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目次0:00 テーマ「なぜがん終末期にステロイドを使うのか」1:27 大事な人と最期の良い時間を過ごすために3:11 ステロイドの効果6:06 ステロイドの副作用10:16 終末期にステロイドを使うタイミング12:30 どうしても知っておいてほしいこと13:57 あなたに伝えたいメッセージオンラインサロンを始めました。ぜひ覗いてみてください!今後、質問やご相談などはこちらで対応させていただきます。YOOR➡️yoor.jp/door/dr_tosh紹介動画➡️ruclips.net/video/f7OKqlcUlIk/видео.html「また、あちらで会いましょう」購入リンクはこちら➡️amzn.to/3hJQCSHこの度、2022年12月5日に、「また、あちらで会いしましょう」というタイトルの本を出版しました。RUclipsであまりお話していない、私の死に対する考えも深く書かせていただいていますので、読んでみたいなと思ってくださった方はこのリンクから、本を購入していただければ嬉しく思います。
一週間前に主人が亡くなりました。肝臓癌でした。家にいたい、という主人の思いを受け入れ、大急ぎで在宅介護の準備をし、私も介護休暇を取り、家で看取ることができました。病状は、じりじりと進行し、20日後に逝ってしまいました。不安なこともありましたが、動画で予習をし、看護師さんの話をよく伺い、家族の絆を深めながら過ごせたことに後悔はありません。亡くなってしまったことは、残念なことで悲しいのですが、介護することは大変なだけでなく、温かく、素晴らしい経験だったと今思います。痛みや苦しみから解放されて、ゆったりと主人が今頃過ごしてくれていたら、とても嬉しいです。
2日に直腸がんであちこち転移で主人が亡くなりました。家の場合、腫瘍熱と脳転移でウトウト、眠ってたりしてて、最近はむしの知らせがあり、病院へ行って看取る事ができました。最期は苦しむ事もなく息が止まった。みたいな感じでした。苦しむようだったら鎮静して欲しいと言われてましたが鎮静も必要なく、腹水や胸水もなく、結果、こんな言い方はおかしいかもしれませんが、良かったと思ってます。明日、火葬です。ステージ4で6年頑張りましたので、悲しいと言う感情よりは、頑張ったね、お疲れさま、強い男だったね。まだまだ言葉はありますがそんな感じです。まだ意志の疎通が少しできる頃に、感謝への気持ち、普段言わないような、大好きだよ。と、伝える事もできました。先生のチャンネルのおかげで勉強もでき、とても役立つ事ができ、ありがとうございました。
現在母がステロイド投与中2ヶ月目です。サイトカインが消え、驚くほど食欲が出て体重が増えました。甘いものを2時間毎に食べてます。食べさせられない家族の悩みも消えて、いい時間が過ごせてます。
今日、体調悪化していて急変あるかとも言われました。元々酸素ボンベが必要で胃癌が分かった時には末期でした。残された時間は少ないですが告知せず、いつもらしく面会に行ってます。他のやることも沢山あるので毎日面会行けないもどかしさはありますが、いつ来るからね。って言うと嬉しそうにしてくれるので、最期まで泣かずに見送ろうと思ってます。少しでも優しい時間で過ごさせてあげたいです。
身内がどれだけ知識を頭に入れても結局は医師の能力にかかってくるものと痛感しました眠るようには行かず一生でいちばんの苦痛を味わいながら最近母親が亡くなりました看護師にお願いして医師に来てもらうよう何度もお願いしましたが、勤務時間に合わせ到着その間代わりの医師にも診てもらえず、苦しみ抜いて死にました緩和ケア病棟とはいったいなんなのかと悔しさだけが残る別れでしたもう見慣れてしまって年寄りの死なんかどうでもいいんだろうね
昨日母がなくなりました。息を吐く度に叫び声みたいに大きな声を出し、荒い呼吸でどの体勢も痛いようで5分おきに「起こして」「横に」など言ってじっとできない状態でその声は聞き取れないくらい弱いのに呼吸だけは叫び声なんです。足が痛いというので見ると両膝下はチアノーゼでまだらになっていました。深夜からずっと苦しみ続けて朝8時に医師が出勤したので、そのタイミングでモルヒネと睡眠を促す点滴をお願いしました。緩和ケアって何なんでしょう。身内が安楽死のタイミングを決めるものなのでしょうか。声を出す力もなかった母が廊下にまで響き渡る声で1回1回息を吐いていてどうするのが正解だったのか今になって思います
先日コメントさせて頂きました。日付替わって昨日、父親を看取ってきました。沢山話して傍にいるからね、トイレいってくるよ、電話してくるね。些細な事も少し離れる時には声かけしながら…看護士さんに少しずつおちてきてるので、今のうちに御飯食べて下さいと。んーと思いながらも1日何も食べれていなかったので、少し食べていたら、電話きて、すぐ戻って下さいと。戻ったら呼吸が止まっていました。でもまだ心臓は動いていました。ゆっくり時を待ちながら、身体擦りながら話し掛けてました。とても穏やかに息を引き取りました。呼び出しから、病室で話してる時にずっと涙浮かべていて、告知しなくてごめんね。なす術もなかったから言えなかったんだ。お母さん(寝たきり)の事も大丈夫だからね。施設見つかりそうよ。安心してね。って言うと涙流すのです。ちゃんと聞こえてる。ゆっくりと空に旅立ちました。最期の診察で涙腺崩壊してしまいましたが、泣かずに傍にいる事が出来ました。母親に会わせてあげる事が出来なかったのが心残りではありますが、出来る限りの事はしてあげる事が出来たと思います。お見送りまで、ちゃんと穏やかに見送りしてあげたいと思います。身内が居ないので、辛かったですが、まだ頑張ります。
目次
0:00 テーマ「なぜがん終末期にステロイドを使うのか」
1:27 大事な人と最期の良い時間を過ごすために
3:11 ステロイドの効果
6:06 ステロイドの副作用
10:16 終末期にステロイドを使うタイミング
12:30 どうしても知っておいてほしいこと
13:57 あなたに伝えたいメッセージ
オンラインサロンを始めました。ぜひ覗いてみてください!
今後、質問やご相談などはこちらで対応させていただきます。
YOOR➡️yoor.jp/door/dr_tosh
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この度、2022年12月5日に、「また、あちらで会いしましょう」というタイトルの本を出版しました。RUclipsであまりお話していない、私の死に対する考えも深く書かせていただいていますので、読んでみたいなと思ってくださった方はこのリンクから、本を購入していただければ嬉しく思います。
一週間前に主人が亡くなりました。
肝臓癌でした。
家にいたい、という主人の思いを受け入れ、大急ぎで在宅介護の準備をし、私も介護休暇を取り、家で看取ることができました。
病状は、じりじりと進行し、20日後に逝ってしまいました。
不安なこともありましたが、動画で予習をし、看護師さんの話をよく伺い、家族の絆を深めながら過ごせたことに後悔はありません。
亡くなってしまったことは、残念なことで悲しいのですが、介護することは大変なだけでなく、温かく、素晴らしい経験だったと今思います。
痛みや苦しみから解放されて、ゆったりと主人が今頃過ごしてくれていたら、とても嬉しいです。
2日に直腸がんであちこち転移で主人が亡くなりました。家の場合、腫瘍熱と脳転移でウトウト、眠ってたりしてて、最近はむしの知らせがあり、病院へ行って看取る事ができました。最期は苦しむ事もなく息が止まった。みたいな感じでした。苦しむようだったら鎮静して欲しいと言われてましたが鎮静も必要なく、腹水や胸水もなく、結果、こんな言い方はおかしいかもしれませんが、良かったと思ってます。明日、火葬です。
ステージ4で6年頑張りましたので、悲しいと言う感情よりは、頑張ったね、お疲れさま、強い男だったね。まだまだ言葉はありますがそんな感じです。まだ意志の疎通が少しできる頃に、感謝への気持ち、普段言わないような、大好きだよ。と、伝える事もできました。先生のチャンネルのおかげで勉強もでき、とても役立つ事ができ、ありがとうございました。
現在母がステロイド投与中2ヶ月目です。サイトカインが消え、驚くほど食欲が出て体重が増えました。甘いものを2時間毎に食べてます。食べさせられない家族の悩みも消えて、いい時間が過ごせてます。
今日、体調悪化していて急変あるかとも言われました。元々酸素ボンベが必要で胃癌が分かった時には末期でした。残された時間は少ないですが告知せず、いつもらしく面会に行ってます。他のやることも沢山あるので毎日面会行けないもどかしさはありますが、いつ来るからね。って言うと嬉しそうにしてくれるので、最期まで泣かずに見送ろうと思ってます。少しでも優しい時間で過ごさせてあげたいです。
身内がどれだけ知識を頭に入れても結局は医師の能力にかかってくるものと痛感しました
眠るようには行かず一生でいちばんの苦痛を味わいながら最近母親が亡くなりました
看護師にお願いして医師に来てもらうよう何度もお願いしましたが、勤務時間に合わせ到着その間代わりの医師にも診てもらえず、苦しみ抜いて死にました
緩和ケア病棟とはいったいなんなのかと悔しさだけが残る別れでした
もう見慣れてしまって年寄りの死なんかどうでもいいんだろうね
昨日母がなくなりました。息を吐く度に叫び声みたいに大きな声を出し、荒い呼吸でどの体勢も痛いようで5分おきに「起こして」「横に」など言ってじっとできない状態で
その声は聞き取れないくらい弱いのに呼吸だけは叫び声なんです。
足が痛いというので見ると両膝下はチアノーゼでまだらになっていました。
深夜からずっと苦しみ続けて朝8時に医師が出勤したので、そのタイミングでモルヒネと睡眠を促す点滴をお願いしました。
緩和ケアって何なんでしょう。身内が安楽死のタイミングを決めるものなのでしょうか。声を出す力もなかった母が廊下にまで響き渡る声で1回1回息を吐いていてどうするのが正解だったのか
今になって思います
先日コメントさせて頂きました。
日付替わって昨日、父親を看取ってきました。
沢山話して傍にいるからね、トイレいってくるよ、電話してくるね。些細な事も少し離れる時には声かけしながら…看護士さんに少しずつおちてきてるので、今のうちに御飯食べて下さいと。んーと思いながらも1日何も食べれていなかったので、少し食べていたら、電話きて、すぐ戻って下さいと。
戻ったら呼吸が止まっていました。でもまだ心臓は動いていました。ゆっくり時を待ちながら、身体擦りながら話し掛けてました。
とても穏やかに息を引き取りました。
呼び出しから、病室で話してる時にずっと涙浮かべていて、告知しなくてごめんね。なす術もなかったから言えなかったんだ。お母さん(寝たきり)の事も大丈夫だからね。施設見つかりそうよ。安心してね。って言うと涙流すのです。ちゃんと聞こえてる。
ゆっくりと空に旅立ちました。
最期の診察で涙腺崩壊してしまいましたが、泣かずに傍にいる事が出来ました。母親に会わせてあげる事が出来なかったのが心残りではありますが、出来る限りの事はしてあげる事が出来たと思います。
お見送りまで、ちゃんと穏やかに見送りしてあげたいと思います。身内が居ないので、辛かったですが、まだ頑張ります。