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先生の講義面白い! 動画投稿続けてほしいー
面白すぎて一生こういう話してたいって思える内容でした。
とても面白かったです。社会学を学ぶというのは、生きる知恵を学ぶようなものですね。
社会人という言葉も、社会の内側と外側を分ける言葉になっていると思うなぁ。誠実な対応を取られる側が「自分は誠実な対応をしてもらえる」という風に信じているから誠実な振る舞いを演じる必要が出てきてしまうのかな。
勝手な妄想でコメントします。すいません。無視してください。トリックスターの最大の弱点は、まさにフーコーの言う「権力」なのかなぁと感じました。名前をつけ、分類し、位置付けられるということによって、僕たちは1つの価値体系のうちに収斂されてゆき、気付けば身動きがとれなくなってしまうという罠にはまってしまう。そのような構造を破壊するには、その価値体系に全く無関心な、その価値体系によって評価されないような、不思議な状態を保つキャラクターでないといけないのかなぁと感じました。僕が知ってる限りの超具体例なのですが、福井県の鯖江市が女子高生を集めて好きなことをさせる『JK課』という取り組みをしているのですが、面白いことに、今までの市役所の活動には無かったような新しい発想がバンバン出てくるんですね。市役所と学生がタッグを組んで何かの活動をするというのは、別に鯖江市以外でも様々な市町村で行われてることです。しかし多くの場合は、大人たちが計画を先に立ててしまい、女子高生の役割も極めて明確にした上でプロジェクトを進めていくんですね。そうすると、大人たちは若者を呼び込んで新しいことをしてるつもりでも、今までの価値観や構造を再生産してしまっていることになってしまうんです。そして、それに気付いていない。鯖江市が面白いのは、大人が計画を手放し、女子高生たちに指示することをやめ、彼女たちに明確な役割を与えないということを徹底しました。そうすると、大人の考えなさそうな活動を彼女たちが発案して、それが実行されていき、今まで惰性で続けてきた新規性の無い活動とかを根こそぎひっくり返していったんですね。彼女たちはまさに、トリックスターとして鯖江の市役所のなかに、「不思議な状態のまま(大人のいうことをきかない)」取り込まれて、見事に大人が再生産してきた構造を破壊することに成功しました。トリックスターの1つの例なのかなぁ、と勝手に妄想してコメントに書き込みました、すいません。ふと思ったんですが、僕たちは自己紹介というか、最初に自分がどんな奴かということを極めて明確にした上で、相手とのコミュニケーションにはいっていくことが多いなぁと思うんですが、これも権力に自分が荷担してしまっているのかなぁと思いました。でも、何者であるかわからない状態では、誰も話しすら聞こうとしないんです(笑)。ほんとに近代人は、「権力への趨向」に毒されてるなぁとしみじみ感じました(笑)。「女子高生」というレッテル以外に、何者であるかを決めつけられずに、自由に活動できた彼女たちは羨ましいかぎりです。長文ごめんなさい
長崎先生、ありがとうございます!『トリックスターは…「誠実」に背を向ける必要がある』に救われた思いです。僕は米国の障害・疾患のある看護師のナラティブや研究書を訳している多重マイノリティの当事者(自称:不埒なナース)で、自分が研究対象となる機会にも恵まれましたが、申し訳なくも今はまだ、看護学での考察には限界があるように感じてました。自分が分析するならば、フーコーのパノプティコンや言説をぜひ使ってみたい…と思っていました。その際やはり「誠実なナース」像が期待されるのか?それは自分のキャラじゃない、オラほには無理ぽ…と諦めかけておりました。ミッション系一般社会学大学院での研究を妄想しながら、計画書を書きます。
こちらこそ、思いもよらないところで役に立てていただいてありがとうございます。たしかに、医療や看護、精神疾患といずれもフーコーがフィットしそうな分野ですね。まれかんさんの研究に実際に使えるかどうかは分かりませんが、イヴァン・イリイチの『脱病院化社会』なんかもあわせて読むと面白いかもしれませんよ(もう読まれてるかもしれませんが)。今後の研究で良い成果が出るのをお祈りしております。
暖かいお言葉ありがとうございます。また他の講義も拝聴し、取り上げて下さった本を読み始めています。中でも「新・体感する社会学: Oh! My Sociology」の金菱 清先生のご経験談から、専門学校出身の当事者看護師、准看護師のみなさんに協力を仰いで、分かりやすくしていく必要を痛感しました。私はラテンアメリカ育ちのナースで、その意味でもイヴァン・イリイチはぜひ時間をかけて読んでみたく思います。まずは科目等履修生からかなぁ〜と思い直したこの正月ですが「障害のある看護師の社会学〜不可視化された彼女たちから見えてくる枠組み」みたいなものを英語でも発信できたら嬉しいです。
30:55 誠実さ
10:28②パノプティコン14:28フーコー19:29③トリックスター🐱🐙寅さん27:25誠実さ、井上俊
パノプティコンは、PSYCHO-PASSでも狡噛とサイガ先生が言及してましたね。製作者の教養の高さが窺い知れました。あの世界では槙島がトリックスターの役割を担っていましたが、名キャラだったように思います。
Psycho-pass、僕も見ました。あれは完全にパノプティコンの話でしたね。しかも逸脱してる連中が逸脱している人間を捕まえるという構造も今回の話と通じる部分があります。おそらく、あの作品は攻殻機動隊をメチャクチャ意識して作ったと思うんですけど、槇島と笑い男はキャラとしてなかなか接戦だと思います。僕は笑い男派ですが(笑)。どちらにしても、サブカルの中に社会学を入れ込むとすごく面白くなるんですよね。
大学生でおもろい社会学の授業受けてただけなのに、ペルソナ5のラスボスを思いっきりネタバレされた学生が何人か居そうで笑うw(だけどこの授業を受けたことにより作品をより好きになれる可能性大)
動画投稿ありがとうございます。とても興味深いです。1つ質問があります。- ある者が、社会構造の外側から破壊を行ったとき、この破壊者はトリックスターと同等の定義を持つことになりますか?
素晴らしい動画です。でもどうして16世紀以降誠実さが必要とされるようになりましたか、その部分は少しわかりにくいとおもいます。
その人の性質だけに着目するよりも、社会構造が人の行為に影響し、人の行為が社会構造を維持したり変えたりする、と考える方がより深い考えが出来そうですね。確かに、会社においても、決まりや仕組みをチャカしながら変えていく、トリックスターのような人もいます。ただ、そういうトリックスターも、単独で変革をしているというより、会社という社会の中で、変革することをさせられているのでしょうね。
素晴らしい!!!
気になることがあるので質問させていただきます。大学で、コロナ禍で問題に思うことについて論述する課題があり、私はオンライン授業で集中力が続かないことを問題として取り上げました。その原因として、教室をパノプティコンに例えて、誰か(先生や周りの生徒)に見られているという意識を持つことができないためだという考えを文章にしようと思うのですが、この考え方は適切なのでしょうか? 自分の部屋から受けるオンライン授業は、誰も見ていないからサボってもいいやという意識ですが、教室の中にいる対面授業では、先生は教卓からクラス全体を見渡すことができるため、スマホをいじるにも、バレるかもしれないからやめておこうという意識が働きます。これは、パノプティコン効果だと言えますか? 別の人からの意見だと、これだと監視社会を肯定しているように思えるね、とも言われました。先生はどう思いますか?
授業の課題大変ですね。まずmさんのおっしゃっている内容に対する評価ですが、mさんのようなレポートが出てきたら、僕みたいな甘々採点教員ならそこそこ点数をあげるとは思います。ただ、真面目で誠実な先生ならちょっとひっかかってしまうレポートだと思います。課題の正確な内容が分からないので、以下、参考までに読んでくださいね。まず、パノプティコンの理解からおさらいしてみましょう。パノプティコンというのはもともとベンサムという人が考えた監獄でした。この監獄は中央の監視塔から全ての牢屋を見渡せる設計になっているため、囚人たちは常に見られていることを想定して過ごさなければなりません。そうしているうちに牢屋の中の囚人たちは常に他人の目を意識して行動する癖がついてきます。他人の目があるところで悪事を働く人間はいないですから、この癖がついた段階でもう悪いことができないので更生完了というわけです。この監獄をフーコーは現代社会の比喩として用いています。比喩として使えるということは共通点があるはずです。実際の監獄と現代社会の最大の共通点、それは一言で言うと「他者の目の内面化」です。これは見られていることを想定して振舞っているうちにいつの間にか、誰にも見られていなくても、まるで見られているときのように行動するようになってしまうということです。自分の中に他者の目が張り付いてしまったような感じですね。以上を前提にmさんのお話を考えてみましょう。mさんは教室をパノプティコンにたとえていますね。たしかにいつ教員から見られているか分からない教室がパノプティコンのように思えるのはムリもないと思います。(教室を監獄だと思われるのは教員として悲しいですが・苦笑)そこまではまあいいとして、よく考えるとそのあとの話は実はパノプティコンと逆の話をしてしまっているのではないでしょうか。見られていないからサボってしまうとか、バレるからちゃんとしようと思っているうちは「他者の目の内面化」は起こっておらず、結局バレるかどうかで判断してしまっています。ここが最も引っかかる点です。そうではなくて、自分の中に張り付いた他者の目を無意識に気にして自発的にちゃんとした行動をとってしまうのが、パノプティコンという理論の面白い所でもあり、恐ろしい所でもあります。だからこの例ではパノプティコンを正確に理解しているかどうか疑問を持たれてしまうと思います。mさんがおっしゃっているような理由でオンライン授業を頑張れないという話は、むしろゴッフマンの「行為と演技」などの理屈で説明した方が良い気がします。詳しくは別の動画で話しているのですが、要するに人間は常に演技しており、表と裏を使い分けているという理論です。mさんの例はこの表と裏の話から読み解くべきだと思います。ちなみに監視社会を肯定するかどうかというのは、心ある先生ならあまり問題にしないと思います。それは個人の価値観であって、社会学を正しく理解しているかどうかとは関係ないからです。以上、参考までに書いてみましたが、先にも述べたように、課題の詳細が分かっているわけではないので、課題をよく読んで頑張ってみてくださいね。
How are ya, reo nagasaki. it's beautifully charming video. thank. :)
こんにちは。とても興味深く受講させていただいてます。質問してもよろしいでしょうか。トリックスターとは秩序の破壊者とお話がありましたが、もしかして、藤子不二雄Aさん作「笑うせぇるすまん」の喪黒福造とか、そうなのでしょうか。私の年齢がばれるのが、恥ずかしいのですが。
お返事いただきありがとうございます。なるほど、確かにバブル時期にやっていたアニメでした。社会学を学んでから、アニメや映画を見たり、本を読んだりすると、また別の観点から感じることができて、とてもおもしろいですね。先生のこれからの回も、楽しみに見ていきたいと思います。ありがとうございました。
質問をさせてください🙇♀️誠実さの定義が「感じているここと言明の一致」とする場合、トリックスターは「誠実」にならないのはなぜでしょうか?スノーデンはアメリカ政府を裏切ったわけですがその行為自体は一般人に対する米国の動きが不誠実であったがため行動したのであり、彼自身は自分の信念のもとに行動したとなると、彼の言動と感じたことに乖離はなく誠実な人間だと言えるのではないでしょうか?たしかに組織で働いている時は真面目、誠実である「ふり」を必要になるため、その点においては不誠実になると思います。何度か繰り返し見たのですがどうしてもこの点の疑問が抜けなかったため、ご返信をいただけると幸いです。
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先生の講義面白い! 動画投稿続けてほしいー
面白すぎて一生こういう話してたいって思える内容でした。
とても面白かったです。社会学を学ぶというのは、生きる知恵を学ぶようなものですね。
社会人という言葉も、社会の内側と外側を分ける言葉になっていると思うなぁ。
誠実な対応を取られる側が「自分は誠実な対応をしてもらえる」という風に信じているから誠実な振る舞いを演じる必要が出てきてしまうのかな。
勝手な妄想でコメントします。すいません。無視してください。
トリックスターの最大の弱点は、まさにフーコーの言う「権力」なのかなぁと感じました。名前をつけ、分類し、位置付けられるということによって、僕たちは1つの価値体系のうちに収斂されてゆき、気付けば身動きがとれなくなってしまうという罠にはまってしまう。
そのような構造を破壊するには、その価値体系に全く無関心な、その価値体系によって評価されないような、不思議な状態を保つキャラクターでないといけないのかなぁと感じました。
僕が知ってる限りの超具体例なのですが、福井県の鯖江市が女子高生を集めて好きなことをさせる『JK課』という取り組みをしているのですが、面白いことに、今までの市役所の活動には無かったような新しい発想がバンバン出てくるんですね。
市役所と学生がタッグを組んで何かの活動をするというのは、別に鯖江市以外でも様々な市町村で行われてることです。しかし多くの場合は、大人たちが計画を先に立ててしまい、女子高生の役割も極めて明確にした上でプロジェクトを進めていくんですね。そうすると、大人たちは若者を呼び込んで新しいことをしてるつもりでも、今までの価値観や構造を再生産してしまっていることになってしまうんです。そして、それに気付いていない。
鯖江市が面白いのは、大人が計画を手放し、女子高生たちに指示することをやめ、彼女たちに明確な役割を与えないということを徹底しました。そうすると、大人の考えなさそうな活動を彼女たちが発案して、それが実行されていき、今まで惰性で続けてきた新規性の無い活動とかを根こそぎひっくり返していったんですね。
彼女たちはまさに、トリックスターとして鯖江の市役所のなかに、「不思議な状態のまま(大人のいうことをきかない)」取り込まれて、見事に大人が再生産してきた構造を破壊することに成功しました。トリックスターの1つの例なのかなぁ、と勝手に妄想してコメントに書き込みました、すいません。
ふと思ったんですが、僕たちは自己紹介というか、最初に自分がどんな奴かということを極めて明確にした上で、相手とのコミュニケーションにはいっていくことが多いなぁと思うんですが、これも権力に自分が荷担してしまっているのかなぁと思いました。でも、何者であるかわからない状態では、誰も話しすら聞こうとしないんです(笑)。ほんとに近代人は、「権力への趨向」に毒されてるなぁとしみじみ感じました(笑)。
「女子高生」というレッテル以外に、何者であるかを決めつけられずに、自由に活動できた彼女たちは羨ましいかぎりです。長文ごめんなさい
長崎先生、ありがとうございます!
『トリックスターは…「誠実」に背を向ける必要がある』に救われた思いです。
僕は米国の障害・疾患のある看護師のナラティブや研究書を訳している多重マイノリティの当事者(自称:不埒なナース)で、自分が研究対象となる機会にも恵まれましたが、申し訳なくも今はまだ、看護学での考察には限界があるように感じてました。自分が分析するならば、フーコーのパノプティコンや言説をぜひ使ってみたい…と思っていました。その際やはり「誠実なナース」像が期待されるのか?それは自分のキャラじゃない、オラほには無理ぽ…と諦めかけておりました。ミッション系一般社会学大学院での研究を妄想しながら、計画書を書きます。
こちらこそ、思いもよらないところで役に立てていただいてありがとうございます。
たしかに、医療や看護、精神疾患といずれもフーコーがフィットしそうな分野ですね。
まれかんさんの研究に実際に使えるかどうかは分かりませんが、イヴァン・イリイチの『脱病院化社会』なんかもあわせて読むと面白いかもしれませんよ(もう読まれてるかもしれませんが)。
今後の研究で良い成果が出るのをお祈りしております。
暖かいお言葉ありがとうございます。
また他の講義も拝聴し、取り上げて下さった本を読み始めています。
中でも「新・体感する社会学: Oh! My Sociology」の金菱 清先生のご経験談から、専門学校出身の当事者看護師、准看護師のみなさんに協力を仰いで、分かりやすくしていく必要を痛感しました。
私はラテンアメリカ育ちのナースで、その意味でもイヴァン・イリイチはぜひ時間をかけて読んでみたく思います。
まずは科目等履修生からかなぁ〜と思い直したこの正月ですが「障害のある看護師の社会学〜不可視化された彼女たちから見えてくる枠組み」みたいなものを英語でも発信できたら嬉しいです。
30:55 誠実さ
10:28②パノプティコン14:28フーコー19:29③トリックスター🐱🐙寅さん27:25誠実さ、井上俊
パノプティコンは、PSYCHO-PASSでも狡噛とサイガ先生が言及してましたね。製作者の教養の高さが窺い知れました。
あの世界では槙島がトリックスターの役割を担っていましたが、名キャラだったように思います。
Psycho-pass、僕も見ました。
あれは完全にパノプティコンの話でしたね。
しかも逸脱してる連中が逸脱している人間を捕まえるという構造も今回の話と通じる部分があります。
おそらく、あの作品は攻殻機動隊をメチャクチャ意識して作ったと思うんですけど、槇島と笑い男はキャラとしてなかなか接戦だと思います。
僕は笑い男派ですが(笑)。
どちらにしても、サブカルの中に社会学を入れ込むとすごく面白くなるんですよね。
大学生でおもろい社会学の授業受けてただけなのに、ペルソナ5のラスボスを思いっきりネタバレされた学生が何人か居そうで笑うw(だけどこの授業を受けたことにより作品をより好きになれる可能性大)
動画投稿ありがとうございます。とても興味深いです。1つ質問があります。
- ある者が、社会構造の外側から破壊を行ったとき、この破壊者はトリックスターと同等の定義を持つことになりますか?
素晴らしい動画です。
でもどうして16世紀以降誠実さが必要とされるようになりましたか、その部分は少しわかりにくいとおもいます。
その人の性質だけに着目するよりも、社会構造が人の行為に影響し、人の行為が社会構造を維持したり変えたりする、と考える方がより深い考えが出来そうですね。
確かに、会社においても、決まりや仕組みをチャカしながら変えていく、トリックスターのような人もいます。ただ、そういうトリックスターも、単独で変革をしているというより、会社という社会の中で、変革することをさせられているのでしょうね。
素晴らしい!!!
気になることがあるので質問させていただきます。
大学で、コロナ禍で問題に思うことについて論述する課題があり、私はオンライン授業で集中力が続かないことを問題として取り上げました。その原因として、教室をパノプティコンに例えて、誰か(先生や周りの生徒)に見られているという意識を持つことができないためだという考えを文章にしようと思うのですが、この考え方は適切なのでしょうか? 自分の部屋から受けるオンライン授業は、誰も見ていないからサボってもいいやという意識ですが、教室の中にいる対面授業では、先生は教卓からクラス全体を見渡すことができるため、スマホをいじるにも、バレるかもしれないからやめておこうという意識が働きます。これは、パノプティコン効果だと言えますか? 別の人からの意見だと、これだと監視社会を肯定しているように思えるね、とも言われました。先生はどう思いますか?
授業の課題大変ですね。
まずmさんのおっしゃっている内容に対する評価ですが、mさんのようなレポートが出てきたら、僕みたいな甘々採点教員ならそこそこ点数をあげるとは思います。
ただ、真面目で誠実な先生ならちょっとひっかかってしまうレポートだと思います。
課題の正確な内容が分からないので、以下、参考までに読んでくださいね。
まず、パノプティコンの理解からおさらいしてみましょう。
パノプティコンというのはもともとベンサムという人が考えた監獄でした。
この監獄は中央の監視塔から全ての牢屋を見渡せる設計になっているため、
囚人たちは常に見られていることを想定して過ごさなければなりません。
そうしているうちに牢屋の中の囚人たちは常に他人の目を意識して行動する癖がついてきます。
他人の目があるところで悪事を働く人間はいないですから、
この癖がついた段階でもう悪いことができないので更生完了というわけです。
この監獄をフーコーは現代社会の比喩として用いています。
比喩として使えるということは共通点があるはずです。
実際の監獄と現代社会の最大の共通点、それは一言で言うと「他者の目の内面化」です。
これは見られていることを想定して振舞っているうちにいつの間にか、誰にも見られていなくても、まるで見られているときのように行動するようになってしまうということです。
自分の中に他者の目が張り付いてしまったような感じですね。
以上を前提にmさんのお話を考えてみましょう。
mさんは教室をパノプティコンにたとえていますね。
たしかにいつ教員から見られているか分からない教室がパノプティコンのように思えるのはムリもないと思います。
(教室を監獄だと思われるのは教員として悲しいですが・苦笑)
そこまではまあいいとして、よく考えるとそのあとの話は実はパノプティコンと逆の話をしてしまっているのではないでしょうか。
見られていないからサボってしまうとか、バレるからちゃんとしようと思っているうちは「他者の目の内面化」は起こっておらず、結局バレるかどうかで判断してしまっています。
ここが最も引っかかる点です。
そうではなくて、自分の中に張り付いた他者の目を無意識に気にして自発的にちゃんとした行動をとってしまうのが、パノプティコンという理論の面白い所でもあり、恐ろしい所でもあります。
だからこの例ではパノプティコンを正確に理解しているかどうか疑問を持たれてしまうと思います。
mさんがおっしゃっているような理由でオンライン授業を頑張れないという話は、むしろゴッフマンの「行為と演技」などの理屈で説明した方が良い気がします。
詳しくは別の動画で話しているのですが、要するに人間は常に演技しており、表と裏を使い分けているという理論です。
mさんの例はこの表と裏の話から読み解くべきだと思います。
ちなみに監視社会を肯定するかどうかというのは、心ある先生ならあまり問題にしないと思います。
それは個人の価値観であって、社会学を正しく理解しているかどうかとは関係ないからです。
以上、参考までに書いてみましたが、先にも述べたように、課題の詳細が分かっているわけではないので、課題をよく読んで頑張ってみてくださいね。
How are ya, reo nagasaki. it's beautifully charming video. thank. :)
こんにちは。とても興味深く受講させていただいてます。
質問してもよろしいでしょうか。
トリックスターとは秩序の破壊者とお話がありましたが、
もしかして、藤子不二雄Aさん作「笑うせぇるすまん」の喪黒福造とか、そうなのでしょうか。
私の年齢がばれるのが、恥ずかしいのですが。
お返事いただきありがとうございます。
なるほど、確かにバブル時期にやっていたアニメでした。
社会学を学んでから、アニメや映画を見たり、本を読んだりすると、また別の観点から感じることができて、とてもおもしろいですね。
先生のこれからの回も、楽しみに見ていきたいと思います。
ありがとうございました。
質問をさせてください🙇♀️
誠実さの定義が「感じているここと言明の一致」とする場合、トリックスターは「誠実」にならないのはなぜでしょうか?
スノーデンはアメリカ政府を裏切ったわけですがその行為自体は一般人に対する米国の動きが不誠実であったがため行動したのであり、彼自身は自分の信念のもとに行動したとなると、彼の言動と感じたことに乖離はなく誠実な人間だと言えるのではないでしょうか?
たしかに組織で働いている時は真面目、誠実である「ふり」を必要になるため、その点においては不誠実になると思います。
何度か繰り返し見たのですがどうしてもこの点の疑問が抜けなかったため、ご返信をいただけると幸いです。
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