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この人の忠誠さを見れば簡単に裏切る事はないから家康の為に裏切ったていう説は合っていると思うな
0:32ここのカズマサー好き
徳川家を守る為出奔したと思います。大河ドラマ徳川家康では本多作左衛門と示し合わせ家康も黙認した上での出奔した演出されてました。家中で秀吉に従う事に反発する者が多く頭を悩ませ全ての責任をあえて被ることで内部分裂を避けたのでは。作左衛門演じた長門裕之さんと数正演じた江原真二郎さん2人とも役にベストキャストでした。
やっぱりそれだけの忠誠心がある人だから時代を読んで動いた説が正しそうですね
あたしも裏切りと見せかけて徳川家を救った説を推したいな!一人くらいそんな徹底した忠義の士が居てもいい😭
一度は救い出した築山殿と信康が殺されたのは数正にはどんな衝撃だってろう😢
裏切ったとはいえ裏切った理由が家康と徳川家を守るためなら相当忠義心が高いひとよね
主君の為に泥を被ることを厭わない、真の忠臣ということだからな。
裏切りの理由に諸説ありますけどね。だけど忠義心は高いのは間違いないと思います
受験勉強のストレス発散でいつも見てます。勉強になるし最高です!これからも頑張ってください。
君なら受かる。がんばれ
最終的に改易させられたことを考えると浮かばれないよな、石川家。まぁそれだけ秀忠、と言うより秀忠周りの徳川家臣の反感が凄かったのだろうね
この動画で得るものが最近の楽しみですこれからも応援しています
秀吉に走ったのは、やはり徳川家を守る為だったと思いたい。
徳川家が戦争にならない様にふるまったとする説が彼の生涯を振り返ると筋が通る。
秀吉によるヘッドハンティング説もあるらしいが、個人的には徳川家を守るためと孤立を深めたための保身の二つと思う。
松重さんがこの辺をどう演じるのか、どうする家康、今後が楽しみだ
これでこの人初めて知って好きになったわ出奔する前もなにかと秀吉は徳川に攻めてきてて、その度他の家臣達は防戦して追い返してたから臣従なんてする気にならないのも分かるしそんな中交渉役してたなら、皆聞かないやろしでも秀吉に敵わないのも確定だし板挟みでどんどん孤立していきそうな感じも分かる…清康爺ちゃんの阿部定吉然り現実を知らせる役って難しいよな〜…
自分がいることで家中が抗戦ムードになるなら、敢えていなくなることで守れる事もあるのだなと思った
家臣の解説ありがたい
ヘルニアさん!?
大河の孤高のグルメじゃなかった数正がどう表現するか期待してます
この説好き。数正が豊臣について軍事機密が漏れる事が切掛になって徳川家は体制を改革出来たとかなんとか。
大河ドラマの『おんな城主 直虎』だと瀬名と信康を最後まで守ろうとして家康に逆らってまで行動していたので、たぶん裏切りの伏線(家康に対する復讐)だったのかなと思いました。
数正が裏切った後『やべーよ!あいつウチの城の構造とか秘密、大方知ってるよ!やべーよ襲われたら終わりだよ(´⊙ω⊙`)』ってなって急いで城の改築するはめになった的な事を岡崎城の資料館で読みました
軍流を武田流に変えてましたね。
家康自身も秀吉との対決を避けたいけど、血気盛んな三河武士たちを宥めるのは困難な為に、あえて数正を出奔させて不利な状態をつくったという話もあります。いずれにしてもこの捨て身の行為により結果徳川家を守ったのは事実でしょう。
私もその説を支持。秀吉との外交役であった数正は、豊臣家の勢いを良くわかっていて、それを家康も充分理解しても田舎侍の家臣たちは血気盛んに打倒秀吉を叫ぶばかり。で、家康は数正を豊臣方に向かわせ、「出奔した」ということにして、田舎侍の家臣たちを説得したんだろうと
えー…個人的に徳川家のためが良いー。凄いカッコいいじゃんー。今、家康の大河ドラマしてるけどこの人のドラマも観たいー。
松重豊さんがいい味出してる
家康より年上だけど大河ドラマほどは離れていないw大河は軍師を高齢にしたがるよな。秀吉の時の竹中半兵衛もすげぇ離れてたしw
味方に罵られようが主君と別れることになろうが、それでも忠義を貫く武士であったと思いたいです
今回の大河ドラマでも石川数正の出奔の理由をどう描写するのか気になりますね!
最後のピータードラッカーの言葉は金言だと思う。出世したり人の上に立つ人ほど心得なきゃいけない言葉であり出世したり人の上に立つ存在に上り詰めるために必要な言葉。社会の一部として生きる以上人間である以上この言葉は凄く刺さる
家康は、石川離反後に甲斐の軍法を取り入れたから、豊臣との騒乱を防ぐ説は成り立たない。
私も徳川家を守るための出奔だったと思いますね。どうする家康でもそのように描かれていて、目頭が熱くなったなあ。
数正はかなり優秀だった
本多正信の再登場により石川数正追放になってしまいましたね~
外交担当として徳川家を支えた忠臣だったが、小牧長久手の戦い後に出奔してしまうと初めて知った時は衝撃的でした。※余談事ですが、徳川家康さんの従兄弟である水野勝成さんも一時期は豊臣秀吉さんに仕えていました。
勝成氏、親父さんのお気に入り◯してしまって挙句に親父さんによって他家への仕官を邪魔されてしまって放浪してましたね…
勝成は仕方ないよね。放浪していた先の一つが、後に領地になる備後というのも縁を感じる。たまたまかもしれないけど。
数正の晩年、秀吉への悪口はあっても家康に対してはそういうのが無かったと聞いたことある
秀吉を侮る声があまりにも多いのでこのままだと徳川家が滅ぶと考え出奔した説はアリかも?ただ、もしそうなら家康に何も言わずに出奔したとは考えにくい。それよりも実家を捨ててまで長年家康に忠節を尽くしたのに、家中で不忠呼ばわりされて報われなかった数正が家康を見切った可能性の方が高いかもしれません。
脱糞公の下半身にこびり着いた焼き味噌食わされたが故に裏切った説好き
秀吉は徳川征伐をやろうとしてた。大地震で中止になったが決行されてたら間違いなく徳川は北条のような末路だっただろう。徳川勢が秀吉に対抗するのを諦めるキッカケを作ったのが石川数正だと思う。
氏真論破した。すごい
小牧・長久手の戦いの時に、家康は領民を動員しすぎて、領内の田畑が荒れ果てて、その上天災が起きて、戦後に秀吉と再戦できる状況じゃなくなるんだよなこれまでの体制を大きく変更して一致団結するために石川数正は自身の出奔が必要だったと考えたんじゃないかな
スッキリしました😃
徳川家のNo.2は、酒井忠次でも本多忠勝でもなく、石川数正だったんよな。基本、熱血漢ぞろいの脳筋集団な三河武士に、合戦を諦めさせるには、「三河流軍学は全部バレた!おまえら甲州流軍学を勉強せえー」って事態に持ち込むしかなかった。
交渉力がある人は今の世の中でも大活躍するよね
ですねぇ。コミュニケーションは大事っ!言葉は人を繋ぐっ!
組織はNo.2で決まると言うけど石川数正は本当にその地位にいたと感じる。
大河ドラマの築山殿の解釈が史実と違うという声が上がっているが、実際は過去にでも行って本人に会うでもしない限り、その人となりは分からない。案外本当のところは大河の解釈が正しかったのかもしれない。石川数正についても同じこと。本人の本音が分からない以上、どんな解釈もできる。徳川の為に敢えて汚名をかぶったという説が個人的には気に入っている。
秀吉の妹との結婚をまとめたのも数正、義理の弟として秀吉の軍門に!日米開戦時、石川数正が外務大臣だったらアノ戦争はやらなかったと時々思う。
お願いします🙇水野勝成の採用お願いします🙏🙏🙏
主君を守るために敢えて離反した説を押したいし、なんなら家康とは打ち合わせずみだと思うたい
しかし、出奔の理由はどうあれその後息子の代で親類の連座に巻き込まれて改易になっている点を踏まえると何か相当根深いものを感じてなりません。
結果その忠義心を徳川家が理解する事無く裏切り者として石川家は潰された
石川数正は秀吉の家臣になってからどのような活躍をしたのですか?教えて下さい。ドラマでは名前がそれ以後ーーー。家康の家臣だった時と比べてどうですか?戰場での活躍は?徳川家中での実際の評価は?お願いします。
生き残るためにはどんな手も厭わないなんて普通
こういう「何故」が歴史を面白くするんやなって
秀吉ならば「家康の為に秀吉に仕える」のは見抜いていたかもしれない。また、もう一つ考えられるのは「家康と数正だけが内密相談の上での出奔」という事も考えられる。
裏切らなかったら酒井と並んで別格扱いされてたろうになぁ…
家康のために倒れる者達の物語のひとつなのか
松本城を作った男 大河ドラマを機会に有名になってうれしい限り
勝ちそうな相手に付いただけなのに、勝手に深読みされる石川さん。
多分直江兼続や片倉小十郎みたいに、石川数正も秀吉に自分の家臣になるよう誘われていたんだろうな。数正は秀吉を怒らせずに徳川の未来も安泰にさせる作戦として、あえて秀吉の企みに乗って豊臣方に付いた形なんだと思う。
7:07 くらいからながれているBGMの名前ってどんなやつだか知っている方います?
私も出奔と引き換えに徳川家が滅ぼされないように秀吉に根回しを行っていたのではないかと考えています。軍法を武田家式に変えたとはいえ数正が秀吉側に付いてるハンデは大きいし天正大地震で羽柴軍が撤退したものの徳川家の領土も甚大な被害を受けているのに秀吉がこれにつけ込まないとも思えません。
彼が裏切った事により、家康の「目の上のタンコブ」的存在である真田家との合戦”第一次上田合戦”も数で優っていながら撤退していましたね。以前の動画「島津 歳久」を思い出した。
今回の大河ドラマ配役が配役だから20代なのかと思ってしまう。
動画ありがとうございます。真相のほどはわかりませんけれど、徳川家も石川数正の息子を東軍としてリアリズムの側面もあるとは言え受け入れたあたり、心底まで怒っていたかどうかとは思います。
一番最後の説が山岡荘八の大長編小説「徳川家康」で採用されていますね。
石川数正がどういう理由で出奔したかは不明ですが、家康と通じていた訳ではなく独自判断だったんでしょう。徳川幕府が天下を取った後、石川家は三河譜代出身にも関わらず、外様大名として扱われました。信康事件で交渉役だった酒井忠次に文句言っていた割に厚遇したのと真逆なんですよね。
関ヶ原で息子が東軍に付いてるあたり、家康からはそこまで恨まれてなかったのかな?大河でどう描かれるか楽しみ。
秀吉が茶の席で数正と井伊直政を同席させようとした時直政「殿下には申し訳ありませんがコイツとだけは一緒に茶は飲めませんわ」で帰った事もあったから家康個人はともかく家中ではダメだ許さないよな空気はあったのでしょうね
三河武士の忠誠心を信じたい。
そう、理由はどうあれ主君替えしたから石川数正の系譜は外様大名なのよ。
出奔の理由が分かったら、凄いかも。家族や友人に宛てた手紙とかで、残ってないのかな。
瀬名さんの回では交換の人質兄弟は従兄弟の子と説明されてましたが、今回は家臣の子と説明されていますが、どちらが正しいのでしょうか。
人質兄弟のお父さんの鵜殿長照という人が今川家臣で氏真の従兄弟と言われているのでどちらも正しいと思います
この漫画って信用していいんですか?
山岡荘八の小説などでは徳川家を思い、家康と二人で示し合わせてわざと裏切ったという展開になってましたね
石川数正は秀吉が天下を取る事は予想していたでしょうが、その秀吉が亡くなった後に旧主の家康が天下を取るとは果たして予想出来ていたのか否か……
戦国時代でかなり裏切りがあるのはそれだけ壮絶な時代だと分かる
息子達がその後、徳川へ従うが、みんな流罪になってるので、徳川の為ではないのにかなと思いますシンプルに本多忠勝や榊原康正達との衝突で居心地が悪くなったし秀吉のカリスマ性に賭けたのでしょう
徳川幕府になって石川一族はお家断絶
小牧長久手の戦い👍
石川数正も好きです🎵武田勝頼公と徳川慶喜公が一番大好き💓♥️❤️です🎵武田信玄と伊達政宗と明智光秀と大久保利通と後醍醐天皇が大好き💓♥️❤️です🎵足利尊氏と織田信長と徳川家康と豊臣秀吉と源頼朝が一番大嫌い🙎♀️💔です🎵岡崎城と浜松城と青葉城と松本城と清州城と安土城が一番大好き💓♥️❤️です🎵竹中半兵衛と黒田如水と小早川隆景と上杉謙信と石田三成も好きです🎵
確か出奔した後に家康って軍法を切り替えたんでしたよね?
出奔した理由については、全てが理由でしょう。不仲と忠誠は両立します。一族郎党引き連れて出奔に成功してるから、後に禍根残すこともなく、すばらしい引き際だと思います。
なぜ数正が家康を裏切ったのかは謎です。⁉️秀吉に仕えた後は知らなかったです。関ヶ原前に失くなっていたのですね。(笑)
戦国時代って、本当に複雑なんだな……もし徳川家を守るためだとしたら、確かに後の世を見るとその選択は正しかったと言える。
小牧・長久手の戦いで勝利したのに秀吉に臣従しようとする家康と家臣団の亀裂を回避するために裏切る事によって数正に憎悪を向けさせて、軍事機密を渡す事で継戦不可能にすると考えるのが自然。 家康、秀吉、数正3名が結託しての出奔でしょ。
でも小牧・長久手以前のパッとしない家康と、関ヶ原で勝利して幕府を開いた家康とは、まるで人が変わったようだよね。色んな理由があるだろうけど、石川数正の出奔も一つじゃないかな。
秀吉からは重宝されなかったな
小早川隆景やってー
裏の裏は表なので裏切ってないと思います。
動画制作お疲れ様です(*´∀`)非常に興味深く視聴しました秀吉という人は小牧長久手合戦の前に織田信雄の重臣三人を誑し込んで、それと同時に「そいつらが秀吉に内通している」という【噂】を信雄に流してしまう人です(;゚д゚)このため秀吉との交渉役なんていうのは並みの人間では務まりません💦出奔の理由は分からないけれど……大名として家を遺したのだから器量人ですよね
僕も徳川家を守るため、やむなく出奔したと思います。一向一揆の時も家康についた程の忠誠心を持っていたので、秀吉についたのは低いと思います。後、漫画だったか、織田秀信を拉致するため、豊臣についたというのがあったような気がします。もしかしたらそれもあったのではないかとも思ってます。
徳川家に戻れず、孤独にメシ食ってたんだろうな
これは秀吉派を連れて未来の危険な芽を徳川家から遠ざけたのでは…と考えてしまう
👍👍👍👍
家康のために裏切ったという説が事実だとしたら、後に改易に処された息子は不憫だ…(可能ならリクエスト)・斎藤龍興・松永久秀忠臣説(松永久秀は野心家ではなく三好長慶と三好家のために忠義を尽くした忠臣であるとする説に基づいてリメイクして欲しいです)
家康のセリフのカズマサがときどきコスモスに聞こえるwwwなんか狙ってない?
忠誠心が強過ぎて豊臣家滅亡をカソクさせた石田三成と対照的ですね。
(殿…生きてください…そして、願わくば太平の世を…)っと毎日、石川さんは想っていたと思います。
瓜を買わせる瓜売りの芸か
三河武士のコミュニティの中で孤立したらそりゃ居心地悪いよね
徳川の、家に伝はる古ぼうき、今は都の木の下をはくby石川数正数正が裏切ったのは秀っちゃんが天下取った後なんです!でもさ家っちゃんは秀っちゃんに扱き使われたから腹が立ってた訳よだから家っちゃん挙兵しようとしたのよ本多忠勝らは賛成したが数正だけは反対したの、その理由は兵の差と、新地江戸での民がまだ家っちゃんに慣れてないからなどの理由が浮上してるんです!でもね家っちゃんは数正の反対を押し切って挙兵を決めたのです!そんな折りに数正は突然出奔しました!それは徳川家に大きな衝撃が走りました、数正に外交その他、軍の戦法も任せきりであったのと、何より秀っちゃんに徳川家の機密事項がバレかねないからです、秀っちゃんも数正の突然の出奔に驚き、スパイじゃないかと勘ぐりましたが、徳川攻略に使えると思い受け入れます。一方徳川は数正の出奔により、秀っちゃんに知られているかもしれない戦法を変えなければならず、兵の教育が掛かってしまいました。それにより見事数正はその身をていして徳川の侵攻を止める事が出来たのです。と書物に書いてありました。あ!数正と家っちゃんが1度だけ再会した話があるんですよ!それが家っちゃんの妻の命日のお墓参りの時です。この時は既に、家っちゃんは当時の数正の本意を知っており強く数正を呼び戻そうとしますが数正は自分は裏切り者だから、と、決して首を縦には振りませんでしたとなんとも切ない話😭良い家臣を持ったな〜家っちゃん!「元」だけど!すみません!興奮するとこんな喋り方になってしまうんです!どうぞご了承くださいませ!🙏俺文を書くの力が乏しいので読みづらいと思いますが御勘弁を💦
今川の生け捕りの名前は鵜殿氏長です鵜殿長照の息子だったっけ?忘れたけど鵜殿好きなんだよね〜!なんか憧れるんですよね✨岡部元信も好きなんですよね!岡部の官位は丹波守です!✨てか次回の話あの徳川四天王の酒井忠次か〜三方ヶ原の戦いで惨敗して浜松城に逃げ帰った後、櫓上で大太鼓めちゃくちゃ鳴らして武田兵になんかの策略かまたは伏兵がいると思わせて武田兵を退却させたっていうあの人か!でも忠次、家っちゃんに嫌われちゃうんですよね😭家っちゃんが秀っちゃんの傘下に加わった時忠次秀っちゃんに特別扱いされてた事に苛立って忠次は家っちゃんに遠ざかれてしまうんですでよ!で62歳で隠居して忠次は忠次の息子に家督を継がせたんですけど忠次の息子も嫌われちゃうですよねでも酒井家は徳川の為に一生懸命に働いた結果江戸時代以降も出羽庄内藩として続いた。という話です
松本城は、数あるお城の中で一番好きです。
どうする、家康で見た場面もあった
この人の忠誠さを見れば簡単に裏切る事はないから家康の為に裏切ったていう説は合っていると思うな
0:32ここのカズマサー好き
徳川家を守る為出奔したと思います。大河ドラマ徳川家康では本多作左衛門と示し合わせ家康も黙認した上での出奔した演出されてました。家中で秀吉に従う事に反発する者が多く頭を悩ませ全ての責任をあえて被ることで内部分裂を避けたのでは。作左衛門演じた長門裕之さんと数正演じた江原真二郎さん2人とも役にベストキャストでした。
やっぱりそれだけの忠誠心がある人だから時代を読んで動いた説が正しそうですね
あたしも裏切りと見せかけて徳川家を救った説を推したいな!一人くらいそんな徹底した忠義の士が居てもいい😭
一度は救い出した築山殿と信康が殺されたのは数正にはどんな衝撃だってろう😢
裏切ったとはいえ裏切った理由が家康と徳川家を守るためなら相当忠義心が高いひとよね
主君の為に泥を被ることを厭わない、真の忠臣ということだからな。
裏切りの理由に諸説ありますけどね。
だけど忠義心は高いのは間違いないと思います
受験勉強のストレス発散でいつも見てます。勉強になるし最高です!
これからも頑張ってください。
君なら受かる。がんばれ
最終的に改易させられたことを考えると浮かばれないよな、石川家。
まぁそれだけ秀忠、と言うより秀忠周りの徳川家臣の反感が凄かったのだろうね
この動画で得るものが最近の楽しみです
これからも応援しています
秀吉に走ったのは、やはり徳川家を守る為だったと思いたい。
徳川家が戦争にならない様にふるまったとする説が彼の生涯を振り返ると筋が通る。
秀吉によるヘッドハンティング説もあるらしいが、個人的には徳川家を守るためと孤立を深めたための保身の二つと思う。
松重さんがこの辺をどう演じるのか、どうする家康、今後が楽しみだ
これでこの人初めて知って好きになったわ
出奔する前もなにかと秀吉は徳川に攻めてきてて、その度他の家臣達は防戦して追い返してたから臣従なんてする気にならないのも分かるし
そんな中交渉役してたなら、皆聞かないやろしでも秀吉に敵わないのも確定だし板挟みでどんどん孤立していきそうな感じも分かる…
清康爺ちゃんの阿部定吉然り現実を知らせる役って難しいよな〜…
自分がいることで家中が抗戦ムードになるなら、敢えていなくなることで守れる事もあるのだなと思った
家臣の解説ありがたい
ヘルニアさん!?
大河の孤高のグルメじゃなかった数正がどう表現するか期待してます
この説好き。数正が豊臣について軍事機密が漏れる事が切掛になって徳川家は体制を改革出来たとかなんとか。
大河ドラマの『おんな城主 直虎』だと瀬名と信康を最後まで守ろうとして家康に逆らってまで行動していたので、たぶん裏切りの伏線(家康に対する復讐)だったのかなと思いました。
数正が裏切った後
『やべーよ!あいつウチの城の構造とか秘密、大方知ってるよ!やべーよ襲われたら終わりだよ(´⊙ω⊙`)』
ってなって急いで城の改築するはめになった的な事を岡崎城の資料館で読みました
軍流を武田流に変えてましたね。
家康自身も秀吉との対決を避けたいけど、血気盛んな三河武士たちを宥めるのは困難な為に、
あえて数正を出奔させて不利な状態をつくったという話もあります。
いずれにしてもこの捨て身の行為により結果徳川家を守ったのは事実でしょう。
私もその説を支持。
秀吉との外交役であった数正は、豊臣家の勢いを良くわかっていて、それを家康も充分理解しても田舎侍の家臣たちは血気盛んに打倒秀吉を叫ぶばかり。
で、家康は数正を豊臣方に向かわせ、「出奔した」ということにして、田舎侍の家臣たちを説得したんだろうと
えー…個人的に徳川家のためが良いー。凄いカッコいいじゃんー。
今、家康の大河ドラマしてるけどこの人のドラマも観たいー。
松重豊さんがいい味出してる
家康より年上だけど大河ドラマほどは離れていないw大河は軍師を高齢にしたがるよな。秀吉の時の竹中半兵衛もすげぇ離れてたしw
味方に罵られようが主君と別れることになろうが、それでも忠義を貫く武士であったと思いたいです
今回の大河ドラマでも石川数正の出奔の理由をどう描写するのか気になりますね!
最後のピータードラッカーの言葉は金言だと思う。出世したり人の上に立つ人ほど心得なきゃいけない言葉であり出世したり人の上に立つ存在に上り詰めるために必要な言葉。社会の一部として生きる以上人間である以上この言葉は凄く刺さる
家康は、石川離反後に甲斐の軍法を取り入れたから、豊臣との騒乱を防ぐ説は成り立たない。
私も徳川家を守るための出奔だったと思いますね。
どうする家康でもそのように描かれていて、目頭が熱くなったなあ。
数正はかなり優秀だった
本多正信の再登場により石川数正追放になってしまいましたね~
外交担当として徳川家を支えた忠臣だったが、小牧長久手の戦い後に出奔してしまうと初めて知った時は衝撃的でした。
※余談事ですが、徳川家康さんの従兄弟である水野勝成さんも一時期は豊臣秀吉さんに仕えていました。
勝成氏、親父さんのお気に入り◯してしまって挙句に親父さんによって
他家への仕官を邪魔されてしまって
放浪してましたね…
勝成は仕方ないよね。
放浪していた先の一つが、後に領地になる備後というのも縁を感じる。
たまたまかもしれないけど。
数正の晩年、秀吉への悪口はあっても家康に対してはそういうのが無かったと聞いたことある
秀吉を侮る声があまりにも多いのでこのままだと徳川家が滅ぶと考え出奔した説はアリかも?ただ、もしそうなら家康に何も言わずに出奔したとは考えにくい。
それよりも実家を捨ててまで長年家康に忠節を尽くしたのに、家中で不忠呼ばわりされて報われなかった数正が家康を見切った可能性の方が高いかもしれません。
脱糞公の下半身にこびり着いた焼き味噌食わされたが故に裏切った説好き
秀吉は徳川征伐をやろうとしてた。
大地震で中止になったが決行されてたら間違いなく徳川は北条のような末路だっただろう。
徳川勢が秀吉に対抗するのを諦めるキッカケを作ったのが石川数正だと思う。
氏真論破した。すごい
小牧・長久手の戦いの時に、家康は領民を動員しすぎて、領内の田畑が荒れ果てて、その上天災が起きて、戦後に秀吉と再戦できる状況じゃなくなるんだよな
これまでの体制を大きく変更して一致団結するために石川数正は自身の出奔が必要だったと考えたんじゃないかな
スッキリしました😃
徳川家のNo.2は、酒井忠次でも本多忠勝でもなく、石川数正だったんよな。
基本、熱血漢ぞろいの脳筋集団な三河武士に、合戦を諦めさせるには、
「三河流軍学は全部バレた!おまえら甲州流軍学を勉強せえー」って事態に持ち込むしかなかった。
交渉力がある人は今の世の中でも大活躍するよね
ですねぇ。コミュニケーションは大事っ!言葉は人を繋ぐっ!
組織はNo.2で決まると言うけど石川数正は本当にその地位にいたと感じる。
大河ドラマの築山殿の解釈が史実と違うという声が上がっているが、実際は過去にでも行って本人に会うでもしない限り、その人となりは分からない。案外本当のところは大河の解釈が正しかったのかもしれない。石川数正についても同じこと。本人の本音が分からない以上、どんな解釈もできる。
徳川の為に敢えて汚名をかぶったという説が個人的には気に入っている。
秀吉の妹との結婚をまとめたのも数正、義理の弟として秀吉の軍門に!日米開戦時、石川数正が外務大臣だったらアノ戦争はやらなかったと時々思う。
お願いします🙇
水野勝成の採用お願いします🙏🙏🙏
主君を守るために敢えて離反した説を押したいし、なんなら家康とは打ち合わせずみだと思うたい
しかし、出奔の理由はどうあれその後息子の代で親類の連座に巻き込まれて改易になっている点を踏まえると何か相当根深いものを感じてなりません。
結果その忠義心を徳川家が理解する事無く裏切り者として石川家は潰された
石川数正は秀吉の家臣になってからどのような活躍をしたのですか?
教えて下さい。
ドラマでは名前がそれ以後ーーー。
家康の家臣だった時と比べてどうですか?
戰場での活躍は?
徳川家中での実際の評価は?
お願いします。
生き残るためにはどんな手も厭わないなんて普通
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秀吉ならば「家康の為に秀吉に仕える」のは見抜いていたかもしれない。
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裏切らなかったら酒井と並んで別格扱いされてたろうになぁ…
家康のために倒れる者達の物語のひとつなのか
松本城を作った男 大河ドラマを機会に有名になってうれしい限り
勝ちそうな相手に付いただけなのに、勝手に深読みされる石川さん。
多分直江兼続や片倉小十郎みたいに、石川数正も秀吉に自分の家臣になるよう誘われていたんだろうな。
数正は秀吉を怒らせずに徳川の未来も安泰にさせる作戦として、あえて秀吉の企みに乗って豊臣方に付いた形なんだと思う。
7:07 くらいからながれているBGMの名前ってどんなやつだか知っている方います?
私も出奔と引き換えに徳川家が滅ぼされないように秀吉に根回しを行っていたのではないかと考えています。軍法を武田家式に変えたとはいえ数正が秀吉側に付いてるハンデは大きいし天正大地震で羽柴軍が撤退したものの徳川家の領土も甚大な被害を受けているのに秀吉がこれにつけ込まないとも思えません。
彼が裏切った事により、家康の「目の上のタンコブ」的存在である真田家との合戦”第一次上田合戦”も数で優っていながら撤退していましたね。
以前の動画「島津 歳久」を思い出した。
今回の大河ドラマ配役が配役だから
20代なのかと思ってしまう。
動画ありがとうございます。
真相のほどはわかりませんけれど、徳川家も石川数正の息子を東軍としてリアリズムの側面もあるとは言え受け入れたあたり、心底まで怒っていたかどうかとは思います。
一番最後の説が山岡荘八の大長編小説「徳川家康」で採用されていますね。
石川数正がどういう理由で出奔したかは不明ですが、家康と通じていた訳ではなく独自判断だったんでしょう。徳川幕府が天下を取った後、石川家は三河譜代出身にも関わらず、外様大名として扱われました。信康事件で交渉役だった酒井忠次に文句言っていた割に厚遇したのと真逆なんですよね。
関ヶ原で息子が東軍に付いてるあたり、家康からはそこまで恨まれてなかったのかな?
大河でどう描かれるか楽しみ。
秀吉が茶の席で数正と井伊直政を同席させようとした時
直政「殿下には申し訳ありませんがコイツとだけは一緒に茶は飲めませんわ」
で帰った事もあったから家康個人はともかく家中ではダメだ許さないよな空気はあったのでしょうね
三河武士の忠誠心を信じたい。
そう、理由はどうあれ主君替えしたから石川数正の系譜は外様大名なのよ。
出奔の理由が分かったら、凄いかも。家族や友人に宛てた手紙とかで、残ってないのかな。
瀬名さんの回では交換の人質兄弟は従兄弟の子と説明されてましたが、今回は家臣の子と説明されていますが、どちらが正しいのでしょうか。
人質兄弟のお父さんの鵜殿長照という人が今川家臣で氏真の従兄弟と言われているのでどちらも正しいと思います
この漫画って信用していいんですか?
山岡荘八の小説などでは徳川家を思い、家康と二人で示し合わせてわざと裏切ったという展開になってましたね
石川数正は秀吉が天下を取る事は予想していたでしょうが、
その秀吉が亡くなった後に旧主の家康が天下を取るとは
果たして予想出来ていたのか否か……
戦国時代でかなり裏切りがあるのはそれだけ壮絶な時代だと分かる
息子達がその後、徳川へ従うが、みんな流罪になってるので、徳川の為ではないのにかなと思います
シンプルに本多忠勝や榊原康正達との衝突で居心地が悪くなったし秀吉のカリスマ性に賭けたのでしょう
徳川幕府になって石川一族はお家断絶
小牧長久手の戦い👍
石川数正も好きです🎵
武田勝頼公と徳川慶喜公が一番大好き💓♥️❤️です🎵
武田信玄と伊達政宗と明智光秀と大久保利通と後醍醐天皇が大好き💓♥️❤️です🎵
足利尊氏と織田信長と徳川家康と豊臣秀吉と源頼朝が一番大嫌い🙎♀️💔です🎵岡崎城と浜松城と青葉城と松本城と清州城と安土城が一番大好き💓♥️❤️です🎵竹中半兵衛と黒田如水と小早川隆景と上杉謙信と石田三成も好きです🎵
確か出奔した後に家康って軍法を切り替えたんでしたよね?
出奔した理由については、全てが理由でしょう。不仲と忠誠は両立します。一族郎党引き連れて出奔に成功してるから、後に禍根残すこともなく、すばらしい引き際だと思います。
なぜ数正が家康を裏切ったのかは謎です。⁉️秀吉に仕えた後は知らなかったです。関ヶ原前に失くなっていたのですね。(笑)
戦国時代って、本当に複雑なんだな……もし徳川家を守るためだとしたら、確かに後の世を見るとその選択は正しかったと言える。
小牧・長久手の戦いで勝利したのに秀吉に臣従しようとする家康と家臣団の亀裂を回避するために裏切る事によって数正に憎悪を向けさせて、軍事機密を渡す事で継戦不可能にすると考えるのが自然。 家康、秀吉、数正3名が結託しての出奔でしょ。
でも小牧・長久手以前のパッとしない家康と、関ヶ原で勝利して幕府を開いた家康とは、まるで人が変わったようだよね。色んな理由があるだろうけど、石川数正の出奔も一つじゃないかな。
秀吉からは重宝されなかったな
小早川隆景やってー
裏の裏は表なので裏切ってないと思います。
動画制作お疲れ様です(*´∀`)
非常に興味深く視聴しました
秀吉という人は小牧長久手合戦の前に織田信雄の重臣三人を誑し込んで、それと同時に
「そいつらが秀吉に内通している」
という【噂】を信雄に流してしまう人です
(;゚д゚)
このため秀吉との交渉役なんていうのは並みの人間では務まりません💦
出奔の理由は分からないけれど……大名として家を遺したのだから器量人ですよね
僕も徳川家を守るため、やむなく出奔したと思います。一向一揆の時も家康についた程の忠誠心を持っていたので、秀吉についたのは低いと思います。
後、漫画だったか、織田秀信を拉致するため、豊臣についたというのがあったような気がします。もしかしたらそれもあったのではないかとも思ってます。
徳川家に戻れず、孤独にメシ食ってたんだろうな
これは秀吉派を連れて未来の危険な芽を徳川家から遠ざけたのでは…と考えてしまう
👍👍👍👍
家康のために裏切ったという説が事実だとしたら、後に改易に処された息子は不憫だ…
(可能ならリクエスト)
・斎藤龍興
・松永久秀忠臣説(松永久秀は野心家ではなく三好長慶と三好家のために忠義を尽くした忠臣であるとする説に基づいてリメイクして欲しいです)
家康のセリフのカズマサがときどきコスモスに聞こえるwww
なんか狙ってない?
忠誠心が強過ぎて豊臣家滅亡をカソクさせた石田三成と対照的ですね。
(殿…生きてください…そして、願わくば太平の世を…)っと毎日、石川さんは想っていたと思います。
瓜を買わせる瓜売りの芸か
三河武士のコミュニティの中で孤立したらそりゃ居心地悪いよね
徳川の、家に伝はる古ぼうき、今は都の木の下をはくby石川数正
数正が裏切ったのは秀っちゃんが天下取った後なんです!でもさ家っちゃんは秀っちゃんに扱き使われたから腹が立ってた訳よだから家っちゃん挙兵しようとしたのよ本多忠勝らは賛成したが数正だけは反対したの、その理由は
兵の差と、新地江戸での民がまだ家っちゃんに慣れてないからなどの理由が浮上してるんです!でもね家っちゃんは数正の反対を押し切って挙兵を決めたのです!そんな折りに数正は突然出奔しました!それは徳川家に大きな衝撃が走りました、数正に外交その他、軍の戦法も任せきりであったのと、何より秀っちゃんに徳川家の機密事項がバレかねないからです、秀っちゃんも数正の突然の出奔に驚き、スパイじゃないかと勘ぐりましたが、徳川攻略に使えると思い
受け入れます。一方徳川は数正の出奔により、秀っちゃんに知られているかもしれない戦法を変えなければならず、兵の教育が掛かってしまいました。それにより見事数正はその身をていして徳川の侵攻を止める事が出来たのです。と書物に書いてありました。
あ!数正と家っちゃんが1度だけ再会した話があるんですよ!それが家っちゃんの妻の命日のお墓参りの時です。この時は既に、家っちゃんは当時の数正の本意を知っており強く数正を呼び戻そうとしますが数正は自分は裏切り者だから、と、決して首を縦には振りませんでしたとなんとも切ない話😭良い家臣を持ったな〜家っちゃん!「元」だけど!
すみません!興奮するとこんな喋り方になってしまうんです!どうぞご了承くださいませ!🙏
俺文を書くの力が乏しいので読みづらいと思いますが御勘弁を💦
今川の生け捕りの名前は鵜殿氏長です
鵜殿長照の息子だったっけ?忘れたけど鵜殿好きなんだよね〜!なんか憧れるんですよね✨岡部元信も好きなんですよね!
岡部の官位は丹波守です!✨
てか次回の話あの徳川四天王の酒井忠次か〜三方ヶ原の戦いで惨敗して浜松城に逃げ帰った後、櫓上で大太鼓めちゃくちゃ鳴らして武田兵になんかの策略かまたは伏兵がいると思わせて武田兵を退却させたっていうあの人か!
でも忠次、家っちゃんに嫌われちゃうんですよね😭家っちゃんが秀っちゃんの傘下に加わった時忠次秀っちゃんに特別扱いされてた事に苛立って忠次は家っちゃんに遠ざかれてしまうんですでよ!で62歳で隠居して忠次は忠次の息子に家督を継がせたんですけど忠次の息子も嫌われちゃうですよねでも酒井家は徳川の為に一生懸命に働いた結果江戸時代以降も出羽庄内藩として続いた。という話です
松本城は、数あるお城の中で一番好きです。
どうする、家康で見た場面もあった