Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
水木先生の漫画は「見てけば?」手塚先生の漫画は「是非見て!」って感じ
水木先生の妖怪大図鑑を見て「砂かけ婆は栃木の竹林に住んでいる」というのを見て家の裏の竹林にビビリまくった幼少期
水木先生は、天才というよりは奇才だと思う。独創性が強すぎる。
手塚先生の息子さんは当時妖怪ブーム作った水木先生の漫画が好きで水木先生の娘さんはかわいい小物キャラを描ける手塚先生の漫画が好きだったお子さんがお互いのファンになってたエピソード好き
預言者は故郷では尊重されませんものね。
画力を気にしていないにも関わらず、お二人とも本気の絵は半端なくうまいのも好き。
おーたけ さんありがとうございます。まさしく!画力をとやかく言う人には本気のデッサンを見てもらいたいものですね。
手塚せんせはメトロポリスの学会シーンの見開きが好き
水木しげるは歴史に残る偉人です。それまで口頭の伝承でしか伝えられていなかった妖怪をキャラ化し画に起こした。現在日本人がイメージする妖怪の姿はほぼ水木先生が描いたデザインなのだと。
Co eXiSt さんありがとうございます。まさしくボクもそう思います。伝承の類を一般化した功績は文化レベルでみても計り知れない功績であると思います。
妖怪の設定を確立したお方ですね。
鳥山石燕
綜はさ
水木しげるの蝶の絵めっっちゃくちゃカッコいい
二人は対極的です。手塚治虫「夢は2つ持ちなさい。私は漫画家と医者の2つの夢を持った。」水木しげる「俺は絵を描くことが好きで、それしかやってない。」
Toshiomi Hamabata さんありがとうございます。まさに対局の2人、そして天才!面白いネタですので動画にしてみました。
水木さんは絵を描く事しか出来ない人だったからね。特に、片手を失ってからは特にそうだよね。夢では無かったと思うけれどボロアパートの大家をして食繋いでたから戦争で壮絶な体験をしてるけれど生き残って障害者に為っても大変な戦後も生き残って、絵を描く事と強運の2つは持ってたと言えるよね。
@@クマのプー太郎-y9p 水木しげるさんはその経験こそが人生の財産だと思います。その時代でなければ経験出来ないことですし、生還出来た事に関心します。
@@クマのプー太郎-y9p 若い頃の油絵とかも、素晴らしいよね。
水木さんの凄いところは、腕を失っても悲観しないところなんだよなあいつもの調子で腕の傷の再生の気配を「赤子の匂いがした」と感想を抱いていたり俺は腕を失って不幸だ、なんて言わないどころか、純粋な観察者になって自分自身の生命力に感動してる貧乏に対しても貧乏を自覚しながら悲観してない。奥さんも大変だったろうけれど、そんな水木さんだから一緒に来られたんだろうな
とあるパーティで手塚氏と藤子氏が寝てない自慢をしあってたら、横から水木氏が「睡眠は、大事です!」 と、一喝した逸話好き。
「イガグリくん」の福井英一に多作と徹夜を推奨し、ライバル心を煽って過労死させた原因は手塚だと言う関係者もいる。
泉くん、ハーイ! さんありがとうございます。水木先生は「寝てない自慢」という漫画家あるあるが嫌いだったようです(笑)
>手塚氏と藤子氏が寝てない自慢を手塚氏と石ノ森氏の話なら水木サン御自ら書いている・・・。
@@fa-masf1leclairon177 さま石ノ森氏かも。ちと記憶があやふやで、すみませぬ。
「人間は寝た分、長生きするんですよ」といって、それを実証しましたからねw
水木しげる手塚治虫この二人がいなかったら漫画アニメという娯楽は生まれなかった。たかが漫画アニメptaから嫌われてもこの先生たちは馬鹿にされながらも命を吹き込んだ。ひんしゅく買いながらも非難誹謗中傷批判されようとも漫画アニメ問う娯楽を日本の文化に変えた。やっぱりすごいよ
水木漫画の背景は写真を印刷したのかと勘違いした程緻密です…
ふぃがろふぃがろさんありがとうございます。背景がヤバイですよね、草木1本に至るまでしっかり描きこまれていますもんね。ほんと写真みたいです。
お二人が生前にテレビで対談なされていたのを覚えています。手塚さんと水木さんは楽しそうに互いを持ち上げていました。手塚・「何で漫画やったの?」水木・「手塚虫に憧れて(笑)」「何言ってんだお互い同じ位に腹が出てんのに」て手塚さん。
なんだ、漫画の神様と大妖怪じゃないかw
水木先生は手塚先生の無礼をも漫画にしちゃう人(笑)可愛いのよ❤️
鳥山明や冨樫義博もそうだけど、「絵よりもストーリーが大事」と言う漫画家は、皆絵がクソほどうまい。
少年誌連載の常連くらいになるとうまい絵なんか描けて当たり前の世界なんだろうね。スポーツもトップクラスになると技術そのものには大差なくなって試合運びや戦略、心構えが重要になるみたいに?
@@渡部匡史 キメツも進撃の巨人も絵下手だけどな 絵下手で大ヒットした作品とか普通にあるよ
@@ひまひま-v4nさん 例えば「東大一直線」や「とってもラッキーマン」ですね。
水木先生のアシスタントだった池上遼一はある意味究極の絵師とはなったがストーリーを創る才には恵まれず、原作者のイメージを膨らませて作品を世に出す職人に徹した。(同じタイプでは、ながやす巧も)
手塚先生の作品のキャラクター(サファイア)がプリントされたTシャツを娘が着ていたのを見て改めて手塚先生の才能を実感しました!半世紀以上前のキャラクターのTシャツ着た女子大生の娘を見てカワイイと思ったオメデタイ父😅
我が子にユニコTを着せて喜ぶ同じくオメデタイ父(笑)
図らずも、鬼太郎が何回かアニメ化されて水木先生と手塚先生が融合した様な気がします。今の日本の漫画、アニメコンテンツはお二人の影響力、大ですね。
「手塚は徹夜するだろ、俺はしないんだ」と手塚治虫を呼び捨てにしてるところに水木しげるの格がわかる。
どっちの先生も大好きだけど目には見えないものに向けるセンスと人柄は水木先生のほうが好き
3年前に水木先生の「魂の漫画展」を見に行ったんですが、絵が半端なく上手かったです。漫画なんかだとキャラクターは大雑把に描いてあるけど、生原稿見たら線がとてもきれいで。あと絵本の絵も美しいし、子供の頃に描いた絵画なんかも構図が秀逸でした。手塚先生もだけど、才能ある人は子供の頃から絵が上手い。それもご両人共、他人の絵の模写とかしないで自分で作り上げた絵なんですよね。
水木先生は妖怪漫画家のイメージが強いけど戦記漫画家としても凄いレベルが高いんだよね手塚先生は漫画を使ってビジネスした人だけど水木先生は漫画はあくまで生活の為で本人は仙人のようにゆったりと生きた人って印象です結果成功したけどもし普通の漫画家だったとしても水木先生はさほど気にせず生きていたのかも90歳超えてもハンバーガーを食したその若さを学ばさせていただきました
手塚と水木、誰にも負けたくない対抗心で良くも悪くも生真面目に漫画に向かい続けた手塚氏、とにかく自分が好きな漫画を仕事とし、死ぬまで一漫画家であり続けた水木氏、二人とも甲乙つけがたい天才漫画家であったが生きざまは対照的だ。
「魔法陣から悪魔が呼び出される」と「ぬらりひょんは日本の妖怪のリーダー」は水木先生の独自設定だったが定番化してしまった
「魔法陣から悪魔が呼び出されるは水木先生の創作」説は半分正しく半分間違ってるぽい。togetterのタイトルを次の行に記すので検索されたし。>「魔法陣」から悪魔を召喚する描写は水木しげるが最初だった?西洋魔術をはじめ興味深い考察が展開される
@@75kisara67 本来は魔法陣は術者を守るもので、術者が中に入って使うものだっただよね
@@laystorin123 呼び出した悪魔を(術者に危害加えないように)閉じ込める檻/結界の役割を担うケースも有ったかと。
魔界転生舞台のアニメもこの水木さんの「悪魔くん」がないと生まれてはなかった!
随分前のコメントに恐縮ですが補足で、「ゆらりひょんは妖怪のリーダー」は昭和4年の藤沢衛彦の本の「怪物の親玉」という記載から拡大解釈されたものだったかと思います。但し、妖怪そのもののリーダーとまで話が広がったのは水木先生が初出だったかもしれません。
水木先生は亡くなったんではなくて、妖怪の政界に帰っただけですww
政界じゃなくて、世界の間違いですww
@@尹龍虎 さん ある意味あってる気がする。
水木先生の訃報を聞いた時、悲しさよりも「あちらの世界に帰られたのだな……」と妙に冷静に思ったのが不思議でした。
その内に何かの作品で妖怪仙人とかで登場しても不思議じゃない。
私もそう思います。また転生して人間界に戻ってくると思います
唯一(手塚世代同期&以降)で手塚治虫を君付けで呼べた只唯一の人水木しげる
手塚石森にむかって「あんたら」て言うのすき
「ふたりとも天才な~のだ~。これでいいのだ」「パパ」
水木しげるのネームになった神戸市兵庫区水木通りは祖父の家のすぐ近くでした。手塚さんは宝塚、横山光輝さんは須磨区出身、松本零士さんも戦時の疎開先が明石市と何気に漫画家と縁があった兵庫県在住です😊
漫画家としては手塚先生のほうが好きだけど、生き方としては水木サンのほうが好きだったりしますw。やっぱり睡眠大事。
睡眠第一主義者ですね。😊眠りたいからヒロポンを止めた、ということで・・・
とにかく好きな漫画でナンバーワンでなければならない焦りからか、死の床で「まだ描き足りない」というほど、他者への嫉妬とナンバーワンを維持するプレッシャーに生涯苦しめられた手塚、とにかく好きな漫画を仕事とし、地位も名誉も関係なく死ぬまで漫画家でいたいという思いで生きた水木、若い時はナンバーワンになりたいという思いが強かった頃は手塚氏の様になりたいと思ったものだが、アラフォーと呼ばれる年齢になった今は出来るなら水木氏の様な生き様でありたいと思う。
@@あほ拳コッチー 手塚はアイデアが後から後から溢れ出て1日が24時間じゃ足らないなんて話もありましたね。
水木さんが戦友と玉川上水沿いを歩いている時、ここで心中した作家がいるって話になって、「不健康だなあ~」(ちょっと違うかも)なんて戦友と話し合ってたエピソードが好きそりゃあ南方戦線で沢山の仲間達が死んで、自身も爆撃を受けてフィラリア熱にかかって、それでも生き延びた人からすりゃそんな思いにもなるよな個人的には水木さんは鈴木清順監督と重なる2人共戦線に送られ、生き延び、そして破天荒
水木しげる先生は鬼才と言う方がしっくりくるかも。鬼=霊魂や魔物と考えると戦争の連隊で唯一生き残ったり、片腕を失って漫画家で大成したり運命を感じます。鬼=鬼太郎かも。
水木先生の絵は霊性の塊、日本という国から立ちのぼる大気を描いた。
幼少の頃見た水木しげるの点描表現による背景表現に強いショックを受けたことを思いだいました。
一連の戦場体験漫画も「南の島で命を落とした戦友達の霊(怨念と言い換えても構いません)が描かせた」とインタビューで答えていましたからね。
@@moonriver6840 マネしたけど、ストレス貯まるよ、あれ。
お二人とも優しい方です。手塚先生の絵の真似を本当にできるのはその人に才能があって初めてできることだと思います。ご本人が晩年、手塚タッチの基本である「丸が思うように描けない」と悩んでいた姿を拝見した時、思わず泣いちゃった思い出があります。
丸は難しいよ。絵心があればあるほど難しくなる。だからアンパンマンとドラ兄妹とのび太君は本当に難しい。原作者ですら線入れを悩むことがあったと聞くのに、あんなもの簡単に描けると言う人は無知か、創造神クラス。
っ田中圭一先生
手塚治虫著「アドルフに告ぐ」と水木しげる著 「劇画ヒットラー」は内容は違うがなんか共通点ですね 特に「劇画ヒットラー」は昔近くの定食屋の本棚にあり それ目当てに飯を食いに行っていました どうしても欲しくなり今みたいにネットが盛んな時代ではなかったので方々探し周りようやくその本を購入しその後さらに引っ越しでなくなりまた探し出して購入しました 当時としては珍しく善でも悪でもないヒトラー像が淡々と描かれており只者でない水木しげるの表現力が垣間見れる名作でした
フハーッ!
画力というか作画の方法論としては対極なんだよなあくまでキャラとそれが織り成すドラマがメインの手塚とキャラよりも背景や風土の方に重きを置く水木しげる
めがねも共通点。そして、宝塚歌劇のファンでよく見に行った。ただ、視点は違ったようで手塚は女性が演じる異世界を水木はええ姉ちゃんがいっぱいいる劇と言う魅力を感じていた。
偉大なお二人の考察 意識しつつも自分の道を行く比較 面白かったです
お二人とも画力もですが、発想力・羽根の広げ方が双璧やと思って居ます。生と死を見据えていたのも両氏の作品の深さに繋がって居ると思いますよ。有難う。
水木しげるさんは土の中から生まれた感じがするな~手塚治虫さんはちゃんと分娩室で生まれたイメージどっちがどうって言う訳じゃないけど…面白いな~水木しげるさんは
天才は生き様が凡人と違い過ぎて、凡人からは奇人変人に見えてしまうが、凡人には決して届かない。面白い作品を沢山残してくれて感謝。
所ジョージさんもそうだけど好きなことだけやって稼げる人ってやっぱり天才肌なんだなと思う
羨ましい…ですよね。
それが面白いもので所ジョージさん的にはミュージシャンで売れたかったのが本音らしいですよ。奥田民雄との対談で歌手として売れた奥田民雄がうらやましいと語ってて聞いてる奥田民雄が自分よりもっと稼いでいる所さんにうらやましいと言われて驚いてました。
動画の主さんのセンスが光りますね。この角度できたか・・・という。
手塚氏=クラプトン(恐ろしく応用の効く手本) 水木氏=ジミヘン(手本にするとモドキになってしまう)
画力が半端なくあるからこそ言える名言
手塚治虫の息子さんが水木ファンでどろろを描いたとか?水木さんラバウルで精霊に会ったとか?このお二人はガンコで一本気 奥さんが良い人。💓
お二人の おかげで、夏目友人帳に出逢えました。
子供の頃に観た最も印象に残っているテレビアニメがゲゲゲの鬼太郎と白土三平のサスケです。
お互いがライバル視していたエピソードで水木が手塚をモデルにしたキャラを出せば負けじと手塚もBJで水木しげるをモデルにしたキャラクター(片手を失う誘拐犯)を出したのがある。
どちらの漫画も、小さい時から大好きです。
今まで見たRUclipsの動画で、この動画が最高に面白くていちばん興味深いものでした。ありがとうございました。
リンゴ酢胸焼け さんありがとうございます。マジですか?そんな最上級のコメントめちゃくちゃ嬉しいです。宜しければ完全偏愛番組ですけどよろしくご贔屓くださいませ(笑)
手塚治虫さん、ディズニー映画に憧れた未来志向人。水木しげるさん、情念 背景の精密さ ラバウル現住民に憧れた自由人。
ちなみに、手塚氏に影響を与えた漫画家は、坂本牙城、宍戸左行、大城のぼる、松本かつぢです。坂本氏と宍戸氏は、戦後は年齢的な物もあって引退しましたが、大城氏と松本氏はさくっと適応しました。(宍戸左行と松本かつぢは、現在の漫画のコマ割りを考案した人でもある)…松本かつぢの描くクルミちゃんの絵、顔を隠すとウランやピノコそのものです。
水木先生キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!兵庫県立美術館の水木先生の展覧会は凄かったです。また見たいです。
手塚の漫画の内容は現代の文学を遥かに超えてる
奥野細道 さんありがとうございます。作品の質を見るとそれがよく分かりますよね。漫画というだけでどこか下に見られている感があります…。
手塚先生は映画をよく観てるかた、という印象。水木先生は当時の流行りものとともに古今東西のアートの引用の幅が凄いですよね。
水木しげるの漫画を買った時は背景がすごくてびっくりしたのを覚えてる。ゲゲゲの鬼太郎だけど鉄橋の絵があったけどめっちゃ細かい。後でわかったけど背景はあらかじめいくつか書いていてキャラを入れらるだけにしてそれを貼り付けてたらしい。テレビでやってたけど今でも使わなかったやつが残ってるらしい。こういう事も発明したらしい。睡眠がとれてたのもそういう工夫があったんでしょうね。手塚治虫はいなかったら日本のアニメここまでにはなってないと思う。手抜きアニメだけどそれにより色々な作品が作られて多くの人に影響を与えてる。それが漫画家の刺激になったかも。自分もアニメにしたいとか。
知らないうちにすぐそばに爆弾が落ちたり、戦友がバッタリ倒れたりするリアルを体験しているので、水木さんの決定的戦闘シーンは、よくわからないうちに決着がついている。詳細な描写は無い。大人はそれで納得していた。
何時も漫画アニメ界の巨匠の裏話とか、背景とか色々話題豊富なコメントありがとうございます。刺激になります。
お二人とも、少年の心を持ち続けていた
悪魔くん どろろでは息を飲んだ…マンガが確立されてない頃からの作家って言うのが素晴らしい 独特のタッチ 話の面白さ 強い個性あの世があるならまだ書いてらっしゃるでしょうね…
手塚先生は三つ目がとおるやジャングル大帝を小さな頃観てましたし、3作目のアニメアトムやブラックジャックもよく観てました。水木先生は鬼太郎、悪魔くんととても好きな作品が多い作家さんです。どちらも素晴らしい先生ですね。
手塚治虫のザ•クレーターにスポーツ漫画しか描けない漫画家が別ジュンルに挑戦してファンに見捨てられる話があった。天才にも不安はあるのだろう
対比、まとめ方共にお上手
んん さんありがとうございます。励みになります。
寝る漫画家💧と寝ない漫画家🐞
いつか手塚治虫と水木しげるの対比列伝が出てほしい。
一反木綿が九州の言葉話してくれたんで、親戚に方言丸出しでもバカにされなかったのは嬉しい思い出。
ぬりかべが遠賀発祥で俺の近所だったのもめちゃくちゃ嬉しい
ひょっこりひょうたん島でお馴染みのひとみ座と云う人形劇団が、水木しげる先生のキャラクターを人形にしているのを見ましたが、原作のキャラクターを寸分の違い無く立体化していて驚いたのを覚えています。ひとみ座の片岡昌さんと云う人形デザイナーの方の手によるモノなのですが、本当に凄かった。
お二人にもっと長生きして欲しかった。
そーだね❗
水木サンは出征経験が大きいですね、生き残った負い目、徹底した文明不信とニヒリズムからくる諦観が持ち味、手塚先生もグレた作品あったけど水木サンはスレてた。
monoris2008 さんありがとうございます。まさにそうなんですよね。当時は「死ぬ美学」の価値観の方が強く「生きる」ことは「生き恥」とまで蔑まれた時代です。生き残った2人の天才には相当の憤りがあったことと思います。そこに単なる「命」を描くだけのマンガとは違う重みがあるのでしょうね。
手塚先生の性格からして、従軍してた場合九割九分戦死してたんじゃないかなーと思う。逆にあの状況から生還するのも水木先生でないと無理な気がする。
水木しげる先生は、戦争で出兵してラバウルの戦地で片腕で失った辛い過去があったのは知ってるけど。水木しげる先生にとって、真の妖怪は戦争だったんじゃないかなと思います。
確か水木先生は、軍の上層部から部隊ごと玉砕を命じられた話が‥不確かな記憶で申し訳ないですが‥。
とっても面白かったです!!
手塚治虫先生も水木しげる先生も大好きです。水木先生の思い出は、小学生の時、小学館入門百科シリーズ 「妖怪なんでも入門」という本をお小遣いで買って、穴が開くほど読んだことを覚えています。本当に大好きな本でした!
カラサワトヨミツKandaRiverSideRecords さんありがとうございます。「穴が開くほどに読んだ」そうですね。昔は一冊の本をそれこそボロボロになるまで読み込みましたよね。手塚作品なんて何回買い直したか分かりません(笑)
水木しげる先生が描いた、小学館入門百科シリーズ「妖怪なんでも入門」超懐かしい~❗私も小学校の頃、学校の図書館で借りて見た事あるよ‼️
「妖怪天国」というビデオ作品の中の「おでん」という作品で両先生が共演で出ておられますね。手塚先生の息子の手塚眞監督作品でした。
水木しげるさんの作品としては、実写版の悪魔くんを覚えてます。ゲゲゲの鬼太郎はアニメで、その後の放送でした。調べたら墓場鬼太郎って紙芝居、貸本の作品で水木しげるさんは作画担当だったのですね。
「ライバル」と「敵」は違いますからねw戦争体験を通して、単純に「戦争反対」にならずに「死とは何か」「何故、人は生きるのか」という疑問に昇華したのが両天才のすごい所だと思います。
水木しげるのことしか分からないけど、戦争を肯定はしないけど否定もしてないところがなんか懐の大きさを感じますよね。
最前線で戦った人と一市民として空襲を受けた人じゃ感覚が似て非なる物だと思うけどね。
戦争経験といっても水木しげる先生は実際戦地に行って戦ったけど手塚先生はまだ子供で受動的な立場だからだいぶ立場が違う気がするあの年齢なら余程超ど田舎じゃなければ体験してる筈だし
いい事言った俺もそのとおりだと思うよ
Kotohogiさんありがとうございます。手塚先生は視力が悪くて現地に行かずに済んだので水木先生とは大きな違いはありますね。それでも都市部を焼け野原にした大阪大空襲で生き延びた経験はまさに九死に一生を得た経験だと思います。
ど田舎でも終戦間際では米軍戦闘機の機銃掃射でえらい殺戮あったんですよ手塚治虫もその記憶あるんですよ
戦闘機乗り生き残りの方と関わりましたが同世代の人と比べても空気感が違っていました。自分の感情で怒らない優しい人なのに周りの大人子供が勝手にひれ伏していました。戦争についての政治的意見は一切言わなかったです。
水木さんは自分を駄目兵士みたいに言ってるが自分の所属する部隊が奇襲で全滅した際、海に飛び込んで数十km泳ぎきり断崖をよじ登り、密林を突破する際、妖怪?と格闘して打ち破り、本隊に帰還したリアルランボーだからな。生命力が半端ない。その上、よく睡眠をとって健康維持したから90歳過ぎまで生きた。手塚先生と弟子の石ノ森先生は、睡眠が不足して健康を害して短命だった。自分は若い時から3時間から2時間睡眠で仕事をしてきたが57歳で力尽きて1年休職する羽目になった。その後は6時間から7時間睡眠生活になったが、その結果、肝臓の数値も中性脂肪も尿酸値も正常値になって健康体になってしまった。睡眠は大事だという水木先生の言葉は真実だったな。
00-005 msc さんありがとうございます。睡眠は大事ですよ~(笑)手塚先生はあのスケジュールでよく60歳まで生きたと思います。その方がある意味不思議です。
ふたりの仲は悪くなかった。こんなエピソードがあります。手塚治虫「水木サン、こんどの雑誌で漫画描きませんか?」水木サン「いいです(やります)」手塚治虫「原稿料払いますよ?」水木サン「いいです(やります)」手塚治虫「??」水木サン「まあがんばってください」
結局、遠回しに断ったって事?あるいは遠回しにバカにされたのを水木氏がさりげなくスルーしたって事?
口下手な水木サンは、話しかけられてもうまく返事することができずに誤解されることがあったそうで。つまり、手塚治虫のさそいに「いいです」と言ったのを、「結構です」と誤解されてしまったと。ほんとは描く気なんだけど、ちゃんと言いなおすことができずに、結局ことわった形になってしまったということです。ずっと口下手だったので、誤解されても、殺されないかぎりはそのままにしていたそうです。
ここだけ聞くと手塚治虫が気の毒だな
12:22 そういえば「巨人の星」が流行していた頃、「あれが何で面白いんだ!」とアシスタントに愚痴る逸話があったが、さすがの天才もスポーツ漫画だけは理解できなかった。
しかし、手塚先生の伝記マンガを描くとしたら、原作者に一番相応しいのは、梶原一騎先生だと思います。
京極夏彦の小説『虚実妖怪百物語』に水木しげるが登場しますね。漫画と小説の違いはあれど師弟関係?のような関係があったみたいです。
手塚先生は医者で、水木先生は本当は美術の勉強をしたかったのに徴兵されたという違いは大きいと思います。あと、お父さんが銀行員だったのに他人の罪を擦り付けられて失脚したという幼い頃の経験。手塚先生が嫉妬したのは、実は手塚先生は、優れた漫画を描く為なら水木先生の苦難を自分も受けたかったというような心境がおありだったのではと思います。水木先生は、お父さんはインテリだったので家にルドンの画集などがあり、目玉親父はルドンの絵から影響を受けたかも知れないとおっしゃっているようです。妖怪をエンタメ化するのは百鬼夜行とか、江戸時代にも妖怪画がブームになった事はあるようで、日本人の心の奥底にある何かと繋がった作風なのではと思います。手塚先生と水木先生の差は、乳母的な存在がいたかいないかというのも大きい気がする。水木先生には、のんのんばあという妖怪の話をしてくれるお手伝いのおばあさんの存在も大きい気がします。言ってみれば、大きなくくりとすると、水木先生は古くからの日本の伝統を受け継いだ方で、手塚先生は、全く新しいコミックではない日本の漫画を作り上げた方と言えるのかも知れません。後世への影響と言えば、圧倒的に手塚先生ですが、日本人の心の奥底にあるものを表現した水木先生のさくひんもまた、大きな影響を残しておられると思います。
『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』で水木悦子さんの話に爆笑しました。お姉さんの尚子さんが中学3年の頃に手塚漫画のファンで、父しげると喧嘩して「お父ちゃんの漫画には未来がない! 手塚漫画には未来がある」鬼太郎も一段落ついて幅広い創作をしていた頃、かたや手塚治虫は漫画少年で火の鳥を再開しブラックジャック、三つ目その他で多忙だった頃の話と思われます。水木しげるは昔、「妖怪よりも一番怖いのは人間だ」と書いていました。夜に仕事をしていてフト気配を感じ、振り返ると階段の下にうずくまってる男がいる。「何だ君は」と訊くとアシスタント志望の青年で、同じ場所に半日坐って待っていたのだと言う。「水木プロはこんな人ばかりだった」そうです。
子供の頃、親戚の家に今の週刊漫画雑誌のような造りの火の鳥の単行本があってそれを呼んだのが手塚先生の漫画との出会い。そして大学生の頃、校内の購買部で文庫サイズになった悪魔くんの単行本を偶々買ったのが水木先生の漫画との出会い。二人ともTVアニメでの作品は見てましたが漫画そのもので読んだ時の驚きは相当なもので以後古い漫画にも興味を持つようになりましたね。
その「火の鳥」は、COM別冊の虫プロ商事刊行版か、マンガ少年別冊の朝日ソノラマ刊行版のB5サイズ単行本❤
火の鳥に登場する、デカイ鼻のおじさんが印象的に残ってます。(笑)
長谷川町子は田川水泡の弟子で戦前からの流れですよね。これも日本の漫画の一つの流れかも知れません。
水木先生が虫プロでの座談会の前に普段吸わないような洋モクを格好つけて池上遼一に買いに行かせたって話好き
寺沢武一が手塚に深夜、赤いキツネを(店まで指定されて)買いに行かされた話、好き❤
いく さんありがとうございます。数えきれないほどのパシリ伝説…実は一人になる時間が欲しかった(時間稼ぎ)という説が有力らしいですが、ほんとのところはどうなんでしょうね。
松本零士先生が手塚先生のアシスタントやってたとき、手塚先生のイタズラでチョコレートうどん食わされた話好き。
私も、鬼太郎、妖怪全集を見ていました。😊小さい頃だったので、怖かったです。😖水木しげるさんは、「妖怪は、少なくなった」って言いました、妖怪って、本当にいるのですか😯?人生の3/1は眠っていると…言われていますからね。😴😔
デプロメールセロリ さんありがとうございます。水木先生は妖怪と友達だそうです。大事にしていることは「目に見えない世界」とのこと。常人には見えない何かが見えていたことは確かでしょう。手塚先生も宇宙が見えると言っておられましたから同列ですね。
手塚先生が亡くなられて原画を観る機会がありましたが画がやはり古く感じましたが綺麗で繊細でした、為人は皆さんご存知の🤣
幼少の頃、妖怪大辞典観てどう書いた疑問思った。芸術過ぎ
手塚治虫がタブー的な漫画を沢山描いてたの知らなかった。そんな作品があることを知れてよかった
黒ラベル白ラベル さんありがとうございます。沢山あります。むしろ様々なタブーをやり散らかしている変態でもあります(笑)
画力は水木先生凄いけどなぁ…
手塚治虫は戦争に行かなかった子供(青年ではあったが)として、水木しげるは兵隊として戦争に行っただから戦争に関する描写のリアリティはやはり水木しげるの方があるが、手塚治虫は自身の銃後での経験と第二次世界大戦後の戦争(朝鮮戦争、ベトナム戦争など)をよく学んで作品に活かしている 戦争というテーマそのものは手塚治虫作品の方が頻繁に出てくる
スポーツ以外の全ジャンルでトップに君臨したかった手塚に、妖怪ジャンルの王位を譲らかなった水木。スバラシいライバル関係です。
手塚治虫が天才、漫画の神様なら水木しげるは奇才、漫画の妖怪
手塚さんと水木さんの比較論まで企画してくださるなんて、ありがとうございます😳たのしく学べました!たくさん漫画を読んでおられるのですね。某さんは、手塚さんの他に好きな漫画家は誰なのでしょう?気になりました。
明良 さんありがとうございます。それこそ沢山マンガは読んできましたよ。藤子不二雄先生、横山光輝先生などレジェンドたちはほぼ読んできましたしジャンプ黄金時代も経験しています。最近のはあまり読んでませんね(笑)
@@nanigashi 返信をありがとうございます💕
手塚せんせいの子供が幼少時、水木せんせいの妖怪の絵本を見ていたと聞きます。我が子が他の漫画家の本を見ていて、意識はしていたんだと思う
横山光輝も孤高の天才だった思ってます。余り話題にはなりませんが。
うしおそうじ氏もお忘れ無く。
水木先生も赤貧時代に数限りなく作品を執筆していて、原稿も記録も残ってない作品も多いのだとか。それを集めている「関東水木会」なる団体があるらしいですが、いやはや大変な労力です。絵柄もペンネームもバラバラらしいので。
水木先生の場合は貸し本屋の作家から雑誌の連載に移った初期は出版社が何回かつぶれた、または出版社から掲載の給料が支払われなかったという経験もしておられる。読み切りの鬼太郎を大学生の目にとまり、彼等が水木先生を応援したのでようやく遅咲きの天才が世に出た感じ。
水木しげる!パチパチパチパチ。待ってました、もう一人の巨匠!偉人!変人!水木しげるが手塚治虫の睡眠不足自慢と早死にをなじったのは作風にもあらわれてるなーと思った思い出。
「手塚治虫から離れるべし」 をモットーにしていたのが楳図かずお。しかし手塚は楳図の漫画を読んでいて,どこかのパーティーで手塚の方から 「楳図君ですね?」 と声を掛けてきたという。
手塚治虫の代表作“どろろ”は水木しげるに対しての宣戦布告ではないかと言われたとか。
水木先生も常人からすればバケモノのような作業量をこなしてたんだよなあ・・・
③のマイペースは2人ともメチャクチャはやい はやすぎる
いつも楽しく拝見させて頂いてます。今回の二人の天才の比較はとても興味深く視聴させていただきました。僕は藤子マンガが大好きです。特に藤本先生の作品のマニアです。そこでもし某さんがよろしければ、藤本先生と手塚先生の比較動画もみてみたいです。某さん的考察もとても興味があります。もちろん師弟ではなく、ただの先輩後輩という関係ではなかった藤子不二雄の二人と手塚先生治虫、「安孫子くんは天才だが藤本くんは大天才だ」と呟いたというエピソードが残っているぐらいのこの二人、似ている点相違点比較していただきたいです。
水木先生の漫画は「見てけば?」
手塚先生の漫画は「是非見て!」
って感じ
水木先生の妖怪大図鑑を見て「砂かけ婆は栃木の竹林に住んでいる」というのを見て家の裏の竹林にビビリまくった幼少期
水木先生は、天才というよりは奇才だと思う。独創性が強すぎる。
手塚先生の息子さんは当時妖怪ブーム作った水木先生の漫画が好きで
水木先生の娘さんはかわいい小物キャラを描ける手塚先生の漫画が好きだった
お子さんがお互いのファンになってたエピソード好き
預言者は故郷では尊重されませんものね。
画力を気にしていないにも関わらず、お二人とも本気の絵は半端なくうまいのも好き。
おーたけ さんありがとうございます。まさしく!画力をとやかく言う人には本気のデッサンを見てもらいたいものですね。
手塚せんせはメトロポリスの学会
シーンの見開きが好き
水木しげるは歴史に残る偉人です。
それまで口頭の伝承でしか伝えられていなかった妖怪をキャラ化し画に起こした。
現在日本人がイメージする妖怪の姿はほぼ水木先生が描いたデザインなのだと。
Co eXiSt さんありがとうございます。まさしくボクもそう思います。伝承の類を一般化した功績は文化レベルでみても計り知れない功績であると思います。
妖怪の設定を確立したお方ですね。
鳥山石燕
綜はさ
水木しげるの蝶の絵めっっちゃくちゃカッコいい
二人は対極的です。
手塚治虫「夢は2つ持ちなさい。私は漫画家と医者の2つの夢を持った。」
水木しげる「俺は絵を描くことが好きで、それしかやってない。」
Toshiomi Hamabata さんありがとうございます。まさに対局の2人、そして天才!面白いネタですので動画にしてみました。
水木さんは絵を描く事しか出来ない人だったからね。特に、片手を失ってからは特にそうだよね。夢では無かったと思うけれどボロアパートの大家をして食繋いでたから戦争で壮絶な体験をしてるけれど生き残って障害者に為っても大変な戦後も生き残って、絵を描く事と強運の2つは持ってたと言えるよね。
@@クマのプー太郎-y9p
水木しげるさんはその経験こそが人生の財産だと思います。その時代でなければ経験出来ないことですし、生還出来た事に関心します。
@@クマのプー太郎-y9p
若い頃の油絵とかも、素晴らしいよね。
水木さんの凄いところは、腕を失っても悲観しないところなんだよなあ
いつもの調子で腕の傷の再生の気配を「赤子の匂いがした」と感想を抱いていたり
俺は腕を失って不幸だ、なんて言わないどころか、純粋な観察者になって自分自身の生命力に感動してる
貧乏に対しても貧乏を自覚しながら悲観してない。奥さんも大変だったろうけれど、そんな水木さんだから一緒に来られたんだろうな
とあるパーティで手塚氏と藤子氏が寝てない自慢をしあってたら、横から水木氏が「睡眠は、大事です!」 と、一喝した逸話好き。
「イガグリくん」の福井英一に多作と徹夜を推奨し、ライバル心を煽って過労死させた原因は手塚だと言う関係者もいる。
泉くん、ハーイ! さんありがとうございます。水木先生は「寝てない自慢」という漫画家あるあるが嫌いだったようです(笑)
>手塚氏と藤子氏が寝てない自慢を
手塚氏と石ノ森氏の話なら水木サン御自ら書いている・・・。
@@fa-masf1leclairon177 さま
石ノ森氏かも。ちと記憶があやふやで、すみませぬ。
「人間は寝た分、長生きするんですよ」といって、それを実証しましたからねw
水木しげる手塚治虫この二人がいなかったら漫画アニメという娯楽は生まれなかった。たかが漫画アニメptaから嫌われてもこの先生たちは馬鹿にされながらも命を吹き込んだ。ひんしゅく買いながらも非難誹謗中傷批判されようとも漫画アニメ問う娯楽を日本の文化に変えた。やっぱりすごいよ
水木漫画の背景は写真を印刷したのかと勘違いした程緻密です…
ふぃがろふぃがろさんありがとうございます。背景がヤバイですよね、草木1本に至るまでしっかり描きこまれていますもんね。ほんと写真みたいです。
お二人が生前にテレビで対談なされていたのを覚えています。
手塚さんと水木さんは楽しそうに互いを持ち上げていました。
手塚・「何で漫画やったの?」水木・「手塚虫に憧れて(笑)」
「何言ってんだお互い同じ位に腹が出てんのに」て手塚さん。
なんだ、漫画の神様と大妖怪じゃないかw
水木先生は手塚先生の無礼をも漫画にしちゃう人(笑)
可愛いのよ❤️
鳥山明や冨樫義博もそうだけど、「絵よりもストーリーが大事」と言う漫画家は、皆絵がクソほどうまい。
少年誌連載の常連くらいになるとうまい絵なんか描けて当たり前の世界なんだろうね。
スポーツもトップクラスになると技術そのものには大差なくなって試合運びや戦略、心構えが重要になるみたいに?
@@渡部匡史 キメツも進撃の巨人も絵下手だけどな 絵下手で大ヒットした作品とか普通にあるよ
@@ひまひま-v4nさん 例えば「東大一直線」や「とってもラッキーマン」ですね。
水木先生のアシスタントだった池上遼一はある意味究極の絵師とはなったがストーリーを創る才には恵まれず、原作者のイメージを膨らませて作品を世に出す職人に徹した。(同じタイプでは、ながやす巧も)
手塚先生の作品のキャラクター(サファイア)がプリントされたTシャツを娘が着ていたのを見て改めて手塚先生の才能を実感しました!半世紀以上前のキャラクターのTシャツ着た女子大生の娘を見てカワイイと思ったオメデタイ父😅
我が子にユニコTを着せて喜ぶ同じくオメデタイ父(笑)
図らずも、鬼太郎が何回かアニメ化されて水木先生と手塚先生が融合した様な気がします。
今の日本の漫画、アニメコンテンツはお二人の影響力、大ですね。
「手塚は徹夜するだろ、俺はしないんだ」と手塚治虫を呼び捨てにしてるところに水木しげるの格がわかる。
どっちの先生も大好きだけど目には見えないものに向けるセンスと人柄は水木先生のほうが好き
3年前に水木先生の「魂の漫画展」を見に行ったんですが、絵が半端なく上手かったです。
漫画なんかだとキャラクターは大雑把に描いてあるけど、生原稿見たら線がとてもきれい
で。あと絵本の絵も美しいし、子供の頃に描いた絵画なんかも構図が秀逸でした。手塚先
生もだけど、才能ある人は子供の頃から絵が上手い。それもご両人共、他人の絵の模写と
かしないで自分で作り上げた絵なんですよね。
水木先生は妖怪漫画家のイメージが強いけど戦記漫画家としても凄いレベルが高いんだよね
手塚先生は漫画を使ってビジネスした人だけど水木先生は漫画はあくまで生活の為で本人は仙人のようにゆったりと生きた人って印象です
結果成功したけどもし普通の漫画家だったとしても水木先生はさほど気にせず生きていたのかも
90歳超えてもハンバーガーを食したその若さを学ばさせていただきました
手塚と水木、誰にも負けたくない対抗心で良くも悪くも生真面目に漫画に向かい続けた手塚氏、とにかく自分が好きな漫画を仕事とし、死ぬまで一漫画家であり続けた水木氏、二人とも甲乙つけがたい天才漫画家であったが生きざまは対照的だ。
「魔法陣から悪魔が呼び出される」と「ぬらりひょんは日本の妖怪のリーダー」は水木先生の独自設定だったが定番化してしまった
「魔法陣から悪魔が呼び出されるは水木先生の創作」説は半分正しく半分間違ってるぽい。togetterのタイトルを次の行に記すので検索されたし。
>「魔法陣」から悪魔を召喚する描写は水木しげるが最初だった?西洋魔術をはじめ興味深い考察が展開される
@@75kisara67 本来は魔法陣は術者を守るもので、術者が中に入って使うものだっただよね
@@laystorin123
呼び出した悪魔を(術者に危害加えないように)閉じ込める檻/結界の役割を担うケースも有ったかと。
魔界転生舞台のアニメもこの水木さんの「悪魔くん」がないと生まれてはなかった!
随分前のコメントに恐縮ですが補足で、
「ゆらりひょんは妖怪のリーダー」は昭和4年の藤沢衛彦の本の「怪物の親玉」という記載から拡大解釈されたものだったかと思います。
但し、妖怪そのもののリーダーとまで話が広がったのは水木先生が初出だったかもしれません。
水木先生は亡くなったんではなくて、妖怪の政界に帰っただけですww
政界じゃなくて、世界の間違いですww
@@尹龍虎 さん ある意味あってる気がする。
水木先生の訃報を聞いた時、悲しさよりも「あちらの世界に帰られたのだな……」と妙に冷静に思ったのが不思議でした。
その内に何かの作品で妖怪仙人とかで登場しても不思議じゃない。
私もそう思います。また転生して人間界に戻ってくると思います
唯一(手塚世代同期&以降)で手塚治虫を君付けで呼べた只唯一の人水木しげる
手塚石森にむかって「あんたら」て言うのすき
「ふたりとも天才な~のだ~。これでいいのだ」
「パパ」
水木しげるのネームになった神戸市兵庫区水木通りは祖父の家のすぐ近くでした。
手塚さんは宝塚、横山光輝さんは須磨区出身、松本零士さんも戦時の疎開先が明石市と何気に漫画家と縁があった兵庫県在住です😊
漫画家としては手塚先生のほうが好きだけど、生き方としては水木サンのほうが好きだったりしますw。やっぱり睡眠大事。
睡眠第一主義者ですね。😊
眠りたいからヒロポンを止めた、ということで・・・
とにかく好きな漫画でナンバーワンでなければならない焦りからか、死の床で「まだ描き足りない」というほど、他者への嫉妬とナンバーワンを維持するプレッシャーに生涯苦しめられた手塚、とにかく好きな漫画を仕事とし、地位も名誉も関係なく死ぬまで漫画家でいたいという思いで生きた水木、若い時はナンバーワンになりたいという思いが強かった頃は手塚氏の様になりたいと思ったものだが、アラフォーと呼ばれる年齢になった今は出来るなら水木氏の様な生き様でありたいと思う。
@@あほ拳コッチー 手塚はアイデアが後から後から溢れ出て1日が24時間じゃ足らないなんて話もありましたね。
水木さんが戦友と玉川上水沿いを歩いている時、ここで心中した作家がいるって話になって、「不健康だなあ~」(ちょっと違うかも)なんて戦友と話し合ってたエピソードが好き
そりゃあ南方戦線で沢山の仲間達が死んで、自身も爆撃を受けてフィラリア熱にかかって、それでも生き延びた人からすりゃそんな思いにもなるよな
個人的には水木さんは鈴木清順監督と重なる
2人共戦線に送られ、生き延び、そして破天荒
水木しげる先生は鬼才と言う方がしっくりくるかも。鬼=霊魂や魔物と考えると戦争の連隊で唯一生き残ったり、片腕を失って漫画家で大成したり運命を感じます。鬼=鬼太郎かも。
水木先生の絵は霊性の塊、日本という国から立ちのぼる大気を描いた。
幼少の頃見た水木しげるの点描表現による背景表現に強いショックを受けたことを思いだいました。
一連の戦場体験漫画も「南の島で命を落とした戦友達の霊(怨念と言い換えても構いません)が描かせた」とインタビューで答えていましたからね。
@@moonriver6840
マネしたけど、ストレス貯まるよ、あれ。
お二人とも優しい方です。
手塚先生の絵の真似を本当にできるのはその人に才能があって初めてできることだと思います。ご本人が晩年、手塚タッチの基本である「丸が思うように描けない」と悩んでいた姿を拝見した時、思わず泣いちゃった思い出があります。
丸は難しいよ。絵心があればあるほど難しくなる。
だからアンパンマンとドラ兄妹とのび太君は本当に難しい。
原作者ですら線入れを悩むことがあったと聞くのに、
あんなもの簡単に描けると言う人は無知か、創造神クラス。
っ田中圭一先生
手塚治虫著「アドルフに告ぐ」と水木しげる著 「劇画ヒットラー」は内容は違うがなんか共通点ですね 特に「劇画ヒットラー」は昔近くの定食屋の本棚にあり それ目当てに飯を食いに行っていました どうしても欲しくなり今みたいにネットが盛んな時代ではなかったので方々探し周りようやくその本を購入しその後さらに引っ越しでなくなりまた探し出して購入しました 当時としては珍しく善でも悪でもないヒトラー像が淡々と描かれており只者でない水木しげるの表現力が垣間見れる名作でした
フハーッ!
画力というか作画の方法論としては対極なんだよな
あくまでキャラとそれが織り成すドラマがメインの手塚とキャラよりも背景や風土の方に重きを置く水木しげる
めがねも共通点。
そして、宝塚歌劇のファンでよく見に行った。ただ、視点は違ったようで手塚は女性が演じる異世界を水木はええ姉ちゃんがいっぱいいる劇と言う魅力を感じていた。
偉大なお二人の考察 意識しつつも自分の道を行く比較 面白かったです
お二人とも画力もですが、発想力・羽根の広げ方が双璧やと思って居ます。生と死を見据えていたのも両氏の作品の深さに繋がって居ると思いますよ。有難う。
水木しげるさんは土の中から生まれた感じがするな~手塚治虫さんはちゃんと分娩室で生まれたイメージ
どっちがどうって言う訳じゃないけど…面白いな~水木しげるさんは
天才は生き様が凡人と違い過ぎて、凡人からは奇人変人に見えてしまうが、凡人には決して届かない。面白い作品を沢山残してくれて感謝。
所ジョージさんもそうだけど好きなことだけやって稼げる人ってやっぱり天才肌なんだなと思う
羨ましい…ですよね。
それが面白いもので所ジョージさん的にはミュージシャンで売れたかったのが本音らしいですよ。
奥田民雄との対談で歌手として売れた奥田民雄がうらやましいと語ってて聞いてる奥田民雄が自分よりもっと稼いでいる所さんにうらやましいと言われて驚いてました。
動画の主さんのセンスが光りますね。この角度できたか・・・という。
手塚氏=クラプトン(恐ろしく応用の効く手本) 水木氏=ジミヘン(手本にするとモドキになってしまう)
画力が半端なくあるからこそ言える名言
手塚治虫の息子さんが水木ファンでどろろを描いたとか?水木さんラバウルで精霊に会ったとか?
このお二人はガンコで一本気 奥さんが良い人。💓
お二人の おかげで、
夏目友人帳に出逢えました。
子供の頃に観た最も印象に残っているテレビアニメがゲゲゲの鬼太郎と白土三平のサスケです。
お互いがライバル視していたエピソードで水木が手塚をモデルにしたキャラを出せば負けじと手塚もBJで水木しげるをモデルにしたキャラクター(片手を失う誘拐犯)を出したのがある。
どちらの漫画も、小さい時から大好きです。
今まで見たRUclipsの動画で、この動画が最高に面白くていちばん興味深いものでした。ありがとうございました。
リンゴ酢胸焼け さんありがとうございます。マジですか?そんな最上級のコメントめちゃくちゃ嬉しいです。宜しければ完全偏愛番組ですけどよろしくご贔屓くださいませ(笑)
手塚治虫さん、ディズニー映画に憧れた未来志向人。
水木しげるさん、情念 背景の精密さ ラバウル現住民に憧れた自由人。
ちなみに、手塚氏に影響を与えた漫画家は、坂本牙城、宍戸左行、大城のぼる、松本かつぢです。
坂本氏と宍戸氏は、戦後は年齢的な物もあって引退しましたが、大城氏と松本氏はさくっと適応しました。
(宍戸左行と松本かつぢは、現在の漫画のコマ割りを考案した人でもある)
…松本かつぢの描くクルミちゃんの絵、顔を隠すとウランやピノコそのものです。
水木先生キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
兵庫県立美術館の水木先生の展覧会は凄かったです。また見たいです。
手塚の漫画の内容は現代の文学を遥かに超えてる
奥野細道 さんありがとうございます。作品の質を見るとそれがよく分かりますよね。漫画というだけでどこか下に見られている感があります…。
手塚先生は映画をよく観てるかた、という印象。水木先生は当時の流行りものとともに古今東西のアートの引用の幅が凄いですよね。
水木しげるの漫画を買った時は背景がすごくてびっくりしたのを覚えてる。ゲゲゲの鬼太郎だけど鉄橋の絵があったけどめっちゃ細かい。後でわかったけど背景はあらかじめいくつか書いていてキャラを入れらるだけにしてそれを貼り付けてたらしい。テレビでやってたけど今でも使わなかったやつが残ってるらしい。こういう事も発明したらしい。睡眠がとれてたのもそういう工夫があったんでしょうね。手塚治虫はいなかったら日本のアニメここまでにはなってないと思う。手抜きアニメだけどそれにより色々な作品が作られて多くの人に影響を与えてる。それが漫画家の刺激になったかも。自分もアニメにしたいとか。
知らないうちにすぐそばに爆弾が落ちたり、戦友がバッタリ倒れたりするリアルを体験しているので、水木さんの決定的戦闘シーンは、よくわからないうちに決着がついている。詳細な描写は無い。
大人はそれで納得していた。
何時も漫画アニメ界の巨匠の裏話とか、背景とか色々話題豊富なコメントありがとうございます。刺激になります。
お二人とも、少年の心を持ち続けていた
悪魔くん どろろでは息を飲んだ…マンガが確立されてない頃からの作家って言うのが素晴らしい 独特のタッチ 話の面白さ 強い個性
あの世があるならまだ書いてらっしゃるでしょうね…
手塚先生は三つ目がとおるやジャングル大帝を小さな頃観てましたし、3作目のアニメアトムやブラックジャックもよく観てました。水木先生は鬼太郎、悪魔くんととても好きな作品が多い作家さんです。どちらも素晴らしい先生ですね。
手塚治虫のザ•クレーターにスポーツ漫画しか描けない漫画家が別ジュンルに挑戦してファンに見捨てられる話があった。天才にも不安はあるのだろう
対比、まとめ方共にお上手
んん さんありがとうございます。励みになります。
寝る漫画家💧と寝ない漫画家🐞
いつか手塚治虫と水木しげるの対比列伝が出てほしい。
一反木綿が九州の言葉話してくれたんで、親戚に方言丸出しでもバカにされなかったのは嬉しい思い出。
ぬりかべが遠賀発祥で俺の近所だったのもめちゃくちゃ嬉しい
ひょっこりひょうたん島でお馴染みのひとみ座と云う人形劇団が、水木しげる先生のキャラクターを人形にしているのを見ましたが、原作のキャラクターを寸分の違い無く立体化していて驚いたのを覚えています。ひとみ座の片岡昌さんと云う人形デザイナーの方の手によるモノなのですが、本当に凄かった。
お二人にもっと長生きして欲しかった。
そーだね❗
水木サンは出征経験が大きいですね、生き残った負い目、徹底した文明不信とニヒリズムからくる諦観が持ち味、手塚先生もグレた作品あったけど水木サンはスレてた。
monoris2008 さんありがとうございます。まさにそうなんですよね。当時は「死ぬ美学」の価値観の方が強く「生きる」ことは「生き恥」とまで蔑まれた時代です。生き残った2人の天才には相当の憤りがあったことと思います。そこに単なる「命」を描くだけのマンガとは違う重みがあるのでしょうね。
手塚先生の性格からして、従軍してた場合九割九分戦死してたんじゃないかなーと思う。
逆にあの状況から生還するのも水木先生でないと無理な気がする。
水木しげる先生は、戦争で出兵してラバウルの戦地で片腕で失った辛い過去があったのは知ってるけど。
水木しげる先生にとって、真の妖怪は戦争だったんじゃないかなと思います。
確か水木先生は、軍の上層部から部隊ごと玉砕を命じられた話が‥不確かな記憶で申し訳ないですが‥。
とっても面白かったです!!
手塚治虫先生も水木しげる先生も大好きです。
水木先生の思い出は、小学生の時、小学館入門百科シリーズ 「妖怪なんでも入門」という本をお小遣いで買って、穴が開くほど読んだことを覚えています。本当に大好きな本でした!
カラサワトヨミツKandaRiverSideRecords さんありがとうございます。「穴が開くほどに読んだ」そうですね。昔は一冊の本をそれこそボロボロになるまで読み込みましたよね。手塚作品なんて何回買い直したか分かりません(笑)
水木しげる先生が描いた、小学館入門百科シリーズ「妖怪なんでも入門」超懐かしい~❗
私も小学校の頃、学校の図書館で借りて見た事あるよ‼️
「妖怪天国」というビデオ作品の中の「おでん」という作品で両先生が共演で出ておられますね。手塚先生の息子の手塚眞監督作品でした。
水木しげるさんの作品としては、実写版の悪魔くんを覚えてます。ゲゲゲの鬼太郎はアニメで、その後の放送でした。
調べたら墓場鬼太郎って紙芝居、貸本の作品で水木しげるさんは作画担当だったのですね。
「ライバル」と「敵」は違いますからねw
戦争体験を通して、単純に「戦争反対」にならずに
「死とは何か」「何故、人は生きるのか」
という疑問に昇華したのが両天才のすごい所だと思います。
水木しげるのことしか分からないけど、戦争を肯定はしないけど否定もしてないところがなんか懐の大きさを感じますよね。
最前線で戦った人と一市民として空襲を受けた人じゃ感覚が似て非なる物だと思うけどね。
戦争経験といっても水木しげる先生は実際戦地に行って戦ったけど
手塚先生はまだ子供で受動的な立場だからだいぶ立場が違う気がする
あの年齢なら余程超ど田舎じゃなければ体験してる筈だし
いい事言った
俺もそのとおりだと思うよ
Kotohogiさんありがとうございます。手塚先生は視力が悪くて現地に行かずに済んだので水木先生とは大きな違いはありますね。それでも都市部を焼け野原にした大阪大空襲で生き延びた経験はまさに九死に一生を得た経験だと思います。
ど田舎でも終戦間際では米軍戦闘機の機銃掃射で
えらい殺戮あったんですよ
手塚治虫もその記憶あるんですよ
戦闘機乗り生き残りの方と関わりましたが同世代の人と比べても空気感が違っていました。
自分の感情で怒らない優しい人なのに周りの大人子供が勝手にひれ伏していました。
戦争についての政治的意見は一切言わなかったです。
水木さんは自分を駄目兵士みたいに言ってるが自分の所属する部隊が奇襲で全滅した際、海に飛び込んで数十km泳ぎきり
断崖をよじ登り、密林を突破する際、妖怪?と格闘して打ち破り、本隊に帰還したリアルランボーだからな。
生命力が半端ない。その上、よく睡眠をとって健康維持したから90歳過ぎまで生きた。
手塚先生と弟子の石ノ森先生は、睡眠が不足して健康を害して短命だった。
自分は若い時から3時間から2時間睡眠で仕事をしてきたが57歳で力尽きて1年休職する羽目になった。
その後は6時間から7時間睡眠生活になったが、その結果、肝臓の数値も中性脂肪も尿酸値も正常値になって健康体になって
しまった。睡眠は大事だという水木先生の言葉は真実だったな。
00-005 msc さんありがとうございます。睡眠は大事ですよ~(笑)手塚先生はあのスケジュールでよく60歳まで生きたと思います。その方がある意味不思議です。
ふたりの仲は悪くなかった。こんなエピソードがあります。
手塚治虫「水木サン、こんどの雑誌で漫画描きませんか?」
水木サン「いいです(やります)」
手塚治虫「原稿料払いますよ?」
水木サン「いいです(やります)」
手塚治虫「??」
水木サン「まあがんばってください」
結局、遠回しに断ったって事?あるいは遠回しにバカにされたのを水木氏がさりげなくスルーしたって事?
口下手な水木サンは、話しかけられてもうまく返事することができずに誤解されることがあったそうで。
つまり、手塚治虫のさそいに「いいです」と言ったのを、「結構です」と誤解されてしまったと。
ほんとは描く気なんだけど、ちゃんと言いなおすことができずに、結局ことわった形になってしまったということです。
ずっと口下手だったので、誤解されても、殺されないかぎりはそのままにしていたそうです。
ここだけ聞くと手塚治虫が気の毒だな
12:22 そういえば「巨人の星」が流行していた頃、「あれが何で面白いんだ!」とアシスタントに愚痴る逸話があったが、さすがの天才もスポーツ漫画だけは理解できなかった。
しかし、手塚先生の伝記マンガを描くとしたら、原作者に一番相応しいのは、梶原一騎先生だと思います。
京極夏彦の小説『虚実妖怪百物語』に水木しげるが登場しますね。
漫画と小説の違いはあれど師弟関係?のような関係があったみたいです。
手塚先生は医者で、水木先生は本当は美術の勉強をしたかったのに徴兵されたという違いは大きいと思います。
あと、お父さんが銀行員だったのに他人の罪を擦り付けられて失脚したという幼い頃の経験。
手塚先生が嫉妬したのは、実は手塚先生は、優れた漫画を描く為なら水木先生の苦難を自分も受けたかったというような心境がおありだったのではと思います。
水木先生は、お父さんはインテリだったので家にルドンの画集などがあり、目玉親父はルドンの絵から影響を受けたかも知れないとおっしゃっているようです。
妖怪をエンタメ化するのは百鬼夜行とか、江戸時代にも妖怪画がブームになった事はあるようで、日本人の心の奥底にある何かと繋がった作風なのではと思います。
手塚先生と水木先生の差は、乳母的な存在がいたかいないかというのも大きい気がする。水木先生には、のんのんばあという妖怪の話をしてくれるお手伝いのおばあさんの存在も大きい気がします。
言ってみれば、大きなくくりとすると、水木先生は古くからの日本の伝統を受け継いだ方で、手塚先生は、全く新しいコミックではない日本の漫画を作り上げた方と言えるのかも知れません。
後世への影響と言えば、圧倒的に手塚先生ですが、日本人の心の奥底にあるものを表現した水木先生のさくひんもまた、大きな影響を残しておられると思います。
『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』で水木悦子さんの話に爆笑しました。お姉さんの尚子さんが中学3年の頃に手塚漫画のファンで、父しげると喧嘩して「お父ちゃんの漫画には未来がない! 手塚漫画には未来がある」
鬼太郎も一段落ついて幅広い創作をしていた頃、かたや手塚治虫は漫画少年で火の鳥を再開しブラックジャック、三つ目その他で多忙だった頃の話と思われます。
水木しげるは昔、「妖怪よりも一番怖いのは人間だ」と書いていました。夜に仕事をしていてフト気配を感じ、振り返ると階段の下にうずくまってる男がいる。「何だ君は」と訊くとアシスタント志望の青年で、同じ場所に半日坐って待っていたのだと言う。「水木プロはこんな人ばかりだった」そうです。
子供の頃、親戚の家に今の週刊漫画雑誌のような造りの火の鳥の単行本があって
それを呼んだのが手塚先生の漫画との出会い。そして大学生の頃、校内の購買部で
文庫サイズになった悪魔くんの単行本を偶々買ったのが水木先生の漫画との出会い。
二人ともTVアニメでの作品は見てましたが漫画そのもので読んだ時の驚きは
相当なもので以後古い漫画にも興味を持つようになりましたね。
その「火の鳥」は、COM別冊の虫プロ商事刊行版か、マンガ少年別冊の朝日ソノラマ刊行版のB5サイズ単行本❤
火の鳥に登場する、デカイ鼻のおじさんが印象的に残ってます。(笑)
長谷川町子は田川水泡の弟子で戦前からの流れですよね。これも日本の漫画の一つの流れかも知れません。
水木先生が虫プロでの座談会の前に普段吸わないような洋モクを格好つけて池上遼一に買いに行かせたって話好き
寺沢武一が手塚に深夜、赤いキツネを(店まで指定されて)買いに行かされた話、好き❤
いく さんありがとうございます。数えきれないほどのパシリ伝説…実は一人になる時間が欲しかった(時間稼ぎ)という説が有力らしいですが、ほんとのところはどうなんでしょうね。
松本零士先生が手塚先生のアシスタントやってたとき、手塚先生のイタズラでチョコレートうどん食わされた話好き。
私も、鬼太郎、妖怪全集を見ていました。😊
小さい頃だったので、怖かったです。😖
水木しげるさんは、「妖怪は、少なくなった」って言いました、妖怪って、本当にいるのですか😯?
人生の3/1は眠っていると…言われていますからね。😴😔
デプロメールセロリ さんありがとうございます。水木先生は妖怪と友達だそうです。大事にしていることは「目に見えない世界」とのこと。常人には見えない何かが見えていたことは確かでしょう。手塚先生も宇宙が見えると言っておられましたから同列ですね。
手塚先生が亡くなられて原画を観る機会がありましたが
画がやはり古く感じましたが綺麗で繊細でした、為人は皆さんご存知の🤣
幼少の頃、妖怪大辞典観てどう書いた疑問思った。芸術過ぎ
手塚治虫がタブー的な漫画を沢山描いてたの知らなかった。そんな作品があることを知れてよかった
黒ラベル白ラベル さんありがとうございます。沢山あります。むしろ様々なタブーをやり散らかしている変態でもあります(笑)
画力は水木先生凄いけどなぁ…
手塚治虫は戦争に行かなかった子供(青年ではあったが)として、
水木しげるは兵隊として戦争に行った
だから戦争に関する描写のリアリティはやはり水木しげるの方があるが、
手塚治虫は自身の銃後での経験と第二次世界大戦後の戦争(朝鮮戦争、ベトナム戦争など)を
よく学んで作品に活かしている 戦争というテーマそのものは手塚治虫作品の方が頻繁に出てくる
スポーツ以外の全ジャンルでトップに君臨したかった手塚に、妖怪ジャンルの王位を譲らかなった水木。スバラシいライバル関係です。
手塚治虫が天才、漫画の神様なら水木しげるは奇才、漫画の妖怪
手塚さんと水木さんの比較論まで企画してくださるなんて、ありがとうございます😳たのしく学べました!たくさん漫画を読んでおられるのですね。某さんは、手塚さんの他に好きな漫画家は誰なのでしょう?気になりました。
明良 さんありがとうございます。それこそ沢山マンガは読んできましたよ。藤子不二雄先生、横山光輝先生などレジェンドたちはほぼ読んできましたしジャンプ黄金時代も経験しています。最近のはあまり読んでませんね(笑)
@@nanigashi 返信をありがとうございます💕
手塚せんせいの子供が幼少時、水木せんせいの妖怪の絵本を見ていたと聞きます。
我が子が他の漫画家の本を見ていて、意識はしていたんだと思う
横山光輝も孤高の天才だった思ってます。余り話題にはなりませんが。
うしおそうじ氏もお忘れ無く。
水木先生も赤貧時代に数限りなく作品を執筆していて、原稿も記録も残ってない作品も多いのだとか。
それを集めている「関東水木会」なる団体があるらしいですが、いやはや大変な労力です。絵柄もペンネームもバラバラらしいので。
水木先生の場合は貸し本屋の作家から雑誌の連載に移った初期は出版社が何回かつぶれた、または出版社から掲載の給料が支払われなかったという経験もしておられる。読み切りの鬼太郎を大学生の目にとまり、彼等が水木先生を応援したのでようやく遅咲きの天才が世に出た感じ。
水木しげる!パチパチパチパチ。待ってました、もう一人の巨匠!偉人!変人!
水木しげるが手塚治虫の睡眠不足自慢と早死にをなじったのは作風にもあらわれてるなーと思った思い出。
「手塚治虫から離れるべし」 をモットーにしていたのが楳図かずお。しかし手塚は楳図の漫画を読んでいて,どこかのパーティーで手塚の方から 「楳図君ですね?」 と声を掛けてきたという。
手塚治虫の代表作“どろろ”は
水木しげるに対しての宣戦布告では
ないかと言われたとか。
水木先生も常人からすればバケモノのような作業量をこなしてたんだよなあ・・・
③のマイペースは2人ともメチャクチャはやい はやすぎる
いつも楽しく拝見させて頂いてます。
今回の二人の天才の比較はとても興味深く視聴させていただきました。
僕は藤子マンガが大好きです。
特に藤本先生の作品のマニアです。
そこでもし某さんがよろしければ、藤本先生と手塚先生の比較動画もみてみたいです。某さん的考察もとても興味があります。
もちろん師弟ではなく、ただの先輩後輩という関係ではなかった藤子不二雄の二人と手塚先生治虫、
「安孫子くんは天才だが藤本くんは大天才だ」と呟いたというエピソードが残っているぐらいのこの二人、似ている点相違点比較していただきたいです。