2013年3月16日 西部邁ゼミナール 東谷暁 「放射能と公共性」を嫌って「電力供給と東電」を潰す大愚【1】
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- Опубликовано: 5 фев 2025
- 2013年3月16日 西部邁ゼミナール 東谷暁 「放射能と公共性」を嫌って「電力供給と東電」を潰す大愚【1】
• 2013年3月16日 西部邁ゼミナール 東...
2013年3月23日 西部邁ゼミナール 東谷暁 「放射能と公共性」を嫌って「電力供給と東電」を潰す大愚【2】
• 2013年3月23日 西部邁ゼミナール 東...
アップロードありがとうございました😊
色々仰ることはよくわかります。
ただ、散々安全だ安全だと言われていたものが、そうでは無かった。と言うところに大きな問題が有るし。
利便性や経済性の良い部分だけを見せて、核廃棄物や核燃料再処理なんかの部分は殆ど考えられていなかった訳で、そう言う部分へのコストは一体利便性や経済性に合致するものなんでしょうか。
事故後に起こったバッシングやら、放射能関連の事実を話してみても、空論に近く余り興味を持ってお話が聞けなかったです。
新しく革新的なシステムを導入する際に、確りした議論や疑問の解決が図られずに、飛び付いてしまうきらいがあるのは…どうしたもんでしょうね。
ベント開放という初歩的な判断を、民主党政権が「3日間」放置した事実をご存じでしょうか?
水素ガスが充満するのを72時間以上も放置していたら、
自然引火して、建屋の天井外壁が破壊されるのも必然だと思いますが?
「根っこが同じ」という意味を更に掘り下げて「知性の貧困化」と言い換えることができると思います。そこで例に挙げますが、リニア問題がまさにだと思います。
リスクゼロの技術など存在しないのに大丈夫と言い切る推進派も、技術に100%の安全を求める静岡もお互いに間違っていると思います。落とし所としては、静岡迂回ルートにするか、静岡県に対して損害に対する100%補償を認めるのかのどちらかしか無いと思います。
原発問題については、政府が補償と安全性について最初にきちんと発信しなかったのがそもそもの事の発端です。除染の必要がそもそも無く、したがって移住も必要なく、しかも将来的な健康リスクが存在しないのですから呆れて物が言えません。
コロナ禍の一連の対策然りです。政官民合わせて上から下まで知性が貧困化しているのが日本の現状です。歴史の教訓から今の日本を一言で評するのなら、傾国や末期という表現になるのかと思います。
@@mitrokhinarchives4471 私は直接的にはそう言った話は存じ上げません。しかし仮にそう言った事実が有ったとしても、ベント開放と言う退っ引きならない事態に対象するには、東電側も政府も知見が無かったと言うことに尽きるでしょうし、当時の状況を今から考えれば、最もクリティカルな時に原子炉内部の状態を伺い知る具体的で確信的な、次の手立てを打てる様なデータも確証も無かったと言えるのだと思います。
故に誰がやっても同じ結果になったであろう…と私個人は考えています。
私達は不測の事態に備えながらも、その備えの根拠となる物は前例主義と呼ばれる慣例的な方法を用いる他無いのが実情です。
だから、あの地震による津波であれだけの被害が出てしまうのでは無いでしょうか。
過剰に備えることも考慮に値しますが、私達はその過剰さを無駄と言う言葉や合理主義によって排除してきた。
人間の驕りと言うものによって起きてしまった出来事だと考えます。
@@jubako-no-sumi-wo-tutuku 根っこが同じ…と言う部分には同意できます。
ただ、知性の貧困化…と言うにはまだそれ程私達の文明は時間を経ていないと感じますので、少々違和感があります。
また、原発の問題を政府の保証と安全性の説明不足と仰っておられる部分にも少々違和感があります。
何故なら説明すれば分かる…と言う根本の部分が非常に不確定要素に満ちている部分だと思うからです。
説明しても分からないと言う部分は、人として感覚が否定する部分(電力を作る為のエネルギーを原子力によって作り出すことへの違和感や、そうした行為への美醜と言った言葉では表しきれない要素)があるからです。感情と一言で言える問題では無い程に、そうした感覚の部分は私達の生活や社会を左右していると考えますし、事実リニア問題は、静岡県側のそうした感情の縺れが起因して居るように見えます。
私の思うところでは、日本に限らずだと思いますが、余りに振れ幅が大きい(様々な戦前戦後を見れば考え方や進む方向が180度変わってしまう)故に振れ幅がなかなか中道に戻らず大きく舵を切った分だけオツリも多い…そんなことが今の世の中が貧困に見える要素になっているのでは無いのだろうか…と。
では、最低限現状の電力供給を維持するためには火力の比率を高めることになる(再エネは現状、というかこれからも日本の気候、地理の面から、十分かつ安定的な供給にはなりえないので)と思いますが、それは同時に資源輸出国に自国の電源を握られることを意味しますよね。実際必ずしも資源を輸入できるとは限らないわけで。それだけでなく、火力依存を進めれば、今よりもはるかに高いコストプッシュインフレに巻き込まれ、経済を大混乱させ国民を疲弊させるリスクを高めることになります。そして後者が恐ろしいのは、確率が「千年に一度」どころか、OPECの値上げ声明だけで引き起こされることです。基本的に資源は彼等が握っており、今後もしばらく石油などの需要は高いのですから、彼等が容易に値上げを続けることは想像に難くないでしょう。核燃料の再処理や人間が完璧にコントロールできるという驕りめいた側面など、なんとなく核が怖いのは理解できなくもないですが、恐れるがあまり一つの資源だけに特化させて、自ら経済は勿論、安全保障上のリスクを高めようとするのは自滅に他ならないと思います。結果としては、福島の事件も引き受けて、原子力のリスクやそれを扱う人間の驕りを自覚しつつも原子力・火力・水力・その他をバランスよく組み合わせる震災以前の供給形態にならざるを得ないのではないでしょうか。原発を恐れるあまり、原発を停止して危うく停電になりかけたり、原発運転未経験が4割に登りもはや供給力が失われかけている現状を見ているとそう思います。