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またここへ来た もうずいぶん時間が流れたがこの歌は特別な感情に包まれる。教室の窓から私もよく外を見ていたので「ギリシャの海も見えた」これがよくわかる。あの頃の外の世界は広かった。いくつも街を歩くうちに 世界が狭くなる感じ。「イルカの小川のカルモジイン」 不思議な言葉だ。初期バージョンは 洗練されてないぶん ストレートに心に響く。
青春の苦悩が良く描写されてる曲ですね。知性も感じられる。校舎のガラス割ったり、バイク盗んだりとは大違い。
バイトして、やっと買ったバイク…盗まれたら、たまりません…
盗んだバイクも浩子さんがヤマハからもらったバイクもパッソルという皮肉…
高校卒業して、就職する間際にずっと聴いていたなぁ。忘れられない曲です😢
谷山浩子さんと同世代です。初めて聴いた時は暗い歌だなと思いましたが、壁にぶつかった時にソウカモと思いました。心の中の素敵な宝物です。
この唄を偶然きいて、谷山浩子さんを認識したのがもはや数十年前。よい唄はいつまでたっても残っていきますね。
この歌大好きなんですが、このバージョン初めて知りました。これは・・・凄く良いです!
懐かしいです。これと同じ音源を持っています。曲の出だしのノイズもまったく同じです。たぶん1977年7月か8月にFM東京のスタジオライブで演奏された中の1曲です。当時オ-プンリ-ルテ-プデッキで録音しました。1曲目が 「窓」、2曲目が「少年の日の憧憬」3曲目が「くま紳士の身の上話」で、4曲目はレコードから「ねこの森には帰れない」5曲目はライブで「あのね」、と続いて全9曲がオンエアされました。6曲目「私の愛した人」7曲目が「今日は雨降り」8曲目「紙ひこうき」最後は「河のほとりに」です。途中谷山さんのト-クもあります。
うらやましいですw。
コメントありがとうございます。当時の音源を改めて聴き返して、当時の谷山さんのト-クで印象的なモノをご紹介します。最後の曲「河のほとりに」の前の谷山さんの歌の紹介コメントです。「3月にレコードが出て、信じられないことに多少売れているという河のほとりにという歌を歌います」。この日は1977年6月25日東京ヤクルトホ-ルでのライブで、年初から行われた全6回のデビューコンサートの最後でした。当日は雨が降って、「雨なのにこんなにたくさん来ていただいて、信じられないです。」なんて初々しいです。ちなみに私は谷山さんより3歳年上ど、当時大学4年生でした。
この詞の歌唱はかなり以前に知っていました。でもすっかり忘れていました。改めて聴いて感じること。「団塊」や「団塊下」(浩子さんはこっち)世代の教養レベルは凄すぎます。浩子さんは中学生か高校生位には「西脇順三郎」を読むだけではなく「鑑賞」していて、その上で詞を書いている。中学2年で大きな挫折を味わった私は、リアルタイムで聴いた「窓」に言葉を失っていました。
こんな意味だったとは…。30年ぶりにまた浩子さんの聴き始めました。長崎での小朝とのジョイントコンサートを思い出します…。
中学生時代を思い出します。声を聞くと落ち着きます。
アルバム収録曲とは違う歌詞で、初めて聴きました。感激です、本当に学校の窓から見えた世界は期待と不安の混じった風景でした。
谷山浩子さんは、おはようございますの帽子屋さんの歌詞に衝撃を受けました。誰だってみんな優しい人ばかり、反戦の唄だと思いました。一日の始まり、声かけ、いろいろな個性の人でもひとつの和になれる。ひとりひとりの小さい幸せを保ちつつみんなが幸せになれるのは手を取り合うこと。勝手に考えてごめんなさい。
かなり昔に聞いたそのままで感激です。ほかの谷山浩子聞きまくります。
この「窓」は私も初めて聴きました。レコードの盤でもこのバージョンは無かったと思います。貴重な音源ありがとうございます。
確かにこんな初期バージョンがあったとは、知りませんでした。彼女の曲を初めて知った、高校生の頃の想い出の曲です。…遠いアコーディオンのすすり泣く 光と影の世界…、このフレーズが、何故か当時は好きでした…。僕の通っていた高校には、池の周りに芝生が植えてあって、部活の休息時間にそこで寝そべっていると、上階の音楽室からこの歌詞の通りに、軽やかなアコーディオンがいつも鳴り響いていたんです。透き通る秋空の下、あの頃過ごした他愛も無い瞬間が、今では優しい時代の象徴の様な気がします。そんなことを谷山浩子さんは、若くして歌っているんでしょうね。貴重な音源をUP下さり、有難うございます。
青春の思い出です。聴けて嬉しいです。
中学生の頃、虐めの的にされていた。この曲に中学生の頃に出会い、窓の外だけが友達だった。
私が高校生の時、ニッポン放送のオールナイトニッポン第二部で谷山浩子さんを知りました。それからずっとファンです。
確かにこの初期バージョンの方が、どうして夢の行き場がないのかが、はっきり分かります・・・。でも、詩的な表現では、私が高校生の頃に聴いたバージョンが優れているように思えます。両方のバージョンの違いの中に、彼女がこの曲に込めた重厚な「想い」があるのかも知れません。そう言う意味でも、UP主さんには、この貴重な初期バージョンをご紹介くださったことに感謝いたします。
こんな初期バージョンがあったのですね。貴重です。
この曲はとても大好き🍀😌🍀な曲です😌💓。初めて、浩子さんの歌声を聞いた時、声質がなんとも言えない最高😃⤴️⤴️の気分にさせてくれました。ハートが押し粒される様なそんな気持ちになりました。😔うまい。
最初にこの唄を聴いてから四十数年夢の行き場がどこにも無い(´;ω;`)ブワッ
笑
こちらのほうは、初めて聞きました。ライブ一発、的な歌い方に聞こえます。これはこれで、すばらしい。
屋上の上から街を見たイルカの小川のカルモヂイン空の彼方に見えた この「カルモヂイン」ですが太宰治にも関わりのある睡眠薬、「カルモチン」からの造語で、閉塞感にあふれた歌詞と相まって青少年に良からぬ影響を与えるのでは、と判断されたようですね。
びっくりしました。このバージョンはじめてです。
いつ聞いても心が和みます。
先生の初期バージョン🐼テープノイズが懐かしい温める卵の様な 窓 でした🎵
これは貴重なレア音源、やはりプロットタイプこそ鮮度がピカ一…という、何よりの証拠…と言っても大袈裟ではない、と思わせてくれる。いいなぁ……このバージョン。余韻の無さも一転、"潔さ"とも取れるでしょうか……う~ん💧(思案)
声の質が伸びやかでいいですね。中島みゆきさんとつま恋コンサートで川上健一さんからの紹介でお友達なったと言うことを知り谷山さんを再び注目することになりました。
私もこちらのバージョンが好きです
胃腸薬のCMと、この窓しか知りません…この歌は、最高…
美しい風景が広がります。アップありがとうございます😊
初期バージョンということは、違うのがあるとは知りませんでした。
谷山ひろこさんの曲を聴いて、空くんの手紙を読むのが好きだった若かりし頃懐かしい。私ゃ男ですがね
懐かしい もう66
私も懐かしいです。彼女の歌に魅せられてスマホでいつでも聴けていまは、嬉しいです。ちなみに61歳です。
なるほど、こちらのほうが心にしみますね。
カルモヂインの田舎は大理石の産地で其処で私は夏を過ごしたことがあった。(中略)少年は小川でドルフィンを捉えて笑った。 西脇順三郎『太陽』
谷山さんは初期ヴァージョンで西脇順三郎を引用していたのですね!初めて知りました。
タイトル:窓歌手:谷山浩子作詞:谷山浩子作曲:谷山浩子編曲:小野崎孝輔教室の窓から見る秋はいつも不思議に光ってた北向きの窓のすりガラスギリシャの海も見えた思い出せばもう夢の中午後の陽射しにまどろめば遠いアコーディオンのすすり泣く光と影の世界やさしい時代を置き去りにやがて街へとび出した僕には教室の窓がもう見えない夢の行き場がどこにもない授業をひとりでぬけ出して空き部屋の窓から空を見た幾億年もの時の彼方空翔ける船を見た思い出せばもう夢の中一枚の窓のそのむこうに見知らぬあしたがふるえていたきらめきふるえていたいくつも街を歩くうちにいつか外の世界は狭くなる教室の窓がもう見えない夢の行き場がどこにもないやさしい時代を置き去りにやがて街へとび出した僕には教室の窓がもう見えない夢の行き場がどこにもない夢の行き場がどこにもない
ちょっと衝撃でした!
正規の録音と比べると、寂寥感がハンパない。まるでFurtwanglerのBeethovenで言えば戦後、平和な世の中になってからの録音に対する大戦中、空襲の脅威にさらされながらの録音のような緊迫感がある。
歌詞が初期バージョンとは異なるんですね
カルモジイン、イルカの小川は西脇順三郎の「太陽」からでしょうか。
当時、イルカの小川のカルモジインって何だ?と思ってましたが、西脇順三郎とは! 教えていただいてありがとうございます。
…ところで、なぜこの画像を選ばれたのですか…田舎に生まれたわたしには、このどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでも……地の果てまで続く家々が怖くて仕方がないのです。
7年前の書き込みかぁ。鴨居かな、ここは。横浜市内ですね。丘陵地帯である横浜にはよく見られる風景です。高台に住んでた子供はガケ下に広がるキャベツ畑を見て自分の住む世界の及ばない遠い世界と思ったそうな・・谷山さんも横浜育ちでしたね。
😢
「イルカの小川のカルモ寺院」って いっているんですか? よく意味わからないんですが。
この版、初めて聞きました。こちらの方がいい感じです。
ギリシャの海も見えた
またここへ来た もうずいぶん時間が流れたが
この歌は特別な感情に包まれる。
教室の窓から私もよく外を見ていたので
「ギリシャの海も見えた」これがよくわかる。
あの頃の外の世界は広かった。
いくつも街を歩くうちに 世界が狭くなる感じ。
「イルカの小川のカルモジイン」 不思議な言葉だ。
初期バージョンは 洗練されてないぶん ストレートに心に響く。
青春の苦悩が良く描写されてる曲ですね。知性も感じられる。校舎のガラス割ったり、バイク盗んだりとは大違い。
バイトして、やっと買ったバイク…
盗まれたら、たまりません…
盗んだバイクも浩子さんがヤマハからもらったバイクもパッソルという皮肉…
高校卒業して、就職する間際にずっと聴いていたなぁ。忘れられない曲です😢
谷山浩子さんと同世代です。初めて聴いた時は暗い歌だなと思いましたが、壁にぶつかった時にソウカモと思いました。心の中の素敵な宝物です。
この唄を偶然きいて、谷山浩子さんを認識したのがもはや数十年前。
よい唄はいつまでたっても残っていきますね。
この歌大好きなんですが、このバージョン初めて知りました。
これは・・・凄く良いです!
懐かしいです。これと同じ音源を持っています。曲の出だしのノイズもまったく同じです。たぶん1977年7月か8月にFM東京のスタジオライブで演奏された中の1曲です。
当時オ-プンリ-ルテ-プデッキで録音しました。1曲目が 「窓」、2曲目が「少年の日の憧憬」3曲目が「くま紳士の身の上話」で、4曲目はレコードから「ねこの森には帰れない」5曲目はライブで「あのね」、と続いて全9曲がオンエアされました。
6曲目「私の愛した人」7曲目が「今日は雨降り」8曲目「紙ひこうき」最後は「河のほとりに」です。途中谷山さんのト-クもあります。
うらやましいですw。
コメントありがとうございます。当時の音源を改めて聴き返して、当時の谷山さんのト-クで印象的なモノをご紹介します。最後の曲「河のほとりに」の前の谷山さんの歌の紹介コメントです。「3月にレコードが出て、信じられないことに多少売れているという河のほとりにという歌を歌います」。この日は1977年6月25日東京ヤクルトホ-ルでのライブで、年初から行われた全6回のデビューコンサートの最後でした。当日は雨が降って、「雨なのにこんなにたくさん来ていただいて、信じられないです。」なんて初々しいです。
ちなみに私は谷山さんより3歳年上ど、当時大学4年生でした。
この詞の歌唱はかなり以前に知っていました。
でもすっかり忘れていました。
改めて聴いて感じること。
「団塊」や「団塊下」(浩子さんはこっち)世代の教養レベルは凄すぎます。
浩子さんは中学生か高校生位には「西脇順三郎」を読むだけではなく「鑑賞」していて、その上で詞を書いている。
中学2年で大きな挫折を味わった私は、リアルタイムで聴いた「窓」に言葉を失っていました。
こんな意味だったとは…。30年ぶりにまた浩子さんの聴き始めました。
長崎での小朝とのジョイントコンサートを思い出します…。
中学生時代を思い出します。声を聞くと落ち着きます。
アルバム収録曲とは違う歌詞で、初めて聴きました。感激です、本当に学校の窓から見えた世界は期待と不安の混じった風景でした。
谷山浩子さんは、おはようございますの帽子屋さんの歌詞に衝撃を受けました。誰だってみんな優しい人ばかり、反戦の唄だと思いました。一日の始まり、声かけ、いろいろな個性の人でもひとつの和になれる。ひとりひとりの小さい幸せを保ちつつみんなが幸せになれるのは手を取り合うこと。
勝手に考えてごめんなさい。
かなり昔に聞いたそのままで感激です。
ほかの谷山浩子聞きまくります。
この「窓」は私も初めて聴きました。レコードの盤でもこのバージョンは無かったと思います。貴重な音源ありがとうございます。
確かにこんな初期バージョンがあったとは、知りませんでした。
彼女の曲を初めて知った、高校生の頃の想い出の曲です。
…遠いアコーディオンのすすり泣く 光と影の世界…、このフレーズが、何故か当時は好きでした…。
僕の通っていた高校には、池の周りに芝生が植えてあって、部活の休息時間にそこで寝そべっていると、上階の音楽室からこの歌詞の通りに、軽やかなアコーディオンがいつも鳴り響いていたんです。
透き通る秋空の下、あの頃過ごした他愛も無い瞬間が、今では優しい時代の象徴の様な気がします。
そんなことを谷山浩子さんは、若くして歌っているんでしょうね。
貴重な音源をUP下さり、有難うございます。
青春の思い出です。聴けて嬉しいです。
中学生の頃、虐めの的にされていた。
この曲に中学生の頃に出会い、窓の外だけが友達だった。
私が高校生の時、ニッポン放送のオールナイトニッポン第二部で谷山浩子さんを知りました。それからずっとファンです。
確かにこの初期バージョンの方が、どうして夢の行き場がないのかが、はっきり分かります・・・。
でも、詩的な表現では、私が高校生の頃に聴いたバージョンが優れているように思えます。
両方のバージョンの違いの中に、彼女がこの曲に込めた重厚な「想い」があるのかも知れません。
そう言う意味でも、UP主さんには、この貴重な初期バージョンをご紹介くださったことに感謝いたします。
こんな初期バージョンがあったのですね。貴重です。
この曲はとても大好き🍀😌🍀な曲です😌💓。初めて、浩子さんの歌声を聞いた時、声質がなんとも言えない最高😃⤴️⤴️の気分にさせてくれました。ハートが押し粒される様なそんな気持ちになりました。😔うまい。
最初にこの唄を聴いてから四十数年
夢の行き場がどこにも無い
(´;ω;`)ブワッ
笑
こちらのほうは、初めて聞きました。ライブ一発、的な歌い方に聞こえます。これはこれで、すばらしい。
屋上の上から街を見た
イルカの小川のカルモヂイン
空の彼方に見えた
この「カルモヂイン」ですが太宰治にも関わりのある睡眠薬、「カルモチン」からの造語で、閉塞感にあふれた歌詞と相まって青少年に良からぬ影響を与えるのでは、と判断されたようですね。
びっくりしました。このバージョンはじめてです。
いつ聞いても心が和みます。
先生の初期バージョン🐼
テープノイズが懐かしい
温める卵の様な 窓 でした🎵
これは貴重なレア音源、やはりプロットタイプこそ鮮度がピカ一…という、何よりの証拠…と言っても大袈裟ではない、と思わせてくれる。いいなぁ……このバージョン。余韻の無さも一転、"潔さ"とも取れるでしょうか……う~ん💧(思案)
声の質が伸びやかでいいですね。中島みゆきさんとつま恋コンサートで川上健一さんからの紹介でお友達なったと言うことを知り谷山さんを再び注目することになりました。
私もこちらのバージョンが好きです
胃腸薬のCMと、この窓しか知りません…この歌は、最高…
美しい風景が広がります。アップありがとうございます😊
初期バージョンということは、違うのがあるとは知りませんでした。
谷山ひろこさんの曲を聴いて、空くんの手紙を読むのが好きだった若かりし頃懐かしい。私ゃ男ですがね
懐かしい もう66
私も懐かしいです。
彼女の歌に魅せられてスマホでいつでも聴けていまは、嬉しいです。
ちなみに61歳です。
なるほど、こちらのほうが心にしみますね。
カルモヂインの田舎は大理石の産地で
其処で私は夏を過ごしたことがあった。
(中略)
少年は小川でドルフィンを捉えて笑った。
西脇順三郎『太陽』
谷山さんは初期ヴァージョンで西脇順三郎を引用していたのですね!初めて知りました。
タイトル:窓
歌手:谷山浩子
作詞:谷山浩子
作曲:谷山浩子
編曲:小野崎孝輔
教室の窓から見る秋は
いつも不思議に光ってた
北向きの窓のすりガラス
ギリシャの海も見えた
思い出せばもう夢の中
午後の陽射しにまどろめば
遠いアコーディオンのすすり泣く
光と影の世界
やさしい時代を置き去りに
やがて街へとび出した僕には
教室の窓がもう見えない
夢の行き場がどこにもない
授業をひとりでぬけ出して
空き部屋の窓から空を見た
幾億年もの時の彼方
空翔ける船を見た
思い出せばもう夢の中
一枚の窓のそのむこうに
見知らぬあしたがふるえていた
きらめきふるえていた
いくつも街を歩くうちに
いつか外の世界は狭くなる
教室の窓がもう見えない
夢の行き場がどこにもない
やさしい時代を置き去りに
やがて街へとび出した僕には
教室の窓がもう見えない
夢の行き場がどこにもない
夢の行き場がどこにもない
ちょっと衝撃でした!
正規の録音と比べると、寂寥感がハンパない。まるでFurtwanglerのBeethovenで言えば戦後、平和な世の中になってからの録音に対する大戦中、空襲の脅威にさらされながらの録音のような緊迫感がある。
歌詞が初期バージョンとは異なるんですね
カルモジイン、イルカの小川は西脇順三郎の「太陽」からでしょうか。
当時、イルカの小川のカルモジインって何だ?と思ってましたが、西脇順三郎とは! 教えていただいてありがとうございます。
…ところで、なぜこの画像を選ばれたのですか…田舎に生まれたわたしには、このどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでも……地の果てまで続く家々が怖くて仕方がないのです。
7年前の書き込みかぁ。鴨居かな、ここは。横浜市内ですね。丘陵地帯である横浜にはよく見られる風景です。高台に住んでた子供はガケ下に広がるキャベツ畑を見て自分の住む世界の及ばない遠い世界と思ったそうな・・谷山さんも横浜育ちでしたね。
😢
「イルカの小川のカルモ寺院」って いっているんですか? よく意味わからないんですが。
この版、初めて聞きました。
こちらの方がいい感じです。
ギリシャの海も見えた