【サライ懐かしき風景13:広島県東広島市高屋町白市】静かな佇まいが故郷を思い出させてくれる「時間が止まった町」

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  • Опубликовано: 7 фев 2025
  • 風景とは、実に儚いものだと思うことがございます。それは、存在するはずの風景が忽然と無くなってしまった時のこと。
    今日まで、日本の原風景を大きく変化させてきたのは、高速道路やダムの建設、整備新幹線のような大規模な建設事業。あるいは生活環境や住環境の変化によって進められた都市の再開発、新興住宅地の開発などであったと思われます。団塊の世代の方であれば、1970年代の「日本列島改造論」を連想される方も多いのかもしれません?
    都市開発から取り残された集落
    大がかりな建設事業では、時として同じ場所かと見紛うほどに、周辺の風景や町の雰囲気までも変えてしまうことも。規模の大きな都市開発においては、暮らしは便利になれども、人との繋がりが稀薄になってしまったなどの社会問題も囁かれます。
    いずれにしましても、変化してしまった日本の原風景の深部には、社会の光と影が見え隠れします。その「光と影」の正体を考えてみると、それは「人流の変化」にあるように思えます。かつて人や車が頻繁に往来していた町や集落でさえも、高速道路や新たな道路が開通すればパッタリと寂れてしまう…。地方では、そんな町や集落を数多く目にしてきました。
    「人とお金と物の流れ」を地方へと分散させるはずだった大規模な建設事業は、逆に大都市への流れを加速させてしまい、その結果、人口分布の偏りを生み、多くの限界集落を作り出してしまったように見えます。
    ただ、こうしたことが悪いことばかりかと言えば、強(あなが)ち、そうとばかりは言えない部分もあります。例えば、高速道路の建設ルートから外れてしまった町や集落には、一見、寂れているようにも見えますが、幸いなことに日本の原風景をとどめていることがあります。
    そうした町や集落では、観光地と化し土産物屋が立ち並んだ、摸倣されたかのような「原風景」ではなく、求め思い描く日本の原風景を見つけられる場合があります。
    今回の「懐かしき風景」では、長い間、その集落全体の時間が停まっているかのように感じさせてくれる「日本の原風景」をご紹介します。

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