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東日本大震災後、途方にくれていた時に心の隙間を埋めてくれたのがももクロでした。それから11年、春の一大事が開催され、JA浪江の活動を続けてくれている。本当にありがたいです。私の母校の小学校も津波で被災しました。また仕事で相双地区の小学校の建設工事をいくつか担当したことがあります。ですからこの映像には心が締め付けられるような気持ちになりました。復興が進み、段々と被災した痕跡が見えなくなる一方で、こういう施設を残しておくことは大切だと思っています。JA浪江の活動には福島出身者として本当に感謝していますし、多くの福島県人に届いていると思います。春の一大事の時は時間が無く、行けなかった場所なので、JA浪江を見に行ってここに立ち寄りたいと思います。
ここは浪江女子発組合のライブの時に訪れたことがありますが、津波で破壊された跡がそのままでそのエネルギーの凄まじさに言葉が出ませんでした。先生たちの適切な判断が子供たちの命を救えたこと奇跡的なことだったのですね。今は見渡す限り茫々たる荒れ地に小学校の建物があるだけですが、震災前には住宅が広がり日々の生活が営われていたことを思い涙が流れます。影響力を持つあーりんと後輩たちが、あの日にあったことと日頃の備えの大切さをこのように世界に発信してくれて大変うれしいです。ありがとうございました。
日本に住んでいる以上どこの地域でもいつかは起きる自然災害だからこそ過去の事にせず次の世代に記録を残し記憶を伝えていくことが大切なのだと思いました。浪江女子発組合さんはアイドルという活動を通じてこれまでに被災地に足を運んだことのない人たちにも当時の記録を、10年経った今の状況を知って貰う事をしているんだと胸が熱くなりました。浪江女子発組合さんのメンバーの中に福島県出身者はいないけれど、伝えていくという活動においてはみんなが当事者であり発信者になれるんだと思うのでこれからも浪江女子発組合さんの活動を通じて浪江のその周辺地域の盛り上げを応援していきます。最後に、この動画はとてもよりたくさんの人に見て頂きたいとても意味のある動画だと思うので、是非運営さんには字幕を付けて頂きたい。そうすれば自動翻訳で海外の人達にも見てもらえる機会が増えると思います。そういうことから一緒に頑張っていきましょう。応援しています。
浪江のライブ後は一人で後日の春一後には連れを連れて計二回訪れました。津波の凄まじさを感じたのはもちろんですが二階の展示物に大切なものがたくさんあるように思いました。地震、津波、原発事故の三重苦で捜索も出来ないまま故郷を離れた人達。そして悲しみを乗り越えて前向きに生きようとする人達の思いが伝わってきました。考えるきっかけを作ってくれたJA浪江に感謝しています。
震災の話題は、コメントの言葉選びなど大変なことも多いと思いますが、皆さんお忙しい中、防災の日に合わせて収録・公開してくれたんですね!サラッと公開してるけど、とても丁寧な動画。ありがとうございました。
春一の時に行きました。ライブも久しぶりで楽しかったのですが、先日ようやく一部が解除された双葉町の現状と浪江町の復興を見れたことが心に残りました。怖かったろうに、みんな頑張った。
春一の時に行きました。津波の威力の凄まじさを目の前で現存されている場所で自然の怖さを実感できます。
東京在住です。当時、ほんの少しかもしれませんが分かち合えていたはずの震災と原発事故による痛みを風化させない素晴らしい試みだと思い映像を見ていました。別の小学校では大人の危機意識が足りなかったが故に悲劇を招いた事例もあると聞きます。今を生きる大人にも子供にも、更に言えば次世代にも繋げてほしい震災が残した遺構です。
春一のときにたまたま予定が空いたので訪れました。あまりの被害の大きさに言葉を失いました。当時のエピソードが書かれていて読むたびに色々と考えさせられます。1人でも多くの方に届いてほしいです。
この動画を制作して頂いて本当に有難うございました。改めて自然の猛威や備えることの大切さをひしひしと伝わりました。次は実際に足を運びたいと思います。
浪江女子発組合の初めての配信曲「なみえのわ/あるけあるけ」のジャケット写真は、請戸小学校の子ども達が避難した大平山の見晴し台で撮影され、遠目に請戸小学校の遺構も写っています。今回その請戸小学校をメンバーが訪れて、浪江女子発組合の活動にしっかりと筋が通っていることを改めて実感しました。これからも浪江女子発組合の活動を応援していきたいと思います。
大変勉強になる内容でした。有難う御座います。また、皆さん真剣に見学している様子に感心しました。勿論、最初から真面目に臨んでいらっしゃいますが、だんだんと更に真剣度が増して行くのが表情で分かりますね。浪江での活動を疎かに考えていないからなのでしょうね。私などはせっかく春一で遺構見学バスツアーがあったのに早起きできないので断念してしまったヘタレですので、皆さんを見習って、いつか見学させて頂きたいと思います。ところで、市川さんと小島さんの事はよく存じ上げなかったのですが、説明文の朗読が大変お上手だったし、口にされる感想からは利発さがにじみ出ているものが多くて驚きました。
《見出し》0:01:オープニングトーク〜佐々木・市川・小島の震災当時①2:54:案内人・福島県浪江町教育委員会事務局教育次長3:22:館内入場〜浪江町の紹介展示5:33:校長室の金庫内にあった学校書類6:34:請戸小学校について8:24:震災前・直後の町の写真10:12:請戸小学校避難の絵本10:46:校舎へ11:20:当時の津波の高さ(約8〜9m部分)11:40:「2011年3月11日(金)」12:05:佐々木・市川・小島の震災当時②13:26:3年生の教室14:07:「14時46分 震度6強の地震発生」15:53:「14時47分 安全確認と校内放送」17:11:廊下兼多目的スペース20:31:「14時49分 大津波警報発令」20:45:「14時50分 防災行政無線放送」21:30:請戸地区全体の津波の高さ22:38:昇降口側の体育館非常口23:30:保健室・放送室24:48:津波の勢いで曲がった蛇口25:53:震災当時の瓦礫が残る一室28:28:ももいろクローバーZの震災当時29:23:職員室31:13:「14時54分 先生・児童、大平山へ向かう 」31:48:避難時の学校職員の行動34:13:校長室の金庫35:17:図工室35:32:「14時54分 福島県沖で地震」35:47:「15時14分 大津波警報(高さ修正)」36:57:浜街道の車渋滞と避難38:33:ランチルーム38:53:震災後に切れ目から芽吹いた桜40:26:3校分の共同調理場41:00:「15時15分 大平山のふもとに到着」41:27:先生と児童の避難経路42:13:惨状が見えてしまう位置43:19:偶然通りかかったトラックに乗って浪江町役場へ避難45:11:「15時25分 教頭先生、大平山へ向かう」46:35:「15時30分 大津波警報(高さ修正)」46:45:「15時33分 沿岸部に津波第一波が到達」46:46:「15時34分 防災行政無線放送」47:02:「16時00分 先生・児童、大平山頂上到着」47:56:津波で床が落ちた体育館48:50:「16時05分 避難先を役場に変更」49:28:「16時30分 双葉町鴻草地区に到達」50:18:「16時40分 奇跡の救助」51:53:昇降口52:55:「17時00分 浪江町役場に到着」53:16:児童の他の役場への避難者54:53:校舎2階へ55:31:1階と2階で被害が全然違う56:43:震災時の津波被害の様子57:53:避難の様子59:02:6年生の教室〜地震・津波・原子力災害59:20:5月26日59:54:捜索断念1:01:33:陸自の黒板のメッセージ1:02:14:小学校のOBたちが書き足した黒板のメッセージ1:03:03:請戸小から福島第一原発が見える1:03:27:町民の思い出も添えられた請戸地区ジオラマ1:04:53:自分ごととして災害の備えをしてもらいたくて整備した施設1:05:27:施設を見学した小島・市川・佐々木の感想1:10:42:見学を終えて
浪江町には女子組合をきっかけに何度か足を運ぶことがありますが国道6号より海側は行ったことがなかったのでこの配信を期に行ってみたいと思いました。トラックで小学生を安全な役場まで運んだエピソードは胸を打ちました、ありがとうございます。
震災遺構と直接関係ないですが、浪江町民の帰還が始まった時、当時の町長さんがあまりの帰還した子供の少なさから将来の町の発展を憂い、子供が集まる町、人が来る魅力ある町を作る強い意思を示し、その一環としてももクロ春の一大事開催地に単独立候補したようです。2018.2019と二度落選。町はこの請戸で開催したかったようですがももクロ側は町の体力や設備に懸念を示したのではないかと思われます。その後三町合同で実現した春の一大事ですがこの動画を観て、当初の町長の思いを叶えるためJA浪江が一度でも請戸地区で定期大会の開催が出来ないかなと思いました。野っ原では難しいですかね~トイレ設備や待機所など経費かかりますよね
ニュースとかでは流れてたかもしれないけど、こういうのをしっかり見ることがなかったので、どれだけ大変だったのかがリアルに伝わってきました
浪江女子発組合のあ~りんが、福島県の浪江町の小学校へ行ってるのが、あ~りんは、懐かしそうな感じやった~😍😊☺️✨✨
春の一大事のライブ前に伺いました。
ここで実際に到達した津波の高さ、破壊力を目の当たりにして呆然としました。忘れない、備える。改めて考えさせられました。
鯖戸小学校がそのまま残るとは聞いていましたが、ここまで生々しい形で残してあるとは知りませんでした。先日、定期大会で浪江に行きましたが、また行く機会もあると思うので、その時は足を運んで見たいと思います。
涙が、とまりません。いぎなり東北産の、3000days、知らない人は、聴いてみてください。
映像が東さん!
場違いかもしれないけど、初っ端の「ありがとうございます」で鬼笑った
💖✨
ももクロちゃんがいたから被災地である浪江や女川へ行く事が出来たと思う。
ぉぉぉぉ…☺️
55分頃階段の下に川上さん。ご苦労様です。
東日本大震災後、途方にくれていた時に心の隙間を埋めてくれたのがももクロでした。
それから11年、春の一大事が開催され、JA浪江の活動を続けてくれている。本当にありがたいです。
私の母校の小学校も津波で被災しました。また仕事で相双地区の小学校の建設工事をいくつか担当したことがあります。
ですからこの映像には心が締め付けられるような気持ちになりました。復興が進み、段々と被災した痕跡が見えなくなる一方で、こういう施設を残しておくことは大切だと思っています。JA浪江の活動には福島出身者として本当に感謝していますし、多くの福島県人に届いていると思います。春の一大事の時は時間が無く、行けなかった場所なので、JA浪江を見に行ってここに立ち寄りたいと思います。
ここは浪江女子発組合のライブの時に訪れたことがありますが、津波で破壊された跡がそのままでそのエネルギーの凄まじさに言葉が出ませんでした。先生たちの適切な判断が子供たちの命を救えたこと奇跡的なことだったのですね。今は見渡す限り茫々たる荒れ地に小学校の建物があるだけですが、震災前には住宅が広がり日々の生活が営われていたことを思い涙が流れます。影響力を持つあーりんと後輩たちが、あの日にあったことと日頃の備えの大切さをこのように世界に発信してくれて大変うれしいです。ありがとうございました。
日本に住んでいる以上どこの地域でもいつかは起きる自然災害だからこそ過去の事にせず次の世代に記録を残し記憶を伝えていくことが大切なのだと思いました。浪江女子発組合さんはアイドルという活動を通じてこれまでに被災地に足を運んだことのない人たちにも当時の記録を、10年経った今の状況を知って貰う事をしているんだと胸が熱くなりました。浪江女子発組合さんのメンバーの中に福島県出身者はいないけれど、伝えていくという活動においてはみんなが当事者であり発信者になれるんだと思うのでこれからも浪江女子発組合さんの活動を通じて浪江のその周辺地域の盛り上げを応援していきます。
最後に、この動画はとてもよりたくさんの人に見て頂きたいとても意味のある動画だと思うので、是非運営さんには字幕を付けて頂きたい。そうすれば自動翻訳で海外の人達にも見てもらえる機会が増えると思います。そういうことから一緒に頑張っていきましょう。応援しています。
浪江のライブ後は一人で後日の春一後には連れを連れて計二回訪れました。津波の凄まじさを感じたのはもちろんですが二階の展示物に大切なものがたくさんあるように思いました。地震、津波、原発事故の三重苦で捜索も出来ないまま故郷を離れた人達。そして悲しみを乗り越えて前向きに生きようとする人達の思いが伝わってきました。考えるきっかけを作ってくれたJA浪江に感謝しています。
震災の話題は、コメントの言葉選びなど大変なことも多いと思いますが、
皆さんお忙しい中、防災の日に合わせて収録・公開してくれたんですね!
サラッと公開してるけど、とても丁寧な動画。ありがとうございました。
春一の時に行きました。ライブも久しぶりで楽しかったのですが、先日ようやく一部が解除された双葉町の現状と浪江町の復興を見れたことが心に残りました。
怖かったろうに、みんな頑張った。
春一の時に行きました。
津波の威力の凄まじさを目の前で現存されている場所で自然の怖さを実感できます。
東京在住です。当時、ほんの少しかもしれませんが分かち合えていたはずの震災と原発事故による痛みを風化させない素晴らしい試みだと思い映像を見ていました。別の小学校では大人の危機意識が足りなかったが故に悲劇を招いた事例もあると聞きます。今を生きる大人にも子供にも、更に言えば次世代にも繋げてほしい震災が残した遺構です。
春一のときにたまたま予定が空いたので訪れました。
あまりの被害の大きさに言葉を失いました。
当時のエピソードが書かれていて読むたびに色々と考えさせられます。
1人でも多くの方に届いてほしいです。
この動画を制作して頂いて本当に有難うございました。改めて自然の猛威や備えることの大切さをひしひしと伝わりました。次は実際に足を運びたいと思います。
浪江女子発組合の初めての配信曲「なみえのわ/あるけあるけ」のジャケット写真は、請戸小学校の子ども達が避難した大平山の見晴し台で撮影され、遠目に請戸小学校の遺構も写っています。
今回その請戸小学校をメンバーが訪れて、浪江女子発組合の活動にしっかりと筋が通っていることを改めて実感しました。
これからも浪江女子発組合の活動を応援していきたいと思います。
大変勉強になる内容でした。有難う御座います。また、皆さん真剣に見学している様子に感心しました。勿論、最初から真面目に臨んでいらっしゃいますが、だんだんと更に真剣度が増して行くのが表情で分かりますね。浪江での活動を疎かに考えていないからなのでしょうね。私などはせっかく春一で遺構見学バスツアーがあったのに早起きできないので断念してしまったヘタレですので、皆さんを見習って、いつか見学させて頂きたいと思います。ところで、市川さんと小島さんの事はよく存じ上げなかったのですが、説明文の朗読が大変お上手だったし、口にされる感想からは利発さがにじみ出ているものが多くて驚きました。
《見出し》
0:01:オープニングトーク〜佐々木・市川・小島の震災当時①
2:54:案内人・福島県浪江町教育委員会事務局教育次長
3:22:館内入場〜浪江町の紹介展示
5:33:校長室の金庫内にあった学校書類
6:34:請戸小学校について
8:24:震災前・直後の町の写真
10:12:請戸小学校避難の絵本
10:46:校舎へ
11:20:当時の津波の高さ(約8〜9m部分)
11:40:「2011年3月11日(金)」
12:05:佐々木・市川・小島の震災当時②
13:26:3年生の教室
14:07:「14時46分 震度6強の地震発生」
15:53:「14時47分 安全確認と校内放送」
17:11:廊下兼多目的スペース
20:31:「14時49分 大津波警報発令」
20:45:「14時50分 防災行政無線放送」
21:30:請戸地区全体の津波の高さ
22:38:昇降口側の体育館非常口
23:30:保健室・放送室
24:48:津波の勢いで曲がった蛇口
25:53:震災当時の瓦礫が残る一室
28:28:ももいろクローバーZの震災当時
29:23:職員室
31:13:「14時54分 先生・児童、大平山へ向かう 」
31:48:避難時の学校職員の行動
34:13:校長室の金庫
35:17:図工室
35:32:「14時54分 福島県沖で地震」
35:47:「15時14分 大津波警報(高さ修正)」
36:57:浜街道の車渋滞と避難
38:33:ランチルーム
38:53:震災後に切れ目から芽吹いた桜
40:26:3校分の共同調理場
41:00:「15時15分 大平山のふもとに到着」
41:27:先生と児童の避難経路
42:13:惨状が見えてしまう位置
43:19:偶然通りかかったトラックに乗って浪江町役場へ避難
45:11:「15時25分 教頭先生、大平山へ向かう」
46:35:「15時30分 大津波警報(高さ修正)」
46:45:「15時33分 沿岸部に津波第一波が到達」
46:46:「15時34分 防災行政無線放送」
47:02:「16時00分 先生・児童、大平山頂上到着」
47:56:津波で床が落ちた体育館
48:50:「16時05分 避難先を役場に変更」
49:28:「16時30分 双葉町鴻草地区に到達」
50:18:「16時40分 奇跡の救助」
51:53:昇降口
52:55:「17時00分 浪江町役場に到着」
53:16:児童の他の役場への避難者
54:53:校舎2階へ
55:31:1階と2階で被害が全然違う
56:43:震災時の津波被害の様子
57:53:避難の様子
59:02:6年生の教室〜地震・津波・原子力災害
59:20:5月26日
59:54:捜索断念
1:01:33:陸自の黒板のメッセージ
1:02:14:小学校のOBたちが書き足した黒板のメッセージ
1:03:03:請戸小から福島第一原発が見える
1:03:27:町民の思い出も添えられた請戸地区ジオラマ
1:04:53:自分ごととして災害の備えをしてもらいたくて整備した施設
1:05:27:施設を見学した小島・市川・佐々木の感想
1:10:42:見学を終えて
浪江町には女子組合をきっかけに何度か足を運ぶことがありますが国道6号より海側は行ったことがなかったのでこの配信を期に行ってみたいと思いました。
トラックで小学生を安全な役場まで運んだエピソードは胸を打ちました、ありがとうございます。
震災遺構と直接関係ないですが、浪江町民の帰還が始まった時、当時の町長さんがあまりの帰還した子供の少なさから将来の町の発展を憂い、子供が集まる町、人が来る魅力ある町を作る強い意思を示し、その一環としてももクロ春の一大事開催地に単独立候補したようです。2018.2019と二度落選。町はこの請戸で開催したかったようですがももクロ側は町の体力や設備に懸念を示したのではないかと思われます。その後三町合同で実現した春の一大事ですがこの動画を観て、当初の町長の思いを叶えるためJA浪江が一度でも請戸地区で定期大会の開催が出来ないかなと思いました。野っ原では難しいですかね~トイレ設備や待機所など経費かかりますよね
ニュースとかでは流れてたかもしれないけど、こういうのをしっかり見ることがなかったので、どれだけ大変だったのかがリアルに伝わってきました
浪江女子発組合のあ~りんが、福島県の浪江町の小学校へ行ってるのが、あ~りんは、懐かしそうな感じやった~😍😊☺️✨✨
春の一大事のライブ前に伺いました。
ここで実際に到達した津波の高さ、破壊力を目の当たりにして呆然としました。
忘れない、備える。改めて考えさせられました。
鯖戸小学校がそのまま残るとは聞いていましたが、ここまで生々しい形で残してあるとは知りませんでした。
先日、定期大会で浪江に行きましたが、また行く機会もあると思うので、その時は足を運んで見たいと思います。
涙が、とまりません。いぎなり東北産の、3000days、知らない人は、聴いてみてください。
映像が東さん!
場違いかもしれないけど、初っ端の「ありがとうございます」で鬼笑った
💖✨
ももクロちゃんがいたから被災地である浪江や女川へ行く事が出来たと思う。
ぉぉぉぉ…☺️
55分頃階段の下に川上さん。ご苦労様です。