Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
一番力や衝撃が加わる部分を可動式にしようっていう発想に、まず恐れ入る。
最近は皆さんレイセンて呼びますけど、戦中でも海軍ではゼロセンと広く呼ばれていたらしいです。敵性言語が禁止されていた戦中でも英海軍式を模範とした日本海軍では英語が普通に使われていたためらしいですね。
そうですね。頑なに「レイセン」と呼ぶ方も多い様ですが、ゼロ戦とも呼ばれていたのは確かです。空母赤城搭載機の尾翼に記載されているのはアルファベットですしね。
ご視聴&コメント有難うございました。私もどちらにするか迷っていましたが、NHKでもゼロ戦と言っているようなので、今後はゼロにしようと思っています。
そもそも戦闘機を作っている三菱も海軍航空技術廠も外国の飛行機の文献を読んでいるため、すべての用語を日本語に置き換えていたはずがありません。
神風も「かみかぜ」と「しんぷう」と呼び方が統一されていません。大日本帝国は漢字の読みを伝える慣習がなかったため、漢字表記の読みはバラバラでした。
部隊ごとで使ったり使わなかったりだから、海軍と広く言うのは間違い ○○航空隊ではゼロが一般的だったけど、○○航空隊では零式が一般的だった みたいな感じ
踏切の遮断器も常に持ち上げる力がかかっているので、電力が絶たれると遮断桿が自然に下がるようになっています。
ご視聴&コメント有難うございました。遮断棒ってそうだったのですね。わかっているようでわかっていませんでした。
ゼロ戦と呼ぶとレイ戦と突っ込まれるが岩井勉氏、原田要氏、坂井三郎氏は普通にゼロ戦と呼ばれていたと供述。昭和19年に正式名称が公表されたが新聞のルビも「ぜろせん」
ご視聴&コメント有難うございました。仰る通りだと思います。このチャンネルもゼロ戦に変えました。
最初の宇宙戦艦ヤマトではコスモゼロの脚が順次引き込む様子が描かれていた。実機を良く知ってる・見たことがある人が描いてると解った。戦後29年のアニメだからなぁ。
しかも同様の火星での場面ではブレードアンテナの書き忘れセルのせいでまるでステルス性向上の為の格納式アンテナを離陸後テストで出し入れしてるように見える奇跡
米国カーチスP36やP40そしてグラマンF6FやチャンスボートF4Uに採用された回転式後方引込み脚は、広い主翼弦を必要とするが胴体と主翼下に搭載物(増槽や爆弾)を吊り下げるのに都合が良かった。日本では陸軍キ87で同じ機構を試みたが何故か巧く作動できなかったと云われる。面白いのは動画でも紹介されていたF4Fの手動式引込み脚で、離陸中クルクル回すのに一生懸命なので飛行姿勢がフラフラ状態。しかも誤って手を滑らすとレバーが「逆回転」するので ―強烈な苦痛を覚悟で― 自分の足で(逆回転するレバーを)止めなければならない。だからF4Fの改良型の試験飛行する度にテストパイロットは報告書の片隅に「(手動式)脚を何とかしろ!」と殴り書きしていたそうだ。
F4Fでロック掛かるまで回さないと、着陸時の衝撃で脚が引っ込み胴体着陸する機体が結構有ったって話は読んだこと有りますね。
そのテストパイロット、レバーの逆回転で足を打って、なかばキレながら書いたんだろうな。元が傑作対戦車火器ゆえに発射速度に劣り、威力の割に重すぎ、爆裂弾も使用できず、機動しながら撃つと頻繁に装弾不良起こす欠陥航空機銃M2を装弾不良多発故に6門も積み、武装重量4割の米軍機が今さら重量を気にするのは変な気がする。油圧モーターぐらい積んでやれ。
P-40やF6Fが採用した格納方式と、F4Uの方式は実は異なっています。どっちも後方に回転しながら引き込むので一緒に見えますが、F4Uのはベベルギアで軸を回転させる機構が存在せず、脚の取り付け軸そのものを斜めに取り付けるだけで脚の回転と引き込みを両立させるシンプルで優れた方法でした。もっとも後方引き込み式は翼桁やトーションボックスが翼の途中で切れてしまうので、構造的には不利な気はします。
面白い観点の動画ですね。コメントも多く付いてますが、掘り下げるともっと色々なネタが出てきそうです。・逆ガル翼の効果・重心位置とタイヤの格納場所とか。
萱場製作所は航空母艦の着艦制動装置で有名です。
現在のカヤバ工業ですね。いまだに自衛隊の飛行機の脚を造って頂いております。by元自衛官
今や世界のKYB,カヤバですしね。
@@是長文 様そうですね、世界のKYB。航空機の脚はどうやって離着陸時の衝撃を緩和するかが重要なので、その技術を生かして、耐震建築にも力を入れているようです。本社に打ち合わせに行った時に本物の零戦の脚が展示してあったので、興奮して、周りをうろうろしていたら、不審の目で見られました😅
@@飛鳥誠-b8p たぶんその零戦の主脚は、長年水没していたにも関わらず、引き上げた時にメッキ部分が錆びていなかったというカヤバの技術力を示すものとして展示されていたはずです。
@@CX-EURO400 様「2号2型零戦」という刻印まではっきり読み取れたので、ひたすら興奮しておりました😊
F4Fワイルドキャットのメタボさはそういう進化的経緯があったんですね。 エンジン径より太るとか何考えてんだとおもってました。
同高度でベテランによる戦闘で初期圧倒出来たのは、f4fの設計のまずさが有ったでしょうね。元々技術力も物量も負けてたはずやのに。だからこそ後期型のコルセアやマスタング、ベアキャットはスマートになってる。
@@e-justice3752 でもベアキャットは胴体をエンジン径より太くして操縦席高くすることはやめてないし翼の位置は下げても胴体下面とツラになるほど目いっぱい下げたりしない、それでめんどくさい脚の構造になっても仕方ない胴体は短くていい日本機のような安定を求めて長くしないし尾翼も小さめって感じでF4Fとかのグラマン流を踏襲してるけどね
ご存知の方も多いと思いますが一応補足です。2:29 1962年迄の米海軍機の命名法は(機種)(順番)(生産メーカー)でしたので、F4FはF(戦闘機)4(番目)F(グラマン製)でグラマン製の戦闘機の4番目です。1番目の1は略すのでグラマンの最初の戦闘機はFFで2番目がF2Fで3番目がF3Fです。ゼネラルモータース社でライセンス生産されたF4Fも1は省略するのでF(戦闘機)M(GM製)です。3:00 F4Fも最初の計画のXF4F-1は複葉機でした。主脚が付いていない翼は付け根近くからグラマン独特の後方に折り畳む事が出来て、2機分の幅に5機止められたそうです。空母のエレベーターのサイズにギリだったので、翼端を50cmづつ折り畳めるようにした零戦21型とは大違いでした。
ご視聴&貴重なコメント有難うございます。大変参考になります。日本の戦闘機の命名の仕方の動画も作りたいと思っています。
F4Fの引込み脚は人力だったのか。ソ連のI-16と同じですね。
F4Fは知らないけど、I-16は小さな斧が装備されていて、非常時はその斧で引き込み脚のワイヤーを切り、強制的に脚を出したそうです。普段は面倒だけどトラブルには対応できるナイス構造!
アメリカは合理的なので、組み立ての工数がかかることをやっていないだけです。
個人的には、紫電とP-47の脚部比較が面白い。どちらも中翼ゆえに伸縮式の脚部を持つのが共通点だけど、紫電では伸縮用と引込用で油圧装置をそれぞれ搭載したのに対し、P-47では油圧一本で解決してるのが面白い。こちらは脚と脚カバーがそれぞれ回転軸を持っており、引き込む時は脚が脚カバーに引っ張られて自動的に縮みながら翼内に入っていく仕組みになっていて、巧妙に出来てると思う。
ご視聴&コメント有難うございました。参考にさせていただきます。
降着装置ば川西航空機(現新明和工業)の子会社、極東開発工業が有名です。
極東開発工業は戦時中に川西飛行機に在職していた宮原某氏が、戦後の川西モータースや新明和興業から独立して起業した会社です。従って太平洋戦争中には存在していません。
サムネに誤解招く表現ありグラマンの引き込み脚は手巻き(手動ハンドル)←✕F4Fワイルドキャットの引き込み脚は手巻き(手動ハンドル)←〇グラマン艦上機でもヘルキャットとベアキャットは自動収納です
ご視聴&ご指摘ありがとうございます。確かに仰る通りだと思います。紛らわしい表現をしてしまい反省しております。
軽量化優先の為、同時引き込みではなく、1本づつ。
ご視聴&コメント有難うございました。
油圧に余裕の少ない零戦ではプロペラ後流などの影響で左右で抵抗が異なり、片方ずつ脚が入る事が多かったと聞いたことがあります。一方、四式戦などでは発動機出力が上がったために油圧に余裕ができ、同時に入る機体が多かったとか。
@@St-wood 貴重なコメントありがとうございました。
烈風の引き込み脚の構造は ハインケル機からの物を コピー
動画を見ていないと思われるコメントばかりですね。
海軍機の弾き込み脚は部分式ですが,九六式陸上攻撃機が最初(日本軍初)ですね.これも手動です.
スイマセン.「弾きこみ」→「弾き込み」デス
「引き込み」では?@@山寺和尚-q7p
「引き込み」です
思ったより奥が深かった。
引き込み脚のカバーに塗られた色が青・黄・赤というのは実は誤り。青と赤だけ。
どっかのプラモデルの箱絵が黄色を描き足して、それから3色って間違いが広まったみたいと、ある戦争博物館の館長さんが言ってました😌多分青と赤しか見えて無くて途中に黄色があると想像したのでは…😅
プラモデルのデカールで3色あったのをそもまま信じていました。因みにタミヤのスケール 1/48 零戦21型です。
父親が戦時中、この部分の生産に関わっていたと聞きました。
ご視聴&コメント有難うございました。貴重なお話を伺えそうですね。
零戦の主脚室内の何故あの色だろうか青竹色個人的にはF6Fの回転後引き込みの構造に興味あるがいい動画でした
ご視聴&コメント有難うございました。そう言っていただけると嬉しいです。
防錆のため、クリア塗料に防錆剤を混入した防錆塗料を塗装した色ですね。防錆剤は亜鉛末(金属亜鉛の粉末)で、顔料としては隠蔽力が低いため、地肌のジュラルミンが透けて見えます。
当時のアルミ合金の錆止め塗装のため主脚室内だけでは無く機体内部は基本青竹色だった。
後方引き込みについてですが、P-40やF6Fでは出し入れの際に脚の付け根にあるベベルギアに噛み合った脚が回転しながら動作するのに対し、F4Uでは脚の取り付け軸を斜めにする事で、特殊な機構を用いる事なく脚の回転と収容を両立させるシンプルで優れた方法でした。
脚を出したり引っ込めたりの離着陸時にアタマを敵機に抑えられてたら、その時点で詰んでるので、制空権下の作業であるはずだ。だったら人力で良いんじゃね?とか。そういう考え方は当時ならありそう。
人力だと余計な油圧ポンプ等を積む必要性が無くなって軽量化と機構をシンプルに出来るでしょうからね。油圧動作式も故障した際の非常用の手動レバーがあったと聞いています。戦闘で怪我した時は手動は大変かもだけど。
@@kkkkkkk052000映画メンフィスベルのアレですね。
アメリカは合理的なので、変に作り込まないんですよね。
@@daisuke5755 アメリカは合理主義というより実利主義、プラグマティズムだと思います。だから奇抜な発想を得ることが出来るのだとも。これに反して例え屁理屈でも、リクツが通れば実現できる筈である。と、「合理主義の不合理」を体現したのが、えーと、まぁいいかw
4:50片方ずつ引き込む脚が、3機のうち中と右の機体はもろに正反対になってる!
ご視聴&コメント有難うございました。よく観てくださっていてありがとうございます。
零戦の油圧系は弱くて、結局は搭乗員が手動油圧ポンプを必死に操作せざるを得ない場合も多かったようです。
ご視聴&コメント有難うございました。なるほど勉強になります。
零戦の主脚の3本の色帯は誰がどの角度から見てどこを目安にしていたのか、これだけではよーわかりませんでした。
田宮の1/32プラモデル作ったら解るよ。
自動車の始業点検みたいに操縦士が飛ぶ準備するときに見るんやないの。 エンジン回してから整備員が「重さ良し」報告とかせんやろ。荷物はないと思うので 機銃弾は全部積んで 燃料の量で重さが変わったんやないのかな。 ちゃんと燃料は入っとるなとか。
カタパルトを使用しない艦載機の発艦は自機の推進力と母艦が作る合成風が重要です。それと機体重量です。ソレを見極めるのがショックアブソーバーの縮み量(沈み量)をこの赤黃青で表示。増槽+機内タンクをフルに入れ、オイル、機銃弾積む過荷重に近い時赤表示❕気合入れてエンジンオーバーブーストで離艦。
オレオ脚と言ってバイクのフロントフォークのように自重で脚が沈みます。脚カバーは機体翼側と車輪側別部品になっており重なっているので沈んだ量だけ色帯が隠れるので外側の整備兵からわかるのです。
片脚づつ引き込むのは目的があってしているのではないのですね。
ご視聴&コメント有難うございました。油圧機器の重さを軽くするために最小限の力で上げるため片方ずつになっているようです。
零戦に採用された油圧式は、少なからずトラブルがあったのか、一式陸攻や雷電では電動式となっている。一式陸攻はトラブル時には手動でも脚を出せたそうだ。
どの戦記読んでも足のトラブルは出てこないわ。てか、足は信頼性あった。頼りになるって記述ばっかり。どこで仕入れた与太話?
@@七誌権兵衛-p3f零式戦闘機は油圧ポンプの性能が悪いため、脚の引き込みの力が貧弱なんです。脚を引き込むときに左右の脚が同時に引き込まないのは意図したものではなく、油圧が低いせいでひとつずつ引き込んでいます。
@@七誌権兵衛-p3f「頼りになる」と証言があるとおり、「頼りにならない」こともあるということです。
零式艦上戦闘機は空母を基準に脚をキメているため、陸軍の戦闘機よりも脚そのものが貧弱です。
@@daisuke5755何というか、すぐ判る嘘をよくつけるな?空母への着艦は人為的墜落と言われる程強い衝撃が有る。飛行甲板は滑走路より遥か短い。なんでまだ速度が載っている状態で後部にあるフックでアレスティングワイヤー掴んで強制停止させるんだぞ?物理法則が働く限り、陸用機より足の弱い艦載機は存在しない。
どこにも有ることだが、知識ひけらかしコメントは醜い。そこまで言うなら自分で動画を出せよって言いたくなるよ。
まぁ落ち着こか、兄ちゃん。コメント欄は知ってする事を言うて、それで皆が知識を深める意味合いもあるんや。もうちょっとその思考に柔軟性を持たなアカンのとちゃうか。
日本初の引込脚を採用した97式艦上攻撃機も引込は手動でした。
いや九七式一号/三号艦上攻撃機のは、同じく中島の隼と同タイプの油圧式ですが?手動式なら付いてるはずのワイヤーが無いでしょ零戦のもそうですが、輸入したチャンス・ヴォートV-143の引込脚の構造や艤装を真似て作られたものです
ご指摘の通りでした。翼の折り畳み方式と勘違いしていたみたいです。お恥ずかしい😰
これはF4Fワイルドキャットの弱点だったろ。手巻きで足引き込んでる時フラフラしたとしたらそれは零戦にとって狙い目だったはず!w
別に引き込まなくてもいい。
引き込みどうこう以前に、そんな離陸直後の低空低速状態を襲えてる時点で既に超有利な気が
何故に90度ひねり後ろ引き込み?
艦載機なんで空母に沢山積めるように出来るだけ翼を畳めるようにする為と、支点を出来るだけ本体と離せるようにして着艦時の不安定さを出来る限り無くす為と強度の高い所に収納するためだと思われます
F4Fの脚が手動式だったとは初めて知りました。グラマンなんて資料本があっても「ケッ」と見てこなかったのでww
3:37 主脚の巻き上げは39回転なはずです100回転は誇張しすぎでは?
ご視聴&コメント有難うございました。私の調べた書物でのデータでした。いささか誇張が含まれているのかもしれませんね。
片足出ないときも😢
片足がでませーん!あー-----!どかぁん!なんてシーンがありましたね。
軽量化に徹底的にこだわった零戦が主脚だけは安全最優先なのが良い。艦載機の着艦は人為的墜落と言われるほど、強い衝撃に耐える必要がある。この主脚配置の所為で翼は根本から折りたためないし、重量物を中心に纏められない。軽量化にも不利。が末期のドイツ空軍は未熟練パイロットの着陸事故が多発し、戦闘前に多数の犠牲者を出した。BF109は高速重視で着陸速度が高いのに主脚が貧弱でトレッドも短いのがその原因。対して零戦は未熟練パイロットにも扱い易い機体だった。ドイツが43年にはマトモなパイロットが払底していたのに対し、日本のパイロットはまだマシな編隊戦闘可能な練度を保っていた。軽量化は運動性ではなく長い航続距離を確保する為。で分散、集結を繰り返し、全体の数で劣ろうとも、一戦場では数の優勢を維持する。局地優勢で相手を防戦一方に追い込み弱防御を補完する。その防御も防漏燃料タンクと自動消火装置の組み合わせで操縦士、機関への直撃以外は穴が開くだけであり言われるほど弱くはない。特に爆裂弾を使用出来ない米軍のM2には極めて有効に働いた。圧倒的国力差を覆す工夫の塊。
ご視聴&詳細なコメントありがとうございました。
日中戦争で悪路の滑走路に苦戦していたからです。
米軍は組織的に優秀なパイロットを前線から引き抜き、本土で教官に任じた。そのため、戦争が進むにつれ、練度の高いパイロットが大量に養成されていく。日本はそんな余裕はなかったし、そんな思想もなかった。熟練搭乗員が欠けて、補充される搭乗員は、今の自家用操縦士も取れない飛行時間で前線へ送られる。ドイツの一撃離脱思想と違い、日本の格闘戦重視の軽戦闘機では、搭乗員の技量が露骨に現れてしまう。米軍のガンカメラに納められた、何の回避もせず、ただ弾を受けるだけの日本戦闘機を見ると、切ない。零戦には、基本的に防漏タンクが装備されなかった。炭酸ガス消火装置も限定的。誤解が多いが、海軍は十二試艦戦に航続距離は要求しなかった。要求したのは、滞空時間。当時の世界的な思想で、単座戦闘機の長距離侵攻は考えず、あくまで艦隊防空用戦闘機を要求したのである。堀越技師は、完璧主義を越して石頭と言える程であり、軽量化のため、あまりに工数がかかった。P-51の4倍という説がある。少数精鋭の艦戦だからよしとされたものの、結局は主に陸上基地で酷使されたから、妥当な判断とは言い難い。大戦後期には、英米戦闘機に、自動的に見越し照準が行えるジャイロ照準器が装備されると、飛躍的に命中率と撃墜率が向上する。朝鮮戦争で、飛行性能と武装で勝るMiG-15に対し、F-86が対抗できたのは、照準器の差が大きい(この頃は更にレーダー測距儀が組み込まれた)。B-29や米艦艇の40mmボフォース砲以上の管制装置と比べると、同時期の日本は原始時代の如くである。
零戦(レイセン)と言う発音が正式なのでしょうけど、やはり一般的にゼロ戦と言う呼称が良いと思います😓😓😓
戦争中もパイロットたちはゼロ戦と呼んでたそうですよ。
当時の新聞発表でもわざわざ(ゼロセン)と読み仮名ふっていました。
こうして見ても着陸装置である脚でさえその時の技術が集約されたモノであるのが良くわかる戦艦にしてもそうなのに何故日本軍は精神論に固執してしまったのだろう?兵器はその国の技術レベルの闘いなのを理解していたのにもっと陸軍も精神論でなく戦術、戦略に科学的な視点を持っていたならば無駄とも思える犠牲を減らせただろうに
物資と工業力の低く、経済面でも劣る国は精神論しかないからです。
@@akibanokitune 結局は過信と慢心自己に都合の良い結果を導き出す為に足りない全てを精神論で補おうとした結果なんだと思う
@@ROCK-ho5bi まぁ10倍以上の国力のある軍隊にはそれしかない。そうでなければビビッて戦闘行為などできないしな
仕事したらわかるよ。集中してる時とそうで無い時の効率の差、仕事の出来は圧倒的。唯でさえ国力に劣る側が集中力ですら負けてたら話に成んないわな。精神論馬鹿にする奴で仕事出来る奴、見た事ないわ。決められたルールをしっかり守る、横着しない。コレすら出来ない奴は本当に使えないよ。
キ115は特攻機でないと設計者が断言しています。
ご視聴&コメント有難うございました。上層部が特攻機の一つの選択肢として考えていたようですね。
本来の呼称「レイ戦」、やっぱりゼロ戦より耳にいいなぁ。
海軍そのものがゼロ戦と呼んでいたんですよ?
ですね、海軍は英海軍や英語が大好きでしたから。最初に零戦が国民に新聞公表された際も、わざわざ「ゼロセン」とふりがなが振られていました。
確か海軍零式艦上戦闘機でカイグンレイシキカンジョウセントウキと呼ばれていたと記憶してます。
零戦の本来の呼称はレイセンだって言う人を結構見かけるので(体感的に、ここ2年ぐらい特に増えたような?)、何か共通のネタ元があるのかな?と疑問に思ってます。誰か知ってます?
国の呼称が2つあるんやしどっちでもええやんか
日本の戦闘機はコルセアのような逆ガルタイプをもっと研究するべきだった。逆ガル翼ならば、主脚は短くなり、軽量で頑丈。さらに大直径プロペラの採用が可能だった。逆ガルタイプの主翼そのものは、「流星」で実用化されており、それほど技術的なハードルは高くなかっただけに残念だ。雷電には層流翼を採用するのではなく、逆ガル翼にして、大直径プロペラで回し、さらに胴体を絞り込み推進式単排気管でエンジン後方の負圧をなくせば、1800馬力で650キロは軽く出ただろうな。堀越技師は雷電の設計に関してはちょっとセンスがなかったようだな。
零戦って木造だったんだっけ?
ご視聴&コメント有難うございました。零戦機体は超々ジュラルミン製ですが、大戦末期には他の機体で木造のものも試験されていたみたいです。
うう〜ん、これは全てわかっている事です。残念ながら、メカニズムの説明が出来ていません。当時の単発航空機では、零戦が脚幅が広い事は周知の事です。詰めが甘いと言えます。ちなみにグラマンF4Fは規定の回転数を超えてしまうと、最初からやり直しだそうです。
一番力や衝撃が加わる部分を可動式にしようっていう発想に、まず恐れ入る。
最近は皆さんレイセンて呼びますけど、戦中でも海軍ではゼロセンと広く呼ばれていたらしいです。敵性言語が禁止されていた戦中でも英海軍式を模範とした日本海軍では英語が普通に使われていたためらしいですね。
そうですね。頑なに「レイセン」と呼ぶ方も多い様ですが、ゼロ戦とも呼ばれていたのは確かです。
空母赤城搭載機の尾翼に記載されているのはアルファベットですしね。
ご視聴&コメント有難うございました。私もどちらにするか迷っていましたが、NHKでもゼロ戦と言っているようなので、今後はゼロにしようと思っています。
そもそも戦闘機を作っている三菱も海軍航空技術廠も外国の飛行機の文献を読んでいるため、すべての用語を日本語に置き換えていたはずがありません。
神風も「かみかぜ」と「しんぷう」と呼び方が統一されていません。大日本帝国は漢字の読みを伝える慣習がなかったため、漢字表記の読みはバラバラでした。
部隊ごとで使ったり使わなかったりだから、海軍と広く言うのは間違い
○○航空隊ではゼロが一般的だったけど、○○航空隊では零式が一般的だった みたいな感じ
踏切の遮断器も常に持ち上げる力がかかっているので、電力が絶たれると遮断桿が自然に下がるようになっています。
ご視聴&コメント有難うございました。遮断棒ってそうだったのですね。わかっているようでわかっていませんでした。
ゼロ戦と呼ぶとレイ戦と突っ込まれるが岩井勉氏、原田要氏、坂井三郎氏は普通にゼロ戦と呼ばれていたと供述。昭和19年に正式名称が公表されたが新聞のルビも「ぜろせん」
ご視聴&コメント有難うございました。仰る通りだと思います。このチャンネルもゼロ戦に変えました。
最初の宇宙戦艦ヤマトではコスモゼロの脚が順次引き込む様子が描かれていた。実機を良く知ってる・見たことがある人が描いてると解った。戦後29年のアニメだからなぁ。
しかも同様の火星での場面では
ブレードアンテナの書き忘れセルのせいで
まるでステルス性向上の為の格納式アンテナを
離陸後テストで出し入れしてるように見える奇跡
米国カーチスP36やP40そしてグラマンF6FやチャンスボートF4Uに採用された回転式後方引込み脚は、広い主翼弦を必要とするが胴体と主翼下に搭載物(増槽や爆弾)を吊り下げるのに都合が良かった。日本では陸軍キ87で同じ機構を試みたが何故か巧く作動できなかったと云われる。
面白いのは動画でも紹介されていたF4Fの手動式引込み脚で、離陸中クルクル回すのに一生懸命なので飛行姿勢がフラフラ状態。しかも誤って手を滑らすとレバーが「逆回転」するので ―強烈な苦痛を覚悟で― 自分の足で(逆回転するレバーを)止めなければならない。だからF4Fの改良型の試験飛行する度にテストパイロットは報告書の片隅に「(手動式)脚を何とかしろ!」と殴り書きしていたそうだ。
F4Fでロック掛かるまで回さないと、着陸時の衝撃で脚が引っ込み胴体着陸する機体が結構有ったって話は読んだこと有りますね。
そのテストパイロット、レバーの逆回転で足を打って、なかばキレながら書いたんだろうな。
元が傑作対戦車火器ゆえに発射速度に劣り、威力の割に重すぎ、爆裂弾も使用できず、機動しながら撃つと頻繁に装弾不良起こす欠陥航空機銃M2を装弾不良多発故に6門も積み、武装重量4割の米軍機が今さら重量を気にするのは変な気がする。油圧モーターぐらい積んでやれ。
P-40やF6Fが採用した格納方式と、F4Uの方式は実は異なっています。どっちも後方に回転しながら引き込むので一緒に見えますが、F4Uのはベベルギアで軸を回転させる機構が存在せず、脚の取り付け軸そのものを斜めに取り付けるだけで脚の回転と引き込みを両立させるシンプルで優れた方法でした。
もっとも後方引き込み式は翼桁やトーションボックスが翼の途中で切れてしまうので、構造的には不利な気はします。
面白い観点の動画ですね。
コメントも多く付いてますが、掘り下げるともっと色々なネタが出てきそうです。
・逆ガル翼の効果
・重心位置とタイヤの格納場所
とか。
萱場製作所は航空母艦の着艦制動装置で有名です。
現在のカヤバ工業ですね。いまだに自衛隊の飛行機の脚を造って頂いております。by元自衛官
今や世界のKYB,カヤバですしね。
@@是長文 様
そうですね、世界のKYB。航空機の脚はどうやって離着陸時の衝撃を緩和するかが重要なので、その技術を生かして、耐震建築にも力を入れているようです。
本社に打ち合わせに行った時に本物の零戦の脚が展示してあったので、興奮して、周りをうろうろしていたら、不審の目で見られました😅
@@飛鳥誠-b8p
たぶんその零戦の主脚は、長年水没していたにも関わらず、引き上げた時にメッキ部分が錆びていなかったというカヤバの技術力を示すものとして展示されていたはずです。
@@CX-EURO400 様
「2号2型零戦」という刻印まではっきり読み取れたので、ひたすら興奮しておりました😊
F4Fワイルドキャットのメタボさはそういう進化的経緯があったんですね。 エンジン径より太るとか何考えてんだとおもってました。
同高度でベテランによる戦闘で初期圧倒出来たのは、f4fの設計のまずさが有ったでしょうね。元々技術力も物量も負けてたはずやのに。だからこそ後期型のコルセアやマスタング、ベアキャットはスマートになってる。
@@e-justice3752 でもベアキャットは胴体をエンジン径より太くして操縦席高くすることはやめてないし
翼の位置は下げても胴体下面とツラになるほど目いっぱい下げたりしない、それでめんどくさい脚の構造になっても仕方ない
胴体は短くていい日本機のような安定を求めて長くしないし尾翼も小さめ
って感じでF4Fとかのグラマン流を踏襲してるけどね
ご存知の方も多いと思いますが一応補足です。
2:29 1962年迄の米海軍機の命名法は(機種)(順番)(生産メーカー)でしたので、
F4FはF(戦闘機)4(番目)F(グラマン製)でグラマン製の戦闘機の4番目です。
1番目の1は略すのでグラマンの最初の戦闘機はFFで2番目がF2Fで3番目がF3Fです。
ゼネラルモータース社でライセンス生産されたF4Fも1は省略するので
F(戦闘機)M(GM製)です。3:00 F4Fも最初の計画のXF4F-1は複葉機でした。
主脚が付いていない翼は付け根近くからグラマン独特の後方に折り畳む事が出来て、
2機分の幅に5機止められたそうです。空母のエレベーターのサイズにギリだったので、
翼端を50cmづつ折り畳めるようにした零戦21型とは大違いでした。
ご視聴&貴重なコメント有難うございます。大変参考になります。日本の戦闘機の命名の仕方の動画も作りたいと思っています。
F4Fの引込み脚は人力だったのか。ソ連のI-16と同じですね。
F4Fは知らないけど、I-16は小さな斧が装備されていて、非常時はその斧で引き込み脚のワイヤーを切り、強制的に脚を出したそうです。
普段は面倒だけどトラブルには対応できるナイス構造!
アメリカは合理的なので、組み立ての工数がかかることをやっていないだけです。
個人的には、紫電とP-47の脚部比較が面白い。
どちらも中翼ゆえに伸縮式の脚部を持つのが共通点だけど、紫電では伸縮用と引込用で油圧装置をそれぞれ搭載したのに対し、P-47では油圧一本で解決してるのが面白い。
こちらは脚と脚カバーがそれぞれ回転軸を持っており、引き込む時は脚が脚カバーに引っ張られて自動的に縮みながら翼内に入っていく仕組みになっていて、巧妙に出来てると思う。
ご視聴&コメント有難うございました。参考にさせていただきます。
降着装置ば川西航空機(現新明和工業)の子会社、極東開発工業が有名です。
極東開発工業は戦時中に川西飛行機に在職していた宮原某氏が、戦後の川西モータースや新明和興業から独立して起業した会社です。従って太平洋戦争中には存在していません。
サムネに誤解招く表現あり
グラマンの引き込み脚は手巻き(手動ハンドル)←✕
F4Fワイルドキャットの引き込み脚は手巻き(手動ハンドル)←〇
グラマン艦上機でもヘルキャットとベアキャットは自動収納です
ご視聴&ご指摘ありがとうございます。確かに仰る通りだと思います。紛らわしい表現をしてしまい反省しております。
軽量化優先の為、同時引き込みではなく、1本づつ。
ご視聴&コメント有難うございました。
油圧に余裕の少ない零戦ではプロペラ後流などの影響で左右で抵抗が異なり、片方ずつ脚が入る事が多かったと聞いたことがあります。
一方、四式戦などでは発動機出力が上がったために油圧に余裕ができ、同時に入る機体が多かったとか。
@@St-wood 貴重なコメントありがとうございました。
烈風の引き込み脚の構造は ハインケル機からの物を コピー
動画を見ていないと思われるコメントばかりですね。
海軍機の弾き込み脚は部分式ですが,九六式陸上攻撃機が最初(日本軍初)ですね.これも手動です.
スイマセン.「弾きこみ」→「弾き込み」デス
「引き込み」では?
@@山寺和尚-q7p
「引き込み」です
思ったより奥が深かった。
ご視聴&コメント有難うございました。
引き込み脚のカバーに塗られた色が青・黄・赤というのは実は誤り。青と赤だけ。
どっかのプラモデルの箱絵が黄色を描き足して、それから3色って間違いが広まったみたいと、ある戦争博物館の館長さんが言ってました😌
多分青と赤しか見えて無くて途中に黄色があると想像したのでは…😅
プラモデルのデカールで3色あったのをそもまま信じていました。
因みにタミヤのスケール 1/48 零戦21型です。
父親が戦時中、この部分の生産に関わっていたと聞きました。
ご視聴&コメント有難うございました。貴重なお話を伺えそうですね。
零戦の主脚室内の何故あの色だろうか青竹色
個人的にはF6Fの回転後引き込みの構造に興味あるがいい動画でした
ご視聴&コメント有難うございました。そう言っていただけると嬉しいです。
防錆のため、クリア塗料に防錆剤を混入した防錆塗料を塗装した色ですね。防錆剤は亜鉛末(金属亜鉛の粉末)で、顔料としては隠蔽力が低いため、地肌のジュラルミンが透けて見えます。
当時のアルミ合金の錆止め塗装のため主脚室内だけでは無く機体内部は基本青竹色だった。
後方引き込みについてですが、P-40やF6Fでは出し入れの際に脚の付け根にあるベベルギアに噛み合った脚が回転しながら動作するのに対し、F4Uでは脚の取り付け軸を斜めにする事で、特殊な機構を用いる事なく脚の回転と収容を両立させるシンプルで優れた方法でした。
脚を出したり引っ込めたりの
離着陸時にアタマを敵機に抑えられてたら、
その時点で詰んでるので、
制空権下の作業であるはずだ。
だったら人力で良いんじゃね?とか。
そういう考え方は当時ならありそう。
人力だと余計な油圧ポンプ等を積む必要性が無くなって軽量化と機構をシンプルに出来るでしょうからね。
油圧動作式も故障した際の非常用の手動レバーがあったと聞いています。
戦闘で怪我した時は手動は大変かもだけど。
@@kkkkkkk052000
映画メンフィスベルのアレですね。
アメリカは合理的なので、変に作り込まないんですよね。
@@daisuke5755
アメリカは合理主義というより実利主義、
プラグマティズムだと思います。
だから奇抜な発想を得ることが出来るのだとも。
これに反して例え屁理屈でも、
リクツが通れば実現できる筈である。と、
「合理主義の不合理」を体現したのが、
えーと、まぁいいかw
4:50片方ずつ引き込む脚が、3機のうち中と右の機体はもろに正反対になってる!
ご視聴&コメント有難うございました。よく観てくださっていてありがとうございます。
零戦の油圧系は弱くて、結局は搭乗員が手動油圧ポンプを必死に操作せざるを得ない場合も多かったようです。
ご視聴&コメント有難うございました。なるほど勉強になります。
零戦の主脚の3本の色帯は誰がどの角度から見てどこを目安にしていたのか、これだけではよーわかりませんでした。
田宮の1/32プラモデル作ったら解るよ。
自動車の始業点検みたいに操縦士が飛ぶ準備するときに見るんやないの。 エンジン回してから整備員が「重さ良し」報告とかせんやろ。荷物はないと思うので 機銃弾は全部積んで 燃料の量で重さが変わったんやないのかな。 ちゃんと燃料は入っとるなとか。
カタパルトを使用しない艦載機の発艦は自機の推進力と母艦が作る合成風が重要です。それと機体重量です。
ソレを見極めるのがショックアブソーバーの縮み量(沈み量)をこの
赤黃青で表示。増槽+
機内タンクをフルに入れ、オイル、機銃弾積む過荷重に近い時赤表示❕
気合入れてエンジンオーバーブーストで離艦。
オレオ脚と言ってバイクのフロントフォークのように自重で脚が沈みます。脚カバーは機体翼側と車輪側別部品になっており重なっているので沈んだ量だけ色帯が隠れるので外側の整備兵からわかるのです。
片脚づつ引き込むのは目的があってしているのではないのですね。
ご視聴&コメント有難うございました。油圧機器の重さを軽くするために最小限の力で上げるため片方ずつになっているようです。
零戦に採用された油圧式は、少なからずトラブルがあったのか、一式陸攻や雷電では電動式となっている。
一式陸攻はトラブル時には手動でも脚を出せたそうだ。
どの戦記読んでも足のトラブルは出てこないわ。てか、足は信頼性あった。頼りになるって記述ばっかり。
どこで仕入れた与太話?
@@七誌権兵衛-p3f零式戦闘機は油圧ポンプの性能が悪いため、脚の引き込みの力が貧弱なんです。脚を引き込むときに左右の脚が同時に引き込まないのは意図したものではなく、油圧が低いせいでひとつずつ引き込んでいます。
@@七誌権兵衛-p3f「頼りになる」と証言があるとおり、「頼りにならない」こともあるということです。
零式艦上戦闘機は空母を基準に脚をキメているため、陸軍の戦闘機よりも脚そのものが貧弱です。
@@daisuke5755
何というか、すぐ判る嘘をよくつけるな?空母への着艦は人為的墜落と言われる程強い衝撃が有る。飛行甲板は滑走路より遥か短い。なんでまだ速度が載っている状態で後部にあるフックでアレスティングワイヤー掴んで強制停止させるんだぞ?物理法則が働く限り、陸用機より足の弱い艦載機は存在しない。
どこにも有ることだが、知識ひけらかしコメントは醜い。
そこまで言うなら自分で動画を出せよって言いたくなるよ。
まぁ落ち着こか、兄ちゃん。
コメント欄は知ってする事を言うて、それで皆が知識を深める意味合いもあるんや。
もうちょっとその思考に柔軟性を持たなアカンのとちゃうか。
日本初の引込脚を採用した97式艦上攻撃機も引込は手動でした。
いや九七式一号/三号艦上攻撃機のは、同じく中島の隼と同タイプの油圧式ですが?手動式なら付いてるはずのワイヤーが無いでしょ
零戦のもそうですが、輸入したチャンス・ヴォートV-143の引込脚の構造や艤装を真似て作られたものです
ご指摘の通りでした。翼の折り畳み方式と勘違いしていたみたいです。お恥ずかしい😰
これはF4Fワイルドキャットの弱点だったろ。手巻きで足引き込んでる時フラフラしたとしたらそれは零戦にとって狙い目だったはず!w
別に引き込まなくてもいい。
引き込みどうこう以前に、そんな離陸直後の低空低速状態を襲えてる時点で既に超有利な気が
何故に90度ひねり後ろ引き込み?
艦載機なんで空母に沢山積めるように出来るだけ翼を畳めるようにする為と、支点を出来るだけ本体と離せるようにして着艦時の不安定さを出来る限り無くす為と強度の高い所に収納するためだと思われます
F4Fの脚が手動式だったとは初めて知りました。グラマンなんて資料本があっても「ケッ」と見てこなかったのでww
3:37 主脚の巻き上げは39回転なはずです
100回転は誇張しすぎでは?
ご視聴&コメント有難うございました。私の調べた書物でのデータでした。いささか誇張が含まれているのかもしれませんね。
片足出ないときも😢
片足がでませーん!
あー-----!
どかぁん!
なんてシーンがありましたね。
軽量化に徹底的にこだわった零戦が主脚だけは安全最優先なのが良い。艦載機の着艦は人為的墜落と言われるほど、
強い衝撃に耐える必要がある。この主脚配置の所為で翼は根本から折りたためないし、重量物を中心に纏められない。
軽量化にも不利。が末期のドイツ空軍は未熟練パイロットの着陸事故が多発し、戦闘前に多数の犠牲者を出した。BF109は高速重視で着陸速度が高いのに主脚が貧弱でトレッドも短いのがその原因。対して零戦は未熟練パイロットにも扱い易い機体だった。ドイツが43年にはマトモなパイロットが払底していたのに対し、日本のパイロットはまだマシな編隊戦闘可能な練度を保っていた。軽量化は運動性ではなく長い航続距離を確保する為。で分散、集結を繰り返し、全体の数で劣ろうとも、一戦場では数の優勢を維持する。局地優勢で相手を防戦一方に追い込み弱防御を補完する。その防御も防漏燃料タンクと自動消火装置の組み合わせで操縦士、機関への直撃以外は穴が開くだけであり言われるほど弱くはない。特に爆裂弾を使用出来ない米軍のM2には極めて有効に働いた。圧倒的国力差を覆す工夫の塊。
ご視聴&詳細なコメントありがとうございました。
日中戦争で悪路の滑走路に苦戦していたからです。
米軍は組織的に優秀なパイロットを前線から引き抜き、本土で教官に任じた。そのため、戦争が進むにつれ、練度の高いパイロットが大量に養成されていく。
日本はそんな余裕はなかったし、そんな思想もなかった。熟練搭乗員が欠けて、補充される搭乗員は、今の自家用操縦士も取れない飛行時間で前線へ送られる。ドイツの一撃離脱思想と違い、日本の格闘戦重視の軽戦闘機では、搭乗員の技量が露骨に現れてしまう。米軍のガンカメラに納められた、何の回避もせず、ただ弾を受けるだけの日本戦闘機を見ると、切ない。
零戦には、基本的に防漏タンクが装備されなかった。炭酸ガス消火装置も限定的。
誤解が多いが、海軍は十二試艦戦に航続距離は要求しなかった。要求したのは、滞空時間。当時の世界的な思想で、単座戦闘機の長距離侵攻は考えず、あくまで艦隊防空用戦闘機を要求したのである。
堀越技師は、完璧主義を越して石頭と言える程であり、軽量化のため、あまりに工数がかかった。P-51の4倍という説がある。少数精鋭の艦戦だからよしとされたものの、結局は主に陸上基地で酷使されたから、妥当な判断とは言い難い。
大戦後期には、英米戦闘機に、自動的に見越し照準が行えるジャイロ照準器が装備されると、飛躍的に命中率と撃墜率が向上する。朝鮮戦争で、飛行性能と武装で勝るMiG-15に対し、F-86が対抗できたのは、照準器の差が大きい(この頃は更にレーダー測距儀が組み込まれた)。B-29や米艦艇の40mmボフォース砲以上の管制装置と比べると、同時期の日本は原始時代の如くである。
零戦(レイセン)と言う発音が正式なのでしょうけど、やはり一般的にゼロ戦と言う呼称が良いと思います😓😓😓
戦争中もパイロットたちはゼロ戦と呼んでたそうですよ。
当時の新聞発表でもわざわざ(ゼロセン)と読み仮名ふっていました。
こうして見ても着陸装置である脚でさえ
その時の技術が集約されたモノであるのが良くわかる
戦艦にしてもそうなのに
何故日本軍は精神論に固執してしまったのだろう?
兵器はその国の技術レベルの闘いなのを理解していたのに
もっと陸軍も精神論でなく
戦術、戦略に科学的な視点を持っていたならば
無駄とも思える犠牲を減らせただろうに
物資と工業力の低く、経済面でも劣る国は精神論しかないからです。
@@akibanokitune 結局は過信と慢心
自己に都合の良い結果を導き出す為に足りない全てを精神論で補おうとした結果なんだと思う
@@ROCK-ho5bi
まぁ10倍以上の国力のある軍隊にはそれしかない。
そうでなければビビッて戦闘行為などできないしな
仕事したらわかるよ。集中してる時とそうで無い時の効率の差、仕事の出来は圧倒的。
唯でさえ国力に劣る側が集中力ですら負けてたら話に成んないわな。精神論馬鹿にする奴で仕事出来る奴、
見た事ないわ。決められたルールをしっかり守る、横着しない。コレすら出来ない奴は本当に使えないよ。
キ115は特攻機でないと設計者が断言しています。
ご視聴&コメント有難うございました。上層部が特攻機の一つの選択肢として考えていたようですね。
本来の呼称「レイ戦」、やっぱりゼロ戦より耳にいいなぁ。
海軍そのものがゼロ戦と呼んでいたんですよ?
ですね、海軍は英海軍や英語が大好きでしたから。最初に零戦が国民に新聞公表された際も、わざわざ「ゼロセン」とふりがなが振られていました。
確か海軍零式艦上戦闘機でカイグンレイシキカンジョウセントウキと呼ばれていたと記憶してます。
零戦の本来の呼称はレイセンだって言う人を結構見かけるので(体感的に、ここ2年ぐらい特に増えたような?)、何か共通のネタ元があるのかな?と疑問に思ってます。
誰か知ってます?
国の呼称が2つあるんやしどっちでもええやんか
日本の戦闘機はコルセアのような逆ガルタイプをもっと研究するべきだった。
逆ガル翼ならば、主脚は短くなり、軽量で頑丈。
さらに大直径プロペラの採用が可能だった。
逆ガルタイプの主翼そのものは、「流星」で実用化されており、それほど技術的なハードルは高くなかっただけに残念だ。
雷電には層流翼を採用するのではなく、逆ガル翼にして、大直径プロペラで回し、さらに胴体を絞り込み推進式単排気管でエンジン後方の負圧をなくせば、1800馬力で650キロは軽く出ただろうな。
堀越技師は雷電の設計に関してはちょっとセンスがなかったようだな。
零戦って木造だったんだっけ?
ご視聴&コメント有難うございました。零戦機体は超々ジュラルミン製ですが、大戦末期には他の機体で木造のものも試験されていたみたいです。
うう〜ん、これは全てわかっている事です。残念ながら、メカニズムの説明が出来ていません。当時の単発航空機では、零戦が脚幅が広い事は周知の事です。詰めが甘いと言えます。ちなみにグラマンF4Fは規定の回転数を超えてしまうと、最初からやり直しだそうです。