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当時の生放送の実況を覚えています。「日本の皆さん、大変なことになっています!」の後にマツダがトップ走行をしている映像が流れました。あのエンジン音が最高です❗
レギュレーション等の幸運もありましたが、決して棚ボタではなくMAZDAが勝つべくして勝った素晴らしいレースでしたね。当時はF1大好きなミーハーなホンダファンでしたが、この時ばかりは手に汗握りながらMAZDAを応援していたことを覚えています。数ヶ月後、あの787Bが日本で展示されるというので足を運んでみました。案の定凄い人だかりでしたが、行列の先頭の方では何やら時々歓声が上がっていました。その意味はすぐに分かりました。僕も友人も思わず「うおおおお!!」と言葉にならない叫びを上げてしまいました。その車両はレースを終えた直後のもの。つまりタイヤはボロボロ、ガラスやボディはオイルがベットリの「汚れたまんま」の状態だったのです!!マクラーレンのF1とか指紋一つないピカピカの車両は幾つも見てきましたが、そうじゃなく仕事を終えてボロクソの状態のままであえて展示するというMAZDAの粋な計らいに本当に背筋が震えました。今にも動き出しそうな、ルマンの空気やレース場の匂いまで伝わってきそうな雰囲気でしたよ。
モータースポーツ史上、最も感動した勝利は?と聞かれたら、それは間違いなくこの787Bの勝利のことだろう。
日本車のレジェンドカー。
日産R91CPのような国内最強のマシンだったら、こんなに感動はしなかったでしょうね。
@@miccobt4253 日産がディトナで優勝した時のチーム目線の動画があってそれはそれで感動するんだけど、マツダのそれとはちょっと違うんだよね。ttps://ruclips.net/video/2Wb9zc0Tf8Y/видео.html
@@aresama5942 最後までNPTとマッチレースになっていれば、価値が違ったと思う。でも、日本からたった1台(フロムエーもいたけど)で乗り込んでの偉業だから、良くやったとも思うね。
この数年後、表彰台に立てなかったハーバートの為にたった1人の表彰式を敢行。1番高い所に立つハーバートを見てマツダのスタッフが「俺達の長い宿題がやっと終わった」と呟いたそうです。
ゴール後失神したんだよね。
@@flogptp1153g 予定していた最終のドライバー交代を行わず、走り切った故の脱水症状。
2011年のル・マンでマツダがル・マン初優勝から20年、そして、たった1人の表彰式でスタッフの名言は泣けました🎵
@@山県新之助-q7l マツダ故の感動。トヨタではこうも感動しない。
@@aresama5942 ていうかトヨタの時と敵のレベルが違います。メルセデス、ジャガー、ポルシェ、etcしかしトヨタは「運営の徹底的なアウディ潰し(それまでアウディが強過ぎたから)、撤退のポルシェ」しかいねーもん。アウディに与える燃料はドンドン減らす運営。アウディがラリーで得たノウハウのシステムをひたすら禁止事項にそれでもハイブリッド解禁になった年「トヨタキター」と思わせて表彰台はアウディ最新式ディーゼルハイブリッド2台が1位2位、アウディ旧式クリーンディーゼルが3位(アウディ表彰台独占)トヨタのお家芸ハイブリッドはアウディのハイブリッドどころか、アウディの旧式ディーゼルにすら遠く及ばなかった。これでアウディに与える燃料をどんどん減らす運営。ポルシェ撤退。あんなの出来レースだわ。もうトヨタしか走ってねーのと同じだもん。
淡々としたナレーションで語るからこそシンプルにマツダの偉業への道のりがひしひしと伝わってきて、改めて感動しました。ニッサンファンやったんで、先越された感はありましたが、純粋な気持ちでうれしかったです🇯🇵
この時のマツダワークス体制のメンバーが凄くて、マツダのハンパない本気度がひしひし伝わってきます。ジャッキーイクスの名やドライバーのラインナップを見た時コレマジで優勝狙いに行ってるじゃんとすぐ分かりました
自分は岡山国際のマツダファンフェスタ、鈴鹿50周年、三次テストコースのデモランを間近に見て本当に4ローターサウンドは唯一無二で鳥肌が立ちっぱなしでシビれました。三次テストコースは寺田さんがデモランらしからぬ走りで圧倒されました。岡山では暖気の時の圧縮のなさそうなセルの音もサイコーでした。間近でロータリーサウンドは天にも昇る気分でした。
当時はテレ朝で生放送してましたね。ロータリーエンジンラストチャンスでの優勝本当に格好良かったです。
当時一般視聴者は時間遅れで放送されるテレビ中継に頼らざるを得なかったですが、今ならネットニュースやweb中継などで速報が入ってしまうので同じ状況に立ち会えたとしてもあの感動を味わえるかどうか・・・。
レナウンチャージカラーの787Bはほんとかっこいいですね。この印象的なアーガイル柄のデザインは、マツダのマシンが後方にいることが多く、マシンカラーリングも地味だったため、「せめてほかの方法で目立たなければ...」と考えたレナウン関係者が派手なオレンジと緑を組み合わせたカラーリングを考案したそうですね。そんなレナウンが破産したというニュースはショックでした。。
そのチャージカラーの787Bはミニカーやプラモデルはすぐに完売するほど人気があります。
タミヤのプラモデルやトミカの他にも、さまざまなスケールのミニカーが発売されていましたね。オートアートの1/18スケールミニカー再販して欲しいです。
グランツーリスモにもありましたね。マツダ787Bは。本当にインパクトのあるカラーリングでしたよ。
そして月日が流れ、そのスポンサーのレナウンはもう・・・。
@@manzaisi0215 ですね。残念だよ
787Bが全開走行しているのを、富士で行われたOPTION誌のイベントで見た。20年も前の話だ。ストレートで彷彿する、あの腹を突き抜ける音圧と、甲高いロータリーサウンドが、いまだに忘れられない。
「甲高い」と言ってもF1マシンのそれとも違う独特のものがありますねストレート全開の音だけで私ゃ泣けます
@@すももさん-x8g スロットル以外のバルブ機構を持たないエンジンですし、それがさらにペリフェラルですから、ダイレクトなN/A吸気音とエンジン内部と直結した隔たりのない排気音を、同時に聞けるのだと思います。高回転になればなるほどそれらがシンクロしてきます。
自分は小学校の修学旅行でマツダの工場見学をしたときに、見学コースの最後で787Bが展示してあったのを見たのが初めてです。ル・マン優勝したときのことはぜんぜん覚えていなくて、787Bのことも知らなかったですが、あの派手なレナウンカラーは後年になっても覚えていました。走っているところを見たのが、2017年に岡山国際サーキットで開かれたマツダファンフェスタでデモランがあると聞き、787B見たさで行ったのが初めてです。レーシングロータリーの咆哮は腹の底から震える感じがすごかったです。
今でも当時モンのゴールシーンとか見てたら涙しちゃいますね…やったことがものすごく偉大すぎて…
787Bのチャージカラーはスポンサーのレナウンから勝てないなら目立つカラーリングにしろと言われたが故という事ですが、私はこのカラーリングが大好きです😃実際のエンジン音は他のどのエンジンにも無いとても良い音ですよ😃
ロータリーエンジン独特のサウンドは本当に魂が震えますね。
FD乗ってましたが、2ローターは低い音でお世辞にもいい音とは言えなかったですが、何故おにぎりが2個増えるとあんなにキレイな音になるんでしょうね。
@@北超栓4ローターは、4人組 コーラスグループで例えれば『サーカス』ですね。(古い
787Bのエンジンサウンドは、全カテゴリーのモータースポーツで最も官能的な音だと思う。低回転域から高回転域まで滑らかに鳴り響く、本当のエンジンサウンドだと思う。ロータリーの素晴らしさだね。
会社という組織の大きさや経済力よりそれを支える人の意志と熱量によるものだと思う。会社というより人の勝利だった気がする。
マツダのルマンチャレンジは日本のみならず現地フランスでもファンが多いと聞いています。(特にロータリーエンジンのファンが)ルマン用ロータリーエンジンもC2カーの2ローター・GTPの3ローター・4ローターと進化していきパワー・トルクのみならず燃費も向上させていきました。(ついでに音も)そして動画内で説明されていた91年のルマン、メルセデスを自滅させるためペースアップを図ったマツダですが車重の有利もあって2秒どころか3秒上げても燃費はお釣りがくる程ゆとりがあったらしいですね。歓喜の表彰台の下にいた監督の大橋さんは隣にいたミスタールマン・寺田陽次郎さんに「お前をあのマシン(787B)に乗せてやれなくてすまん」と謝っていたそうです。実は寺田さん、優勝した3人のドライバーのロータリーエンジンの使い方の先生役だったそうです。(特にロータリー独自の燃費走行について)もし、寺田さんが先生役を引き受けてくれなかったらマツダのルマン制覇は無かったかもしれませんね・・・本当にありがとうございました!!
結果だけてはなくカラーリングも独特で派手で記録,記憶の両方で残る名車だと思います!
マツダが1992年にルマンに参加したMX-R01ですが、優勝こそ出来ませんでしたがロータリーばかりやっていたマツダがレシプロ(V型10気筒)エンジンで4位の成績を残したのは大したものだと思います。
このときはジャッドと契約していてベースはF1用に開発されたジャッドGVですから。(耐久レース用にあわせてリビルドした)元々、プライベーターへの市販を視野に開発してたんで撤退してなければマツダMV10シリーズとそして市販されてと考えると惜しいことした。
一時は確かトップを走りましたよね
当時表彰台に上がれなかったジョニー・ハーバートは数年後787B55号車で走行して一人の表彰式をしてもらった動画がRUclipsにありますよね
ラストチャンスで優勝かっさらってくとか、かっこよすぎだよね。
えーと、1つ追加。MAZDAが優勝した年、あるものが開発され、供給が始まっていたはずです。(後述)。 メルセデスとのマッチレースになったとき、アドバイザーだったJ・イクスがペースアップを提案したのには、MAZDA787BがメルセデスC11に対して車両重量が「軽い」(つまりあらゆる意味で負荷が小さい)という理由もあったと思いますが、もう1つ、理由があったはずです。 それが、前述の「あるもの」。 この年から、ブレンボはカーボンブレーキの競技車両への供給を開始していましたが、巨大且つ厚みがあるローターで、これを使用する車両について、タイヤハウス内の構造について指示書がついてくる、というものでした。で、ブレンボ側が出した「使用可能条件」 に対し、この年のルマン参戦車両で、唯一対応出来たのが787B で、「ブレーキシステムそのものでもアドバンテージがあった」 と思います。(当時の写真を見てみると判りますが、カーボンブレーキ独特の「車体の汚れ方」をしているのは、MAZDAのものだけだったりします)軽量で車両そのものの負荷が小さく、加えてブレーキシステムが強力なので他車よりもブレーキングポイントを深く取れ、制動距離も短くて済む上にフェード現象も起こりにくい。カテゴリの差異による重量のアドバンテージだけでなく、ブレーキシステムでメルセデスやジャガーといった強豪よりもよいものを使えていたからこそ、 「ペースを少し上げよう」 という提案をイクス氏はしたのでは、と私は思っています。双方ペースアップを狙おうとすると、直線部分でのトップスピードの差異はほぼ固定であり、そこから詰めるとすればコーナー部分のマージンを減らすしかない。 結果としてコーナーは、 「エンジンがより高回転で回っている」 1段上の速度域からの急減速を強いられる事になるわけで。既に痛めつけられているエンジンやトランスミッション、なによりもブレーキ(メルセデスC11はスチールだが、MAZDA 787Bはカーボン)に更に負荷がかかる事になり、耐えられなくなったどこかが壊れ始めるだろうという読みを、イクス氏は端からしていたんじゃないかな、と。 787Bがこの年、ルマンに参戦出来たのは本当に 「偶然」 だと思います。ですが、勝てたのは車両規定の変更、特に重量の規定に対するロビー活動だけではなく、 「きちんと勝つための努力と準備をしていた」 というところにあるんじゃないかな、と思います。
後日談だが、92年のルマンに前年優勝者としてマツダは新エンジン規定車で出場した。ロータリーエンジン禁止を理由に勝ち逃げすることも出来たがマツダはそうしなかった。91年参戦を認めて貰う代わりに92年も参戦することを約束させられたとも言われるが。92年のルマンは優勝候補筆頭はプジョーで対抗はトヨタマツダは準備不足でマシンの熟成は遅れていた。それでも序盤は雨の影響が残っていたこともあり、パワーで劣る車であったが優勝候補であるプジョーをコース上でブチ抜いてトップを奪い見せ場を作った。しかしながら、やはり熟成不足で詰まらないトラブルが出て徐々に後退、結果は表彰台目前の4位と振るわなかったが前年優勝者の面目は保った。そして92年を最後に実質的なマツダのルマン挑戦は幕を閉じた。
古谷一行さん主演でテレビドラマ化されましたね、奥様役は市毛良枝さんでした。ロータリーに掛けたエンジニア役の古谷一行さんが「夢の分かる人に傍にいてほしいんです」と言ってプロポーズするシーンが印象的でした。
当時、マツダさんは自前のモータースポーツ誌を刊行されていたのですが、90年のルマン後の誌面では、暗に91年は総合優勝する旨掲載されていたかと思います。91年は長年のファンの期待に応えてくれた最良のレースでした。本当に良い動画upありがとうございます。(4:06の車両ですが、ナレーションは767ですが、写っている車両はfinish lineカラーの787です。)
淡々と話してるけど…今も……世界に愛される13Bロータリーエンジン
当時、ある用事がありたまたま富士スピードウェイにいたところ桁違いに甲高い排気音が聞こえてきたとおもったら緑とオレンジに塗られたあの車両でした。ル・マンに出る数日前だったので最後のテストだったのかなと思います。ドライバーは寺田さんであの大きな方がペッタンコの車両から降りてきた時は???でした。笑あれから30数年経ちますがあの音はハッキリと耳に残ってます!
ぶっちゃけ他のCカーに比べて悲しいくらいに遅いけれど、本当に好きなマシンロータリーサウンドは地元の人に愛されていることが雑誌の観戦記でも触れられていた ルマン後にフランス国内の有料道路でチームが移動したらタダになったのも頷けるまた、日産関係者の人が「ウチが勝ってもあそこまで祝福されたかどうか…」と述べたという
900馬力1000馬力が当たり前な時代に700馬力だからね・・・耐久レースかつ他車が自滅しないと優勝できないマシン、そしてその唯一の優勝ルートをやりきったのがこの車
マツダとしてはエンジン回転数9000回転から1万回転まで上げて馬力を少しでも上げたかったけど、トランスミッションの耐久性が追い付かなくて断念したそうです。
その分ルマンではBOPで随分軽くさせてもらったんやなかったけ??
あのジャガー メルセデスをうっちゃっての大金星だったからなぁ...今のトヨタが不運なのはあっと驚くストーリー(no powerはあったけど)に乏しいのが残念。ヒロシマの町工場が作ったクルマがあのジャガーとメルセデスを打ち破った...で観客も大興奮大乱入で本当に盛り上がった。
まぁ、強引に鈴鹿から富士に開催権を奪っておきながら「やっぱりF1やめまーす」とかフェラーリからデータ盗み出させるとか、WRCでは違法のリストラクターで勝とうとしたとか、JTCCでは、自分らに都合のいいようなレギュレーションに変更させたりとか・・・とにかく、『黒い』からファンからは応援されない。
色々な意味と思惑も加味して、787Bは最高のパッケージングデザインの名車だと思います。TWRが絡んだ後のクルマには魅力を感じませんね。リアルタイムでテレ朝の中継番組を寝ずに観ていました。ジワジワと来るワクワク感は未だに忘れません。
自分は91年最終型のFCに乗っていました。…787Bの優勝した年に登録されたFC、ロータリーエンジンに乗れた事は自分にとってホントに光栄で、誇りでもありました。もう一度、FC、FDに乗りたいですね〜
787Bのレースは見たことありませんが、数年前にデモ走行は見たことがあります。 4ローターの爆音で圧倒していましたが、どこか王者の風格が感じられました。今では日本車が優勝するのは不思議ではなくなりましたが、当時ルマンで日本のしかもロータリーが優勝するとは不思議な感覚でした。
馬力が全てを支配するのでは無く、「バランス」の良いマシンが結果を残すいい例。リアルタイムで見ていたが、興奮もせずじっと見ていた自分を思い出す。当時日産のディーラー勤だったけど、一度も応援した事が無いっ!(メーカーからは押し付けみたいに応援するようにと放映時間を配布された。販売店に何の関係がっ?って思う人間は結構いた)
当時小学生だったが、熱い熱い感動親父と分かち合った思い出(笑)。
長男がMAZDAの車両研究開発部に就職しました。カートレーサーだったこともあり787Bを超えるレーシングマシンの開発に携わりたいと申しております。きっとやり遂げてくれるでしょう。
個人的にMAZDAスピードとSUZUKIスポーツは永久に不滅、永久欠番です
東京モーターショーで参考出品されたAZ-550 Sports(後のAZ-1)のコンセプトモデルのTYPE-CがモロにGr.Cカーライクで、経営陣がGOサインを出していたらチャージカラーの限定モデルが出ていたかもしれないなと思ったものです(実際に市販されたのはTYPE-A=我々の良く見るAZ-1)。
本当にドラマティックな勝利だよね。
ロータリー大好きです!動画とテレビで見ましたが、NAならではの甲高いロータリーサウンド、最高に恰好良いですね!FD買う寸前迄いきましたが、事情により購入を断念しました。また、市販車、ル・マンのハイパーカーで復活して貰いたいと願うファンは多いのでは?
その当時 テレビ見てて泣きました(泣)
J・イクスまで起用して走ること以外の、事前のロビー活動が功を奏した。車両規定がIMSA GTPのままで、他のC1と同じ重量規定なら走り切れなかったと思う.レース後半、トム・ウォーキンショウが、大橋監督の所へ来て「大橋、このペースで最後まで走るのか?」と言ってきたらしい。そう言えば、後のMXーR01は中身はXJR-14だったな。
787Bが死にものぐるいで追いすがってもC11は後ろのペースを見ながら一定の差をキープする状況でしたからね。本社は表彰台に立てる位置なんで攻めて無理するより現状キープ。イクスがラップあたり1秒のペースアップを提言するんですよね。ドイツメーカーはライバルの戦意を挫いた上での勝利にこだわるから1秒ペースアップすればあいては3秒のペースアップして戦意を降りに来るだからこそチャンスはあると。で大橋監督は決断。本社の意向よりも最後のチャンスに攻めることを決断。イクスの提言通りC11は悲鳴をあげた。
返信感謝です。メルセデス・ジャガー陣営は「やられた」、日産・トヨタ「・・・」だったでしょうね。挑戦し続ける事で、勝利の女神に会う事が出来た、典型的な事例。MAZDA254時代から見ていたのでので、あの時は感無量でした。
F1の、総合優勝も、価値あるけど、一勝に秘める価値は、ルマンの方が上だね。他社にはない、マツダ魂は、唯一無二。レースに懸ける意気込みは、日本メーカーの中では、一番ですね。
MX-R01に変わった時も、表彰台には上がれませんでしたが、総合4位だったので、すごいと思います
今まで世に出たクルマで1台だけ自分のモノにして公道含めて好き勝手に走ってよい..といわれたら、私ゃマツダ787Bを選びます
私はブガッティ・ボライドですね
私はティレル022
賛成!実は、プロトタイプカー(Cカー)言うだけあって、ブレーキランプどころかウインカーもあるから、路上も大丈夫(笑)
ポルシェ・962Cがナンバー取得して公道を走った例もありますので、100%ムリではないと思いますね(・∀・)
良い条件を勝ち取ったMAZDAの交渉勝ち!!
ルマン総合優勝ってどれ位凄いことなんだろうか。ツール・ド・フランスで日本人が総合優勝するみたいなものかな。だとしたらもっとマツダは持ち上げられるべきだわ。
すばらしい解説ですね、ただし 11:06 【日本車が初の】が抜けてるのが残念❣マン島TTレースやF1のホンダ初優勝と並ぶ誰もが想定外の偉業ですね。意表を突かれた大歓喜、思わぬ歓喜は普通よりも数倍増するもので、その頃に居合わせた当時観戦者は幸せ者ですね。余談ですが、ローターリーバイクも乗ってみたい❣
あの当時日本車はメルセデス・ジャガー・ポルシェ・プジョーを相手に勝てないと言われた。ロータリーエンジン最後の挑戦で勝利し日本のモータースポーツが大きく変わりました。
84年のWECinJAPANで、マーチ84G/13Bターボがタービンブローし、派手な白煙を上げてリタイアしたのが記憶に残ります。NAのロータリーは厳しいか?と思っていましたが最後に優勝、ニュースを聞いた時には泣きそうになりました。
マツダの本社が優勝を予想してなかったのか、優勝後の新聞の全面広告の準備をしてなくて、結局はジャガーに出してもらったんだよね?
このマツダ(マツダオート東京)の活躍を大河ドラマにしてほしい。私が生きている間に。
有終の美、天使のほほえみということばは、ル・マンを征したマツダ関係者と787Bのためにあると思っています。それまでの苦労は並ではありませんでした。そして一番素晴らしいのは、メインのマシンに(たぶん)あえて乗らなかったMr.ル・マンの寺田氏かと。
この優勝は、自分たちに有利な重量レギュレーションを得た部分も込みで、義務教育の教科書に載せて欲しい。ロビー活動の重要性、いつかは勝つために今は負け続けることの我慢と、ホントに勝てるチャンスが来た時にリスクを承知の上でそれを跳ねのけて挑むだけの自信を身につけること。マツダのル・マン制覇までの歴史は学べることがたくさんあると思います。
メルセデス・ベンツが潰れてマツダがスタンドのストレートに戻って来たときものすごい歓声だったとか。メルセデス、相当嫌われてたんだな。
今でも嫌われてますよねぇ、ハミルトンさん?(遠い目)
近年のトヨタのル・マン優勝(笑)では全く得られなかった感動があったよね強力なライバルを打ち倒しての優勝だからね
いつまで30年前のたった一勝でイキってんだか…
順調に走りきれば確定で勝利と駆け引きの末の勝利じゃまぁ得られるものは違うわなとトヨタの勝利が凄くないかっていうとそうでは無いけどね
ポルシェやアウディに勝てるチャンスがあんのに、不調なポルシェよりタイムに全然余裕あんのに謎の猛プッシュかけてオーバーランしてマシンがダメージ負ってその後の平均タイム落とした可夢偉とか、なにやってんだって感じでしたからねえ。
トヨタ一強を揶揄する奴は多いが、ルマンの格式を保っているのもトヨタです。トップカテゴリーがワークス不在になったら、もはやただの草レースですから。
@@阿井宇恵男 日産の関係者ですか?
省燃費性はMr.ル・マンこと寺田 陽次郎氏がロータリーエンジンの特性を活かした「エンブレ効き悪り〜走法」によるものかと思われます市販ロータリーでも有効です軽さはタイヤの負担減に差がついたんじゃないかな?
よく誤解されがちなのは明確にロータリーが禁止されたという解釈だけど、実際はSWCの3.5L NAへの統一で結果的にロータリーが禁止になったという話なんだよね
26Bロータリーエンジンは、組み立てる人によってパワーが違い700馬力を出せるエンジンを組み立てられるのは社内でも唯一人のエンジニアだと言われています本番前のテストで、そのエンジンをトラブルで失ってしまい、決勝はスペアのエンジンで戦う事にパワーで劣るスペアエンジンでは優勝は難しい、これも欠場検討要因の一つと言われています。結果スペアエンジンで優勝出来たのですから、本当にバランスの良いシャーシだったのだなと思います。
エンジン組むやつ変わればパワー変わるのはレシプロでも同じロータリー云々関係ない
これこそいろいろな意味で、本物の伝説だよね!「#55レナウンカラー」の787Bは世に相当知れ渡っているのでは?
★もう一台の白青の方のカラーリングが好きでミニカー持ってます👍👍👍👍👍👌個人的に見た目はこの優勝したマシンより前の型のほうが好きです。エンジン音はやっぱり名車なこっち👍🎵この音はF1よりトヨタやホンダエンジンを搭載したチャンプカーに似ているかも。
767ですね。
@@aresama5942 ハイ👍89年の767ともう2台は91年の787と。87"年の757でこちらは3ロータリーを積んでました。(後のJGTCでRX-7にもGT向けの応用型が積まれてました)
MAZDA 787Bは当時読んでたアスキーのLogin誌のステッカーが貼ってあった。あのおバカ系PCゲーム雑誌がスポンサーになるとはw
この年の重量規制が、せめてマツダに有利になるように、不参加のトヨタと日産の陣営がハンデ軽減に一役買ったのも泣かす
ジャガーvsワークスポルシェが見たいですね〜
結果もそうでしたが。独特のカラーリングが凄くて記憶と記録に残る名車だとおもいますね。で、何気に動態保存されていてイベント時に時々動いていたりするからね。本当に今はマツダもロータリーエンジンプロジェクトはどうなっているのかわからないけれど水素ロータリーエンジン搭載のマシンでルマンないしは全日本耐久で走る姿をみたいですね。まあ、ロータリーエンジンでなくてもいいけれど。で、マツダ自身はマツダUSAがIMPSに参戦してデイトナ24時間やセブリンク12時間で活躍してるのでうれしいね。日本のマツダも世界耐久選手権に参加してくれたらうれしいね。トヨタが頑張ってるけれどこれにマツダも加われば観戦するファンにはワクテカですしね。特にトップカテゴリーは実質トヨタの一強状態ですしね。
ここでは触れられていませんが、前年90年の惨敗のお陰で、翌年も最低重量が830kgのままで良いとされたのも見逃せません。マイケル・コットンはオートスポーツ(日)の90年ル・マン総括コラムで、「マツダ787にも勝つチャンスはあった」としっかり見抜いていました。日産のシミュレーションでも最も有利なのはマツダという分析が出来ていたけど、「その時はまさかね(笑)」と侮って頂けたようです(≒ジャガーやメルセデスやプジョーもそう思った事でしょう)。まさに、禍福はあざなえる縄の如し。
昔付き合ってた彼女が筑波サーキットの近くに住んでまして。彼女の家で良い感じのムードになってる時に爆音が聞こえてうるせぇな!って思ってたらイベントで筑波に来ていた787の音だった!なんて事がありました💦787見ると別れたその彼女を思い出します(^_^;)
貴方の腰振りもロータリーエンジン並みにスムーズな動きだったのでしょうか?(笑)
17回目の参加で初優勝って実はポルシェよりも早いんだよね。
すげいすごすぎる😊
一言で言うと、マツダのグループCカーはどれもカッコいいです。
8:52 この年のSWCは予選グリッドの配置も大きく変更となり、新規定のC1が前、旧規定のC2が後ろの配置(仮に、C2がC1のタイムを上回ってもグリッドが前になることはない)だったので、無理はさせなかったのも一理ある気がする…
あの頃はモータースポーツ人気が日本を席巻してましたね。ル・マン テレ朝、F1 フジ、インディ TBS
マツダ総合優勝と即刻、大々的にCM打つかと思いきや、なかなかCMが出なくて、あれ?マツダ、優勝すると思ってなかったな!と。当時を思い出します。
昔にタミヤのCカーシリーズのラジコンを持っててこのチャージカラーのオレンジを弟が赤で制作して喧嘩になったなぁ(笑)お前、赤とか。ナメとんか!!と。離島でネット環境もなく、パーツやスプレー買うにはフェリーやバス乗り継がないと駄目な田舎で貴重なボディに赤とか(笑)
これはレギュレーション変更で「最後くらいREに勝たしてやるか」の八百長レースのうわさが飛びました。
メルセデスやジャガーが、そんな話に乗るかどうかは普通に考えたらわかること。
@@aresama5942 常勝メーカーの余裕ですよ。
@@興亜一心 ???
ホンダと違ってちゃんと交渉して許可されたんだよ。
ちゃんと許可とってるから八百長ではないけど、随分軽くしてもらって有利にしてもらえたのは事実。
いいねが787なので押せない。
優勝してなかったら今のMAZDAじゃオークションに出して個人の手に渡ってるだろうな
767はマツダのディーラーさんが数年かけてレストアされました。254iはマツダが放出して今は個人オーナーさんの元で余生を送っています。
RENOWNも今は無く😢
1991のエントリーに、翌年92年のSWC参戦が条件ってのも噂だったり…それと、1992年のルマンはあえて4位という結果に終わらせて撤退したという話もありましたね。
優勝したから来年も来てねって話じゃ?
本当かどうかは闇の中だけど、ヨーロッパの各メーカーと日本メーカー等が色々難癖を付けてMAZDAを追い出したと聞いたことがある。本当かな?ちなみに787Bはマツダ本社工場のエントランスに実動保存されていますよ
動態保存どころか、様々なイベントで走ってます。
難癖つけるも何もマツダが全然ダメダメだった時代にロータリー廃止は決定してますよ。ロータリーが出場できる最後の年だったからこそ伝説になったのです。ホンダのターボやスキージャンプやバサロ泳法もそうですが強すぎたので潰された的な陰謀みたいなのは根強く信じられますね。
そりゃ、運営がマツダだけあれだけ軽くして有利にしたから他メーカーもマツダというより運営に文句の一つも言いたくなるわ、公平にしろ、と。
787Bのレース前のテストデーってあるけど、テストデーじゃなくて、ヘレスのプライベートテストのこと撤退も、ヘレスのプライベートテストを中止して撤退することを検討しただけで、本選のことじゃないのに、あのベストカーのオレカの意訳を真に受けた?
全て欧州有利の条件に変更された気がします😥F-1もそうだけど、日本車が勝つのが欧州にとってはつまらないんでしょうね😅
SWCのレギュ変更に関しては欧州有利関係ないでしょF1の煽りくらっただけで
@@ddaa8523 そうなんですね、教えて頂きありがとうございます😊
@@そうまとふうまのパパ 正直マツダは全く優勝候補とかじゃ無かったし、むしろ旧規定での参戦が許されたり意外と気を使われてたwホントに速かったら他のチームとかメーカーに抗議されて参戦すら認められず、おっしゃる通りの嫌がらせされてたかもしれないけどね。
F1のターボ禁止もホンダ潰しって言われてるけど、前年から決まってた話をさもそのようにいう奴がいる。
@@そうまとふうまのパパ 逆にBoPでマツダはライバルより随分軽くさせてもらえたんやで。ジャッキーイクスだったかがオフィシャルと交渉してなんとかしたのよ。BOPなしでライバルと同じ重量なら勝ち目はなかったよ。
マツダではなくマツダスピード
めんどくさ。
@@aresama5942 ですね、我ながら。でもそこは譲れんのです。
ヒロポンチャンネルで見たわ
マツダの偉業にケチつけるつもりは一切ないけど、マツダ787Bが830kg、ジャガーXJR-12が900kg、メルセデスC11が1000kg と最低重量レギュレーションがマツダの勝因として非常に大きい。
その830キロを勝ち取ったのは、マツダ(大橋監督だったかな?)の交渉術です。
91年ってトヨタ日産はいなかったんかなMXR-01はなんで勝てなかったんかな中身XJR-14なのに
エンジンが決定的に違う
@@dabaaba2644 パワーが無さすぎたってこと?
@@ひかる-e7e MX-R01 は鈴鹿で見た事あるけど、シャシーは XJR-14 そのものだけどエンジンがマツダとジャッドの共同開発でした。当時マツダはSWCからの撤退を決めていたし、シャシーとエンジンのバランスも良くなかったものと思われます。実際に鈴鹿での予選タイムも、当時のプジョー 905 やトヨタ TS-010 と比べて、少し遅かったと記憶してます。
@@happy-tz6gm 確か鈴鹿1000キロの予選で、プジョーより10秒くらい遅かったと思います。雨のルマンでは、ハイダウンフォースの利点を活かして、序盤にプジョー、トヨタをごぼう抜きしたのは気持ち良かったですけどね^ ^
ロータリーは排気量計算が既にインチキだからね(笑)その辺スルーして話してる人間だらけなのが情けない事実だ
当時の生放送の実況を覚えています。
「日本の皆さん、大変なことになっています!」の後にマツダがトップ走行をしている映像が流れました。
あのエンジン音が最高です❗
レギュレーション等の幸運もありましたが、決して棚ボタではなくMAZDAが勝つべくして勝った素晴らしいレースでしたね。当時はF1大好きなミーハーなホンダファンでしたが、この時ばかりは手に汗握りながらMAZDAを応援していたことを覚えています。
数ヶ月後、あの787Bが日本で展示されるというので足を運んでみました。案の定凄い人だかりでしたが、行列の先頭の方では何やら時々歓声が上がっていました。その意味はすぐに分かりました。僕も友人も思わず「うおおおお!!」と言葉にならない叫びを上げてしまいました。
その車両はレースを終えた直後のもの。つまりタイヤはボロボロ、ガラスやボディはオイルがベットリの「汚れたまんま」の状態だったのです!!
マクラーレンのF1とか指紋一つないピカピカの車両は幾つも見てきましたが、そうじゃなく仕事を終えてボロクソの状態のままであえて展示するというMAZDAの粋な計らいに本当に背筋が震えました。今にも動き出しそうな、ルマンの空気やレース場の匂いまで伝わってきそうな雰囲気でしたよ。
モータースポーツ史上、最も感動した勝利は?と聞かれたら、それは間違いなくこの787Bの勝利のことだろう。
日本車のレジェンドカー。
日産R91CPのような国内最強のマシンだったら、こんなに感動はしなかったでしょうね。
@@miccobt4253 日産がディトナで優勝した時のチーム目線の動画があってそれはそれで感動するんだけど、マツダのそれとはちょっと違うんだよね。
ttps://ruclips.net/video/2Wb9zc0Tf8Y/видео.html
@@aresama5942
最後までNPTとマッチレースになっていれば、価値が違ったと思う。
でも、日本からたった1台(フロムエーもいたけど)で乗り込んでの偉業だから、良くやったとも思うね。
この数年後、
表彰台に立てなかったハーバートの為にたった1人の表彰式を敢行。
1番高い所に立つハーバートを見て
マツダのスタッフが
「俺達の長い宿題がやっと終わった」と呟いたそうです。
ゴール後失神したんだよね。
@@flogptp1153g 予定していた最終のドライバー交代を行わず、走り切った故の脱水症状。
2011年のル・マンでマツダが
ル・マン初優勝から20年、
そして、たった1人の表彰式で
スタッフの名言は泣けました🎵
@@山県新之助-q7l マツダ故の感動。
トヨタではこうも感動しない。
@@aresama5942 ていうかトヨタの時と敵のレベルが違います。メルセデス、ジャガー、ポルシェ、etc
しかしトヨタは
「運営の徹底的なアウディ潰し(それまでアウディが強過ぎたから)、撤退のポルシェ」
しかいねーもん。アウディに与える燃料はドンドン減らす運営。アウディがラリーで得たノウハウのシステムをひたすら禁止事項に
それでもハイブリッド解禁になった年「トヨタキター」と思わせて表彰台は
アウディ最新式ディーゼルハイブリッド2台が1位2位、アウディ旧式クリーンディーゼルが3位(アウディ表彰台独占)
トヨタのお家芸ハイブリッドはアウディのハイブリッドどころか、アウディの旧式ディーゼルにすら遠く及ばなかった。
これでアウディに与える燃料をどんどん減らす運営。ポルシェ撤退。
あんなの出来レースだわ。もうトヨタしか走ってねーのと同じだもん。
淡々としたナレーションで語るからこそシンプルにマツダの偉業への道のりがひしひしと伝わってきて、改めて感動しました。ニッサンファンやったんで、先越された感はありましたが、純粋な気持ちでうれしかったです🇯🇵
この時のマツダワークス体制のメンバーが凄くて、マツダのハンパない本気度がひしひし伝わってきます。
ジャッキーイクスの名やドライバーのラインナップを見た時コレマジで優勝狙いに行ってるじゃんとすぐ分かりました
自分は岡山国際のマツダファンフェスタ、鈴鹿50周年、三次テストコースのデモランを間近に見て本当に4ローターサウンドは唯一無二で鳥肌が立ちっぱなしでシビれました。三次テストコースは寺田さんがデモランらしからぬ走りで圧倒されました。岡山では暖気の時の圧縮のなさそうなセルの音もサイコーでした。間近でロータリーサウンドは天にも昇る気分でした。
当時はテレ朝で生放送してましたね。ロータリーエンジンラストチャンスでの優勝本当に格好良かったです。
当時一般視聴者は時間遅れで放送されるテレビ中継に頼らざるを得なかったですが、今ならネットニュースやweb中継などで速報が入ってしまうので同じ状況に立ち会えたとしてもあの感動を味わえるかどうか・・・。
レナウンチャージカラーの787Bはほんとかっこいいですね。
この印象的なアーガイル柄のデザインは、マツダのマシンが後方にいることが多く、
マシンカラーリングも地味だったため、「せめてほかの方法で目立たなければ...」と
考えたレナウン関係者が派手なオレンジと緑を組み合わせたカラーリングを考案したそうですね。
そんなレナウンが破産したというニュースはショックでした。。
そのチャージカラーの787Bはミニカーやプラモデルはすぐに完売するほど人気があります。
タミヤのプラモデルやトミカの他にも、さまざまなスケールのミニカーが発売されていましたね。
オートアートの1/18スケールミニカー再販して欲しいです。
グランツーリスモにもありましたね。マツダ787Bは。本当にインパクトのあるカラーリングでしたよ。
そして月日が流れ、そのスポンサーのレナウンはもう・・・。
@@manzaisi0215 ですね。残念だよ
787Bが全開走行しているのを、富士で行われたOPTION誌のイベントで見た。20年も前の話だ。
ストレートで彷彿する、あの腹を突き抜ける音圧と、甲高いロータリーサウンドが、いまだに忘れられない。
「甲高い」と言ってもF1マシンのそれとも違う独特のものがありますね
ストレート全開の音だけで私ゃ泣けます
@@すももさん-x8g スロットル以外のバルブ機構を持たないエンジンですし、それがさらにペリフェラルですから、ダイレクトなN/A吸気音とエンジン内部と直結した隔たりのない排気音を、同時に聞けるのだと思います。高回転になればなるほどそれらがシンクロしてきます。
自分は小学校の修学旅行でマツダの工場見学をしたときに、見学コースの最後で787Bが展示してあったのを見たのが初めてです。
ル・マン優勝したときのことはぜんぜん覚えていなくて、787Bのことも知らなかったですが、あの派手なレナウンカラーは後年になっても覚えていました。
走っているところを見たのが、2017年に岡山国際サーキットで開かれたマツダファンフェスタでデモランがあると聞き、787B見たさで行ったのが初めてです。
レーシングロータリーの咆哮は腹の底から震える感じがすごかったです。
今でも当時モンのゴールシーンとか見てたら涙しちゃいますね…やったことがものすごく偉大すぎて…
787Bのチャージカラーはスポンサーのレナウンから勝てないなら目立つカラーリングにしろと言われたが故という事ですが、私はこのカラーリングが大好きです😃
実際のエンジン音は他のどのエンジンにも無いとても良い音ですよ😃
ロータリーエンジン独特のサウンドは本当に魂が震えますね。
FD乗ってましたが、2ローターは低い音でお世辞にもいい音とは言えなかったですが、何故おにぎりが2個増えるとあんなにキレイな音になるんでしょうね。
@@北超栓4ローターは、4人組 コーラスグループで例えれば『サーカス』ですね。(古い
787Bのエンジンサウンドは、全カテゴリーのモータースポーツで最も官能的な音だと思う。低回転域から高回転域まで滑らかに鳴り響く、本当のエンジンサウンドだと思う。ロータリーの素晴らしさだね。
会社という組織の大きさや経済力よりそれを支える人の意志と熱量によるものだと思う。会社というより人の勝利だった気がする。
マツダのルマンチャレンジは日本のみならず現地フランスでもファンが多いと聞いています。(特にロータリーエンジンのファンが)
ルマン用ロータリーエンジンもC2カーの2ローター・GTPの3ローター・4ローターと進化していきパワー・トルクのみならず燃費も向上させていきました。(ついでに音も)
そして動画内で説明されていた91年のルマン、メルセデスを自滅させるためペースアップを図ったマツダですが車重の有利もあって2秒どころか3秒上げても燃費はお釣りがくる程ゆとりがあったらしいですね。
歓喜の表彰台の下にいた監督の大橋さんは隣にいたミスタールマン・寺田陽次郎さんに「お前をあのマシン(787B)に乗せてやれなくてすまん」と謝っていたそうです。
実は寺田さん、優勝した3人のドライバーのロータリーエンジンの使い方の先生役だったそうです。(特にロータリー独自の燃費走行について)
もし、寺田さんが先生役を引き受けてくれなかったらマツダのルマン制覇は無かったかもしれませんね・・・本当にありがとうございました!!
結果だけてはなくカラーリングも独特で派手で記録,記憶の両方で残る名車だと思います!
マツダが1992年にルマンに参加したMX-R01ですが、優勝こそ出来ませんでしたがロータリーばかりやっていたマツダがレシプロ(V型10気筒)エンジンで4位の成績を残したのは大したものだと思います。
このときはジャッドと契約していてベースはF1用に開発されたジャッドGVですから。(耐久レース用にあわせてリビルドした)
元々、プライベーターへの市販を視野に開発してたんで撤退してなければマツダMV10シリーズとそして市販されてと考えると惜しいことした。
一時は確かトップを走りましたよね
当時表彰台に上がれなかったジョニー・ハーバートは数年後787B55号車で走行して
一人の表彰式をしてもらった動画がRUclipsにありますよね
ラストチャンスで優勝かっさらってくとか、かっこよすぎだよね。
えーと、1つ追加。
MAZDAが優勝した年、あるものが開発され、供給が始まっていたはずです。(後述)。
メルセデスとのマッチレースになったとき、アドバイザーだったJ・イクスがペースアップを提案したのには、MAZDA787BがメルセデスC11に対して車両重量が「軽い」(つまりあらゆる意味で負荷が小さい)という理由もあったと思いますが、もう1つ、理由があったはずです。 それが、前述の「あるもの」。
この年から、ブレンボはカーボンブレーキの競技車両への供給を開始していましたが、巨大且つ厚みがあるローターで、これを使用する車両について、タイヤハウス内の構造について指示書がついてくる、というものでした。
で、ブレンボ側が出した「使用可能条件」 に対し、この年のルマン参戦車両で、唯一対応出来たのが787B で、「ブレーキシステムそのものでもアドバンテージがあった」 と思います。
(当時の写真を見てみると判りますが、カーボンブレーキ独特の「車体の汚れ方」をしているのは、MAZDAのものだけだったりします)
軽量で車両そのものの負荷が小さく、加えてブレーキシステムが強力なので他車よりもブレーキングポイントを深く取れ、制動距離も短くて済む上にフェード現象も起こりにくい。
カテゴリの差異による重量のアドバンテージだけでなく、ブレーキシステムでメルセデスやジャガーといった強豪よりもよいものを使えていたからこそ、 「ペースを少し上げよう」 という提案をイクス氏はしたのでは、と私は思っています。
双方ペースアップを狙おうとすると、直線部分でのトップスピードの差異はほぼ固定であり、そこから詰めるとすればコーナー部分のマージンを減らすしかない。
結果としてコーナーは、 「エンジンがより高回転で回っている」 1段上の速度域からの急減速を強いられる事になるわけで。
既に痛めつけられているエンジンやトランスミッション、なによりもブレーキ(メルセデスC11はスチールだが、MAZDA 787Bはカーボン)に更に負荷がかかる事になり、耐えられなくなったどこかが壊れ始めるだろうという読みを、イクス氏は端からしていたんじゃないかな、と。
787Bがこの年、ルマンに参戦出来たのは本当に 「偶然」 だと思います。
ですが、勝てたのは車両規定の変更、特に重量の規定に対するロビー活動だけではなく、 「きちんと勝つための努力と準備をしていた」 というところにあるんじゃないかな、と思います。
後日談だが、92年のルマンに前年優勝者としてマツダは新エンジン規定車で出場した。
ロータリーエンジン禁止を理由に勝ち逃げすることも出来たがマツダはそうしなかった。
91年参戦を認めて貰う代わりに92年も参戦することを約束させられたとも言われるが。
92年のルマンは優勝候補筆頭はプジョーで対抗はトヨタ
マツダは準備不足でマシンの熟成は遅れていた。
それでも序盤は雨の影響が残っていたこともあり、パワーで劣る車であったが優勝候補であるプジョーをコース上でブチ抜いてトップを奪い見せ場を作った。
しかしながら、やはり熟成不足で詰まらないトラブルが出て徐々に後退、結果は表彰台目前の4位と振るわなかったが前年優勝者の面目は保った。
そして92年を最後に実質的なマツダのルマン挑戦は幕を閉じた。
古谷一行さん主演でテレビドラマ化されましたね、奥様役は市毛良枝さんでした。ロータリーに掛けたエンジニア役の古谷一行さんが「夢の分かる人に傍にいてほしいんです」と言ってプロポーズするシーンが印象的でした。
当時、マツダさんは自前のモータースポーツ誌を刊行されていたのですが、90年のルマン後の誌面では、暗に91年は総合優勝する旨掲載されていたかと思います。91年は長年のファンの期待に応えてくれた最良のレースでした。本当に良い動画upありがとうございます。(4:06の車両ですが、ナレーションは767ですが、写っている車両はfinish lineカラーの787です。)
淡々と話してるけど…
今も……
世界に愛される13B
ロータリーエンジン
当時、ある用事がありたまたま富士スピードウェイにいたところ桁違いに甲高い排気音が聞こえてきたとおもったら緑とオレンジに塗られたあの車両でした。
ル・マンに出る数日前だったので最後のテストだったのかなと思います。
ドライバーは寺田さんであの大きな方がペッタンコの
車両から降りてきた時は???でした。笑
あれから30数年経ちますがあの音はハッキリと耳に残ってます!
ぶっちゃけ他のCカーに比べて悲しいくらいに遅いけれど、本当に好きなマシン
ロータリーサウンドは地元の人に愛されていることが雑誌の観戦記でも触れられていた ルマン後にフランス国内の有料道路でチームが移動したらタダになったのも頷ける
また、日産関係者の人が「ウチが勝ってもあそこまで祝福されたかどうか…」と述べたという
900馬力1000馬力が当たり前な時代に700馬力だからね・・・
耐久レースかつ他車が自滅しないと優勝できないマシン、そしてその唯一の優勝ルートをやりきったのがこの車
マツダとしてはエンジン回転数9000回転から1万回転まで上げて馬力を少しでも上げたかったけど、トランスミッションの耐久性が追い付かなくて断念したそうです。
その分ルマンではBOPで随分軽くさせてもらったんやなかったけ??
あのジャガー メルセデスをうっちゃっての大金星だったからなぁ...今のトヨタが不運なのはあっと驚くストーリー(no powerはあったけど)に乏しいのが残念。ヒロシマの町工場が作ったクルマがあのジャガーとメルセデスを打ち破った...で観客も大興奮大乱入で本当に盛り上がった。
まぁ、強引に鈴鹿から富士に開催権を奪っておきながら「やっぱりF1やめまーす」とかフェラーリからデータ盗み出させるとか、WRCでは違法のリストラクターで勝とうとしたとか、JTCCでは、自分らに都合のいいようなレギュレーションに変更させたりとか・・・
とにかく、『黒い』からファンからは応援されない。
色々な意味と思惑も加味して、787Bは最高のパッケージングデザインの名車だと思います。TWRが絡んだ後のクルマには魅力を感じませんね。
リアルタイムでテレ朝の中継番組を寝ずに観ていました。ジワジワと来るワクワク感は未だに忘れません。
自分は91年最終型のFCに乗っていました。
…787Bの優勝した年に登録されたFC、ロータリーエンジンに乗れた事は自分にとってホントに光栄で、誇りでもありました。
もう一度、FC、FDに乗りたいですね〜
787Bのレースは見たことありませんが、数年前にデモ走行は見たことがあります。
4ローターの爆音で圧倒していましたが、どこか王者の風格が感じられました。
今では日本車が優勝するのは不思議ではなくなりましたが、
当時ルマンで日本のしかもロータリーが優勝するとは不思議な感覚でした。
馬力が全てを支配するのでは無く、「バランス」の良いマシンが結果を残すいい例。リアルタイムで見ていたが、興奮もせずじっと見ていた自分を思い出す。当時日産のディーラー勤だったけど、一度も応援した事が無いっ!(メーカーからは押し付けみたいに応援するようにと放映時間を配布された。販売店に何の関係がっ?って思う人間は結構いた)
当時小学生だったが、熱い熱い感動親父と分かち合った思い出(笑)。
長男がMAZDAの車両研究開発部に就職しました。カートレーサーだったこともあり787Bを超えるレーシングマシンの開発に携わりたいと申しております。
きっとやり遂げてくれるでしょう。
個人的にMAZDAスピードとSUZUKIスポーツは永久に不滅、永久欠番です
東京モーターショーで参考出品されたAZ-550 Sports(後のAZ-1)のコンセプトモデルのTYPE-CがモロにGr.Cカーライクで、経営陣がGOサインを出していたらチャージカラーの限定モデルが出ていたかもしれないなと思ったものです(実際に市販されたのはTYPE-A=我々の良く見るAZ-1)。
本当にドラマティックな勝利だよね。
ロータリー大好きです!動画とテレビで見ましたが、NAならではの甲高いロータリーサウンド、最高に恰好良いですね!FD買う寸前迄いきましたが、事情により購入を断念しました。また、市販車、ル・マンのハイパーカーで復活して貰いたいと願うファンは多いのでは?
その当時 テレビ見てて泣きました(泣)
J・イクスまで起用して走ること以外の、事前のロビー活動が功を奏した。車両規定がIMSA GTPのままで、他のC1と同じ重量規定なら走り切れなかったと思う.レース後半、トム・ウォーキンショウが、大橋監督の所へ来て「大橋、このペースで最後まで走るのか?」と言ってきたらしい。そう言えば、後のMXーR01は中身はXJR-14だったな。
787Bが死にものぐるいで追いすがってもC11は後ろのペースを見ながら一定の差をキープする状況でしたからね。
本社は表彰台に立てる位置なんで攻めて無理するより現状キープ。
イクスがラップあたり1秒のペースアップを提言するんですよね。
ドイツメーカーはライバルの戦意を挫いた上での勝利にこだわるから1秒ペースアップすればあいては3秒のペースアップして戦意を降りに来るだからこそチャンスはあると。
で大橋監督は決断。本社の意向よりも最後のチャンスに攻めることを決断。
イクスの提言通りC11は悲鳴をあげた。
返信感謝です。メルセデス・ジャガー陣営は「やられた」、日産・トヨタ「・・・」だったでしょうね。挑戦し続ける事で、勝利の女神に会う事が出来た、典型的な事例。MAZDA254時代から見ていたのでので、あの時は感無量でした。
F1の、総合優勝も、価値あるけど、一勝に秘める価値は、ルマンの方が上だね。他社にはない、マツダ魂は、唯一無二。レースに懸ける意気込みは、日本メーカーの中では、一番ですね。
MX-R01に変わった時も、表彰台には上がれませんでしたが、総合4位だったので、すごいと思います
今まで世に出たクルマで1台だけ自分のモノにして公道含めて好き勝手に走ってよい..といわれたら、私ゃマツダ787Bを選びます
私はブガッティ・ボライドですね
私はティレル022
賛成!
実は、プロトタイプカー(Cカー)言うだけあって、ブレーキランプどころかウインカーもあるから、路上も大丈夫(笑)
ポルシェ・962Cがナンバー取得して公道を走った例もありますので、100%ムリではないと思いますね(・∀・)
良い条件を勝ち取ったMAZDAの交渉勝ち!!
ルマン総合優勝ってどれ位凄いことなんだろうか。ツール・ド・フランスで日本人が総合優勝するみたいなものかな。だとしたらもっとマツダは持ち上げられるべきだわ。
すばらしい解説ですね、ただし 11:06 【日本車が初の】が抜けてるのが残念❣
マン島TTレースやF1のホンダ初優勝と並ぶ誰もが想定外の偉業ですね。
意表を突かれた大歓喜、思わぬ歓喜は普通よりも数倍増するもので、その頃に居合わせた当時観戦者は幸せ者ですね。
余談ですが、ローターリーバイクも乗ってみたい❣
あの当時日本車はメルセデス・ジャガー・ポルシェ・プジョーを相手に勝てないと言われた。ロータリーエンジン最後の挑戦で勝利し日本のモータースポーツが大きく変わりました。
84年のWECinJAPANで、マーチ84G/13Bターボがタービンブローし、派手な白煙を上げてリタイアしたのが記憶に残ります。NAのロータリーは厳しいか?と思っていましたが最後に優勝、ニュースを聞いた時には泣きそうになりました。
マツダの本社が優勝を予想してなかったのか、優勝後の新聞の全面広告の準備をしてなくて、結局はジャガーに出してもらったんだよね?
このマツダ(マツダオート東京)の活躍を大河ドラマにしてほしい。
私が生きている間に。
有終の美、
天使のほほえみということばは、
ル・マンを征したマツダ関係者と
787Bのためにあると思っています。
それまでの苦労は並ではありませんでした。
そして一番素晴らしいのは、
メインのマシンに(たぶん)あえて乗らなかったMr.ル・マンの寺田氏かと。
この優勝は、自分たちに有利な重量レギュレーションを得た部分も込みで、義務教育の教科書に載せて欲しい。
ロビー活動の重要性、いつかは勝つために今は負け続けることの我慢と、ホントに勝てるチャンスが来た時にリスクを承知の上でそれを跳ねのけて挑むだけの自信を身につけること。
マツダのル・マン制覇までの歴史は学べることがたくさんあると思います。
メルセデス・ベンツが潰れてマツダがスタンドのストレートに戻って来たときものすごい歓声だったとか。
メルセデス、相当嫌われてたんだな。
今でも嫌われてますよねぇ、ハミルトンさん?(遠い目)
近年のトヨタのル・マン優勝(笑)では全く得られなかった感動があったよね
強力なライバルを打ち倒しての優勝だからね
いつまで30年前のたった一勝でイキってんだか…
順調に走りきれば確定で勝利と駆け引きの末の勝利じゃまぁ得られるものは違うわなと
トヨタの勝利が凄くないかっていうとそうでは無いけどね
ポルシェやアウディに勝てるチャンスがあんのに、不調なポルシェよりタイムに全然余裕あんのに謎の猛プッシュかけてオーバーランしてマシンがダメージ負ってその後の平均タイム落とした可夢偉とか、なにやってんだって感じでしたからねえ。
トヨタ一強を揶揄する奴は多いが、ルマンの格式を保っているのもトヨタです。
トップカテゴリーがワークス不在になったら、もはやただの草レースですから。
@@阿井宇恵男 日産の関係者ですか?
省燃費性はMr.ル・マンこと寺田 陽次郎氏がロータリーエンジンの特性を活かした「エンブレ効き悪り〜走法」によるものかと思われます
市販ロータリーでも有効です
軽さはタイヤの負担減に差がついたんじゃないかな?
よく誤解されがちなのは明確にロータリーが禁止されたという解釈だけど、実際はSWCの3.5L NAへの統一で結果的にロータリーが禁止になったという話なんだよね
26Bロータリーエンジンは、組み立てる人によってパワーが違い
700馬力を出せるエンジンを組み立てられるのは社内でも唯一人のエンジニアだと言われています
本番前のテストで、そのエンジンをトラブルで失ってしまい、決勝はスペアのエンジンで戦う事に
パワーで劣るスペアエンジンでは優勝は難しい、これも欠場検討要因の一つと言われています。
結果スペアエンジンで優勝出来たのですから、本当にバランスの良いシャーシだったのだなと思います。
エンジン組むやつ変わればパワー変わるのはレシプロでも同じ
ロータリー云々関係ない
これこそいろいろな意味で、本物の伝説だよね!「#55レナウンカラー」の787Bは世に相当知れ渡っているのでは?
★もう一台の白青の方のカラーリングが好きでミニカー持ってます👍👍👍👍👍👌
個人的に見た目はこの優勝したマシンより前の型のほうが好きです。
エンジン音はやっぱり名車なこっち👍🎵
この音はF1よりトヨタやホンダエンジンを搭載したチャンプカーに似ているかも。
767ですね。
@@aresama5942 ハイ👍89年の767ともう2台は91年の787と。
87"年の757でこちらは3ロータリーを積んでました。(後のJGTCでRX-7にもGT向けの応用型が積まれてました)
MAZDA 787Bは当時読んでたアスキーのLogin誌のステッカーが貼ってあった。
あのおバカ系PCゲーム雑誌がスポンサーになるとはw
この年の重量規制が、せめてマツダに有利になるように、不参加のトヨタと日産の陣営がハンデ軽減に一役買ったのも泣かす
ジャガーvsワークスポルシェが見たいですね〜
結果もそうでしたが。独特のカラーリングが凄くて記憶と記録に残る名車だとおもいますね。で、何気に動態保存されていてイベント時に時々動いていたりするからね。
本当に今はマツダもロータリーエンジンプロジェクトはどうなっているのかわからないけれど水素ロータリーエンジン搭載のマシンでルマンないしは全日本耐久で走る姿をみたいですね。まあ、ロータリーエンジンでなくてもいいけれど。で、マツダ自身はマツダUSAがIMPSに参戦してデイトナ24時間やセブリンク12時間で活躍してるのでうれしいね。
日本のマツダも世界耐久選手権に参加してくれたらうれしいね。トヨタが頑張ってるけれどこれにマツダも加われば観戦するファンにはワクテカですしね。特にトップカテゴリーは
実質トヨタの一強状態ですしね。
ここでは触れられていませんが、
前年90年の惨敗のお陰で、翌年も最低重量が830kgのままで良いとされたのも見逃せません。
マイケル・コットンはオートスポーツ(日)の90年ル・マン総括コラムで、
「マツダ787にも勝つチャンスはあった」としっかり見抜いていました。
日産のシミュレーションでも最も有利なのはマツダという分析が出来ていたけど、
「その時はまさかね(笑)」と侮って頂けたようです(≒ジャガーやメルセデスやプジョーもそう思った事でしょう)。
まさに、禍福はあざなえる縄の如し。
昔付き合ってた彼女が筑波サーキットの近くに住んでまして。彼女の家で良い感じのムードになってる時に爆音が聞こえてうるせぇな!って思ってたらイベントで筑波に来ていた787の音だった!なんて事がありました💦787見ると別れたその彼女を思い出します(^_^;)
貴方の腰振りもロータリーエンジン並みにスムーズな動きだったのでしょうか?(笑)
17回目の参加で初優勝って実はポルシェよりも早いんだよね。
すげい
すごすぎる😊
一言で言うと、マツダのグループCカーはどれもカッコいいです。
8:52 この年のSWCは予選グリッドの配置も大きく変更となり、新規定のC1が前、旧規定のC2が後ろの配置(仮に、C2がC1のタイムを上回ってもグリッドが前になることはない)だったので、無理はさせなかったのも一理ある気がする…
あの頃はモータースポーツ人気が日本を席巻してましたね。
ル・マン テレ朝、F1 フジ、インディ TBS
マツダ総合優勝と即刻、大々的にCM打つかと思いきや、なかなかCMが出なくて、あれ?マツダ、優勝すると思ってなかったな!と。当時を思い出します。
昔にタミヤのCカーシリーズのラジコンを持っててこのチャージカラーのオレンジを弟が赤で制作して喧嘩になったなぁ(笑)
お前、赤とか。ナメとんか!!と。離島でネット環境もなく、パーツやスプレー買うにはフェリーやバス乗り継がないと駄目な田舎で貴重なボディに赤とか(笑)
これはレギュレーション変更で「最後くらいREに勝たしてやるか」の八百長レースのうわさが飛びました。
メルセデスやジャガーが、そんな話に乗るかどうかは普通に考えたらわかること。
@@aresama5942 常勝メーカーの余裕ですよ。
@@興亜一心 ???
ホンダと違ってちゃんと交渉して許可されたんだよ。
ちゃんと許可とってるから八百長ではないけど、随分軽くしてもらって有利にしてもらえたのは事実。
いいねが787なので押せない。
優勝してなかったら
今のMAZDAじゃオークションに出して個人の手に渡ってるだろうな
767はマツダのディーラーさんが数年かけてレストアされました。
254iはマツダが放出して今は個人オーナーさんの元で余生を送っています。
RENOWNも今は無く😢
1991のエントリーに、翌年92年のSWC参戦が条件ってのも噂だったり…
それと、1992年のルマンはあえて4位という結果に終わらせて撤退したという話もありましたね。
優勝したから来年も来てねって話じゃ?
本当かどうかは闇の中だけど、ヨーロッパの各メーカーと日本メーカー等が色々難癖を付けてMAZDAを追い出したと聞いたことがある。
本当かな?
ちなみに787Bはマツダ本社工場のエントランスに実動保存されていますよ
動態保存どころか、様々なイベントで走ってます。
難癖つけるも何もマツダが全然ダメダメだった時代にロータリー廃止は決定してますよ。
ロータリーが出場できる最後の年だったからこそ伝説になったのです。
ホンダのターボやスキージャンプやバサロ泳法もそうですが強すぎたので潰された的な陰謀みたいなのは根強く信じられますね。
そりゃ、運営がマツダだけあれだけ軽くして有利にしたから他メーカーも
マツダというより運営に文句の一つも言いたくなるわ、公平にしろ、と。
787Bのレース前のテストデーってあるけど、テストデーじゃなくて、ヘレスのプライベートテストのこと
撤退も、ヘレスのプライベートテストを中止して撤退することを検討しただけで、本選のことじゃないのに、あのベストカーのオレカの意訳を真に受けた?
全て欧州有利の条件に変更された気がします😥F-1もそうだけど、日本車が勝つのが欧州にとってはつまらないんでしょうね😅
SWCのレギュ変更に関しては欧州有利関係ないでしょ
F1の煽りくらっただけで
@@ddaa8523 そうなんですね、教えて頂きありがとうございます😊
@@そうまとふうまのパパ 正直マツダは全く優勝候補とかじゃ無かったし、むしろ旧規定での参戦が許されたり意外と気を使われてたw
ホントに速かったら他のチームとかメーカーに抗議されて参戦すら認められず、おっしゃる通りの嫌がらせされてたかもしれないけどね。
F1のターボ禁止もホンダ潰しって言われてるけど、前年から決まってた話をさもそのようにいう奴がいる。
@@そうまとふうまのパパ
逆にBoPでマツダはライバルより随分軽くさせてもらえたんやで。
ジャッキーイクスだったかがオフィシャルと交渉してなんとかしたのよ。
BOPなしでライバルと同じ重量なら勝ち目はなかったよ。
マツダではなくマツダスピード
めんどくさ。
@@aresama5942 ですね、我ながら。でもそこは譲れんのです。
ヒロポンチャンネルで見たわ
マツダの偉業にケチつけるつもりは一切ないけど、マツダ787Bが830kg、ジャガーXJR-12が900kg、メルセデスC11が1000kg と最低重量レギュレーションがマツダの勝因として非常に大きい。
その830キロを勝ち取ったのは、マツダ(大橋監督だったかな?)の交渉術です。
91年ってトヨタ日産はいなかったんかな
MXR-01はなんで勝てなかったんかな中身XJR-14なのに
エンジンが決定的に違う
@@dabaaba2644 パワーが無さすぎたってこと?
@@ひかる-e7e MX-R01 は鈴鹿で見た事あるけど、シャシーは XJR-14 そのものだけどエンジンがマツダとジャッドの共同開発でした。
当時マツダはSWCからの撤退を決めていたし、シャシーとエンジンのバランスも良くなかったものと思われます。
実際に鈴鹿での予選タイムも、当時のプジョー 905 やトヨタ TS-010 と比べて、少し遅かったと記憶してます。
@@happy-tz6gm 確か鈴鹿1000キロの予選で、プジョーより10秒くらい遅かったと思います。
雨のルマンでは、ハイダウンフォースの利点を活かして、序盤にプジョー、トヨタをごぼう抜きしたのは気持ち良かったですけどね^ ^
ロータリーは排気量計算が既にインチキだからね(笑)
その辺スルーして話してる人間だらけなのが情けない事実だ