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祖父方の曾祖母さんが小田原出身で、関東大震災の経験で小田原では、重心の重い瓦屋根の家の被害が大きくて、再建する時トタン屋根の家が多く作られたそうです。打ちに残る昭和時代の写真だと、小田原の街並みは確かにトタン屋根の家は多く写っています。
開成町の、築160年の関東大震災で倒壊を免れた茅葺き古民家の住込み管理人しています。開成町は震源地の横にも関わらず震度5強で済んだ特異な地域。関東大震災の教訓をかぞえぶしにした文書を私が発見し、今年はジェイコムの特別番組になりました。とてもわかりやすい解説ありがとうございます。小田原にお住まいの方の口伝によるコメントも興味深いです。
既に震災を体験した古老の話も聞くことも、できなくなりました。倒壊した閑院宮さまの洋館のあった辺りは旧城郭の盛り土であったかもというお話は成程と思いました。戦国時代の遺構はかなり広いので家が建ってる場合もありそうです。有難うございました。
ありがとうございます。10年前に、東京から国府津に住み替えしてきました。大変勉強できました。
ねこまお様、コメントいただきありがとうございます。小田原への移住者が、コロナの時代になり増えてきていますが、災害を含めて小田原の歴史をご存じではない方も多いです。「あまりマイナスになる情報を提供しないほうが…」という声もいただいていますが、情報として身に着けておいたほうがいいと思い、動画にしてみました。国府津は東海道線の車庫が後ろに控えているので、小田原よりも都心へ向かう電車の数も多いので、実は人気のエリアなんですよね(別の動画で紹介しています)。重ねながら、コメントいただきありがとうございました。
小田原育ちです。祖母から阪神大震災では森戸川の近くを歩いてたら、川の水が跳ねてかかったと言ってました。戦争もあり、祖父母が無事だったから私も産まれたわけで、大変な苦難を乗り越えた先人たちに敬意。地震や津波がなければ住みやすい場所なんですけどね、小田原は。。
下曽我の線路が沈み田んぼの水が流れ込んだとの事だが9月の稲刈り前に田んぼには水は無いのでは?
小田原市に越してきた12年、移転した後にすぐに美幸浜に行きました。石ころだらけの砂のない海岸、波まで数メートルしかなくて非常に怖い。相模湾は深海であるが海岸からすぐに深くなるようでもしここに津波がきたら怖い。湘南海岸の素になった大磯海岸にも行ってみた、ここには波打ち際まで砂がある。ここは遊泳禁止だ。90年周期で巨大地震が起きている小田原、最後が関東大震災ですでに90年を過ぎているのでいつ起きても不思議でもない。
非常に良い動画でした。小田原の大正期の建築、建築医学として考察もできます。小田原市民大学院大学での公開もお願いしたく、考えております。よろしくお願いします。
村越弘和様、コメントいただきありがとうございます。小田原で実際に起こった大規模な地震被害ですから、これから起こるかもしれない災害のためにも、大きな意味にしなければならないと考えたりもします。小田原市民大学院大学での公開は、かまいません。ご自由にご活用ください。重ねながらコメントいただきありがとうございました。
火災の火が、酒匂川の上を走り川に潜って祖母は、難聴になったそうです。皆が川に飛び込んで居たそうです。
覇者の古城の跡に立つ堅忍不抜大雨土にそそりたつただ、里帰りして判る。曽我山がどんどん低くなってる事を
生まれも育ちも小田原です。高潮の件母方の祖母が、牛が流されて死んでいたと言ってました。震災時、父は家が倒壊したので、裏山の竹やぶに蚊帳を張って過ごしたと言ってました。その時母と祖父母はロサンゼルスで、セロリを作って居ました。何の拍子か、おすすめ動画で、上位に来たので、長時間でしたが、早送りなしで、見させてもらいました。何故か津波のことが言われてないのを、不思議に思っていました。根府川の沖にはレールが沈んでいます。
長谷茂太様、コメントいただきありがとうございます。この動画を作成するために、いろいろな経験談をうかがったり、資料に目を通したりしました。盛り込んでいない内容も多々あるのですが、家畜の被害も相当だったそうです。飯田岡や曽我のほうは家畜業の影響も甚大でした。根府川の山津波も当時の現場写真も拝見しましたが、車両が海岸まで流されるような大惨事でした。二度と同じようなことにならないように、日ごろから防災意識を持たないといけないですね。重ねながら、コメントいただきありがとうございました。
@@1sthousiog 祖母の実家は中町です。(先祖は、唐津から大久保の殿様についてきたらしいです。多分、秀吉の時代)UPされてる動画、続けてみてみます。
長谷茂太様、コメントいただきありがとうございます。中町は南町に次いでの代官町なので、良いトコですね。お時間あれば、お目通し頂ければ幸いでございます。
根府川駅から、関東大震災の時に、列車が海に落ちた?と聞いてます。今でも、ダイバーが海に潜ると、列車がそのまま残っているソウデス
祖母(早川もしくは水之尾)曰く『飛んでる鳥が落ちた』。
あいはらさん好き
クロコダイルパンティーさん!コメントありがとうございます。私も大好きです。
祖父方の曾祖母さんが小田原出身で、関東大震災の経験で小田原では、重心の重い瓦屋根の家の被害が大きくて、再建する時トタン屋根の家が多く作られたそうです。
打ちに残る昭和時代の写真だと、小田原の街並みは確かにトタン屋根の家は多く写っています。
開成町の、築160年の関東大震災で倒壊を免れた茅葺き古民家の住込み管理人しています。開成町は震源地の横にも関わらず震度5強で済んだ特異な地域。
関東大震災の教訓をかぞえぶしにした文書を私が発見し、今年はジェイコムの特別番組になりました。
とてもわかりやすい解説ありがとうございます。
小田原にお住まいの方の口伝によるコメントも興味深いです。
既に震災を体験した古老の話も聞くことも、できなくなりました。
倒壊した閑院宮さまの洋館のあった辺りは旧城郭の盛り土であったかもというお話は
成程と思いました。戦国時代の遺構はかなり広いので家が建ってる場合もありそうです。
有難うございました。
ありがとうございます。10年前に、東京から国府津に住み替えしてきました。大変勉強できました。
ねこまお様、コメントいただきありがとうございます。
小田原への移住者が、コロナの時代になり増えてきていますが、災害を含めて小田原の歴史をご存じではない方も多いです。
「あまりマイナスになる情報を提供しないほうが…」という声もいただいていますが、情報として身に着けておいたほうがいいと思い、動画にしてみました。
国府津は東海道線の車庫が後ろに控えているので、小田原よりも都心へ向かう電車の数も多いので、実は人気のエリアなんですよね(別の動画で紹介しています)。
重ねながら、コメントいただきありがとうございました。
小田原育ちです。祖母から阪神大震災では森戸川の近くを歩いてたら、川の水が跳ねてかかったと言ってました。戦争もあり、祖父母が無事だったから私も産まれたわけで、大変な苦難を乗り越えた先人たちに敬意。
地震や津波がなければ住みやすい場所なんですけどね、小田原は。。
下曽我の線路が沈み田んぼの水が流れ込んだとの事だが9月の稲刈り前に田んぼには水は無いのでは?
小田原市に越してきた12年、移転した後にすぐに美幸浜に行きました。石ころだらけの砂のない海岸、波まで数メートルしかなくて非常に怖い。相模湾は深海であるが海岸からすぐに深くなるようでもしここに津波がきたら怖い。湘南海岸の素になった大磯海岸にも行ってみた、ここには波打ち際まで砂がある。ここは遊泳禁止だ。90年周期で巨大地震が起きている小田原、最後が関東大震災ですでに90年を過ぎているのでいつ起きても不思議でもない。
非常に良い動画でした。小田原の大正期の建築、建築医学として考察もできます。小田原市民大学院大学での公開もお願いしたく、考えております。よろしくお願いします。
村越弘和様、コメントいただきありがとうございます。
小田原で実際に起こった大規模な地震被害ですから、これから起こるかもしれない災害のためにも、大きな意味にしなければならないと考えたりもします。
小田原市民大学院大学での公開は、かまいません。
ご自由にご活用ください。
重ねながらコメントいただきありがとうございました。
火災の火が、酒匂川の上を走り川に潜って祖母は、難聴になったそうです。皆が川に飛び込んで居たそうです。
覇者の古城の跡に立つ堅忍不抜
大雨土にそそりたつ
ただ、里帰りして判る。曽我山がどんどん低くなってる事を
生まれも育ちも小田原です。
高潮の件母方の祖母が、牛が流されて死んでいたと言ってました。
震災時、父は家が倒壊したので、裏山の竹やぶに蚊帳を張って過ごしたと言ってました。
その時母と祖父母はロサンゼルスで、セロリを作って居ました。
何の拍子か、おすすめ動画で、上位に来たので、長時間でしたが、早送りなしで、見させてもらいました。
何故か津波のことが言われてないのを、不思議に思っていました。
根府川の沖にはレールが沈んでいます。
長谷茂太様、コメントいただきありがとうございます。
この動画を作成するために、いろいろな経験談をうかがったり、資料に目を通したりしました。
盛り込んでいない内容も多々あるのですが、家畜の被害も相当だったそうです。
飯田岡や曽我のほうは家畜業の影響も甚大でした。
根府川の山津波も当時の現場写真も拝見しましたが、車両が海岸まで流されるような大惨事でした。
二度と同じようなことにならないように、日ごろから防災意識を持たないといけないですね。
重ねながら、コメントいただきありがとうございました。
@@1sthousiog 祖母の実家は中町です。(先祖は、唐津から大久保の殿様についてきたらしいです。多分、秀吉の時代)
UPされてる動画、続けてみてみます。
長谷茂太様、コメントいただきありがとうございます。
中町は南町に次いでの代官町なので、良いトコですね。
お時間あれば、お目通し頂ければ幸いでございます。
根府川駅から、関東大震災の時に、列車が海に落ちた?と聞いてます。
今でも、ダイバーが海に潜ると、列車がそのまま残っているソウデス
祖母(早川もしくは水之尾)曰く『飛んでる鳥が落ちた』。
あいはらさん好き
クロコダイルパンティーさん!コメントありがとうございます。私も大好きです。