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藤竜也さんの演技が素晴らしくて・・・。陽二という人が本当にこの世に存在しているかのようでした。こんなに役者さんの演技に心を奪われたのは初めてかもしれません。それを受ける森山未來も良かった。特に施設で施設で卓が陽二に赦しを乞われるシーン。私も少なからず親に複雑な思いを抱えているので、一瞬で色々な記憶や思いや感情を飲み下したあの表情には込み上げるものがありました。元介護従事者ですが、本人の拒否や、家族が他人には任せたくないという理由から介護サービスの介入が遅れる事例も見てきたので、そこは受け入れて観られました。竹内さんの容認できないポイントになるほどと思いつつ、自分が受け取った感動が薄れないようにコメントさせていただきました。
実体験からのコメントありがとうございます!藤さん森山さん他の皆さんも演技陣は素晴らしかったですね。
インタビュー記事で監督が、認知症そのものを描くドキュメンタリーではなく、主題は別のところ。何を描いて、何を描かないのか意識して取捨選択した、といった趣旨を答えていました。 辻褄を合わせることを重視したり、普通ならこうするという説明的なものばかりを映していたら、それは映画として良いものか、面白いのかどうか? 人の心に大きな何かを残す作品になり得るのか?とも思います。 その作品で大事にしているものが何かという点は監督それぞれの考えがあると思いますし。
監督のインタビュー情報ありがとうございます!送り手の考えも鑑賞者の受け止め方も人それぞれですね。個人的には辻褄合わせの作品は面白いと思いません。
竹内さんが容認できない!と仰るのはわかる気がします。ただ、女の立場から言わせていただくと、30年も寄り添い、尽くしてきたのに、忘れられてしまったことの失望感は筆舌に尽くしがたいです。私も直美の不在には疑問あったけど、スーパーで置き去りにされた時に「もう戻らない」と腹括ったんだなぁと納得感ありました。それが認知症であろうとなかろうと…です!それぐらい失望したんです。それよりも何十年も離れていたのに、あっさりお父さんを許したかのように接する…たっくんの方が私には疑問でした。血のつながりって濃いのかな?私も認知症の母を10年ほど介護(要介護5だったので、老健施設に入れました)した経験あるので、介護する大変さや哀しさはたくさん経験していますので、一人残すなんてムリ!っていうのもわかりますが…。体感としては家を出てから1か月位なんですが、実際は10〜14日位でまだ怒りの熱りが冷めてなくて、腹の虫がおさまったら戻って、陽二の世話をする…と愚考しました。突っ込んで考えると、竹内さんの仰る疑問は尤もだと思います。でも役者の演技に惹かれて観れました。横浜のキノシネマで監督と藤竜也さんの舞台挨拶付き上映会で鑑賞。観客に神野三鈴さんがいらしてまして、とても和やかな舞台挨拶でしたよ😄
実体験からのコメントand興味深いコメントありがとうございます。母親の意識がハッキリしているうちに孝行しとかなきゃと思います。
8/24山形フォーラムで「大いなる不在」を観てきました。最初からサスペンスミステリーのように重苦しく最後まで見ましたが、認知症を描くにしてもなんだかなあと思いました。主要4人を演じる俳優陣が素晴らしい芝居なだけにこのストーリーは飲み込めず、見終わった後にいろんなことをどう考えればいいのかわかりませんでした。ただ藤竜也の演技が素晴らしく、認知症の祖母のことを思い出してしまいました。
ようじのプライド高く頑固な性格から一緒に生活する周りの者の大変さ。隣人との付き合いがなくても生活が回る環境。直美さんが倒れた時に見てしまったようじのUターン行動(認知で正しい行動が取れていない事の理解が出来ていないが為)にショックを受け見切りをつけた瞬間。認知症の認識を判断する事の難しさ。ようじの会話のひとつ一つに認知症状から出る会話はうんうんとうなづけました。普段研修を受けながら訪問介護しています。 藤さんの一つひとつの表情はベテランさがあり。森山くんは彼らしさの演技が上手く出ていて👍でした。
実体験からのコメントありがとうございます!演技陣素晴らしいと思います。
洗濯物がまだ新しかった、携帯電話の電池が切れてないので、直美が出て行ったのが直近なのがわかります。 そして、その直後に映画のオープニングにつながると思います。 講演の断りの電話が1週間前というので、アルツハイマーの発症がかなり急だったのだと想像できます。 直美は最期にお別れに来て入水したと仄めかされてると思いますが。
竹内さんが容認できないという話を聞きながら、昨年公開の「月」を思い出しました。私にとって「月」は到底容認できない作品ですが、それは障がい者やそれに関わるケアギバーが身近な存在だという個人的な理由が大きいです。竹内さんもご家族の介護を経験なさっているからこそ、現実との乖離がおつらかったのではと思いました。自分も観ながら「なんでケアマネとか入ってないんだろ…」と思いましたが、介護や介入を全面拒否のパターンだったのかな…と後から思い至りました。今作のような男性で社会的地位があった当事者の場合、病識が全くなく、病院に行くことすら拒み、ケアマネが来ても怒って追い返す…というケースが割とあるようです。義母が行方不明になった理由は、元々パワハラ気質の夫を「愛し合った日々」を支えに暮らしてきたのに、その結晶である日記を雑にされたことで心が折れてしまったように見えました。長年耐えたからこそ、限界を超えてしまったのかな…と。記憶が文字として断片的にでも残ることで、家族が多少救われる。カタチがあるもので残すことの大切さをこの作品から学んだような気がします。
カタチがある事で救われる。カタチがある事で辛さが増す。どちらもあり得ますね。
「シネマート心斎橋の閉館」のニュースに気落ちして😖💦いまいち、この動画に集中して、視られませんでした😅
同じくです。。お世話になり始めたのはここ1,2年ですが、アジア映画特化だけあって他では見られない作品が多く楽しませていただいていたのですが、、😢
なおみさんは海に帰ったんだと思います。夫からの手紙になおみの故郷は海と書いてあったので。この映画はあの夫婦がそれぞれ心臓病、アルツハイマーを抱えて先の短い中で腹をくくって人生の締め方を決断する過程を描いたんだと愚考しました。
コメントありがとうございます!そうかもしれませんね。
この映画の予告編を観て、次はこれだと思い意気込んで観ました。認知症を発症した母親と4年暮らして、勿論、地域包括支援センターに連絡して、助けて貰いました。でも、家庭崩壊するって思い、施設に入所して貰いました。だからか、認知症の問題を扱う作品は観たくなります。終盤になおみさんが家を出ていくのを観て、あ!捨てたんだ。と思いました。陽二の世界では事件が起こった。日本社会はなんとか機能しています。陽二を保護し、対応してくれる施設に渡し、家族に連絡をする。その家族は冷静に何が起きているのか考察し、対応する。分からないのは、なおみさんとその妹さん、特に妹に腹が立った。陽二さんの病気についての認識の甘さに。なおみさんは壊れてしまい海に入った。なおみさんの息子さんは、救急で運ばれた病院代を払ったんでしょうね、高額医療費は8万円位だとしても入院費はそれだけでは済まないから、それなりの額になるから、回収出来るならしたいと思った。最後に息子は父親の延命治療依頼する。そこは無知過ぎて…。俳優の素晴らしさは堪能しました。見事でした。
実体験からのコメントありがとうございます。私もそろそろ心の準備を始めなくては。
竹内さんの疑問は、おっしゃる通り。確かに納得いく説明はないと思います。が、作り上がりと、特に演技の良さで満足はしました。
監督の実体験をもとに本作は制作されたと海外のインタビュー記事で読みました。
そうなんですね!情報ありがとうございます!
監督の実体験にかなり基づいてるようですよ。物語は竹内さん言うようにリアリティに著しく欠けているかも知れない。だけど自分は役者陣の大活躍には目を奪われっぱなしでした。特に原日出子さんはホントに凄かった。溜まりにたまったストレスと失望感は直美さんには大きかった、のかなあ。
同じく演技陣は素晴らしいと思いました。
些細なことを気にしすぎていていたみたいです。 竹内さんは一旦ツッコミを始めると燃えてしまって、自分の突っ込みを疑問に思わなくなる癖があります。 だから、今回のエピソードは少し残念です。もっと色々議論できる映画だったから、少し残念です。例えば、画面に二人が映っているとき、そのショットの構図によって二人が同じ場所や時間にいないように見えることが多く、不在や分離を表現しています。
そういう事もあるんですね。私も収録時に少し驚きました。
そもそも、SATを呼んで事件になって、森山未來が呼ばれたっていう時系列だと思ってました…なのに、ラストから冒頭にループする流れだったので「え?どゆこと?」ってなりました。原日出子が海に入水〇〇しそうなシーンがあったのに、ラストで車で出掛けるしシーンもあったりと、頭が混乱しました。原日出子が倒れる前に一緒に買い物に行った際は原日出子は携帯を持っていたので、倒れた時の買い物時に携帯をたまたま持ってないってのもどうかと思いました。妹が介護に行っていたんなら、妹に「持って来て」って頼まないのかぁとも思いました。あと、森山未來が演じてた舞台?の内容もストーリーと関係があったりするんでしょうか?同じ系統の題材なら『かくしごと』の方が面白かったですね。
《大いなる 不在》藤竜也さん、森山未來さんともに大好きなので、とりあえずは「見たい」気持ちに任せて劇場へ。 父親(あるいは母親)と永く離れていた息子(あるいは娘)が、久しぶりに親に会うと認知症になっていた.....というのは、現代実際には"よくある"話ではある。 私も実母が認知症になり13年間見守ったので、この手の作品は、おのずと足が向く。 お二人の演技は期待どおり素晴らしかったけど、時系列やその他、モヤモヤが多過ぎて......もったいない感が残る。 う~~ん、なんだか.....。
モヤモヤ感が残る方はいらっしゃるでしょうね。
藤竜也演ずる陽二はハム通信で海外との通信もしてたよね。直美の携帯は陽二の家にありました。陽二との手紙のやり取り(陽二のものが多いけど)。竹内さんが疑問視する社会的なプロセスの欠如が、この映画を「不在」の意味付けにつながっていると思う。俺が一番謎だったのは劇中劇の意味だった。
コメントありがとうございます!劇中劇の捉え方は人それぞれ、さまざまだと思います。
分からなかったけど、面白く観ました。日活ニューアクションの藤竜也が凄い。
キネ旬星取表では5点2点2点でした。2点の2人の意見に同意です。
情報ありがとうございます!
妹さんが怪我した後に直美さん帰って来てます。
物理学の権威であり理論家の父が認知症といかにして戦い、抗い、そして屈伏させられていくか。その残酷さを伝えているのだと思いました。真木よう子さんが演じたおおらかな妻の存在が厳しい現実の救い。舞台のようなセリフ劇、でも繊細な表情は映像でなければ見ることはできない。藤竜也さんの演技が演技に見えずドキュメンタリーのようでした。不謹慎かもしれませんが、最初のシーンは「機動隊はこうやって入っていくんだ!さすが」と感心しました。「客の目を集中させるつかみ」なのかもしれません。陽二の妻が入水したのか?私はしていないと思いました。陽二が自分の名を叫ぶ声をきいてハッとした顔からの勝手な解釈ですが、世話をしに戻ってくる気がします。
演技陣は素晴らしかったですね。
特殊部隊の流れは確かに強調しすぎていたかもしれません。舞台が手榴弾だのなんだのというニュースがリアルである北九州なので、そういうつながりが何かしらあれば、まだ説得力があったかなあ?(そういう凶器に関しては全然ファンタジーなところではないので😅)あと自治体なり何なり、公共の団体が真っ当でないというところも、ありえないというより、実際に起きている事実もあるかと思います。(具体例を出すのは差し控えますが、警察が美人局で何たらとか)消えた直美さんは、この映画の構成が時系列交錯していることを考えれば、他の方が触れていたように、先にいなくなってるのかもしれませんね。認知症の人は虚実入り乱れることがしばしばあることを考えると、ハサミてちょきんと、というのは、ある意味事実だったかもしれません。認知症=全て虚偽、という思い込みを逆手に取った手法なのかな?ただたしかに手がかりが少なく、わかりにくい部分はありました。正解を提示する作品を目指していたのではないのでしょうね。
確かに北九州ならあり得るかも💦
観てないですけど、痴呆や介護は身近な問題だけに、リアリティーのない描き方をされると一気に冷めるのはよくわかります。観てないですけどね。
お仕事系ドラマにもあり得る現象ですね。
全てが全てハリボテに見えた気がした。そもそも何がしたい企画なのかちょっとわからなかったですね。病気を軽く扱ってるあたりがちょっと鼻白んでしまう。
雰囲気だけ、ふりしてるだけって感じでした。パーツパーツはそれなりにいいけど、全体を通すとぼんやりしすぎてる。
藤竜也さんの演技が素晴らしくて・・・。陽二という人が本当にこの世に存在しているかのようでした。こんなに役者さんの演技に心を奪われたのは初めてかもしれません。
それを受ける森山未來も良かった。特に施設で施設で卓が陽二に赦しを乞われるシーン。私も少なからず親に複雑な思いを抱えているので、一瞬で色々な記憶や思いや感情を飲み下したあの表情には込み上げるものがありました。
元介護従事者ですが、本人の拒否や、家族が他人には任せたくないという理由から介護サービスの介入が遅れる事例も見てきたので、そこは受け入れて観られました。
竹内さんの容認できないポイントになるほどと思いつつ、自分が受け取った感動が薄れないようにコメントさせていただきました。
実体験からのコメントありがとうございます!
藤さん森山さん他の皆さんも演技陣は素晴らしかったですね。
インタビュー記事で監督が、
認知症そのものを描くドキュメンタリーではなく、主題は別のところ。何を描いて、何を描かないのか意識して取捨選択した、
といった趣旨を答えていました。
辻褄を合わせることを重視したり、普通ならこうするという説明的なものばかりを映していたら、それは映画として良いものか、面白いのかどうか? 人の心に大きな何かを残す作品になり得るのか?とも思います。
その作品で大事にしているものが何かという点は監督それぞれの考えがあると思いますし。
監督のインタビュー情報ありがとうございます!
送り手の考えも鑑賞者の受け止め方も人それぞれですね。
個人的には辻褄合わせの作品は面白いと思いません。
竹内さんが容認できない!と仰るのはわかる気がします。
ただ、女の立場から言わせていただくと、30年も寄り添い、尽くしてきたのに、忘れられてしまったことの失望感は筆舌に尽くしがたいです。私も直美の不在には疑問あったけど、スーパーで置き去りにされた時に「もう戻らない」と腹括ったんだなぁと納得感ありました。
それが認知症であろうとなかろうと…です!それぐらい失望したんです。
それよりも何十年も離れていたのに、あっさりお父さんを許したかのように接する…たっくんの方が私には疑問でした。血のつながりって濃いのかな?
私も認知症の母を10年ほど介護(要介護5だったので、老健施設に入れました)した経験あるので、介護する大変さや哀しさはたくさん経験していますので、一人残すなんてムリ!っていうのもわかりますが…。体感としては家を出てから1か月位なんですが、実際は10〜14日位でまだ怒りの熱りが冷めてなくて、腹の虫がおさまったら戻って、陽二の世話をする…と愚考しました。
突っ込んで考えると、竹内さんの仰る疑問は尤もだと思います。
でも役者の演技に惹かれて観れました。
横浜のキノシネマで監督と藤竜也さんの舞台挨拶付き上映会で鑑賞。観客に神野三鈴さんがいらしてまして、とても和やかな舞台挨拶でしたよ😄
実体験からのコメントand興味深いコメントありがとうございます。
母親の意識がハッキリしているうちに孝行しとかなきゃと思います。
8/24山形フォーラムで「大いなる不在」を観てきました。
最初からサスペンスミステリーのように重苦しく最後まで見ましたが、認知症を描くにしてもなんだかなあと思いました。主要4人を演じる俳優陣が素晴らしい芝居なだけにこのストーリーは飲み込めず、見終わった後にいろんなことをどう考えればいいのかわかりませんでした。ただ藤竜也の演技が素晴らしく、認知症の祖母のことを思い出してしまいました。
ようじのプライド高く頑固な性格から一緒に生活する周りの者の大変さ。隣人との付き合いがなくても生活が回る環境。直美さんが倒れた時に見てしまったようじのUターン行動(認知で正しい行動が取れていない事の理解が出来ていないが為)にショックを受け見切りをつけた瞬間。認知症の認識を判断する事の難しさ。
ようじの会話のひとつ一つに認知症状から出る会話はうんうんとうなづけました。普段研修を受けながら訪問介護しています。 藤さんの一つひとつの表情はベテランさがあり。森山くんは彼らしさの演技が上手く出ていて👍でした。
実体験からのコメントありがとうございます!
演技陣素晴らしいと思います。
洗濯物がまだ新しかった、携帯電話の電池が切れてないので、直美が出て行ったのが直近なのがわかります。
そして、その直後に映画のオープニングにつながると思います。
講演の断りの電話が1週間前というので、アルツハイマーの発症がかなり急だったのだと想像できます。
直美は最期にお別れに来て入水したと仄めかされてると思いますが。
竹内さんが容認できないという話を聞きながら、昨年公開の「月」を思い出しました。
私にとって「月」は到底容認できない作品ですが、それは障がい者やそれに関わるケアギバーが身近な存在だという個人的な理由が大きいです。
竹内さんもご家族の介護を経験なさっているからこそ、現実との乖離がおつらかったのではと思いました。
自分も観ながら「なんでケアマネとか入ってないんだろ…」と思いましたが、介護や介入を全面拒否のパターンだったのかな…と後から思い至りました。
今作のような男性で社会的地位があった当事者の場合、病識が全くなく、病院に行くことすら拒み、ケアマネが来ても怒って追い返す…というケースが割とあるようです。
義母が行方不明になった理由は、元々パワハラ気質の夫を「愛し合った日々」を支えに暮らしてきたのに、その結晶である日記を雑にされたことで心が折れてしまったように見えました。
長年耐えたからこそ、限界を超えてしまったのかな…と。
記憶が文字として断片的にでも残ることで、家族が多少救われる。
カタチがあるもので残すことの大切さをこの作品から学んだような気がします。
カタチがある事で救われる。カタチがある事で辛さが増す。
どちらもあり得ますね。
「シネマート心斎橋の閉館」のニュースに気落ちして😖💦
いまいち、この動画に集中して、視られませんでした😅
同じくです。。
お世話になり始めたのはここ1,2年ですが、アジア映画特化だけあって他では見られない作品が多く楽しませていただいていたのですが、、😢
なおみさんは海に帰ったんだと思います。夫からの手紙になおみの故郷は海と書いてあったので。この映画はあの夫婦がそれぞれ心臓病、アルツハイマーを抱えて先の短い中で腹をくくって人生の締め方を決断する過程を描いたんだと愚考しました。
コメントありがとうございます!
そうかもしれませんね。
この映画の予告編を観て、次はこれだと思い意気込んで観ました。認知症を発症した母親と4年暮らして、勿論、地域包括支援センターに連絡して、助けて貰いました。でも、家庭崩壊するって思い、施設に入所して貰いました。だからか、認知症の問題を扱う作品は観たくなります。
終盤になおみさんが家を出ていくのを観て、あ!捨てたんだ。と思いました。陽二の世界では事件が起こった。日本社会はなんとか機能しています。陽二を保護し、対応してくれる施設に渡し、家族に連絡をする。その家族は冷静に何が起きているのか考察し、対応する。分からないのは、なおみさんとその妹さん、特に妹に腹が立った。陽二さんの病気についての認識の甘さに。なおみさんは壊れてしまい海に入った。なおみさんの息子さんは、救急で運ばれた病院代を払ったんでしょうね、高額医療費は8万円位だとしても入院費はそれだけでは済まないから、それなりの額になるから、回収出来るならしたいと思った。最後に息子は父親の延命治療依頼する。そこは無知過ぎて…。俳優の素晴らしさは堪能しました。見事でした。
実体験からのコメントありがとうございます。
私もそろそろ心の準備を始めなくては。
竹内さんの疑問は、おっしゃる通り。確かに納得いく説明はないと思います。
が、作り上がりと、特に演技の良さで満足はしました。
監督の実体験をもとに本作は制作されたと海外のインタビュー記事で読みました。
そうなんですね!情報ありがとうございます!
監督の実体験にかなり基づいてるようですよ。
物語は竹内さん言うようにリアリティに著しく欠けているかも知れない。
だけど自分は役者陣の大活躍には目を奪われっぱなしでした。
特に原日出子さんはホントに凄かった。
溜まりにたまったストレスと失望感は直美さんには大きかった、のかなあ。
同じく演技陣は素晴らしいと思いました。
些細なことを気にしすぎていていたみたいです。 竹内さんは一旦ツッコミを始めると燃えてしまって、自分の突っ込みを疑問に思わなくなる癖があります。 だから、今回のエピソードは少し残念です。もっと色々議論できる映画だったから、少し残念です。例えば、画面に二人が映っているとき、そのショットの構図によって二人が同じ場所や時間にいないように見えることが多く、不在や分離を表現しています。
そういう事もあるんですね。
私も収録時に少し驚きました。
そもそも、SATを呼んで事件になって、森山未來が呼ばれたっていう時系列だと思ってました…
なのに、ラストから冒頭にループする流れだったので「え?どゆこと?」ってなりました。
原日出子が海に入水〇〇しそうなシーンがあったのに、ラストで車で出掛けるしシーンもあったりと、頭が混乱しました。
原日出子が倒れる前に一緒に買い物に行った際は原日出子は携帯を持っていたので、倒れた時の買い物時に携帯をたまたま持ってないってのもどうかと思いました。
妹が介護に行っていたんなら、妹に「持って来て」って頼まないのかぁとも思いました。
あと、森山未來が演じてた舞台?の内容もストーリーと関係があったりするんでしょうか?
同じ系統の題材なら『かくしごと』の方が面白かったですね。
《大いなる
不在》
藤竜也さん、森山未來さんともに大好きなので、とりあえずは「見たい」気持ちに任せて劇場へ。 父親(あるいは母親)と永く離れていた息子(あるいは娘)が、久しぶりに親に会うと認知症になっていた.....というのは、現代実際には"よくある"話ではある。 私も実母が認知症になり13年間見守ったので、この手の作品は、おのずと足が向く。 お二人の演技は期待どおり素晴らしかったけど、時系列やその他、モヤモヤが多過ぎて
......もったいない感が残る。
う~~ん、なんだか.....。
モヤモヤ感が残る方はいらっしゃるでしょうね。
藤竜也演ずる陽二はハム通信で海外との通信もしてたよね。直美の携帯は陽二の家にありました。陽二との手紙のやり取り(陽二のものが多いけど)。竹内さんが疑問視する社会的なプロセスの欠如が、この映画を「不在」の意味付けにつながっていると思う。俺が一番謎だったのは劇中劇の意味だった。
コメントありがとうございます!
劇中劇の捉え方は人それぞれ、さまざまだと思います。
分からなかったけど、面白く観ました。日活ニューアクションの藤竜也が凄い。
キネ旬星取表では5点2点2点でした。
2点の2人の意見に同意です。
情報ありがとうございます!
妹さんが怪我した後に直美さん帰って来てます。
物理学の権威であり理論家の父が認知症といかにして戦い、抗い、そして屈伏させられていくか。その残酷さを伝えているのだと思いました。真木よう子さんが演じたおおらかな妻の存在が厳しい現実の救い。舞台のようなセリフ劇、でも繊細な表情は映像でなければ見ることはできない。藤竜也さんの演技が演技に見えずドキュメンタリーのようでした。不謹慎かもしれませんが、最初のシーンは「機動隊はこうやって入っていくんだ!さすが」と感心しました。「客の目を集中させるつかみ」なのかもしれません。陽二の妻が入水したのか?私はしていないと思いました。陽二が自分の名を叫ぶ声をきいてハッとした顔からの勝手な解釈ですが、世話をしに戻ってくる気がします。
演技陣は素晴らしかったですね。
特殊部隊の流れは確かに強調しすぎていたかもしれません。
舞台が手榴弾だのなんだのというニュースがリアルである北九州なので、
そういうつながりが何かしらあれば、まだ説得力があったかなあ?
(そういう凶器に関しては全然ファンタジーなところではないので😅)
あと自治体なり何なり、公共の団体が真っ当でないというところも、
ありえないというより、実際に起きている事実もあるかと思います。
(具体例を出すのは差し控えますが、警察が美人局で何たらとか)
消えた直美さんは、この映画の構成が時系列交錯していることを考えれば、
他の方が触れていたように、先にいなくなってるのかもしれませんね。
認知症の人は虚実入り乱れることがしばしばあることを考えると、
ハサミてちょきんと、というのは、ある意味事実だったかもしれません。
認知症=全て虚偽、という思い込みを逆手に取った手法なのかな?
ただたしかに手がかりが少なく、わかりにくい部分はありました。
正解を提示する作品を目指していたのではないのでしょうね。
確かに北九州ならあり得るかも💦
観てないですけど、痴呆や介護は身近な問題だけに、リアリティーのない描き方をされると一気に冷めるのはよくわかります。観てないですけどね。
お仕事系ドラマにもあり得る現象ですね。
全てが全てハリボテに見えた
気がした。
そもそも何がしたい企画なのかちょっとわからなかったですね。
病気を軽く扱ってるあたりがちょっと鼻白んでしまう。
雰囲気だけ、ふりしてるだけって感じでした。
パーツパーツはそれなりにいいけど、全体を通すとぼんやりしすぎてる。