降臨節前主日のメッセージ(2024年11月24日)ヨハネによる福音書 18:31-37

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  • Опубликовано: 1 дек 2024

Комментарии • 2

  • @早川あいこ
    @早川あいこ 7 дней назад

    先生、こんにちは!
    朝、メッセージをいただいたあと、「王であるキリストの日曜日」という言葉を初めて知り、今朝はSNSで「神は霊なり』という賛美歌をアップしたので、さっそくそこに、「キリストの日曜日」という言葉を使わせてもらいました。
    毎年、アドベントには私の発信するものはクリスマスの讃美歌になるのですが、いつもアドベントの意味などをお伝えするようにしています。
    ところで、「神は霊なり」の中で、「人はみな霊をもて拝すべし」というみことばがあり、実は私はこの「霊」というものが何なのか、よくわかっていないままです。
    「魂」とか’Soulとか「御霊」とか、日本語では訳されますが、ラテン語のspirare 息をするが語源である’Spirit という言い方かお気に入りです。
    土で造られた私たちに、神さまがフッと息を吹き込まれていのちある 11:59 ものとなったと聖書にあります。※「フッ」と、は私のイメージです。😆
    この神さまの息が私たちを導いてくださる聖霊さま、というふうにイメージして、この「霊」という見えない真実を感謝します。
    先生のメッセージを聞いたあと、今年収穫したレモンゼラニウムの枝で、2つの大きなリースを作りました。
    今日からの一週間は、2024年を振り返る時、主のお誕生を心待ちにする時として過ごしていきたいと主にお願いします。
    王なるキリストの日曜日。
    神さまの王国がこの地になりますように。
    マラナタ、主よ、来てください。
    先生のお働きが今週も守られますように。
    主よ、感謝します。Amen.

    • @barnabasmikio
      @barnabasmikio  7 дней назад +1

      コメント、そしてお祈りをありがとうございます。
      コメントしてくださったのは、ヨハネ福音書4:24 にある「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」ですね。確かによくわからないところです。
      霊というのは、プネウマというギリシャ語の訳です。もとのヘブライ語はルアッハ、ラテン語ではスピリトゥス、英語でSpiritと訳されてきました。もともとの意味合いは、風、息を現すのだそうです。
      息は、生きているしるしです。風は、つかむことができないけれど大きなエネルギーを持っています。そして、その行き先を人は知ることができません。
      山浦玄嗣さんは、福音書を訳した「ガリラヤのイェシュー」で「神は霊である」というところを、「神さまの姿を喩えれば、生きる力を吹き込む息だ。」と訳しておられます。
      霊とは、神さまから流れ出す、いのちを与える力だと、私は考えています。
      そして、霊をもって礼拝するとは、神の霊(聖霊)につつまれて神を賛美することではないでしょうか?
      洗礼者ヨハネは、イエスについて「後から来られる方は、聖霊と火で洗礼をお授けになる」と言いました。洗礼とはもともとは水に沈めることをあらわしています。イエスは、私たちを聖霊の中に沈めてくださる方だと、ヨハネが言ったのだと私は理解しています。
      山浦玄嗣さんは、続く箇所の、「霊と真理をもって」、の部分を「神さまの優しい息に包まれて、まことの人の道を踏み、」と訳しています。素敵な訳だと思います。
      霊と訳される言葉には、幅ひろい意味があります。イエスが、「神は霊である」と語ったその言葉にどんな意味が込められているか想像しながら一週間を過ごしたくなりました。
      「ガリラヤのイェシュー」、機会があったら手に取ってみられませんか?
      とっても面白いですよ。