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そりゃあ苦労してようやく開墾して国を作ったところ、国を譲れと言われたらたまりませんわなぁ。恨み節の一つも言いたくなりますわなぁ。天津神が集まって色々話し合いされてもむかつきますわなぁ。
重さ5トンも有る巨大注連縄造りが延々と現代まで伝承されて来ただけでも凄いと思います。
いつも楽しく拝聴しています♪これからも楽しく拝聴させていただきます^ ^
巫女よりも神社にくわしい魔女・・・。
そこはツッコミたくなるよね。説明する役と聞く役を逆にするべきだったよね、今回は。
250年以上も経ってるのに5tもあるしめ縄をぶら下げられる社殿の耐久性というかも凄い😅
あれは40年前に建てられた神楽殿っていう会館です
出雲族は、インドのドラヴィダ族が北方を通って日本に来たと言われています。出雲口伝で。だからインドのある西を向いているのではないでしょうか。
出雲口伝のご紹介ありがとうございます。出雲族が中部インド🇮🇳人ドラビィタ族であったことから、西を向いて建てられた。それも遠因としてはあるかもしれないですが、元々南向きではないのは、他の方のコメントにもあるように、杵築大社が古い神社であったことによるものの様です。杵築大社の建築様式は大社造りと呼ばれ、本殿の入り口が正面から少しずれた場所に作られており、これは、杵築大社などの大社造り建築のモデルになったと言われる神魂神社の造りから来ているものと思います。神魂神社は元々東出雲王家向家のちに富家の宮殿をそのまま神社としたものであったため、玄関にあたる入り口は、入ってすぐに私的空間が見えない様に、周り廊下があり、その奥に居間と、神棚がある夫婦の寝室が配置されており、そのため特に玄関の方角を南向きにしたりのちにシナから伝わった鬼門を避けるという習慣はなかった様ですね。
稲作が大陸からとか、弥生人がやって来たとか、そろそろ止めにしない?縄文中期から後期に日本では水耕栽培してたって遺跡から出てきてなかったかなぁ…
縄文時代の米が発見されたっていうのがあったね。縄文時代に大きな争いの跡もなかったっていう 話もあったね。
個人的にですが稲作文化は日本がルーツ!だけではなく大陸からも稲作が伝わった2次元で見るべきだと思います。対馬には弥生前期から大陸由来の石器が出土し、壱岐には稲作と関わりの深い暦の神様の本拠地、月読神社があるのはやはり無視は出来ません。更に深掘りをすればその大陸由来というのも米のDNAを調べたら任那であったとか、そういう結果が出ればまた意味合いは違ってくるでしょうが、どちらにせよ現段階で稲作は日本がルーツと決めつけるには時期尚早ではないでしょうか?もっと調査が進むのを待ちましょう。私が無知なだけかも知れませんが、縄文時代からの稲作と大陸から伝わった稲作、それぞれ融合していったのか、はたまたどちらかが淘汰されたのかとか、その辺りも知りたいところです。
動画内で「多くの神社は南向きに建てられている」と説明がありましたが、これは「天子は南面する」という中国の古い思想の影響によるものです。つまり本殿や御神座の向きが南向きではない神社は逆説的に中国の文化が伝来する以前の古い風習を残している神社とも考えられます。ちなみに出雲大社以外の南向きではない神社は鹿島神宮・諏訪大社・大神神社・宗像大社などが該当します。
人を神格化した祭神とは違い、神様を封じ込めるなら日本一の大しめ縄の巨大さも納得できるな。
大神神社の、なでウサギも何か関連が有ると思いますね。
[いずもおおやしろ]ではなく[いづもおおやしろ]と聞きました。
5柱は明治政府により国つ神から天津神に変えられました。江戸時代までは5柱は大国主ファミリーです。
出雲大社は高い階段とかありますか。
以前、参拝させていただきましたが、「しめ縄に願いをかけてお金(コイン)を投げ、刺さると運が開ける。」という誤情報を信じたため、別のRUclipsの投稿で「やってはいけない行為ですよ‼」との投稿があったため、御詫びもかねて再度、8月の頭に参拝させていただきましたが、本来、第一鳥居から順番に通って参拝するところ、工事のため第一鳥居をクグルことができませんでした。この場合、大国主命の「再度、出直してこい」との暗示なのでしょうか? なお、出雲蕎麦や出雲ぜんざいも堪能させていただき、出雲大社の西側の海岸の岩の祠もお参りしました。 なお、「霊夢さん」って、神社の巫女さんの設定ではなかったでしょうか?(今回、巫女にしては、知らないことが多かった様な?)
1:52八百万(やおよろず)を800万て言うのはちょっと…意味は数量の800万ではなく、「多くのありとあらゆる」、「数限りない」なので算用数字を使うのは相応しく無い気がします。
杵築(出雲)大社。は、716年に元出雲王家の2家か協力、共同して建立落成した。国や今の出雲国造家は一切関わりないどころか出雲王国が3世紀末に滅亡した後も出雲地方に強い影響力や財力をもつ不気味な2つの元王家の財力をそぐ為に大社の建立を唆した。
森岩光様、出雲口伝の伝承をご紹介ありがとうございます。奈良時代716年に出雲大社に改名される前の杵築大社が建てられたその大きな目的が、出雲臣果安による二王家の散財による勢力衰退を図ったものでしょうけれど、970年に源為憲が書いた『口遊』に雲太、和二、京三と書かれて十六丈48メートルあったとされる杵築大社本殿が建てられた際には、出雲国造の衰退により、失業の可能性が出てきた出雲臣果安が、新たに神社を建てて二王家と共同運営したいと申し出て、ほぼ国造家は出資せずに建てられたそうです。その後も二王家は財筋と呼ばれ、社殿の鍵も管理していたらしいですが、いつのまにかホヒ家と国司によって、国祖は大国主からホヒであるかの様にされてしまった様ですね。
私が出雲をタビしてた時、ヒッチハイクで乗せてくれた地元の方から興味深い話を聞かせてもらいました。県道23号線…出雲大社の裏側から入ってきたのですが、猪目峠に差し掛かった時に深い霧に覆われていて、これは実は国譲りは平和的に執行されたのではなく強制的なものであって、その怨みがこの霧となっているという事でした。出雲大社まで来た時も、宮司家はそもそも天皇と血縁関係はなく、過去に二度天皇が入れ替わっていると聞きました。更に四拍手はある種の呪とも言いました。大国主を呼び出して直ぐ帰す為の失礼に当たる四回の柏手だと。これはメモしなかったのでどこの家系かは覚えていませんが、大国主をここまで虐げた逆の呪いで女系しか子供が生まれないんだよとも聞きました。国譲りには私も元々懐疑的な見解だったのですが、この話を聞いて実際にはどうだろうと常に思っています。どなたかこの手の方面で詳しい方がいれば、上記の裏付けるソースなり違う見解なり教えてほしいです。❤
打ち間違えで最後に何故かハートマークが入ってしまいました(苦笑)
釣りバカ日記スペシャルにも出ました。西田敏行さん演じる浜ちゃんが、実家に帰ってしまった愛妻美智子さんや愛息鯉太郎と再会した所。
宇佐八幡も怨霊封じの社だよね。
しめ縄=蛇。蛇を意味する縄が巻き付いているのは交尾を現しているから。それが逆なのは、他の神社とは蛇の雌雄・上下が逆だから
「オオクニヌシが戦争の末、自殺する」ってストーリーの根拠ってなんぞ?
おもしろかったです。以前、司馬遼太郎さんが、その国譲り神話について、国造家・千家のみが口伝で秘密のあらましが伝えられているとか。司馬さんはその大変な碩学であることと慎重で、話し上手なお人柄から、当時、仏神など各宗教などの実務者・知識層からも一定の敬意が払われました。だから、その方々から内容はうかがえなかったが、大国主命がなぜ素直に譲ったかについて、知られていない何かがあるようだと書かれています。井沢元彦さんは司馬遼太郎さんにおそらく憧れている方ですが、このことを知っていて飛躍して断定したのでしょう。司馬さんが賢明にも、語らない知恵を示したのですが、井沢さんにはいろいろあってそれが出来ないんでしょうね。
井沢元彦の説は、ほぼ妄想だと思う。で、国譲りの本質部分については、記紀に何回となく記述されているので、秘密でもなんでもない。わかりやすいところで言えば、初代天皇の皇后様はどこの方かを踏まえて、二代天皇様の即位のエピソードを読み直せば、わかる。天津神と国津神が一体となって、初めて皇室が存在する。
ビデオの中で「ギーッチッチツチ」って音がするのが気になるんだけど何?バックの音楽の中にこんな音があるん?耳障りでメッチャ気になるんだけど
日本書紀に書かれている出雲の話と出雲国風土記にかかれている内容はまったく違います。大国主が活躍する日本書紀の出雲は島根県の出雲ではありません
「出雲大社」と表記しながら「出雲大社教」の神楽殿を表示していますがww何も分かっていないバスガイドレベルww
出雲大社教は全国に分祠が有るパチモンですね。
インドから来た人なら、手長脚長…
いつも思ってたんだけど巫女が魔女から日本の歴史(神社もしかり)を教わるって設定が笑笑アマテラスは国譲りに出てこない話しも日本書紀に書かれているよ。
島根の出雲って明治からで、それまでは杵築神社。出雲の云々を語るのなら、京都か徳島ではないでしょうか。
出雲国風土記がありますから分かりやすく出雲に替えたのでは?
細かいことですが杵築神社ではなく杵築大社だと。
こちらの田舎では二礼二拍手一礼です。中途半端?。
かなり多く間違っていることを言ってる動画だが、いちいち挙げているときりが無いので、一つだけ挙げておく。大国主命が怨霊を封印しているとする説は伊沢元彦が初めて唱えたものではなく、梅原猛が伊沢より約二十年前に唱えたものである。井沢説は梅原説の焼き直しと言って良い。
梅原さんはなんでも怨霊化する人だからw。ただ、あの人の怨霊化は、仏教に基づいたもの=奈良時代の思想が形成したものとするので、ナチュラルに怨霊と考えた井沢ごときと同列に並べると、梅原さんがかわいそうw。
梅原猛氏は、後に荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡から銅鐸や銅剣が多数発見された以降、出雲神話は、大和朝廷内で起きた数々の政治的事件を出雲の地に仮託して語ったものだ、と解釈して執筆した『神々の流竄』を自ら誤りであったと訂正されておられる様ですね。
古代に神殿は無いよ。神道の神殿は仏閣に対抗して建てられた物らしいから仏教が来る前に神社は存在しない。
そりゃあ苦労してようやく開墾して国を作ったところ、国を譲れと言われたらたまりませんわなぁ。恨み節の一つも言いたくなりますわなぁ。天津神が集まって色々話し合いされてもむかつきますわなぁ。
重さ5トンも有る巨大注連縄造りが延々と現代まで伝承されて来ただけでも凄いと思います。
いつも楽しく拝聴しています♪これからも楽しく拝聴させていただきます^ ^
巫女よりも神社にくわしい魔女・・・。
そこはツッコミたくなるよね。説明する役と聞く役を逆にするべきだったよね、今回は。
250年以上も経ってるのに5tもあるしめ縄をぶら下げられる社殿の耐久性というかも凄い😅
あれは40年前に建てられた神楽殿っていう会館です
出雲族は、インドのドラヴィダ族が北方を通って日本に来たと言われています。出雲口伝で。だからインドのある西を向いているのではないでしょうか。
出雲口伝のご紹介ありがとうございます。出雲族が中部インド🇮🇳人ドラビィタ族であったことから、西を向いて建てられた。それも遠因としてはあるかもしれないですが、元々南向きではないのは、他の方のコメントにもあるように、杵築大社が古い神社であったことによるものの様です。
杵築大社の建築様式は大社造りと呼ばれ、本殿の入り口が正面から少しずれた場所に作られており、これは、杵築大社などの大社造り建築のモデルになったと言われる神魂神社の造りから来ているものと思います。神魂神社は元々東出雲王家向家のちに富家の宮殿をそのまま神社としたものであったため、玄関にあたる入り口は、入ってすぐに私的空間が見えない様に、周り廊下があり、その奥に居間と、神棚がある夫婦の寝室が配置されており、そのため特に玄関の方角を南向きにしたりのちにシナから伝わった鬼門を避けるという習慣はなかった様ですね。
稲作が大陸からとか、弥生人がやって来たとか、そろそろ止めにしない?縄文中期から後期に日本では水耕栽培してたって遺跡から出てきてなかったかなぁ…
縄文時代の米が発見されたっていうのがあったね。
縄文時代に大きな争いの跡もなかったっていう 話もあったね。
個人的にですが稲作文化は日本がルーツ!だけではなく大陸からも稲作が伝わった2次元で見るべきだと思います。
対馬には弥生前期から大陸由来の石器が出土し、壱岐には稲作と関わりの深い暦の神様の本拠地、月読神社があるのはやはり無視は出来ません。
更に深掘りをすればその大陸由来というのも米のDNAを調べたら任那であったとか、そういう結果が出ればまた意味合いは違ってくるでしょうが、どちらにせよ現段階で稲作は日本がルーツと決めつけるには時期尚早ではないでしょうか?
もっと調査が進むのを待ちましょう。
私が無知なだけかも知れませんが、縄文時代からの稲作と大陸から伝わった稲作、それぞれ融合していったのか、はたまたどちらかが淘汰されたのかとか、その辺りも知りたいところです。
動画内で「多くの神社は南向きに建てられている」と説明がありましたが、これは「天子は南面する」という中国の古い思想の影響によるものです。つまり本殿や御神座の向きが南向きではない神社は逆説的に中国の文化が伝来する以前の古い風習を残している神社とも考えられます。
ちなみに出雲大社以外の南向きではない神社は鹿島神宮・諏訪大社・大神神社・宗像大社などが該当します。
人を神格化した祭神とは違い、神様を封じ込めるなら
日本一の大しめ縄の巨大さも納得できるな。
大神神社の、なでウサギも何か関連が有ると思いますね。
[いずもおおやしろ]ではなく[いづもおおやしろ]と聞きました。
5柱は明治政府により国つ神から天津神に変えられました。江戸時代までは5柱は大国主ファミリーです。
出雲大社は高い階段とかありますか。
以前、参拝させていただきましたが、「しめ縄に願いをかけてお金(コイン)を投げ、刺さると運が開ける。」という誤情報を信じたため、別のRUclipsの投稿で「やってはいけない行為ですよ‼」との投稿があったため、御詫びもかねて再度、8月の頭に参拝させていただきましたが、本来、第一鳥居から順番に通って参拝するところ、工事のため第一鳥居をクグルことができませんでした。この場合、大国主命の「再度、出直してこい」との暗示なのでしょうか? なお、出雲蕎麦や出雲ぜんざいも堪能させていただき、出雲大社の西側の海岸の岩の祠もお参りしました。 なお、「霊夢さん」って、神社の巫女さんの設定ではなかったでしょうか?(今回、巫女にしては、知らないことが多かった様な?)
1:52
八百万(やおよろず)を800万て言うのはちょっと…
意味は数量の800万ではなく、
「多くのありとあらゆる」、「数限りない」なので算用数字を使うのは相応しく無い気がします。
杵築(出雲)大社。は、
716年に
元出雲王家の2家か協力、共同して建立落成した。
国や今の出雲国造家は一切関わりないどころか
出雲王国が3世紀末に滅亡した後も
出雲地方に強い影響力や財力をもつ
不気味な2つの元王家の財力をそぐ為に
大社の建立を唆した。
森岩光様、
出雲口伝の伝承をご紹介ありがとうございます。
奈良時代716年に出雲大社に改名される前の杵築大社が建てられたその大きな目的が、出雲臣果安による二王家の散財による勢力衰退を図ったものでしょうけれど、970年に源為憲が書いた『口遊』に雲太、和二、京三と書かれて十六丈48メートルあったとされる杵築大社本殿が建てられた際には、出雲国造の衰退により、失業の可能性が出てきた出雲臣果安が、新たに神社を建てて二王家と共同運営したいと申し出て、ほぼ国造家は出資せずに建てられたそうです。その後も二王家は財筋と呼ばれ、社殿の鍵も管理していたらしいですが、いつのまにかホヒ家と国司によって、国祖は大国主からホヒであるかの様にされてしまった様ですね。
私が出雲をタビしてた時、ヒッチハイクで乗せてくれた地元の方から興味深い話を聞かせてもらいました。
県道23号線…出雲大社の裏側から入ってきたのですが、猪目峠に差し掛かった時に深い霧に覆われていて、これは実は国譲りは平和的に執行されたのではなく強制的なものであって、その怨みがこの霧となっているという事でした。
出雲大社まで来た時も、宮司家はそもそも天皇と血縁関係はなく、過去に二度天皇が入れ替わっていると聞きました。
更に四拍手はある種の呪とも言いました。大国主を呼び出して直ぐ帰す為の失礼に当たる四回の柏手だと。
これはメモしなかったのでどこの家系かは覚えていませんが、大国主をここまで虐げた逆の呪いで女系しか子供が生まれないんだよとも聞きました。
国譲りには私も元々懐疑的な見解だったのですが、この話を聞いて実際にはどうだろうと常に思っています。
どなたかこの手の方面で詳しい方がいれば、上記の裏付けるソースなり違う見解なり教えてほしいです。❤
打ち間違えで最後に何故かハートマークが入ってしまいました(苦笑)
釣りバカ日記スペシャルにも出ました。西田敏行さん演じる浜ちゃんが、実家に帰ってしまった愛妻美智子さんや愛息鯉太郎と再会した所。
宇佐八幡も怨霊封じの社だよね。
しめ縄=蛇。蛇を意味する縄が巻き付いているのは交尾を現しているから。それが逆なのは、他の神社とは蛇の雌雄・上下が逆だから
「オオクニヌシが戦争の末、自殺する」ってストーリーの根拠ってなんぞ?
おもしろかったです。
以前、司馬遼太郎さんが、その国譲り神話について、国造家・千家のみが口伝で秘密のあらましが伝えられているとか。
司馬さんはその大変な碩学であることと慎重で、話し上手なお人柄から、当時、仏神など各宗教などの実務者・知識層からも一定の敬意が払われました。
だから、その方々から内容はうかがえなかったが、大国主命がなぜ素直に譲ったかについて、知られていない何かがあるようだと書かれています。
井沢元彦さんは司馬遼太郎さんにおそらく憧れている方ですが、このことを知っていて飛躍して断定したのでしょう。司馬さんが賢明にも、語らない知恵を示したのですが、井沢さんにはいろいろあってそれが出来ないんでしょうね。
井沢元彦の説は、ほぼ妄想だと思う。で、国譲りの本質部分については、記紀に何回となく記述されているので、秘密でもなんでもない。わかりやすいところで言えば、初代天皇の皇后様はどこの方かを踏まえて、二代天皇様の即位のエピソードを読み直せば、わかる。天津神と国津神が一体となって、初めて皇室が存在する。
ビデオの中で「ギーッチッチツチ」って音がするのが気になるんだけど何?
バックの音楽の中にこんな音があるん?
耳障りでメッチャ気になるんだけど
日本書紀に書かれている出雲の話と出雲国風土記にかかれている内容はまったく違います。
大国主が活躍する日本書紀の出雲は島根県の出雲ではありません
「出雲大社」と表記しながら「出雲大社教」の神楽殿を表示していますがww
何も分かっていないバスガイドレベルww
出雲大社教は全国に分祠が有るパチモンですね。
インドから来た人なら、手長脚長…
いつも思ってたんだけど巫女が魔女から日本の歴史(神社もしかり)を教わるって設定が笑笑
アマテラスは国譲りに出てこない話しも日本書紀に書かれているよ。
島根の出雲って明治からで、それまでは杵築神社。
出雲の云々を語るのなら、京都か徳島ではないでしょうか。
出雲国風土記がありますから分かりやすく出雲に替えたのでは?
細かいことですが杵築神社ではなく杵築大社だと。
こちらの田舎では二礼二拍手一礼です。中途半端?。
かなり多く間違っていることを言ってる動画だが、いちいち挙げているときりが無いので、一つだけ挙げておく。大国主命が怨霊を封印しているとする説は伊沢元彦が初めて唱えたものではなく、梅原猛が伊沢より約二十年前に唱えたものである。井沢説は梅原説の焼き直しと言って良い。
梅原さんはなんでも怨霊化する人だからw。ただ、あの人の怨霊化は、仏教に基づいたもの=奈良時代の思想が形成したものとするので、ナチュラルに怨霊と考えた井沢ごときと同列に並べると、梅原さんがかわいそうw。
梅原猛氏は、後に荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡から銅鐸や銅剣が多数発見された以降、出雲神話は、大和朝廷内で起きた数々の政治的事件を出雲の地に仮託して語ったものだ、と解釈して執筆した『神々の流竄』を自ら誤りであったと訂正されておられる様ですね。
古代に神殿は無いよ。神道の神殿は仏閣に対抗して建てられた物らしいから仏教が来る前に神社は存在しない。