【癒やしのSAX】やさしい気持ち/CHARA

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  • Опубликовано: 4 окт 2024
  • やさしい気持ち
    CHARA
    今宵、名曲の向こう側に想いを馳せて
    情けは人の為ならず、ということわざは
    誤用の例の筆頭としてあげられることも多いが、
    人に情けをかけるとそれがめぐりめぐって
    自分に返ってくるので、やさしい気持ちを以て
    人に接しなさいというのが本来の意味。
    まぁでも世の中そんなサイクルが成り立つような
    いい人ばかりじゃないよなぁとか
    若い頃は思っていたモノだが、ここのところ
    「自分に返ってくる」というのも
    誤用なんじゃないかと思うようになってきた。
    自分もいつの間にか年を重ねて、おぼろげながら
    「人生の終着点」がちらつくようになってきた。
    今際の際に自分の人生を振り返ったとき、
    怒ってばかりの人生だったか、それとも
    笑いが溢れる人生だったのか。
    僕なら、ずっと笑ってた人生の方がいいと思う。
    とはいえ、笑ってばかりの人生なんてそう簡単じゃない。
    そう思っていたわけだが、人生とは自分で切り開くもの。
    どうやらそれもやってやれなくはないと思えるようになったのだ。
    大学生の頃に教授と一緒に食事をしたときのこと。
    (関係ないが我々はその教授を「ドテチン」と呼んでいた)
    確かではないが、会計の時に店員がおつりを間違え
    少ない金額しか返ってこなかったように見えた。
    ここは文句を言うべきと教授に伝えたところ
    あーいいんだよそんなの、と意に介さず、平然と店を出たのだ。
    その時は何で黙っているんだろうと疑問に思っていたのだが…
    つまり、そんな小さな事で揉めてイヤな思いをするよりも
    すっぱりと切り捨てた方が、今風に言うとQOLが上がる、と
    いうことなのだろうと、だんだん理解するようになった。
    自分の心におこった怒りを冷静に見てみると、まぁ何と言うか
    半分以上、いやほとんどが「くだらない事」と
    「怒ってもどうにもならない事」だったりするのだ。
    人に話したらそんなのどうでもいいじゃん、と
    一蹴されるようなことに、いちいちイライラしていた
    ことに気づいたのだ。
    それから、「怒り」を選別するようになった。
    もちろん一朝一夕にはいかないことだが、そのあたりを
    意識して気にしないように心がけていると、驚くほど
    怒る機会が減り、そしてだんだんと
    楽しいと思える時間が増え、人生が楽になってきた。
    あのことわざの意味というのは。あるとき他人から
    情けをかけられるようになる、ということではなくて
    人を思いやることで自分の中に湧き上がる
    不要な負の感情を排除し、引いては
    人生をすばらしいものに変えてくれる、
    そんな意味があるのかもしれない。
    もしくは、「自分に返ってくる」というのは
    そういう意味だったのかもしれない。
    そのためには情け、つまりやさしい気持ちが必要。
    今の僕の目標は、あのじいさんが怒ってるところなんて
    みたことないよな、と言われる好々爺になること。
    きっと、それが幸せな人生を送る秘訣なのだろう。
    人を赦す、やさしい気持ちを以て。
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