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私が持っている、児童鉄道書籍には、『今から15年程前に、新しいSLを造ろうとした事があります...』と、紹介していた😢
C58は丙線で70km/h以上になると強い振動が起きたのですが、乙線や甲線ではC51やC57と肩を並べても平気だったそうで線路状態が悪いと動輪の高速回転は無理があるようです(D60も丙線で速度を出すと異常走行をするため若干の軌道強化で対処)
デフがカッコいい。速そうなイメージ。ブルートレイン牽く姿を見たかった。
モダンですよねー(かっこいい!亜幹線ならチャンスあったかも 出雲とか
当初設計時は幹線優等列車向け専用機だったC62と違って、亜幹線ローカル線向け客貨車兼用機で乙線規格線路を走行出来て、実質的な運用として一番列車として入線したら終列車まで、給水のみで石炭補給無しでローカル線往復可能な効率的な蒸気機関車。C63に求められたのは8620とC56代替機としての役割でしょう。
残念ながらその為に必要な燃焼室が無かったので無理です
子供の頃から誰か造ってくれないかなぁと思っていた。JR東日本あたり新造してくれないかな?
かつて郡山駅在来線券売機のところにC63のライブスチームが展示されてた
うーんじゃC58でよくね? ってなりますわなw結果論で言えば最後に必要だったのは、速度はそれほどでもなくてよいので、小回りが効いて粘着力があって丙線でも支障なく、短距離貨物、たまに客車、そして入れ替え業務を地味にこなすやや小型の1D機関車それって9600じゃんw て9600が老骨にむち打ってヨレヨレになりながら事実上最後のSLになったのは、じつはそこにこそ後継機が必要だったのを物語っているかと
…仮に量産されたとしても、そもそもの需要が少なかったでしょうから、10数両からせいぜい50両以下だったでしょうね…😅
DF50がC51の代替で良かったのも大きかったのかな。DD51の様に「D51の牽引力と、C61の速度性能を両立させること」な高い目標が最初からあったら、C63が少数生産されていたかもしれない。
1機でも作って欲しかったなぁ〜
まあ、C58がバランスが悪いというのは、車両の設計に由来するのが、保線の状態に由来するのかで意見が分かれていたこれは広火室の採用と径の小さい動輪を車体中央に寄せたことでバランスが狂ったとされたそこで実際にどのような揺動が起きるのか調査しようとしたところ、保線が終了した区間を走行したことでまったく揺動が発生せず、調査のしようがなかったとされる実際に現在保線のしっかりした路線で動態保存されていて、まったく問題がないので保線の方に問題があったものと考えられているまったくの余談だが、現在動態保存されているC58を、C63っぽい見た目にしたら面白いような気もする
このC63ってマイクロエースで製品化されてたんですよね。にしても、実物を見てみたかったわ。
けど、機動性だけはC62機関車、デゴイチ機関車が一番のようですな。SLぐんまみなかみ、SLぐんまよこかわ、SLニセコで起用されたわけがありました。
わたし、マイクロエースのC63、持ってますよ!販売されると知った時点ですぐ予約しました。今では、永久保存機です。
計画のみで終わってしまった蒸気機関車は他に第二次世界大戦中に計画されたke50(d52を大型化させ2-10-2にした機関車)とかありますね。
C63の蒸気機関車が、出ていたら〜、というのを考えてしまう。たぶん、ちゃんとした用途(本運用(貨物、旅客))には、数年くらいで終えて、その後は、イベント列車に、使われるような気もします。こういうのは、夢が、あっていいなと思います。
C63は、JR郡山駅に国鉄の有志が作った精密な15インチゲージ模型( たぶんロムニー鉄道と同じ ) があり、開成山公園の桜まつり ( 2:05の写真がそれ ) では実際に蒸気で走るんですよ😆
引退(前に作られた機関車)したのが、たまに駅に飾られたりしますね。(聞いた話だと2両か3両作った……みたいなお話を昔、郡山工場で働いていた方から伺った記憶が……)
空力の良さそうなデフが なんだかカッコ良く 完成していたら急行列車を牽く事もあったのかな?アメリカにも『ACE3000』という計画倒れSLがありました。
これ、英国のトルネード号のように作ってみるのもテですけど...どこで走らせるか...ですよね...
九州?
C-63…、私もNゲージの模型を持っているんですが、この蒸気機関車の最大の不運なところは、この設計図面が出来た同時時に、DF50が出来ただったところなんですよね…😅。
昔の鉄道博物館で模型が展示されていました。
C63が登場しても直ぐに国鉄の無煙化政策によって大して活躍出来ないまま引退させられてたかも知れないのでそう考えると製造せずに幻のままで良かったと思います日本の国鉄と同型の蒸気機関車が80年代まで活躍してた台湾やタイであれば造る意味は十分にあったかと思いますね
他にもKE50とかKD53とか、実現したら面白かっただろう機関車はたくさんいるけど、やっぱり登場しなかったからロマンもあるんだろうな
マイクロエースのC63、無装飾の2号機の方を持ってます。1号機も店頭にあって悩んだのですが、お召し仕様だと使い勝手が微妙なので2号機を買いましたな。その後1号機も買おうかと店に行ったらもうなかった…。(ちなみに、セット限定で3号機もあったようです)
径が大きくて、顔がでかい機関車は無骨でかっこいい
協三工業等のJVで完成させ、大井川鐵道で走る姿が見たい。
確か、同じ時期の東西ドイツでも鉄道界は似たような状況に陥っており、それぞれ軸配置2-6-2(1C1)の蒸気機関車を新規製造して亜幹線の老朽機を置き換えていたような。軸配置がC58と同じなのに加えて、動輪はC55と同じ1750mm(しかも、水かき付きスポークも一緒)、C56と似ていかにも後方視界が良さそうな形状のテンダーという外観。幻のC63計画はそれの影響かな?と思っています。
作られてもc58の追加生産のイメージしかしない。
岩倉高校の工作研究部がC63のライブスチームを作ってたっけな
小さい時にこの話を聞いたときはワクワクしましたが・・・C63はC58の焼き直しでしか無いので名機の生まれた時代からすると繋ぎ以外の意味は無い。戦後新製のE10ですら踏んだり蹴ったりだったので幻のままで良かったかと。動力近代化は無煙化だけではなく人員削減も目的なので機関車1両に2人必要なSLは減らしたい。なので多少非力でもディーゼル機関車に置き換えていくのは必然。ディーゼルなら重連総括制御も可能なので。
C63よりC55のボイラに燃焼室着けてD52系統の走行部に乗せたKD55Bとでも呼ぶべき機関車作った方がよっぽど使い物になったのでは?ちなみに史実のペーパープラン機はC57ボイラにD51走行部のKD55。
プレートが京都にあるんなんか嬉しいな(関西人)
代わりにDF50形ディーゼル機関車がDD51までのつなぎになった感じか。
空転大将になりそう
イギリスみたいなことはできないだろうなぁ。
学校の正門にC63型の模型はまだあるのかな?
岩倉高校のC63は今でもイベントの際に運行されており、文化祭などで乗ることも出来ます。
情報ありがとうございます。私が通ってた頃はまだ作成中でした(確か鉄道工作部)かな?
USスチールを予定通り日本企業が買収し、その記念でC63を新造してくれたら最&高
少数でも生産されてれば今保存機として使い勝手良さそうではありますよねぇ。まぁ、90年代~00年代に刊行された書籍ではD51小型版のKD55をD53として作ったほうが9600形置き換え用としては良かったのではとも言われてますが実際の所どうだったのか。
電化と無煙化が進みつつある頃にわざわざ新製するメリットなかったからかも?
私が持っている、児童鉄道書籍には、『今から15年程前に、新しいSLを造ろうとした事があります...』と、紹介していた😢
C58は丙線で70km/h以上になると強い振動が起きたのですが、乙線や甲線ではC51やC57と肩を並べても平気だったそうで
線路状態が悪いと動輪の高速回転は無理があるようです(D60も丙線で速度を出すと異常走行をするため若干の軌道強化で対処)
デフがカッコいい。速そうなイメージ。ブルートレイン牽く姿を見たかった。
モダンですよねー(かっこいい!
亜幹線ならチャンスあったかも 出雲とか
当初設計時は幹線優等列車向け専用機だったC62と違って、亜幹線ローカル線向け客貨車兼用機で乙線規格線路を走行出来て、実質的な運用として一番列車として入線したら終列車まで、給水のみで石炭補給無しでローカル線往復可能な効率的な蒸気機関車。
C63に求められたのは8620とC56代替機としての役割でしょう。
残念ながらその為に必要な燃焼室が無かったので無理です
子供の頃から誰か造ってくれないかなぁと思っていた。JR東日本あたり新造してくれないかな?
かつて郡山駅在来線券売機のところにC63のライブスチームが展示されてた
うーん
じゃC58でよくね? ってなりますわなw
結果論で言えば最後に必要だったのは、
速度はそれほどでもなくてよいので、小回りが効いて粘着力があって丙線でも支障なく、短距離貨物、たまに客車、そして入れ替え業務を地味にこなすやや小型の1D機関車
それって9600じゃんw て
9600が老骨にむち打ってヨレヨレになりながら事実上最後のSLになったのは、じつはそこにこそ後継機が必要だったのを物語っているかと
…仮に量産されたとしても、そもそもの需要が少なかったでしょうから、10数両からせいぜい50両以下だったでしょうね…😅
DF50がC51の代替で良かったのも大きかったのかな。
DD51の様に「D51の牽引力と、C61の速度性能を両立させること」な高い目標が最初からあったら、C63が少数生産されていたかもしれない。
1機でも作って欲しかったなぁ〜
まあ、C58がバランスが悪いというのは、車両の設計に由来するのが、保線の状態に由来するのかで意見が分かれていた
これは広火室の採用と径の小さい動輪を車体中央に寄せたことでバランスが狂ったとされた
そこで実際にどのような揺動が起きるのか調査しようとしたところ、保線が終了した区間を走行したことでまったく揺動が発生せず、調査のしようがなかったとされる
実際に現在保線のしっかりした路線で動態保存されていて、まったく問題がないので保線の方に問題があったものと考えられている
まったくの余談だが、現在動態保存されているC58を、C63っぽい見た目にしたら面白いような気もする
このC63ってマイクロエースで製品化されてたんですよね。
にしても、実物を見てみたかったわ。
けど、機動性だけはC62機関車、デゴイチ機関車が一番のようですな。SLぐんまみなかみ、SLぐんまよこかわ、SLニセコで起用されたわけがありました。
わたし、マイクロエースのC63、持ってますよ!販売されると知った時点ですぐ予約しました。今では、永久保存機です。
計画のみで終わってしまった蒸気機関車は他に第二次世界大戦中に計画されたke50(d52を大型化させ2-10-2にした機関車)とかありますね。
C63の蒸気機関車が、出ていたら〜、というのを考えてしまう。
たぶん、ちゃんとした用途(本運用(貨物、旅客))には、数年くらいで終えて、その後は、イベント列車に、使われるような気もします。
こういうのは、夢が、あっていいなと思います。
C63は、JR郡山駅に国鉄の有志が作った精密な15インチゲージ模型( たぶんロムニー鉄道と同じ ) があり、開成山公園の桜まつり ( 2:05の写真がそれ ) では実際に蒸気で走るんですよ😆
引退(前に作られた機関車)したのが、たまに駅に飾られたりしますね。(聞いた話だと2両か3両作った……みたいなお話を昔、郡山工場で働いていた方から伺った記憶が……)
空力の良さそうなデフが なんだかカッコ良く 完成していたら急行列車を牽く事もあったのかな?
アメリカにも『ACE3000』という計画倒れSLがありました。
これ、英国のトルネード号のように作ってみるのもテですけど...
どこで走らせるか...ですよね...
九州?
C-63…、私もNゲージの模型を持っているんですが、この蒸気機関車の最大の不運なところは、この設計図面が出来た同時時に、DF50が出来ただったところなんですよね…😅。
昔の鉄道博物館で模型が展示されていました。
C63が登場しても直ぐに国鉄の無煙化政策によって大して活躍出来ないまま引退させられてたかも知れないのでそう考えると製造せずに幻のままで良かったと思います
日本の国鉄と同型の蒸気機関車が80年代まで活躍してた台湾やタイであれば造る意味は十分にあったかと思いますね
他にもKE50とかKD53とか、実現したら面白かっただろう機関車はたくさんいるけど、やっぱり登場しなかったからロマンもあるんだろうな
マイクロエースのC63、無装飾の2号機の方を持ってます。1号機も店頭にあって悩んだのですが、お召し仕様だと使い勝手が微妙なので2号機を買いましたな。その後1号機も買おうかと店に行ったらもうなかった…。(ちなみに、セット限定で3号機もあったようです)
径が大きくて、顔がでかい機関車は無骨でかっこいい
協三工業等のJVで完成させ、大井川鐵道で走る姿が見たい。
確か、同じ時期の東西ドイツでも鉄道界は似たような状況に陥っており、それぞれ軸配置2-6-2(1C1)の蒸気機関車を新規製造して亜幹線の老朽機を置き換えていたような。軸配置がC58と同じなのに加えて、動輪はC55と同じ1750mm(しかも、水かき付きスポークも一緒)、C56と似ていかにも後方視界が良さそうな形状のテンダーという外観。幻のC63計画はそれの影響かな?と思っています。
作られてもc58の追加生産の
イメージしかしない。
岩倉高校の工作研究部がC63のライブスチームを作ってたっけな
小さい時にこの話を聞いたときはワクワクしましたが・・・
C63はC58の焼き直しでしか無いので名機の生まれた時代からすると繋ぎ以外の意味は無い。
戦後新製のE10ですら踏んだり蹴ったりだったので幻のままで良かったかと。
動力近代化は無煙化だけではなく人員削減も目的なので機関車1両に2人必要なSLは減らしたい。
なので多少非力でもディーゼル機関車に置き換えていくのは必然。
ディーゼルなら重連総括制御も可能なので。
C63よりC55のボイラに燃焼室着けてD52系統の走行部に乗せたKD55Bとでも呼ぶべき機関車作った方がよっぽど使い物になったのでは?ちなみに史実のペーパープラン機はC57ボイラにD51走行部のKD55。
プレートが京都にあるんなんか嬉しいな(関西人)
代わりにDF50形ディーゼル機関車がDD51までのつなぎになった感じか。
空転大将になりそう
イギリスみたいなことはできないだろうなぁ。
学校の正門にC63型の模型はまだあるのかな?
岩倉高校のC63は今でもイベントの際に運行されており、文化祭などで乗ることも出来ます。
情報ありがとうございます。
私が通ってた頃はまだ作成中でした(確か鉄道工作部)かな?
USスチールを予定通り日本企業が買収し、その記念でC63を新造してくれたら最&高
少数でも生産されてれば今保存機として使い勝手良さそうではありますよねぇ。
まぁ、90年代~00年代に刊行された書籍ではD51小型版のKD55をD53として作ったほうが9600形置き換え用としては良かったのではとも言われてますが実際の所どうだったのか。
電化と無煙化が進みつつある頃に
わざわざ新製するメリットなかったからかも?