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但馬故事記初めて知りました。面白そうです。籠神社の海部氏系図見たいです〜👀イタリア在住なのでなかなか神社⛩️もいけませんが日本の書店に行くこともないので今のところ、ネットが頼りです。オンラインで書籍が欲しいなあ〜と想っても、あれもこれも読みたい…ときりがなくなって、結局、絞り切れなくなって買えずじまい😥出雲口伝もネット検索だけでも色々出て来ますよね。こういうの大好きです。💓
近年注目されはじめている出雲旧家の口伝はなかなか捨て置けません。人により賛否が割れますが、丹波をある程度知る者にとっては重要なことが書かれています。海部氏系図はホアカリの系図で国宝ですが、これ以外にも丹波系の爆弾系図が存在しますのでいずれご紹介いたします。僕も数年海外生活をしていたので書籍探しのお気持ちわかります(^ ^)
@@nakabunken さま家系図とは、凄い情報が凝縮されていると想います。家系図大好き💓爆弾💣家系図、楽しみです。
@@girasole4172 横から失礼します。イタリアであれば、サンマリノに神社あります。正しく伊勢神宮から木を下賜されています。ちょとごちゃっと混ぜちゃった。。。感はありますが、マンリオ・カデロ大使が東京大神宮の方と正式に建立されています。宜しければ、ご訪問ください。お神酒がワインってw 頂いた時は、商魂たくましいって笑っちゃいましたが、ふと正しいなと感じ入ってしまいました!
@@yoshterada2727 さまコメントありがとうございます。サンマリノ神社⛩️に参拝されたのですね。私もいつか行ってみたいと想っていましたがなかなか機会がなく…でも、是非行きたいですね。お神酒がワインって、分かります〜。うちの神棚は、賢木がないので、庭の蜜柑🍊の枝で代用しています。😆橙(代々)って、縁起物と言う事で…
@@girasole4172 御存知でしたか。大変失礼致しました。大使とお話して、私もサンマリノに行きたくなりましたw鎮守の森が葡萄って、面白いですね!また、お話をお聞かせください。
出雲口伝や小説 面白そう。こういうの読むと機密文書を紐解いているみたいで ドキドキしそ〜💓
出雲の富気伝承や九州の宇佐家伝承、あるいは正統竹内さんや物部文書など、他にも僕が知らない口伝は山ほどあると思います◎それらは相矛盾する内容であるっても、それが歴史だと思います。歴史は立場によって言い分が変わるので決して統一は出来ないはずです。なので信じる信じないの前に、色んな言い分に耳を傾けるのが僕は大事だと思っています(^ ^)
但馬古事記、大変興味持ちました。出雲伝承は、正直かなり読み込んでいますが、旧糸井造家の、神床家伝承は、中世以前の話は、出雲伝承の伝承者の書籍に、取材対象としてしか出てきません。ヒボコの系図は邪馬台国事件でのタジマノモリまでに、数代は欠落していると思われ、早速に書籍を注文しました。良い情報にありつけました。有り難うございます。
コメント有り難うございます。但馬には但馬故事記以外にもディープかつ重要な古文書がいくつか存在しますが、ほとんど存在を知られていません。それらを見ても意外とヒボコについての情報は少ないのですが、僕は但馬故事記の醍醐味は日子坐王の伝承だと思っています。この日子坐王に対する解釈こそが日本古代史のカギを握っていると思います(^^)
@@nakabunken 様おお、日子坐王~。息子のヒコミチヌシ(ヒコタツヒコ)は、因幡国造家になったと記憶しています。出雲伝承ですと、記紀では隠されましたが、景初の東征で、やられちゃった前政権、崇神の前の前政権が、ヒコイマスと、その息子であるヒコミチヌシであると書かれています。つまり、本来の神武、村雲の家系の家の人物であると。ヒコイマスは一部では大変人気で、物部氏の血が入っている事で、物部的な解釈でも登場しますよね。ヒコイマスと丹波の関係については全く勉強していませんでしたので、どんなものがあるのでしょうか?
@@110nari8 様日子坐王は裏で人気がありますよね。大丹波における最重要人物だと思います。日子坐王については手がかりが多いわけではありませんが、僕の解釈をまとめて簡単にいえば、日子坐王は火明命、及びその一族の王の代名詞です。その息子は古事記では「旦波比古多々湏美知宇斯王」とある人物で、いわゆる丹波道主王(彦多都彦)です。ホツマでも親子で記されていますが、日子坐と丹波道主を混同している場合も多いですね。両者は丹波方面から東海方面にかけての神社で広く祀られていますが、三丹地域では特に多いです。但馬故事記では丹後国風土記(残欠)を補う日子坐王の伝承が多く記されており貴重です。日子坐王は丹波の王者であり、大国主となった人物で、出雲でも祀られています。息子の丹波道主(ミチウシとも)もまた丹波(丹後)の王族の代名詞です。出雲伝承でも奈良の和邇下神社が丹波道主の都の跡だと伝えていたり、海部氏(火明命の一族)の伝承でも「籠神社の御生(みあれ)神事の正体は丹波道主命である」といわれます。欠史八代の皇統は最後の開化天皇から息子の日子坐王に受け継がれ、歴史の陰で大きな力を持っているようです(^ ^)
待ってました!
すきやき坊やチャンネルも待ってます!
但馬故事記
初めて知りました。
面白そうです。
籠神社の海部氏系図
見たいです〜👀
イタリア在住なので
なかなか神社⛩️もいけませんが
日本の書店に行くこともないので
今のところ、ネットが頼りです。
オンラインで書籍が欲しいなあ〜
と想っても、あれもこれも
読みたい…ときりがなくなって、
結局、絞り切れなくなって
買えずじまい😥
出雲口伝も
ネット検索だけでも
色々出て来ますよね。
こういうの大好きです。💓
近年注目されはじめている出雲旧家の口伝はなかなか捨て置けません。人により賛否が割れますが、丹波をある程度知る者にとっては重要なことが書かれています。
海部氏系図はホアカリの系図で国宝ですが、これ以外にも丹波系の爆弾系図が存在しますのでいずれご紹介いたします。
僕も数年海外生活をしていたので書籍探しのお気持ちわかります(^ ^)
@@nakabunken さま
家系図とは、凄い情報が凝縮されていると想います。
家系図大好き💓
爆弾💣家系図、楽しみです。
@@girasole4172 横から失礼します。イタリアであれば、サンマリノに神社あります。正しく伊勢神宮から木を下賜されています。ちょとごちゃっと混ぜちゃった。。。感はありますが、マンリオ・カデロ大使が東京大神宮の方と正式に建立されています。宜しければ、ご訪問ください。お神酒がワインってw 頂いた時は、商魂たくましいって笑っちゃいましたが、ふと正しいなと感じ入ってしまいました!
@@yoshterada2727 さま
コメントありがとうございます。
サンマリノ神社⛩️に
参拝されたのですね。
私もいつか行ってみたいと
想っていましたが
なかなか機会がなく…
でも、是非行きたいですね。
お神酒がワインって、分かります〜。
うちの神棚は、賢木がないので、
庭の蜜柑🍊の枝で代用しています。😆
橙(代々)って、縁起物と言う事で…
@@girasole4172 御存知でしたか。大変失礼致しました。大使とお話して、私もサンマリノに行きたくなりましたw
鎮守の森が葡萄って、面白いですね!
また、お話をお聞かせください。
出雲口伝や小説 面白そう。こういうの読むと機密文書を紐解いているみたいで ドキドキしそ〜💓
出雲の富気伝承や九州の宇佐家伝承、あるいは正統竹内さんや物部文書など、他にも僕が知らない口伝は山ほどあると思います◎
それらは相矛盾する内容であるっても、それが歴史だと思います。歴史は立場によって言い分が変わるので決して統一は出来ないはずです。
なので信じる信じないの前に、色んな言い分に耳を傾けるのが僕は大事だと思っています(^ ^)
但馬古事記、大変興味持ちました。
出雲伝承は、正直かなり読み込んでいますが、旧糸井造家の、神床家伝承は、中世以前の話は、出雲伝承の伝承者の書籍に、取材対象としてしか出てきません。
ヒボコの系図は邪馬台国事件でのタジマノモリまでに、数代は欠落していると思われ、早速に書籍を注文しました。
良い情報にありつけました。有り難うございます。
コメント有り難うございます。但馬には但馬故事記以外にもディープかつ重要な古文書がいくつか存在しますが、ほとんど存在を知られていません。それらを見ても意外とヒボコについての情報は少ないのですが、僕は但馬故事記の醍醐味は日子坐王の伝承だと思っています。この日子坐王に対する解釈こそが日本古代史のカギを握っていると思います(^^)
@@nakabunken 様
おお、日子坐王~。息子のヒコミチヌシ(ヒコタツヒコ)は、因幡国造家になったと記憶しています。
出雲伝承ですと、記紀では隠されましたが、景初の東征で、やられちゃった前政権、崇神の前の前政権が、ヒコイマスと、その息子であるヒコミチヌシであると書かれています。
つまり、本来の神武、村雲の家系の家の人物であると。
ヒコイマスは一部では大変人気で、物部氏の血が入っている事で、物部的な解釈でも登場しますよね。
ヒコイマスと丹波の関係については全く勉強していませんでしたので、どんなものがあるのでしょうか?
@@110nari8 様
日子坐王は裏で人気がありますよね。大丹波における最重要人物だと思います。
日子坐王については手がかりが多いわけではありませんが、僕の解釈をまとめて簡単にいえば、日子坐王は火明命、及びその一族の王の代名詞です。その息子は古事記では「旦波比古多々湏美知宇斯王」とある人物で、いわゆる丹波道主王(彦多都彦)です。ホツマでも親子で記されていますが、日子坐と丹波道主を混同している場合も多いですね。両者は丹波方面から東海方面にかけての神社で広く祀られていますが、三丹地域では特に多いです。但馬故事記では丹後国風土記(残欠)を補う日子坐王の伝承が多く記されており貴重です。
日子坐王は丹波の王者であり、大国主となった人物で、出雲でも祀られています。息子の丹波道主(ミチウシとも)もまた丹波(丹後)の王族の代名詞です。
出雲伝承でも奈良の和邇下神社が丹波道主の都の跡だと伝えていたり、海部氏(火明命の一族)の伝承でも「籠神社の御生(みあれ)神事の正体は丹波道主命である」といわれます。
欠史八代の皇統は最後の開化天皇から息子の日子坐王に受け継がれ、歴史の陰で大きな力を持っているようです(^ ^)
待ってました!
すきやき坊やチャンネルも待ってます!