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以前5月中旬に行った所、草が結構伸びていて前方部分しか歩けませんでした。今年の4月中旬にリベンジしてみます。いつも綺麗な映像をありがとうございます。モチベーションが上がります。
いつもご視聴ありがとうございます。周辺の素晴らしい景観を眺めながら300m級の前方後円墳を実感ください。4月のリベンジ成功を祈っています。
おー!これ、最近見に行きましたけど、デカかった!
コメントありがとうございます!おぉ!行かれましたかぁ!300メートル級で墳丘に登れる数少ない古墳です。大きさを体感できますよね。
最後の巨大前方後円墳に長い長い横穴式石室に萌えますね欽明天皇&蘇我堅塩媛説を押したいです
コメントありがとうございます。確かに萌えますよね。被葬者論争も盛んな古墳ですが、それぞれ一長一短ですが・・・でもいろいろロマンを膨らますことは楽しいですね。
古い人間なので見瀬丸山古墳と呼んでしまいます(^_^;)
私もそうなんです。何十年もそう呼んできたので。
最近は見瀬ではなく五条野になったのか。ここを直すなら丸山も二子とかに直せばよかったのに。
コメントありがとうございます。この古墳は3つの町にまたがっており、ほんの僅かの面積しかない見瀬町の名前を使ってたのですが、古墳の後円部の石室のある五条野町の方がふさわしいとのことで最近は殆どの研究者が「五条野丸山古墳」とよんでいます。宮内庁は「畝傍陵墓参考地」など・・・特にいつから変わったとか、変えたとかはないと思いますが、少ししか、かかっていない見瀬が「見瀬丸山古墳」と呼ばれるのはゴーランドが「見瀬村の双墳」と記した影響が大きいようです。しかし面積的に少しですし、かといって「丸山古墳」では各地にある同名の古墳との区別がつかないので、「丸山」の名を生んだ後円部墳丘のある五条野町に属し、江戸時代の記録にも所在は五条野村管内と明記されている「五条野丸山古墳」がふさわしいということで研究者の方は例外なく五条野丸山古墳と文献資料等にも書かれています。国の指定名称自体がおかしいですね。😄
文化財オンラインでみると、史跡の名称は「丸山古墳」で、所在地は橿原市五条野町・大軽町の2町だけです。Google Mapの町堺線をみると、古墳が見瀬町にかからないように意図的にデコボコに引かれています。この線が引かれたのは最近じゃないでしょうか?名称変更の議論はこのあたりからでたのではないかと思います。なので、国の指定名称自体は「丸山古墳」で変わってません。(しかし、指定年は1696年でこれも比較的最近です。)多分ですが、考古学者が学名を「見瀬丸山古墳」としていたものを、このあたりの事情でどこかの自治体からクレームが入り、それに配慮する所在地関係の組織・学者さんは変えようとしているのだと思います。しかし、もともと史跡の学名を所在地で決めたわけでもなく、所在地で決めるという規定んもないでしょうから、これまでの名称で呼んでも構わないわけです。(特に他県の学者さんには)国会図書館で検索すると、「五条野丸山古墳」が登場するのは2002年でまだ最近の話です。「見瀬丸山古墳」は最近発行の書籍でも使われています。例えば知らないところで、「アンドロメダ星雲」が「アンドロメダ銀河」に変えられているようなもので、それでも「アンドロメダ星雲」は固有名としては間違っていません。
@@buluemoon2008 さま コメントありがとうございます、参考にさせていただきます。(橿原市のHPでは見瀬町がほんの僅か周濠部にかかっているとあります)
以前5月中旬に行った所、草が結構伸びていて前方部分しか歩けませんでした。今年の4月中旬にリベンジしてみます。いつも綺麗な映像をありがとうございます。モチベーションが上がります。
いつもご視聴ありがとうございます。周辺の素晴らしい景観を眺めながら300m級の前方後円墳を実感ください。4月のリベンジ成功を祈っています。
おー!これ、最近見に行きましたけど、デカかった!
コメントありがとうございます!
おぉ!行かれましたかぁ!300メートル級で墳丘に登れる数少ない古墳です。大きさを体感できますよね。
最後の巨大前方後円墳に
長い長い横穴式石室に萌えますね
欽明天皇&蘇我堅塩媛説を押したいです
コメントありがとうございます。確かに萌えますよね。被葬者論争も盛んな古墳ですが、それぞれ一長一短ですが・・・でもいろいろロマンを膨らますことは楽しいですね。
古い人間なので見瀬丸山古墳と呼んでしまいます(^_^;)
私もそうなんです。何十年もそう呼んできたので。
最近は見瀬ではなく五条野になったのか。ここを直すなら丸山も二子とかに直せばよかったのに。
コメントありがとうございます。この古墳は3つの町にまたがっており、ほんの僅かの面積しかない見瀬町の名前を使ってたのですが、古墳の後円部の石室のある五条野町の方がふさわしいとのことで最近は殆どの研究者が「五条野丸山古墳」とよんでいます。宮内庁は「畝傍陵墓参考地」など・・・特にいつから変わったとか、変えたとかはないと思いますが、少ししか、かかっていない見瀬が「見瀬丸山古墳」と呼ばれるのはゴーランドが「見瀬村の双墳」と記した影響が大きいようです。しかし面積的に少しですし、かといって「丸山古墳」では各地にある同名の古墳との区別がつかないので、「丸山」の名を生んだ後円部墳丘のある五条野町に属し、江戸時代の記録にも所在は五条野村管内と明記されている「五条野丸山古墳」がふさわしいということで研究者の方は例外なく五条野丸山古墳と文献資料等にも書かれています。国の指定名称自体がおかしいですね。😄
文化財オンラインでみると、史跡の名称は「丸山古墳」で、所在地は橿原市五条野町・大軽町の2町だけです。Google Mapの町堺線をみると、古墳が見瀬町にかからないように意図的にデコボコに引かれています。この線が引かれたのは最近じゃないでしょうか?
名称変更の議論はこのあたりからでたのではないかと思います。
なので、国の指定名称自体は「丸山古墳」で変わってません。(しかし、指定年は1696年でこれも比較的最近です。)
多分ですが、考古学者が学名を「見瀬丸山古墳」としていたものを、このあたりの事情でどこかの自治体からクレームが入り、それに配慮する所在地関係の組織・学者さんは変えようとしているのだと思います。しかし、もともと史跡の学名を所在地で決めたわけでもなく、所在地で決めるという規定んもないでしょうから、これまでの名称で呼んでも構わないわけです。(特に他県の学者さんには)
国会図書館で検索すると、「五条野丸山古墳」が登場するのは2002年でまだ最近の話です。「見瀬丸山古墳」は最近発行の書籍でも使われています。
例えば知らないところで、「アンドロメダ星雲」が「アンドロメダ銀河」に変えられているようなもので、それでも「アンドロメダ星雲」は固有名としては間違っていません。
@@buluemoon2008 さま コメントありがとうございます、参考にさせていただきます。(橿原市のHPでは見瀬町がほんの僅か周濠部にかかっているとあります)