Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
引退を伸ばしすぎたアイドルのような戦闘機です。哀れだけどよく頑張ってくれた戦闘機でした。
なんとなくTwitterで政治系のツイート始めちゃったアイドル感あるわね
AKB さんですか?
@@ずんだもち-m7r シノマリファンです!。
言い回しキモいw自分が乗ってましたみたいな言い方すんなや気持ち悪い
@@bigboss3665 21型でもう終わってた?感がある。ヘルキャットやコルセアの重戦闘機の敵ではなかったですよ。とっとと烈風作ってればまだ日本はまだ戦争出来たかもです。52型なんて最低最悪の機体ですし!紫電を改装する方に予算割いた方が良かったじゃないですか。防弾板が無い戦闘機なんて空飛ぶ棺桶だしあんなポンコツ戦闘機当時のアメリカからしたら七面鳥狩りでしょうね。紫電や紫電改の方がアメリカから恐れられた戦闘機ですよ!。これだから、ゼロマニアはタチが悪い人達ですわ。
戦後75年経った今、求められているのは、この動画のような的確、冷静、そして公平な分析ですよね。
「無理を通せば道理が引っ込む」なんで言葉がある国に、「的確」とか「冷静」とか「公平」という概念は珠玉のごとき存在です。今の令和日本にそんなものないので。ちなみに私も日本人です。
いや、ここで言ってる内容は半世紀ぐらい前の水準だよ?
個人的に、零戦は刀を持って侍が町を歩いた70年後に作られたって所が凄いと思う。
なんでそんな技術があったのだろう,,?
凄いんだけど、1から10まで自前の技術じゃあ無かった事が悲劇なんだよね。
何が凄いって当時欧米に20年遅れていると言われていたのに、こんな凄い戦闘機を作れた所が凄いと思う
でも基礎がなってないからせっかくドイツとかからコピー権利買ってもろくなもん作れないという
当時産業機械とかはほぼ全部アメリカからの輸入だったからなぁ…なお戦後空襲で破壊されなかったものは進駐軍の指示で全て破壊された模様今では産業機械の国産化どころか、中韓に対する主要な輸出品だったりしますね…
ACE5のBGMに郷愁を感じます。「当時の日本人が持てる限りの全てを突っ込んで造った結晶だった」ってとこにぐっと来たのでコメントさせていただきます。
@@こうぶん-q9x 批判とかじゃなくてただ単に興味があるので間違ってる部分と論破した論を教えて下さい。
@@Phantom-kw6cz 米軍のキルレシオって超適当で信用なんてしてたら零戦の生産数3万機ぐらいないとおかしいからな。(実際には一万機しか生産されてない上に特攻にも使用され終戦時は残存機もそこそこあった)F4Fが零戦圧倒なんてのも当時のプロパガンダでガダルカナルの損失数のトータルはF4Fの方が多い。あと零戦に仕掛ける時は必ず二機以上で組んで仕掛けろってのがサッチウェーブ。零戦に一機で仕掛けるなって逸話は事実なのになんか無理矢理否定しようと必死だがな。ラバウルでも零戦は8機被弾しただけで未帰還なしなのが戦後の資料照らし合わせで発覚してる。何故かこのウプ主は照らし合わせ前の米軍側資料のみが信用できると言い張っている。サッチウェーブの考案者もF4Fで零戦相手にしたら生還自体が奇跡って言ってるしな。つまり零戦の優位はF6F登場まで続いている。F6F登場後も数が互角なら52型の方が強い。(ただし末期は数が互角なんてほぼ無かった)
@@モヘンジョ太郎-h9f 認識が間違っている、大戦中に空戦で失われたF4Fは178機でF6Fが270機。対して零戦は総生産数10,000機の9割近くが撃墜されている。両者を単純比較したら、キルレシオはおよそ20:1となる。実際は他の機種の戦果もあるため数字は変わるが、米軍のキルレシオってのは議会に予算を通す目的もあって、戦後可能な限り分析調査による検証がなされているので、荒唐無稽な数字ではない。ちなみにキルレシオってのは機体の優秀さを示す指標じゃなく、戦闘の優劣を測る指標だからね。仮に機体性能が劣っていても、数で圧倒すれば優位な数字になるんだよ。
零戦の特徴の一つに圧倒的な航続距離があるが、燃料切れより先にパイロットが限界に達する程で、それが無理な作戦による機体とパイロットの消耗の要因になっていたと思う。
帰りの飛行中に睡魔に襲われて、寝たら墜落するからって太ももに工具を突き刺して飛び続けた搭乗員がいたって話が残ってるしな…。
あの当時はどれだけ良い工作機械をどれだけの量保有していたかがそのまま技術力に直結している面もあったよね。
物量や工業技術力の違いが、戦力の決定的差ではないということを教えてやる!
ほとんど工作機はアメリカ製だったよ熟練者が戦場へ、勤労奉仕の学生が制作しているから零戦も稼働率が下がる機体になるよね元整備兵だったお隣のおじさんが零戦は良い機体だったよ21型までは綺麗だった52型はリベットが粗雑であったそうだよエンジンはプロペラを人がクランクで回していたそうですよ停止ボタン押しても多少エンジン停止にかかったそうですよ整備はしやすい機体だったそうですよ
それは現代でも変わらない。
@@山本熊一-s4d 負けフラグやめろ
そこで、天才職人本田宗一郎の登場ですよもっとも精密加工が必要ようなピストンリングの担当でした
昔、海軍ではないですが陸軍航空部隊の人に評価を聞いたことがありますが、だいたい同じ評価です。エンジン、プロペラ、通信など米国より大幅に遅れていて、設計技術のみなんとかキャッチアップできていた状況。設計に余力が無いものが多く、改装・改造ができなかったのは事実。特に零式はそうであった。ただ、零式は艦載機なので、着陸時点でふわっと陸上でも短距離で着陸していたとのこと(戦争末期のぞく)。
11型から64型まで作って発動機出力も1.5倍まで実現してるので、改造改修が出来なかった、と言うことはないです。
スピットファイアやメッサーシュミットは、同じ機体で2倍以上のエンジン積んで700km/hを実現してる。
@@わお-r2sだけど零戦特有の軽さは無くなってる、全くの別物
子供時分、遊就館で実物の零戦を初めて見て、骨組みに薄い鉄板を張り付けたペコペコな感じが、模型の表面の滑らかさと違ってて驚きました。急降下制限が厳しい弱点をつかれて上から追われたら、パイロットも機体が壊れそうな嫌な音とか感じるんでしょうね。
急降下をするとシワができるらしいです
分かる。模型の箱絵とかで想像している以上に凸凹で歪さを感じるよね。特に最近のジェット機を先に見ている分だけ、「こんなモンが日本の主力だったんか」と思わされた。
物の本にはゼロ戦は沈頭鋲を採用して空気抵抗を減らしたとか書いてますが、実物を見てこんなに凸凹では意味があるのかと思ってしまいました。
@@groovevox なので日本機は全体的に速度が低いので。。。 再末期のP51が740km/hとか叩き出してるのは米軍名物の2㎜の外板に、 塗装はウレタン仕上げの贅沢仕様の成せる業でもあります。
@@小野田宇部しかもなぜかP-40より少し高いだけの安売り
永遠に相手に対して優位でいられる戦闘機なんてありませんからね。
ゆんゆん 航空機の進歩は早かった.............
@@ケニア産の紅茶 技術全般ですよね。今の日本もうかうかしてると置いてかれたりしてw
@@soramame114 理系大学生やってるけど、もう既に研究面では中国には勝てんよ…(現実)
@@まきまき-e9v 圧倒的人的資源と金の差()
@@old2615 金の差って凄まじいよなぁ…金があるだけで才能ある者を見つけ出して、優秀な人に育て上げることができるんだもん…
うぽつです。零戦は「栄光」と「落日」どちらの側面も持ち合わせている戦闘機ですよね。
更新しないで使い続けたからな…
冗長性が無く、改造出来る余裕が無かったのが辛いですね。
世界初の制空戦闘機でもある。
まあ、序盤あまりにも強くて制空権も取れたので日本の快進撃に大いに貢献しましたからね。約4年が長いか短いかいろいろな切り口や見方で変わりますが、個人的には「サクラ散る」といった印象でしょうか。
@@C500改 様、出来上がった時点で、既にほぼ完成体でしたからね。(^_^;)無駄というか、贅肉が無く、既に限界ですから。(^_^;)
最後のまとめに感動しました。ちょっと泣きそうだった。後発ランナーが精魂振り絞って頑張った結晶。そんな部分も日本人の零戦に対する思い入れに関わっているのかもしれませんね。無茶な要求を達成しようとしたしわ寄せが、具体的にどこに及んだのかということが具体的に説明されていたのも勉強になりました。まだまだ語り足りないところについても、いずれぜひお聞きしたいです。
この動画はあくまでも設計した堀越技師の視点日本海軍が出した「十二試艦上戦闘機計画要求書」第一の項目は「攻撃機の阻止撃攘を主とし尚観測機の掃蕩に適する艦上戦闘機を得るにあり」と明記されているように、主力艦隊に迫る敵攻撃機を阻止し敵観測機を追い払って味方艦隊に対する敵艦隊の正確な砲撃を妨害するのが主任務の艦上戦闘機であり、「使われ方」が爆撃機の「援護戦闘機」だったからといって計画要求書もそうだったわけではない。動画で紹介されている「援護戦闘機として・・・」という言葉は「十二試艦上戦闘機計画要求書」には何処にも無い......堀越技師は何処からこんな言葉を持ってきたのかサッパリ解らない設計側は(零戦は)「艦上戦闘機」という枠組み(ハンデ)が有るから無茶な要求と感じたかも知れないが、計画要求書が発行された当時欧米列強各国の戦闘機は速度500㎞に迫り、零戦が実用化される頃には速度550㎞を超えている戦闘機が出現しているのが予想されていて─計画要求書の速力270節だと完成した時点で陳腐化している恐れもあった─海軍側としてもかなり妥協した要求だった。実際「十二試艦上戦闘機計画要求書」の元となった議事録を見ても細かく議論(発動機の選定や銃弾の重量までも)されていて、要求が達成できる見通しの元に「十二試艦上戦闘機計画要求書」が作成されている零戦の開発に関しては計画し設計を指示した海軍側の視点が重要だと思う
完璧ではなかったけど、見た目は全戦闘機の中でもトップクラスだと思う。堀越さんが試験飛行時に「美しい…」って言ったのもうなずける
陸上攻撃機銀河、後に新幹線の設計を行った三木忠直さんは新幹線設計の際に「美しいものをつくれ、そうすれば解決する」と言う発言をしています。航空機設計と新幹線、空力学上通ずるものがあったんでしょうね。
風防と尾部がね...
百式司令部偵察機も美しいフォルムの機体だと思いますよ。
@@ほげーい 実戦じゃ見づらかったらしいけどキャノピーの大量の骨組みが逆にカッコいい
骨張ったキャノピーとかエンジンカウルの段差とか、戦闘機としても航空機としても美しいとは思えんのだよなぁ大まかなシルエットなら液冷の機体に及ぶべくもないし、堀越氏の美観は自分には理解できん
必要な時期に必要な性能を持って数が揃えられた。十分名機だよね 用途がまとまらず汎用化した割には性能良かったがその分犠牲にした物があったわけでそこにスポット当てたら当然批判もでてくるわけで現場の設計ではなく軍政側の問題ね 日本は意見が対立した時にそれをまとめて判断する事が苦手だから折衝案でどっちつかずになったり先送りにする所があるからよくある話
零戦は海軍の理想を実現した『概念実証機』だった
日本人に戦闘機聞いたら零戦が出てくる。それほど期待されていて愛されていたんだろうなぁ
ちなみに戦時中の知名度は同世代の隼のほうが上だったみたいですよ
@@カニスもつ鍋 今の大和みたいな感じですね昔は長門の方が有名だったし
@@佐藤正道-e9r 九六艦戦も世界水準越せるポテンシャルあるけどね
@@カニスもつ鍋 加藤隼戦闘隊って思いっきり英雄報道されてましたしね敵基地に強行着陸して陸兵として駐機中の航空機を爆破してシレっと帰還した猛者までいたので有名になりました
@@カニスもつ鍋 祖母もそう言ってました。加藤隼戦闘隊のイメージが強いそうです。
零戦の大きな問題の一つは アップグレードし辛い機体に仕上がってしまったことだと思う。具体的に、機体基礎強度と高速操縦性に乏しく、高出力エンジン搭載に不適切ということだ。(ME109とスピットファイアの後期型は 2000馬力級のエンジンを装備している。) 10417機生産された零式(Wiki、練習機を除く)だが、1942年末までに出来上がったのは ほんの18%で、残りの82%は 旧式化が目立ち始めた1943年とそれ以降に、著しい発展も遂げてない「型」で作られ、戦場に送り出されている。
零戦開発時の議論「速度や航続距離など飛行機の基本的な部分は操縦手にはどうにも出来ない。これを優先すべきだ。運動性の不足は猛訓練でなんとかする。」これ好き。対して反対意見「今現在中国戦線で我軍優勢なのはひとえに96艦戦の運動性能のおかげである。運動性能こそ優先すべき!」
単純に無茶を通せば道理が引っ込む機体って事ですね。最初から悲しい運命を背負って生れて来た戦闘機ですね。
つまりは武器の性能よりその武器をいかに使うか、という方が重要なんね戦争システムはパーツではなく全体として評価するべきだと
戦略的にアメリカ渾身の一機となるとやはりB29だけど。本国ではあまり人気ないようですね対米戦したら負けるとわかっていたのに、なぜああなってしまったのか
@@hira5391 B-29は実用的な意味で日本機が狼狽えるレベルの代物だったし「タフでない奴は評価に値しない」がアメリカの気風ですからね…
@@佐藤正道-e9r B-29の後代もすぐ陳腐化してしまったし、それを思うとB-52は本当に偉大ですよな
戦争システムとしての不利は、兵器の性能だけでは覆しがたい、ということなのでしょうね。
13:06ガンダムを操るアムロとザクで初対戦したシャア少佐も言ってたな「モビルスーツの性能の差が戦力の決定的差ではないという事を教えてやる!」と。兵器は運用の仕方でどうにでも展開のしようがあるという事だ。
確かに零戦は無敵の万能戦闘機ではないですけど、あの美しい姿は日本人でなければ造れないですね。何だかんだ言われても、やはり零戦大好きです。
この動画だと「日本軍の撃墜数報告はデマだから割愛」とか言ってますけど実際には撃墜ではなく撃退だっただけですけどね。米軍機の多くは損傷離脱しても帰還してたって話で零戦に対して空戦優位だった訳じゃないです。
@@こうでん-q6x 撃退とかいう微妙な戦で褒められるゼロ戦さんぇ…
@@まきまき-e9v 爆撃機の護衛なら敵戦闘機を撃墜できなくても撃退できればそれで目的は達成しているのでは?
@@まきまき-e9v 死ぬまでやり合えって言われたら零戦の方が余裕で強いよ。F4Fで十分とか優位なんて話は日本の軍人どころかアメリカの軍人にもそんな事言ってる記録は1つもないし。戦闘機ってのは逃げる時はダイブして高度落とすんだけど、被弾して煙吹きながら逃げる敵機を誤認する事が多かったって話でこの中でも特に日本兵が「あれは落ちたろ」ってぐらい損傷してたのが日本軍の撃墜報告数(実際にはほとんど帰還してた)零戦の任務はあくまで防衛なのと高度落とすと上取られるから追わなかっただけ。坂井さんなんて1人も殺してないからね。
@@こうでん-q6x 陸軍の隼のエースとスコアが桁違いなんですよね、陸軍は、墜落が確認出来ないと撃破報告で撃墜報告ではなかった。「ニューギニアは、南郷で持つ。」と言われた、59戦隊のエース南郷茂男大尉の撃墜スコアが15機と、かなり控え目。海軍の零戦のパイロットの報告は、マシマシでしょうね。
これまで見た零戦解説動画で1番しっくりきたかもしれない。自分が知ってる零戦の良い悪い話双方が混ざり合った。
何だかんだ日本軍では1番戦果を出した航空機ですからね、愛憎入り乱れる
だが、この美しさが零戦だと思う…
個人的にはアメリカの飛行機の方が見た目は好きだな
@@和尚-c8m ここで言うか...()
確かに曲線でまとめられてはいるんですが、分厚い主翼、飛び出したオイルクーラー、枠が多く機体サイズに比べてはアンバランスに大きいキャノピー・・・と、正直な話「化粧下手」って感じる部分があります
@@みやも-w7q まあそこは技術の限界なんだろうなぁ、パーツ単位でみたらあんまりって感じなのは分からなくもないけど、総合評価というか全部合わせたら美しく見える。そこは個人の差だろうけども
@@fgo3361 おっしゃる通りで、自分も曲線のアウトラインは好きなので、96式戦などはとても美しく感じます。開発時期を考えれば他の国の戦闘機も似たり寄ったりでもありますし・・・ 故に、戦中に他の国に洗練された航空機が登場してくる中でも大きく変化出来なかった苦しさを感じるところですね
そもそも零戦って、第二次大戦に間に合わせる為に当時の日本の航空技術を全て注ぎ込んで間に合わせたんだから、それだけでもすごいと思う。そんでもって終戦までカツカツの搾かすみたいな技術にさらに追加装備して何とか持たせたのはもう名機と言わずして何と言おう。零戦が今も名機と言われるのはやはりそこらへんの研ぎ澄まされて扱いづらい玄人の業物の為せる技だと思うよ
よく、日本のパイロットは格闘戦にこだわっていたようなイメージがあるが、たぶん間違い。実戦経験豊富な戦闘機操縦者にとってドッグファイトが禁じ手だということが常識だった。格闘戦にこだわっていたのは内地で訓練ばっかりしていたパイロットたち。坂井三郎とか岩本徹三なんかの本を読めば一目瞭然。むしろ、米軍の方が戦争が始まって初めてそれを知った。だから慌てて一撃離脱に切り替えた。最初は対戦闘機戦闘と言えばドッグファイトと思っていたのでゼロ戦にそれを挑んでボロクソにやられた。そんなところ。
F2Aバッファローという機体があって武装が貧弱で装甲もない初期型はフィンランドで活躍したのに、軍の要求通りに武装増やして装甲も付けた後期型はハワイやフィリピンでほとんど何もできなかった重量増加にエンジンが全然耐えられなかった結果だ。1000馬力なんてそんなもんだ
まるでエンジンに合わせて機体がデザインされていて発展性がなかったとも言われますね。脚が弱くて着艦時に破損してヘタリ込むとか最大の問題はメーカーが労働争議頻発で会社として問題多く設備が旧式で生産能力が疑問。
フィンランドのパイロットが超人だっただけの可能性
@@歯に優しいケーキ-e6e 可能性高い、フィンランドの兵士はエグい実力の奴らばっか
ニルス カタヤイネン
@@サヴァの味噌煮-b2o 無傷の撃墜王とか散歩ついでに敵戦車撃破してくる人とか戦果500人くらいの狙撃手×2とかフィンランド人ってみんなチート使ってると思う
当時の主要な欧米列強から遅れをとっていた中で、これだけの性能の機体を作れたという点は評価してもいいと思う。
いや、96式艦上戦闘機も相当な傑作機だったよ。設計は同じく堀越二郎のもの。映像にも残る有名な片翼帰還の樫村機も96式艦上戦闘機だった。この96式艦上戦闘機の成功があったから零戦が成功したと思う。烈風が成功しなかったのは開発が後回しにされ、ようやく開発に本格的に着手した頃には戦況が悪化し、もはや劣勢となっている状態で当初の要求スペックは必要なくなっていた事が大きい。したがって大戦後半は航続距離が長くない局地戦闘機が順次投入された。
最近はどこのチャンネルもマニアックな機種を紹介しているからこの動画は有難いですね、語りたいことは私もありますが、長くなりそうなので、
10:59 両軍の戦闘記録を照合し、戦果を推定した梅本弘さんの研究によると、米軍は昭和18年6月30日から32日間にわたって行われたレンドヴァ島上空での17回の空戦と、ブーゲンヴィル島にある日本軍飛行場への4回の侵攻作戦で、戦闘機71機を失ったことを認めています。この戦闘で日本軍は零戦59機と隼3機を失いました。米軍の損失機数を日本軍の損失機数で割ると、1.145となります。しかし、人的被害では米軍40名に対して日本軍は55名(戦死53名・捕虜2名)であり、この比は0.727でした。単純なキルレシオでは、昭和18年の戦闘でも日本軍は互角以上だったかもしれません。しかし、人的被害では逆転しており、これらの戦闘で米軍は撃墜されても56.3%のパイロットが生還できたのに対し、日本軍は88.7%が帰還できなかった計算になります。搭乗員の育成には機体の生産以上に時間がかかります。運用方法も含め、総合的に見て日本軍は押されていたと言えるのではないでしょうか。
結構ガッチガチの解説動画で新しい知識を得られましたありがとうございます
名機かどうかは相対的な話だからなあ。敵に対して強みがあって活躍すれば、それは名機といって良いんじゃない?異論は認める。
個人的には、名機で間違いないでしょうね。96式でいきなり世界のトップクラス、ゼロ戦で長大な航続距離を獲得しつつドックファイトも強いという化け物だったようなので。
どうみても名機、地上攻撃もできて、空戦も卓越、航続距離もながいそれでいて空母運用も可能なんて現代の目でも理想的なマルチロールですね
日本軍信者でも日本軍嫌悪者でもない自分からすれば、至極わかりやすく納得のいく動画でした。国力も技術力も劣れば、こうせざるを得ないですよね。そう考えると、まさに零戦は日本人的。
一点のみに集中する。これは日本人の長所であり短所でもありますからね。
@@ウギョ-o4u 零戦はすべてを求めた結果の産物
零戦の20mmは軽量化により発射時に翼がたわむせいで九九式二号(エリコンFFL)に換装されても当たらなかったそうな..............まあ戦後にのほほんと生まれてきた私達が零戦の事を知るには資料や文献しかないので細かいところは当時の搭乗員のみぞ知る。
数秒打って終わりだったそうですよ1回〜2回で玉が尽きる7.7mm銃が主に使う事になったよ
るくりりの部屋 戦争初期に「零戦の20㎜はB-17に対して威力不足」という報告がありますが、威力不足ではなく「そもそも当たっていない」という可能性が高いと思われます。御指摘の主翼の剛性に加えて当時の九九式一号は短砲身・低初速で重い弾頭を発射するため弾道直進性や命中率は非常に悪かったようです。カタログスペック的には20㎜砲装備のため強武装、という事になっていますが。
結局は総合力に尽きると思います。ガソリンの質パイロットの腕仲間同士の連携etc機体性能だけでは勝ち負けは決まらないって事だと。
早期警戒やらレーダーやら、無線機問題、本土防空戦では南方よりはマシになってきた。紫電改の高評価は源田忖度だと思います。
妥協の産物で骨身を削ってギリギリの性能を引き出して、短期間でパっと散る。ある意味とても日本らしい戦闘機。
アメリカの戦闘機エースの自伝の小説を読んだ事がありますが。やはりゼロとは熱くなってドッグファイトは、するなって命令やったそうですよそれをやってしまいその人はゼロに落とされかろうじて日本の捕虜になり助かったと書いてました。その人の愛機はF4Uコルセアです。
@@佐藤正道-e9r 名前は覚えてませんが最初にフライングタイガーに居て最終的にコルセアに乗っていて落とされて捕虜になった人です^ ^
詰まる所、愛憎相半ばするとは言え、これだけ知名度も在り、記録にも記憶にも残っており、名機の称号を与えても良いのではと思います。・・・・・何時も楽しい動画を有り難う。
ともかくも1万機以上生産され、大戦末期まで第一線にありましたからね。対する米海軍はF4FからF6F・F4Uへ代替わり、スピットファイアはエンジン換装で大幅に性能向上してましたが…
@@AkemiNakajima-xj5kv ゼロ戦も、一応最後までパワーアップと武装の強力化と防弾の強化は続けられていたけれども・・・
隼が零戦より生産数が少ないのはあるべき姿だよね
軍部と設計制作側とのやり取り&言い争いは「風立ちぬ」の中でも一瞬出て来ますね。言い争いの末、解決策がないと「大和魂で何とかするんだ!」で終わったそうです。
ある意味WW2の日本の象徴だと思う。序盤は優勢だが最終的には敗北を重ねるところが大戦中の日本とそっくり
零戦の美しさは海軍の限界を超えた要求に起因したことを考えると、グッジョブと言いたくなってしまうくらい美しい。傑作であれ駄作であれあれほどまでに美しい戦闘機を作り出した当時の技術陣に脱帽。
ゼロ戦は名機か迷機かなんて見る人によって変わりますよね。私にとっては名機ですね。やっぱり当時の海軍のムチャ振りが悪いよね。
できないものはできないと言うべきなのは技術者
技術者「できない」海軍「できないという言葉は聞こえない」
kagero_210 技術者「出来ない」 陸軍「お前精神力がたらんのかぁ!バギッ」
技術者の仕事は要求項目に可能な限り沿うことでしょ寧ろ、適切な要求項目を作ることが軍人の役目、自国の工業力、ドクトリン、敵国との性能比較などの要素から適切な仕様を出せる組織こそが重要。
@@ケニア産の紅茶 逆に陸軍は技術者の話聞いて企業にある程度自由に作らせてたぞ
零戦解説動画のBGMがいつもの解説動画で使われてる曲ではなく、エースコンバット5の「15 Years Ago」なのがちょっと哀愁を誘う。
なんでも良いから一度だけでも零に乗りたいな…
神「仕方ないなぁ~」 ポンッ!1945 in kagoshima
唐揚げ。 おいヤメロ!悪意しかない時と場所に送るな
神様ありがとうございます。御国の為に、一機でも多く敵を討ち取って参ります(`_´)ゞ
@@中里毅-b3n 特攻機で出て一機落とせたら奇跡だなぁ...
@@kagero_2105 返事が返って来ないな…彼はもう…
撃墜される戦闘機5機のうち4機は敵機の存在に気付かないうちに撃墜されていたと何かで読みました。ドックファイトで撃墜されるのは5機のうち1機だったそうです。
そう、だから速度が30㎞/hも下がるのに、隼のパイロットたちは、キャノピー開けっ放しで索敵、空戦していた。勝負は最初の一撃できまる、索敵で先手取った方の勝ち。
@@yutas8710 最初に見つけた方が勝ちとか現代のステルス同士の空戦につうじるものがありますね
@@yutas8710 3Fですね。
素晴らしい動画です。零戦の評判に関して言いたい事全部言ってくれた。良くも悪くも当時の日本軍、ひいては日本全体の象徴ですね。
零戦って名機かどうかは置いといて第二次世界大戦で日本が戦うためにコレくらいの性能はないとって極めてシステム的に考え出された戦闘機としては最高の機体だと思う。
坂井三郎さんなども書籍によっては(零戦配備直後)小型軽量な96艦戦への未練があったと回想なさっていますね。そこを上官から説得されて零戦で戦えるように訓練に励んだと。具体的には中国大陸を延々長距離飛行し続けたと。
零戦は間違いなく名機だったよ。実際に零戦と闘った米軍は零戦と出会ったら交戦せずに退避しろと命令していたほど強かった。しかも航続距離が当時の常識ではあり得ないくらい長いから、それを知らない米軍は神出鬼没に現れる零戦を見て日本軍の空母が近くに居るものと誤解したほど規格外の艦上戦闘機だった。そして、あまりにも強いので零戦を操縦するのは日本人ではなくドイツ人じゃないかと米軍は本気で思ったらしい。余談だけど昔のアメリカの番組で、時代を問わず世界の名戦闘機ランキングというのがあって、レシプロ機から現代ジェット機までランキングされていたんだけど、その番組では零戦が名機メッサーシュミットBf109よりも上位だった事を覚えてる。たしか4位か5位だったはず。ちなみに1位はF-15イーグルだったような覚えがある。
@@feAt.tAkuyA 戦後の評価ですと零戦の航続性能が高く評価されていますね。アメリカではP-38、P-47、P-51に大型の落下タンクをつけて飛んでいた距離(おそらく空輸最大距離)を機内燃料で達成してしまいますから。ドイツやイギリスの場合、もはや双発戦闘機でなければ飛べませんでした。零戦はエンジンに恵まれなかったという意見がありますが、私は栄エンジンの燃費と直径の小ささがあってこその零戦だと思います(液冷エンジンのBf109やスピットファイアの機首よりやや大きいくらいのサイズです)。逆に、そこが限界で日本では風洞設備が不充分であり空冷エンジンや液冷ラジエターの内部を流れる空気抵抗を軽減できませんでした。なので日本の戦闘機は馬力が上っても空気抵抗と相殺されてスピードが伸びませんでした馬力増加の3乗根ぶんしか速度は向上しないので、馬力アップより空気抵抗を減らすことが重要なのです。(例:空気抵抗が変わらず、馬力だけが2倍になった場合は「2の3乗根≒1.26倍≒26%」スピードが増加します。1000馬力が2000馬力になっても30%未満の速度しか出せません。しかし空気抵抗が低い場合、より小さな馬力増加でも大幅にスピードが向上します)
@@feAt.tAkuyA 12:00
@@力久ピコ 低速での運動性と航続距離くらいしかほめるところがないのは判るけど、戦闘機なんだからいくら航続性能が良くても戦闘に弱いのでは駄目ですよ。
なんかホンダとかトヨタの躍進時の色々無い中で頑張った感とすごくかぶるな、、国民性をよく表してる機体なのも人気の秘訣かな
戦艦大和、空母赤城とともに活躍したかどうかは別として、海軍の零戦と陸軍の一式隼は有名ですね
良い動画でした!ぜひ、隼とゼロ戦との比較動画をお願いします。
そもそも零戦の予定生産数は1000機程度(艦載機、基地用、予備機で三分の一づつ)であり、よもや消耗戦になってあんなに生産すると思わなかったのであの形態になった。航空消耗戦前提なら全然ちがった物になったと思われる。
堀越先生、技術者の皆様には感謝しかありません。
零戦を始めて知った時🐱ただ格好いい🐱と思いました🐱名機かどうかはこの動画のように人によって意見が別れますし、私自身も結論が出せないでいます🐱💦そう思う理由は🐱①確かに戦争初期は向かうところ敵無しで日本軍の快進撃を支えています🐱しかし後半期はアメリカ軍が2000馬力級エンジンを積んだ新鋭機を導入し日本軍はベテランパイロットが減り劣勢になり最後は特攻機に使われる🐱💦ただ、戦争後半でもアメリカ軍もベテランの乗った零戦は気をつけろ。と言っていたそうです🐱裏を返せば飛び方でベテランかルーキーかわかってしまうほど戦争後半期の日本軍にはベテランパイロットが不足していたと言うことも出来ますが🐱💦②有名な20ミリ機銃(現在自衛隊では20ミリは機関砲分類されます🐱)これもベテランパイロットなら当てれましたが慣れないと命中は難しいようです🐱💦銃身を長くしたり装弾数を増やす等改良しましたが、やはり当てにくいようだったみたいです🐱しかし20ミリ弾は強力で当たれば致命傷を与えられました🐱③長大な航続距離により作戦の幅が広がり他国では真似出来ないような作戦が可能になりました🐱しかし長距離の飛行はパイロットに大きな負担となり損害が増えたと言う見方も出来ます🐱💦以上の事からベテラン以上のパイロットが乗る零戦は強い🐱ですがルーキーパイロットには厳しい機体だったと思います🐱しかし当時有色人種が欧米並みの戦闘機が出来るはずがないと言う偏見を撃ち破った機体だと思います🐱
震電の動画もそうですが、他の方が触れられない点を動画化されており、感銘を受けました。チャンネル登録しました。
52型とP51Dの同時飛行時の印象は、52型は離陸時の滑走距離が短いですし 旋回半径もかなり小さいです。総じて、車に例えると大型車と小型車って感じですね。パイロットは52型ステイーブ・ヒントン氏。P51Dケビン・エルドリッジ氏、でした。1995年5月のゴールデンウイーク、茨城県龍ケ崎飛行場での事です。主催者のお手伝いで会場整理をやっていました。 不要な豆知識かもですが、P51Dの搭載エンジンはスーパーマーリンではなくてグリフォンでしかも元々はRB51Dレッドバロンに搭載されていたヤツです。
いつの日か再生時間2時間くらいの零戦解説完全版をお願いします
零戦といえば「運動性能」ですが、圧倒したデビュー当時の対中国戦は上昇と急降下による一撃離脱にて運動性に勝る敵を圧倒し、た・・・という事もイメージと違いますよね。それって敵味方入れ替えて中~末期の太平洋戦争の航空戦そのものってのが皮肉です。
設計及び建造中は、大艦巨砲主義ど真ん中で、出来上がった時には航空主兵論に切り替わってしまってた戦艦大和と同じで、企画及び開発中には、軽戦全盛時代で、完成直後は、目論見通りの長距離攻撃機援護機として十分なスペックを持って戦えたものの、時代が重戦時代に突入しちゃったけど後継機が出てこないものだから引退できず、ひたすら戦わされた感が私的には強いです。何故なら14試、17試戦の開発が順調ならば、12試艦戦は、お役御免てなったはずです。なので、零戦を連合軍の新鋭機と比較することは、戦艦大和を世界三大無用の長物と揶揄するのと同じレベルの話のように思ってしまいました。
そうですね。終戦後に就役した戦艦もあるくらいですから。そういう意味では、日本海軍は、ミッドウェーの結果といえど、信濃を空母として設計をし直したのなんて、意外に素早い判断と言えるかもしれません。
流線型の機体は美しい危うさを内包する美しさ
動画のまとめと同じコメントは主任設計士の堀越氏も同じでしたね。『当時の日本が持てる全てを注ぎ込んで作り出した戦闘機』として物語ってる。描きたい事は色々ですが新発見や改めて納得する動画でした GJ!
海軍が「ぼくのかんがえたさいきょうせんとうき」に固執した結果出来たのが優雅で美しく沢山の弱点を内包した出現当時最強の戦闘機・・・と言う訳か戦闘機として最先端を維持できた期間は短かったが「飛行機」としてみれば稀に見る傑作機だと思う
飛行機として見るなら議論の余地なく落第点ですよ。航空機に最低限求められる安全係数を無視してしまっているのですから。拡張の無さもそこに起因します。戦闘機として、それもごく限られた時期と場面においてのみ、かろうじて及第点を出せるかどうか、という機体です。
@@dunsany440 自動車だって壮大に安全マージンをとった市販車よりも必要最低限の強度しか有していないレーシングカーの方が面白い確かに零戦は安全に人を運ぶ為の飛行機と言うなら失格だろうしかし乗って楽しい、操る楽しさを味わうと言う事なら大戦機の中ではダントツなのではないだろうか飛行可能な零戦を所有する航空博物館等のパイロットが言う様に・・・
@@多々良長幸 三式戦闘機をテストした米軍パイロットも似たような感想を言ってましたね。「乗るのが楽しい機体だ」と。600㎞/h越えの機体を当たり前に操縦していた彼らにすれば、レジャー用のライトプレーンに思えたのかもしれませんね。
駄作機
1:03 7Gの1.8倍の強度(安全率込み12.6G)を目指すなら小型化が模範解答ですが、あえて大きめの機体にしたというの大きな特徴でしょうね(堀越氏の文章にも出てきます)また決して低翼面荷重に依存せず、発進時はフラップの性能、空戦時は翼端捻り下げによって飛行状態が最適になる工夫がなされています(低翼面荷重とフラップは艦上発進を短くする対応だと思います)。また強度に関してはスピットファイアも零戦以上に妥協していました。翼厚比が薄いので高速性能は高いのですがレシプロ機にとって必要な速度なのかと言えば違うと思います。Bf109はある意味では理想的な機体ですが、E型が発展の限界であって、F型で機体全体の変更、G型ではもはや・・・。まあ動画の結論のように性能で勝ち負けが決まるのではないのでゼロ、スピット、Bf109ともに任務に必要な改造が続いただけなのかもしれません。
鐘馗が12.6G相当の強度試験に耐えたという話はよく聞きますが、それが日本の戦闘機の基準だったということは零戦も隼もクリアしていたということでしょうか。方や600キロの急降下で空中分解スレスレ、方や800キロでもびくともしないというのに。鐘馗は基準をクリアしたからそこで止めておいただけで実際はまだまだ行けたということでしょうか?
@@jx6004 返信が遅れて申し訳ない。その分野は書籍やネットで詳しく議論されています。「零戦の振動 安藤隆幸」がオススメです。急降下に関しては「振動(フラッター)」が関わるので、主翼強度では克服できません。(主翼剛性分布や重量分布が大きく影響します。今の戦闘機が吸気口の圧力分布を慎重に設計するのに似ています)
訂正:海軍、陸軍を問わず発動機、エンジンがかなり制約を受けていた、早い話、高出力小型の発動機がなかった。膨大な航続距離を要求されることになり軽量軽減のため骨組みがスカスカになる。そのため急降下速度に制限があり、一撃離脱は難しい機体で防弾装置もなく一連射を浴びると簡単に火をふいた。しかし大戦初期では上昇力、小回りを生かして活躍した。最後は特攻作戦で終焉を迎える。やはり強力なエンジンがなくては搭乗員は守れない。機体より優秀な搭乗員にかかる経費ははるかに大きい。貴重な搭乗員を一度限りの特攻で喪失するのは作戦としては下の下だったと思う。特攻作戦を大西に提案した源田実の罪は大きいと思う
安全率は一般的には材料の基準強度を設計上の使用負荷で除したもの。翼面加重の話ももちろん含まれるが、それ以外の設計においても必ず考慮されますよ。
日本の桜舞い散る、華々しく咲き散りゆく、傑作機バランスの取れた機体まさに名刀の切れ味、いかに名刀であれ使い手により鈍刀となる、自分の中では傑作機です。
素晴らしいまとめでした。なるほどとうなずけるところが沢山ありました。それでも零は誇りです。ちらりと出てきたハインケルの事もちょっと知りたいです
厳しめのゼロ戦(海軍の飛行兵でさえ、レイセンとは言ってなかったそうです。元、海軍飛行兵のおやじの言葉ですから確かですよ!)の評価として、そこそこ公平ではないかと思います。一点、無理があるのは、撃墜率を「米軍の数字をそのまま信じるしかない」としたところです。(少なくとも、双方の中間値の方がまだ適切では??)これも親父と生き残りの同期兵の証言(私自身が同期兵会に連れて行ってもらった時に直接聞いています)ですが、「米軍の数字を終戦後に見たけど、航空隊の同じ機体が3回から4回ほども撃墜されている。なぜなら航空隊に残っていた機体数の3倍から4倍が撃墜されているから」と言っていました。存在しない機体は撃墜できませんから、証言も確かですよ。日本では、終戦後に反省を込めて、従軍した軍人たちの証言を収集することはしませんでしたので、軍部の誇大な数字だけが残りました。また、米軍は「勝ったので何でも許される」として、誇大な戦果を修正しませんでした。「双方にとって、とても情けないことだ」と親父は言っていました。※親父:予科練乙飛15期、偵察機搭乗員、潮岬/串本空、マーシャル諸島/クェジェリン基地、館山空、福山訓練基地(イ400/晴嵐搭乗員)
日本以上に米軍の戦果や被害報告って信用できないんですよね士気をあげるためなのか被弾による機体損失を事故、故障による放棄と報告してたりとか(今更真実を確かめる術はありませんが・・・)ある程度信用できるのはドイツ軍くらいじゃないでしょうか?個人だけでなく第三者の報告と照らし合わせてようやくカウントされるそうですから。
@@ppg1640 たまにキルレートが明らかにオカシイ資料がありますよね。そんな量を生産出来たら、戦争してないってレベルのも見かけます。
え?何が問題?あなたが考える以上に現実的合理的な米軍の報告は大本営の報告やパイロット個人の証言より信頼できる。過大報告で喜んでいる日本に比べてまじめに分析して対抗策を講じる米軍の報告のほうがデータとして適切だろ。さらに両方多数の記録を照らし合わせても、F4F、F6Fにかなりの大差で負けてるのは疑いようのない事実ですね。
@@ppg1640 悪いけど、もう少し冷静になって考えてくれ。「一年ごと」という「一定期間中」の「ゼロ戦」という「単独機種」に関する戦果損害比の話をしているのに、「米軍機全体の損失」や「日本軍機全体の損失」とか、さらには「大戦全期間を通しての両軍の損失」を全部ごっちゃにして「計算が合わない」とか言われても、あたりまえだろ(苦笑)としか言えない。ちなみに動画で言われていたキルレート1:20ってのは1944年以降の話だからな?日本軍に勢いがあった戦争初期なら1:1とか1:1.5とかわかるけど(実際そんな感じだった)、終盤になると米軍は完全に制空権を掌握しているので、米側の戦闘機損失は緒戦と比べれば激減している。「出撃したけど、全く戦闘しないで帰還した。」なんてのは日常茶飯事。一方で制空権を失った日本側はベテランパイロットの損失、新兵の練度不足、機体自体の相対的な陳腐化、常に圧倒的数的不利、で出撃すればほぼ毎回集団いじめに遭うような状態、挙句に特攻でさらに機体とパイロットを消耗・・・その時期に限れば悲惨な比率になるのは必然的。ドイツも末期は同じ状況だった(特攻以外)。もう一つ言うと、米軍の報告、軍情報部がパイロットの報告や自軍の損害状況を収集し(それをちゃんと確認するために米機には機銃に同期したガンカメラまで搭載している)、分析して戦後とかに公式に発表されたもの。アメリカ軍はそういう情報分析は非常に重視していて、戦術の改良や新兵の教育、兵器開発等に最大限活用している。彼らの情報戦の強さが日本より一枚も二枚も上手だったのはそういう背景があるから。連中は勝つために情報を非常に熱心に分析していて、「自軍の損害は甘く~」なんてお花畑じゃないんだわ(そもそも、それってあなたの妄想でしょ?パイロットが生き残ったら機体の損失に計算しないなんて聞いたことないぞ?機材の損失と人員の損失はしっかり分けられている。あなたが言ってんのは「空母○○が撃沈されました・・・でも乗組員は救助されたからセーフ(お花畑)」とかそういうレベルだよ?そんなバカな話あるか?と)。残念ながら日本にはそういうのがないので、敗戦国である日本側の同じような纏まった報告を出すのは難しいんだけど、個々の戦闘や作戦ごとの報告は互いに誤報告は多かれ少なかれあれど、それほど大きな矛盾はないんだよね(そういうのは自分で調べてくれ)。自分も米国の報告が完全に正確とは到底思わないけど、感情的になって好き勝手解釈して頭から否定するのもどうかと思う。
@@ppg1640 >悪いが、感情的になってるのはご自分では?としか言えないいや、だから落ち着けってw明らかにお前さんだから。俺の書いたことをよく読んで、言っている内容をちゃんと理解してからもう一回返信編集してくんない?レスの内容がズレまくってループになってんぞ?いちいち一つずつ指摘すんの面倒くさいから。
辛辣なように聞こえるけど日本人と旧帝国に対するうpの愛が伝わってくる15分だった
かなり情緒的な物言いになるけど零戦は日本刀と同じ思想があると思う。個人的には名機と思ってる。
たった6年で旧型機になるって平時の2倍以上の早さで技術が進んでいたんだな
今もそうですよ。デジタルヘルスとかは恐ろしい速さで進んでいます。我が国は取り残されていますが
まぁ人殺しの道具で技術を競うというのも如何なものかと思いますが、今は開発されても何万機も量産して新旧入れ替わって戦時中に初期のメイン機が姿を消すなんてなかなかありませんよね
@@akibanokitune 今の日常の技術は全て人殺しの技術から派生したものだよ
AC5のBGMがしっくりくる。歴史に「たられば」は意味がないと知りつつも、こうだったら、こうしていれば、という妄想をしてしまう。いくら妄想したところで今更過去は変えられないが、過去に学び未来へ託すためには、決して妄想も無駄にはならないと思う。
イギリス→スピットファイアドイツ→Bf109イタリア→?日本→零戦アメリカ→P51?ソ連→?それぞれの国の人に聞いたらなんて答えるんやろ
イタリアといえばCR.42だろうか単葉機ならMC.200とMC.202も有名
ソ連ならヤコブレフ3かな。第二次世界大戦時のソ連機と言うと私のイメージではシュトルモビクですが。
オンラインゲームに例えて言うとSTRとAGIの二つに全振りして序盤はつぇぇぇってやってたみたいな感じ
儚い。そう思います。
個人的に気になるのは零戦VSスピットファイアですね。キルレシオは終始零戦優位でしたから(日本側の一方的な記録ではなく、敵側の戦果記録を紹介した上で)。一応理由としては熱帯気候ゆえの機械的トラブル、搭乗員の技量の差、格闘戦偏重だったとされています。ですが、数ヶ月経ってもキルレシオが変わらないんですよねぇ。機械的トラブルは絶えないし、戦闘もレーダーを活用した一撃離脱を基本としたのに、余り改善してません。当時のヨーロッパでは一線級とはいえないMk. Vですが、カタログスペックでは普通に零戦を上回っています。基本的にこの動画における『傑作機』とは、数が揃って、機械的トラブルのない『優れた航空機』ですので、そう言う基準からすれば太平洋に配備されたスピットファイアは『駄作機』に分類されかねない結果を残しています(まあ、ヨーロッパ本国では救国の英雄ですので、傑作機か否かは使用する場所や環境で大きく変わるんだな、と感じました)。まあ、纏めるとスピットファイアって零戦に対して、本当に相性が悪いんだなぁと思いました。
これ、気になりますよね。あと、ダーウィンのスピットは北アフリカ仕様で顎にゴツいフィルター付いてるやつなので、性能的にはトントンかスピットが下かなと思ってます(本国から遠いし、整備も万全ではなかった?)。結局、ダーウィンでは零戦の圧勝に終わりますが、残念なのはその後、再戦の機会がなかったんですよね。終戦ギリギリのシーファイアくらいで、あれも参考になるかは微妙。Mk.Ⅷあたりと大規模にあたっていたら、と空想しますが、そもそも大戦後半の「英空軍の太平洋方面」「日本海軍のインド・オセアニア方面」の優先順位が高くないので、「本気で勝負したら…」の行方はわからず終いですね。
アジアへ送られたスピットは搭乗員含めいわば2軍を送られていますから、零戦VSスピットファイアのキルレシオは欧州戦線と同一視することはできないですね。
プリンス・オブ・ウェールズのレーダーも南方の湿気で故障してたから、近くの日本艦隊が発見されずに済んだらしい
この頃はまだベテランパイロットがいた時代だからな。1943年以降なら簡単に逆転する。
@@戸田賢司まあ実際日本はイギリスの戦闘機一気も落としてないしなwプリンスオブウェルーズのあれも撃沈じゃなくて事故だしw
零戦神話を崩されるのはなんだか切ないし、悲しくもなる航空技術で世界から遅れをとっていたのは紛れもない事実、、その中で、知恵を絞り、持てる力を振り絞って生み出された日本の航空機達がやはり大好きだ
人間という生物はその高度な知性がゆえに、無意識に自身の見たいものしか見なくなるといいます。それがゼロ戦神話という与太話を作ったと思います。
@@anti_NTUY196 国を守る為に死に物狂いで作り、その機体と共に散った飛行士さん達がいるって言うのに、その機体をガラクタ呼ばわりして草生やしてるんだもんなぁ
@@anti_NTUY196 え、マジで言ってます?wもしかして韓国人の方?それとも左翼かな?勝手にじゃなくて、アメリカが石油の輸入を禁止にしたり、日本の提案を何一つ受け入れない上に戦争するしかない状態にされたからしたんだよ?wしかも日本は限界ギリギリまで戦争を回避してたんだよ?勝てないの分かってるから、アメリカが正当防衛?その理由は?あと侵略って言うけど、日本が進出したなかったらイギリス、オランダ、アメリカの植民地になってたんだよ?w日本がアジア解放のために立ち上がらなかったら今も変わらなずイギリス、オランダ、アメリカの植民地だからねww
@@anti_NTUY196 アジア解放の為に立ち上がった、とは言ったが、解放した、と断言してないが?後、熱くなってる所悪いけど何を信じるか、は故人の自由だからね?それを罪だ!って断言しちゃうあなた凄いねww日米開戦の事しか言ってないって?まずあなたが連合国に喧嘩売ってって、名指しで言って来たからだよ?後正当防衛に対するアンサーがないけど、、どうした?wwあー、まぁ、あれは確かに侵略行為だったね、認めてあげるよ
そういう話はよそでやってくれ
良い解説だ。解説の最後半が適切な評価だと思う。零戦神話は戦後、旧海軍の印象操作のたまもの。それに便乗した出版業界。(負けた話しよりも勝った話は売れるからね)長いこと騙されたんだよ。零戦を海軍航空行政の一部と考えれば、零戦を開発、保有できたことは大成功。失敗はパイロットの育成だと思う。例として昭和19年の各予科練の採用者数は約11万人。乗せる飛行機も無く、また乗せるまでの長すぎる座学期間(予科期間約2年)。利敵行為としか思えない。マリアナ失陥以降は陸兵を養成したほうが、なんぼか役に立ったと思うな。好きだけどね零戦。
機体もエンジンもギリギリでカツカツだとは聞いていましたが、ここまでとは知らなかった
他界した爺様ラバウルに居たけどオーストラリアの基地にスピットファイアーやP38も配備去れてたけど零戦の敵ではなかったらしいラバウルや南方戦線での戦いで零戦の数が減り熟練パイロットが居なく成ってからの話し、ラバウルでメッサシュミットジェット機のテスト飛行を見たらしい音速と余り変わらなかった驚いたと言ってた
@@足柄山の出目金太 ところがメッサシュミットジェット機の飛行可能時間は短か過ぎ、エンジンも不安定なので兵器としては失敗作だった。戦死より事故死が多い変な戦闘機です。
@@akibanokitune ゆっくり解説は実際に現場に居て見たこともない連中が何処其処の資料を基に、知ったかぶりの解説、日本の資料が信用できなく米側の資料が信用出きると、何を根拠に言っているのか解らないが、最近は東京裁判や開戦真珠湾攻撃のハルノートから米側の陰謀論も出きる米側の資料が何処まで信用できるか。ベトナム戦争も逃げ帰った米軍の全てが北ベトナム軍に劣っていたから負けた航空戦力も勝って至ら制空権を取り勝っていたはず当時のソ連の航空機に負けた米側の航空機の資料も当てにはならない、どこも自国の都合で資料は作るものメッサ-シュミットも零戦も実際に見たことはない良かったか悪かったか先勝国の都合で同にでもなるよ。ただラバウルで戦っていた爺様は航空機戦力の整っていた頃は米軍機など相手にならない程零戦は強かったが補給が途絶え熟練パイロットも数が減り最後はラバウルには特攻隊の学徒と航空機が補充されるぐらいで彼らを現場まで護衛する戦闘機もなかったと、彼らは戦闘訓練を受けていないただ飛ばす事と45度で突っ込む事しか訓練されてない学徒出陣の子達米軍の戦闘機と空中戦なんか出来ない撃墜されに行くか艦艇に突撃だけだったとか。戦闘訓練も受けていない子達が乗る爆弾を抱えた零戦を撃墜して零戦に米軍機が勝ったと言えるのかな?話が少し長くなりましたね。
設計者がいくら優秀でも基本的な工業技術が全然ダメで、設計者が思った通りのものを作れなかったからね。初期のフェラーリを思い出すよ。設計はいいが製造がいい加減だったから、「設計はイタリア人でドイツ人に作らせればよかった」とか言ってる人もいた。零戦の戦果損害比1:20は現実として知っておくべきだと思う。
私的にはこの短期間にこれだけのものを作ったことがすごいと思ふというか日本人だから単純に好き
史実を見るとヘルキャットとかの登場と対零戦戦法の確立までは最強とまではいかなくても強い戦闘機ではあったと思う。ただウォーサンダーにおいては格闘戦大好き人間の私にとっては間違いなく最強戦闘機だと思う。(異論は認めます)
10:30つまり下準備が一番重要な勝因だったと・・・ロシア太平洋艦隊艦隊に完勝した日本海海戦の時と同じか
弱点と良い点がハッキリしている戦闘機だから 鹵獲されて弱点が露呈されたのは痛かったんですかね……
やっぱりエンジンだよ。馬力は七難を隠す。動画でも言われているけど巷の評判程、金星零戦が万能じゃなくても馬力さえあれば機体の剛性削らなくてもいいし12.7ミリ対策ぐらいの防弾設備は余裕をもって施せる。つまり機体設計も陳腐化を遅らせることが出来た可能性がある。堀越技師も手記で金星積めば良かったと述懐してますしね。もちろん後からだから言える事ではあるけど。その分燃費が悪くなって航続距離とかは落ちてしまうから。
おっしゃる通りで、土井技師だったか?発言した人物の名前を失念してしまったが「エンジンの出来具合で七割、機体設計の良し悪しで三割でその飛行機の出来が決まる」とある高名な設計技師が言っていたとか。機体設計が秀逸でもエンジンがクソだったがために駄作機のレッテル貼られてしまった機体なんて航空機史上でいくらもありますからね。
ある有名パイロットは実戦でいちばん重要なのは視力と言ってます
防弾とはいっても、ガラスとか背板くらいですけどね機体全体に施すのは無理があります。そんな機体は無いですし
@@西風太 初期のマスタングがそれ、マーリンに換装して別物になった。」
零戦の評価が人によって色々と分かれているけども正直どっちの意見も人によって正解だと思います。ただ自分の意見としては零戦はいい戦闘機だと思いますけどね。零戦自体の飛行性能とどんな作戦にも対応可能な航続距離は正直強い。ただ個人的な意見としてはもうちょい運用絞って武装と装備を変えた方がよかったかも。結局対爆重視したせいで対戦も対爆も中途半端になってる。
零戦より、エンジンがすごい。14個もピストンとバルブと電気を繋げて軸に同調させた。ヤスリ職人技。
それに加えてプロペラの回転に合わせて7.7mm機銃が発射できる機構も素晴らしいと思います。時々整備不良でプロペラの回転速度が上がると弾がプロペラに当たってパイロットをヒヤッとさせる事もあったそうです。7.7mmなので当たってもプロペラの羽が吹っ飛ぶ事はなく端っこの薄い部分が欠ける程度だったそうです。
実際は置いておきゲームとか創作物の中では結構好きなんとなく大和とかと同じようなロマンがある
零戦は兵器としては凡庸でも工芸品としては芸術的であった。
クソダサいし弱いよw
私の父は日本兵だった。その父が言っていた。零戦(たぶん零戦)が飛んでくるくると、エンジンが不調なのかガソリンが不良なのか、バワワバワワという音がしていた。マスタングが飛んでくるくると、急降下急上昇してキーンとあっという間に飛んで行ったとね。飛行機の音で勝てないと思ったとね。
強度とエンジンパワーはカツカツで全く余裕がなかったかもしれないけれども、欧州機よりも大きな胴体、主翼のおかげで内部の容積的には十分拡張できた方なのでは。補強が何度も必要だったとはいえ、翼内部の装備は初期の一号零戦の一号銃(60発ドラムマガジン)から、最終的に二号銃(125発ベルト給弾) + 13mm機銃(240発) + 翼内増槽にまで拡張しているわけですし。
もう35年以上前の話だが京都嵐山で戦争博物館とやらに入ったことがある。屋根の下に四式戦と零戦が無造作に置かれていた。2機の本物を目近で見た最初の感想は機体表面の凸凹さ加減で、鋲を打って在る所は外板が少し沈み込み鋲の無いところ、桁と桁の間は凹んでいる、当時もそこそこ軍オタだったので「沈頭鋲」は知っていたし、空気抵抗の低減には左程効果は無く、生産効率を落としただけだったと云う説に「これなら、そうだろうな」と納得した記憶がある。まあ、今思えば復元が雑だった可能性もあるけれど。
疾風を解説して欲しいです
そんなに美人じゃないけれど、付き合いの長い彼女とはやっばり別れられん、今はそんな存在の零子。
ゼロ戦は未だにビジネスで億を稼げる
零戦の主翼は2.4度の「ねじり下げ」で運動性能を上げていた点を、鹵獲した米軍は見抜けなかったというエピソードに、堀越技師の執念は感じる。ただ、隼の方が量産向きだったり、機銃を1種類にしてある点は戦場では合理的だと思う。個人的には、マニアックになるほど陸軍の合理性に気付いた。中島製の零戦と三菱製の零戦でパーツを互換させようとしなかった理由は何だろ?
零戦が初期に大活躍してたのは事実だし誇らしい事。ただどういう訳かイメージだけで2000馬力級米軍機が出てくるまで圧倒的な強さだったと誤認してる人が余りにも多すぎるんですよねえ。対F4Fですら互角どころかむしろやられてるし後期型の1400馬力F4F相手だと殆ど歯が立たないレベルなのに。ただこれは零戦が悪いわけじゃない、後継機が出てこないまま新型や改良型の米軍機と戦い続ける羽目になった結果でしかない。
なんとなく桜の花のようだなパッと咲いてすぐ散ってゆくように
引退を伸ばしすぎたアイドルのような戦闘機です。哀れだけどよく頑張ってくれた戦闘機でした。
なんとなくTwitterで政治系のツイート始めちゃったアイドル感あるわね
AKB さんですか?
@@ずんだもち-m7r
シノマリファンです!。
言い回しキモいw自分が乗ってましたみたいな言い方すんなや気持ち悪い
@@bigboss3665
21型でもう終わってた?感がある。ヘルキャットやコルセアの重戦闘機の敵ではなかったですよ。とっとと烈風作ってればまだ日本はまだ戦争出来たかもです。52型なんて最低最悪の機体ですし!紫電を改装する方に予算割いた方が良かったじゃないですか。防弾板が無い戦闘機なんて空飛ぶ棺桶だしあんなポンコツ戦闘機当時のアメリカからしたら七面鳥狩りでしょうね。紫電や紫電改の方がアメリカから恐れられた戦闘機ですよ!。これだから、ゼロマニアはタチが悪い人達ですわ。
戦後75年経った今、求められているのは、この動画のような的確、冷静、そして公平な分析ですよね。
「無理を通せば道理が引っ込む」なんで言葉がある国に、「的確」とか「冷静」とか「公平」という概念は珠玉のごとき存在です。今の令和日本にそんなものないので。ちなみに私も日本人です。
いや、ここで言ってる内容は半世紀ぐらい前の水準だよ?
個人的に、零戦は
刀を持って侍が町を歩いた
70年後に作られたって所が
凄いと思う。
なんでそんな技術があったのだろう,,?
凄いんだけど、1から10まで自前の技術じゃあ無かった事が悲劇なんだよね。
何が凄いって当時欧米に20年遅れていると
言われていたのに、こんな凄い戦闘機を
作れた所が凄いと思う
でも基礎がなってないからせっかくドイツとかからコピー権利買ってもろくなもん作れないという
当時産業機械とかはほぼ全部アメリカからの輸入だったからなぁ…なお戦後空襲で破壊されなかったものは進駐軍の指示で全て破壊された模様
今では産業機械の国産化どころか、中韓に対する主要な輸出品だったりしますね…
ACE5のBGMに郷愁を感じます。
「当時の日本人が持てる限りの全てを突っ込んで造った結晶だった」ってとこにぐっと来たのでコメントさせていただきます。
@@こうぶん-q9x
批判とかじゃなくてただ単に興味があるので間違ってる部分と論破した論を教えて下さい。
@@Phantom-kw6cz
米軍のキルレシオって超適当で信用なんてしてたら零戦の生産数3万機ぐらいないとおかしいからな。(実際には一万機しか生産されてない上に特攻にも使用され終戦時は残存機もそこそこあった)
F4Fが零戦圧倒なんてのも当時のプロパガンダでガダルカナルの損失数のトータルはF4Fの方が多い。
あと零戦に仕掛ける時は必ず二機以上で組んで仕掛けろってのがサッチウェーブ。零戦に一機で仕掛けるなって逸話は事実なのになんか無理矢理否定しようと必死だがな。
ラバウルでも零戦は8機被弾しただけで未帰還なしなのが戦後の資料照らし合わせで発覚してる。
何故かこのウプ主は照らし合わせ前の米軍側資料のみが信用できると言い張っている。
サッチウェーブの考案者もF4Fで零戦相手にしたら生還自体が奇跡って言ってるしな。
つまり零戦の優位はF6F登場まで続いている。
F6F登場後も数が互角なら52型の方が強い。(ただし末期は数が互角なんてほぼ無かった)
@@モヘンジョ太郎-h9f 認識が間違っている、大戦中に空戦で失われたF4Fは178機でF6Fが270機。
対して零戦は総生産数10,000機の9割近くが撃墜されている。
両者を単純比較したら、キルレシオはおよそ20:1となる。
実際は他の機種の戦果もあるため数字は変わるが、米軍のキルレシオってのは議会に予算を通す目的もあって、戦後可能な限り分析調査による検証がなされているので、荒唐無稽な数字ではない。
ちなみにキルレシオってのは機体の優秀さを示す指標じゃなく、戦闘の優劣を測る指標だからね。
仮に機体性能が劣っていても、数で圧倒すれば優位な数字になるんだよ。
零戦の特徴の一つに圧倒的な航続距離があるが、燃料切れより先にパイロットが限界に達する程で、それが無理な作戦による機体とパイロットの消耗の要因になっていたと思う。
帰りの飛行中に睡魔に襲われて、寝たら墜落するからって太ももに工具を突き刺して飛び続けた搭乗員がいたって話が残ってるしな…。
あの当時はどれだけ良い工作機械をどれだけの量保有していたかが
そのまま技術力に直結している面もあったよね。
物量や工業技術力の違いが、
戦力の決定的差ではないということを教えてやる!
ほとんど工作機はアメリカ製だったよ
熟練者が戦場へ、勤労奉仕の学生が
制作しているから
零戦も稼働率が下がる機体になるよね
元整備兵だったお隣のおじさんが
零戦は良い機体だったよ
21型までは綺麗だった
52型はリベットが粗雑であったそうだよ
エンジンはプロペラを人がクランクで回していたそうですよ
停止ボタン押しても多少エンジン停止に
かかったそうですよ
整備はしやすい機体だったそうですよ
それは現代でも変わらない。
@@山本熊一-s4d
負けフラグやめろ
そこで、天才職人本田宗一郎の登場ですよ
もっとも精密加工が必要ようなピストンリングの担当でした
昔、海軍ではないですが陸軍航空部隊の人に評価を聞いたことがありますが、だいたい同じ評価です。
エンジン、プロペラ、通信など米国より大幅に遅れていて、設計技術のみなんとかキャッチアップできていた状況。
設計に余力が無いものが多く、改装・改造ができなかったのは事実。特に零式はそうであった。
ただ、零式は艦載機なので、着陸時点でふわっと陸上でも短距離で着陸していたとのこと(戦争末期のぞく)。
11型から64型まで作って発動機出力も1.5倍まで実現してるので、改造改修が出来なかった、と言うことはないです。
スピットファイアやメッサーシュミットは、同じ機体で2倍以上のエンジン積んで700km/hを実現してる。
@@わお-r2sだけど零戦特有の軽さは無くなってる、全くの別物
子供時分、遊就館で実物の零戦を初めて見て、骨組みに薄い鉄板を張り付けたペコペコな感じが、模型の表面の滑らかさと違ってて驚きました。急降下制限が厳しい弱点をつかれて上から追われたら、パイロットも機体が壊れそうな嫌な音とか感じるんでしょうね。
急降下をするとシワができるらしいです
分かる。模型の箱絵とかで想像している以上に凸凹で歪さを感じるよね。
特に最近のジェット機を先に見ている分だけ、「こんなモンが日本の主力だったんか」と思わされた。
物の本にはゼロ戦は沈頭鋲を採用して空気抵抗を減らしたとか書いてますが、実物を見てこんなに凸凹では意味があるのかと思ってしまいました。
@@groovevox なので日本機は全体的に速度が低いので。。。
再末期のP51が740km/hとか叩き出してるのは米軍名物の2㎜の外板に、
塗装はウレタン仕上げの贅沢仕様の成せる業でもあります。
@@小野田宇部しかもなぜかP-40より少し高いだけの安売り
永遠に相手に対して優位でいられる戦闘機なんてありませんからね。
ゆんゆん 航空機の進歩は早かった.............
@@ケニア産の紅茶
技術全般ですよね。
今の日本もうかうかしてると置いてかれたりしてw
@@soramame114 理系大学生やってるけど、もう既に研究面では中国には勝てんよ…(現実)
@@まきまき-e9v 圧倒的人的資源と金の差()
@@old2615 金の差って凄まじいよなぁ…金があるだけで才能ある者を見つけ出して、優秀な人に育て上げることができるんだもん…
うぽつです。
零戦は「栄光」と「落日」どちらの側面も持ち合わせている戦闘機ですよね。
更新しないで使い続けたからな…
冗長性が無く、改造出来る余裕が無かったのが辛いですね。
世界初の制空戦闘機でもある。
まあ、序盤あまりにも強くて制空権も取れたので日本の快進撃に大いに貢献しましたからね。
約4年が長いか短いかいろいろな切り口や見方で変わりますが、個人的には「サクラ散る」といった印象でしょうか。
@@C500改 様、
出来上がった時点で、既にほぼ完成体でしたからね。(^_^;)
無駄というか、贅肉が無く、既に限界ですから。(^_^;)
最後のまとめに感動しました。ちょっと泣きそうだった。
後発ランナーが精魂振り絞って頑張った結晶。
そんな部分も日本人の零戦に対する思い入れに関わっているのかもしれませんね。
無茶な要求を達成しようとしたしわ寄せが、具体的にどこに及んだのかということが具体的に説明されていたのも勉強になりました。
まだまだ語り足りないところについても、いずれぜひお聞きしたいです。
この動画はあくまでも設計した堀越技師の視点
日本海軍が出した「十二試艦上戦闘機計画要求書」第一の項目は「攻撃機の阻止撃攘を主とし尚観測機の掃蕩に適する艦上戦闘機を得るにあり」と明記されているように、主力艦隊に迫る敵攻撃機を阻止し敵観測機を追い払って味方艦隊に対する敵艦隊の正確な砲撃を妨害するのが主任務の艦上戦闘機であり、「使われ方」が爆撃機の「援護戦闘機」だったからといって計画要求書もそうだったわけではない。動画で紹介されている「援護戦闘機として・・・」という言葉は「十二試艦上戦闘機計画要求書」には何処にも無い......堀越技師は何処からこんな言葉を持ってきたのかサッパリ解らない
設計側は(零戦は)「艦上戦闘機」という枠組み(ハンデ)が有るから無茶な要求と感じたかも知れないが、計画要求書が発行された当時欧米列強各国の戦闘機は速度500㎞に迫り、零戦が実用化される頃には速度550㎞を超えている戦闘機が出現しているのが予想されていて─計画要求書の速力270節だと完成した時点で陳腐化している恐れもあった─海軍側としてもかなり妥協した要求だった。実際「十二試艦上戦闘機計画要求書」の元となった議事録を見ても細かく議論(発動機の選定や銃弾の重量までも)されていて、要求が達成できる見通しの元に「十二試艦上戦闘機計画要求書」が作成されている
零戦の開発に関しては計画し設計を指示した海軍側の視点が重要だと思う
完璧ではなかったけど、見た目は全戦闘機の中でもトップクラスだと思う。
堀越さんが試験飛行時に「美しい…」って言ったのもうなずける
陸上攻撃機銀河、後に新幹線の設計を行った三木忠直さんは新幹線設計の際に「美しいものをつくれ、そうすれば解決する」と言う発言をしています。
航空機設計と新幹線、空力学上通ずるものがあったんでしょうね。
風防と尾部がね...
百式司令部偵察機も美しいフォルムの機体だと思いますよ。
@@ほげーい 実戦じゃ見づらかったらしいけどキャノピーの大量の骨組みが逆にカッコいい
骨張ったキャノピーとかエンジンカウルの段差とか、戦闘機としても航空機としても美しいとは思えんのだよなぁ
大まかなシルエットなら液冷の機体に及ぶべくもないし、堀越氏の美観は自分には理解できん
必要な時期に必要な性能を持って数が揃えられた。十分名機だよね 用途がまとまらず汎用化した割には性能良かったがその分犠牲にした物があったわけでそこにスポット当てたら当然批判もでてくるわけで現場の設計ではなく軍政側の問題ね 日本は意見が対立した時にそれをまとめて判断する事が苦手だから折衝案でどっちつかずになったり先送りにする所があるからよくある話
零戦は海軍の理想を実現した『概念実証機』だった
日本人に戦闘機聞いたら零戦が出てくる。
それほど期待されていて愛されていたんだろうなぁ
ちなみに戦時中の知名度は同世代の隼のほうが上だったみたいですよ
@@カニスもつ鍋 今の大和みたいな感じですね
昔は長門の方が有名だったし
@@佐藤正道-e9r 九六艦戦も世界水準越せるポテンシャルあるけどね
@@カニスもつ鍋
加藤隼戦闘隊って思いっきり英雄報道されてましたしね
敵基地に強行着陸して陸兵として駐機中の航空機を爆破してシレっと帰還した猛者までいたので有名になりました
@@カニスもつ鍋 祖母もそう言ってました。加藤隼戦闘隊のイメージが強いそうです。
零戦の大きな問題の一つは アップグレードし辛い機体に仕上がってしまったことだと思う。具体的に、機体基礎強度と高速操縦性に乏しく、高出力エンジン搭載に不適切ということだ。(ME109とスピットファイアの後期型は 2000馬力級のエンジンを装備している。) 10417機生産された零式(Wiki、練習機を除く)だが、1942年末までに出来上がったのは ほんの18%で、残りの82%は 旧式化が目立ち始めた1943年とそれ以降に、著しい発展も遂げてない「型」で作られ、戦場に送り出されている。
零戦開発時の議論
「速度や航続距離など飛行機の基本的な部分は操縦手にはどうにも出来ない。これを優先すべきだ。運動性の不足は猛訓練でなんとかする。」
これ好き。
対して反対意見
「今現在中国戦線で我軍優勢なのはひとえに96艦戦の運動性能のおかげである。運動性能こそ優先すべき!」
単純に無茶を通せば道理が引っ込む機体って事ですね。最初から悲しい運命を背負って生れて来た戦闘機ですね。
つまりは武器の性能よりその武器をいかに使うか、という方が重要なんね
戦争システムはパーツではなく全体として評価するべきだと
戦略的にアメリカ渾身の一機となるとやはりB29だけど。本国ではあまり人気ないようですね
対米戦したら負けるとわかっていたのに、なぜああなってしまったのか
@@hira5391 B-29は実用的な意味で日本機が狼狽えるレベルの代物だったし「タフでない奴は評価に値しない」がアメリカの気風ですからね…
@@佐藤正道-e9r B-29の後代もすぐ陳腐化してしまったし、それを思うとB-52は本当に偉大ですよな
戦争システムとしての不利は、兵器の性能だけでは覆しがたい、ということなのでしょうね。
13:06ガンダムを操るアムロとザクで初対戦したシャア少佐も言ってたな
「モビルスーツの性能の差が戦力の決定的差ではないという事を教えてやる!」と。
兵器は運用の仕方でどうにでも展開のしようがあるという事だ。
確かに零戦は無敵の万能戦闘機ではないですけど、あの美しい姿は日本人でなければ造れないですね。何だかんだ言われても、やはり零戦大好きです。
この動画だと「日本軍の撃墜数報告はデマだから割愛」とか言ってますけど実際には撃墜ではなく撃退だっただけですけどね。
米軍機の多くは損傷離脱しても帰還してたって話で零戦に対して空戦優位だった訳じゃないです。
@@こうでん-q6x 撃退とかいう微妙な戦で褒められるゼロ戦さんぇ…
@@まきまき-e9v 爆撃機の護衛なら敵戦闘機を撃墜できなくても撃退できればそれで目的は達成しているのでは?
@@まきまき-e9v
死ぬまでやり合えって言われたら零戦の方が余裕で強いよ。
F4Fで十分とか優位なんて話は日本の軍人どころかアメリカの軍人にもそんな事言ってる記録は1つもないし。
戦闘機ってのは逃げる時はダイブして高度落とすんだけど、被弾して煙吹きながら逃げる敵機を誤認する事が多かったって話でこの中でも特に日本兵が「あれは落ちたろ」ってぐらい損傷してたのが日本軍の撃墜報告数(実際にはほとんど帰還してた)
零戦の任務はあくまで防衛なのと高度落とすと上取られるから追わなかっただけ。坂井さんなんて1人も殺してないからね。
@@こうでん-q6x 陸軍の隼のエースとスコアが桁違いなんですよね、陸軍は、墜落が確認出来ないと撃破報告で撃墜報告ではなかった。「ニューギニアは、南郷で持つ。」と言われた、59戦隊のエース南郷茂男大尉の撃墜スコアが15機と、かなり控え目。海軍の零戦のパイロットの報告は、マシマシでしょうね。
これまで見た零戦解説動画で1番しっくりきたかもしれない。自分が知ってる零戦の良い悪い話双方が混ざり合った。
何だかんだ日本軍では1番戦果を出した航空機ですからね、愛憎入り乱れる
だが、この美しさが零戦だと思う…
個人的にはアメリカの飛行機の方が見た目は好きだな
@@和尚-c8m ここで言うか...()
確かに曲線でまとめられてはいるんですが、分厚い主翼、飛び出したオイルクーラー、枠が多く機体サイズに比べてはアンバランスに大きいキャノピー・・・と、正直な話「化粧下手」って感じる部分があります
@@みやも-w7q
まあそこは技術の限界なんだろうなぁ、パーツ単位でみたらあんまりって感じなのは分からなくもないけど、総合評価というか全部合わせたら美しく見える。そこは個人の差だろうけども
@@fgo3361 おっしゃる通りで、自分も曲線のアウトラインは好きなので、96式戦などはとても美しく感じます。開発時期を考えれば他の国の戦闘機も似たり寄ったりでもありますし・・・ 故に、戦中に他の国に洗練された航空機が登場してくる中でも大きく変化出来なかった苦しさを感じるところですね
そもそも零戦って、第二次大戦に間に合わせる為に当時の日本の航空技術を全て注ぎ込んで間に合わせたんだから、それだけでもすごいと思う。
そんでもって終戦までカツカツの搾かすみたいな技術にさらに追加装備して何とか持たせたのはもう名機と言わずして何と言おう。
零戦が今も名機と言われるのはやはりそこらへんの研ぎ澄まされて扱いづらい玄人の業物の為せる技だと思うよ
よく、日本のパイロットは格闘戦にこだわっていたようなイメージがあるが、たぶん間違い。実戦経験豊富な戦闘機操縦者にとってドッグファイトが禁じ手だということが常識だった。格闘戦にこだわっていたのは内地で訓練ばっかりしていたパイロットたち。坂井三郎とか岩本徹三なんかの本を読めば一目瞭然。むしろ、米軍の方が戦争が始まって初めてそれを知った。だから慌てて一撃離脱に切り替えた。最初は対戦闘機戦闘と言えばドッグファイトと思っていたのでゼロ戦にそれを挑んでボロクソにやられた。そんなところ。
F2Aバッファローという機体があって
武装が貧弱で装甲もない初期型はフィンランドで活躍したのに、軍の要求通りに武装増やして装甲も付けた後期型はハワイやフィリピンでほとんど何もできなかった
重量増加にエンジンが全然耐えられなかった結果だ。1000馬力なんてそんなもんだ
まるでエンジンに合わせて機体がデザインされていて発展性がなかったとも言われますね。
脚が弱くて着艦時に破損してヘタリ込むとか最大の問題はメーカーが労働争議頻発で会社として問題多く設備が旧式で生産能力が疑問。
フィンランドのパイロットが超人だっただけの可能性
@@歯に優しいケーキ-e6e 可能性高い、フィンランドの兵士はエグい実力の奴らばっか
ニルス カタヤイネン
@@サヴァの味噌煮-b2o 無傷の撃墜王とか散歩ついでに敵戦車撃破してくる人とか戦果500人くらいの狙撃手×2とかフィンランド人ってみんなチート使ってると思う
当時の主要な欧米列強から遅れをとっていた中で、これだけの性能の機体を作れたという点は評価してもいいと思う。
いや、96式艦上戦闘機も相当な傑作機だったよ。設計は同じく堀越二郎のもの。映像にも残る有名な片翼帰還の樫村機も96式艦上戦闘機だった。この96式艦上戦闘機の成功があったから零戦が成功したと思う。烈風が成功しなかったのは開発が後回しにされ、ようやく開発に本格的に着手した頃には戦況が悪化し、もはや劣勢となっている状態で当初の要求スペックは必要なくなっていた事が大きい。したがって大戦後半は航続距離が長くない局地戦闘機が順次投入された。
最近はどこのチャンネルもマニアックな機種を紹介しているから
この動画は有難いですね、
語りたいことは私もありますが、長くなりそうなので、
10:59 両軍の戦闘記録を照合し、戦果を推定した梅本弘さんの研究によると、米軍は昭和18年6月30日から32日間にわたって行われたレンドヴァ島上空での17回の空戦と、ブーゲンヴィル島にある日本軍飛行場への4回の侵攻作戦で、戦闘機71機を失ったことを認めています。この戦闘で日本軍は零戦59機と隼3機を失いました。米軍の損失機数を日本軍の損失機数で割ると、1.145となります。しかし、人的被害では米軍40名に対して日本軍は55名(戦死53名・捕虜2名)であり、この比は0.727でした。
単純なキルレシオでは、昭和18年の戦闘でも日本軍は互角以上だったかもしれません。しかし、人的被害では逆転しており、これらの戦闘で米軍は撃墜されても56.3%のパイロットが生還できたのに対し、日本軍は88.7%が帰還できなかった計算になります。搭乗員の育成には機体の生産以上に時間がかかります。運用方法も含め、総合的に見て日本軍は押されていたと言えるのではないでしょうか。
結構ガッチガチの解説動画で新しい知識を得られました
ありがとうございます
名機かどうかは相対的な話だからなあ。
敵に対して強みがあって活躍すれば、それは名機といって良いんじゃない?
異論は認める。
個人的には、名機で間違いないでしょうね。
96式でいきなり世界のトップクラス、ゼロ戦で長大な航続距離を獲得しつつドックファイトも強いという化け物だったようなので。
どうみても名機、地上攻撃もできて、空戦も卓越、航続距離もながい
それでいて空母運用も可能なんて
現代の目でも理想的なマルチロールですね
日本軍信者でも日本軍嫌悪者でもない自分からすれば、至極わかりやすく納得のいく動画でした。
国力も技術力も劣れば、こうせざるを得ないですよね。
そう考えると、まさに零戦は日本人的。
一点のみに集中する。これは日本人の長所であり短所でもありますからね。
@@ウギョ-o4u
零戦はすべてを求めた結果の産物
零戦の20mmは軽量化により発射時に翼がたわむせいで九九式二号(エリコンFFL)に換装されても当たらなかったそうな..............まあ戦後にのほほんと生まれてきた私達が零戦の事を知るには資料や文献しかないので細かいところは当時の搭乗員のみぞ知る。
数秒打って終わりだったそうですよ
1回〜2回で玉が尽きる
7.7mm銃が主に使う事になったよ
るくりりの部屋
戦争初期に「零戦の20㎜はB-17に対して威力不足」という報告がありますが、威力不足ではなく「そもそも当たっていない」という可能性が高いと思われます。
御指摘の主翼の剛性に加えて当時の九九式一号は短砲身・低初速で重い弾頭を発射するため弾道直進性や命中率は非常に悪かったようです。
カタログスペック的には20㎜砲装備のため強武装、という事になっていますが。
結局は総合力に尽きると思います。
ガソリンの質
パイロットの腕
仲間同士の連携etc
機体性能だけでは勝ち負けは決まらないって事だと。
早期警戒やらレーダーやら、無線機問題、本土防空戦では南方よりはマシになってきた。紫電改の高評価は源田忖度だと思います。
妥協の産物で骨身を削ってギリギリの性能を引き出して、短期間でパっと散る。
ある意味とても日本らしい戦闘機。
アメリカの戦闘機エースの
自伝の小説を読んだ事が
ありますが。
やはりゼロとは熱くなって
ドッグファイトは、するなって
命令やったそうですよ
それをやってしまい
その人はゼロに落とされ
かろうじて日本の捕虜に
なり助かったと書いてました。
その人の愛機はF4Uコルセア
です。
@@佐藤正道-e9r
名前は覚えてませんが
最初にフライングタイガーに居て
最終的にコルセアに乗っていて
落とされて捕虜に
なった人です^ ^
詰まる所、愛憎相半ばするとは言え、これだけ知名度も在り、記録にも記憶にも残っており、
名機の称号を与えても良いのではと思います。・・・・・何時も楽しい動画を有り難う。
ともかくも1万機以上生産され、大戦末期まで第一線にありましたからね。
対する米海軍はF4FからF6F・F4Uへ代替わり、スピットファイアはエンジン換装で大幅に性能向上してましたが…
@@AkemiNakajima-xj5kv ゼロ戦も、一応最後までパワーアップと武装の強力化と防弾の強化は続けられていたけれども・・・
隼が零戦より生産数が少ないのはあるべき姿だよね
軍部と設計制作側とのやり取り&言い争いは「風立ちぬ」の中でも一瞬出て来ますね。
言い争いの末、解決策がないと「大和魂で何とかするんだ!」で終わったそうです。
ある意味WW2の日本の象徴だと思う。序盤は優勢だが最終的には敗北を重ねるところが大戦中の日本とそっくり
零戦の美しさは海軍の限界を超えた要求に起因したことを考えると、グッジョブと言いたくなってしまうくらい美しい。傑作であれ駄作であれあれほどまでに美しい戦闘機を作り出した当時の技術陣に脱帽。
ゼロ戦は名機か迷機かなんて見る人によって変わりますよね。
私にとっては名機ですね。
やっぱり当時の海軍のムチャ振りが悪いよね。
できないものはできないと言うべきなのは技術者
技術者「できない」
海軍「できないという言葉は聞こえない」
kagero_210 技術者「出来ない」
陸軍「お前精神力がたらんのかぁ!バギッ」
技術者の仕事は要求項目に可能な限り沿うことでしょ
寧ろ、適切な要求項目を作ることが軍人の役目、自国の工業力、ドクトリン、敵国との性能比較などの要素から適切な仕様を出せる組織こそが重要。
@@ケニア産の紅茶 逆に陸軍は技術者の話聞いて企業にある程度自由に作らせてたぞ
零戦解説動画のBGMがいつもの解説動画で使われてる曲ではなく、エースコンバット5の「15 Years Ago」なのがちょっと哀愁を誘う。
なんでも良いから
一度だけでも
零に乗りたいな…
神「仕方ないなぁ~」 ポンッ!
1945 in kagoshima
唐揚げ。 おいヤメロ!悪意しかない時と場所に送るな
神様ありがとうございます。
御国の為に、一機でも多く敵を
討ち取って参ります(`_´)ゞ
@@中里毅-b3n 特攻機で出て一機落とせたら奇跡だなぁ...
@@kagero_2105 返事が返って来ないな…彼はもう…
撃墜される戦闘機5機のうち4機は敵機の存在に気付かないうちに撃墜されていたと何かで読みました。ドックファイトで撃墜されるのは5機のうち1機だったそうです。
そう、だから速度が30㎞/hも下がるのに、隼のパイロットたちは、キャノピー開けっ放しで索敵、空戦していた。勝負は最初の一撃できまる、索敵で先手取った方の勝ち。
@@yutas8710 最初に見つけた方が勝ちとか
現代のステルス同士の空戦につうじるものがありますね
@@yutas8710 3Fですね。
素晴らしい動画です。
零戦の評判に関して言いたい事全部言ってくれた。
良くも悪くも当時の日本軍、ひいては日本全体の象徴ですね。
零戦って名機かどうかは置いといて第二次世界大戦で日本が戦うためにコレくらいの性能はないとって極めてシステム的に考え出された戦闘機としては最高の機体だと思う。
坂井三郎さんなども書籍によっては(零戦配備直後)小型軽量な96艦戦への未練があったと回想なさっていますね。そこを上官から説得されて零戦で戦えるように訓練に励んだと。具体的には中国大陸を延々長距離飛行し続けたと。
零戦は間違いなく名機だったよ。実際に零戦と闘った米軍は零戦と出会ったら交戦せずに退避しろと命令していたほど強かった。しかも航続距離が当時の常識ではあり得ないくらい長いから、それを知らない米軍は神出鬼没に現れる零戦を見て日本軍の空母が近くに居るものと誤解したほど規格外の艦上戦闘機だった。そして、あまりにも強いので零戦を操縦するのは日本人ではなくドイツ人じゃないかと米軍は本気で思ったらしい。余談だけど昔のアメリカの番組で、時代を問わず世界の名戦闘機ランキングというのがあって、レシプロ機から現代ジェット機までランキングされていたんだけど、その番組では零戦が名機メッサーシュミットBf109よりも上位だった事を覚えてる。たしか4位か5位だったはず。ちなみに1位はF-15イーグルだったような覚えがある。
@@feAt.tAkuyA 戦後の評価ですと零戦の航続性能が高く評価されていますね。アメリカではP-38、P-47、P-51に大型の落下タンクをつけて飛んでいた距離(おそらく空輸最大距離)を機内燃料で達成してしまいますから。ドイツやイギリスの場合、もはや双発戦闘機でなければ飛べませんでした。零戦はエンジンに恵まれなかったという意見がありますが、私は栄エンジンの燃費と直径の小ささがあってこその零戦だと思います(液冷エンジンのBf109やスピットファイアの機首よりやや大きいくらいのサイズです)。
逆に、そこが限界で日本では風洞設備が不充分であり空冷エンジンや液冷ラジエターの内部を流れる空気抵抗を軽減できませんでした。
なので日本の戦闘機は馬力が上っても空気抵抗と相殺されてスピードが伸びませんでした
馬力増加の3乗根ぶんしか速度は向上しないので、馬力アップより空気抵抗を減らすことが重要なのです。
(例:空気抵抗が変わらず、馬力だけが2倍になった場合は「2の3乗根≒1.26倍≒26%」スピードが増加します。1000馬力が2000馬力になっても30%未満の速度しか出せません。しかし空気抵抗が低い場合、より小さな馬力増加でも大幅にスピードが向上します)
@@feAt.tAkuyA 12:00
@@力久ピコ 低速での運動性と航続距離くらいしかほめるところがないのは判るけど、戦闘機なんだからいくら航続性能が良くても戦闘に弱いのでは駄目ですよ。
なんかホンダとかトヨタの躍進時の色々無い中で頑張った感とすごくかぶるな、、国民性をよく表してる機体なのも人気の秘訣かな
戦艦大和、空母赤城とともに活躍したかどうかは別として、海軍の零戦と陸軍の一式隼は有名ですね
良い動画でした!ぜひ、隼とゼロ戦との比較動画をお願いします。
そもそも零戦の予定生産数は1000機程度(艦載機、基地用、予備機で三分の一づつ)であり、よもや消耗戦になってあんなに生産すると思わなかったのであの形態になった。
航空消耗戦前提なら全然ちがった物になったと思われる。
堀越先生、技術者の皆様には感謝しかありません。
零戦を始めて知った時🐱ただ格好いい🐱と思いました🐱名機かどうかはこの動画のように人によって意見が別れますし、私自身も結論が出せないでいます🐱💦そう思う理由は🐱
①確かに戦争初期は向かうところ敵無しで日本軍の快進撃を支えています🐱しかし後半期はアメリカ軍が2000馬力級エンジンを積んだ新鋭機を導入し日本軍はベテランパイロットが減り劣勢になり最後は特攻機に使われる🐱💦ただ、戦争後半でもアメリカ軍もベテランの乗った零戦は気をつけろ。と言っていたそうです🐱裏を返せば飛び方でベテランかルーキーかわかってしまうほど戦争後半期の日本軍にはベテランパイロットが不足していたと言うことも出来ますが🐱💦
②有名な20ミリ機銃(現在自衛隊では20ミリは機関砲分類されます🐱)これもベテランパイロットなら当てれましたが慣れないと命中は難しいようです🐱💦銃身を長くしたり装弾数を増やす等改良しましたが、やはり当てにくいようだったみたいです🐱しかし20ミリ弾は強力で当たれば致命傷を与えられました🐱
③長大な航続距離により作戦の幅が広がり他国では真似出来ないような作戦が可能になりました🐱しかし長距離の飛行はパイロットに大きな負担となり損害が増えたと言う見方も出来ます🐱💦
以上の事からベテラン以上のパイロットが乗る零戦は強い🐱ですがルーキーパイロットには厳しい機体だったと思います🐱
しかし当時有色人種が欧米並みの戦闘機が出来るはずがないと言う偏見を撃ち破った機体だと思います🐱
震電の動画もそうですが、他の方が触れられない点を動画化されており、感銘を受けました。チャンネル登録しました。
52型とP51Dの同時飛行時の印象は、52型は離陸時の滑走距離が短いですし 旋回半径もかなり小さいです。総じて、車に例えると大型車と小型車って感じですね。パイロットは52型ステイーブ・ヒントン氏。P51Dケビン・エルドリッジ氏、でした。1995年5月のゴールデンウイーク、茨城県龍ケ崎飛行場での事です。主催者のお手伝いで会場整理をやっていました。
不要な豆知識かもですが、P51Dの搭載エンジンはスーパーマーリンではなくてグリフォンでしかも元々はRB51Dレッドバロンに搭載されていたヤツです。
いつの日か再生時間2時間くらいの零戦解説完全版をお願いします
零戦といえば「運動性能」ですが、圧倒したデビュー当時の対中国戦は上昇と急降下による一撃離脱にて運動性に勝る敵を圧倒し、た・・・という事もイメージと違いますよね。それって敵味方入れ替えて中~末期の太平洋戦争の航空戦そのものってのが皮肉です。
設計及び建造中は、大艦巨砲主義ど真ん中で、出来上がった時には航空主兵論に切り替わってしまってた戦艦大和と同じで、企画及び開発中には、軽戦全盛時代で、完成直後は、目論見通りの長距離攻撃機援護機として十分なスペックを持って戦えたものの、時代が重戦時代に突入しちゃったけど後継機が出てこないものだから引退できず、ひたすら戦わされた感が私的には強いです。何故なら14試、17試戦の開発が順調ならば、12試艦戦は、お役御免てなったはずです。なので、零戦を連合軍の新鋭機と比較することは、戦艦大和を世界三大無用の長物と揶揄するのと同じレベルの話のように思ってしまいました。
そうですね。終戦後に就役した戦艦もあるくらいですから。そういう意味では、日本海軍は、ミッドウェーの結果といえど、信濃を空母として設計をし直したのなんて、意外に素早い判断と言えるかもしれません。
流線型の機体は美しい
危うさを内包する美しさ
動画のまとめと同じコメントは主任設計士の堀越氏も同じでしたね。
『当時の日本が持てる全てを注ぎ込んで作り出した戦闘機』として物語ってる。
描きたい事は色々ですが新発見や改めて納得する動画でした GJ!
海軍が「ぼくのかんがえたさいきょうせんとうき」に固執した結果出来たのが
優雅で美しく沢山の弱点を内包した出現当時最強の戦闘機・・・と言う訳か
戦闘機として最先端を維持できた期間は短かったが
「飛行機」としてみれば稀に見る傑作機だと思う
飛行機として見るなら議論の余地なく落第点ですよ。航空機に最低限求められる安全係数を無視してしまっているのですから。
拡張の無さもそこに起因します。
戦闘機として、それもごく限られた時期と場面においてのみ、かろうじて及第点を出せるかどうか、という機体です。
@@dunsany440
自動車だって壮大に安全マージンをとった市販車よりも
必要最低限の強度しか有していないレーシングカーの方が面白い
確かに零戦は安全に人を運ぶ為の飛行機と言うなら失格だろう
しかし乗って楽しい、操る楽しさを味わうと言う事なら
大戦機の中ではダントツなのではないだろうか
飛行可能な零戦を所有する航空博物館等のパイロットが言う様に・・・
@@多々良長幸
三式戦闘機をテストした米軍パイロットも似たような感想を言ってましたね。「乗るのが楽しい機体だ」と。
600㎞/h越えの機体を当たり前に操縦していた彼らにすれば、レジャー用のライトプレーンに思えたのかもしれませんね。
駄作機
1:03 7Gの1.8倍の強度(安全率込み12.6G)を目指すなら小型化が模範解答ですが、あえて大きめの機体にしたというの大きな特徴でしょうね(堀越氏の文章にも出てきます)また決して低翼面荷重に依存せず、発進時はフラップの性能、空戦時は翼端捻り下げによって飛行状態が最適になる工夫がなされています(低翼面荷重とフラップは艦上発進を短くする対応だと思います)。
また強度に関してはスピットファイアも零戦以上に妥協していました。翼厚比が薄いので高速性能は高いのですがレシプロ機にとって必要な速度なのかと言えば違うと思います。
Bf109はある意味では理想的な機体ですが、E型が発展の限界であって、F型で機体全体の変更、G型ではもはや・・・。まあ動画の結論のように性能で勝ち負けが決まるのではないのでゼロ、スピット、Bf109ともに任務に必要な改造が続いただけなのかもしれません。
鐘馗が12.6G相当の強度試験に耐えたという話はよく聞きますが、それが日本の戦闘機の基準だったということは零戦も隼もクリアしていたということでしょうか。方や600キロの急降下で空中分解スレスレ、方や800キロでもびくともしないというのに。鐘馗は基準をクリアしたからそこで止めておいただけで実際はまだまだ行けたということでしょうか?
@@jx6004 返信が遅れて申し訳ない。その分野は書籍やネットで詳しく議論されています。「零戦の振動 安藤隆幸」がオススメです。
急降下に関しては「振動(フラッター)」が関わるので、主翼強度では克服できません。
(主翼剛性分布や重量分布が大きく影響します。今の戦闘機が吸気口の圧力分布を慎重に設計するのに似ています)
訂正:
海軍、陸軍を問わず発動機、エンジンがかなり制約を受けていた、早い話、高出力小型の発動機がなかった。膨大な航続距離を要求されることになり軽量軽減のため骨組みがスカスカになる。そのため急降下速度に制限があり、一撃離脱は難しい機体で防弾装置もなく一連射を浴びると簡単に火をふいた。しかし大戦初期では上昇力、小回りを生かして活躍した。最後は特攻作戦で終焉を迎える。やはり強力なエンジンがなくては搭乗員は守れない。機体より優秀な搭乗員にかかる経費ははるかに大きい。貴重な搭乗員を一度限りの特攻で喪失するのは作戦としては下の下だったと思う。特攻作戦を大西に提案した源田実の罪は大きいと思う
安全率は一般的には材料の基準強度を設計上の使用負荷で除したもの。翼面加重の話ももちろん含まれるが、それ以外の設計においても必ず考慮されますよ。
日本の桜舞い散る、華々しく咲き散りゆく、傑作機バランスの取れた機体まさに名刀の切れ味、いかに名刀であれ使い手により鈍刀となる、自分の中では傑作機です。
素晴らしいまとめでした。
なるほどとうなずけるところが沢山ありました。それでも零は誇りです。ちらりと出てきたハインケルの事もちょっと知りたいです
厳しめのゼロ戦(海軍の飛行兵でさえ、レイセンとは言ってなかったそうです。元、海軍飛行兵のおやじの言葉ですから確かですよ!)の評価として、そこそこ公平ではないかと思います。
一点、無理があるのは、撃墜率を「米軍の数字をそのまま信じるしかない」としたところです。
(少なくとも、双方の中間値の方がまだ適切では??)
これも親父と生き残りの同期兵の証言(私自身が同期兵会に連れて行ってもらった時に直接聞いています)ですが、「米軍の数字を終戦後に見たけど、航空隊の同じ機体が3回から4回ほども撃墜されている。なぜなら航空隊に残っていた機体数の3倍から4倍が撃墜されているから」
と言っていました。存在しない機体は撃墜できませんから、証言も確かですよ。
日本では、終戦後に反省を込めて、従軍した軍人たちの証言を収集することはしませんでしたので、軍部の誇大な数字だけが残りました。
また、米軍は「勝ったので何でも許される」として、誇大な戦果を修正しませんでした。
「双方にとって、とても情けないことだ」と親父は言っていました。
※親父:予科練乙飛15期、偵察機搭乗員、潮岬/串本空、マーシャル諸島/クェジェリン基地、館山空、福山訓練基地(イ400/晴嵐搭乗員)
日本以上に米軍の戦果や被害報告って信用できないんですよね
士気をあげるためなのか被弾による機体損失を事故、故障による放棄と報告してたりとか(今更真実を確かめる術はありませんが・・・)
ある程度信用できるのはドイツ軍くらいじゃないでしょうか?
個人だけでなく第三者の報告と照らし合わせてようやくカウントされるそうですから。
@@ppg1640 たまにキルレートが明らかにオカシイ資料がありますよね。
そんな量を生産出来たら、戦争してないってレベルのも見かけます。
え?何が問題?
あなたが考える以上に現実的合理的な米軍の報告は大本営の報告やパイロット個人の証言より信頼できる。過大報告で喜んでいる日本に比べてまじめに分析して対抗策を講じる米軍の報告のほうがデータとして適切だろ。さらに両方多数の記録を照らし合わせても、F4F、F6Fにかなりの大差で負けてるのは疑いようのない事実ですね。
@@ppg1640
悪いけど、もう少し冷静になって考えてくれ。
「一年ごと」という「一定期間中」の「ゼロ戦」という「単独機種」に関する戦果損害比の話をしているのに、「米軍機全体の損失」や「日本軍機全体の損失」とか、さらには「大戦全期間を通しての両軍の損失」を全部ごっちゃにして「計算が合わない」とか言われても、あたりまえだろ(苦笑)としか言えない。
ちなみに動画で言われていたキルレート1:20ってのは1944年以降の話だからな?
日本軍に勢いがあった戦争初期なら1:1とか1:1.5とかわかるけど(実際そんな感じだった)、終盤になると米軍は完全に制空権を掌握しているので、米側の戦闘機損失は緒戦と比べれば激減している。
「出撃したけど、全く戦闘しないで帰還した。」なんてのは日常茶飯事。
一方で制空権を失った日本側はベテランパイロットの損失、新兵の練度不足、機体自体の相対的な陳腐化、常に圧倒的数的不利、で出撃すればほぼ毎回集団いじめに遭うような状態、挙句に特攻でさらに機体とパイロットを消耗・・・その時期に限れば悲惨な比率になるのは必然的。
ドイツも末期は同じ状況だった(特攻以外)。
もう一つ言うと、米軍の報告、軍情報部がパイロットの報告や自軍の損害状況を収集し(それをちゃんと確認するために米機には機銃に同期したガンカメラまで搭載している)、分析して戦後とかに公式に発表されたもの。
アメリカ軍はそういう情報分析は非常に重視していて、戦術の改良や新兵の教育、兵器開発等に最大限活用している。
彼らの情報戦の強さが日本より一枚も二枚も上手だったのはそういう背景があるから。
連中は勝つために情報を非常に熱心に分析していて、「自軍の損害は甘く~」なんてお花畑じゃないんだわ(そもそも、それってあなたの妄想でしょ?パイロットが生き残ったら機体の損失に計算しないなんて聞いたことないぞ?機材の損失と人員の損失はしっかり分けられている。あなたが言ってんのは「空母○○が撃沈されました・・・でも乗組員は救助されたからセーフ(お花畑)」とかそういうレベルだよ?そんなバカな話あるか?と)。
残念ながら日本にはそういうのがないので、敗戦国である日本側の同じような纏まった報告を出すのは難しいんだけど、個々の戦闘や作戦ごとの報告は互いに誤報告は多かれ少なかれあれど、それほど大きな矛盾はないんだよね(そういうのは自分で調べてくれ)。
自分も米国の報告が完全に正確とは到底思わないけど、感情的になって好き勝手解釈して頭から否定するのもどうかと思う。
@@ppg1640
>悪いが、感情的になってるのはご自分では?としか言えない
いや、だから落ち着けってw明らかにお前さんだから。
俺の書いたことをよく読んで、言っている内容をちゃんと理解してからもう一回返信編集してくんない?レスの内容がズレまくってループになってんぞ?いちいち一つずつ指摘すんの面倒くさいから。
辛辣なように聞こえるけど日本人と旧帝国に対するうpの愛が伝わってくる15分だった
かなり情緒的な物言いになるけど零戦は日本刀と同じ思想があると思う。
個人的には名機と思ってる。
たった6年で旧型機になるって平時の2倍以上の早さで技術が進んでいたんだな
今もそうですよ。デジタルヘルスとかは恐ろしい速さで進んでいます。我が国は取り残されていますが
まぁ人殺しの道具で技術を競うというのも如何なものかと思いますが、今は開発されても何万機も量産して新旧入れ替わって戦時中に初期のメイン機が姿を消すなんてなかなかありませんよね
@@akibanokitune 今の日常の技術は全て人殺しの技術から派生したものだよ
AC5のBGMがしっくりくる。
歴史に「たられば」は意味がないと知りつつも、こうだったら、こうしていれば、という妄想をしてしまう。
いくら妄想したところで今更過去は変えられないが、過去に学び未来へ託すためには、決して妄想も無駄にはならないと思う。
イギリス→スピットファイア
ドイツ→Bf109
イタリア→?
日本→零戦
アメリカ→P51?
ソ連→?
それぞれの国の人に聞いたらなんて答えるんやろ
イタリアといえばCR.42だろうか
単葉機ならMC.200とMC.202も有名
ソ連ならヤコブレフ3かな。第二次世界大戦時のソ連機と言うと私のイメージではシュトルモビクですが。
オンラインゲームに例えて言うとSTRとAGIの二つに全振りして序盤はつぇぇぇってやってたみたいな感じ
儚い。そう思います。
個人的に気になるのは零戦VSスピットファイアですね。キルレシオは終始零戦優位でしたから(日本側の一方的な記録ではなく、敵側の戦果記録を紹介した上で)。一応理由としては熱帯気候ゆえの機械的トラブル、搭乗員の技量の差、格闘戦偏重だったとされています。ですが、数ヶ月経ってもキルレシオが変わらないんですよねぇ。機械的トラブルは絶えないし、戦闘もレーダーを活用した一撃離脱を基本としたのに、余り改善してません。
当時のヨーロッパでは一線級とはいえないMk. Vですが、カタログスペックでは普通に零戦を上回っています。基本的にこの動画における『傑作機』とは、数が揃って、機械的トラブルのない『優れた航空機』ですので、そう言う基準からすれば太平洋に配備されたスピットファイアは『駄作機』に分類されかねない結果を残しています(まあ、ヨーロッパ本国では救国の英雄ですので、傑作機か否かは使用する場所や環境で大きく変わるんだな、と感じました)。
まあ、纏めるとスピットファイアって零戦に対して、本当に相性が悪いんだなぁと思いました。
これ、気になりますよね。あと、ダーウィンのスピットは北アフリカ仕様で顎にゴツいフィルター付いてるやつなので、性能的にはトントンかスピットが下かなと思ってます(本国から遠いし、整備も万全ではなかった?)。結局、ダーウィンでは零戦の圧勝に終わりますが、残念なのはその後、再戦の機会がなかったんですよね。終戦ギリギリのシーファイアくらいで、あれも参考になるかは微妙。Mk.Ⅷあたりと大規模にあたっていたら、と空想しますが、そもそも大戦後半の「英空軍の太平洋方面」「日本海軍のインド・オセアニア方面」の優先順位が高くないので、「本気で勝負したら…」の行方はわからず終いですね。
アジアへ送られたスピットは搭乗員含めいわば2軍を送られていますから、零戦VSスピットファイアのキルレシオは欧州戦線と同一視することはできないですね。
プリンス・オブ・ウェールズのレーダーも南方の湿気で故障してたから、近くの日本艦隊が発見されずに済んだらしい
この頃はまだベテランパイロットがいた時代だからな。1943年以降なら簡単に逆転する。
@@戸田賢司まあ実際日本はイギリスの戦闘機一気も落としてないしなwプリンスオブウェルーズのあれも撃沈じゃなくて事故だしw
零戦神話を崩されるのはなんだか切ないし、悲しくもなる
航空技術で世界から遅れをとっていたのは紛れもない事実、、その中で、知恵を絞り、持てる力を振り絞って生み出された日本の航空機達がやはり大好きだ
人間という生物はその高度な知性がゆえに、無意識に自身の見たいものしか見なくなるといいます。それがゼロ戦神話という与太話を作ったと思います。
@@anti_NTUY196 国を守る為に死に物狂いで作り、その機体と共に散った飛行士さん達がいるって言うのに、その機体をガラクタ呼ばわりして草生やしてるんだもんなぁ
@@anti_NTUY196
え、マジで言ってます?wもしかして韓国人の方?それとも左翼かな?
勝手にじゃなくて、アメリカが石油の輸入を禁止にしたり、日本の提案を何一つ受け入れない上に戦争するしかない状態にされたからしたんだよ?w
しかも日本は限界ギリギリまで戦争を回避してたんだよ?勝てないの分かってるから、
アメリカが正当防衛?その理由は?
あと侵略って言うけど、日本が進出したなかったらイギリス、オランダ、アメリカの植民地になってたんだよ?w日本がアジア解放のために立ち上がらなかったら今も変わらなずイギリス、オランダ、アメリカの植民地だからねww
@@anti_NTUY196
アジア解放の為に立ち上がった、とは言ったが、解放した、と断言してないが?
後、熱くなってる所悪いけど何を信じるか、は故人の自由だからね?それを罪だ!って断言しちゃうあなた凄いねww
日米開戦の事しか言ってないって?
まずあなたが連合国に喧嘩売ってって、名指しで言って来たからだよ?
後正当防衛に対するアンサーがないけど、、どうした?ww
あー、まぁ、あれは確かに侵略行為だったね、認めてあげるよ
そういう話はよそでやってくれ
良い解説だ。解説の最後半が適切な評価だと思う。
零戦神話は戦後、旧海軍の印象操作のたまもの。それに便乗した出版業界。(負けた話しよりも勝った話は売れるからね)長いこと騙されたんだよ。
零戦を海軍航空行政の一部と考えれば、零戦を開発、保有できたことは大成功。
失敗はパイロットの育成だと思う。例として昭和19年の各予科練の採用者数は約11万人。乗せる飛行機も無く、また乗せるまでの長すぎる座学期間(予科期間約2年)。利敵行為としか思えない。マリアナ失陥以降は陸兵を養成したほうが、なんぼか役に立ったと思うな。
好きだけどね零戦。
機体もエンジンもギリギリでカツカツだとは聞いていましたが、ここまでとは知らなかった
他界した爺様ラバウルに居たけどオーストラリアの基地にスピットファイアーやP38も配備去れてたけど零戦の敵ではなかったらしいラバウルや南方戦線での戦いで零戦の数が減り熟練パイロットが居なく成ってからの話し、ラバウルでメッサシュミットジェット機のテスト飛行を見たらしい音速と余り変わらなかった驚いたと言ってた
@@足柄山の出目金太
ところがメッサシュミットジェット機の飛行可能時間は短か過ぎ、エンジンも不安定なので兵器としては失敗作だった。
戦死より事故死が多い変な戦闘機です。
@@akibanokitune
ゆっくり解説は実際に現場に居て見たこともない連中が何処其処の資料を基に、知ったかぶりの解説、日本の資料が信用できなく米側の資料が信用出きると、何を根拠に言っているのか解らないが、最近は東京裁判や開戦真珠湾攻撃のハルノートから米側の陰謀論も出きる米側の資料が何処まで信用できるか。ベトナム戦争も逃げ帰った米軍の全てが北ベトナム軍に劣っていたから負けた航空戦力も勝って至ら制空権を取り勝っていたはず当時のソ連の航空機に負けた米側の航空機の資料も当てにはならない、どこも自国の都合で資料は作るものメッサ-シュミットも零戦も実際に見たことはない良かったか悪かったか先勝国の都合で同にでもなるよ。ただラバウルで戦っていた爺様は航空機戦力の整っていた頃は米軍機など相手にならない程零戦は強かったが補給が途絶え熟練パイロットも数が減り最後はラバウルには特攻隊の学徒と航空機が補充されるぐらいで彼らを現場まで護衛する戦闘機もなかったと、彼らは戦闘訓練を受けていないただ飛ばす事と45度で突っ込む事しか訓練されてない学徒出陣の子達米軍の戦闘機と空中戦なんか出来ない撃墜されに行くか艦艇に突撃だけだったとか。戦闘訓練も受けていない子達が乗る爆弾を抱えた零戦を撃墜して零戦に米軍機が勝ったと言えるのかな?話が少し長くなりましたね。
設計者がいくら優秀でも基本的な工業技術が全然ダメで、設計者が思った通りの
ものを作れなかったからね。初期のフェラーリを思い出すよ。設計はいいが
製造がいい加減だったから、「設計はイタリア人でドイツ人に作らせればよかった」とか
言ってる人もいた。零戦の戦果損害比1:20は現実として知っておくべきだと思う。
私的にはこの短期間にこれだけのものを作ったことがすごいと思ふ
というか日本人だから単純に好き
史実を見るとヘルキャットとかの登場と対零戦戦法の確立までは最強とまではいかなくても強い戦闘機ではあったと思う。
ただウォーサンダーにおいては格闘戦大好き人間の私にとっては間違いなく最強戦闘機だと思う。
(異論は認めます)
10:30
つまり下準備が一番重要な勝因だったと・・・
ロシア太平洋艦隊艦隊に完勝した日本海海戦の時と同じか
弱点と良い点がハッキリしている戦闘機だから 鹵獲されて弱点が露呈されたのは痛かったんですかね……
やっぱりエンジンだよ。馬力は七難を隠す。
動画でも言われているけど巷の評判程、金星零戦が万能じゃなくても馬力さえあれば機体の剛性削らなくてもいいし12.7ミリ対策ぐらいの防弾設備は余裕をもって施せる。
つまり機体設計も陳腐化を遅らせることが出来た可能性がある。堀越技師も手記で金星積めば良かったと述懐してますしね。
もちろん後からだから言える事ではあるけど。その分燃費が悪くなって航続距離とかは落ちてしまうから。
おっしゃる通りで、土井技師だったか?発言した人物の名前を失念してしまったが「エンジンの出来具合で七割、機体設計の良し悪しで三割でその飛行機の出来が決まる」とある高名な設計技師が言っていたとか。
機体設計が秀逸でもエンジンがクソだったがために駄作機のレッテル貼られてしまった機体なんて航空機史上でいくらもありますからね。
ある有名パイロットは実戦でいちばん重要なのは視力と言ってます
防弾とはいっても、ガラスとか背板くらいですけどね
機体全体に施すのは無理があります。そんな機体は無いですし
@@西風太 初期のマスタングがそれ、マーリンに換装して別物になった。」
零戦の評価が人によって色々と分かれているけども正直どっちの意見も人によって正解だと思います。
ただ自分の意見としては零戦はいい戦闘機だと思いますけどね。
零戦自体の飛行性能とどんな作戦にも対応可能な航続距離は正直強い。
ただ個人的な意見としてはもうちょい運用絞って武装と装備を変えた方がよかったかも。結局対爆重視したせいで対戦も対爆も中途半端になってる。
零戦より、エンジンがすごい。14個もピストンとバルブと電気を繋げて軸に同調させた。ヤスリ職人技。
それに加えてプロペラの回転に合わせて7.7mm機銃が発射できる機構も素晴らしいと思います。
時々整備不良でプロペラの回転速度が上がると弾がプロペラに当たってパイロットをヒヤッとさせる事もあったそうです。
7.7mmなので当たってもプロペラの羽が吹っ飛ぶ事はなく端っこの薄い部分が欠ける程度だったそうです。
実際は置いておきゲームとか創作物の中では結構好き
なんとなく大和とかと同じようなロマンがある
零戦は兵器としては凡庸でも工芸品としては芸術的であった。
クソダサいし弱いよw
私の父は日本兵だった。その父が言っていた。零戦(たぶん零戦)が飛んでくるくると、エンジンが不調なのかガソリンが不良なのか、バワワバワワという音がしていた。マスタングが飛んでくるくると、急降下急上昇してキーンとあっという間に飛んで行ったとね。飛行機の音で勝てないと思ったとね。
強度とエンジンパワーはカツカツで全く余裕がなかったかもしれないけれども、欧州機よりも大きな胴体、主翼のおかげで内部の容積的には十分拡張できた方なのでは。
補強が何度も必要だったとはいえ、翼内部の装備は初期の一号零戦の一号銃(60発ドラムマガジン)から、最終的に二号銃(125発ベルト給弾) + 13mm機銃(240発) + 翼内増槽にまで拡張しているわけですし。
もう35年以上前の話だが京都嵐山で戦争博物館とやらに入ったことがある。屋根の下に四式戦と零戦が無造作に置かれていた。2機の本物を目近で見た最初の感想は機体表面の凸凹さ加減で、鋲を打って在る所は外板が少し沈み込み鋲の無いところ、桁と桁の間は凹んでいる、当時もそこそこ軍オタだったので「沈頭鋲」は知っていたし、空気抵抗の低減には左程効果は無く、生産効率を落としただけだったと云う説に「これなら、そうだろうな」と納得した記憶がある。まあ、今思えば復元が雑だった可能性もあるけれど。
疾風を解説して欲しいです
そんなに美人じゃないけれど、付き合いの長い彼女とはやっばり別れられん、今はそんな存在の零子。
ゼロ戦は未だにビジネスで億を稼げる
零戦の主翼は2.4度の「ねじり下げ」で運動性能を上げていた点を、鹵獲した米軍は見抜けなかったというエピソードに、堀越技師の執念は感じる。ただ、隼の方が量産向きだったり、機銃を1種類にしてある点は戦場では合理的だと思う。個人的には、マニアックになるほど陸軍の合理性に気付いた。中島製の零戦と三菱製の零戦でパーツを互換させようとしなかった理由は何だろ?
零戦が初期に大活躍してたのは事実だし誇らしい事。
ただどういう訳かイメージだけで2000馬力級米軍機が出てくるまで
圧倒的な強さだったと誤認してる人が余りにも多すぎるんですよねえ。
対F4Fですら互角どころかむしろやられてるし後期型の1400馬力F4F相手だと
殆ど歯が立たないレベルなのに。
ただこれは零戦が悪いわけじゃない、後継機が出てこないまま新型や改良型の
米軍機と戦い続ける羽目になった結果でしかない。
なんとなく桜の花のようだな
パッと咲いてすぐ散ってゆくように