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この頃がJR特急の最盛期だった気がする、多種多様の色彩豊かなL特急が全国各地で走っていた。
今よりは不便だと思いますが、良い時代だったと思ってしまいます...おば様の話され方がとっても上品ですね。
ちょうど夜行路線バスの開設も始まりで時代の転換点ですしね
そんなわけねえだろ今の方が100億倍いい時代だわ
現代人だからそう言えるけど、あの時代はあれが一番便利でしたから。@@夢待翔太
1:06「あっ、自動ドアになってるんですねぇ」個人的に特急愛称に雷鳥、きらめきとか、485系や200系が現役とかよりもこの言葉に一番時代をかんじる。
バシャン!←人が通ったパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタ・・・←フラットと共に無限に震えるアルミ扉こんなのばっかりだったからね
ここがもう北陸線では無いことに驚いてしまう
この金沢駅の駅舎も、北陸新幹線が金沢まで延びてきた今ではすっかり変わっていますね。「かがやき」も今では北陸新幹線の最速列車に生まれ変わっています。
何処と無く懐かしく感じる特急や金沢駅。
かがやきは新幹線連絡特急時代は金沢と長岡の間では高岡・富山・直江津のみ停車の超速達特急でした。その栄光そのままに新幹線の速達列車に進化したわけです。
この時代は新型特急の名前だったかがやきが今や新幹線の愛称になるとは…
ぼくもはじめは想像がつきませんでした。でも今では北陸新幹線「かがやき」がすっかり定着しています。
1997年には国鉄時代から東京~金沢の特急愛称として使われていた「はくたか」に取って代わられ消えましたが、新幹線で捲土重来を果たしましたねえ。いま「かがやき」「はくたか」が通るルートは昔は「白鳥」→「はくたか」→「白山」のルートで、「白山」こそ今日失われた名列車ですが。
かがやきが新幹線の愛称になるとは、1度だけでも乗って見たいわ。
翔鶴快特 はくたかも新幹線🚅になりましたね。
そうだな 後つるぎも
北陸新幹線が開業した今のかがやきでは、0:37金沢/上野間 2時間25分 富山/上野間 2時間6分すごく時代は変わったものだ(しみじみ)
母です。本人はもう亡くなりましたが、みなさんにこうして見てもらえて、少しは喜んでると思います。
この人亡くなったんですか?
白鳥号の事も忘れないでほしい。
485系もボンネット車が現役だった時代。
きらめきはJR九州の門司港・小倉~博多間の通勤特急にかがやきは北陸新幹線の愛称に
2:10 このタウントレインヘッドマーク、2000年代前半まで付けてたと記憶してる
新北陸色でしたっけ?白地に青ラインの塗装(あいの風とやま鉄道の413系にまだその塗装が残ってたような)の時代でも暫く掲示してましたね。車両も475系に413系、懐かしの食パン419系も走ってた時代。まだサンダーバード以外はデッドセクションで電気も消えてた頃かぁ。今は便利で快適になったとは思うけど、「電車に乗る」事が楽しかったのは昔の方が感じたかもしれない。
金沢~米原間は途中福井だけに停車する「スーパーきらめき」は現在の「サンダーバード」に通ずる敦賀通過列車のハシリ。しかしながら後に「加越」または「しらさぎ」に統合されて姿を消しました。
2:50 JNRロゴが残ってる
上越新幹線の開通に伴って、はくたかがしばらくいなくなった間に、なんとかして早く東京に行きたいとしてできた、長岡で新幹線に接続する速達北越。のちにスーパー雷鳥に受け継がれるブルーのラインを擁した改造 485 で走るこの電車は、あまり知られていないが、一般公募によって「かがやき」と命名された。今思えば、北陸新幹線の構想から久しく時間が経っていた、金沢・富山のひとびとは、この全く新しい愛称に、新しい優等列車の歴史を育もうとしていたのだろう。のちに、念願の北越北線が貫通し、トンネル内を 160km/h でぶっ飛ばせる 681 が投入され、はくたかの名前が復活したことで、かがやきは、ひっそりと北越に吸収されたが、かがやき号は自らの足で、東京までたどり着くことを願ってやまかっただろう。国鉄車両の老朽化や、高速バスの台頭によって、急行能登や寝台特急北陸の亡きあとも、はくたかは、北陸、東京間の特急の役目を担い続けた。そして、やむなく姿を消していった、あの新しい愛称とともに、東京駅へ乗り入れる日が、ついに、もうすぐやってくる。かがやき号は、東京駅へ直通します!
lakesideshinnosuke 北陸自動車道が全線開通し北陸に高速バスが登場したのも1988年 昭和63年ですね
九谷焼の一種ですか? かがやき
L特急かがやき色の485系が大好きだった。
特急「かがやき」 長岡から金沢へ 88年のL特急・雷鳥は「だんらん」連結、平成元年に「だんらん」終了北陸へ行くなら、「かがやき」と「雷鳥」に乗って、後寝台特急「北陸」で行くものいいですね。
0:01 金沢駅の駅舎が現在とかなり違っていますね。
在来線ホーム高架化をこの後位にしてるんですが、駅舎ビルは暫くそのまま存在してましたね。当時はずっと出入口が工事中で、駅の商業施設「金沢百番街」も何度も改修されていたので「この工事って終わるのかな?」って子供心に思ってました。新幹線ホームの建設開始に伴って旧駅舎ビルが解体されたので、その暫く前から高架化完了で覆いが外されて入り口付近が見えるようになった(でもこれも結局作り直したような)新駅舎と旧駅舎ビルが同居する風景は何かアンバランスでした。…旧駅舎ビルを通行してた時代は地上駅だったので、どうしてもその印象に引っ張られて違和感感じてたのかも。
その後、ダイヤ改正で富山は3時間21分、金沢は3時間58分に時間が変わった、その後、特急「かがやき」に自由席が導入した、1往復は福井と和倉温泉へ行けれるようになった
今の金沢駅とっても素敵です。
こういう時代の方がよかったカナ?今は、在来線特急も私鉄っぽい型になってしまい、いささか味気なくなったような気がする。
2:50 JNRのロゴがあるの気のせい?
3:13右に食パンが...
国鉄のJR化後と比べて今は特急列車は新型車でスピードアップで良くなっても普通電車は減便や編成削減で不便になった気も・・・
kno319xm 三セクになった路線もあり尚更不便ですね。
三セク化後は運賃倍増に加え18切符通行禁止(富山~高岡のみと津幡~金沢のみ特例)になったのも痛手です。
多くの列車が521系2連にバトンタッチされた末、さらにはワンマン運転を実施するまでに至っています(但しローカル線とは異なり無人駅でも2両すべてのドアが開閉するため、車内での運賃収受ならびに整理券発行は一切しない)。
減車がすごいのとセミクロスがロングになったり
十津川警部の小説にも登場しました、タイトルは「スーパー特急「かがやき」の殺意」です。
1997年の北陸(長野)新幹線開業で、横川~軽井沢が寸断されてしまいました。残念ながら、一本列島ではなくなってしまいました
『きらめき』という列車名、北陸新幹線が金沢から更に延伸したら復活したりして。
東京敦賀間に使ってほしい名前の一つです!
きらめきは九州で走っとるが
いえ、敦賀延伸の北陸新幹線はサンダーバードで
らいちょうがいあ
サンダバード、リレーサンダーバードになったりして?
大幅なスピードアップ(脱線)
この広報番組は、どこの民放テレビ局で放送されたものでしょうか?
北陸放送?
サンドウィッチの自動販売機
今では富山終点時代のしらさぎ雷鳥は北陸新幹線の新設台頭により過去帳入りしてしまった。
L特急時代のかがやきは北越より上位の種別だった。はくたかが出来たときにL特急のかがやきが消えた。その後、北陸新幹線が出来た際にかがやきがのぞみタイプの列車名で復活。
1988年3月のダイヤ改正は、日曜日だったんだ。1988年は、2016年と同じ曜日並びです。
この頃の金沢駅には0番線ホームがあったようなキク象 懐かしい😂
赤い475系や今は末期色やしね
きらめきとからいちょう当たりが新大阪延伸の時に追加されそうですね〜
きらめきはJR九州の特急で使われてるぞ
485系「かがやき・きらめき」…「スーパー雷鳥」と同じ作りの車内なんですな!!
かがやき・きらめきの車内を参考にしたんでしょうね
「かがやき・きらめき」から外れた後は現在の吹田総合車両所京都支所(当時は京都総合運転所)へ転出し、特にハイデッカーグリーン車(ダブルデッカーではない)は「雷鳥」へ転用され、クロ481形2300番台として再生されました(のちに「スーパー雷鳥」に始まったパノラマグリーン車も「しらさぎ」から外れた後京都へ転出しやはり「雷鳥」へ転用)。
北陸新幹線が出来て三セク化を喰らい運賃が倍額になったり18切符通行禁止になったり。
最後に、タキが…😁
小説でスーパー特急「かがやき」の殺意に特急「かがやき」登場しました
電光掲示板でいろんな情報を、って停車駅かJRの広告しか流れないやつやろ
かがやき・きらめきは乗ってないので判らないんですが、同等の装備だったと思われるスーパー雷鳥の電光掲示板では時速表示と天気予報が流れてる場合があったように思います。…確かに仰るとおり、停車駅とJRの切符などの広告、あとは出発直後の車両の編成案内とかが殆どを占めていたように思いますけども。(^_^;)
スマホ無かったし、天気予報が流れるだけで「情報が流れてる!」ってなった時代なのかもしれませんね。
俗に言う聞かん像コーナーとも揶揄された。
金沢駅が今の面影全くない
今は、北陸新幹線 東京~高崎~長野~上越妙高~富山~金沢 そして福井~〇賀に伸ばしそして京都~新大阪?へ延ばす
制服が国鉄
どこのJRも88年までは国鉄制服だよ。JR制服に変わったのは意外にも民営化後1年待った時から。
JR全盛期の88年。
ヘッドマークに入っている「スーパー」の文字がよく意味が分からなかったな。列車名はただ「かがやき」でしょうに。スーパーとはこれ如何に。それにしても乗り心地は最悪だったな 笑。柏崎ー糸魚川付近の曲線が連続する区間を無理矢理高速走行するもんだから、体が左右に振られて、通路歩いているときにデッキの便所や洗面所がある辺りの壁に肘や肩をよくぶつけたわ。かがやきに限ったことでもないけど。
足下せまい
暖房機器が邪魔だよなぁ当時JR東のグレードアップ編成と比べるとものすごい手抜き感があった
髪型 草
これ見ると、なんでさっさと新幹線整備できなかったのかと思う。国なんてどれだけ国債発行しても破綻しないでしょ。もう35年早くバブル時代に北陸新幹線つくるべきでしたよ😁
それまんま中国の国鉄ですよ
マジレスすると国鉄の体力が持たなかったから。東北新幹線開業だってこの年の6年前だったし、まだまだ改良しなきゃいけない場所やらなんやらで新幹線に構ってられなくなったというのが事実なんじゃないかな。まず国鉄経営を考えた上で言わなきゃだめねそれ。
便利と言うより安全面が疎かに尼崎の事故がその象徴
杉仁志 本当にJR西日本はスピードアップ重視で安全軽視だったことがわかります。やっぱりJR東日本に負けたくなかったんですかね。
@@Misakosoya 京阪や近鉄、阪急、阪神、山陽に負けたくなかったからスピードアップを強制されていました。福知山線脱線事故もまさにそれでした。
@@Misakosoya しかし今やコロナウイルスが日本を襲い殿様商売をしていたJR東日本はJR西日本の2倍ほどの大赤字を出してしまいましたねえあれだけ余裕だったのにウイルスで一気に経営が傾くとは東京依存の経営が祟ってしまいしたね
国鉄の頃私鉄になめられ放題だったからスピードアップは仕方ないのでは?
この頃がJR特急の最盛期だった気がする、多種多様の色彩豊かなL特急が全国各地で走っていた。
今よりは不便だと思いますが、良い時代だったと思ってしまいます...おば様の話され方がとっても上品ですね。
ちょうど夜行路線バスの開設も始まりで
時代の転換点ですしね
そんなわけねえだろ
今の方が100億倍いい時代だわ
現代人だからそう言えるけど、あの時代はあれが一番便利でしたから。@@夢待翔太
1:06「あっ、自動ドアになってるんですねぇ」
個人的に特急愛称に雷鳥、きらめきとか、485系や200系が現役とかよりもこの言葉に一番時代をかんじる。
バシャン!←人が通った
パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタ・・・←フラットと共に無限に震えるアルミ扉
こんなのばっかりだったからね
ここがもう北陸線では無いことに驚いてしまう
この金沢駅の駅舎も、北陸新幹線が金沢まで延びてきた今ではすっかり変わっていますね。「かがやき」も今では北陸新幹線の最速列車に生まれ変わっています。
何処と無く懐かしく感じる特急や金沢駅。
かがやきは新幹線連絡特急時代は金沢と長岡の間では高岡・富山・直江津のみ停車の超速達特急でした。その栄光そのままに新幹線の速達列車に進化したわけです。
この時代は新型特急の名前だったかがやきが今や新幹線の愛称になるとは…
ぼくもはじめは想像がつきませんでした。でも今では北陸新幹線「かがやき」がすっかり定着しています。
1997年には国鉄時代から東京~金沢の特急愛称として使われていた「はくたか」に取って代わられ消えましたが、新幹線で捲土重来を果たしましたねえ。
いま「かがやき」「はくたか」が通るルートは昔は「白鳥」→「はくたか」→「白山」のルートで、「白山」こそ今日失われた名列車ですが。
かがやきが新幹線の愛称になるとは、1度だけでも乗って見たいわ。
翔鶴快特
はくたかも新幹線🚅になりましたね。
そうだな 後つるぎも
北陸新幹線が開業した今のかがやきでは、0:37金沢/上野間 2時間25分 富山/上野間 2時間6分
すごく時代は変わったものだ(しみじみ)
母です。本人はもう亡くなりましたが、みなさんにこうして見てもらえて、少しは喜んでると思います。
この人亡くなったんですか?
白鳥号の事も忘れないでほしい。
485系もボンネット車が現役だった時代。
きらめきはJR九州の門司港・小倉~博多間の通勤特急に
かがやきは北陸新幹線の愛称に
2:10 このタウントレインヘッドマーク、2000年代前半まで付けてたと記憶してる
新北陸色でしたっけ?
白地に青ラインの塗装(あいの風とやま鉄道の413系にまだその塗装が残ってたような)の時代でも暫く掲示してましたね。
車両も475系に413系、懐かしの食パン419系も走ってた時代。
まだサンダーバード以外はデッドセクションで電気も消えてた頃かぁ。
今は便利で快適になったとは思うけど、「電車に乗る」事が楽しかったのは昔の方が感じたかもしれない。
金沢~米原間は途中福井だけに停車する「スーパーきらめき」は現在の「サンダーバード」に通ずる敦賀通過列車のハシリ。しかしながら後に「加越」または「しらさぎ」に統合されて姿を消しました。
2:50 JNRロゴが残ってる
上越新幹線の開通に伴って、はくたかがしばらくいなくなった間に、なんとかして早く東京に行きたいとしてできた、長岡で新幹線に接続する速達北越。のちにスーパー雷鳥に受け継がれるブルーのラインを擁した改造 485 で走るこの電車は、あまり知られていないが、一般公募によって「かがやき」と命名された。今思えば、北陸新幹線の構想から久しく時間が経っていた、金沢・富山のひとびとは、この全く新しい愛称に、新しい優等列車の歴史を育もうとしていたのだろう。
のちに、念願の北越北線が貫通し、トンネル内を 160km/h でぶっ飛ばせる 681 が投入され、はくたかの名前が復活したことで、かがやきは、ひっそりと北越に吸収されたが、かがやき号は自らの足で、東京までたどり着くことを願ってやまかっただろう。
国鉄車両の老朽化や、高速バスの台頭によって、急行能登や寝台特急北陸の亡きあとも、はくたかは、北陸、東京間の特急の役目を担い続けた。そして、やむなく姿を消していった、あの新しい愛称とともに、東京駅へ乗り入れる日が、ついに、もうすぐやってくる。
かがやき号は、東京駅へ直通します!
lakesideshinnosuke 北陸自動車道が全線開通し北陸に高速バスが登場したのも1988年 昭和63年ですね
九谷焼の一種ですか? かがやき
L特急かがやき色の485系が大好きだった。
特急「かがやき」 長岡から金沢へ 88年のL特急・雷鳥は「だんらん」連結、平成元年に「だんらん」終了北陸へ行くなら、「かがやき」と「雷鳥」に乗って、後寝台特急「北陸」で行くものいいですね。
0:01 金沢駅の駅舎が現在とかなり違っていますね。
在来線ホーム高架化をこの後位にしてるんですが、駅舎ビルは暫くそのまま存在してましたね。
当時はずっと出入口が工事中で、駅の商業施設「金沢百番街」も何度も改修されていたので「この工事って終わるのかな?」って子供心に思ってました。
新幹線ホームの建設開始に伴って旧駅舎ビルが解体されたので、その暫く前から高架化完了で覆いが外されて入り口付近が見えるようになった(でもこれも結局作り直したような)新駅舎と旧駅舎ビルが同居する風景は何かアンバランスでした。
…旧駅舎ビルを通行してた時代は地上駅だったので、どうしてもその印象に引っ張られて違和感感じてたのかも。
その後、ダイヤ改正で富山は3時間21分、金沢は3時間58分に時間が変わった、その後、特急「かがやき」に自由席が導入した、1往復は福井と和倉温泉へ行けれるようになった
今の金沢駅とっても素敵です。
こういう時代の方がよかったカナ?今は、在来線特急も私鉄っぽい型になってしまい、いささか味気なくなったような気がする。
2:50 JNRのロゴがあるの気のせい?
3:13
右に食パンが...
国鉄のJR化後と比べて今は特急列車は新型車でスピードアップで良くなっても普通電車は減便や編成削減で不便になった気も・・・
kno319xm
三セクになった路線もあり尚更不便ですね。
三セク化後は運賃倍増に加え18切符通行禁止(富山~高岡のみと津幡~金沢のみ特例)になったのも痛手です。
多くの列車が521系2連にバトンタッチされた末、さらにはワンマン運転を実施するまでに至っています(但しローカル線とは異なり無人駅でも2両すべてのドアが開閉するため、車内での運賃収受ならびに整理券発行は一切しない)。
減車がすごいのとセミクロスがロングになったり
十津川警部の小説にも登場しました、タイトルは「スーパー特急「かがやき」の殺意」です。
1997年の北陸(長野)新幹線開業で、横川~軽井沢が寸断されてしまいました。残念ながら、一本列島ではなくなってしまいました
『きらめき』という列車名、北陸新幹線が金沢から更に延伸したら復活したりして。
東京敦賀間に使ってほしい名前の一つです!
きらめきは九州で走っとるが
いえ、敦賀延伸の北陸新幹線
はサンダーバードで
らいちょうがいあ
サンダバード、リレーサンダーバードになったりして?
大幅なスピードアップ(脱線)
この広報番組は、どこの民放テレビ局で放送されたものでしょうか?
北陸放送?
サンドウィッチの自動販売機
今では富山終点時代のしらさぎ雷鳥は北陸新幹線の新設台頭により過去帳入りしてしまった。
L特急時代のかがやきは北越より上位の種別だった。
はくたかが出来たときにL特急のかがやきが消えた。
その後、北陸新幹線が出来た際にかがやきがのぞみタイプの列車名で復活。
1988年3月のダイヤ改正は、日曜日だったんだ。
1988年は、2016年と同じ曜日並びです。
この頃の金沢駅には0番線ホームがあったような
キク象 懐かしい😂
赤い475系や今は末期色やしね
きらめきとからいちょう当たりが新大阪延伸の時に追加されそうですね〜
きらめきはJR九州の特急で使われてるぞ
485系「かがやき・きらめき」…「スーパー雷鳥」と同じ作りの車内なんですな!!
かがやき・きらめきの車内を参考にしたんでしょうね
「かがやき・きらめき」から外れた後は現在の吹田総合車両所京都支所(当時は京都総合運転所)へ転出し、特にハイデッカーグリーン車(ダブルデッカーではない)は「雷鳥」へ転用され、クロ481形2300番台として再生されました(のちに「スーパー雷鳥」に始まったパノラマグリーン車も「しらさぎ」から外れた後京都へ転出しやはり「雷鳥」へ転用)。
北陸新幹線が出来て三セク化を喰らい運賃が倍額になったり18切符通行禁止になったり。
最後に、タキが…😁
小説でスーパー特急「かがやき」の殺意に特急「かがやき」登場しました
電光掲示板でいろんな情報を、って停車駅かJRの広告しか流れないやつやろ
かがやき・きらめきは乗ってないので判らないんですが、同等の装備だったと思われるスーパー雷鳥の電光掲示板では時速表示と天気予報が流れてる場合があったように思います。
…確かに仰るとおり、停車駅とJRの切符などの広告、あとは出発直後の車両の編成案内とかが殆どを占めていたように思いますけども。(^_^;)
スマホ無かったし、天気予報が流れるだけで「情報が流れてる!」ってなった時代なのかもしれませんね。
俗に言う聞かん像コーナーとも揶揄された。
金沢駅が今の面影全くない
今は、北陸新幹線 東京~高崎~長野~上越妙高~富山~金沢 そして福井~〇賀に伸ばしそして京都~新大阪?へ延ばす
制服が国鉄
どこのJRも88年までは国鉄制服だよ。JR制服に変わったのは意外にも民営化後1年待った時から。
JR全盛期の88年。
ヘッドマークに入っている「スーパー」の文字がよく意味が分からなかったな。
列車名はただ「かがやき」でしょうに。スーパーとはこれ如何に。
それにしても乗り心地は最悪だったな 笑。柏崎ー糸魚川付近の曲線が連続する区間を無理矢理高速走行するもんだから、体が左右に振られて、通路歩いているときにデッキの便所や洗面所がある辺りの壁に肘や肩をよくぶつけたわ。
かがやきに限ったことでもないけど。
足下せまい
暖房機器が邪魔だよなぁ
当時JR東のグレードアップ編成と比べるとものすごい手抜き感があった
髪型 草
これ見ると、なんでさっさと新幹線整備できなかったのかと思う。国なんてどれだけ国債発行しても破綻しないでしょ。もう35年早くバブル時代に北陸新幹線つくるべきでしたよ😁
それまんま中国の国鉄ですよ
マジレスすると国鉄の体力が持たなかったから。東北新幹線開業だってこの年の6年前だったし、まだまだ改良しなきゃいけない場所やらなんやらで新幹線に構ってられなくなったというのが事実なんじゃないかな。まず国鉄経営を考えた上で言わなきゃだめねそれ。
便利と言うより安全面が疎かに
尼崎の事故がその象徴
杉仁志
本当にJR西日本はスピードアップ重視で安全軽視だったことがわかります。
やっぱりJR東日本に負けたくなかったんですかね。
@@Misakosoya
京阪や近鉄、阪急、阪神、山陽に負けたくなかったからスピードアップを強制されていました。
福知山線脱線事故もまさにそれでした。
@@Misakosoya しかし今やコロナウイルスが日本を襲い殿様商売をしていたJR東日本はJR西日本の2倍ほどの大赤字を出してしまいましたねえ
あれだけ余裕だったのにウイルスで
一気に経営が傾くとは東京依存の経営が祟ってしまいしたね
国鉄の頃私鉄になめられ放題だったからスピードアップは仕方ないのでは?