニZZRのハッチバッククーペでした。フロントグリルの上側が長いデザインのタイプです。その後117の丸目量産型の中古を購入しこれを就職して2年目にユーノスロードスターに買い換えるまで乗っていました。ダッシュボードセンターからシフトレバーが手前に突き出ているようなジェミニの内装、丸目の美しい顔に三角窓と木目基調のインパネによる高級感を感じさせてくれた117。どちらも本当に思い出深い車でした。
ピアッツァは今見てもカッコ良い
我が家は、昭和42年に親父がベレット1600GTを新車で買ってからベレットGTばかりを3台乗り続けて今も、昭和47年に新車で買ったベレット1800GTを乗っています。
すごい! S47年のベレットを手放さずにのっていたなんて! 僕はFFジェミニのディーゼルに乗っていたけど(大学生の頃)、手放しちゃったのが悔やまれます。いい車でした。
友人が突然、FFジェミニが欲しいと言い出して突然買って来ました。突然出て来た車なのに、怖いほど往時の状態をキープしていて驚きました。マニュアルのセダンなのですが見た瞬間、ザ・80年代なボディサイズと室内空間、運転すると中々鋭い加速で、運転の楽しい車にも関わらず上品な印象で、いすゞの技術者の良心を感じました。いすゞが乗用車から撤退して随分経ちましたが、忘れ去ってしまうのは惜しいと思います。紹介の動画を作成してくださり、本当にありがとうございます。
高速走行時にキンコンチャイムが鳴り、ちゃんと動いてる!と嬉しくなりました。
あったね~それ、3atで4000rpmで120kmで走ると、いつまでもキンコン音がなり続けて、途中でとぎれることもなく、よい音してたなあ~懐かしい。
@@お酒と旅行が好き そうそう、キンコン鳴らしながら、東名すっ飛ばしてた。
たまに地元で見かける117クーペ。何度みても惚れ惚れするスタイルに、羨望の眼差しです。
特に初期型の(ジユジアロー設計)1600117は殆ど手作りで何と😆170万円余りしました😮懐かしい昭和の名車の1つですねぇ🙆⭕
『丸型ライト』ならもうそれこそ、『骨董品レベル』の値打ちもハンパなかろうなあ。
いすゞの乗用車部門が撤収後、ここにいたエンジニアが日産へ移籍し、R35GT-Rを開発したという話がありますね!当時のチーフエンジニアの水野和敏さんがおっしゃっていたのを思い出しました。
チーフデザイナーだった中村氏も日産に移って、デザイン担当重役になりましたね。
ビークロスデザインした中村氏が役員待遇で日産に引き抜かれたのはビックリでしたね。まるで広報担当の如く、マスコミに沢山出てましたねw
日産は技術力無いしょぼい会社なんですね。いすゞ最高!
@@By-Gaeshi それ故なのか、R35GT-Rには「いすゞ最初にして最後のSUV」ビークロス(※)の面影が有ったりする。(特にフロント・・・)※ビックホーンとミューは、厳密にいうと「RV」車という事になってて、SUVカテゴリーには入らんクルマだったのです・・・。
とにかく全てが素晴らしい、エンジンもヤマハやホンダと争うぐらい凄い物だし。こだわりの強い開発者や技術者だらけだったんでしょうね。
28年前までベレットGTRに乗ってました、コンパクトでシフトフィール コーナリング エンジンサウンドが最高でした、今では買えない価格になってしまいましたね、当時いすゞ本社から葉書が来て「もう部品は勘弁してください」と言う内容でした、真面目なメーカーだな~と感心した事を思い出します🎉
ベレット私も、乗っていましたが、ブレーキのマスターバックが付いていなかったためブレーキング時には相当気を使いましたね😅
良く言えば真面目な作り、悪く言えばコスト度外視で採算性悪すぎた。ビッグホーン乗ってたけど現代の車では考えられない程コストかけてた。ワイドボディとナローボディが設定されていたが、普通はホイールオフセットやホイール幅で調整するのにいすゞは2種類の長短サスアームを設定した。ボディ塗装は現代のレクサスを凌駕する7層塗り、屋根の遮音材もビッシリ入っており土砂降りでも雨音は全然入ってこなかった。そのくせにATはNAVI-5の失敗から慌てて採用した古いGM系のATをずっと使い続けており、4速70キロでやっとロックアップする日本の道路事情に全く合っていない代物だった。けどLSDのフリクションプレートが2 種類の厚みで部品として出しており、ディーラーでプレート入れ替えてもらって効きを強化したりもできたのは後にも先にもいすゞだけでしょう。
整備士になりたての当時、ホンダのディーラーでいすゞからOEM供給を受けていたホライゾン(ビッグホーン)ハンドリングbyロータスを車検場まで運転した際に、当時のパジェロを筆頭とするクロカン4WDにありがちなもっさり感が全くない乗用車的なハンドリングに驚かされたのは懐かしい想い出です
このビッグホーン近所で見るわ!かなりかっこいい!
マジか、78プラドのワイドはノーマルでもオフセットが-35で、ワイトレ必須でしたよ。
いすゞジェミニのテレビコマーシャルのカースタント…凄かったなぁ
レミージュリアンスタントチームですね。007シリーズのカースタントも担当したスタントチームです。CGじゃなくてパリの街中や地下鉄を一時的に閉鎖し今では考えられない状況で撮影した奇跡のCMです。日本車のクオリティで外車に乗れる。オシャレなイタ車かフランス車に乗っているような感じでした。復活して欲しいですね。
You Tubeにありますよ、探してみて下さい。私も生で見た記憶が在りますが、度肝を抜かれましたね。華麗なスタント花のワルツやオー・シャンゼリゼのコンビかとてもお洒落に見えましたね。
@@ミキビアシオン あのCMの印象はすごく当時すごく話題になりますた。イルムシャー チューン ハンドリング バイ ロータス仕様も他社ではやらない。やっぱり自動車はいすゞさ!
@@SSSZ999 様私もピアッツァ、ジェミニZZハンドリングbyロータス(JT190)、ジェミニ イルムシャーR 4WD(JT191S)、ビークロスと車人生の半分をいすゞ車と過ごして来ました。世間の評価は低かったが、他の国産車とは一線を画す面白い車ばかりだった。復活して欲しいですね。
@@ミキビアシオン FFジェミニは当時のカローラーより販売台数が多かったと記憶してるんのだが・・・販売競争じゃT やNにはどうしてもかなわんからな。
あの当時、叔父がフェアレディZに乗っていて叔父の運転でドライブに行った際に散々にベレットが煽ってきました。まだ地方国道は未舗装区間があり、それはダカールラリー並み。しかし、砂利道を爆進するベレットのリアを良く記憶してます。叔父は薄笑い浮かべて一切、相手にせず。後日に叔父は『あれは県警の覆面パトカーで他県のスカイラインやフェアレディとか見ると煽り、挑戦受けて追い抜くと違反切符出してくるんだよ。あのベレットは有名だからねー』
苦笑!
昔の交通機動隊は無茶苦茶してましたよねw私もジェミニイルムシャーR乗ってて色々改造してたので、街中でも高速でもマークされましたよw
法廷速度で走ってあげたくなりますね!
昔は違反切符(警察もノルマがあった)を切るためなら何でもやってた時代だからね・・・、昔のエグい話は聞いたよ。違反の常習者に見逃す代わりに仲間を誘わせて一網打尽にしたりとか、警察の仕事も大変だなって思った
。。
良い車でもウレルとは限らないと身を尽くしてまで証明したメーカー。ジェミニのcmは本当凄かった😊
山崎豊子の小説「不毛地帯」ではベレットをレベッカ、ベレルをエンペラーと名を変えていましたね。当初はフォードと提携するはずがマツダを推すライバルに敗れ、その後更に大きなGMと対等条件での提携を勝ち取り一泡吹かせたのは痛快でした。
紹介されていないピアッツァを含め、流麗なクーペを多く世に送り出していましたね。セダンのフローリアンもその流れなのか秀逸なデザイン車として記憶に残っています。
ピアッツァのハンドリング by Lotus に乗っていました…美しいクルマでした…
いいですねー。当時はまだ金が無くて所有できませんでした。ピアッツァも当初はフェンダーミラーがスタイルをスポイルしていましたけど、ドアミラーになってからは美しさが際立ちましたね。
ピアッツァは今でも日本車で最も美しいデザインのように思います。
PAネロ乗りでした偽カマロ呼ばわりされたけど、日本に合うサイズで、他にはないスタイルがとても好きやった。うるさい、操作しにくいスイッチ、跳ねるで彼女には早く変えてと言われて来たけど、人と被らないので長く乗れた。もう一度乗りたい車ではある。
子供の頃、初めて意識したフローリアンは神殿グリルのディーゼルだったんで、後に神殿グリルになる前の、丸目4灯のを見た時に同じ車って思わなかったなぁ~😂
いすゞ車との出会いはベレルです。小学生でしたがウグイス色とクリーム色のツートーンカラーと三角形のテールライトが他の日本車には無いものでいいなあと思いました。近所の個人タクシーの運転手をしていたおじさんに言うと、ベレルはバックギアに難があるなあとおっしゃってました。いすゞのデザインはヨーロッパ調で、117クーペのように大量生産出来なさそうな理想主義的なところに惹かれました。一番好きなのはピアッツアです。自動車雑誌で当時リアサスペンションがリーフリジッドで後輪がバタつくと皆が言っていましたが本当に自分で感じたのでしょうか。あの頃は免許を持ってなかったので自動車ショーで運転席に座っただけですが、5ナンバーサイズなのに室内はすごく広いんです。私は先代のシビックに今乗っていますが、ピアッツァは3ナンバーの車と同じくらい広いです。エッグフォルムと言われ、今だとランチアストラトスが車体の大きさからは似てるかも。デジタルメーターを初めて採用したのがピアッツァです。ピアッツァも2代目3代目ジェミニも免許を持ってなかったので乗れなかったのが悔しいです。毎日、いすゞのトラックとすれ違うたびに、そう思います。
ビッグホーンに乗りたかったし、ジェミニのCM見て感動しすぎて泣いてた
初期はエンジンしょぼいわフェンダーミラー調整しよううとすると折れる、シートベルト巻戻し壊れ、三角窓壊れ、エンジン回すとハンドルから異音発生!でエンジンだけは丈夫でした。整備性最悪
タイの友人宅が持ってるいすゞDMaxはカッコいい。日本で売ってないのが残念
いすゞの乗用車はマニアの琴線に触れる拘りの強いモデルばかりだった。それ故に商売として成り立たなかったという側面もあるだろうけど。
117クーペが子供の頃から大好きだった還暦爺さんですが、高校時代の友人が今も平成元年式ジェミニ ハンドリングbyロータスに新車から乗っています。😳もうパーツが手に入らないので維持が大変らしいですが、手放すつもりはないらしいです。😅
私、いすゞ車を3台乗り継ぎました。最初はjj120アスカイルムシャー 2台目がubs55ビッグホーンイルムシャーショートボディ 3台目がubs52 ビッグホーンイルムシャーショートボディRS 3.2リッターツインカムで5速MTという変態グルマでした。アスカは目立たないが結構速く、ubs55はどんな林道でもスタックする気がしない走破性、ubs52は俊足ダートランナーで一般道でもちょっとしたスポーティーカーにびっくりさせる位速い車でした。
ユーミンの「コバルト・アワー」という曲にベレットGTが登場しています。たぶん自動車評論家としても有名な正隆さんが「どうだい。いい乗り心地だろう。独立懸架サスペンションが(以下略)」と得意気に話していたんじゃないかと想像して微笑ましくなりました。
ディスティニーって曲に出てくる「緑のクウペ」は117クーペだって言われてますね
ジェミニイルムシャーRSに乗ってました。レース用ベース車で徹底的に軽量化されていてパワーウインドウも電動ミラーもついていませんでした。なつかしい思い出のクルマです😄
父親が、いすゞ に勤めていた事も有り、幼き頃から いすゞ に囲まれて環境だった。父親も私も、いまだに117coupéに憧れている。国産車で最初に電子制御燃料噴射装置を搭載したのも いすゞ だったなぁ。
マジでいい車だよね!後は四駆の車も好きだな
父がベレット、117と乗っていて私もビッグホーン、ビークロスを愛車にしていた時期がありましたコンセプトも良く何より基本設計の良さを感じさせてくれる車だったと思います
栃木県の壬生町の辺りでの修理工場の前にベレット不動車を置いてあって「これお洒落だな。外車?」って思っていて車種が分からないので車に詳しい人に聞いたら「いすゞベレット」って返事が来て、いすゞってこんなカッコイイ車を作っていたんだと勿体無いなあって思いました。
ピアッツア未来的でかっこよかったなあ。運転席はコクピットみたいで痺れた。
初代ピアッツァやビークロスも紹介して欲しかったですね。ピアッツァはジウジアーロ氏のコンセプトをほぼほぼ踏襲する(惜しむらくはフェンダーミラー・・・)スバルアルシオーネSVX並みの思い切りの良さでしょう。しかもアルシオーネはバブル期企画でしたから出たとこ勝負出来ましたがピアッツァは正直チャレンジとしか言えませんでした。ともあれ同時期のジェミニ共々日本車離れしたデザインは憧れました。願わくばもう少しいすゞが乗用車製造を継続、WRCグループAに参戦して好成績を挙げ売り上げ増加、なんて事があったなら・・・と妄想してしまいます。あと、ビークロスでパリダカ参戦とか。いずれにせよいすゞさんはトラック・商用車がメインなので致し方ありませんが。同業の日野自動車も乗用車製造撤退は凄く早かったですし。
でも当時は、マヨネーズとかトマトケチャップと言われてそれなりに不評は有ったよ、ジェミニクーペと言う人もいたかな、自分はドアミラーの社外品付ければ良いのにと思っていたが高すぎて買えなかった
ビークロスは、モーターショーに出展された時には、ベース車はジェミニでした。なので、実際発売されたビークロスよりも一回り小型で、排気量も2リッターで、ガソリンエンジンとディーゼルエンジンの2種が発表されていたので、注目されて市販化も期待されたが、その時点でもう、いすゞには製造するほどの資金が回らなくなっていたので、ベース車はビックホーンのショートボディにして内装と外装には、他社の似たような部品を提供して貰って、基本的に手作りで製造していましたよ。ただし欲しいと思っていた購入層からは、3・2リッターのビックホーンになって車体も大きくなり、それでいて室内は狭い為に、売れなかった。購入層が欲しかったのは、スズキのエスクードなどの小型クロスカントリービーグルだった事で、はっきり言って、いすゞは、購入層を間違えた。同じシャーシを使っているビックホーンと被った事や、ランクルのショートボディ車やパジェロなどに比べて排気量が大きいのも売れない、要因だった。テンロクや2リッターで発売していればもう少し売れたはず。
当時はドアミラーだと型式認定取れなかったんじゃなかったかな。ドアミイラーは違法改造用パーツだからこそ高価だった
いすゞの失敗は「良い車=良い技術で作られた車」ではないという好例。「新技術・世界初」も大事だけど、本当に大事なのはそこにニーズはあるか。
ザ資本主義的思考
今でも全部乗ってみたいと思うよ。乗ることができたのは角目117とFFジェミニのロータス版だけだった。
設計部門に居たことがある、某元JT191乗り氏曰く「エルフの設計チームが幅を利かせていたので、一々エルフ組にお伺いを立てないとダメだった。 あるパーツを設計したとしても、『んで、エルフのどこに使えるの?』で却下だった」って逸話を聴いた記憶。
間違いだらけのクルマ選びで「いすゞはデザインは都会的だが組織は保守的」という言葉がわかりました。
凄いコメント数がいすゞの乗用車撤退を惜しむ人が多いの実感できます。個性的でしたからね。私も敢えて選んだPF50ジェミニ、PA95丸目の117XG(DOHC 有鉛 SUツインキャブ 速かった)、そして角目になったけどG180Wのままの☆が付く前の117。で、ピアッツァターボXSと計4台乗りました。鈴の音 ISCC オリエントスピード、懐かしいな。4人きちんと乗れたりシートが抜群だったり、細かいところが良かった。G型EGのミッションはギヤオイルに注意ですぞ。
スムーサーシリーズはとてもお世話になっている。本当に転んでもただでは起きないね
いすゞが乗用車を作り続けていたら2500ccディーゼルターボで250ps位出していると思う。更に煤の清掃がしやすい様にトラックみたいにワンタッチで取り出して清掃できる様に作っていると思う。いすゞアスカディーゼルターボも素晴らしい性能だった。よって1200cc3気筒ディーゼルターボなんか有れば世界中で売れた可能性がある。フォルクスワーゲンより高い馬力が出せるはずだし。
V12気筒のF1エンジンも作ってたよね。F1に参戦する予定は全くなくて、技術向上の為に立ち上げたプロジェクトだったとか。実際にロータス?のシャシに載せてテストをしたら、結構良いタイムだったみたい。幻のF1エンジンって言われてるね。
イギリスシルバーストーンで他のチームに交じり走ったね。エンジン始動性がよく驚かれたね。ハッキネン、ハーバードが走り、たいして壊れずにラップしてマクラーレンホンダに迫る高タイム。セナがイスズにお願いしたほど。
これは、ある意味お遊びで作っていて当時、バブル期でやって見てイイよって言われて渾身の遊び心で作ったと思われ。🎉
117クーペのスタイルは他にない斬新的でカッコいい。
その 117クーペを元に開発された、と言う売り文句で"フローリアン"が出たのですが、後部座席の乗り降りが最悪で、タクシーで出会うと😢でした、技術を売りにする会社は、乗る人の事考えないのかな?
ハンドリング バイ ロータスのジェミニに乗ってました。あの頃のCMは覚えてます。
一度だけ117クーペを見かけたことがあるけど、気品を感じる美しい車でした
ジェミニZZR 最高の名機でした。また乗用車を作って欲しいですね。
色々知らないことが聞けて、ためになったおもしろかったです。
社名の由来の所で出てくる赤いいすゞのエンブレム、日の丸の中に筆記体のisuzuと旧マーク、1962年までに製造されたバスやトラックの後部に付けられていた。子供の頃は、「帆立マーク」なんて呼んでた。
金がなかった若い頃、憧れの117クーペを諦めFRジェミニのシフトレバーの中古車に乗ってました。コトン、コトンするシフト操作感が良かった。クラッチはやや重かったけどつなぎはスムーズ。なによりオペル風のクリーンなデザインで、ボディー角面につつやかなオシャレさがあった。思わず角面に頬ずりしたくなるほど。だから飽きがこなかった。
いすゞと言えば、父親が8tボンネットトラックを運転していました。細く大きなハンドル、ホーンボタンにはあの刀の鍔の形をしたいすゞのエンブレム、床から生えたシフトレバーの破れたブーツの向こう側に見える回転するプロペラシャフトと地面。ユニッククレーン搭載で前ブームにして走行しているキャビンからのボンネット越しの風景が独特でした。まだ私がトラックのタイヤよりも背が低い頃の思い出です。
ベレットのリアサスは構造上キャンバー変化が激しく、タイヤが限界を越えると極端なオーバーステアに陥りスピンモードに入るという欠点があった。その反省から117とフローリアンでは挙動が穏やかなリーフにしたのだろう。
ディアゴナルサスペンションですね。リーフスプリングだけどリーフを横置きに設置されているから車高を下げるとV字になる特殊性。
ベレットのリアサスがタイヤの上下でキャンバーが大きく変化するのはドライブシャフトのジョイントがデフ側にしか付いていないからでリーフスプリングを横置きしている事と直接は関係無い。もう一つ言うと、リーフスプリングはスタビライザー的な補助スプリングで主スプリングはコイルスプリング。
ベレットでもタクシーや癖の強い操縦性を嫌うユーザー向けにリアサスをリーフリジッドにしたBシリーズというのが1966年から数年間作られたそうですがあんまし売れなかった様です。
117クーペとか少量でもデザイン性、メカニズムに特徴あるクルマをまたチャレンジして欲しい、以前ジェミニ1800のツインカムに乗った印象はスムーズでよく回るいいエンジンだなぁ〜という印象でした。
ZZ/Rですか?G181Wエンジンが8バルブですけど素晴らしいです。音もノーマルですか?って言うような重低音だった記憶があります。
ピアッツァは、今見てもデザインがいいなぁと思います。あと、ジェミニのハンドリングbyロータスとか、良いのがあるんだよね。ミューも、いまだしたら売れそうなRVじゃないかと思います、今はSUVっていうのかもしれないけどw
いすゞ、トヨタ、日産は自動車産業の御三家だったからね。
ニシボリックサスペンションもいつか解説して欲しいです。
ハイキャスのようなものですが、複雑なメカニズムは使わずに、低速コーナリングから、リヤタイヤがコーナルング方向とは反対の内側に向く機構だったと覚えています。日産が油圧に対して、路面抵抗を使うのが革新的だったようです。FF車に採用。間違っていたらすみません。
@@スーツインナーさんジェミニのイルムシャーR(4WD)にも搭載されていましたな。(*´ω`*)
学生時代に、遊びにいくとき実家からいすゞアスカを持ち出してきた仲間がいて、乗せてもらったことがあります。ミッションは「NAVI-5」。人工知能が制御する自動変速のマニュアルシフト。クラッチペダルが無いためオートマチックなんだが、トルクコンバーターが無く、クラッチ操作を電子制御のアクチュエーターが行う。加速は普通のオートマチック的。高速道路に乗って長い下り坂を下っているとき、車間が詰まりブレーキを踏むとNAVI-5が判断しエンジンブリッピングしてからシフトダウン。衝動の無い見事な減速チェンジを決めてました😅
FRジェミニと街の遊撃手、FFジェミニは結構成功作と思います。残念ながらFF2代目のモデルチェンジで派手に転んだ感じ。今思えば初代に比べて、カッコウがダメだったと思います。
いすゞエルフ250を15年ほど使ったけど「いすゞの技術の低さ」には、ほとほと呆れたよ。しかも手抜きが激しい。それでは何故エルフを使って来たかと言うと過積載に強いからだ。2トン車に5トン積んでも何とか動くのはエルフの強みだな。「過積載に強い」、ただそれだけ。ACジェネレーター(オルタネーター)の制御が、カットアウトリレーだと分かったときは頭がぶっとんだぜ。道理で高速道路を夜間にぶっとばしているとバッテリーが上がるわけだぜ。鉄板の技術が、低いのでボデーがすぐに錆びる、そして穴が開く。室内のパネルは、外してみるとなんとボデーの塗装がされてない。見えないからバレないと思っているのだろう。セルモーターは、旧式で力の弱いタイプ。だから日立製の物に交換した。これは小さくて力が有り故障が少ない。純正クーラーは、恐ろしく旧式なタイプ。これは爪が5本有ってそれがシリンダーを押す。ろくに冷えないし故障しやすい。ジャッキは、タイヤがパンクしたときは使えない。タイヤが凹むのでジャッキをかける場所にジャッキが入らないのだ。ギヤオイルは、何をしてもドレンボルトが抜けない。他にも沢山有った。サービス体制も悪いよ。ワイパーの交換でさえ「車を置いていってください」だもんなぁ。これがディーラーだぜ。懲りたのて別のディーラーでエアクリーナーの注文をしたら「取り寄せになるので車を置いて行ってください」と言われた。このときは車を置かずにエアクリーナー無しで使った。一週間かかった。エアクリーナーは、見本として必要なので外しますだってよ。このように いすゞ は、全てにおいて駄目。早く倒産して欲しいよ。そう言えば知り合いのペンキ屋が、いすゞの工場に仕事に行ったら「いすゞ車じゃないから敷地内に入れない」と言われて追い返された。こう云うことやってるから倒産寸前になるんだよ。
ベレットは数年前乗ってたとにかくオーバーステアでガンガンinに入っていくので、最初は戸惑ったけど、慣れると車体の軽さもあってとにかく楽しかったハンドリングの良さから和製アルファロメオなんて言われてるけど、アルファロメオが現代車に通じるあまり癖のないハンドリングなら、ベレットは大分個性的だった
30数年前、東京に住んでいる時京王バスにNAVI5(6かも)のバスがありました。シフトレバーはHパターンではなく普通のAT車のような縦に切り替える方式。ちなみに実家にもジェミニのディーゼルありました。ディーゼル独特のカラカラ音はありましたが結構良い車でした。
バスやトラックには、NAVI6を搭載していました。
ジェミニは初代がいすずがオペル社と提携した事から双子座を意味するジェミニと付けられた事と知り、私も興味を惹かれましたね。1980年代のジェミニは角張った車体と並んで交差するなどアクロバティックに走るというCMに痺れました。ビッグホーンなどのSUVも今でも通じうる洗練のスタイルなのにと惜しく思いますね。2024.3.20
ニシボリックサスペンション ナチュラル4WS 凄いメカニズムでしたね⤴️👍
母が若い頃、自動車学校の教習車はヒルマンミンクスだったそうです。現在、母は免許を返納してしまったので、私のビークロスに乗せて一緒に買い物に行ったりしています。
大学生だった頃、紺色のジェミニイルムシャーターボが阪急梅田駅のショールームに飾ってあり、めちゃくちゃカッコ良かったのを覚えています。その後にリリースしたハンドリングbyロータスも痺れました。コレクター販売会社が未登録(新車)のイルムシャーを保有しており、宝くじが当たったら購入交渉したいと考えています。当たんねかなァ…
小学生の時に湘南台の工場に社会見学で行きました。ズラっと並んだ外車のような117か精悍だったなぁ。アスカの教習車もよく見かけた。イルムシャーはかっこよかった。街中にいすゞのディーラーけっこうあったはずなんだけどどこにあったか思い出せない🤔
ISUZUのトラックと言えば以前オーストラリアの道路が冠水した時ISUZUの消防車が反潜水状態で深水を突っ切って行った映像を思い出すな~深水が浮上してきた消防車を見ていた地元の人が拍手で見送って行った
でも実際にあの走り方したら、後の整備は大変だよ。あの水深で走れるのは給気口の高さが高い位置に有るのが最大の要因。逆に言うとそれだけの事です。駆動系もブレーキ系も電気系統もオーバーホール必要です。
いまの欧州メーカーやマツダのディーゼルに対抗できるディーゼル乗用車とディーゼルSUVを今の時代にいすゞから出して欲しかったなあ。歴史が変わっていただろうな。
いすゞのWIZARD/V63リッター乗ってましたが良い車だったなぁ〜
二代目ジェミニもボディーラインの微妙なボリューム感で赤とかイエローのカラーも合うセンスの高いデザインだった。けどまだ日本ユーザーのセンスが追いつかなかったんだと思う。大学生の頃、ミントグリーンのクーペが欲しかったけどお金がなかったな。
今でもピアッツァは欲しいです。ガンダムのコクピットのようなメーター周りと流麗なボディーラインは当時垂涎の的でした
最初のマイカーがFR角目ジェミニのOHC1800ガソリンセダンでした、黒ボディーに赤いピンストライプ~。ベレットGTの同級生も居たが今乗りたい車はFRジェミニセダン。😀
日産のOEMじゃなくて、いすゞの技術でハイエースの対抗馬を作ってくれたら買うよ。デリカスターワゴンみたいにオフロードも走れるディーゼルの箱バンなら尚良し。
ファーゴってありましたね!!
ベレット1600GTファストバックと二代目ピアッツァに乗ってたな。ベレットは良い車だよねー、日本初のハンドリングマシンとしての側面もあるし、内外装のデサインも良き。二代目ピアッツァのニシボリックサスペンションは馴染めなかったな…動画にはないけど、パッシブ4WSなんだが。いすゞの乗用車部門はヨーロッパのメーカーみたいで俺は好きなんですが、日本人には馴染めないよね。外国だとじゃあ本物のヨーロッパ車を買うよとなるだろうしね…
僕の他界した兄が昔いすゞのテストドライバーでした🙂ピアッツァやアスカで来てくれて、ドライブに連れていってくれたのが嬉しかったな😌
お兄様の御冥福をお祈りします。私も開発部門に勤めていたのでもしかしたらお兄様とお会いしていたかも知れませんね
親戚のじい様に聞いたのですが、いすゞの乗用車はライポジが悪くて運転しずらい とホンダ信者のじい様から聞きました。私はホンダよりトヨタ車の方が運転しやすいですがwテストドライバーは足・エンジン・剛性以外にドライビングポジションの事は指摘されないものでしょうか?
ウチの叔父さんがチューンドサニーで覆面?Zを抜かしたら停まる様に言われて、サツにエンジン見せろと言われ4連キャブに興奮したサツが見逃してくれたって話思い出した。
ジェミニディーゼルターボ乗ってた。マニュアルで燃費メチャいいしデザインも秀逸で手放す時ちょっと落ち込んだ。
いすゞには、ビッグホーン、ミュー、ビークロス等の今で言うSUV、クロカンなども販売してたのですが、乗車車ですので解説して欲しかったです。元ピアッツァ乗り(マヨネーズの皮を被ったジェミニ)いすゞと同じくトラックメーカーの日野も乗用車販売してたので解説したら良いかも
ピアッツァにも触れてほしかった。1984~2000年まで2台のピアッツァを乗り継いだ。性能的にはいまいちで壊れる箇所も最初にパワーウィンドウで次に排気系と全く同じ順番だったけど、何より外観と内装のデザインが秀逸だった。街でもあまり見かけなかったのも気分が良かったな。程度のいい中古があれば今でも欲しいけど、40年前の車だから無いでしょうね。
ベレットは車種が沢山あったね。一度だけ見たベレットの2doorスポーツセダンは印象深い。GazooのHPで紹介されていた個体が入手の経緯からその個体らしくおそらく日本では一台しか存在していないのかもしれない。元々、その型のベレットには西陣織を巻いたウェザーストリップが付いていたと当時出入りしていた車屋の社長から聞いた。
ジェミニのCM 凄かったなフランスで飛んだり回ったり交差したり川を飛んで渡る階段を降りて地下鉄を走る今 やったら 何かクレームが来そうな派手なCMだったなISUZUと言えば大森にある工場跡地?に建てられた大森ベルポート1階フロアは よくテレビの撮影で見かけるな
11777クーペとシャーシ共有していた(と思う)フローリアンが抜けてたような因みにアスカは正式かどうか忘れたけど、初期の頃はフローリアンアスカと呼ばれてた気がする
ジェミニにオペル のラリー用のサスペンションとアブソーバ(ビルシュタイン)、そしてマグネシウムホイールを履いたマイカー、当時まだ多かった未舗装でラリー車並の走りを堪能した。
いすゞといえば、117クーペでした。小学生の頃、病気のためバスに乗って通院してて、窓から車を見るのが好きでした。リアビューが良くて好きでした。たしか2種類あったような気がします。
117は名車
80年登場のピアッツァも忘れてはいけない存在・・・。当時「走るシーラカンス」と呼ばれた初代フローリアンや、走り屋御用達だったFRジェミニDOHCも結構、味のある車でした。
日野も乗用車を作っていました。今度特集して下さい。
FFジェミニの、C/CNAVI5が初めての愛車でした。暫くしてアウトドア&ワゴンブームがやって来て、あっさり乗り換えてしまいましたが、ちょっと後悔してます。
ジェミニのハンドリング・バイ・ロータスに乗ってみたかった。しかし知人が誰一人として、いすゞ車を買う変態は居なかった。あのバッチだけでも欲しかった。(シールだったかな?)
ベレットGT-R、117クーペ、ピアッツア、ビッグホーン、ビークロスなどいすゞの車は個性的でした。友人は、トヨタ・ランドクルーザー・プラドや日産・テラノではなく、いすゞのビッグホーンを購入ました。
80年代初頭、山梨出身の知人はZZ-Rに乗ってました。1回だけ助手席乗ったけど腕も良かったなぁ~。今はドリフトって言ってますが、峠でテールスライドさせてビンビン登ってました。
あ、あの…ミュー、ウィザード、ビッグホーンは乗用車ではないんでしょうか…ビッグホーンのハンドリングバイロータスはめっちゃ良かった。道路よりも山道やダートが似合うスタイルもかっこよかった!
当時のベレットの後輪の独立懸架による独特の操縦性はある意味衝撃的でした。コーナーを回りこんでいくときに横Gがかかって車が傾くとオーバーステアになって巻き込むようなコーナリングをしました。
いすゞといえば117クーペ。ピラーのみで構成されたキャビンは唯一無二の美しさ。またスペシャリティーカーとしてトヨタ2000GT、日産初代シルビア、マツダ初代コスモ、ルーチェなどがあるが市中で見かけることはほとんど無かった。そういった中で117は比較的走っていた。(初期の手作業車は除く)身近に夢を持たせてくれる車としても素晴らしかった。あんな車はもう出ないだろう。
同僚がジェミニのディーゼルエンジンに乗っていました、凄く暑い日に4人乗りで出張した時にエアコンをつけてくれたのですが、寒いから少し絞ってくれないかなとお願いをしたくらいに効く冷房でした
♪どこまでも どこまでも 走れ 走れ いすゞのトラック♫ビッグホーンの代わりにと、エルフダブルキャブの4WDを検討したわ。
14:41 ボッシュのDジェトロを採用してた。ベンツ、ポルシェ、BMW、オペル、ボルボ、ジャガーなどみんな採用したインジェクションなんだけど、ボッシュはすぐKジェトロに変更しちゃった。
父親が117クーペに憧れてたって言ってたな一度乗ってみたい
実用化はされなかったけどセラミックエンジンとかも開発してましたね
兄がいすゞのアスカとジェミニに乗ってたなあ。いすゞが乗用車から撤退したので、今はシトロエンに乗ってる。
うわいすゞ好きだった俺と同じだわシトロエンに乗ってた壊れて、いまはスバル
乗用車と商用車どちらの業績も上げるというのが難しかった、商用車のほうが利益が出せると判断したということですかね実際生き残っているということは判断は正しかったのかなもし乗用車部門続けていたらどうなっていたか分からないですね
海外ではいすゞのSUVみたいな車が結構走ってるよ
大森本社のISUZUショールームが、トラックになってて悲しくなった思い出。
アスカはシンプルでとても良い車でしたが、当時20代の私はスカイラインを選択しました。地味すぎたのです。
いすゞの車は今現在でも優れたデザインだと個人的には思っている。斬新であり個性的である。レースにもベレットGTtypeRが市販車で参加活躍した。又、プロトタイプレーシングカーではいすゞR6がベレットGT-Rのエンジンを搭載、見事な流線型ボディーで戦闘力もありクラス優勝も手中にしている。旧車としても尚、今でも人気のベレットGT-R、117くーぺ、ピアッツァ等。
いすゞ!アスカターボや、ビグホーンイルムッシゃーに乗ったよ。ビッグホーンにして、偉く行動範囲が広くなったのを覚えてる。どれも良い車だったよ。懐かしい!!
私の最初の車はアスカでした。11年20万キロ乗りましたが、故障は皆無でした。、燃費がよく、軽油満タンで1000キロ走ったこともあります。いい車でしたね。
免許取得の時の教習車がアスカでした、エンストしなくて楽だったなぁ
まあ、エンスト連チャンしたら腹切りだって言われましたけど
いすゞと言えばやっぱリデザイン
多くの車種でジウジアーロにデザインを依頼していたが超絶かっこよかった
乗用車を作らなくなったのは本当に残念だと思う
ジェミニZZR PF60乗ってました。
当時周りは、皆 AE86に乗ってたけど、スタイリング、内装、スパルタンな感じで
ジェミニ選びました。
結果ノーマルは、曲がらない、止まらないで、アンダー凄く、
エンジンは2バルブ、暖まると、パワーもありますが、
フィーリングは、昔のスポーツカーでした。
でも、デートにも使ってたんで、一番の 思い出のクルマですね。
isuzuと言えばジェミニの街の遊撃手!
あのCmは今でも忘れられん。
欲しかったなぁ・・・・・
ジェミニの初代FRも良かったですよ、ZZとか。
乗り心地はイマイチ、室内も狭かったけど、オシャレな感じでね。
最近、駐車場に停まっているハンドリング バイ ロータス見つけました。
@@今宵満月
ウラヤマシイ・・・・・・w
大学生のときに2代目の車として手に入れたのが中古のジェミニZZRのハッチバッククーペでした。フロントグリルの上側が長いデザインのタイプです。その後117の丸目量産型の中古を購入しこれを就職して2年目にユーノスロードスターに買い換えるまで乗っていました。
ダッシュボードセンターからシフトレバーが手前に突き出ているようなジェミニの内装、丸目の美しい顔に三角窓と木目基調のインパネによる高級感を感じさせてくれた117。どちらも本当に思い出深い車でした。
ピアッツァは今見てもカッコ良い
我が家は、昭和42年に親父がベレット1600GTを新車で買ってからベレットGTばかりを3台乗り続けて
今も、昭和47年に新車で買ったベレット1800GTを乗っています。
すごい! S47年のベレットを手放さずにのっていたなんて! 僕はFFジェミニのディーゼルに乗っていたけど(大学生の頃)、手放しちゃったのが悔やまれます。いい車でした。
友人が突然、FFジェミニが欲しいと言い出して突然買って来ました。
突然出て来た車なのに、怖いほど往時の状態をキープしていて驚きました。
マニュアルのセダンなのですが見た瞬間、ザ・80年代なボディサイズと室内空間、運転すると中々鋭い加速で、運転の楽しい車にも関わらず上品な印象で、いすゞの技術者の良心を感じました。
いすゞが乗用車から撤退して随分経ちましたが、忘れ去ってしまうのは惜しいと思います。紹介の動画を作成してくださり、本当にありがとうございます。
高速走行時にキンコンチャイムが鳴り、ちゃんと動いてる!と嬉しくなりました。
あったね~それ、3atで4000rpmで120kmで走ると、いつまでもキンコン音がなり続けて、途中でとぎれることもなく、よい音してたなあ~懐かしい。
@@お酒と旅行が好き そうそう、キンコン鳴らしながら、東名すっ飛ばしてた。
たまに地元で見かける117クーペ。何度みても惚れ惚れするスタイルに、羨望の眼差しです。
特に初期型の(ジユジアロー設計)1600117は殆ど手作りで何と😆
170万円余りしました😮
懐かしい昭和の名車の1つですねぇ🙆⭕
『丸型ライト』ならもうそれこそ、『骨董品レベル』の値打ちもハンパなかろうなあ。
いすゞの乗用車部門が撤収後、ここにいたエンジニアが日産へ移籍し、R35GT-Rを開発したという話がありますね!
当時のチーフエンジニアの水野和敏さんがおっしゃっていたのを思い出しました。
チーフデザイナーだった中村氏も日産に移って、デザイン担当重役になりましたね。
ビークロスデザインした中村氏が役員待遇で日産に引き抜かれたのはビックリでしたね。
まるで広報担当の如く、マスコミに沢山出てましたねw
日産は技術力無いしょぼい会社なんですね。いすゞ最高!
@@By-Gaeshi それ故なのか、R35GT-Rには「いすゞ最初にして最後のSUV」ビークロス(※)の面影が有ったりする。(特にフロント・・・)
※ビックホーンとミューは、厳密にいうと「RV」車という事になってて、SUVカテゴリーには入らんクルマだったのです・・・。
とにかく全てが素晴らしい、エンジンもヤマハやホンダと争うぐらい凄い物だし。こだわりの強い開発者や技術者だらけだったんでしょうね。
28年前までベレットGTRに乗ってました、コンパクトでシフトフィール コーナリング エンジンサウンドが最高でした、今では買えない価格になってしまいましたね、当時いすゞ本社から葉書が来て「もう部品は勘弁してください」と言う内容でした、真面目なメーカーだな~と感心した事を思い出します🎉
ベレット私も、乗っていましたが、ブレーキのマスターバックが付いていなかったため
ブレーキング時には相当気を
使いましたね😅
良く言えば真面目な作り、悪く言えばコスト度外視で採算性悪すぎた。
ビッグホーン乗ってたけど現代の車では考えられない程コストかけてた。ワイドボディとナローボディが設定されていたが、普通はホイールオフセットやホイール幅で調整するのにいすゞは2種類の長短サスアームを設定した。ボディ塗装は現代のレクサスを凌駕する7層塗り、屋根の遮音材もビッシリ入っており土砂降りでも雨音は全然入ってこなかった。そのくせにATはNAVI-5の失敗から慌てて採用した古いGM系のATをずっと使い続けており、4速70キロでやっとロックアップする日本の道路事情に全く合っていない代物だった。
けどLSDのフリクションプレートが2 種類の厚みで部品として出しており、ディーラーでプレート入れ替えてもらって効きを強化したりもできたのは後にも先にもいすゞだけでしょう。
整備士になりたての当時、ホンダのディーラーでいすゞからOEM供給を受けていたホライゾン(ビッグホーン)ハンドリングbyロータスを車検場まで運転した際に、当時のパジェロを筆頭とするクロカン4WDにありがちなもっさり感が全くない乗用車的なハンドリングに驚かされたのは懐かしい想い出です
このビッグホーン近所で見るわ!かなりかっこいい!
マジか、78プラドのワイドはノーマルでもオフセットが-35で、ワイトレ必須でしたよ。
いすゞジェミニのテレビコマーシャルのカースタント…凄かったなぁ
レミージュリアンスタントチームですね。
007シリーズのカースタントも担当したスタントチームです。
CGじゃなくてパリの街中や地下鉄を一時的に閉鎖し今では考えられない状況で撮影した奇跡のCMです。
日本車のクオリティで外車に乗れる。
オシャレなイタ車かフランス車に乗っているような感じでした。
復活して欲しいですね。
You Tubeにありますよ、探してみて下さい。私も生で見た記憶が在りますが、度肝を抜かれましたね。華麗なスタント花のワルツやオー・シャンゼリゼのコンビかとてもお洒落に見えましたね。
@@ミキビアシオン
あのCMの印象はすごく当時すごく話題になりますた。
イルムシャー チューン ハンドリング バイ ロータス仕様も他社ではやらない。
やっぱり自動車はいすゞさ!
@@SSSZ999 様
私もピアッツァ、ジェミニZZハンドリングbyロータス(JT190)、ジェミニ イルムシャーR 4WD(JT191S)、ビークロスと車人生の半分をいすゞ車と過ごして来ました。
世間の評価は低かったが、他の国産車とは一線を画す面白い車ばかりだった。
復活して欲しいですね。
@@ミキビアシオン
FFジェミニは当時のカローラーより販売台数が多かったと記憶してるんのだが・・・
販売競争じゃT やNにはどうしてもかなわんからな。
あの当時、叔父がフェアレディZに乗っていて叔父の運転でドライブに行った際に散々にベレットが煽ってきました。まだ地方国道は未舗装区間があり、それはダカールラリー並み。しかし、砂利道を爆進するベレットのリアを良く記憶してます。叔父は薄笑い浮かべて一切、相手にせず。後日に叔父は『あれは県警の覆面パトカーで他県のスカイラインやフェアレディとか見ると煽り、挑戦受けて追い抜くと違反切符出してくるんだよ。あのベレットは有名だからねー』
苦笑!
昔の交通機動隊は無茶苦茶してましたよねw
私もジェミニイルムシャーR乗ってて色々改造してたので、街中でも高速でもマークされましたよw
法廷速度で走ってあげたくなりますね!
昔は違反切符(警察もノルマがあった)を切るためなら何でもやってた時代だからね・・・、昔のエグい話は聞いたよ。違反の常習者に見逃す代わりに仲間を誘わせて一網打尽にしたりとか、警察の仕事も大変だなって思った
。。
良い車でもウレルとは限らないと身を尽くしてまで証明したメーカー。
ジェミニのcmは本当凄かった😊
山崎豊子の小説「不毛地帯」ではベレットをレベッカ、ベレルをエンペラーと名を変えていましたね。
当初はフォードと提携するはずがマツダを推すライバルに敗れ、その後更に大きなGMと対等条件での提携を勝ち取り一泡吹かせたのは痛快でした。
紹介されていないピアッツァを含め、流麗なクーペを多く世に送り出していましたね。セダンのフローリアンもその流れなのか秀逸なデザイン車として記憶に残っています。
ピアッツァのハンドリング by Lotus に乗っていました…
美しいクルマでした…
いいですねー。当時はまだ金が無くて所有できませんでした。
ピアッツァも当初はフェンダーミラーがスタイルをスポイルしていましたけど、ドアミラーになってからは美しさが際立ちましたね。
ピアッツァは今でも日本車で最も美しいデザインのように思います。
PAネロ乗りでした
偽カマロ呼ばわりされたけど、日本に合うサイズで、他にはないスタイルがとても好きやった。
うるさい、操作しにくいスイッチ、跳ねるで彼女には早く変えてと言われて来たけど、人と被らないので長く乗れた。もう一度乗りたい車ではある。
子供の頃、初めて意識したフローリアンは神殿グリルのディーゼルだったんで、後に神殿グリルになる前の、丸目4灯のを見た時に同じ車って思わなかったなぁ~😂
いすゞ車との出会いはベレルです。小学生でしたがウグイス色とクリーム色のツートーンカラーと三角形のテールライトが他の日本車には無いものでいいなあと思いました。近所の個人タクシーの運転手をしていたおじさんに言うと、ベレルはバックギアに難があるなあとおっしゃってました。いすゞのデザインはヨーロッパ調で、117クーペのように大量生産出来なさそうな理想主義的なところに惹かれました。一番好きなのはピアッツアです。自動車雑誌で当時リアサスペンションがリーフリジッドで後輪がバタつくと皆が言っていましたが本当に自分で感じたのでしょうか。あの頃は免許を持ってなかったので自動車ショーで運転席に座っただけですが、5ナンバーサイズなのに室内はすごく広いんです。私は先代のシビックに今乗っていますが、ピアッツァは3ナンバーの車と同じくらい広いです。エッグフォルムと言われ、今だとランチアストラトスが車体の大きさからは似てるかも。デジタルメーターを初めて採用したのがピアッツァです。ピアッツァも2代目3代目ジェミニも免許を持ってなかったので乗れなかったのが悔しいです。毎日、いすゞのトラックとすれ違うたびに、そう思います。
ビッグホーンに乗りたかったし、ジェミニのCM見て感動しすぎて泣いてた
初期はエンジンしょぼいわフェンダーミラー調整しよううとすると折れる、シートベルト巻戻し壊れ、三角窓壊れ、エンジン回すとハンドルから異音発生!でエンジンだけは丈夫でした。整備性最悪
タイの友人宅が持ってるいすゞDMaxはカッコいい。日本で売ってないのが残念
いすゞの乗用車はマニアの琴線に触れる拘りの強いモデルばかりだった。
それ故に商売として成り立たなかったという側面もあるだろうけど。
117クーペが子供の頃から大好きだった還暦爺さんですが、高校時代の友人が今も平成元年式ジェミニ ハンドリングbyロータスに新車から乗っています。😳
もうパーツが手に入らないので維持が大変らしいですが、手放すつもりはないらしいです。😅
私、いすゞ車を3台乗り継ぎました。最初はjj120アスカイルムシャー 2台目がubs55ビッグホーンイルムシャーショートボディ 3台目がubs52 ビッグホーンイルムシャーショートボディRS 3.2リッターツインカムで5速MTという変態グルマでした。アスカは目立たないが結構速く、ubs55はどんな林道でもスタックする気がしない走破性、ubs52は俊足ダートランナーで一般道でもちょっとしたスポーティーカーにびっくりさせる位速い車でした。
ユーミンの「コバルト・アワー」という曲にベレットGTが登場しています。たぶん自動車評論家としても有名な正隆さんが「どうだい。いい乗り心地だろう。独立懸架サスペンションが(以下略)」と得意気に話していたんじゃないかと想像して微笑ましくなりました。
ディスティニーって曲に出てくる
「緑のクウペ」
は117クーペだって言われてますね
ジェミニイルムシャーRSに乗ってました。
レース用ベース車で徹底的に軽量化されていてパワーウインドウも電動ミラーもついていませんでした。
なつかしい思い出のクルマです😄
父親が、いすゞ に勤めていた事も有り、幼き頃から いすゞ に囲まれて環境だった。
父親も私も、いまだに117coupéに憧れている。
国産車で最初に電子制御燃料噴射装置を搭載したのも いすゞ だったなぁ。
マジでいい車だよね!後は四駆の車も好きだな
父がベレット、117と乗っていて私もビッグホーン、ビークロスを愛車にしていた時期がありました
コンセプトも良く何より基本設計の良さを感じさせてくれる車だったと思います
栃木県の壬生町の辺りでの修理工場の前にベレット不動車を置いてあって「これお洒落だな。外車?」って思っていて車種が分からないので車に詳しい人に聞いたら「いすゞベレット」って返事が来て、いすゞってこんなカッコイイ車を作っていたんだと勿体無いなあって思いました。
ピアッツア未来的でかっこよかったなあ。
運転席はコクピットみたいで痺れた。
初代ピアッツァやビークロスも紹介して欲しかったですね。ピアッツァはジウジアーロ氏のコンセプトをほぼほぼ踏襲する(惜しむらくはフェンダーミラー・・・)スバルアルシオーネSVX並みの思い切りの良さでしょう。しかもアルシオーネはバブル期企画でしたから出たとこ勝負出来ましたがピアッツァは正直チャレンジとしか言えませんでした。ともあれ同時期のジェミニ共々日本車離れしたデザインは憧れました。願わくばもう少しいすゞが乗用車製造を継続、WRCグループAに参戦して好成績を挙げ売り上げ増加、なんて事があったなら・・・と妄想してしまいます。
あと、ビークロスでパリダカ参戦とか。
いずれにせよいすゞさんはトラック・商用車がメインなので致し方ありませんが。同業の日野自動車も乗用車製造撤退は凄く早かったですし。
でも当時は、マヨネーズとかトマトケチャップと言われてそれなりに不評は有ったよ、ジェミニクーペと言う人もいたかな、自分はドアミラーの社外品付ければ良いのにと思っていたが高すぎて買えなかった
ビークロスは、モーターショーに出展された時には、ベース車はジェミニでした。
なので、実際発売されたビークロスよりも一回り小型で、排気量も2リッターで、ガソリンエンジンとディーゼルエンジンの2種が発表されていたので、
注目されて市販化も期待されたが、その時点でもう、いすゞには製造するほどの資金が回らなくなっていたので、
ベース車はビックホーンのショートボディにして内装と外装には、他社の似たような部品を提供して貰って、基本的に手作りで製造していましたよ。
ただし欲しいと思っていた購入層からは、3・2リッターのビックホーンになって車体も大きくなり、それでいて室内は狭い為に、売れなかった。
購入層が欲しかったのは、スズキのエスクードなどの小型クロスカントリービーグルだった事で、はっきり言って、いすゞは、
購入層を間違えた。
同じシャーシを使っているビックホーンと被った事や、ランクルのショートボディ車やパジェロなどに比べて排気量が大きいのも売れない、
要因だった。
テンロクや2リッターで発売していればもう少し売れたはず。
当時はドアミラーだと型式認定取れなかったんじゃなかったかな。ドアミイラーは違法改造用パーツだからこそ高価だった
いすゞの失敗は「良い車=良い技術で作られた車」ではないという好例。「新技術・世界初」も大事だけど、本当に大事なのはそこにニーズはあるか。
ザ資本主義的思考
今でも全部乗ってみたいと思うよ。乗ることができたのは角目117とFFジェミニのロータス版だけだった。
設計部門に居たことがある、某元JT191乗り氏曰く
「エルフの設計チームが幅を利かせていたので、一々エルフ組にお伺いを立てないとダメだった。
あるパーツを設計したとしても、『んで、エルフのどこに使えるの?』で却下だった」
って逸話を聴いた記憶。
間違いだらけのクルマ選びで「いすゞはデザインは都会的だが組織は保守的」という言葉がわかりました。
凄いコメント数がいすゞの乗用車撤退を惜しむ人が多いの実感できます。個性的でしたからね。私も敢えて選んだPF50ジェミニ、PA95丸目の117XG(DOHC 有鉛 SUツインキャブ 速かった)、そして角目になったけどG180Wのままの☆が付く前の117。で、ピアッツァターボXSと計4台乗りました。鈴の音 ISCC オリエントスピード、懐かしいな。4人きちんと乗れたりシートが抜群だったり、細かいところが良かった。G型EGのミッションはギヤオイルに注意ですぞ。
スムーサーシリーズはとてもお世話になっている。本当に転んでもただでは起きないね
いすゞが乗用車を作り続けていたら2500ccディーゼルターボで250ps位出していると思う。更に煤の清掃がしやすい様にトラックみたいにワンタッチで取り出して清掃できる様に作っていると思う。
いすゞアスカディーゼルターボも素晴らしい性能だった。
よって1200cc3気筒ディーゼルターボなんか有れば世界中で売れた可能性がある。フォルクスワーゲンより高い馬力が出せるはずだし。
V12気筒のF1エンジンも作ってたよね。
F1に参戦する予定は全くなくて、技術向上の為に立ち上げたプロジェクトだったとか。
実際にロータス?のシャシに載せてテストをしたら、結構良いタイムだったみたい。
幻のF1エンジンって言われてるね。
イギリスシルバーストーンで他のチームに交じり走ったね。エンジン始動性がよく驚かれたね。ハッキネン、ハーバードが走り、たいして壊れずにラップしてマクラーレンホンダに迫る高タイム。セナがイスズにお願いしたほど。
これは、ある意味お遊びで作っていて当時、バブル期でやって見てイイよって言われて渾身の遊び心で作ったと思われ。🎉
117クーペのスタイルは他にない斬新的でカッコいい。
その 117クーペを元に開発された、と言う売り文句で"フローリアン"が出たのですが、後部座席の乗り降りが最悪で、タクシーで出会うと😢でした、
技術を売りにする会社は、乗る人の事考えないのかな?
ハンドリング バイ ロータスのジェミニに乗ってました。
あの頃のCMは覚えてます。
一度だけ117クーペを見かけたことがあるけど、気品を感じる美しい車でした
ジェミニZZR 最高の名機でした。また乗用車を作って欲しいですね。
色々知らないことが聞けて、ためになったおもしろかったです。
社名の由来の所で出てくる赤いいすゞのエンブレム、日の丸の中に筆記体のisuzuと旧マーク、1962年までに製造されたバスやトラックの後部に付けられていた。
子供の頃は、「帆立マーク」なんて呼んでた。
金がなかった若い頃、憧れの117クーペを諦めFRジェミニのシフトレバーの中古車に乗ってました。コトン、コトンするシフト操作感が良かった。クラッチはやや重かったけどつなぎはスムーズ。なによりオペル風のクリーンなデザインで、ボディー角面につつやかなオシャレさがあった。思わず角面に頬ずりしたくなるほど。だから飽きがこなかった。
いすゞと言えば、父親が8tボンネットトラックを運転していました。細く大きなハンドル、ホーンボタンにはあの刀の鍔の形をしたいすゞのエンブレム、床から生えたシフトレバーの破れたブーツの向こう側に見える回転するプロペラシャフトと地面。ユニッククレーン搭載で前ブームにして走行しているキャビンからのボンネット越しの風景が独特でした。まだ私がトラックのタイヤよりも背が低い頃の思い出です。
ベレットのリアサスは構造上キャンバー変化が激しく、タイヤが限界を越えると極端なオーバーステアに陥りスピンモードに入るという欠点があった。その反省から117とフローリアンでは挙動が穏やかなリーフにしたのだろう。
ディアゴナルサスペンションですね。
リーフスプリングだけどリーフを横置きに設置されているから車高を下げるとV字になる特殊性。
ベレットのリアサスが
タイヤの上下でキャンバーが
大きく変化するのは
ドライブシャフトのジョイントが
デフ側にしか付いていないからで
リーフスプリングを横置きしている
事と直接は関係無い。
もう一つ言うと、リーフスプリングは
スタビライザー的な補助スプリングで
主スプリングはコイルスプリング。
ベレットでもタクシーや
癖の強い操縦性を嫌うユーザー向けに
リアサスをリーフリジッドにした
Bシリーズというのが
1966年から数年間作られたそうですが
あんまし売れなかった様です。
117クーペとか少量でもデザイン性、メカニズムに特徴あるクルマをまたチャレンジして欲しい、以前ジェミニ1800のツインカムに乗った印象はスムーズでよく回るいいエンジンだなぁ〜という印象でした。
ZZ/Rですか?G181Wエンジンが8バルブですけど素晴らしいです。音もノーマルですか?って言うような重低音だった記憶があります。
ピアッツァは、今見てもデザインがいいなぁと思います。あと、ジェミニのハンドリングbyロータスとか、良いのがあるんだよね。ミューも、いまだしたら売れそうなRVじゃないかと思います、今はSUVっていうのかもしれないけどw
いすゞ、トヨタ、日産は自動車産業の御三家だったからね。
ニシボリックサスペンションもいつか解説して欲しいです。
ハイキャスのようなものですが、複雑なメカニズムは使わずに、低速コーナリングから、リヤタイヤがコーナルング方向とは反対の内側に向く機構だったと覚えています。日産が油圧に対して、路面抵抗を使うのが革新的だったようです。FF車に採用。間違っていたらすみません。
@@スーツインナーさん
ジェミニのイルムシャーR(4WD)にも搭載されていましたな。(*´ω`*)
学生時代に、遊びにいくとき実家からいすゞアスカを持ち出してきた仲間がいて、乗せてもらったことがあります。ミッションは「NAVI-5」。人工知能が制御する自動変速のマニュアルシフト。クラッチペダルが無いためオートマチックなんだが、トルクコンバーターが無く、クラッチ操作を電子制御のアクチュエーターが行う。
加速は普通のオートマチック的。高速道路に乗って長い下り坂を下っているとき、車間が詰まりブレーキを踏むとNAVI-5が判断しエンジンブリッピングしてからシフトダウン。衝動の無い見事な減速チェンジを決めてました😅
FRジェミニと街の遊撃手、FFジェミニは結構成功作と思います。残念ながらFF2代目のモデルチェンジで派手に転んだ感じ。今思えば初代に比べて、カッコウがダメだったと思います。
いすゞエルフ250を15年ほど使ったけど「いすゞの技術の低さ」には、ほとほと呆れたよ。
しかも手抜きが激しい。それでは何故エルフを使って来たかと言うと過積載に強いからだ。
2トン車に5トン積んでも何とか動くのはエルフの強みだな。「過積載に強い」、ただそれだけ。
ACジェネレーター(オルタネーター)の制御が、カットアウトリレーだと分かったときは頭がぶっとんだぜ。
道理で高速道路を夜間にぶっとばしているとバッテリーが上がるわけだぜ。
鉄板の技術が、低いのでボデーがすぐに錆びる、そして穴が開く。
室内のパネルは、外してみるとなんとボデーの塗装がされてない。見えないからバレないと思っているのだろう。
セルモーターは、旧式で力の弱いタイプ。だから日立製の物に交換した。これは小さくて力が有り故障が少ない。
純正クーラーは、恐ろしく旧式なタイプ。これは爪が5本有ってそれがシリンダーを押す。ろくに冷えないし故障しやすい。
ジャッキは、タイヤがパンクしたときは使えない。タイヤが凹むのでジャッキをかける場所にジャッキが入らないのだ。
ギヤオイルは、何をしてもドレンボルトが抜けない。他にも沢山有った。
サービス体制も悪いよ。ワイパーの交換でさえ「車を置いていってください」だもんなぁ。これがディーラーだぜ。
懲りたのて別のディーラーでエアクリーナーの注文をしたら「取り寄せになるので車を置いて行ってください」と言われた。
このときは車を置かずにエアクリーナー無しで使った。一週間かかった。エアクリーナーは、見本として必要なので外しますだってよ。
このように いすゞ は、全てにおいて駄目。早く倒産して欲しいよ。
そう言えば知り合いのペンキ屋が、いすゞの工場に仕事に行ったら「いすゞ車じゃないから敷地内に入れない」と言われて追い返された。
こう云うことやってるから倒産寸前になるんだよ。
ベレットは数年前乗ってた
とにかくオーバーステアでガンガンinに入っていくので、最初は戸惑ったけど、慣れると車体の軽さもあってとにかく楽しかった
ハンドリングの良さから和製アルファロメオなんて言われてるけど、アルファロメオが現代車に通じるあまり癖のないハンドリングなら、ベレットは大分個性的だった
30数年前、東京に住んでいる時京王バスにNAVI5(6かも)のバスがありました。
シフトレバーはHパターンではなく普通のAT車のような縦に切り替える方式。
ちなみに実家にもジェミニのディーゼルありました。
ディーゼル独特のカラカラ音はありましたが結構良い車でした。
バスやトラックには、NAVI6を搭載していました。
ジェミニは初代がいすずがオペル社と提携した事から双子座を意味するジェミニと付けられた事と知り、私も興味を惹かれましたね。1980年代のジェミニは角張った車体と並んで交差するなどアクロバティックに走るというCMに痺れました。ビッグホーンなどのSUVも今でも通じうる洗練のスタイルなのにと惜しく思いますね。2024.3.20
ニシボリックサスペンション ナチュラル4WS 凄いメカニズムでしたね⤴️👍
母が若い頃、自動車学校の教習車はヒルマンミンクスだったそうです。
現在、母は免許を返納してしまったので、私のビークロスに乗せて一緒に買い物に行ったりしています。
大学生だった頃、紺色のジェミニイルムシャーターボが阪急梅田駅のショールームに飾ってあり、めちゃくちゃカッコ良かったのを覚えています。
その後にリリースしたハンドリングbyロータスも痺れました。
コレクター販売会社が未登録(新車)のイルムシャーを保有しており、宝くじが当たったら購入交渉したいと考えています。
当たんねかなァ…
小学生の時に湘南台の工場に社会見学で行きました。
ズラっと並んだ外車のような117か精悍だったなぁ。
アスカの教習車もよく見かけた。イルムシャーはかっこよかった。
街中にいすゞのディーラーけっこうあったはずなんだけどどこにあったか思い出せない🤔
ISUZUのトラックと言えば以前オーストラリアの道路が冠水した時ISUZUの消防車が反潜水状態で深水を突っ切って行った映像を思い出すな~深水が浮上してきた消防車を見ていた地元の人が拍手で見送って行った
でも実際にあの走り方したら、後の整備は大変だよ。
あの水深で走れるのは給気口の高さが高い位置に有るのが最大の要因。
逆に言うとそれだけの事です。
駆動系もブレーキ系も電気系統もオーバーホール必要です。
いまの欧州メーカーやマツダのディーゼルに対抗できるディーゼル乗用車とディーゼルSUVを今の時代にいすゞから出して欲しかったなあ。歴史が変わっていただろうな。
いすゞのWIZARD/V63リッター乗ってましたが良い車だったなぁ〜
二代目ジェミニもボディーラインの微妙なボリューム感で赤とかイエローのカラーも合うセンスの高いデザインだった。
けどまだ日本ユーザーのセンスが追いつかなかったんだと思う。
大学生の頃、ミントグリーンのクーペが欲しかったけどお金がなかったな。
今でもピアッツァは欲しいです。ガンダムのコクピットのようなメーター周りと流麗なボディーラインは当時垂涎の的でした
最初のマイカーがFR角目ジェミニのOHC1800ガソリンセダンでした、黒ボディーに赤いピンストライプ~。
ベレットGTの同級生も居たが今乗りたい車はFRジェミニセダン。😀
日産のOEMじゃなくて、いすゞの技術でハイエースの対抗馬を作ってくれたら買うよ。
デリカスターワゴンみたいにオフロードも走れるディーゼルの箱バンなら尚良し。
ファーゴってありましたね!!
ベレット1600GTファストバックと二代目ピアッツァに乗ってたな。
ベレットは良い車だよねー、日本初のハンドリングマシンとしての側面もあるし、内外装のデサインも良き。
二代目ピアッツァのニシボリックサスペンションは馴染めなかったな…動画にはないけど、パッシブ4WSなんだが。
いすゞの乗用車部門はヨーロッパのメーカーみたいで俺は好きなんですが、日本人には馴染めないよね。外国だとじゃあ本物のヨーロッパ車を買うよとなるだろうしね…
僕の他界した兄が昔いすゞのテストドライバーでした🙂
ピアッツァやアスカで来てくれて、ドライブに連れていってくれたのが嬉しかったな😌
お兄様の御冥福をお祈りします。
私も開発部門に勤めていたので
もしかしたらお兄様とお会いしていたかも知れませんね
親戚のじい様に聞いたのですが、いすゞの乗用車はライポジが悪くて運転しずらい とホンダ信者のじい様から聞きました。私はホンダよりトヨタ車の方が運転しやすいですがw
テストドライバーは足・エンジン・剛性以外にドライビングポジションの事は指摘されないものでしょうか?
ウチの叔父さんがチューンドサニーで覆面?Zを抜かしたら停まる様に言われて、サツにエンジン見せろと言われ4連キャブに興奮したサツが見逃してくれたって話思い出した。
ジェミニディーゼルターボ乗ってた。
マニュアルで燃費メチャいいしデザインも秀逸で手放す時ちょっと落ち込んだ。
いすゞには、ビッグホーン、ミュー、ビークロス等の今で言うSUV、クロカンなども販売してたのですが、乗車車ですので解説して欲しかったです。元ピアッツァ乗り(マヨネーズの皮を被ったジェミニ)いすゞと同じくトラックメーカーの日野も乗用車販売してたので解説したら良いかも
ピアッツァにも触れてほしかった。
1984~2000年まで2台のピアッツァを乗り継いだ。
性能的にはいまいちで壊れる箇所も最初にパワーウィンドウで次に排気系と全く同じ順番だったけど、
何より外観と内装のデザインが秀逸だった。街でもあまり見かけなかったのも気分が良かったな。
程度のいい中古があれば今でも欲しいけど、40年前の車だから無いでしょうね。
ベレットは車種が沢山あったね。
一度だけ見たベレットの2doorスポーツセダンは印象深い。
GazooのHPで紹介されていた個体が入手の経緯からその個体らしくおそらく日本では一台しか存在していないのかもしれない。
元々、その型のベレットには西陣織を巻いたウェザーストリップが付いていたと
当時出入りしていた車屋の社長から聞いた。
ジェミニのCM 凄かったな
フランスで飛んだり回ったり交差したり
川を飛んで渡る
階段を降りて地下鉄を走る
今 やったら 何かクレームが来そうな派手なCMだったな
ISUZUと言えば大森にある工場跡地?に建てられた大森ベルポート
1階フロアは よくテレビの撮影で見かけるな
11777クーペとシャーシ共有していた(と思う)フローリアンが抜けてたような
因みにアスカは正式かどうか忘れたけど、初期の頃はフローリアンアスカと呼ばれてた気がする
ジェミニにオペル のラリー用のサスペンションとアブソーバ(ビルシュタイン)、そしてマグネシウムホイールを履いたマイカー、当時まだ多かった未舗装でラリー車並の走りを堪能した。
いすゞといえば、117クーペでした。小学生の頃、病気のためバスに乗って通院してて、窓から車を見るのが好きでした。リアビューが良くて好きでした。たしか2種類あったような気がします。
117は名車
80年登場のピアッツァも忘れてはいけない存在・・・。
当時「走るシーラカンス」と呼ばれた初代フローリアンや、走り屋御用達だったFRジェミニDOHCも結構、味のある車でした。
日野も乗用車を作っていました。今度特集して下さい。
FFジェミニの、C/CNAVI5が初めての愛車でした。暫くしてアウトドア&ワゴンブームがやって来て、あっさり乗り換えてしまいましたが、ちょっと後悔してます。
ジェミニのハンドリング・バイ・ロータスに乗ってみたかった。しかし知人が誰一人として、いすゞ車を買う変態は居なかった。あのバッチだけでも欲しかった。(シールだったかな?)
ベレットGT-R、117クーペ、ピアッツア、ビッグホーン、ビークロスなどいすゞの車は個性的でした。友人は、トヨタ・ランドクルーザー・プラドや日産・テラノではなく、いすゞのビッグホーンを購入ました。
80年代初頭、山梨出身の知人はZZ-Rに乗ってました。1回だけ助手席乗ったけど腕も良かったなぁ~。今はドリフトって言ってますが、峠でテールスライドさせてビンビン登ってました。
あ、あの…
ミュー、ウィザード、ビッグホーンは乗用車ではないんでしょうか…
ビッグホーンのハンドリングバイロータスはめっちゃ良かった。道路よりも山道やダートが似合うスタイルもかっこよかった!
当時のベレットの後輪の独立懸架による独特の操縦性はある意味衝撃的でした。
コーナーを回りこんでいくときに横Gがかかって車が傾くとオーバーステアになって巻き込むようなコーナリングをしました。
いすゞといえば117クーペ。ピラーのみで構成されたキャビンは唯一無二の美しさ。
またスペシャリティーカーとしてトヨタ2000GT、日産初代シルビア、マツダ初代コスモ、
ルーチェなどがあるが市中で見かけることはほとんど無かった。そういった中で117は
比較的走っていた。(初期の手作業車は除く)身近に夢を持たせてくれる車としても
素晴らしかった。あんな車はもう出ないだろう。
同僚がジェミニのディーゼルエンジンに乗っていました、凄く暑い日に4人乗りで出張した時にエアコンをつけてくれたのですが、寒いから少し絞ってくれないかなとお願いをしたくらいに効く冷房でした
♪どこまでも どこまでも 走れ 走れ いすゞのトラック♫
ビッグホーンの代わりにと、エルフダブルキャブの4WDを検討したわ。
14:41 ボッシュのDジェトロを採用してた。ベンツ、ポルシェ、BMW、オペル、ボルボ、ジャガーなどみんな採用したインジェクションなんだけど、ボッシュはすぐKジェトロに変更しちゃった。
父親が117クーペに憧れてたって言ってたな
一度乗ってみたい
実用化はされなかったけどセラミックエンジンとかも開発してましたね
兄がいすゞのアスカとジェミニに乗ってたなあ。
いすゞが乗用車から撤退したので、今はシトロエンに乗ってる。
うわ
いすゞ好きだった俺と同じだわ
シトロエンに乗ってた
壊れて、いまはスバル
乗用車と商用車どちらの業績も上げるというのが難しかった、商用車のほうが
利益が出せると判断したということですかね
実際生き残っているということは判断は正しかったのかな
もし乗用車部門続けていたらどうなっていたか分からないですね
海外ではいすゞのSUVみたいな車が結構走ってるよ
大森本社のISUZUショールームが、トラックになってて悲しくなった思い出。
アスカはシンプルでとても良い車でしたが、当時20代の私はスカイラインを選択しました。地味すぎたのです。
いすゞの車は今現在でも優れたデザインだと個人的には思っている。斬新であり個性的である。レースにもベレットGTtypeRが市販車で参加活躍した。又、プロトタイプレーシングカーではいすゞR6がベレットGT-Rのエンジンを搭載、見事な流線型ボディーで戦闘力もありクラス優勝も手中にしている。旧車としても尚、今でも人気のベレットGT-R、117くーぺ、ピアッツァ等。
いすゞ!アスカターボや、ビグホーンイルムッシゃーに乗ったよ。ビッグホーンにして、偉く行動範囲が広くなったのを覚えてる。どれも良い車だったよ。懐かしい!!