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サムネで鉄道博物館に泊めてもらったのかと思った笑
同じく
それな
それな!どんだけ特別扱いされてるの?って思ったw
同じくマジで⁉︎って思いました。
スーツ特別展示
こう考えたらサンライズに2万円ちょっとで乗れるの幸せだな
スーツ君も、サンライズを別荘にしているし。
2012年の8月に私が行った時は200円払えば自由に入れました。そのころはまだSLも20系客車もまだまともな状態で保存されてました。まさかこんな状態になっているとは…
東北人 まぁ地震の影響もあったと思いますが、観光客の事もありそうですね。
これは大宮なり京都の博物館にキチンと保存しなければならない貴重な車両ですよ。
激しく同意です。前の動画で私も訴えました。
私も同意。ただ、保存状態があまりにも悪すぎる。ここまで荒廃が激しいと、例えJR側がお金を出して輸送したくても出来ないのでは?
屋根つけて保存しないとマズイんじゃにゃあか!?どうみてもリニ鉄は無理だが。
@@babyblue17857 訴えるより資金を。
このナロネ22と津別のキャンプ場にあるスハネ16は即刻大宮か梅小路送りにするべき貴重なものですからね。
この個室車両だけは鉄道博物館に保存してほしい。もう無いんだから。どこのJRの博物館でもいいから…
やはり、スーツさんの番組は、鉄道番組の中でも最高に面白いと思います。
豊富な人脈を駆使して貴重な映像を無料でお届けするRUclips界の"映像の世紀"になる神
子供の頃、昭和40年前後、熊本の祖母のところに行くのにB寝台3段ベッドに何回も乗りました。切符を取るのが大変で朝から親が並びに行っていました。ボーイさんがベッドを作ってくれるのを面白く眺めていました。懐かしいです。
これは文化財級の車両ルーメットがついてる現存20系車両なんて貴重という言葉を超えるレベル屋根つきの大きな鉄道博物館等へ絶対移すべきスーツさんの力でなんとかならないかな…
コメント投稿したのは 輸送費だけで、1000万は超えるし、工事費だけでも300万ほどかかる上に、JR側及び、車両の持ち主の同意がねぇ
いやいや大宮鉄博が買い取ろうとしたのですが、新得町側が固持したと受け付けのおっちゃんが言ってました
ここまでボロボロなのに町側はこの状態で保存しようと思ってるのでしょうか…内装も外装も酷い…
新得町もそこまで固持するならナロネ22は大宮に譲渡して、残った9600とナロネ21とナハネ20を大切に保存すればいいのでは。
ルーメットとはなんですか?
40年以上前 今は無き寝台特急あけぼの号に乗ったことがあります。当時中学生でした。使用されていた車両が20系客車だったことを覚えています。ベッドの幅が52センチと狭く 発車時の衝撃音で満足に眠れなかった記憶があります。あけぼの号は私が乗った翌年に24系客車に置き換えられました。あけぼの号は奥羽本線経由で山形新幹線の走っている板谷峠をEF71の重連で越えていました。懐かしい思い出です。
1974年の寝台料金値上げ前のA個室寝台料金は5400円でした。因みにB寝台料金は客車3段式1100~1200円でしたから、約5倍でした。(国鉄初乗りは30円でした。)当時すでに特急券はマルス発売でしたが、20系個室寝台現役時には最後まで個室はマルスに収容されず、手書き発売でした。ナロネ22はもとより、21も今となっては貴重な車両です。しかるべき所での永久的な保存が望まれます。
昔北海道にバイクでツーリング行った時に、SLホテル泊まった事がありますよ当時は20系の三段解放寝台だったかな、一晩3000円だったと思います。貧乏ライダーには有り難かったなと懐かしくなりました
改めてじっくり見せて貰うと余りの酷い状態に見るのが辛いな。元から大破した残骸の旧軍兵器とは違い綺麗な状態から朽ちていく様は見るに忍びない。
私は急行天の川の20系A寝台に乗ったことがあります。まさに動くホテルでした♪
ル-メット、ずっと気になってました まさか、あんな構造で実際に動いてるところ見てて、感動です。今でいう飛行機のA380の個室並みですね。 その時代に乗りたかったですね
日立製の車両の歴史あさかぜ「ルーメット」0系新幹線class800(英国新幹線)が博物館に並ぶ姿をみてみたい
ブルートレインと0系、そしてクラス800が並んだら外国人鉄道マニアの間だとすごくて豪華だと評判されるはずですよ()
何故かそこに混ざる西武のミサイル
ずいぶん前に「新得にある20系客車のホテルが営業終了。他のトロッコ列車などの施設はそのまま営業します」という記事が地元の新聞に載っていたが、こんな悲惨な状態になっていたのか。塗り直しは良い事だが、恒久的な保存を考えるなら限界がある。ここは冬になると零下30℃近くまで下がる道内有数の極寒の地。屋根付きの施設を作るにはそれこそ莫大な金額に加え毎年の維持費も馬鹿にならない。どこかに移転できれば一番だけど
寝台列車に詳しくない自分にも、スーツさんの説明がとてもわかりやすくて大変面白く、興味深い動画でした。
こんな客車を昔はSLが引っぱっていたんだから凄いな。ゆうづるなんて夜行列車だから視界の悪い真っ暗な真夜中を見通しの悪いSLでこんな客車を何両も引いて夜通し走るとかもはや神話レベル
初期に比べて垢抜けてどんどんイケメンになっていくな
昭和52年(1977年)の2月と7月、「あさかぜ1号」東京→博多で乗車しました。当時、個室寝台特急の切符はマルスに入ってなくて、台帳で調べて硬券に手書きで発券してくれました。
クラウドファンディングでもやって、せめて屋根を作って欲しい……。
@クラ それは激しく同意。しかし工事費がバカにならない悪寒。
ルーメットが付いているナロネ22も特筆すべき車両ですが、隣のナロネ21 551は寝台特急「あさかぜ」が20系になった際に、その最初から連結されていた超貴重な車両です(日立製は+50番されるので、日立製ナロネ21形の製造第一号車が、新得で保存されているナロネ21 51です。51号車は1970年の改造時に+500番されて、今のナロネ21 551になっています。つまり551号車はナロネ21 1と同じ車齢であり、初代ブルートレインそのものということです)。ナロネ21とナロネ22は製造時期が違うので、解放形2段式A寝台の部分でもテーブルの形が違うなどの差異がありました。余談ですが、A個室ルーメットの寝台幅は735mmなので、寝台幅1010mmの開放型A寝台下段(サンライズのA個室は850mm)と比較すると狭いです。
この個室寝台には憧れた。ナロネ22なんて国宝級じゃありませんか。
寝台列車って乗った事ないから想像でしかないけど、変わる景色、夕暮れ、朝焼けを車内で揺られながら眺めたのねきっと。それは現代では感じる事が少なくなった、ゆっくりした贅沢な時間だったかもね🌹
東京発九州方面行ブルートレインに使用された車両形式は、「あさかぜ」20系→20系・14系→20系→20系・24系25型→24系25型「はやぶさ」「富士」20系→24系24型→24系25型「さくら」「みずほ」20系→14系14型→14系15型というように変遷しています。私が初めてブルートレインに乗ったのは、「さくら」(14系14型)でした。当時、九州方面のA寝台個室といえば、「あさかぜ」のルーメット、「はやぶさ」「富士」のオロネ25があり、動くホテルの異名通りそれは豪華で、旅行の際の憧れでした。国鉄→JRの歴史を語るうえで、これらの車両が果たした役割は非常に大きなものだと思います。願わくば博物館などできちんと保存展示してほしいものです。
Blue train boom を小学生で迎えた. その頃から roomette は '伝説の豪華寝台車' と聞いていたが, モノは初めて見た. 狭くて質素なので逆に驚いた. これなら東京-広島(以前は横浜-広島だった)の豪華夜行バス 'Dream Sleeper' のほうが贅沢だし快適に眠れそう. ただ列車のほうが振動と騒音は少なそうだし, なにより旅情があったな. 幼心に微かに憶えている, 高度成長期の志の高さを感じた. スーツさんありがとう.
13:54 急に人が出てきて驚いたわ
こんなに貴重な車両が残っているとは、初めて知りました。貴重な映像をありがとうございました。
ずいぶんボロボロですね…初代ブルートレインが残っていること自体奇跡なので直してほしい。
ナロネ22は、大宮の鉄道博物館送りに出来ないものか。
本当に小さかった頃、両親にブルートレインに乗せて貰って東京へ遊びに行ったことを思い出しました✨1番覚えていることが、初めて見た平らな紙コップで水を飲んだことです☺️♪子供心に何故かそれがとても楽しくて、何回もボタンを押して水を飲んだことを思い出しました✨とても懐かしくて嬉しくなりました♪思い出させてくれて、ありがとうございます✨
ルーメットは知っていましたが、寝台セットの方法は初めて知りました!
20系客車と151系電車は1958年に特急列車の革命を起こした車両ですからね。タイムスリップしてみたいぜ!ブルートレイン+蒸気機関車の旅に!!
10数年前にSLホテル廃業後に放置されていた車両をNPOが整備された際に訪問しました。その時はナロネ22内部の照明も一部点灯されており、車両の図面が入手できれば修理したいと話されていたのが印象に残っています。ただ現在の北海道では、最低でも行政と組まない保管はほぼ失敗に終わっているように感じます。24系や711系の惨状を見ると継続した維持は本業の鉄道会社に余力がないと悲劇的な結果になると思います。
良いですね20系 ナハネフの丸い感じがなんとも言えないレトロさを醸し出していて好きです!
小学校時代、1970年ころ さくらで長崎に行ったとき、ナロネ20系 マルスに入ってなくて 手書きの硬券の切符だったと思います。子供にはかなり広かった気がします。この他、20系には2人用個室がありました。運転停車中 ドア勝手にガタガタやって、車掌穂さんに叱られたことがあります。冷房調整スイッチ懐かしい。狩勝線ミュージアム 「新型コロナウイルスの状況を鑑み、2021年についても休館させていただきます。」みたいです。
今更ですが。博多から東京の大学を受験して、帰りはアサカゼの寝台車で地元に戻りました。懐かしいです
1:22大好きなブルートレイン客車にウッキウキで走るスーツかわいい
ナロネ20.22系の1人用個室ルーメットは子供の頃の憧れでした。後に24系の1人用A個室には乗りましたが、このルーメットの方が格調は高かったと思います。
私は今50才になりましたが、私世代の小学生の頃、鉄道好きの人は、東京駅によくブルートレインを撮りに行きました。あれから約40年きみまろ漫談じゃないけど、いろいろ時代の変化がありました。私は、ブルートレインに乗る機会がなかったけど、ある意味非常に懐かしいですね。
寝台車の独特の臭いが懐かしい、、自分は子供の頃にはつかり、青森から上野まで長々乗ってました。
ピロスケ ピロスケ タイ国鉄の24系もあの独特の匂いがするのです。車内には日本語の記載も残ってます。中国製の新車がドンドン入ってきているので、そのうちレールの上を走る国鉄形寝台車は消えちゃうカモですね。
廃墟同然化した車両に宿泊する神
どんどんスーツさんが遠い存在になっていくのが悲しくもあり、嬉しくもありますね
ルーメットを動画で見られるなんて‼️設備や内装にときめくわ✨
塗装剥離して錆び削って、鉄板切り貼りしてパテ入れて…かなりの大仕事になりそうですね。車のボディーでも百万コースですよ(笑)電車じゃ想像つかない程のレストア企画ですね!
旧狩勝峠経由の旧新内駅(1966年廃止)構内に1978年、96蒸気機関車+20系寝台車のSLホテルは15年くらい前にレンタカーで訪ねた事があります。 ナロネ21 551はそもそもナロネ21 51を1970年、大宮工場で改造・施工された際に500番台化(原番号+500)している。ナロネ22は「さくら」運転開始に合わせて製造開始された1人用1等個室(現A寝台個室)・開放式合造1等寝台(現開放A寝台)車だった。最後に列車ボーイ(車掌補・車掌掛)は扉開閉に寝台の設営や解体にドア扱い、乗客のお世話(ホームでの買物・靴磨き)や沢山の荷物を所持したお客のために駅の赤帽連絡業務。20系扉のステッカーは列車ボーイ廃止になってからだと思います。
1980年代後半に臨時の寝台特急で20系は乗ったことがあります。その頃はもう3段B寝台のモノクラス編成でしたが。高校生の頃でしたが、とにかく狭いのが記憶に残っています。その時はドアは乗り降りが終わったら閉めてくださいと車内及び駅のホーム放送で呼びかけていましたね。それでも閉扉確認しないとインターロックが掛からないので、車掌さんが走ってチェックしていました。ルーメットとは珍しいのがのこってましたね。
やはりロマンを感じます
保存すべき車両。なぜ保存しない!
0:04 さっきの動画に続いて、ニワトリにも驚く神
20系はカニが保存されなかったのが惜しいですね。せめてカニがあれば、保存車を寄せ集めてそれらしい編成が1本出来そうな・・・。
子供の時にA寝台個室に乗りました。あさかぜ号で小倉→横浜乗ったのを思い出しました。未就学児だったので親と添い寝でした。冷水器も懐かしいです。
てっぱく級の保存車両ですね!ぜひとも美しい車体に生まれ変わった姿を拝みたいです。屋根も欲しいですね~
肥薩おれんじ鉄道から根室本線に乗り継ぐ神。
えぐいほどのレア車両や!実際に行って見てみたいな〜
20系、懐かしですね。出入り口折戸は583系や24系など北国行きは年に何回か乗ってましたがデッキに雪が吹き込み雪が溜まってた記憶があります。
大変貴重な映像です。子供の頃はこのルーメットは憧れでした。本の写真で満足してました。B寝台、幅50数センチで三段。今からするととても狭いですが、寝られるということはゼイタクなことでした。初期のあさかぜには座席車もありましたから。それでもエアコン完備で当時は走るホテルといわれていたとか。まだ三等制が残っていて、あさかぜの三等切符のおばあちゃんが、「私の乗る席が無い」と駅員さんに言ったとか。駅員さんが車内に案内すると「これは一等車だ。違う」とこぼしたとか。たぶん、そのおばあちゃんの意識では、三等車は背もたれが木でできている昔の客車のイメージだったんでしょうね。それほど普通座席車といえど豪華だったのでしょう。もうひとつの憧れはクロ151のパーラーカーでした。
分かりやすい解説有難うございました。九州では箱崎の公園に20系客車が保存されていますが、修理や維持も本当大変です。箱崎の場合は色々なら所から募金等で大成功された様です。
で、中島みゆきの「ホームにて」を聴きながら泣けてきた。
サンライズが引退したときの為にスーツレールパークを作りましょう!
この車両は我が国鉄道史において最重要クラスに入るレベル寝台列車史では間違いなく一、二を争う存在絶対に然るべき施設で保存してゆくべき!
0:07 にわっ、庭には二羽ニワトリていうのかと思った
20系B寝台の52cmという幅は座席の奥行きと同じで、寝台を収納し座席にして使うことを考えて作られたとされています。
昔は50センチが基準だったのだろう。潜水艦の寝台も同じ位だし、アウトドアテントの就寝人数に使われる参考就寝幅は50センチだよ。
14系以降の70㎝は、座席として使うには広過ぎでしたもんね。20系は、座面も、背もたれも、昼間はちょっと斜めに動かすことが出来て、昼間の座り心地もとても良かったです。😌
色々懐かしく拝見しています。ブルートレインに乗り、カーテンを閉めて寝台灯を消し、窓の外に広がる景色と同等の暗さの世界に身を置く、羽越区間、26時、黒い闇の中で白波立ち荒れる日本海が広がる車窓はまるで水墨画のよう。583系三段寝台の下段、天井と窓枠との僅かな隙間に頭を潜らせて眺めた夜空、夢中で数えた無数の星たち、76迄数えて力尽き、そのまま星空に抱かれながら眠った、あれは柏崎あたりだったか。定尺レール音、微かに聞こえる機関車の咆哮を子守唄に、気が付けば夜が明ける頃、ネイビーブルーのグラデーションを帯びた空の、それはそれは美しいこと・・・。ブルートレインは、そんな、自然の機微を教えてくれた。お仕着せがましい、豪華絢爛な、ナントカ島、ナントカ風、ナントカ星、そんな、クルーズトレインなんか要らないんだ。ただ、日々、無言で走り続ける、ただそれだけのブルートレインに、再び出会える日は来るのだろうか。
ボロボロだなぁ...修理したくなる...
今日はバイトもないのでずっとスーツさんの動画みてましたちょうど更新してくれて嬉しい😃
今とは信じられないくらい人手がかかっていた列車。
興味深かった内装はアルミとステンレス多用しててあまり古さを感じさせないですねぇ化粧版はベニヤに不燃塗料が一般的の頃だがこれも痛みが少なくて高品位朝のベッド片付けは6時に来てましたね6時以降は昼行の客が乗る為ベッド片付けに来ないのは北斗星が初ではないかなと古い塗装の下のサビ落としはケレンがけって言いますがメチャクチャ重労働であります
蒸気機関車と20系ブルートレインが保存されとる()20系車両が日本の寝台急行・特急のすべての伝説の始まりを告げた客車列車ですね。
小坂鉄道のあけぼの24系客車動態保存は感心しますね。
ブルートレインに乗る旅は旅情あふれるものでしたが、今はもうありませんね。列車に乗りながら泊まったり、食事をしたりも楽しめました。今はスピード重視になりました。
20系ブルートレイン運行してしばらくは座席車もあったんですよねえ。グリーン車はまだしも普通車まで。
14系のB寝台3段車を2段車に改造している時期に、『さくら』や『みずほ』などでスハネフ14の代用でスハフ14が組み込まれた時期がありました。あの時も普通車として営業していたはず。
初期はナハ20、ナハフ20、切妻のナハフ21、一等車ナロ20があり、新幹線開業前に東京の結婚式に連れて行かれた思い出があります。通路より一段高くして座席を設置していました。
壊れかけてる本来の姿をそのままとどめたものに宿泊したものを見せてくれて興味深かったです。何度もこの寝台車が初任給と同じ金額のかかるのりものなの?という気持ちになってしまいました。
1970年頃親友が東京から山口へ引っ越しすることになった時、東京駅まで見送りに行きました。その時窓から覗き見た車内の様子がこんな感じだったのを思い出しました。
14系や24系の時代も昼行扱いの時間帯があり、朝は7時から、夜も19時まででしたね。北斗星もその扱いがありました。手動ドアの出入口は、音楽の教科書にも載る盲目の筝曲家 宮城道雄氏の転落に代表される事故等で、扉の自動化がなされていくんですよね。ルーメットは、初めて見ました。貴重な映像ありがとう。この洗面台の名残が、285のシングルDXにまで引き継がれているんだなあ。24系25形あさかぜのシングルDXに乗ったことあるんだが、洗面台は印象的だった。
同じく出雲でオロネ25A個室乗りました。洗面台がピッカピカに磨き込まれて自分の顔が映るくらいで印象的でした。あれほど綺麗なら洗面器に水ためて顔洗う気になれます。
@@nexson181 品川とかの客車区で、毎日入区後に磨いていたんでしょうね。いい思い出を分かち合えました。コメントありがとう。
昔は寝台は午前7時までしか使えなかったような。
傷んでいる箇所があった場合、除去して補修した後に塗装しないと長持ちしません。塗装するのであれば、展示車両の塗装も行っている業者に依頼するのが一番良いと思います。
同感です。アスベスト飛散防止処理などができるうちに進めて欲しいです
同い年の東京タワー🗼とはもう扱いが違いますね。みんな列車に興味を持ってくれれば良いんだけどな…
クリームぱん 住みたい沿線ランキングとかって意味ならみんな興味あると思うよ😂
マキシマム 確かにそうですね!でも鉄道を好きになるとさまざまなな物を見る目が変わると思うので少しは興味持って欲しい!
寝台の設置・解体作業の省力化のために14系寝台車からB寝台中段が電動昇降式となり、14系15形・24系25形では2段式となり上段が固定式になりました。また、中廊下式のルーメットでは居住性に難が有るのと定員が確保出来ないので、ナロネ25形A個室寝台車では側廊下式になり、寝台も枕木方向となりました。
軽井沢の列車村思い出した。幼少期に旅行行った時によく車内に忍び込んでたなぁ。
青春列車🚃ブルートレインって感じ😊
20系は臨時のあさかぜやら急行ってイメージ。どっちかと言うと当時は20系はハズレ車両と認識あって3段寝台はクッソ狭かった。3段寝台なら中国の現行車両が遥かに広くて快適!このA寝台同様プルマン式二段寝台はタイやインドの二等寝台みたい。ルーメットはアムトラックの個室みたい。あっちの方がやっぱり広いな 寝台セットは当然列車の係の人がやってくれた。
20系寝台車の寝台設定を開業当初の動画で見たら座席と背もたれは連動してないのが正常みたいなので、不具合ではないようです。再塗装にしても雨ざらしはもったいないです。
今の所有者は、この先この車両をどうするつもりなのでしょうか?この映像の状況からして、とても愛情を持って保管してるようには見えないのです。
久しぶりのブルートレイン
いいなぁ、楽しそう
憧れました、かっこいいですね😃
尾久のブルートレイン見たことある結構綺麗だった
今はサビまみれだが。
ナロネ22が残っていたなんて!
0:00~クイズ99人の壁でスーツさんが紹介されていた場面
ええ声してはる。動画も良いですね。
タイトルビビったw神はタイムスリップもできるのかと(((((
でも【北海道】w
SL hotel ってもう1つも残っていないのか. むかし家族旅行の旅先で幾つか見て, 子供心に憧れたなぁ. 結局泊まることはなかった. 泊まってみたかったなぁ.
20系が登場した当時は電車特急は走っていなかった・・・。間違いではないですが20系は昭和33年10月に特急あさかぜ号に投入。その1か月後の11月には特急こだま号が151系電車で運転開始ですね。
24系の新製個室車オロネ25が事実上全廃になってしまった今、個室寝台車の20系は非常に貴重。
スーツさんがカッコ良すぎて話が入ってきませーん。スーツさんが60代になっても超カッコイイーと思います。電車が大好きなスーツさんが大好きです!
大分県の日田市にあるけ元気の駅にブルートレイン2両と赤色の電気車?があるので九州に来る際にはぜひ、見てみて下さい。「乗務員の部屋等も入れますよ」
あれもうすぐ違う場所に移動しますよ
@@user-uh5xb6yv5i そうなんですか?
K志 すみません違う車両と勘違いしてました申し訳ないです
新たな別荘を見つけたスーツ
20系、思わず銀河を思い出しました。
サムネで鉄道博物館に泊めてもらったのかと思った笑
同じく
それな
それな!
どんだけ特別扱いされてるの?
って思ったw
同じくマジで⁉︎って思いました。
スーツ特別展示
こう考えたらサンライズに2万円ちょっとで乗れるの幸せだな
スーツ君も、サンライズを別荘にしているし。
2012年の8月に私が行った時は200円払えば自由に入れました。
そのころはまだSLも20系客車もまだまともな状態で保存されてました。
まさかこんな状態になっているとは…
東北人 まぁ地震の影響もあったと思いますが、観光客の事もありそうですね。
これは大宮なり京都の博物館にキチンと保存しなければならない貴重な車両ですよ。
激しく同意です。前の動画で私も訴えました。
私も同意。
ただ、保存状態があまりにも悪すぎる。ここまで荒廃が激しいと、例えJR側がお金を出して輸送したくても出来ないのでは?
屋根つけて保存しないとマズイんじゃにゃあか!?どうみてもリニ鉄は無理だが。
@@babyblue17857 訴えるより資金を。
このナロネ22と津別のキャンプ場にあるスハネ16は即刻大宮か梅小路送りにするべき貴重なものですからね。
この個室車両だけは鉄道博物館に保存してほしい。もう無いんだから。どこのJRの博物館でもいいから…
やはり、スーツさんの番組は、鉄道番組の中でも最高に面白いと思います。
豊富な人脈を駆使して貴重な映像を無料でお届けするRUclips界の"映像の世紀"になる神
子供の頃、昭和40年前後、熊本の祖母のところに行くのにB寝台3段ベッドに何回も乗りました。切符を取るのが大変で朝から親が並びに行っていました。ボーイさんがベッドを作ってくれるのを面白く眺めていました。懐かしいです。
これは文化財級の車両
ルーメットがついてる現存20系車両なんて貴重という言葉を超えるレベル
屋根つきの大きな鉄道博物館等へ絶対移すべき
スーツさんの力でなんとかならないかな…
コメント投稿したのは 輸送費だけで、1000万は超えるし、工事費だけでも300万ほどかかる上に、JR側及び、車両の持ち主の同意がねぇ
いやいや大宮鉄博が買い取ろうとしたのですが、新得町側が固持したと受け付けのおっちゃんが言ってました
ここまでボロボロなのに町側はこの状態で保存しようと思ってるのでしょうか…内装も外装も酷い…
新得町もそこまで固持するならナロネ22は大宮に譲渡して、残った9600とナロネ21とナハネ20を大切に保存すればいいのでは。
ルーメットとはなんですか?
40年以上前 今は無き寝台特急あけぼの号に乗ったことがあります。当時中学生でした。使用されていた車両が20系客車だったことを覚えています。ベッドの幅が52センチと狭く 発車時の衝撃音で満足に眠れなかった記憶があります。あけぼの号は私が乗った翌年に24系客車に置き換えられました。あけぼの号は奥羽本線経由で山形新幹線の走っている板谷峠をEF71の重連で越えていました。懐かしい思い出です。
1974年の寝台料金値上げ前のA個室寝台料金は5400円でした。
因みにB寝台料金は客車3段式1100~1200円でしたから、約5倍でした。(国鉄初乗りは30円でした。)
当時すでに特急券はマルス発売でしたが、20系個室寝台現役時には最後まで個室はマルスに収容されず、手書き発売でした。
ナロネ22はもとより、21も今となっては貴重な車両です。
しかるべき所での永久的な保存が望まれます。
昔北海道にバイクでツーリング行った時に、SLホテル泊まった事がありますよ
当時は20系の三段解放寝台だったかな、一晩3000円だったと思います。
貧乏ライダーには有り難かったなと懐かしくなりました
改めてじっくり見せて貰うと余りの酷い状態に見るのが辛いな。元から大破した残骸の旧軍兵器とは違い綺麗な状態から朽ちていく様は見るに忍びない。
私は急行天の川の20系A寝台に乗ったことがあります。
まさに動くホテルでした♪
ル-メット、ずっと気になってました まさか、あんな構造で実際に動いてるところ見てて、感動です。
今でいう飛行機のA380の個室並みですね。 その時代に乗りたかったですね
日立製の車両の歴史
あさかぜ「ルーメット」
0系新幹線
class800(英国新幹線)
が博物館に並ぶ姿をみてみたい
ブルートレインと0系、そしてクラス800が並んだら外国人鉄道マニアの間だとすごくて豪華だと評判されるはずですよ()
何故かそこに混ざる西武のミサイル
ずいぶん前に「新得にある20系客車のホテルが営業終了。他のトロッコ列車などの施設はそのまま営業します」
という記事が地元の新聞に載っていたが、こんな悲惨な状態になっていたのか。
塗り直しは良い事だが、恒久的な保存を考えるなら限界がある。
ここは冬になると零下30℃近くまで下がる道内有数の極寒の地。屋根付きの施設を作るにはそれこそ莫大な金額に加え毎年の維持費も馬鹿にならない。どこかに移転できれば一番だけど
寝台列車に詳しくない自分にも、スーツさんの説明がとてもわかりやすくて大変面白く、興味深い動画でした。
こんな客車を昔はSLが引っぱっていたんだから凄いな。ゆうづるなんて夜行列車だから視界の悪い真っ暗な真夜中を見通しの悪いSLでこんな客車を何両も引いて夜通し走るとかもはや神話レベル
初期に比べて垢抜けてどんどんイケメンになっていくな
昭和52年(1977年)の2月と7月、「あさかぜ1号」東京→博多で乗車しました。
当時、個室寝台特急の切符はマルスに入ってなくて、台帳で調べて硬券に手書きで発券してくれました。
クラウドファンディングでもやって、せめて屋根を作って欲しい……。
@クラ それは激しく同意。しかし工事費がバカにならない悪寒。
ルーメットが付いているナロネ22も特筆すべき車両ですが、隣のナロネ21 551は寝台特急「あさかぜ」が20系になった際に、その最初から連結されていた超貴重な車両です(日立製は+50番されるので、日立製ナロネ21形の製造第一号車が、新得で保存されているナロネ21 51です。51号車は1970年の改造時に+500番されて、今のナロネ21 551になっています。つまり551号車はナロネ21 1と同じ車齢であり、初代ブルートレインそのものということです)。ナロネ21とナロネ22は製造時期が違うので、解放形2段式A寝台の部分でもテーブルの形が違うなどの差異がありました。余談ですが、A個室ルーメットの寝台幅は735mmなので、寝台幅1010mmの開放型A寝台下段(サンライズのA個室は850mm)と比較すると狭いです。
この個室寝台には憧れた。
ナロネ22なんて国宝級じゃありませんか。
寝台列車って乗った事ないから想像でしかないけど、変わる景色、夕暮れ、朝焼けを車内で揺られながら眺めたのねきっと。それは現代では感じる事が少なくなった、ゆっくりした贅沢な時間だったかもね🌹
東京発九州方面行ブルートレインに使用された車両形式は、
「あさかぜ」20系→20系・14系→20系→20系・24系25型→24系25型
「はやぶさ」「富士」20系→24系24型→24系25型
「さくら」「みずほ」20系→14系14型→14系15型
というように変遷しています。
私が初めてブルートレインに乗ったのは、「さくら」(14系14型)でした。
当時、九州方面のA寝台個室といえば、「あさかぜ」のルーメット、「はやぶさ」「富士」のオロネ25があり、動くホテルの異名通りそれは豪華で、旅行の際の憧れでした。
国鉄→JRの歴史を語るうえで、これらの車両が果たした役割は非常に大きなものだと思います。
願わくば博物館などできちんと保存展示してほしいものです。
Blue train boom を小学生で迎えた. その頃から roomette は '伝説の豪華寝台車' と聞いていたが, モノは初めて見た. 狭くて質素なので逆に驚いた. これなら東京-広島(以前は横浜-広島だった)の豪華夜行バス 'Dream Sleeper' のほうが贅沢だし快適に眠れそう. ただ列車のほうが振動と騒音は少なそうだし, なにより旅情があったな. 幼心に微かに憶えている, 高度成長期の志の高さを感じた. スーツさんありがとう.
13:54 急に人が出てきて驚いたわ
こんなに貴重な車両が残っているとは、初めて知りました。
貴重な映像をありがとうございました。
ずいぶんボロボロですね…
初代ブルートレインが残っていること自体奇跡なので直してほしい。
ナロネ22は、大宮の鉄道博物館送りに出来ないものか。
本当に小さかった頃、両親にブルートレインに乗せて貰って東京へ遊びに行ったことを思い出しました✨1番覚えていることが、初めて見た平らな紙コップで水を飲んだことです☺️♪子供心に何故かそれがとても楽しくて、何回もボタンを押して水を飲んだことを思い出しました✨とても懐かしくて嬉しくなりました♪思い出させてくれて、ありがとうございます✨
ルーメットは知っていましたが、寝台セットの方法は初めて知りました!
20系客車と151系電車は1958年に特急列車の革命を起こした車両ですからね。タイムスリップしてみたいぜ!ブルートレイン+蒸気機関車の旅に!!
10数年前にSLホテル廃業後に放置されていた車両をNPOが整備された際に訪問しました。その時はナロネ22内部の照明も一部点灯されており、車両の図面が入手できれば修理したいと話されていたのが印象に残っています。
ただ現在の北海道では、最低でも行政と組まない保管はほぼ失敗に終わっているように感じます。24系や711系の惨状を見ると継続した維持は本業の鉄道会社に余力がないと悲劇的な結果になると思います。
良いですね20系
ナハネフの丸い感じがなんとも言えないレトロさを醸し出していて好きです!
小学校時代、1970年ころ さくらで長崎に行ったとき、ナロネ20系 マルスに入ってなくて 手書きの硬券の切符だったと思います。子供にはかなり広かった気がします。この他、20系には2人用個室がありました。運転停車中 ドア勝手にガタガタやって、車掌穂さんに叱られたことがあります。冷房調整スイッチ懐かしい。狩勝線ミュージアム 「新型コロナウイルスの状況を鑑み、2021年についても休館させていただきます。」みたいです。
今更ですが。博多から東京の大学を受験して、帰りはアサカゼの寝台車で地元に戻りました。懐かしいです
1:22大好きなブルートレイン客車にウッキウキで走るスーツかわいい
ナロネ20.22系の1人用個室ルーメットは子供の頃の憧れでした。後に24系の1人用A個室には乗りましたが、このルーメットの方が格調は高かったと思います。
私は今50才になりましたが、私世代の小学生の頃、鉄道好きの人は、東京駅によくブルートレインを撮りに行きました。あれから約40年きみまろ漫談じゃないけど、いろいろ時代の変化がありました。私は、ブルートレインに乗る機会がなかったけど、ある意味非常に懐かしいですね。
寝台車の独特の臭いが懐かしい、、自分は子供の頃にはつかり、青森から上野まで長々乗ってました。
ピロスケ ピロスケ タイ国鉄の24系もあの独特の匂いがするのです。車内には日本語の記載も残ってます。中国製の新車がドンドン入ってきているので、そのうちレールの上を走る国鉄形寝台車は消えちゃうカモですね。
廃墟同然化した車両に宿泊する神
どんどんスーツさんが遠い存在になっていくのが悲しくもあり、嬉しくもありますね
ルーメットを動画で見られるなんて‼️設備や内装にときめくわ✨
塗装剥離して錆び削って、鉄板切り貼りしてパテ入れて…かなりの大仕事になりそうですね。車のボディーでも百万コースですよ(笑)電車じゃ想像つかない程のレストア企画ですね!
旧狩勝峠経由の旧新内駅(1966年廃止)構内に1978年、96蒸気機関車+20系寝台車のSLホテルは15年くらい前にレンタカーで訪ねた事があります。 ナロネ21 551はそもそもナロネ21 51を1970年、大宮工場で改造・施工された際に500番台化(原番号+500)している。ナロネ22は「さくら」運転開始に合わせて製造開始された1人用1等個室(現A寝台個室)・開放式合造1等寝台(現開放A寝台)車だった。最後に列車ボーイ(車掌補・車掌掛)は扉開閉に寝台の設営や解体にドア扱い、乗客のお世話(ホームでの買物・靴磨き)や沢山の荷物を所持したお客のために駅の赤帽連絡業務。20系扉のステッカーは列車ボーイ廃止になってからだと思います。
1980年代後半に臨時の寝台特急で20系は乗ったことがあります。その頃はもう3段B寝台のモノクラス編成でしたが。高校生の頃でしたが、とにかく狭いのが記憶に残っています。
その時はドアは乗り降りが終わったら閉めてくださいと車内及び駅のホーム放送で呼びかけていましたね。それでも閉扉確認しないとインターロックが掛からないので、車掌さんが走ってチェックしていました。
ルーメットとは珍しいのがのこってましたね。
やはりロマンを感じます
保存すべき車両。
なぜ保存しない!
0:04 さっきの動画に続いて、ニワトリにも驚く神
20系はカニが保存されなかったのが惜しいですね。
せめてカニがあれば、保存車を寄せ集めてそれらしい編成が1本出来そうな・・・。
子供の時にA寝台個室に乗りました。あさかぜ号で小倉→横浜乗ったのを思い出しました。未就学児だったので親と添い寝でした。冷水器も懐かしいです。
てっぱく級の保存車両ですね!
ぜひとも美しい車体に生まれ変わった姿を拝みたいです。屋根も欲しいですね~
肥薩おれんじ鉄道から根室本線に乗り継ぐ神。
えぐいほどのレア車両や!
実際に行って見てみたいな〜
20系、懐かしですね。出入り口折戸は583系や24系など北国行きは年に何回か乗ってましたがデッキに雪が吹き込み雪が溜まってた記憶があります。
大変貴重な映像です。子供の頃はこのルーメットは憧れでした。本の写真で満足してました。B寝台、幅50数センチで三段。今からするととても狭いですが、寝られるということはゼイタクなことでした。初期のあさかぜには座席車もありましたから。それでもエアコン完備で当時は走るホテルといわれていたとか。
まだ三等制が残っていて、あさかぜの三等切符のおばあちゃんが、「私の乗る席が無い」と駅員さんに言ったとか。駅員さんが車内に案内すると「これは一等車だ。違う」とこぼしたとか。たぶん、そのおばあちゃんの意識では、三等車は背もたれが木でできている昔の客車のイメージだったんでしょうね。それほど普通座席車といえど豪華だったのでしょう。もうひとつの憧れはクロ151のパーラーカーでした。
分かりやすい解説有難うございました。
九州では箱崎の公園に20系客車が保存されていますが、修理や維持も本当大変です。
箱崎の場合は色々なら所から募金等で大成功された様です。
で、中島みゆきの「ホームにて」を聴きながら泣けてきた。
サンライズが引退したときの為にスーツレールパークを作りましょう!
この車両は我が国鉄道史において最重要クラスに入るレベル
寝台列車史では間違いなく一、二を争う存在
絶対に然るべき施設で保存してゆくべき!
0:07 にわっ、庭には二羽ニワトリていうのかと思った
20系B寝台の52cmという幅は座席の奥行きと同じで、寝台を収納し座席にして使うことを考えて作られたとされています。
昔は50センチが基準だったのだろう。潜水艦の寝台も同じ位だし、アウトドアテントの就寝人数に使われる参考就寝幅は50センチだよ。
14系以降の70㎝は、座席として使うには広過ぎでしたもんね。
20系は、座面も、背もたれも、昼間はちょっと斜めに動かすことが出来て、昼間の座り心地もとても良かったです。😌
色々懐かしく拝見しています。ブルートレインに乗り、カーテンを閉めて寝台灯を消し、窓の外に広がる景色と同等の暗さの世界に身を置く、羽越区間、26時、黒い闇の中で白波立ち荒れる日本海が広がる車窓はまるで水墨画のよう。583系三段寝台の下段、天井と窓枠との僅かな隙間に頭を潜らせて眺めた夜空、夢中で数えた無数の星たち、76迄数えて力尽き、そのまま星空に抱かれながら眠った、あれは柏崎あたりだったか。定尺レール音、微かに聞こえる機関車の咆哮を子守唄に、気が付けば夜が明ける頃、ネイビーブルーのグラデーションを帯びた空の、それはそれは美しいこと・・・。ブルートレインは、そんな、自然の機微を教えてくれた。お仕着せがましい、豪華絢爛な、ナントカ島、ナントカ風、ナントカ星、そんな、クルーズトレインなんか要らないんだ。ただ、日々、無言で走り続ける、ただそれだけのブルートレインに、再び出会える日は来るのだろうか。
ボロボロだなぁ...
修理したくなる...
今日はバイトもないので
ずっとスーツさんの動画みてました
ちょうど更新してくれて嬉しい😃
今とは信じられないくらい人手がかかっていた列車。
興味深かった
内装はアルミとステンレス多用しててあまり古さを感じさせないですねぇ
化粧版はベニヤに不燃塗料が一般的の頃だがこれも痛みが少なくて高品位
朝のベッド片付けは6時に来てましたね
6時以降は昼行の客が乗る為
ベッド片付けに来ないのは北斗星が初ではないかなと
古い塗装の下のサビ落としはケレンがけって言いますがメチャクチャ重労働であります
蒸気機関車と20系ブルートレインが保存されとる()
20系車両が日本の寝台急行・特急のすべての伝説の始まりを告げた客車列車ですね。
小坂鉄道のあけぼの24系客車動態保存は感心しますね。
ブルートレインに乗る旅は旅情あふれるものでしたが、今はもうありませんね。列車に乗りながら泊まったり、食事をしたりも楽しめました。今はスピード重視になりました。
20系ブルートレイン運行してしばらくは座席車もあったんですよねえ。
グリーン車はまだしも普通車まで。
14系のB寝台3段車を2段車に改造している時期に、『さくら』や『みずほ』などでスハネフ14の代用でスハフ14が組み込まれた時期がありました。
あの時も普通車として営業していたはず。
初期はナハ20、ナハフ20、切妻のナハフ21、一等車ナロ20があり、新幹線開業前に東京の結婚式に連れて行かれた思い出があります。通路より一段高くして座席を設置していました。
壊れかけてる本来の姿をそのままとどめたものに宿泊したものを見せてくれて興味深かったです。何度もこの寝台車が初任給と同じ金額のかかるのりものなの?という気持ちになってしまいました。
1970年頃親友が東京から山口へ引っ越しすることになった時、東京駅まで見送りに行きました。その時窓から覗き見た車内の様子がこんな感じだったのを思い出しました。
14系や24系の時代も昼行扱いの時間帯があり、朝は7時から、夜も19時まででしたね。北斗星もその扱いがありました。
手動ドアの出入口は、音楽の教科書にも載る盲目の筝曲家 宮城道雄氏の転落に代表される事故等で、扉の自動化がなされていくんですよね。
ルーメットは、初めて見ました。
貴重な映像ありがとう。
この洗面台の名残が、285のシングルDXにまで引き継がれているんだなあ。24系25形あさかぜのシングルDXに乗ったことあるんだが、洗面台は印象的だった。
同じく出雲でオロネ25A個室乗りました。
洗面台がピッカピカに磨き込まれて自分の顔が映るくらいで印象的でした。
あれほど綺麗なら洗面器に水ためて顔洗う気になれます。
@@nexson181
品川とかの客車区で、毎日入区後に磨いていたんでしょうね。いい思い出を分かち合えました。
コメントありがとう。
昔は寝台は午前7時までしか使えなかったような。
傷んでいる箇所があった場合、除去して補修した後に塗装しないと長持ちしません。
塗装するのであれば、展示車両の塗装も行っている業者に依頼するのが一番良いと思います。
同感です。アスベスト飛散防止処理などができるうちに進めて欲しいです
同い年の東京タワー🗼とはもう扱いが違いますね。みんな列車に興味を持ってくれれば良いんだけどな…
クリームぱん 住みたい沿線ランキングとかって意味ならみんな興味あると思うよ😂
マキシマム 確かにそうですね!
でも鉄道を好きになるとさまざまなな物を見る目が変わると思うので少しは興味持って欲しい!
寝台の設置・解体作業の省力化のために14系寝台車からB寝台中段が電動昇降式となり、14系15形・24系25形では2段式となり上段が固定式になりました。また、中廊下式のルーメットでは居住性に難が有るのと定員が確保出来ないので、ナロネ25形A個室寝台車では側廊下式になり、寝台も枕木方向となりました。
軽井沢の列車村思い出した。
幼少期に旅行行った時によく車内に忍び込んでたなぁ。
青春列車🚃ブルートレインって感じ😊
20系は臨時のあさかぜやら急行ってイメージ。どっちかと言うと当時は20系はハズレ車両と認識あって3段寝台はクッソ狭かった。3段寝台なら中国の現行車両が遥かに広くて快適!このA寝台同様プルマン式二段寝台はタイやインドの二等寝台みたい。ルーメットはアムトラックの個室みたい。あっちの方がやっぱり広いな 寝台セットは当然列車の係の人がやってくれた。
20系寝台車の寝台設定を開業当初の動画で見たら座席と背もたれは連動してないのが正常みたいなので、不具合ではないようです。再塗装にしても雨ざらしはもったいないです。
今の所有者は、
この先この車両をどうするつもりなのでしょうか?
この映像の状況からして、とても愛情を持って保管してるようには見えないのです。
久しぶりのブルートレイン
いいなぁ、楽しそう
憧れました、かっこいいですね😃
尾久のブルートレイン見たことある
結構綺麗だった
今はサビまみれだが。
ナロネ22が残っていたなんて!
0:00~
クイズ99人の壁でスーツさんが紹介されていた
場面
ええ声してはる。動画も良いですね。
タイトルビビったw
神はタイムスリップもできるのかと(((((
でも【北海道】w
SL hotel ってもう1つも残っていないのか. むかし家族旅行の旅先で幾つか見て, 子供心に憧れたなぁ. 結局泊まることはなかった. 泊まってみたかったなぁ.
20系が登場した当時は電車特急は走っていなかった・・・。間違いではないですが20系は昭和33年10月に特急あさかぜ号に投入。その1か月後の11月には特急こだま号が151系電車で運転開始ですね。
24系の新製個室車オロネ25が事実上全廃になってしまった今、個室寝台車の20系は非常に貴重。
スーツさんがカッコ良すぎて話が入ってきませーん。スーツさんが60代になっても超カッコイイーと思います。電車が大好きなスーツさんが大好きです!
大分県の日田市にあるけ元気の駅にブルートレイン2両と赤色の電気車?があるので九州に来る際にはぜひ、見てみて下さい。「乗務員の部屋等も入れますよ」
あれもうすぐ違う場所に移動しますよ
@@user-uh5xb6yv5i そうなんですか?
K志
すみません違う車両と勘違いしてました申し訳ないです
新たな別荘を見つけたスーツ
20系、思わず銀河を思い出しました。