【ゆっくり解説】もしも三好長慶と織田信長が戦っていたらどうなっていたのか?

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  • Опубликовано: 5 ноя 2024

Комментарии • 14

  • @ごんちゅうなごん
    @ごんちゅうなごん 3 дня назад +11

    松永久秀は近年見直されていますよ、長慶に忠節を誓い死後も三好宗家には敬意を払っていた。そんな人が長慶嫡男を暗殺する?将軍暗殺も御所巻説が近年は有力で、東大寺焼き討ちも不慮の失火説が有力。久秀への悪人説はどれも憶測論ばかり

  • @武闘派のび太
    @武闘派のび太 3 дня назад +3

    長慶と信長の戦いに朝倉義景が乗じたり長慶が武田信玄と組んで信長の背後を衝かせた可能性もなかったとは言い切れない。この動画のような滅び方をしたとは限らない。

  • @moikeru1
    @moikeru1 3 дня назад +3

    このifは一考の価値があると思う。どの三好とどの織田が会戦するのかで話が変わるけど。お互い変化が大きいから。

  • @racing_high
    @racing_high 3 дня назад +2

    国力、家臣団、勢力、周辺状況、いつのタイミングかによっても変わる話だと思う。
    ただ、どちらもあれだけの勢力を誇った割に線の細い性格をしている。
    互いに序盤は左程顔を出さない面でもあるが...
    一度その繊細な性格が出始めると内に籠る方向に向かってしまうのが長慶。
    今風に言うなら鬱病系。
    繊細故病んで自身を蝕むものは斬り従えるしかない、と躁鬱の系が強くなる信長。
    復讐はどちらも忘れない性格。
    権力?なんのその。
    は長慶のが割り切るタイプに感じるが物事を基本的に割り切る性格の信長。
    何事にも辛抱強い長慶と辛抱強くあろうとするが中々に気の短い性格している信長。
    戦術には高いレベルで才を発揮するも戦略面が個人的には怪しく感じる長慶。どちらも平均以上、その上俯瞰で捉え判断する事を得意とする信長。
    どちらが勝ってもおかしくはない。
    ただ、長慶鬱の時に信長が決戦仕掛けてくると三好不利。
    念入りに丁寧に完璧に準備する長慶vs考えながらもまず動き状況において臨機応変タイプな信長
    考えると分からなくなるな...
    どちらが勝つか。

  • @koitaku
    @koitaku 3 дня назад +2

    もしも本当に三好長慶と織田信長が戦ったとしたら、こんな一方的な信長勝利とはならない気がする。信長が足利義輝を使って三好包囲網でも築けば話は別だけど。

  • @user-takeda.nobushige.
    @user-takeda.nobushige. 3 дня назад +3

    畿内を抑えていたのは三好ですからね。そう簡単に織田有利とはならないと思いますよ。
    初の石垣の城も信長ではなく長慶(芥川山城)ですし、もっと長慶は評価されてよい人物。

  • @吉見正頼
    @吉見正頼 3 дня назад +1

    阿波細川持隆の実名は、氏之と判明しています。

  • @モカちゃん推し
    @モカちゃん推し 2 дня назад

    なんだかんだ、一番の被害者は松永久秀、戦国一かも

  • @hutaenokimami
    @hutaenokimami День назад

    松永久秀の評価や実績は見直されてるはずなのに主はしらないのかな
    安宅冬康のしについても諸説あるのに
    主の知識ってなんか古いんだよな

  • @voodasuck9441
    @voodasuck9441 3 дня назад

    このチャンネル楽しいから苦言、もしもは辞めて欲しい。もしもはゲームだけで充分。

  • @鼻毛-d4w
    @鼻毛-d4w 3 дня назад +2

    三好長慶は織田信長に勝てないな

  • @バード-g3o
    @バード-g3o 3 дня назад +1

    松永に翻弄された時点で信長の足元にも及ばない。
    虎と猫ほどの差があるよ。

    • @umam9664
      @umam9664 3 дня назад +3

      長慶は別に久秀に翻弄されてないでしょ。

    • @MUSASI40
      @MUSASI40 3 дня назад +3

      ちなみに長慶存命時の弾正さんの異名は天下無双の執事で長慶には 忠実に仕えているというのが当時の世間のイメージ梟雄という イメージが定着してしまったのは 信長に仕えた以降の話