昭和40年代前半 信越本線 急行「妙高」田口駅到着
HTML-код
- Опубликовано: 22 окт 2024
- 1969年夏 国際放映制作作品 監督;板谷紀之 出演;宮脇康之 河島明人 ほか
「ジャンケンケンちゃん第24話/雲の中で歌おうよ!」より
信越本線田口駅(現;妙高高原駅) 夏休み ちびっこ二人旅
本作は、つべのⒸ申立制限なし でLoadしています。
本編にはモザイク処理はありません
独立サーバの動画配信
(とり と みつばちHP)
番組宣伝1→ • 番組宣伝 軍歌・戦時歌謡・連帯団結の歌 編
これまで、fc・ニコで公開してきた動画や つべでは公開が難しい作品と再会できます。
大井川鐡道の本線元気なころ→ • 大井川鐡道(本線元気なころ)
昭和20年代後半国鉄混合列車と停車場の景色→ • 昭和20年代半ば 終戦直後の国鉄混合列車と停...
昭和30年代前半 真夏の冷房無し 長距離客車列車の時代→ • 昭和30年代前半 真夏の冷房無し 楽しい長距...
蒸気機関車列車の並走競演→ • C58型蒸気機関車牽引列車並走競演
院電ナデの復元→ • 鉄道院の電車
両毛線栃木駅の時代移り→ • 両毛線栃木駅に見る時代移り
151車内(ちょっとだけ)カラー化実験動画→ • 151系車内 ちょっとだけ (カラー化実験動画)
鈍行列車でゆく日本海→ • 鈍行列車で行く日本海
481系特急雷鳥「だんらん」編成→ • 481系特急雷鳥「だんらん」
サロンエクスプレス東京→ • サロンエクスプレス東京
ゆうゆうサロン岡山→ • ゆうゆうサロン岡山
神岡鉄道→ • 神岡鉄道 旅客営業していたころ
青函航路とトンネルと北斗星→ • 青函航路とトンネルと北斗星 交代の日 抄
ライブスチーム→ • ライブスチーム (にいじゅくこうつうこうえん)
昭和30年代半ば 国鉄151系特急ビュッフェサービスのようす
→ • 昭和30年代半ば 国鉄151系ビュッフェサー...
C57 1 蒸気機関車の遍歴 → • C57 1 蒸気機関車の遍歴
ローカル私鉄めぐり東北 → • 私鉄ローカル線 東北
ローカル私鉄めぐり中国四国 → • 私鉄ローカル線 中国四国
昭和30年代前半 国鉄蒸気機関車の美しい運用風景→ • 昭和30年代前半 国鉄蒸気機関車の美しい運用風景
ヒューヒュー行こう超特急→ • ヒューヒュー行こう超特急♪
夢の超特急「ひかり」の歌→ • 夢の超特急「ひかり」のうた♪
罐焚きの歌→ • 罐焚きの歌♪
宇都宮の歌→ • 宇都宮の歌♪
昭和30年代 機関助士と機関士→ • 昭和30年代 機関助士と機関士
昭和40年代後半の駅長さんの営業活動のようす→ • 昭和40年代後半 駅長さんの営業活動のようす
昭和30年代半ば 踏切事故と遅延の時代感覚→ • 昭和30年代半ば 踏切事故と遅延の時代感覚
昭和30年代半ば 長距離特急電車の出区から出発→ • 昭和30年代半ば 長距離特急電車の出区から出発
昭和30年代半ばの 駅弁立ち売りと構内営業のようす→ • 昭和30年代半ばの 駅弁立ち売りと構内営業のようす
西武鉄道社歌【カラオケ】→ • 西武鉄道社歌【カラオケ】♪
【トーマスくんとなかまたち登場】イギリスの鉄道シリーズ
日本に鉄道を紹介した国から その1→ • 日本に鉄道を紹介した国から その1
日本に鉄道を紹介した国から その2→ • 日本に鉄道を紹介した国から その2
日本に鉄道を紹介した国から その3→ • 日本に鉄道を紹介した国から その3
列車乗務員さんたちの私生活→ • 昭和40年代前半 列車乗務員さんたちの私生活
昭和30年代半ば 食堂車女子クルーの活躍→ • 昭和30年代半ば 食堂車 女子クルーの活躍
昭和40年代前半の 国鉄食堂車のようす→ • 昭和40年代前半の 国鉄 食堂車のようす
鉄道の使い方を間違った若者に機関士の怒りの鉄拳が飛ぶ→ • 鉄道を間違って使った人たちに機関士が説諭
昭和30~40年代 国鉄長距離列車乗務員さんの発着点呼のようす→ • 昭和30~40年代 国鉄長距離列車乗務員さん...
昭和40年代前半 国鉄長距離列車内 急患の扱い→ • 昭和40年代前半 国鉄長距離列車内 急患の扱い
昭和40年代の国鉄列車内から電報を打つ→ • 昭和40年代前半 国鉄列車内から電報を打つ
昭和26年ごろの鉄道模型遊び→ • 昭和26年ごろの鉄道模型遊び
蒸気機関車の運転と投炭→ • 蒸気機関車の運転と投炭
昭和20年代後半 国鉄 車内放送が無い時代→ • 国鉄 車内放送が無い時代 昭和20年代後半~
昭和40年代の国鉄 寝台列車 車内改札のようす→ • 昭和40年代の国鉄 寝台列車 車内改札のようす
昭和40年代の国鉄 鉄道公安職員のようす→ • 昭和40年代前半の国鉄 鉄道公安職員のようす
昭和40年代前半の田舎の国鉄駅員さんの仕事のようす→ • 昭和40年代前半の 田舎の国鉄駅員さんの仕事...
↓「さくら号たいへんなことになる」
昭和30年代前半の列車防護のようす→独立サーバーで配信公開中。
昭和30年代前半国鉄食堂車と従業員のようす→独立サーバーで配信公開中。
昭和40年代前半 国鉄スキー列車車内のようす→独自サーバーに引っ越しました。
独立サーバーで公開中の作品を見るには、
このチャンネルの基本情報にリンクがございます。
UKクレージートレイン3部作
イギリス南西線 第三軌条の高速列車(1)→ • イギリス南西線 第三軌条の高速列車(1)
イギリス南西線 第三軌条の高速列車(2)→ • イギリス南西線 第三軌条の高速列車(2)
イギリス北東線方面 快速電車高速通過→ • イギリス北東線 快速電車高速通過
映画で観る西武鉄道 所沢駅と山口線→ • 昭和30年代の 西武鉄道 所沢駅空撮・山口線...
時節柄、ウクライナの国歌 Amelia Anisovychちゃん独唱→ • ウクライナの国歌
国鉄水郡線C56奥久慈号→ • 国鉄水郡線 C56型蒸気機関車牽引 奥久慈号
風と列車と鉄道と (風で飛ばされた列車)→ • 風と列車と鉄道と 1994年ごろの番組から
路面電車復権の序章→ • 路面電車復権の序章 1994年ごろの番組から
東京横断路線バスの旅 青梅街道→ • 東京横断路線バスの旅 青梅街道
クルマ好きな方(普通乗用車からの前面展望)
劇中、伴淳三郎が言う"ケロヨン"は、その歌が↓このドライブBGMに入っています。
常磐道短距離ドライブ40分尺→ • 常磐道短距離ドライブ 40分尺
関越道短距離ドライブ50分尺→ • 関越道短距離ドライブ 50分尺
東北道短距離ドライブ60分尺→ • 東北道短距離ドライブ 60分尺
妙高高原、という駅名も素敵だけど田口の方が地元に寄り添っている感じがするな…
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
鉄道の駅名改称には集客テク三本柱が働いていまして、
「高原」「温泉」「海岸」
これを末尾に付けますと、
いままで特急も停まらなかったような駅が、
たちまち停車駅になるとゆう魔法が作用します。
165系は新車の頃。冷房車もこの頃出ており、快適な車内空間だったことを思い出しました。新性能電車いいですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
お客さんにも、鉄道乗務員にも評判の良い車輛は、
それをプロトタイプにして他の車両にも及んで後世まで引き継がれていますね。
165系電車はその最たる形式だったようです。
動画のアップ、ありがとうございます。
現在の妙高高原駅ですね。
私の家族は、冬に毎年赤倉温泉へスキーに行っていたので子供の頃(昭和50年代後半から平成初期頃)妙高高原駅はよく利用していました。めちゃくちゃ懐かしいですね。
それにしても、この映画は良いですね。
子供だけで長距離列車に乗って遠方まで行くなんて、まさに大冒険。
私も中学や高校の頃はお小遣いやバイト代を貯めて夏休みに地元の友人と遠方まで旅行に行ってました。
私の学生時代にはまだ、ムーンライト号等の夜行列車が多数走っていたので、それらを利用したり、遠方の親戚の家に泊めてもらったりしながら2泊3泊の旅行をしたものです。
この映画の時代はそれよりもさらにおおらかな感じですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
こうした時代の他愛ない出来事が、いつか戻ってくるかも,とおっしゃる方もいます。
駅の賑わいも、トップシーズンも、もぅ、戻って来ない気がします。
フィルムの中でご自身の思い出を重ねられるのは、振り返ると貴重な体験ですね。
凄いなあ
自分も鉄道に関わる仕事をしたいものです
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
どんな仕事も、楽しい部分とつまらない部分があるものですが、
趣味の領域に関係する部分が多いと、励みになるものですね。
懐かしいですね!両親の実家ですが物心ついた頃は妙高高原駅でした。叔父も駅長をやってました。今は本当に寂れてしまって悲しい限りです😢
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
新幹線が開通したところは
どこも忘れ去られた街になってしまいます。
避けられないことではありますが、
ほんとうに寂しいかぎりです。
乗り換えてでも行きたくなる強力な観光要素を探し出さないと、生き残れないのが現実です。
妙高高原より上諏訪
グレードアップあさま乗り入れしていた。上野車掌区又は長野車掌区 更にしなの,スーパー雷鳥 しなのは名古屋車掌区 スーパー雷鳥は金沢車掌区
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
碓氷峠が在来で抜けていた信越本線の新潟口は
なんでもやって来た楽しい時代がありましたね。
貨物列車も同様で、ナノ・モトあたりは運転所を眺めているだけでも楽しいものでした。
妙高高原駅なのか。2000年代に1度行ったけどこんなにぎやかではなかったな。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
昔の信越線の急行電車は、長野を出て、豊野を過ぎるあたりから、
そわそわと様相が変わってきます。
北信の方の多くは、海水浴を日本海側へ行かれますので、
浮き輪やピッケルなど、
どこへ行く列車なのか分からなくなる客層に変わります。
2000年代も前半辺りまでは、ギリギリ雰囲気を残していた時代でした。
僕は夜行の旧型客車の妙高に乗って、母の実家に行ったもんだ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
とてもよい思い出をお持ちですね。
旧型客車は蛍光灯になる前は、とても室内灯が暗くて、とくに夜間、
トイレからデッキ辺りは揺られながら戸外へ落ちないようにつかまりながら移動していました。
信越夜行はだいたい長野駅が近づくころにはしらじらと夜が明けてきました。
田口駅、今の妙高高原駅の駅前が大変賑やか。
いまは閑散としてるからな。
時代の流れを感じる。
55年ほど前の映像かな。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この作品にも映っていますが、
多客時用の間口の広い臨時改札口を設けるほど、
夏も冬もたくさんのお客さんが乗降して、
タクシー・バス・お土産屋さんと、
観光セットが教科書のようにそろっていた駅でした。
凋落はやはり新幹線駅にならなかったことでしょうか。
車両が165形。まだ2等車にエアコン付けてないから、窓は全開。
田口駅は、1969年4月1日に「妙高高原」に駅名変更。
紺色に白地の琺瑯看板に時代を感じる。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
冬は冬でスキー臨、夏は夏で避暑臨で、
信越線の急行はほんとによく活躍していた列車でした。
夏の暑さも、今ほどではなかったはずです。
冷房準備車時代の169系ですよ
上越妙高駅は、昔田口駅だったんですね!
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
ある年代を境にはっきり分かれていまして、
「田口」の駅のほうがしっくりくる、という方と、
やっぱり「妙高高原」じゃないとだめだ,という人。
これと同じことが、
「国鉄」じゃないとだめだという人たちにも共通しているようで、
10年ほど前の毎日新聞の記事ではそのように書いてありました。
「妙高高原」ですよ〜、
上越妙高は以前は脇野田駅という名前だったと思います。
桜屋、懐かしい
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
いまは草むらになってしまったようですが、
観光の玄関駅には変わりません。
うーん、俺より上手だなw
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
子どもは時代に関係なく知恵を働かせますからね。
この場面は大人たちの油断で負けです。
自動改札を知らない楽しい時代でした。
某RUclipsrの出身地の駅
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
ヒ〇キ〇さんも、もう少し強く地元宣伝すれば、
駅前にコンビニとファミレス呼べそうですが、
高速道路にはかないません。
田口駅と言えば 「笹鮨」「笹飴」ですね
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
今は上越妙高の駅の売店で売られていますけど、
あの飴よりも葉っぱのほうが大きい笹飴の方は
平べったくて上顎に貼り付くタイプのものが笹のフレーバーを残していて、鮨も似ていて、お土産というより
持ち運び向きですね。
急行列車だから必ず車内改札があるはず…それをすり抜けるとは…(笑)
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
今でもそうなのかもしれませんが、
連れや保護者がどこに乗車しているのか分からないような、小さな子どもは、
「まぁ、たぶんどこかに乗っているだろう」と思って、車内改札を素通りする例が多いようです。
そんなことを繰り返しながら、下車駅に着いてしまったり、
もうすこし知恵がつくと、巧妙にトイレへ隠れたり
どこにでもあったような、列車旅の景色でしょうか。
駅事務所に職員たくさん。改札無人でスカスカ。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この田口駅は、冬のスキーシーズンに多客期を迎える観光駅で、
波動輸送の最繁忙期に備えて、スキー客用に臨時改札口を設けています。
ケンちゃんたちはそこからエスケープしました。
当時は列車別改札が主流で列車が発着する時以外は改札口は基本閉鎖されていました。しかも入口の改札口は駅本舎内に、出口の改札口は駅本舎の外にあるのが主流でした...