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私まさにその世代で香港住みでした!クーロンさんの本も読み漁ってましたよーご本人お目にかかれて感激です❤
クーロン黒沢、下川裕治、沢木耕太郎の三氏が憧れでした。本当にうれしいです。
クーロンさんの本を読むと、ソワソワが止まらないです🥰
クーロン黒沢さんの大ファンなので大好きな丸山ゴンザレスさんと一緒に画面にうつってるなんて凄すぎます!!!ありがとうございます✨
ずっとこのお二人コラボしないかなと待ち望んでました!次回が楽しみすぎます!
二人が一緒にいる事が感慨深いです。
プノンペンと言えばキャピタル1と2、冷房がない2の部屋がたしか3ドル?だったような。レストランには旅行者が丁寧に、スワイパーへの行き方とか地図とか書いてくれましたね自分はそのホテルで知り合った人に、言えない店とか射撃場に行きましたね。90年代半ばですが円が強く日本人旅行者にとっては最高の時期でしたね。
キャピトルの情報ノートおもしろかったなぁ。あれやこれやの豆情報や旅の感想がぎっしり書かれていた。
黒沢ニキ相変わらずいい声。シックスサマナ新刊待ってます❤
クーロン黒沢さんの本からアジア旅行記にハマり、そこから彩図社の本で丸山ゴンザレスさんを知りました。その時からずっとお二人のファンです!次回も楽しみにしております。
在タイ20年です、、、タイに来た当初は良くあの辺り見に行きましたね😅 中華バイアグラのウエイカワン買ってロータリー良く行きました😂僕も当初は2ヶ月タイ、3ヶ月日本でしたね、、、そのうち居着いて20年です。コロナ禍で三年日本にいましたが今月タイに帰ります😊
現在50歳。某企業で管理職している身分になっちゃいましたが学生の頃クーロンさんの本を読みジュライホテルに散策しに行ったことあります。自分はカオサン派の軟弱バックパッカーでしたが、今回のお話は自分にとって青春の1ページです😂。
なんて次回が待ち遠しい動画なんだ。
井上さんの件は悲しかったですね。久々にシックスサマナ読もうかな。
90年代半ば、高校入学時に父親に初めてPCを買ってもらいました。そんで、インターネットの書籍を買わなきゃ!と思って本屋で手に取ったのが黒沢さんの「さわやかインターネット」でした。良くも悪くも、その後の人生が変わった一冊でしたね〜
懐かしい🎉81年〜楽宮〜ジュライ〜プノンペン〜台北旅社楽しんだ〜じじいですね♪次回プノンペン楽しみです!😊
この日がくるのを待ってました。クーロンさんの旅本は私のバイブルです。
願わくばゲッツ板谷さんもお願いします。
文章とかから受けるクーロンさんてもっと怖そうな印象ありましたけどこんな落ち着いた雰囲気の方なんですね
そうですよね。内気でナイーブな感じ。しかも当時はお若かったでしょう。そんな男の子が、魑魅魍魎の跋扈するアジアを、よく無事に歩いていたな~と…😅
凄い!オリジネーター登場でテンション上がりましたw
黒沢さんの文章はすごい!何度も笑わせてもらいました😄 次号のシックスサマナ&RUclipsの廃墟探訪楽しみにしてます。
やーっと真打登場 黒澤さんおめでとうございますー☺️
DJ北林さんの話が聞きたいです。
クーロン黒沢さんが出るなんて〜!若い時に本を読み漁りました黒沢さんの声がとても素敵で良い意味でイメージと違いましたRUclips観ます
初めて海外旅行行ったときクーロンさんの本を機内で読んだ思い出。クーロンさんのチャンネルも観てます。
当時のバンコクの中華街の風景が懐かしく思い出されます。貴重なお話しを有難うございました。私は1990年代の前半、楽宮旅社に滞在し、一階の北京飯店に入り浸っていました。当時を懐かしみつつ、大きな変貌を遂げたバンコクで今も生活しています。ジュライホテルは私には敷居が高く、飛び込む勇気がありませんでした。今でも後悔しています。
www 😁ジュライよりも楽宮の方が独特な怪しい雰囲気が充満してたと思います♬私、楽宮の廊下を一往復したのがきっかけになって、廃墟巡りを始めましたw 😅
確かに楽宮の雰囲気は独特で淫靡、そして廃墟感満載でしたね。廃墟探訪の契機となるのも分かるような気をがします。私も楽宮での滞在がその後の人生に大きな影響を与えたと思います。
@@伍長勤務 スワニーさんの作る微妙な味噌汁、微妙な料理の数々。。。懐かしいですね! 🦎
@@hiragana-de_PO 確かに、絶妙で微妙なスワニーさんの日本風料理でしたね。懐かしいです。私の定番メニューはトンカツ、ご飯、味噌汁、冷奴、たまに贅沢してビールでした。
@@伍長勤務 北京飯店懐かしいです。あのトンカツ、あんな激安店なのにちゃんと日本のブルドックソースが出て来るのは驚きでした。あと、パッドにあった作り置きのもカオケーンも結構おいしかったです。そこまで貧乏旅行ではなかったので、北京飯店には飲み目的で雰囲気を楽しむために行き、ビアシンをガンガン飲んでたので、スワニーさんから喜ばれました。
文章とか声から得られる印象と、ルックスが乖離しまくってる人。潜入取材にめちゃくちゃ有利そう。
楽宮旅社は、谷恒生さんの小説『バンコク楽宮ホテル』で初めてその存在を知り、1989年の2回目のタイ旅行の時に、怖いもの見たさで数泊したことがあります。丁度雨期だったので暑くも無く、エアコンなしでも耐えられました。古くて汚い部屋でしたが2泊目からは慣れて、住めば都とはよく言ったものだと思いました。
87-90年までときどきヤワラーへ行っていました。シックスサマナは当時を懐かしく思えて毎号読んでいます。ヤワラーは便利が良かったんですよね。当時の空港から鉄道でホワラムポーン駅まで行って、そこから歩いて行ける距離だったので。外国人では日本人しか泊まっていなくて。ジュライホテルの近く1で昼飯に0バーツ(50円ぐらい)でカオパッを食べて、昼から冷気茶室、夜はモーテルとか、そういう沈没した人が多かったですね。よく沈没せずに生き残れたと思います。大学生だったからかな。
まだBKKがDMKだった時代ですね。BTSもなくて渋滞が今より凄くて日本円が今より強くて面白い時代。今屋台飯も฿50〜だし฿350のラーメンや฿420のビックマックセットを身なりの良いタイ人が食べる時代…タイが高くなったと言うか日本が本当に貧しくなりましたね。日本の感覚でマックでコーヒー頼んだら฿115でびっくり‼️
あの頃のバンコクは闇も深かったけど、今より良い断然面白かったですね。89年に初めて海外一人旅でバンコクに行ってその後嵌ってしまい、その10年後に住み着き、20年近くバンコクで勤務していました。今は日本と半々の生活ですが、もう地元の友達は殆どどこかに引っ越してしまい、タイ人の友達ばかりになってしまったので、日本にいてもタイ語の電話しかかかって来ませんw
クーロン黒沢さん。バックパッカーのバイブルの著者ということしか知りませんでしたが。紳士で驚きました。
外道の細道、懐かしいですね😅G-diaryも貪り読んでました🤫
昔、本屋さんで見たなぁ。懐かしい。RUclipsで観られて嬉しい。
待望の黒沢さんだ‼️
うわっ!クーロン黒沢さん!本沢山読んだよ!
ジュライホテル物語今でも見れましたがジュライの天使ポンちゃん駐車場でシンナー吸引からの逮捕の流れがウケました笑
裏街の高城剛ことクーロンさんや
ヴィレッジヴァンガードで売られている海外のヤバい場所レポの本といえばクーロン黒沢・丸山ゴンザレスの両名だった記憶
小生の初バンコクが94年なので、時期的にはあんまり変わらないのを知って驚きです。その後黒沢さんの御著書を読んだ感じでは、大先輩という感覚でした。
外道の細道 懐かしいですジュライホテル物語も読みました〜 長老◯◯◯の現会長は僕らの仲間内でも有名ですよ懐かしいです
クーロン氏が出たならもうミスターPBXも呼ぶしかない
ハイジアの鷹!?
クーロン黒沢さんのプノンペンの話しが好きだった50代です(笑)
黒沢さんの本持ってます。楽宮ホテル!なつかしい。80年代初めに泊まりましたが住み着いている日本人は、まだいなかったような記憶が…
クーロン黒沢さんこそが神❤ めっちゃ嬉しい❤
懐かしい。外国なんて行けない私の楽しみでした
クーロンさんの本をKindleで全部読んだけどめっちゃおもろい笑
世紀末のカンボジアを懐かしく思いだしました
クーロンさん…「怪しいアジア」シリーズボロボロになるまで読みました。バイブルです。…マルゴンさんとコラボとか…嬉しい…
クーロンきたー!!!!!!!!生きるレジェンド!!!!!
香港97の裏話が聞きたかった
ブラックアジアもありますね!
プノンペンはキャピトルやスワイパー、63Stのライライ、いろいろありましたな。
インターネット黎明期、オトナのハッカー読本にとても影響されました
👍 楽宮旅社 各階の角に住んでいる家族😂 シミのついたベッド サイテーな部屋だった。金魚鉢ヤワラーだよな
この人の本面白いよね。姿観たのは初めて。見た目は普通のオッサンだけど超サブカルな人。
楽宮旅社や台北旅社に当時泊まってました!懐かしい
クーロンさん好きだわ😂
ミスターPBXはハイジアの鷹と同一人物なんですかね?鷹にも出てもらいたいです。
パソケで買ったミニコミ【香港の素】で一気にファンになったんだよねぇ。
これは夢のツーショット!😆
初めてクーロン黒沢氏のお顔を拝見しました。
コイワカメラ経由でシックスサマナの存在を知って夢中になって全部読んでます!
クーロン黒沢。顔出ししてるんだ。懐かしわ。
クーロン黒沢は嬉しすぎる笑
ついにこのコラボが出たか。🎉
クーロン黒沢氏を最初に知ったのは、アップル関係のコラムだった気がする。確かカンボジアのレポートでしたね。なのでネット時代に入ってからですね。その続編とか読みたくて興味深かったなあ。
クーロン黒沢さんのユーチューブチャンネルありましたよねたしか
黒沢さん。LOVE。興奮しています。まさかこんな光景が
ジュライホテルにみんな何しに来てるのかとか全然わからなかった。
クーロン黒沢って白夜書房のハッキング本でよく見てたな
ナマ斉藤(仮名)さんは元気なのですか?w怪しいアジアの怪しい人々、爆笑しながら読みましたw
界隈、クーロン黒沢さんといえばエネマグラ教典なんですよね。オルタナティブ・ドラッグカルチャーの人という印象ですね
怪しいアジアの〜他書籍が元カノの家にあってよく読んでたな。酢味噌ニアン号とか当時大学生だった自分には強烈でした。丸山さんとのコラボが実現してむっちゃ嬉しいです。
元カノすげー
パソコンがまだマイコンと呼ばれていたギリギリぐらいですかね。
クーロン黒沢実在したんだ…
おお!クーロンさんの本、よく読んでました。こんな方だったんですね!
旅舎? 旅社? 外道もなくなったか。クーロン黒沢さんって、皿井タレーさんとは違うんでしたっけ。
おれも、その時代マレーシアに住んでいたなぁ3ヶ月ごとにビザの更新でバンコクに行ってました、もしかしたらお会いしたかもね
クーロン黒沢 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
ミスターナカシニも出てくれないかな~😂
バンコクで最安の立ちんぼのいるソイ(路地)の話して欲しかったな〜1993年のカオサンはわたしのタイ人夫がメッチャ遊んでた頃w
私タイに長くいました、今もタイ国に住んでいます、ジュライホテルに知り合いの日本人が3人いました、1人はアメリカから来た日本人、本も書いていました、ばいどくで1人亡くなりました1988年から1993年頃の裏社会凄いよ、日本では有名な人も来てました、外務省の人も裏方の人と繋がりありました、私は真ん中タイ語できたので、今は歳とりました、なんかの機会でタイに来られましたら、お話ししたいですね。
最近クーロンさんを知ったから有名な人だと知らなかった
クーロン黒沢の顔を初めて拝見しました、意外な感じですが、大変失礼ですが何処にも居そうなサラリーマン風ですね。
世代違うけど『香港97』で名前だけ知ってる
今の日本は貧乏になったので、中々海外で長期滞在は難しいですね…
本当に。これからノンストップで日本は更に経済力を失っていくんじゃないでしょうか?いずれ、日本人がアジア圏に出稼ぎに行く時代が来そうです😢
10月からタイに出稼ぎ行く事が決まりました。こんな日が来るとはなぁ。。
お二人にとって下川裕次さんはどういう位置づけですか?私なんかからは「ディープなアジア」といえば下川さんですが、お二人から見ると「浅い」のでしょうか?
外道の細道か。
クーロンさん自身インタビューは多いけど、自身を語ることはたまにしかないから嬉しいです。シックスサマナのスワイパーでの出来事読んでいると、こんなクソみたいな人間が世界から集まってくるのかと気分が悪くなりました。そういう物さえ笑いながら飯の種にするクーロンさんもすごい……と思ってました。
本での「スワイパーでパンパン…」というのはいまだに覚えていますよ。後にも先にもあんなに狂った本は読んだことないですね。大好きです。
学生の頃、ファミ通やログインとかでたまに見かけたお人、実写は初めて見た…鈴木みそ先生の漫画とかでは見かけたけど
株式会社イースタンだったかなぁ、ジャンク屋で買ったわ~😂
件の会社でデザインされたゲームコピー機ってサイクロンとかいう名前でしたっけ?自分は黒沢さんと同世代ですが、90年代後半辺りになると下の世代が似た様な怪しいモノを扱い始め00年代以降は逮捕者とか出てたり、後から東南アジアに住みつき始めてた印象ですね。
伊東四朗 ポン あと誰だっけな
今までほぼ初めましてなのが信じられない。旅舎ではなく旅社ですよ
落球旅舎は草
なるほどね。AmazonKindleストアでアングラ系の本出してるクーロン黒澤ってこの人だったかぁ~初めて見たのは、90年代末のゲームラボの特集だったけなぁ~どんなヤバい風貌の人なのかと思って見てみたけど、案外、礼儀正しいフツーの人だったw今は、カンボジアに住んでいるのかな?
黒沢さん!浮遊会行きましたよ。コラボしてくれないかと思ってました!
2週間ぐらい前にロータリー行ってきたが ロータリーのゲートは開いていて家族ずれやカップルが居ました。だいぶ明るくなってました
今回の動画とも主たるご活動ともズレたコメントになりますけど、黒沢さんの著作『エネマグラ教典』を手に取ってしまったおかげで私はとてつもない能力を手に入れることができました。いまやその名称自体がニセモノ扱いされ著作の中身も今となっては大部分が首をかしげるような内容になってますけど、この本が無ければそのような快楽が存在することすらも知らないままだったと考えると黒沢さんは私の人生に大きな転機を与えてくれた人物といっても過言ではありません。本を手に取ったのが約20年前、それから自由自在にイケるようになるのに10年くらいかかりました。今は著作でいうところのレベルだと10を超えています。その深さ、大きさ、質は多岐にわたり言語化するのが困難なくらいです。残念ながらこの分野世間的には大きな広がりを見せることにはなっていませんし、明らかに間違った解釈で理解されている面もあるように感じています。黒沢さんが今現在どういう向き合い方をされているのかも気になりますし、丸山さんの動画でドライオーガズムについて扱っていただきたいという希望もあります。
あーあれ面白かったよね~。家で聖書の解説書の隣に置いていたのを思い出します。
カオサンロードは、お兄さんがタトューの店を出してたのでコロナ前は良く行ってました、自分にとってはタイの記憶はカオサンで仲間と飲んだのが殆どですね😊
同年代にタイとか欧州への中継点で行ってました。カオサンでヤワラートのジュライロータリー界隈が面白いと聞いて行きましたね。当然女も買いました。そのもうちょい後カンボジアなら500円で女が買えるって聞きました。仕事が忙しく近年まで海外は行けませんでした。数十年経るとホント発展してる。ヤワラー近くワットマンコ駅までMRTで行けるのがビックリ‼️ジュライロータリー付近はかつての感じ無くなってます
1990年にタイ航空のバンコク経由デリー往復航空券をHISで購入しましたが、既にHISは支店がいくつかある普通の会社でしたよ。会長がジュライホテルで長老をしていたというのは信じ難いですね。そんなことしてたら会社は潰れちゃうんじゃないかな?
外道の細道は、まだ残ってますよ。なにせ削除できる方がお亡くなりになってますから・・・
当時のカオサンの住人には、ジミー金村のバスマップが有名でした。
「ジミー金村のバスマップ」は、ジュライが閉鎖されてから数年後でしょ!?
@@hiragana-de_PO 時系列の記憶がおぼろげなので、間違えていたら、すみません。
@@k999k ぁ、ぃぇぃぇ、お互いに同じ時代に旅をしてた者同士ですから、マイペンライでしょう♬ ✋😃
@@hiragana-de_PO 今がというわけではないですが、良い時代でしたね。マイペンライということで、ありがとうございます
私まさにその世代で香港住みでした!
クーロンさんの本も読み漁ってましたよー
ご本人お目にかかれて感激です❤
クーロン黒沢、下川裕治、沢木耕太郎の三氏が憧れでした。本当にうれしいです。
クーロンさんの本を読むと、ソワソワが止まらないです🥰
クーロン黒沢さんの大ファンなので大好きな丸山ゴンザレスさんと一緒に画面にうつってるなんて凄すぎます!!!ありがとうございます✨
ずっとこのお二人コラボしないかなと待ち望んでました!次回が楽しみすぎます!
二人が一緒にいる事が感慨深いです。
プノンペンと言えばキャピタル1と2、冷房がない2の部屋がたしか3ドル?だったような。
レストランには旅行者が丁寧に、スワイパーへの行き方とか地図とか書いてくれましたね
自分はそのホテルで知り合った人に、言えない店とか射撃場に行きましたね。90年代半ば
ですが円が強く日本人旅行者にとっては最高の時期でしたね。
キャピトルの情報ノートおもしろかったなぁ。
あれやこれやの豆情報や旅の感想がぎっしり書かれていた。
黒沢ニキ相変わらずいい声。シックスサマナ新刊待ってます❤
クーロン黒沢さんの本からアジア旅行記にハマり、そこから彩図社の本で丸山ゴンザレスさんを知りました。その時からずっとお二人のファンです!
次回も楽しみにしております。
在タイ20年です、、、タイに来た当初は良くあの辺り見に行きましたね
😅 中華バイアグラのウエイカワン買ってロータリー良く行きました😂
僕も当初は2ヶ月タイ、3ヶ月日本でしたね、、、そのうち居着いて20年です。コロナ禍で三年日本にいましたが今月タイに帰ります😊
現在50歳。某企業で管理職している身分になっちゃいましたが学生の頃クーロンさんの本を読みジュライホテルに散策しに行ったことあります。自分はカオサン派の軟弱バックパッカーでしたが、今回のお話は自分にとって青春の1ページです😂。
なんて次回が待ち遠しい動画なんだ。
井上さんの件は悲しかったですね。
久々にシックスサマナ読もうかな。
90年代半ば、高校入学時に父親に初めてPCを買ってもらいました。
そんで、インターネットの書籍を買わなきゃ!と思って
本屋で手に取ったのが黒沢さんの「さわやかインターネット」でした。
良くも悪くも、その後の人生が変わった一冊でしたね〜
懐かしい🎉81年〜楽宮〜ジュライ〜プノンペン〜台北旅社楽しんだ〜じじいですね♪次回プノンペン楽しみです!😊
この日がくるのを待ってました。クーロンさんの旅本は私のバイブルです。
願わくばゲッツ板谷さんもお願いします。
文章とかから受けるクーロンさんてもっと怖そうな印象ありましたけどこんな落ち着いた雰囲気の方なんですね
そうですよね。内気でナイーブな感じ。しかも当時はお若かったでしょう。そんな男の子が、魑魅魍魎の跋扈するアジアを、よく無事に歩いていたな~と…😅
凄い!オリジネーター登場でテンション上がりましたw
黒沢さんの文章はすごい!何度も笑わせてもらいました😄 次号のシックスサマナ&RUclipsの廃墟探訪楽しみにしてます。
やーっと真打登場 黒澤さん
おめでとうございますー☺️
DJ北林さんの話が聞きたいです。
クーロン黒沢さんが出るなんて〜!若い時に本を読み漁りました
黒沢さんの声がとても素敵で良い意味でイメージと違いました
RUclips観ます
初めて海外旅行行ったとき
クーロンさんの本を機内で読んだ思い出。クーロンさんのチャンネルも観てます。
当時のバンコクの中華街の風景が懐かしく思い出されます。貴重なお話しを有難うございました。
私は1990年代の前半、楽宮旅社に滞在し、一階の北京飯店に入り浸っていました。当時を懐かしみつつ、大きな変貌を遂げたバンコクで今も生活しています。
ジュライホテルは私には敷居が高く、飛び込む勇気がありませんでした。
今でも後悔しています。
www 😁
ジュライよりも楽宮の方が独特な怪しい雰囲気が充満してたと思います♬
私、楽宮の廊下を一往復したのがきっかけになって、廃墟巡りを始めましたw 😅
確かに楽宮の雰囲気は独特で淫靡、そして廃墟感満載でしたね。廃墟探訪の契機となるのも分かるような気をがします。
私も楽宮での滞在がその後の人生に大きな影響を与えたと思います。
@@伍長勤務
スワニーさんの作る微妙な味噌汁、
微妙な料理の数々。。。
懐かしいですね! 🦎
@@hiragana-de_PO
確かに、絶妙で微妙なスワニーさんの日本風料理でしたね。懐かしいです。
私の定番メニューはトンカツ、ご飯、味噌汁、冷奴、たまに贅沢してビールでした。
@@伍長勤務
北京飯店懐かしいです。
あのトンカツ、あんな激安店なのにちゃんと日本のブルドックソースが出て来るのは驚きでした。あと、パッドにあった作り置きのもカオケーンも結構おいしかったです。そこまで貧乏旅行ではなかったので、北京飯店には飲み目的で雰囲気を楽しむために行き、ビアシンをガンガン飲んでたので、スワニーさんから喜ばれました。
文章とか声から得られる印象と、ルックスが乖離しまくってる人。
潜入取材にめちゃくちゃ有利そう。
楽宮旅社は、谷恒生さんの小説『バンコク楽宮ホテル』で初めてその存在を知り、1989年の2回目のタイ旅行の時に、怖いもの見たさで数泊したことがあります。丁度雨期だったので暑くも無く、エアコンなしでも耐えられました。古くて汚い部屋でしたが2泊目からは慣れて、住めば都とはよく言ったものだと思いました。
87-90年までときどきヤワラーへ行っていました。シックスサマナは当時を懐かしく思えて毎号読んでいます。
ヤワラーは便利が良かったんですよね。当時の空港から鉄道でホワラムポーン駅まで行って、そこから歩いて行ける距離だったので。外国人では日本人しか泊まっていなくて。ジュライホテルの近く1で昼飯に0バーツ(50円ぐらい)でカオパッを食べて、昼から冷気茶室、夜はモーテルとか、そういう沈没した人が多かったですね。
よく沈没せずに生き残れたと思います。大学生だったからかな。
まだBKKがDMKだった時代ですね。BTSもなくて渋滞が今より凄くて日本円が今より強くて面白い時代。今屋台飯も฿50〜だし฿350のラーメンや฿420のビックマックセットを身なりの良いタイ人が食べる時代…タイが高くなったと言うか日本が本当に貧しくなりましたね。日本の感覚でマックでコーヒー頼んだら฿115でびっくり‼️
あの頃のバンコクは闇も深かったけど、今より良い断然面白かったですね。
89年に初めて海外一人旅でバンコクに行ってその後嵌ってしまい、その10年後に住み着き、20年近くバンコクで勤務していました。今は日本と半々の生活ですが、もう地元の友達は殆どどこかに引っ越してしまい、タイ人の友達ばかりになってしまったので、日本にいてもタイ語の電話しかかかって来ませんw
クーロン黒沢さん。バックパッカーのバイブルの著者ということしか知りませんでしたが。紳士で驚きました。
外道の細道、懐かしいですね😅
G-diaryも貪り読んでました🤫
昔、本屋さんで見たなぁ。
懐かしい。RUclipsで観られて嬉しい。
待望の黒沢さんだ‼️
うわっ!クーロン黒沢さん!本沢山読んだよ!
ジュライホテル物語今でも見れましたが
ジュライの天使ポンちゃん駐車場でシンナー吸引からの逮捕の流れがウケました笑
裏街の高城剛ことクーロンさんや
ヴィレッジヴァンガードで売られている海外のヤバい場所レポの本といえば
クーロン黒沢・丸山ゴンザレスの両名だった記憶
小生の初バンコクが94年なので、時期的にはあんまり変わらないのを知って驚きです。その後黒沢さんの御著書を読んだ感じでは、大先輩という感覚でした。
外道の細道 懐かしいですジュライホテル物語も読みました〜 長老◯◯◯の現会長は僕らの仲間内でも有名ですよ懐かしいです
クーロン氏が出たならもうミスターPBXも呼ぶしかない
ハイジアの鷹!?
クーロン黒沢さんのプノンペンの話しが好きだった50代です(笑)
黒沢さんの本持ってます。楽宮ホテル!なつかしい。80年代初めに泊まりましたが住み着いている日本人は、まだいなかったような記憶が…
クーロン黒沢さんこそが神❤ めっちゃ嬉しい❤
懐かしい。
外国なんて行けない私の楽しみでした
クーロンさんの本をKindleで全部読んだけどめっちゃおもろい笑
世紀末のカンボジアを懐かしく思いだしました
クーロンさん…「怪しいアジア」シリーズボロボロになるまで読みました。バイブルです。…マルゴンさんとコラボとか…嬉しい…
クーロンきたー!!!!!!!!
生きるレジェンド!!!!!
香港97の裏話が聞きたかった
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インターネット黎明期、オトナのハッカー読本にとても影響されました
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この人の本面白いよね。姿観たのは初めて。見た目は普通のオッサンだけど超サブカルな人。
楽宮旅社や台北旅社に当時泊まってました!懐かしい
クーロンさん好きだわ😂
ミスターPBXはハイジアの鷹と同一人物なんですかね?鷹にも出てもらいたいです。
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これは夢のツーショット!😆
初めてクーロン黒沢氏のお顔を拝見しました。
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クーロン黒沢。顔出ししてるんだ。懐かしわ。
クーロン黒沢は嬉しすぎる笑
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クーロン黒沢氏を最初に知ったのは、アップル関係のコラムだった気がする。
確かカンボジアのレポートでしたね。なのでネット時代に入ってからですね。
その続編とか読みたくて興味深かったなあ。
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黒沢さん。LOVE。興奮しています。まさかこんな光景が
ジュライホテルにみんな何しに来てるのかとか全然わからなかった。
クーロン黒沢って白夜書房のハッキング本でよく見てたな
ナマ斉藤(仮名)さんは元気なのですか?w
怪しいアジアの怪しい人々、爆笑しながら読みましたw
界隈、クーロン黒沢さんといえばエネマグラ教典なんですよね。オルタナティブ・ドラッグカルチャーの人という印象ですね
怪しいアジアの〜他書籍が元カノの家にあってよく読んでたな。酢味噌ニアン号とか当時大学生だった自分には強烈でした。丸山さんとのコラボが実現してむっちゃ嬉しいです。
元カノすげー
パソコンがまだマイコンと呼ばれていたギリギリぐらいですかね。
クーロン黒沢実在したんだ…
おお!
クーロンさんの本、よく読んでました。
こんな方だったんですね!
旅舎? 旅社? 外道もなくなったか。クーロン黒沢さんって、皿井タレーさんとは違うんでしたっけ。
おれも、その時代マレーシアに住んでいたなぁ3ヶ月ごとにビザの更新でバンコクに行ってました、もしかしたらお会いしたかもね
クーロン黒沢 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
ミスターナカシニも出てくれないかな~😂
バンコクで最安の立ちんぼのいるソイ(路地)の話して欲しかったな〜
1993年のカオサンはわたしのタイ人夫がメッチャ遊んでた頃w
私タイに長くいました、今もタイ国に住んでいます、ジュライホテルに知り合いの日本人が3人いました、1人はアメリカから来た日本人、本も書いていました、ばいどくで1人
亡くなりました1988年から1993年頃の裏社会凄いよ、
日本では有名な人も来てました、外務省の人も裏方の人と繋がりありました、私は真ん中タイ語できたので、今は歳とりました、なんかの機会でタイに来られましたら、お話ししたいですね。
最近クーロンさんを知ったから有名な人だと知らなかった
クーロン黒沢の顔を初めて拝見しました、意外な感じですが、大変失礼ですが何処にも居そうなサラリーマン風ですね。
世代違うけど『香港97』で名前だけ知ってる
今の日本は貧乏になったので、中々海外で長期滞在は難しいですね…
本当に。
これからノンストップで日本は更に経済力を失っていくんじゃないでしょうか?
いずれ、日本人がアジア圏に出稼ぎに行く時代が来そうです😢
10月からタイに出稼ぎ行く事が決まりました。こんな日が来るとはなぁ。。
お二人にとって下川裕次さんはどういう位置づけですか?
私なんかからは「ディープなアジア」といえば下川さんですが、お二人から見ると「浅い」のでしょうか?
外道の細道か。
クーロンさん自身インタビューは多いけど、自身を語ることはたまにしかないから嬉しいです。
シックスサマナのスワイパーでの出来事読んでいると、こんなクソみたいな人間が世界から集まってくるのかと気分が悪くなりました。
そういう物さえ笑いながら飯の種にするクーロンさんもすごい……と思ってました。
本での「スワイパーでパンパン…」というのはいまだに覚えていますよ。後にも先にもあんなに狂った本は読んだことないですね。大好きです。
学生の頃、ファミ通やログインとかでたまに見かけたお人、実写は初めて見た…鈴木みそ先生の漫画とかでは見かけたけど
株式会社イースタンだったかなぁ、ジャンク屋で買ったわ~😂
件の会社でデザインされたゲームコピー機ってサイクロンとかいう名前でしたっけ?
自分は黒沢さんと同世代ですが、90年代後半辺りになると下の世代が似た様な怪しいモノを扱い始め
00年代以降は逮捕者とか出てたり、後から東南アジアに住みつき始めてた印象ですね。
伊東四朗 ポン あと誰だっけな
今までほぼ初めましてなのが信じられない。旅舎ではなく旅社ですよ
落球旅舎は草
なるほどね。AmazonKindleストアでアングラ系の本出してるクーロン黒澤ってこの人だったかぁ~
初めて見たのは、90年代末のゲームラボの特集だったけなぁ~
どんなヤバい風貌の人なのかと思って見てみたけど、案外、礼儀正しいフツーの人だったw
今は、カンボジアに住んでいるのかな?
黒沢さん!浮遊会行きましたよ。コラボしてくれないかと思ってました!
2週間ぐらい前にロータリー行ってきたが ロータリーのゲートは開いていて家族ずれやカップルが居ました。だいぶ明るくなってました
今回の動画とも主たるご活動ともズレたコメントになりますけど、黒沢さんの著作『エネマグラ教典』を手に取ってしまったおかげで私はとてつもない能力を手に入れることができました。いまやその名称自体がニセモノ扱いされ著作の中身も今となっては大部分が首をかしげるような内容になってますけど、この本が無ければそのような快楽が存在することすらも知らないままだったと考えると黒沢さんは私の人生に大きな転機を与えてくれた人物といっても過言ではありません。
本を手に取ったのが約20年前、それから自由自在にイケるようになるのに10年くらいかかりました。今は著作でいうところのレベルだと10を超えています。その深さ、大きさ、質は多岐にわたり言語化するのが困難なくらいです。
残念ながらこの分野世間的には大きな広がりを見せることにはなっていませんし、明らかに間違った解釈で理解されている面もあるように感じています。
黒沢さんが今現在どういう向き合い方をされているのかも気になりますし、丸山さんの動画でドライオーガズムについて扱っていただきたいという希望もあります。
あーあれ面白かったよね~。家で聖書の解説書の隣に置いていたのを思い出します。
カオサンロードは、お兄さんがタトューの店を出してたのでコロナ前は良く行ってました、自分にとってはタイの記憶はカオサンで仲間と飲んだのが殆どですね😊
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1990年にタイ航空のバンコク経由デリー往復航空券をHISで購入しましたが、既にHISは支店がいくつかある普通の会社でしたよ。会長がジュライホテルで長老をしていたというのは信じ難いですね。そんなことしてたら会社は潰れちゃうんじゃないかな?
外道の細道は、まだ残ってますよ。なにせ削除できる方がお亡くなりになってますから・・・
当時のカオサンの住人には、ジミー金村のバスマップが有名でした。
「ジミー金村のバスマップ」は、ジュライが閉鎖されてから数年後でしょ!?
@@hiragana-de_PO 時系列の記憶がおぼろげなので、
間違えていたら、すみません。
@@k999k
ぁ、ぃぇぃぇ、お互いに同じ時代に旅をしてた者同士ですから、マイペンライでしょう♬ ✋😃
@@hiragana-de_PO 今がというわけではないですが、良い時代でしたね。マイペンライということで、ありがとうございます