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同級生の父親は。黒部の星になったよ。母子家庭で生活保護を受けていた。難工事で殉職者も多く出た。亡くなられた方の冥福を祈ります。
要は工事中に4んだってことね
@@ytss554言葉に気をつけろ
@@ytss554言葉遣いぐらい考えた方がいいぞ。子供なら今のうちに覚えておけ
@@ytss554 デリカシーを覚えてください。
@@ytss554お前のこと誰が好きなん?
「黒部に怪我は無い」(落ちたら即死)なんて言葉が有る程の危険度だったとか・・関係者の方々には感謝しか有りません。
宇奈月にダム工事の資料館があってそこで戦前の調査着手の写真がありました。崖に横穴を開けてそこに杭を打ち込んでその上に板を並べてせいぜい三尺幅?の棚のような道の画がありました。中国の蜀の桟道(さんどう)とほぼ同じような物だと思います。もう絶句でした。あれを渡って調査に進もうという気概が凄いですね。
確か映画にもなりましたね。主演が石原裕次郎さん、だったかな?
@@布田淳ぬのたあつし 黒部の太陽です。
下の廊下ですね登山家の方が動画をあげておられますが…ただただ恐怖です…
言っちゃ悪いけど学歴ない人はここまでやっても低所得っていうの大変だよな馬鹿にするつもりは全くないまじで
黒部ダム現場作業員の方々を黒部の戦士って言われるのも頷ける。
ダム工事に参加した有るハザマの方は、後年こんな箏をおっしゃっていたそうです。「黒部をやった経験が有ったから、その後も、困難にぶち当たっても出来無い訳が無いと思う事が出来た」っと。リーダーの中村さんに叩き込まれた黒部での教えが、その後の自分にとって大きな教えとなった、アレはまさに「黒部大学」でした、、、と。
富山県民として当時工事に携われた方たちを尊敬します。破砕帯がおきても諦めることなく7年という工期を守り6年11ヶ月で完成させたそうです。昔の人達は本当にすごい!ありがとうございました。あとお疲れ様でした。
黒部ダムや青函トンネル...先人達の想像を絶する苦労には本当に頭が上がりません。心からありがとうございます。
171名にも及ぶ殉職者の方々の犠牲があったからこそ、今こうして電気の心配をすることなく、暮らしていける。ありがとうございます。
現場での死者が171名。この他に飯場(作業員宿舎)への冬季の雪崩で120余名が亡くなっているそうです。
当時の人達が頑張ってくれたから今こうやって気軽に動画を見ていられる生活ができるんだなあ、ありがたやありがたや
ここ見てる人、土建に興味がある人だろう、ぜひ黒部ダムは一生に1回は見に行くことをおすすめする
遅いよ。2週間遅いよ。www.kurobe-dam.com/news/20201201_1.htmlというか今年は見学全滅だったのか。www.kepco.co.jp/corporate/profile/community/hokuriku/koubo/index.html
2024/06~に期待。www.asahi.com/articles/ASLBD6D81LBDPLFA00G.html
「黒部の太陽」見ました。当時の人々の熱意と使命感そして失われた命に只々頭が下がります。
見ました。 3時間半くらいありました。 2時間くらい見たところで 終わりそうもない内容なので 残りの時間調べたら 1時間半もありました。
あんまり面白くなかった・・・
思っててもここでは言うな
子供のころ、映画を学校でみて、それからダムに行った記憶があります。物資を運ぶところとか穴あけとか、圧倒されました。
富山県民なら1度は観る映画だよね笑
学生の頃に父と二人で黒部ダムに行きましたけど、その雄大さと素晴らしさにとても感動したのを今でも覚えてます。
黒部ダムと聞いて思い出すのはプロジェクトX
勝手に頭の中で地上の星が流れる
cadオペのおばちゃんから聞いたけど、とあるハザマ組の現場で働いてて、この番組放送当時、ハザマ組の全職員が正座して番組を見て、涙流してたらしい
シリーズ唯一の二度も取り上げられたレジェンドプロジェクトしかも二回目はこれまた唯一の二部作品
今思うとプロジェクトXは苦労話しを前面に出し過ぎて「大変だったんだな」という印象しか残っていないそれに対して、簡潔に概要を説明しているこの動画の素晴らしさよ
黒部系の工事は吉村昭氏の小説に載ってます。戦前も戦後も掘削技術と土木技術の総動員でいどんだ難工事だったみたいです。この頃の日本人は脅威的な力で爆発的な力を出してましたね。
くろよんは富山の、そして日本の技術者たちの誇りですよ…そして、くろよん程華もなく有名ではないが、日本の土建技術の粋を集めた常願寺川の砂防ダムも素晴らしい存在だと思うのです…もし富山に行く事があって、スケジュールに余裕があるなら是非とも砂防博物館にも足を運んでみて欲しいのです…
高熱隧道がある黒部ルートはおすすめです。実際に特別見学会で行ったことあるのですが、岩盤むき出しの、まさに手彫りトンネルが続きます。今でも暑さを感じられます。まさに先人たちの苦労の賜物ですね。
親父が黒部ダムの建設に携わったのが誇りだよ
小学校の国語の時間に黒部第四ダムって勉強しました勉強嫌いな私でしたがこれは一生懸命先生の話を聞いていました今でも建設に携わった方々はすごいなぁって思っています!
ありがとう
@@はるぽん-y6x さ
熊谷組掘削班長中山浩之さん。
観光地で行って良かったと思える所の一つがここですね。富山から立山アルペンルートを通って行ったのですが、黒部ダムは圧巻の一言でした。また、植物も標高が高い所なので、いつも見てるものと違う物が見れるのに感動したのを覚えている。いつかまた行きたい所です。
祖父がここの設計に携わってたと祖母から聞いたけど、とんでもねえ現場だな…本当にご苦労様です
伯父がこの工事の一部に携わっていたと思うとなんか凄いなといつか行きたいなと思ってます生前全く聞いていなかったのでそれを知ってびっくりしました
🇯🇵日本からの挨拶🇯🇵あなたのムービーはとてもわかりやすいです、これからもがんばってください。日本語は勉強しているのでまだ苦手ですがすみません
在日日本人定期
博士ちゃんの黒部ダム潜入を見て再度見に来ました。テレビ見ながら「ここ学研でやったとこだ!」という気分になりました。11分という短い動画で大事な部分を的確にチョイスしてるゆっくり土建図鑑さんはさすがです。
命を懸けてなにかを成し遂げるってかっこよすぎるなぁ…
どうしても黒部ダムが見たくて車を8時間走らせて見に行ったけどほんと素晴らしかった。トンネルで破砕帯を越える時、ダム全体を見渡す時、かなり感動しました。こんな規模の人工物がこんな山奥にあるなんて…と感動できるのでぜひ、巨大建造物が好きな人には見に行ってほしい。
黒部ダムを見ると無条件に聴きたくなる「地上の星」
わかる!
@田中一郎確か黒部ダムの堤体内部の通路トンネルだったと思います。
@@KamotsuDam 発電所に向かうトンネルだったかと。
あの特徴的な形に世界銀行が関わっていたとは、この間ブラタモリで見て羨ましかった
新卒エンジニアとしてK組に勤めてました。今では全く違う仕事で身を立ててますが、このチャンネルを楽しんで拝見させていただいてます。そうそう!ダムって落とした水で水車を回すんじゃなくて水の流量をコントロールするためのものなんですよね。
黒部ダムはKんべM のすけのH組ではなかったでしたっけ?
7:38 着工から1年7ヶ月、予定よりは大幅に遅れたものの大町トンネルは開通それでも当時の通常水準では3年以上かかる工事を、約1年半も早く開通するってスゲェ!しかも、破砕帯にぶち当たって土砂が流れ込んでしまったというのに・・・
山だらけの国土だというのにダム建設に向いた地質と地形を備えた場所は意外と少なく、黒四ダムも土木技術の進歩で建設が可能となったといいます。しかし近年では、比較的小規模な治水ダムですら環境破壊だと猛反対されてしまう有様。水力発電というせっかくのクリーンエネルギーも増やしようがないですね。
石油やウランはただ埋まってるだけで人間以外に利用されている様子はないが、いわゆるクリーンエネルギーと呼ばれるものはもともと自然界が利用しているエネルギーで、それを発電に使用するという事は自然界からエネルギーを奪うことになるという視点もあるいつまでも石油を掘り続けるわけにはいかないから研究は続けるべきだと思うが、今すぐ水力発電所や太陽光発電所をそこら中に作りまくる事が本当に環境に優しいかと言われると…
水の位置エネルギーや地球の熱エネルギーは生物に利用されてる訳では無いし、不可逆ではなく、他の生物とも共用可能なものでは?少なくとも固定された炭素を解放して大気汚染物質も放出する火力よりは、再生可能エネルギーの方を優先して開発すべきでしょう。一時のダム信奉は誤りだとは思いますがね。もちろん、ダムの環境負荷は物凄いものがありますし、侵食速度の速い日本だと100年程度で使い物にならなくなる遺産ですから
ちょうどいま水理学とかやってるから聞いてて楽しい
先週、黒部ダム近くの温泉に行って来ました。行く前に、このチャンネルに無いかな?と探したのですが、ないので自分で概要調べて行きました。登山やダムの観光は11月までで、12月は終わってるみたいでした。行った後だけど、扱ってくれて嬉しい。
母親が高校卒業後、黒部ダム建設現地事務所かなんかに事務として就職が一旦決まったそうなんですが、兄弟から「そんなあらくれ男ばかりの危険なところに小娘がいってはいけない」といわれて断念したそうです。就職してたら私は生まれてませんねw
黒部ダム、行ったことあるけど天候不良で移動がかなり大変だったのに、あそこまで徒歩で荷物背負って移動してその上工事って・・・本当に言葉に尽くせぬ苦労があったと忍ばれます。
黒部ダム行きました!!!その日ちょうど快晴で、虹がかかってたんでめっちゃきれいだったです!あと迫力が半端ない!
黒4ダム建設を描いた映画、黒部の太陽は素晴らしい映画。バスで10分くらいで通り過ぎるあのトンネルに19か月も費やし、約80メートルの破砕帯突破に半年以上費やしたと考えると本当に凄い工事だったと痛感しましたね。(映画観たあとに現地に観光に行ったから感動が倍になった)
中島みゆき様💓の地上の星🌠がどこからともなく🎵聞こえてくる🎶💐
オヤジが1冬越冬しました。最初は作業員として現場に入ったけれどウインチのトラブルを山林伐採してた頃の経験で修理して上に認められ電気関係の資格を持っていた事も会ってポンプの管理をしていたそうです ちなみに発電所本体工事だったのでダム本体は見ておらず30年後に見に行ったとか
黒部ダム付近の登山地図を見るたびにフシギな気持ちになったことがようやく理解できました。あんな場所にどうやってコンクリートを持ち込んだことがギモンだったとわかりました。
現場を見下ろす事の出来る高い場所にバッチャ-プラントを組んで、コンクリをこさえて、そこから出来たコンクリを専用の鉄製の容器に入れて、クレ-ンで眼下の現場に降ろしていたとか、
三船さん、裕次郎さんの映画「黒部の太陽」やプロジェクトXでの黒部ダムドキュメンタリーを観ると身震いする事必至。とてつもない事業。電気が使えるのは決して当たり前ではない。
今じゃ考えられない無茶苦茶な労働環境だったことが容易に想像できますね現場技術者・作業員からやりがい搾取することが不可能になった現代でこのような難工事をどう施工するか、土木業界にとって大きな課題だと思っています
明後日から富山旅行、勿論黒部ダム見て来ます。予備知識の段階で超面白いです、より楽しめそう。ありがとう。
本当にシールド工法を使用せずに、フォッサマグナを横断する長いトンネルが出来たと感心する。現代ならシールド工法が使えるから、幾ら難工事と言っても人死には出ないし、時間さえ掛ければ安全な工事が出来るだろうが・・。フォッサマグナの工事は何が出て来るか解らない。
昔、私は外国からエンジニアとして長野県のとあるメーカーに勤めました。お酒の好きな大先輩達はよく黒部ダムの完成までを熱く話してくれました。まあ、信州のエンジニア魂や作業戦士達には、絶対かなわないと。敬意、痛感させられた次第です。
黒部の太陽、高熱隧道は読んでて手に汗握ったなぁホウは怖いけど一度見てみたい
状況だった…。トンネルを掘り進めると、地熱帯に遭遇し岩盤の温度が140度を超えていた。温度計が140度しか測れない為に、それ以上あったと思う。その温度だとダイナマイトが自然爆発したと叔父から聞いています。その爆発に巻き込まれて死亡した仲間たちの内臓と砂利を一緒に運んだそうです。
高熱隧道の一般開放ってマジですか!!???関電のツアーに当たって行ったことはあるのですが!仙人谷の紅葉はほんとにきれいです……あれをもう一度見たくて登山始めたくらいw
ダム建設に資材、人を運ぶ鉄道を作るのに、吉村昭さんの「高熱隧道」という本に書かれている内容を見たら、いかにスケールが大きいプロジェクトかがわかる。当時の建設現場は正気の沙汰ではない環境かがわかる。じつは欅平からは地図に描かれていない鉄道がダム目前まである事も。
黒部川第三の話は、吉村昭さんの高熱隋道で小説化されていますね。
アレはトラウマものですよね😟面白いんですけどねえ🥴
石原裕次郎主演の黒部の太陽って映画を見たけど、黒部ダム建設の映画だと思って見たら大町トンネルの掘削工事部分を描いた映画で驚いた3時間の映画に出来るくらいの難工事だったんだな
破砕帯を抜けるのに7ヶ月を要したといいますからね。
トンネルの工事現場は、熊谷組の資材置き場に一大セットを組んで撮影されたのだそうです。勿論熊谷組の全面協力です。
ダムマニアの集まりで、黒部ダムは両側の重力ダムだ特徴的だから逆Mの字に線を書くだけで黒部ダムとみんなわかるからすごいよね、と言う話をしていてなるほどなと思った。
リクエストに答えて頂きありがとうございます!黒部ダムは私はまだ行ったことないですが、建設には非常に苦労がかかったダムです。これぞ日本のダムの金字塔と言える存在です。ちなみに栃木県にも全く同名の黒部ダムがありますが、富山県のと比べたら割と小規模です。
ところが栃木の黒部ダムは日本での発電用ダム第一号という重要なダムだったりします。
黒部第三については水路トンネルや軌道トンネルの現場の様子などが吉村昭さんの小説『高熱隧道』で描かれてます(雪崩の記述に若干の誇張があるそうですが…)。ダイナマイトが自然発火、暴発する岩盤…
プロジェクトx再放送から来たけど、最後に現場監督のおじいちゃんが「この人たちを覚えているのはもう私たちだけだ」って言ってたけど、それも20年前の番組だからもう覚えている人はいないんだなって。今頑張っても100年後には誰も知らないんだなって思うとなんか考えさせられる
トンネルの難工事は週刊少年ジャンプのマンガで読んで、トロリーバスでその破砕帯を通った時は感慨深いものあったなぁ。破砕帯の水はすごく冷たかったっけ。
破砕帯から噴出する水温は4度しかありません。
今も黒四ダムの資料館の近くに破砕帯の水が汲めます。
私はお城の石垣が大好きなのですが、ダムって巨大な石垣のようでロマンを感じます。
数年前夏の日に黒部大4ダムへ行きましたが、扇沢駅からトロリーバスに乗り破砕帯も通りました黒部大4ダムでは放水されていて良くこんな場所にダムを造ったものだと感心しましたがダム造りには亡くなった方の慰霊碑がありますがそりゃあこんな所にダムを造れば犠牲者も出るでしょうダムからケーブルカーに乗って大観峰駅に着いた所夏でありながら寒くて長袖シャツを着る程でしたそこからトロリーバスに乗り室堂へ行き観光バスでホテルで一泊して帰って来ました。映画「黒部の太陽」で出演した「三船敏郎」「石原裕次郎」を思い出しますね【扇沢駅で勝った上着は今でも持っていますし黒部4ダムの写真もアルバムに貼ってあります】
先人たちの子孫たちへの想いが成し遂げた奇跡のダムです。今度は私たちの世代が次世代へのプレゼントをしていきたいと思います。
風の中のすばる、砂の中の銀河、みんなどこへ行った、見送られることもなく…プロジェクトX 地上の星 懐かしいなぁ
映画のロケの一部は豊川市の熊谷組で行われました。
私と黒四ダムとの関わりです。小学生の時に黒部の太陽という黒四工事用のトンネル掘削を主題にした映画を見た。三船敏郎と石原裕次郎の共演だったと思う。破砕帯という難しい言葉をその時覚えた。男の仕事として感動的だったが、なぜかこのフィルムはお蔵入りしているようだ。大人の事情か。 また戦前の工事の大変さは吉村昭氏の高熱隧道という作品に大変良く描かれていると思う。100℃近い掘削現場で作業員に背後から水を掛けながらの作業とか、発破をかけてくずれた石の中に不発のダイナマイトが残っている恐怖など本当に凄まじいものだった。 15年ほど前に電力会社の作業用の密閉式トロッコに乗せてもらう機会があった。外は高熱ですとの説明にここかと思った。 第四発電所は今はもっぱら見学用のようで運転員は数名しかおられなかった。紅白で中島みゆきが歌ったのが自慢のようで、事務所にはその時に中島みゆきが使ったという弁当箱が飾られていた。アーチダムにはなぜか中国人観光客が沢山いて、こんな山の中にどうしてだろうと不思議に思った。きれいな発音の普通話を使っていた。
私も子供の頃観ました、感動しました。私見ですが富士山頂や海峡などのゼネコン映画❔って日本の文化だよねぇ。
ふと、熊本豪雨ですか・・・目の前で我が家と、コレクションを呑み込まれ、よく生きてたなぁ~と、実感してます。さてまだまだ、復興中ですが、やれる事やりましょう!フラッシュバック防止のために
黒部ダムでは、様々な新しい工法や掘削技術が生まれて後々のトンネル掘削技術に役立った。また、関西電力は、黒四ダム建設の費用捻出の為に、全社員が一丸となって、経費を切り詰めて、乗り越えたのも有名な話。当時、もし、黒四ダムが完成せず、失敗したら、関西電力は、倒産する可能性すらあったとも言われていて、社運をかけた大プロジェクトだったとのことです。
尊きみ はしらに捧ぐ昔、旅行で訪れた時、この慰霊碑の前であまりの殉職者の多さにショックを受けました
雪の大谷ウオークの後、トロッコ列車に乗ってダムを見学しました。破砕帯が工事の進行にとても障害になって多くの人命が失られたお話など聞きながらバスで宇奈月温泉に行ったのを思い出しました..♪
フランスの決壊事故があったからこそ黒部ダムは今も健在なんだな
一昨年ぐらいに黒部ダムと立山に行ってきた者です。破砕帯の水が美味かったw
黒四ダムの資材運搬トンネル工事は、プロジェクトXで見たなぁ。確か犠牲者も出てしまった難工事だったのだよね。日本の高度経済成長期を支えてくれた作業を行ってくれた方達に感謝を捧げたい。このサイトでは技術的側面を主眼に解説しているので、お涙頂戴になっていない点が良い
今回も安定して面白かった…昔映画で石原裕次郎のがありましたよね
確か黒部ダムはハザマが建設してるんですよね。当時の日本のゼネコンの建設レベルは既に世界トップクラスだったんですね。素晴らしい。
すぐ隣では立山カルデラの砂防工事をやってるし、日本の山岳土木が集まったような地帯ですね。
あそこ地味だけどずーっとやってて終わる気配全くないな。ただ地味すぎてスポットライトが当たりにくい。
砂防工事をしなかったら富山平野全体が数メートル埋まるくらいの土砂があるんですよね。
たびたびNHKで取り上げられますね。ブラタモリやカネオなど。黒部ダムから宇奈月温泉と繋がっていますがツアーに参加しないと難しいですね。ブラタモリではダムの中まで見れましたけど。
扇沢トロバス記念館に保存されています。アルペンルート開放中のみ訪問できます。
ぶっとんだ道路系の投稿者でも解説してくれるか期待したい!
黒三の高熱随道も好きブラック加減と悲壮感がすごい
立山黒部アルペンルート&黒部峡谷鉄度ともに見に行った事があるが欅平駅から先のルートも観光ルート化が予定されている話しはガイドが教えてくれたその内容は中々に日本の歴史における闇の部分も含まれていました
一昨年立山黒部アルペンルート行ったけど、高熱隧道通れるようになったらまた行く予定。
高熱隧道も昔よりは温度が下がっているそうですね。(・ε・` )
黒部のトロッコ鉄道は乗ったことあります。凄い絶景でしたよ。鉄道もスイッチバックが採用されてるし。
修学旅行で黒部ダムに行くときに、高熱隧道って小説読まされました笑結果色々知れて良かったですが
黒四ダム最初勤めていた会社の社員旅行で行ったことあるな特徴的な形の理由が分かったのが良かった
黒部第3ダム建設工事の様子は吉村昭の『高熱隧道』に、第4ダムの建設工事の様子は木本正次の『黒部の太陽』に詳しいですね。特に前者は脚色はあるもののトラウマものの内容です。あれほど多様な死因を描いた文学作品を私は他に知りません。2:35でさらっと言及されている雪崩被害のリスクですが、この一帯で発生する「泡雪崩」(あわなだれ・ほうなだれ)の破壊力は木造建築を数百メートル吹き飛ばすほどの破壊力です。
「高熱隧道」は面白かった🎵ヤバい描写は確かにトラウマものですしね。
中学生の頃に『高熱隧道』を読みましたが、雪崩が宿舎を谷を超えた向こうの尾根までふっとばすという記述を見て驚愕した覚えがあります。
一般には知名度はあまりないけど黒部にも青函トンネルにも熊谷組の名が。。。さすがやな。
トンネルの熊さんは有名ですもんね!
熊谷組 流石、素晴らしい!✴️日本の誇りです❣️凄い会社だったのですね✨✨✨✨🌅
昔、NHKの番組のプロジェクトXで見た事ありますね。大変な難工事だったのは覚えてますね。
黒部川第三発電所(仙石谷ダム)の資材搬入用トンネル(高熱隧道)工事は悲惨な
黒部で思い出したが和歌山県の日置川水系にある殿山(合川)ダムはこのダムのプロトタイプみたいなものなんだとか。
祖父もこの工事に携わっていたらしいけど改めて聞いてもすごいことしてたんだな…
今の関電には当時のスピリットはもはや残ってないな。
高熱隧道、泡雪崩、水平歩道と黒部周りは事故多すぎる
日電歩道や水平歩道って日本一危ない歩道ですよね。「この歩道に怪我はない。何故なら落ちたら確実に死ぬ」と聞きましたので。
この前峡谷鉄道とアルペンルート回って来ました
こういう頑張りがあったからこそ、経済が立ち直ったからほんとに感謝そしてそれのお陰で日本人は死にまで働く的な事を海外から言われやすくなったから尚更感謝
男の人が100kg女の人が40kgの荷物を1人持って登ったそうです。当時の人達の気持ちがわかりますね。
100kg!?
黒部第3発電所の難航工事については吉村昭著「高熱隧道」という小説がお勧めです。50度を超える出水に満たされた坑道で、足全体を赤黒く水膨れにしながらの発破作業。その岩盤はダイナマイトの発火温度に達しており、仕掛けて即爆発してもおかしくない。大戦による電力不足を見越した国家プロジェクトのため、多数の死者が出ようと警察は未介入。そんな常軌を逸した現場に、破格の日当で日雇い人夫が送り込まれる。絶対成功しなければならない工事、いつ襲ってくるかわからないほど殺気だった人夫達、二つの重圧に挟まれた施工監督官の目線で描かれるノンフィクション。終始、立場の違う男たちの熱気に飲まれながら、押し流されるように読み切ってしまいます。なかなか得難い読書体験です。ゆっくり土建図鑑好きなら読んでるかもしれませんが、参考までに。
ダムの放流って春一番の初放水が一年でキレイなんだよねいつか見に行きたい 黒部ダムは急流過ぎて鬼畜過ぎる場所での発電だったそして戦後まもなくの電力不足の中完成後しばらく関西地域への電力の大半支えていたからね
黒部ダムの話は、小学生の頃、児童会館の図書室にあった、あかね書房 刊 少年少女20世紀の記録第11巻「黒部ダム物語・マンモス・タンカー物語」の「黒部ダム物語」に、子供向けとは詳しく書いています。それより前に、小学校2年生の時、日活で公開された「黒部の太陽」も父親に連れて行かれて観た記憶があります。その後、大学に入ってから、キャンパス近くの古本屋で、木本正二著「黒部の太陽」も読みましたし、文春文庫から出ている「高熱隧道 吉村 昭 著」も読みました。そして、訳あって、黒三の工事、高熱隧道の部分とか、黒四で黒部ルートとかにかかわったゼネコン、富山市に本店のあるS工業という会社に就職し、そこの資料室で黒四工事が終わったあと、関係各社に出された報告集みたいなものも見ました。まあそのゼネコンは、すぐやめてしまったのですがね。やっぱり、本物の資料にはかないませんでしたよ。黒四の工事と言えば、大町ルートに焦点が当てられて小説や映画、コミックにもなっていますが、黒部ルートの10キロの隧道と、仙人ダムに作られた黒四の発電所と黒部ルートのインクラインも発電用の機材を運ぶらしく、運搬能力がすごいらしいですよ。それと泡雪崩ですが、黒三の工事の時、志合谷と阿蘇原谷で宿舎ごと雪崩で飛ばされて多大な犠牲者を出したことは、高熱隧道にも記されていますが、戦後、雪、雪崩の研究を行っている大学で、志合谷にある黒三工事の宿舎跡を利用して、そこの谷の上部に発破を仕掛けて人工雪崩を発生させて、泡雪崩の研究をしたという話もあります。ちなみに、泡雪崩とは、北陸地方の方言らしく、日本雪氷学会の雪崩分類によれば、煙型の乾雪表層雪崩になります。標高差がかなりある落差だと、雪崩の速度もかなり速度になるようですが、物理の法則から、雪崩の速度が音速を超えることはないようです。
解説の糧が素晴らしいです。ウィキーペディアより詳しくて、解り易かったです。
黒二の発電所とは思えないオシャレなモダン建築が好きだったので途中期待したのですが、今回は出番がありませんでしたね。残念(/ω\)アーチ式と重力式が合わさったのは知っていましたが、まさかフランスが影響してくるとは思ってませんでした。いつもわかりやすい解説ありがとうございます(≧▽≦)
昔の人が作ったピラミッドすげーとかなるけど。人類が滅んで新人類がダムの跡地とか見たらどうやって建てたんだよ…ってなりそう
日本人はお国のために我が身を捧げますもんね。ああ、日本人に生まれてきてよかった~。
黒四ダムはシリーズ化して色々と掘り下げて欲しいです!
偉大なる先人たちの血と涙の結晶というのが良く分かりました1度で井伊から言ってみたいけど、このコロナ過じゃなあ…
高層ビルやダムを見ると人間は凄いなといつも思う。小さい人間があんなに大きなものを作るんだから。昔、登山で黒部ダムから黒部川沿いの道、”下の廊下”を通って宇奈月温泉に降りました。記憶があいまいですが、黒部ダムの下流の川底近くまで降りた記憶があります。下から黒部ダムを見上げる感じです。”下の廊下”は、電源開発の為に作られた道で、岸壁を削って作られた道が大部分です。人間てほんとにすごい。
黒部の太陽で描かれた話をダム本体の建設工事の話だと勘違いしていたのを思い出しました。実際に黒部ダムに行ってやっと「本体を建設する前の準備段階」の話だった事に気がついて唖然としました...高熱隧道も読んでいて辛かったです。そうした積み上げで晩秋にスニーカーでホテル立山に行くなんて真似が出来てしまうのだなぁと(凍結箇所はスノーブーツでも転ぶ(実体験)のでスニーカーはNG)思いましたね。
昔、漫画で読んだ「破砕帯をぬけ」を思い出す。
黒部川第四発電所の方がダムより先に完成(1961年)したから堤体打設が終わってないにもかかわらず発電所の運転を始めてたらしい。(堤体が完成したのは1963年)今じゃ考えられないけど当時はそれほど電力需要が逼迫してたんだろうな…
土木系の学科の大学生です。土木系について解説してるチャンネルはとてもありがたいです!登録しました!
がんばってね
@@detective-eq1fj さ
建造物であるが、国鉄が臨時急行列車に「くろよん」の名前を命名したあたりに貢献度が計り知れる。
同級生の父親は。黒部の星になったよ。母子家庭で生活保護を受けていた。難工事で殉職者も多く出た。亡くなられた方の冥福を祈ります。
要は工事中に4んだってことね
@@ytss554言葉に気をつけろ
@@ytss554言葉遣いぐらい考えた方がいいぞ。子供なら今のうちに覚えておけ
@@ytss554 デリカシーを覚えてください。
@@ytss554お前のこと誰が好きなん?
「黒部に怪我は無い」(落ちたら即死)なんて言葉が有る程の危険度だったとか・・関係者の方々には感謝しか有りません。
宇奈月にダム工事の資料館があってそこで戦前の調査着手の写真が
ありました。崖に横穴を開けてそこに杭を打ち込んでその上に板を
並べてせいぜい三尺幅?の棚のような道の画がありました。
中国の蜀の桟道(さんどう)とほぼ同じような物だと思います。
もう絶句でした。あれを渡って調査に進もうという気概が凄いですね。
確か映画にもなりましたね。主演が石原裕次郎さん、だったかな?
@@布田淳ぬのたあつし
黒部の太陽です。
下の廊下ですね
登山家の方が動画をあげておられますが…
ただただ恐怖です…
言っちゃ悪いけど学歴ない人はここまでやっても低所得っていうの大変だよな
馬鹿にするつもりは全くないまじで
黒部ダム現場作業員の方々を黒部の戦士って言われるのも頷ける。
ダム工事に参加した有るハザマの方は、後年こんな箏をおっしゃっていたそうです。「黒部をやった経験が有ったから、その後も、困難にぶち当たっても出来無い訳が無いと思う事が出来た」っと。リーダーの中村さんに叩き込まれた黒部での教えが、その後の自分にとって大きな教えとなった、アレはまさに「黒部大学」でした、、、と。
富山県民として当時工事に携われた方たちを尊敬します。破砕帯がおきても諦めることなく7年という工期を守り6年11ヶ月で完成させたそうです。昔の人達は本当にすごい!ありがとうございました。あとお疲れ様でした。
黒部ダムや青函トンネル...先人達の想像を絶する苦労には本当に頭が上がりません。心からありがとうございます。
171名にも及ぶ殉職者の方々の犠牲があったからこそ、今こうして電気の心配をすることなく、暮らしていける。ありがとうございます。
現場での死者が171名。この他に飯場(作業員宿舎)への冬季の雪崩で120余名が亡くなっているそうです。
当時の人達が頑張ってくれたから今こうやって気軽に動画を見ていられる生活ができるんだなあ、ありがたやありがたや
ここ見てる人、土建に興味がある人だろう、ぜひ黒部ダムは一生に1回は見に行くことをおすすめする
遅いよ。
2週間遅いよ。www.kurobe-dam.com/news/20201201_1.html
というか今年は見学全滅だったのか。www.kepco.co.jp/corporate/profile/community/hokuriku/koubo/index.html
2024/06~に期待。
www.asahi.com/articles/ASLBD6D81LBDPLFA00G.html
「黒部の太陽」見ました。当時の人々の熱意と使命感そして失われた命に只々頭が下がります。
見ました。 3時間半くらいありました。 2時間くらい見たところで 終わりそうもない内容なので 残りの時間調べたら 1時間半もありました。
あんまり面白くなかった・・・
思っててもここでは言うな
子供のころ、映画を学校でみて、それからダムに行った記憶があります。物資を運ぶところとか穴あけとか、圧倒されました。
富山県民なら1度は観る映画だよね笑
学生の頃に父と二人で黒部ダムに行きましたけど、その雄大さと素晴らしさにとても感動したのを今でも覚えてます。
黒部ダムと聞いて思い出すのはプロジェクトX
勝手に頭の中で地上の星が流れる
cadオペのおばちゃんから聞いたけど、とあるハザマ組の現場で働いてて、この番組放送当時、ハザマ組の全職員が正座して番組を見て、涙流してたらしい
シリーズ唯一の二度も取り上げられたレジェンドプロジェクト
しかも二回目はこれまた唯一の二部作品
今思うとプロジェクトXは苦労話しを前面に出し過ぎて
「大変だったんだな」という印象しか残っていない
それに対して、簡潔に概要を説明しているこの動画の素晴らしさよ
黒部系の工事は吉村昭氏の小説に載ってます。戦前も戦後も掘削技術と土木技術の総動員でいどんだ難工事だったみたいです。この頃の日本人は脅威的な力で爆発的な力を出してましたね。
くろよんは富山の、そして日本の技術者たちの誇りですよ…
そして、くろよん程華もなく有名ではないが、日本の土建技術の粋を集めた常願寺川の砂防ダムも素晴らしい存在だと思うのです…
もし富山に行く事があって、スケジュールに余裕があるなら是非とも砂防博物館にも足を運んでみて欲しいのです…
高熱隧道がある黒部ルートはおすすめです。
実際に特別見学会で行ったことあるのですが、
岩盤むき出しの、まさに手彫りトンネルが続きます。
今でも暑さを感じられます。
まさに先人たちの苦労の賜物ですね。
親父が黒部ダムの建設に携わったのが誇りだよ
小学校の国語の時間に黒部第四ダムって勉強しました
勉強嫌いな私でしたがこれは一生懸命先生の話を聞いていました
今でも建設に携わった方々はすごいなぁって思っています!
ありがとう
@@はるぽん-y6x さ
熊谷組掘削班長中山浩之さん。
観光地で行って良かったと思える所の一つがここですね。富山から立山アルペンルートを通って行ったのですが、黒部ダムは圧巻の一言でした。また、植物も標高が高い所なので、いつも見てるものと違う物が見れるのに感動したのを覚えている。いつかまた行きたい所です。
祖父がここの設計に携わってたと祖母から聞いたけど、とんでもねえ現場だな…
本当にご苦労様です
伯父がこの工事の一部に携わっていたと思うとなんか凄いなと
いつか行きたいなと思ってます
生前全く聞いていなかったので
それを知ってびっくりしました
🇯🇵日本からの挨拶🇯🇵あなたのムービーはとてもわかりやすいです、これからもがんばってください。日本語は勉強しているのでまだ苦手ですがすみません
在日日本人定期
博士ちゃんの黒部ダム潜入を見て再度見に来ました。テレビ見ながら「ここ学研でやったとこだ!」という気分になりました。11分という短い動画で大事な部分を的確にチョイスしてるゆっくり土建図鑑さんはさすがです。
命を懸けてなにかを成し遂げるってかっこよすぎるなぁ…
どうしても黒部ダムが見たくて車を8時間走らせて見に行ったけどほんと素晴らしかった。
トンネルで破砕帯を越える時、ダム全体を見渡す時、かなり感動しました。
こんな規模の人工物がこんな山奥にあるなんて…
と感動できるのでぜひ、巨大建造物が好きな人には見に行ってほしい。
黒部ダムを見ると無条件に聴きたくなる「地上の星」
わかる!
@田中一郎確か黒部ダムの堤体内部の通路トンネルだったと思います。
@@KamotsuDam 発電所に向かうトンネルだったかと。
あの特徴的な形に世界銀行が関わっていたとは、この間ブラタモリで見て羨ましかった
新卒エンジニアとしてK組に勤めてました。今では全く違う仕事で身を立ててますが、このチャンネルを楽しんで拝見させていただいてます。そうそう!ダムって落とした水で水車を回すんじゃなくて水の流量をコントロールするためのものなんですよね。
黒部ダムはKんべM のすけのH組ではなかったでしたっけ?
7:38 着工から1年7ヶ月、予定よりは大幅に遅れたものの大町トンネルは開通
それでも当時の通常水準では3年以上かかる工事を、約1年半も早く開通するってスゲェ!
しかも、破砕帯にぶち当たって土砂が流れ込んでしまったというのに・・・
山だらけの国土だというのにダム建設に向いた地質と地形を備えた場所は意外と少なく、黒四ダムも土木技術の進歩で建設が可能となったといいます。しかし近年では、比較的小規模な治水ダムですら環境破壊だと猛反対されてしまう有様。水力発電というせっかくのクリーンエネルギーも増やしようがないですね。
石油やウランはただ埋まってるだけで人間以外に利用されている様子はないが、いわゆるクリーンエネルギーと呼ばれるものはもともと自然界が利用しているエネルギーで、それを発電に使用するという事は自然界からエネルギーを奪うことになる
という視点もある
いつまでも石油を掘り続けるわけにはいかないから研究は続けるべきだと思うが、今すぐ水力発電所や太陽光発電所をそこら中に作りまくる事が本当に環境に優しいかと言われると…
水の位置エネルギーや地球の熱エネルギーは生物に利用されてる訳では無いし、不可逆ではなく、他の生物とも共用可能なものでは?
少なくとも固定された炭素を解放して大気汚染物質も放出する火力よりは、再生可能エネルギーの方を優先して開発すべきでしょう。一時のダム信奉は誤りだとは思いますがね。もちろん、ダムの環境負荷は物凄いものがありますし、侵食速度の速い日本だと100年程度で使い物にならなくなる遺産ですから
ちょうどいま水理学とかやってるから聞いてて楽しい
先週、黒部ダム近くの温泉に行って来ました。行く前に、このチャンネルに無いかな?と探したのですが、ないので自分で概要調べて行きました。
登山やダムの観光は11月までで、12月は終わってるみたいでした。
行った後だけど、扱ってくれて嬉しい。
母親が高校卒業後、黒部ダム建設現地事務所かなんかに事務として就職が一旦決まったそうなんですが、兄弟から「そんなあらくれ男ばかりの危険なところに小娘がいってはいけない」といわれて断念したそうです。就職してたら私は生まれてませんねw
黒部ダム、行ったことあるけど天候不良で移動がかなり大変だったのに、あそこまで徒歩で荷物背負って移動してその上工事って・・・
本当に言葉に尽くせぬ苦労があったと忍ばれます。
黒部ダム行きました!!!その日ちょうど快晴で、虹がかかってたんでめっちゃきれいだったです!あと迫力が半端ない!
黒4ダム建設を描いた映画、黒部の太陽は素晴らしい映画。
バスで10分くらいで通り過ぎるあのトンネルに19か月も費やし、約80メートルの破砕帯突破に半年以上費やしたと考えると本当に凄い工事だったと痛感しましたね。(映画観たあとに現地に観光に行ったから感動が倍になった)
中島みゆき様💓の地上の星🌠がどこからともなく🎵聞こえてくる🎶💐
オヤジが1冬越冬しました。最初は作業員として現場に入ったけれどウインチのトラブルを山林伐採してた頃の経験で修理して上に認められ電気関係の資格を持っていた事も会ってポンプの管理をしていたそうです ちなみに発電所本体工事だったのでダム本体は見ておらず30年後に見に行ったとか
黒部ダム付近の登山地図を見るたびにフシギな気持ちになったことがようやく理解できました。あんな場所にどうやってコンクリートを持ち込んだことがギモンだったとわかりました。
現場を見下ろす事の出来る高い場所にバッチャ-プラントを組んで、コンクリをこさえて、そこから出来たコンクリを専用の鉄製の容器に入れて、クレ-ンで眼下の現場に降ろしていたとか、
三船さん、裕次郎さんの映画「黒部の太陽」やプロジェクトXでの黒部ダムドキュメンタリーを観ると身震いする事必至。とてつもない事業。電気が使えるのは決して当たり前ではない。
今じゃ考えられない無茶苦茶な労働環境だったことが容易に想像できますね
現場技術者・作業員からやりがい搾取することが不可能になった現代で
このような難工事をどう施工するか、土木業界にとって大きな課題だと思っています
明後日から富山旅行、勿論黒部ダム見て来ます。予備知識の段階で超面白いです、より楽しめそう。ありがとう。
本当にシールド工法を使用せずに、フォッサマグナを横断する長いトンネルが出来たと感心する。現代ならシールド工法が使えるから、幾ら難工事と言っても人死には出ないし、時間さえ掛ければ安全な工事が出来るだろうが・・。フォッサマグナの工事は何が出て来るか解らない。
昔、私は外国からエンジニアとして長野県のとあるメーカーに勤めました。お酒の好きな大先輩達はよく黒部ダムの完成までを熱く話してくれました。
まあ、信州のエンジニア魂や作業戦士達には、絶対かなわないと。敬意、痛感させられた次第です。
黒部の太陽、高熱隧道は読んでて手に汗握ったなぁ
ホウは怖いけど一度見てみたい
状況だった…。トンネルを掘り進めると、地熱帯に遭遇し岩盤の温度が140度を超えていた。温度計が140度しか測れない為に、それ以上あったと思う。その温度だとダイナマイトが自然爆発したと叔父から聞いています。その爆発に巻き込まれて死亡した仲間たちの内臓と砂利を一緒に運んだそうです。
高熱隧道の一般開放ってマジですか!!???
関電のツアーに当たって行ったことはあるのですが!
仙人谷の紅葉はほんとにきれいです……あれをもう一度見たくて登山始めたくらいw
ダム建設に資材、人を運ぶ鉄道を作るのに、吉村昭さんの「高熱隧道」という本に書かれている内容を見たら、いかにスケールが大きいプロジェクトかがわかる。当時の建設現場は正気の沙汰ではない環境かがわかる。じつは欅平からは地図に描かれていない鉄道がダム目前まである事も。
黒部川第三の話は、吉村昭さんの高熱隋道で小説化されていますね。
アレはトラウマものですよね😟
面白いんですけどねえ🥴
石原裕次郎主演の黒部の太陽って映画を見たけど、
黒部ダム建設の映画だと思って見たら大町トンネルの掘削工事部分を描いた映画で驚いた
3時間の映画に出来るくらいの難工事だったんだな
破砕帯を抜けるのに7ヶ月を要したといいますからね。
トンネルの工事現場は、熊谷組の資材置き場に一大セットを組んで撮影されたのだそうです。勿論熊谷組の全面協力です。
ダムマニアの集まりで、黒部ダムは両側の重力ダムだ特徴的だから逆Mの字に線を書くだけで黒部ダムとみんなわかるからすごいよね、と言う話をしていてなるほどなと思った。
リクエストに答えて頂きありがとうございます!黒部ダムは私はまだ行ったことないですが、建設には非常に苦労がかかったダムです。これぞ日本のダムの金字塔と言える存在です。ちなみに栃木県にも全く同名の黒部ダムがありますが、富山県のと比べたら割と小規模です。
ところが栃木の黒部ダムは日本での発電用ダム第一号という重要なダムだったりします。
黒部第三については水路トンネルや軌道トンネルの現場の様子などが吉村昭さんの小説『高熱隧道』で描かれてます(雪崩の記述に若干の誇張があるそうですが…)。ダイナマイトが自然発火、暴発する岩盤…
プロジェクトx再放送から来たけど、最後に現場監督のおじいちゃんが「この人たちを覚えているのはもう私たちだけだ」って言ってたけど、それも20年前の番組だからもう覚えている人はいないんだなって。今頑張っても100年後には誰も知らないんだなって思うとなんか考えさせられる
トンネルの難工事は週刊少年ジャンプのマンガで読んで、トロリーバスでその破砕帯を通った時は感慨深いものあったなぁ。
破砕帯の水はすごく冷たかったっけ。
破砕帯から噴出する水温は4度しかありません。
今も黒四ダムの資料館の近くに破砕帯の水が汲めます。
私はお城の石垣が大好きなのですが、ダムって巨大な石垣のようでロマンを感じます。
数年前夏の日に黒部大4ダムへ行きましたが、扇沢駅からトロリーバスに乗り破砕帯も通りました
黒部大4ダムでは放水されていて良くこんな場所にダムを造ったものだと感心しましたが
ダム造りには亡くなった方の慰霊碑がありますがそりゃあこんな所にダムを造れば犠牲者も出るでしょう
ダムからケーブルカーに乗って大観峰駅に着いた所夏でありながら寒くて長袖シャツを着る程でした
そこからトロリーバスに乗り室堂へ行き観光バスでホテルで一泊して帰って来ました。
映画「黒部の太陽」で出演した「三船敏郎」「石原裕次郎」を思い出しますね
【扇沢駅で勝った上着は今でも持っていますし黒部4ダムの写真もアルバムに貼ってあります】
先人たちの子孫たちへの想いが成し遂げた奇跡のダムです。今度は私たちの世代が次世代へのプレゼントをしていきたいと思います。
風の中のすばる、砂の中の銀河、みんなどこへ行った、見送られることもなく…プロジェクトX 地上の星 懐かしいなぁ
映画のロケの一部は豊川市の熊谷組で行われました。
私と黒四ダムとの関わりです。
小学生の時に黒部の太陽という黒四工事用のトンネル掘削を主題にした
映画を見た。
三船敏郎と石原裕次郎の共演だったと思う。破砕帯という難しい言葉を
その時覚えた。男の仕事として感動的だったが、なぜかこのフィルムは
お蔵入りしているようだ。大人の事情か。
また戦前の工事の大変さは吉村昭氏の高熱隧道という作品に大変良く
描かれていると思う。
100℃近い掘削現場で作業員に背後から水を掛けながらの作業とか、
発破をかけてくずれた石の中に不発のダイナマイトが残っている
恐怖など本当に凄まじいものだった。
15年ほど前に電力会社の作業用の密閉式トロッコに乗せてもらう
機会があった。外は高熱ですとの説明にここかと思った。
第四発電所は今はもっぱら見学用のようで運転員は数名しかおられ
なかった。
紅白で中島みゆきが歌ったのが自慢のようで、事務所にはその時に
中島みゆきが使ったという弁当箱が飾られていた。
アーチダムにはなぜか中国人観光客が沢山いて、こんな山の中に
どうしてだろうと不思議に思った。きれいな発音の普通話を使っていた。
私も子供の頃観ました、感動しました。私見ですが富士山頂や海峡などのゼネコン映画❔って日本の文化だよねぇ。
ふと、熊本豪雨ですか・・・
目の前で我が家と、コレクションを呑み込まれ、よく生きてたなぁ~と、実感してます。
さてまだまだ、復興中ですが、やれる事やりましょう!フラッシュバック防止のために
黒部ダムでは、様々な新しい工法や掘削技術が生まれて後々のトンネル掘削技術に役立った。
また、関西電力は、黒四ダム建設の費用捻出の為に、全社員が一丸となって、経費を切り詰めて、乗り越えたのも有名な話。
当時、もし、黒四ダムが完成せず、失敗したら、関西電力は、倒産する可能性すらあったとも言われていて、社運をかけた大プロジェクトだったとのことです。
尊きみ はしらに捧ぐ
昔、旅行で訪れた時、この慰霊碑の前であまりの殉職者の多さにショックを受けました
雪の大谷ウオークの後、トロッコ列車に乗ってダムを見学しました。破砕帯が工事の進行に
とても障害になって多くの人命が失られたお話など聞きながらバスで宇奈月温泉に行ったのを
思い出しました..♪
フランスの決壊事故があったからこそ
黒部ダムは今も健在なんだな
一昨年ぐらいに黒部ダムと立山に行ってきた者です。
破砕帯の水が美味かったw
黒四ダムの資材運搬トンネル工事は、プロジェクトXで見たなぁ。
確か犠牲者も出てしまった難工事だったのだよね。
日本の高度経済成長期を支えてくれた作業を行ってくれた方達に感謝を捧げたい。
このサイトでは技術的側面を主眼に解説しているので、お涙頂戴になっていない点が良い
今回も安定して面白かった…昔映画で石原裕次郎のがありましたよね
確か黒部ダムはハザマが建設してるんですよね。当時の日本のゼネコンの建設レベルは既に世界トップクラスだったんですね。素晴らしい。
すぐ隣では立山カルデラの砂防工事をやってるし、日本の山岳土木が集まったような地帯ですね。
あそこ地味だけどずーっとやってて終わる気配全くないな。ただ地味すぎてスポットライトが当たりにくい。
砂防工事をしなかったら富山平野全体が数メートル埋まるくらいの土砂があるんですよね。
たびたびNHKで取り上げられますね。ブラタモリやカネオなど。
黒部ダムから宇奈月温泉と繋がっていますがツアーに参加しないと難しいですね。
ブラタモリではダムの中まで見れましたけど。
扇沢トロバス記念館に保存されています。
アルペンルート開放中のみ訪問できます。
ぶっとんだ道路系の投稿者でも解説してくれるか期待したい!
黒三の高熱随道も好き
ブラック加減と悲壮感がすごい
立山黒部アルペンルート&黒部峡谷鉄度ともに見に行った事があるが
欅平駅から先のルートも観光ルート化が予定されている話しはガイドが教えてくれた
その内容は中々に日本の歴史における闇の部分も含まれていました
一昨年立山黒部アルペンルート行ったけど、高熱隧道通れるようになったらまた行く予定。
高熱隧道も昔よりは温度が下がっているそうですね。(・ε・` )
黒部のトロッコ鉄道は乗ったことあります。
凄い絶景でしたよ。
鉄道もスイッチバックが採用されてるし。
修学旅行で黒部ダムに行くときに、高熱隧道って小説読まされました笑
結果色々知れて良かったですが
黒四ダム最初勤めていた会社の社員旅行で行ったことあるな
特徴的な形の理由が分かったのが良かった
黒部第3ダム建設工事の様子は吉村昭の『高熱隧道』に、第4ダムの建設工事の様子は木本正次の『黒部の太陽』に詳しいですね。
特に前者は脚色はあるもののトラウマものの内容です。あれほど多様な死因を描いた文学作品を私は他に知りません。
2:35でさらっと言及されている雪崩被害のリスクですが、この一帯で発生する「泡雪崩」(あわなだれ・ほうなだれ)の破壊力は木造建築を数百メートル吹き飛ばすほどの破壊力です。
「高熱隧道」は面白かった🎵
ヤバい描写は確かにトラウマものですしね。
中学生の頃に『高熱隧道』を読みましたが、雪崩が宿舎を谷を超えた向こうの尾根までふっとばすという記述を見て驚愕した覚えがあります。
一般には知名度はあまりないけど黒部にも青函トンネルにも熊谷組の名が。。。
さすがやな。
トンネルの熊さんは有名ですもんね!
熊谷組 流石、素晴らしい!✴️
日本の誇りです❣️凄い会社だったのですね✨✨✨✨🌅
昔、NHKの番組のプロジェクトXで見た事ありますね。大変な難工事だったのは覚えてますね。
黒部川第三発電所(仙石谷ダム)の
資材搬入用トンネル(高熱隧道)工事は悲惨な
黒部で思い出したが和歌山県の日置川水系にある殿山(合川)ダムはこのダムのプロトタイプみたいなものなんだとか。
祖父もこの工事に携わっていたらしいけど改めて聞いてもすごいことしてたんだな…
今の関電には当時のスピリットはもはや残ってないな。
高熱隧道、泡雪崩、水平歩道と黒部周りは事故多すぎる
日電歩道や水平歩道って日本一危ない歩道ですよね。「この歩道に怪我はない。何故なら落ちたら確実に死ぬ」と聞きましたので。
この前峡谷鉄道とアルペンルート回って来ました
こういう頑張りがあったからこそ、
経済が立ち直ったからほんとに感謝
そしてそれのお陰で日本人は死にまで働く的な事を
海外から言われやすくなったから尚更感謝
男の人が100kg女の人が40kgの荷物を1人持って登ったそうです。
当時の人達の気持ちがわかりますね。
100kg!?
黒部第3発電所の難航工事については吉村昭著「高熱隧道」という小説がお勧めです。50度を超える出水に満たされた坑道で、足全体を赤黒く水膨れにしながらの発破作業。その岩盤はダイナマイトの発火温度に達しており、仕掛けて即爆発してもおかしくない。大戦による電力不足を見越した国家プロジェクトのため、多数の死者が出ようと警察は未介入。そんな常軌を逸した現場に、破格の日当で日雇い人夫が送り込まれる。絶対成功しなければならない工事、いつ襲ってくるかわからないほど殺気だった人夫達、二つの重圧に挟まれた施工監督官の目線で描かれるノンフィクション。
終始、立場の違う男たちの熱気に飲まれながら、押し流されるように読み切ってしまいます。なかなか得難い読書体験です。
ゆっくり土建図鑑好きなら読んでるかもしれませんが、参考までに。
ダムの放流って春一番の初放水が一年でキレイなんだよねいつか見に行きたい
黒部ダムは急流過ぎて鬼畜過ぎる場所での発電だったそして戦後まもなくの電力不足の中完成後しばらく関西地域への電力の大半支えていたからね
黒部ダムの話は、小学生の頃、児童会館の図書室にあった、あかね書房 刊 少年少女20世紀の記録第11巻「黒部ダム物語・マンモス・タンカー物語」の「黒部ダム物語」に、子供向けとは詳しく書いています。それより前に、小学校2年生の時、日活で公開された「黒部の太陽」も父親に連れて行かれて観た記憶があります。その後、大学に入ってから、キャンパス近くの古本屋で、木本正二著「黒部の太陽」も読みましたし、文春文庫から出ている「高熱隧道 吉村 昭 著」も読みました。そして、訳あって、黒三の工事、高熱隧道の部分とか、黒四で黒部ルートとかにかかわったゼネコン、富山市に本店のあるS工業という会社に就職し、そこの資料室で黒四工事が終わったあと、関係各社に出された報告集みたいなものも見ました。まあそのゼネコンは、すぐやめてしまったのですがね。やっぱり、本物の資料にはかないませんでしたよ。
黒四の工事と言えば、大町ルートに焦点が当てられて小説や映画、コミックにもなっていますが、黒部ルートの10キロの隧道と、仙人ダムに作られた黒四の発電所と黒部ルートのインクラインも発電用の機材を運ぶらしく、運搬能力がすごいらしいですよ。
それと泡雪崩ですが、黒三の工事の時、志合谷と阿蘇原谷で宿舎ごと雪崩で飛ばされて多大な犠牲者を出したことは、高熱隧道にも記されていますが、戦後、雪、雪崩の研究を行っている大学で、志合谷にある黒三工事の宿舎跡を利用して、そこの谷の上部に発破を仕掛けて人工雪崩を発生させて、泡雪崩の研究をしたという話もあります。
ちなみに、泡雪崩とは、北陸地方の方言らしく、日本雪氷学会の雪崩分類によれば、煙型の乾雪表層雪崩になります。標高差がかなりある落差だと、雪崩の速度もかなり速度になるようですが、物理の法則から、雪崩の速度が音速を超えることはないようです。
解説の糧が素晴らしいです。ウィキーペディアより詳しくて、解り易かったです。
黒二の発電所とは思えないオシャレなモダン建築が好きだったので途中期待したのですが、今回は出番がありませんでしたね。残念(/ω\)
アーチ式と重力式が合わさったのは知っていましたが、まさかフランスが影響してくるとは思ってませんでした。
いつもわかりやすい解説ありがとうございます(≧▽≦)
昔の人が作ったピラミッドすげーとかなるけど。
人類が滅んで新人類がダムの跡地とか見たらどうやって建てたんだよ…ってなりそう
日本人はお国のために我が身を捧げますもんね。
ああ、日本人に生まれてきてよかった~。
黒四ダムはシリーズ化して色々と掘り下げて欲しいです!
偉大なる先人たちの血と涙の結晶というのが良く分かりました
1度で井伊から言ってみたいけど、このコロナ過じゃなあ…
高層ビルやダムを見ると人間は凄いなといつも思う。小さい人間があんなに大きなものを作るんだから。
昔、登山で黒部ダムから黒部川沿いの道、”下の廊下”を通って宇奈月温泉に降りました。
記憶があいまいですが、黒部ダムの下流の川底近くまで降りた記憶があります。下から黒部ダムを見上げる感じです。
”下の廊下”は、電源開発の為に作られた道で、岸壁を削って作られた道が大部分です。人間てほんとにすごい。
黒部の太陽で描かれた話をダム本体の建設工事の話だと勘違いしていたのを思い出しました。実際に黒部ダムに行ってやっと「本体を建設する前の準備段階」の話だった事に気がついて唖然としました...高熱隧道も読んでいて辛かったです。そうした積み上げで晩秋にスニーカーでホテル立山に行くなんて真似が出来てしまうのだなぁと(凍結箇所はスノーブーツでも転ぶ(実体験)のでスニーカーはNG)思いましたね。
昔、漫画で読んだ「破砕帯をぬけ」を思い出す。
黒部川第四発電所の方がダムより先に完成(1961年)したから堤体打設が終わってないにもかかわらず発電所の運転を始めてたらしい。(堤体が完成したのは1963年)
今じゃ考えられないけど当時はそれほど電力需要が逼迫してたんだろうな…
土木系の学科の大学生です。
土木系について解説してるチャンネルはとてもありがたいです!
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がんばってね
@@detective-eq1fj さ
建造物であるが、国鉄が臨時急行列車に「くろよん」の名前を命名したあたりに貢献度が計り知れる。