野辺おくり ① .wmv

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  • Опубликовано: 15 окт 2024

Комментарии • 19

  • @風船真実
    @風船真実 3 года назад +25

    この動画見てて四年前死んだ母ちゃん思い出した。
    とても悲しかった。
    楽しかった思い出、叱られた思い出色々あってきりがない。
    母ちゃんの背中におんぶされて
    新聞配達に行った二歳の頃
    欲しかったキン肉マンの机を小学校入学祝いに買ってもらった事
    夏休み、カエルをいっしよに追いかけた事、仕事クビになって母ちゃん泣かせた事、バイクの免許合格して母ちゃんとても喜んだ事
    本当たくさんあった。
    耳クソの掃除してくれた事も
    ドリフビデオに録画してくれた事もありがとう。
    末期の母ちゃんはもう介護がないと歩くことも水を飲む事も出来ないほど弱々しくなってた…
    もう時間がありません
    決断をお願いします
    医師の方に言われ
    このまま楽にしてあげるか
    酸素マスクで少ない生を繋ぐか
    その2択を迫られました
    心臓マッサージを最後までお願いします‼
    それから数分
    中へ…
    呼ばれて行きました。
    母ちゃん…死んじゃった
    午後1時15分 死亡確認
    ご永眠です。
    ピー
    心電図が寂しく鳴り響く
    母ちゃん…
    母ちゃん…
    母ちゃん‼
    お母さんの手
    握ってあげて
    まだ温かい…
    涙がこぼれました。
    一人になっちゃった俺…
    父ちゃん
    母ちゃんが今そっち行くよ
    葬式の朝
    母ちゃんの最後の声が聞こえました。
    楽しくやりなよ
    康さよなら

    ありがとう母ちゃん
    頑張り抜くよ俺は

  • @mochipinmochi7206
    @mochipinmochi7206 3 месяца назад

    さいば萌さんが喜びそうな動画だ…!
    貴重な映像ありがとうございます。

  • @勝-r2d
    @勝-r2d 3 месяца назад +3

    昔の葬斂は温かみがある。みんなで協力して送る、良い風習ですよ。

  • @yuniko8069
    @yuniko8069 7 месяцев назад +6

    貴重な映像をありがとうございます。
    平成8年10月ですか・・・・西暦に直すと、1996年。今から28年前ですね。アトランタ・オリンピックのあった年でした。ついこの前のような、ずいぶんと前のような・・・・
    でも、平成の御代に野辺の送りが行われていたことに感慨もひとしおです。

    • @mochipinmochi7206
      @mochipinmochi7206 6 дней назад

      平成も入ってだいぶ経つのに、集落管理と思われるお墓の片隅に立つ、倉庫のような三昧火葬場でお焚き上げがされることにも驚きました。
      Googleマップでこちらの墓地を確認したところ、もう火葬場は取り壊されていましたね。

  • @玉虫厨子-z8o
    @玉虫厨子-z8o 3 года назад +8

    野辺送りに最後に参列したのは、千葉に嫁いで来てすぐの40年近くも昔のことです。
    まだ周囲には畑が広がり、畦道を長い列を成して歩きました。
    嫁いで日の浅い私に隣り合わせた親戚が故人の思い出や人となりを道々話してくれて、こんなに多勢に見送られて、
    住み慣れた景色を眺めながら墓場に行けたら嬉しかろうよ、としみじみ言っていたのを思い出します。
    当時のこの辺りのお葬式の別名じゃんぼんの呼び名の由来となったシンバルのような仏具を、先導するお坊さんが打ち鳴らす中、粛々と続く葬列。
    思い返しても風情のあるものでした。

  • @videosalon2010
    @videosalon2010  7 лет назад +10

    この映像はもう十数年前の話です。現在この野辺送りは絶えております。

    • @あかね-u2k2s
      @あかね-u2k2s 6 лет назад +1

      videosalon2010
      たった十数年前??
      数十年前じゃなくて?

    • @アキアカネ-d3b
      @アキアカネ-d3b 6 лет назад +3

      videosalon2010 霊柩車は❓

    • @mpn7062
      @mpn7062 6 лет назад +3

      自分の住む土地は火葬場が遠いので霊柩車が必須ですね

  • @滋野井逍洋
    @滋野井逍洋 4 месяца назад +1

    ここいう大きい葬儀をだす地主さんがお寺を檀家として支えていたからこそ、村の庶民もお寺でほどほどの布施で葬式を出せた。だから庶民は辻々で葬列を見送るのだ。

  • @ぱだこ
    @ぱだこ 6 месяцев назад

    平成初期にはまだこういう風習が残ってたんですね。自分の祖父は平成2年に他界しました。野辺送りの風習はその地区にはありませんでしたが、葬儀等の儀式は自宅で行いました。霊柩車も屋根付きの霊柩車を手配していました。参列者へ振舞う料理は地域の女衆で協力して朝から作ってましたね。

  • @higasisaijou
    @higasisaijou 4 года назад +5

    この霊柩車が使われてる所は無いでしょう 廃火葬場に残されてることが多い。

  • @四本柱
    @四本柱 Год назад +3

    手引き霊柩車一度はお目にかかりたい

  • @harris717
    @harris717 3 года назад +5

    平成なのにびっくり

  • @蒼井由依
    @蒼井由依 7 лет назад +5

    都心の遣り方と異なり、霊柩車がリヤカーには驚きました。

    • @玉虫厨子-z8o
      @玉虫厨子-z8o 3 года назад +3

      ガソリン車では皆が就いて歩けませんよ。
      埋葬地まで死者を歩いて送る儀式なのですから。

    • @Ukraine26666
      @Ukraine26666 2 года назад +1

      @@玉虫厨子-z8o 在中国是抬棺

  • @伊藤悟-k9t
    @伊藤悟-k9t 7 лет назад +5

    三昧に、人力霊柩車!
    あるんですね、現役で。