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長野県民です。森将軍塚は一度行ったことがあります。周囲には積み石古墳群が散財し、独自の勢力があったようですね。非常に興味ある内容でした。
ご視聴ありがとうございます。ここまで調査をしっかりした上で復元整備をし、なおかつ麓には立派な展示施設がある古墳はそんなに多くないのではないでしょうか。多くの方に見てほしい古墳ですね。
この古墳は個人的に日本一美しいと思います。当時の前方後円墳体制の規格内に収まらない運用が見て取れる事と、地形図だけ見ると楯築墳丘墓の様にも見える作り出しがあったり前方後方墳っぽいシルエットだったりして面白いですね。同じ山頂にある隣の有明将軍塚古墳は四隅突出型墳丘墓の突出部の様な作り出しが後円部から伸びていて、各地方のルーツみたいなものも感じるんですよね
独特の作り方・外観ですね。正円の後円部にして小型の前方後円墳にするよりも、いびつな後円部になってもいいからどうしても100m級の前方後円墳にしたかったのでしょうか。有明将軍塚古墳はそんな独特な形なんですね。ご教示ありがとうございます。今度行った時には、是非川柳将軍塚をはじめとした後続する古墳も見学してみたいと思います。
やはり、当時の首長は100メートルというサイズに相当拘りを持っていたんですね、この竪穴石室といい尾根状の平坦地をはみ出して斜面まで墓域にする土木技術といい、この古墳を造った人達は只者では無いですよね。現代であってもこの様な土地に改変を施すとゴルフ場でたまにある様に数年で崩れてしまう事も多いと思います。4世紀当時、低地の痩せ尾根の古墳造営に特化した畿内にここまでの特殊技術は存在したのかな?と思う事もあります。
古墳までバスも出ていますが、歩いて登っても気持ちいいですね。築造には大変な労力を要したと思います。被葬者の権力(財力、人徳)も大きかったのでしょう。
ご視聴ありがとうございます。撮影時間が5時を回っていまして、日没との競争になってしまい、駆け足で登っていって撮影しました。バテました(笑)。築造の労力は本当に凄いですね。よくこんな高い所に造ったと思います。前期古墳は特にこの傾向が強いので、やはり古墳を作る場所として、見晴らしのいい所を選ぶという認識が、広い範囲で共有されていたのではないでしょうか。
実家が古墳のすぐ近くですが、今はバスで行けるの知らなかったです💦小さい頃は地区の清掃活動で毎年登らされました。古墳よりも清掃後に振る舞われる豚汁だけが楽しみでした笑
良く知られ形が特異なことしかわからなかった。平面の写真だけだとあまり大したことない気がしたけど、いろんな角度からまた調査の様子から、執念のような築造が行われたことがわかりました
面白い形の古墳ですね。築造当時は形よりも大きさがステータスを表していたのでしょうか。石垣を縦横に積む工法にたどり着くまで、携わった人たちが侃々諤々、試行錯誤し苦労なさったかもしれませんね。
何としてでも大きく作りたいという思いが、このような形の古墳になったんですかね? 発想も面白いですが、城と同じく、実際に古墳作りに携わった人達は大変だったでしょうね。
いち早く善光寺平を支配した”王”の墓でしょうか。死後も領地を見下ろしていたいという被葬者の想いと、下から見上げる領民たちへの権威付けを目的として、後継の王がこの場所を選んだのでしょうかね。「最古にして最大」ということは、この後”初代”?を凌駕する王は現れなかったということでしょうね。
ご視聴ありがとうございます。古墳時代と言っても、前期・中期・後期を通じて古墳の大きさがステータスを表し続けたのではなく、何か他の指標に変わっていった可能性もあるのではないでしょうか。
藁や葦の様なもので葺いた屋根の時代に石を積んで構造体を造る労力、どんな思いだったんだろうか?
これだけの巨大な古墳を山の頂上に造る労力は物凄かったでしょうね。どんな思いで作っていたのか、気になりますね。
アンズの季節に訪れたいものです🌸
いいですねぇ〜同じ森地区ですもんねぇ〜
2022年は4月11日で満開ぎりぎり。2023年は3月28日(明日)に行きます。満開だそうです~
森将軍塚古墳からあんず里が少し見え…ピンクに霞んでました~🌸
@@弘見目 小説を読んでいたら「昔は善光寺の鐘が聞こえるところに杏が実ると言い更埴にも届いたのだろう…」と書いてありました。風情を感じます。
カッコええ!。いい古墳ですね~。登ってみたいですね!地元民たちが、護ってくださるので、被葬者の方も地元民を護ってくださると思います。要望ですが、九州の古墳を説明してください
よく残ってきましたし、またよくここまで復元しましたね。麓には竪穴式石室の実物大模型と出土品の展示がされている資料館と、実物大復元された集落があり、結構楽しめますよ。
西の五色塚古墳、東の森将軍塚古墳かなぁ~
返信が遅くなり申し訳ありません。ご視聴いただき、ありがとうございました。そうですね。五色塚古墳はとても綺麗に整備されていますね。あと、群馬県の保渡田八幡塚古墳もよく整備されている気がします。五色塚と保渡田八幡塚古墳はいつか行ってみたいですね。
ココが調査発掘される前、地元の小学生は4年になると社会科見学の名のもとに、登らされます。確かに景色はいいですが、登山道はけもの道でカモシカおるし、傾斜厳しい。子供には迷惑な授業だった。ちなみに整備される前はきったねえただの丘で、誰でも入れるからきっと土器の欠片とか勝手にお土産にしてたし、考古学的価値のある形跡とか踏み荒らし放題。悪い事したなぁと思ってます。
そうなんですね。その時代をご存じだと、今の整備された状態は見違えるようというか、違いすぎますよね。でもここまでしっかりと調査をしたうえで復元されているのは羨ましいです。土器のかけらをお土産にしたくらいなら可愛いものですね。以前のコメントでは、横穴式石室にあった鉄刀でチャンバラごっこしていたっていう人がいました(笑)。
長野県民です。森将軍塚は一度行ったことがあります。周囲には積み石古墳群が散財し、独自の勢力があったようですね。
非常に興味ある内容でした。
ご視聴ありがとうございます。ここまで調査をしっかりした上で復元整備をし、なおかつ麓には立派な展示施設がある古墳はそんなに多くないのではないでしょうか。多くの方に見てほしい古墳ですね。
この古墳は個人的に日本一美しいと思います。当時の前方後円墳体制の規格内に収まらない運用が見て取れる事と、地形図だけ見ると楯築墳丘墓の様にも見える作り出しがあったり前方後方墳っぽいシルエットだったりして面白いですね。同じ山頂にある隣の有明将軍塚古墳は四隅突出型墳丘墓の突出部の様な作り出しが後円部から伸びていて、各地方のルーツみたいなものも感じるんですよね
独特の作り方・外観ですね。正円の後円部にして小型の前方後円墳にするよりも、いびつな後円部になってもいいからどうしても100m級の前方後円墳にしたかったのでしょうか。有明将軍塚古墳はそんな独特な形なんですね。ご教示ありがとうございます。今度行った時には、是非川柳将軍塚をはじめとした後続する古墳も見学してみたいと思います。
やはり、当時の首長は100メートルというサイズに相当拘りを持っていたんですね、この竪穴石室といい尾根状の平坦地をはみ出して斜面まで墓域にする土木技術といい、この古墳を造った人達は只者では無いですよね。現代であってもこの様な土地に改変を施すとゴルフ場でたまにある様に数年で崩れてしまう事も多いと思います。4世紀当時、低地の痩せ尾根の古墳造営に特化した畿内にここまでの特殊技術は存在したのかな?と思う事もあります。
古墳までバスも出ていますが、歩いて登っても気持ちいいですね。
築造には大変な労力を要したと思います。被葬者の権力(財力、人徳)も大きかったのでしょう。
ご視聴ありがとうございます。撮影時間が5時を回っていまして、日没との競争になってしまい、駆け足で登っていって撮影しました。バテました(笑)。築造の労力は本当に凄いですね。よくこんな高い所に造ったと思います。前期古墳は特にこの傾向が強いので、やはり古墳を作る場所として、見晴らしのいい所を選ぶという認識が、広い範囲で共有されていたのではないでしょうか。
実家が古墳のすぐ近くですが、今はバスで行けるの知らなかったです💦
小さい頃は地区の清掃活動で毎年登らされました。古墳よりも清掃後に振る舞われる豚汁だけが楽しみでした笑
良く知られ形が特異なことしかわからなかった。平面の写真だけだとあまり大したことない気がしたけど、いろんな角度からまた調査の様子から、執念のような築造が行われたことがわかりました
面白い形の古墳ですね。築造当時は形よりも大きさがステータスを表していたのでしょうか。石垣を縦横に積む工法にたどり着くまで、携わった人たちが侃々諤々、試行錯誤し苦労なさったかもしれませんね。
何としてでも大きく作りたいという思いが、このような形の古墳になったんですかね? 発想も面白いですが、城と同じく、実際に古墳作りに携わった人達は大変だったでしょうね。
いち早く善光寺平を支配した”王”の墓でしょうか。死後も領地を見下ろしていたいという被葬者の想いと、
下から見上げる領民たちへの権威付けを目的として、後継の王がこの場所を選んだのでしょうかね。
「最古にして最大」ということは、この後”初代”?を凌駕する王は現れなかったということでしょうね。
ご視聴ありがとうございます。古墳時代と言っても、前期・中期・後期を通じて古墳の大きさがステータスを表し続けたのではなく、何か他の指標に変わっていった可能性もあるのではないでしょうか。
藁や葦の様なもので葺いた屋根の時代に石を積んで構造体を造る労力、どんな思いだったんだろうか?
これだけの巨大な古墳を山の頂上に造る労力は物凄かったでしょうね。どんな思いで作っていたのか、気になりますね。
アンズの季節に訪れたいものです🌸
いいですねぇ〜
同じ森地区ですもんねぇ〜
2022年は4月11日で満開ぎりぎり。2023年は3月28日(明日)に行きます。満開だそうです~
森将軍塚古墳からあんず里が少し見え…ピンクに霞んでました~🌸
@@弘見目 小説を読んでいたら「昔は善光寺の鐘が聞こえるところに杏が実ると言い更埴にも届いたのだろう…」と書いてありました。風情を感じます。
カッコええ!。
いい古墳ですね~。
登ってみたいですね!
地元民たちが、護ってくださるので、被葬者の方も地元民を護ってくださると思います。
要望ですが、九州の古墳を説明してください
よく残ってきましたし、またよくここまで復元しましたね。麓には竪穴式石室の実物大模型と出土品の展示がされている資料館と、実物大復元された集落があり、結構楽しめますよ。
西の五色塚古墳、東の森将軍塚古墳かなぁ~
返信が遅くなり申し訳ありません。ご視聴いただき、ありがとうございました。そうですね。五色塚古墳はとても綺麗に整備されていますね。あと、群馬県の保渡田八幡塚古墳もよく整備されている気がします。五色塚と保渡田八幡塚古墳はいつか行ってみたいですね。
ココが調査発掘される前、地元の小学生は4年になると社会科見学の名のもとに、登らされます。
確かに景色はいいですが、登山道はけもの道でカモシカおるし、傾斜厳しい。子供には迷惑な授業だった。ちなみに整備される前はきったねえただの丘で、誰でも入れるからきっと土器の欠片とか勝手にお土産にしてたし、考古学的価値のある形跡とか踏み荒らし放題。悪い事したなぁと思ってます。
そうなんですね。その時代をご存じだと、今の整備された状態は見違えるようというか、違いすぎますよね。でもここまでしっかりと調査をしたうえで復元されているのは羨ましいです。土器のかけらをお土産にしたくらいなら可愛いものですね。以前のコメントでは、横穴式石室にあった鉄刀でチャンバラごっこしていたっていう人がいました(笑)。