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神社ねこさん動画ありがとうございます。勉強させてもらっています。
YNさん、ご視聴ありがとうございます。楽しんで貰えたらと思います。
嬉しい動画ありがとうございます。饒速日の妻のトミヤス姫ですが、かなりの頻度でトミヤ姫と書かれていて、私が最初に知った饒速日の記述の中ではトミヤス姫と書かれていたので、ずっとそれが引っかかってたんです。ヤスという地名があったという事ですっとしました。私が神社巡りを始めた頃ある時気づいたんです。饒速日にまつわる神社に参拝した時に魂が震える感覚、すなわち魂が喜んでると。そこから饒速日って?と色々調べ始めた時に妻の名前を知りハッとしたんです。トミヤス姫。実は私の苗字がとても近く…それから色々と神社巡りをしています😊
@Cherry-zz7fn さんご視聴・コメントありがとうございます。自分の名前が縁で神社巡りをするのをお聞きしまして、実は私も同じです。自身の先祖(かもしれない方)の事が気になって、神社巡りや、神様の事調べたりしてます。いつか、たどり着けるといいなとは思いますが、先は見えません。ただこの道のりもライフワークとして楽しんでいきたいと思っています。
こんちは✨😃❗お久しぶり‼️です!👍️なんと🎵👊😆🎵壮大な物語になりますよね‼️これからもご活躍期待しています!!(*≧∇≦)ノ配信ありがとうございました!
@DIKOKUKEN さんご無沙汰しております。ご視聴・コメントありがとうございます。私が半年近く動画UPしていませんでしたのでまた、これからは定期的にUPしていきます。よろしくお願いします。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 私も阿波説を追いながらずっと物部川のことが気になっていました。上流は剣山だし。ちなみに・・土佐神社(一宮)のご祭神はなんと!!!!!!アジスキタカヒコネの命です!! どうしよう。眠れません。
ご視聴とコメントありがとうございます。高知県にはアジスキタカヒコネを祀る神社が多くて驚きました。きっと意味がありますね🎵
味耜高彦根の妻が天津羽々で天日鷲の妹です。
高知県民です。動画楽しく拝見させていただきました😊見応えがありすごく勉強になりました!動画を見る以前Googleマップを見ていると天忍穂別神社を偶然見つけ1人で参拝させていただきましたがGoogleマップの地図と少し誤差があり民家に辿り着きました😅偶然住人の方が近くにいたので話を聞いたところ場所を丁寧に教えていただいた記憶があります😊地元住人からは石舟さまの愛称で親しまれ、今も大切にされているのが伝わりました。今後も動画楽しみにしています。
@raw42088 さんご視聴・コメントありがとうございます。偶然見つけたられたのは凄いですね。私も先日伺いました。そうなですよね、Googleマップだとたどり着けないんですよね。何周もぐるぐる回ってしまいました。本日動画を公開するのですが、天忍穂別神社も訪れていますのでご覧頂ければと思います。その中でも、Googleマップのままだとたどり着けないですよ、とコメントしました(笑)
ヘルパーさんも良い人でよかった❤
ありがとうございます。
布都御魂剣は回復系の剣ですね
田村遺跡群の埋蔵文化財包蔵地の規模も含め国内での最大級弥生痕跡になるので取り上げて頂き嬉しかったです。三重の環濠もあり神殿を描いたような土器もでており、面白い遺跡です。個人的には、狗奴国の中心地だろうと思っています(笑)神社ねこさんの考察も新鮮で改めてニギハヤヒに注目してみたいと思えました。阿波説は伊予の二名島と言われる四国の中で土佐国や伊予国がほぼ触れられていないことが不思議に思えていたので今回の動画に感謝しています。私は四国人ですが土佐とは関係ないんですけどね(笑)今回の動画と関係ないので大変申し訳ありませんが、神社ねこさんの動画でイザナギとイザナミの争っていたかもしれないという仮説は、今まで触れたことのなかった説だったので衝撃でしたが、三貴神はイザナギ単独で誕生させたことになっていますので、そのあたりの考察もまたいつか深堀りを待っています!
@maosama6035 さんご視聴・コメントありがとうございます。はい、そうですね伊予の二名島である四国が重要だと、今回ニギハヤヒを調べて行く中で改めて感じました。高知・愛媛にも色々と面白い痕跡を見つけましたので、今後は高知・愛媛も紹介していこうと思います。改めてニギハヤヒに注目してみたいと思ったと言ってもらえて嬉しいですし、他の動画も見て頂いているようで、ありがとうございます。また、新しい気付きや深堀できるようになりましたら、していきますね。
神々のイラストがとてもカワイイです。シールにして欲しいです。ニギハヤヒの深掘りすばらしいです。ニギハヤヒは天孫降臨、東征の第一波で、ニニギが第二波ですね。だから同じ弓を持っていたわけです。ここがポイントです。長髄彦の「長」は、長の国の「長」だと思いますし、中臣は、「長富」じゃないかと思います。忌部がニニギ系の司祭で、中臣がニギハヤヒ系の司祭だったというのはいかがでしょうか?
@akiraooq8498 さんご視聴・コメントありがとうございます。イラスト可愛いと言ってもらえて、嬉しいです。シールですか、なるほど。ちょっと時間のある時に何ができるか考えてみますね。中臣ですよね。気になりますよね。ただ私が、中臣を紹介出来る程のものを未だ得られていないので、今後調べて行く中で証拠・気付きがありましたら、紹介するようにしますね。
勉強になります。小生の調査では饒速日を祭っている神社は愛媛県が一番多く21件でした。多いからなんだという意見もあるとは思いますが、マイナーな神なのにと思った記憶があります。伊予の伝承では、山口から松山に来て、今治、新居浜と伊予を征服していって香川に向かったことになっています。 工学博士芸人 遼子規キンジロウ
@user-sh8tc8xw7m さんいつもご視聴ありがとうございます。そうなんですね。愛媛が21社で一番多かったんですね。私も、少し気になる事がありました。先代旧事本紀の説明の個所で述べていますが饒速日は降臨の地を定める前に、先に河内の河上の哮の峯に行っています。そして四国の左側(愛媛県及び高知県)に、河内神社が非常に多いのです。つまり降臨の地を定める前、四国中央部の山間部から、伊予(四国の左側)を経由してその後、海岸線を東へ向かうかたちで、今の天忍穂別神社の方に向かったのかもしれません。貴重な情報ありがとうございます。
連絡ありがとうございます。さらに、饒速日命は越智氏ー村上水軍の祖とも言われています。乎致命は愛媛県一宮大山祇神社の境内に2600年前に楠を植えたと伝えられています。大濱八幡大神社祭神 主神 乎致命(おちのみこと)相殿饒速日命・天道日女命・仲哀天皇・応神天皇神功皇后・武内宿禰・市杵島姫命・大穴牟遅命同社境内の中心には「乎致命」の大きな石像が建立されていて、その台座部分には越智氏の系図が刻まれています。越智氏族略系図饒速日命──宇摩志麻治命──彦湯支命──出石心大臣──大矢口宿禰──大綜杵命──伊香色雄命──大新川命──大小千連──乎致命〔越智氏族之祖〕──天狭介──粟鹿──三並──熊武──伊但島──喜多守──高縄〔現大濱八幡大神社創建者〕 工学博士芸人 遼子規キンジロウ
またまたすみません。「鏡川と江ノ川に挟まれた地域を「河内」と呼んだことが後に「高知」となった」と帝国書院HPにありました。生駒に空から来たより、黒潮に乗って土佐沿岸にたどり着いたの方がしっくりきます。活躍の場は河内奈良かもしれません。(坂本龍馬も高知市で生まれていますが、活躍したのは長崎とか京都とか江戸とか・・・岩崎弥太郎も東京で成功しています。これと似たようなものかと。)神社ねこさんのお陰で、郷土の歴史楽しみまくりです。四国、ごりごり掘ってください!
@user-vs7ej4vp1w さん 返信遅くなりすみませんm(_ _)m鏡川と江の川に挟まれた地域を「河内」と呼んだことが後に「高知」となったのですか、これはとても面白い。ぜひぜひ郷土の歴史を楽しんで、新しい情報がありましたらSNSや動画、コメントなどで発信して下さい。歴史を楽しみましょう!
「ニギハヤミコハクヌシ」とは饒速日と事代主を掛け合わせて作った神名ではないでしょうか?つまり宮崎駿監督はこの二神が実は同一神である・・と言っているのではないかと思います。そして私もこの考え方に賛成です。以前コメント欄で言ったように、事代主は神武天皇(のモデルの一人)と考えられますので、饒速日が事代主であった場合、神武東征では神武天皇(事代主)vs饒速日命(事代主)という同一人物同士の戦いが描かれている事になってしまいますが、私は神武東征の話はフィクションである・・と考えていますので、同一人物同士の争いというありえない出来事が描かれていても特に不思議には思いません。饒速日の周辺人物として長髄彦(義兄)と登美夜姫(妻・長髄彦の妹)がいますが、この3名の関係は、まさに神武天皇と阿多之小椅君(義兄)と阿比良姫(妻・阿多之小椅君の妹)との関係と全く同じで、唯の偶然とはとても思えない物があります。恐らくは 饒速日=神武、長髄彦=阿多之小椅君、登美夜姫=阿比良姫 なのであり、同一人物たち同士を戦わせる・・という異様な構図が神武東征の話には用いられているのだろうと思われます。
@ernest-tachibana さんコメントとご視聴ありがとうございます。鋭いご指摘ありがとうございます。鋭いですよ~、私もほぼ似た考えを持っています。まだまとまっていませんが、次回の動画で、そこに触れるかもしれません。次回もご視聴よろしくお願いします。なお不確かなので、動画で言っていませんが、千尋はニギハヤヒの母の「栲幡千千姫命」かなと思っています。栲幡千千姫命は「天棚機姫命」と同一神という説があり、徳島で「天棚機姫命」を祀っている神社が千尋衣神社でしたので。もしかしたら「千と千尋の神隠し」は、母と子の物語りなのかもしまれません。これは、あくまで推測になるため、あしからず。
@@right-post 「安房忌部家系図」によると栲幡千千姫命は天日鷲命の妹となっているそうです。私の考えでは栲幡千千姫とは天日鷲の妹で神津島の「阿波命神社」の祭神「阿波咩命」と同神であろうと思っています。ですので、饒速日=事代主(ニギハヤミコハクヌシ)であった場合、阿波咩命は事代主の妻神ですので栲幡千千姫命(阿波咩)と饒速日(事代主)は親子ではなく夫婦って事になりますね。
そうなんですか。まー夫婦が一番わかりやすいですもんね。神武天皇のモデルが忌部氏・物部氏(出雲口伝)などの各氏族の物語りでコトシロヌシ、天村雲命、ニギハヤヒ、ウマシジマジだったりと幾つかのパターンが出てきてきて、いつか整理しないと少し混乱しそう・・・です。
地元民ですが、この神社の伝承で個人的に一番のポイントはアメノオシホミミを慕ってニギハヤヒが来たって所ですね。移住して来た物部氏が祖神を祀っただけなら凄く違和感を感じる伝承です。旧香美郡には物部、蘇我、富家など有力な豪族が密集してるのも何か秘密が有りそうですよね!
@mayonyo さんご視聴・コメントありがとうございます。そうなんですよね、ニギハヤヒだけが祀られているんじゃないですものね。あれっ旧香美郡には、蘇我もいるんですか。 私、見逃していますかね・・・秘密は、きっとありますよ。
伊予の浮嶋神社は宇摩志麻遅が生まれたとされていますよ
@PJ-yo8bl さん情報ありがとうございます。宇摩志麻遅命が気になっていました。浮嶋神社見てみます!
伊豫國の豪族に越智氏がおり、孝靈天皇祖とする系譜と物部氏を祖とする系譜が有ります。今治(旧越智郡)辺りが小市國造で應神天皇時代大新川命の孫子致命が國造に任命。風早國造、東豫には豫讃線伊豫小松、伊豫氷見、野々市、、と越前國(加賀能登は元は越前)や越中國の氣に鳴る地名。越中富山市には新川神社、能登七尾市の大地主神社には(東海道の安房國が先に使用した漢字の阿波の)阿波國造祖の伊許保止命が祀られています。叉、伊豫の別名豫州は中國の洛陽あたりを指し、九州は天下を示します。律令制下國名採用に当たっての意識しているのはかなりあるかと思います。相模線香川、寒川、そして寒川神社。伊豫寒川。寒川は日本各地に地名がありますね。近江國草津市の伊砂砂神社の寒川大明神。以上は宝賀寿男氏の古代氏族の研究シリーズや、佐藤洋太氏の神社伝承で読み解く古代史神武天皇と卑弥呼の時代からの氣附いた処です。系譜や地名から思わぬ発見があり、それを元に日本各地の寺社を訪ねると面白いですね。
@wa33785 さんご視聴・コメントありがとうございます。阿波や四国を調べ始めた時に、私の住む神奈川や東京にも、阿波や他の四国の県と同じ場所があって不思議だなと思いました。少し勉強した今は、忌部氏・海部氏・物部氏などが全国を開拓している事を知り地名も広がっていたのかなと思っています、がまだまだ知らない事ばかりです。本当に、系譜や地名から、思わぬ発見があり、ワクワクします。また実際に行ける神社や寺があるというのは、それを何代にも渡って維持して下さった方々のおかげです。このワクワクが、人生を楽しいものにしてくれると思っていますので、自分も楽しみながら、また知った情報を、少しでも皆さんのワクワクに繋げて頂ければ幸いです。
※ 那賀郡那賀町→なかぐんなかちょう
@sama-io2me さんご指摘ありがとうございます。正誤表に記載しておきます。
オーテピアの蔵書「神人系譜」にニギハヤヒの物語が記されています。
@user-ti5sz8tn4j さん貴重な情報ありがとうございます。オーテピア高知図書館にあるのでしょうか。高知に行った際には、ぜひ「神人系譜」を読んでみたいです。
古史古伝のスピンオフです。
古事記は、実は柿本人麻呂が編纂し、日本書紀は太安万侶が中心で編纂したそうです。この二人は歴史書編纂の功績を奪われ、別の人間による制作とされる事が決まっていたそうです。人麿は石見に流刑となりました。安麻呂も流刑になり、彼は自分の死を偽装し、母方の姓である山辺姓を名乗ることで赦免されたそうです。実は、山辺赤人は太安万侶です。最後に赦免される前に、上総の国に流されていました。日本の三大格式の一つ、「阿波の人たちが大好きな延喜式ですが」、そこには口伝を伝える旧家の話が具体的に出ています。美濃に八人、丹後に二人、但馬に七人、淡路に二人、因幡に二人、出雲に四人。「日本で初めて文化が開けた所として地方の歴史を伝承し続けてきました。」ここに四国はありません。もういちど書きます。四国はありません。淡路島は蛭子=恵比寿=事代主なので、出雲系の伝承。あと一つは倭国大乱期に、伊都島と淡路島に逃げ込んだヒボコ系の口伝と考えられます。実は、古事記や日本書紀は、そのうちのひとつ、稗田流がベースになっています。語り部の仕事は原本となる書類があり、お役目として引き継がれていました。必ずしも宇佐家の分家である稗田家である必要はなく、単なるお役目であった為、別の家系に職が引き継がれることもあった様です。これが石見の人麿の実家である綾部家に口伝が引き継がれた経緯です。引継ぎ者は人麿の母親でした。飛鳥時代に奈良の戸田に移住していた和邇氏の分家を称する柿本家の親戚に小野家があり、その家で稗田流の口伝が守られていました。稗田流は、本来は宇佐家の系譜である豊姫(トヨ=豊来入姫=ウズメ)の分家の稗田氏の口伝です。その仕事を大海人皇子の乳母であった人麿の母親の失職に伴い、仕事を世話されて稗田流の継承者になったのだそうです。人麿は綾部家から柿本家に養子に入り、歴史書編纂で煮詰まっていた安麻呂と一緒に歴史書を書くことになったそうです。架空の人物「稗田阿礼」を登場させることにより、昔の人から見れば、記紀がどのような話がベースになって作られているか、わかる様に作られていました。古事記の写本は、人麿が密かに残したバージョンと、太安万侶が残したバージョンに分かれ、後者は、複数の人間が役職として書かれた大国主の17代に渡る全ての人間が冒頭に追加されています。その際に山辺赤人は、自分のかつての名前である太安万侶の名前をこっそり追加していました。日本の三大格式の一つ、「阿波の人たちが大好きな延喜式ですが」、そこには高天原の本当の場所が明確に書かれています。豊葦原の瑞穂の国。これは日本を代表する言葉になりましたが、瑞穂の国は、石見の人麿の実家の近くの地籍名です。四国ではありません。稗田流は、前2世紀の徐福の頃からの時代をはじめとする伝承で、基本的に海部家からの村雲をはじめとする王朝の事を書いているだけの内容で、男系物部の血が入った宇佐家と、海部の共通の話がかけるので稗田流が都合がよかったのです。当時の右大臣は物部氏でしたので、稗田流であれば物部氏の協力を得ることが出来たのも大きかったのです。(記紀編纂後に物部氏は隠され、石上家に名を変えられました)八井耳系の子孫は最初に伊予国に移転し、そこで分家として多臣氏と中臣氏が生まれましたので、元々中臣氏の協力は得られる状態にありました。(と言いますか、右大臣が黒幕なんですがね)残念ですが、四国は我が国の中心の歴史とは無関係の地域です。それが記紀の位置づけ、延喜式の位置づけ、稗田流の立場です。それが延喜式に出ているから~とか言っちゃってる辺り、本当に阿波説は気の毒に思います。阿波の歴史を消して上書きしているのは、今現在動いているごく一部の阿波説の人たちなんですよね。本当に恐ろしい事です。
@110nari8 さんコメントありがとうございます。「美濃に八人、丹後に二人、但馬に七人、淡路に二人、因幡に二人、出雲に四人、日本で初めて文化が開けた所として地方の歴史を伝承し続けてきました。」とありますが、こちら延喜式の何巻(具体的にここと教えて頂ければ助かります)に書かれているのでしょうか。また、上記の具体的な話は、どの書物(稗田流でしょうか?)をベースに書かれているのでしょうか。興味がありますので、ぜひその書物を読ませて頂きたいと思います。
@@right-post さま「語部(かたらいべ)」で検索稗田流の原本は残されていません。安麻呂バージョンの古事記写本の冒頭にある通りです。架空の人物、稗田阿礼が記憶した物をと、そのままになっています。
@@right-post さままず、簡単に大枠を把握するのであれば、大元出版の「人麿古事記と安麻呂書記」を読まれてください。現在も続く気付い大社上官家に伝わる出雲の口伝です。この本は、先に出された「古事記の編纂室」の内容が難解であったため、内容を簡素化して出された本で字も大きく読みやすいですよ。記紀の編纂方式と合わなかったので、語り部の内容と、風土記の内容は隠される形になりました。元々、地方の口伝には「欠史」は存在していません。我が国には欠史は存在しません。その伝承と記紀を比較すれば、何が隠され何が採用されたのかは理解できるようになると思われます。
@110nari8 さん返信ありがとうございます。出雲口伝ですね。大元出版の本は何冊か読んでいますが具体的で面白いですよね。ただ自分の中では参考程度にとどめています。「人麿古事記と安麻呂書記」は興味ありますので、購入しました。他の方からの紹介本があるので、すぐではないですが読もうと思います。情報ありがとうございました。
@@right-post さまあれが唯一、風土記と記紀の制作の場に一番近い情報になってるのが非常に特徴あると思います。普通の口伝とは違った側面がありますね。
ニギハヤヒ(=徐福)を暗号化したのがニニギ。イザナギの降臨~国生みニニギ(天孫)降臨~神武東征、即位は同じ歴史をメルヘン化したもの。
@user-fw5jy1zf7y さんご視聴・コメントありがとうございます。今回ニギハヤヒを調べて行く中で、出雲口伝も読みました。なかなか具体的で、引き込まれました。また、四国の中の物部氏ゆかりの地を調べると出雲口伝を四国の地に置き換えてみると符合する箇所もあり、もしかしたら、という感覚も出てきました。ただ、私がまだ出雲口伝を、あまり理解できていないので今後も調べていこうと思います。
@@right-post 淡路島が国生み神話で最初にリストアップされる理由を愚考しますに要するにヤマト(奈良盆地)を攻略するに当たり淡路島が橋頭堡、前線基地と化していたとすれば全てが氷解します?洲本市は元来の表記は須本。旧市街地の大半は物部郷今も物部地域が広がります奥座敷の千草(千軍)には千草神社(式内社)に物部の祖神、スサノオ(徐福並びに物部(神武)の暗号)さま。ダメ押しで、物部がヤマトを二度侵攻した時期と淡路島西浦側の高台に点在する鉄器工房遺跡の稼働時期がピッタリ合致するのは偶然ではないのでは?
記紀の世界が阿波とその周辺とすると凄く狭いお話になってしまいますね。国家民族の争いと言うより村落の争いと言う感じでしょうか😊
狭いとか広いとかは関係なく、物語の繋がりを記紀と古地図と本と神社で調べた結果です。私は私の道を行くので、貴方はあなたの道を進んで下さい。
神社ねこさん動画ありがとうございます。勉強させてもらっています。
YNさん、ご視聴ありがとうございます。
楽しんで貰えたらと思います。
嬉しい動画ありがとうございます。饒速日の妻のトミヤス姫ですが、かなりの頻度でトミヤ姫と書かれていて、私が最初に知った饒速日の記述の中ではトミヤス姫と書かれていたので、ずっとそれが引っかかってたんです。ヤスという地名があったという事ですっとしました。
私が神社巡りを始めた頃ある時気づいたんです。饒速日にまつわる神社に参拝した時に魂が震える感覚、すなわち魂が喜んでると。そこから饒速日って?と色々調べ始めた時に妻の名前を知りハッとしたんです。トミヤス姫。実は私の苗字がとても近く…それから色々と神社巡りをしています😊
@Cherry-zz7fn さん
ご視聴・コメントありがとうございます。
自分の名前が縁で神社巡りをするのをお聞きしまして、実は私も同じです。
自身の先祖(かもしれない方)の事が気になって、神社巡りや、神様の事調べたりしてます。
いつか、たどり着けるといいなとは思いますが、先は見えません。
ただこの道のりもライフワークとして楽しんでいきたいと思っています。
こんちは✨😃❗お久しぶり‼️です!👍️なんと🎵👊😆🎵壮大な物語になりますよね‼️これからもご活躍期待しています!!(*≧∇≦)ノ配信ありがとうございました!
@DIKOKUKEN さん
ご無沙汰しております。
ご視聴・コメントありがとうございます。
私が半年近く動画UPしていませんでしたので
また、これからは定期的にUPしていきます。
よろしくお願いします。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 私も阿波説を追いながらずっと物部川のことが気になっていました。上流は剣山だし。ちなみに・・土佐神社(一宮)のご祭神はなんと!!!!!!アジスキタカヒコネの命です!! どうしよう。眠れません。
ご視聴とコメントありがとうございます。
高知県にはアジスキタカヒコネを祀る神社が多くて驚きました。きっと意味がありますね🎵
味耜高彦根の妻が天津羽々で天日鷲の妹です。
高知県民です。
動画楽しく拝見させていただきました😊
見応えがありすごく勉強になりました!
動画を見る以前Googleマップを見ていると天忍穂別神社を偶然見つけ1人で参拝させていただきましたが
Googleマップの地図と少し誤差があり民家に辿り着きました😅
偶然住人の方が近くにいたので話を聞いたところ場所を丁寧に教えていただいた記憶があります😊
地元住人からは石舟さまの愛称で親しまれ、今も大切にされているのが伝わりました。
今後も動画楽しみにしています。
@raw42088 さん
ご視聴・コメントありがとうございます。
偶然見つけたられたのは凄いですね。
私も先日伺いました。そうなですよね、Googleマップだとたどり着けないんですよね。
何周もぐるぐる回ってしまいました。
本日動画を公開するのですが、天忍穂別神社も訪れていますのでご覧頂ければと思います。
その中でも、Googleマップのままだとたどり着けないですよ、とコメントしました(笑)
ヘルパーさんも良い人でよかった❤
ありがとうございます。
布都御魂剣は回復系の剣ですね
田村遺跡群の埋蔵文化財包蔵地の規模も含め国内での最大級弥生痕跡になるので取り上げて頂き嬉しかったです。三重の環濠もあり神殿を描いたような土器もでており、面白い遺跡です。個人的には、狗奴国の中心地だろうと思っています(笑)
神社ねこさんの考察も新鮮で改めてニギハヤヒに注目してみたいと思えました。
阿波説は伊予の二名島と言われる四国の中で土佐国や伊予国がほぼ触れられていないことが不思議に思えていたので今回の動画に感謝しています。私は四国人ですが土佐とは関係ないんですけどね(笑)
今回の動画と関係ないので大変申し訳ありませんが、神社ねこさんの動画でイザナギとイザナミの争っていたかもしれないという仮説は、今まで触れたことのなかった説だったので衝撃でしたが、三貴神はイザナギ単独で誕生させたことになっていますので、そのあたりの考察もまたいつか深堀りを待っています!
@maosama6035 さん
ご視聴・コメントありがとうございます。
はい、そうですね伊予の二名島である四国が重要だと、今回ニギハヤヒを調べて行く中で改めて感じました。
高知・愛媛にも色々と面白い痕跡を見つけましたので、今後は高知・愛媛も紹介していこうと思います。
改めてニギハヤヒに注目してみたいと思ったと言ってもらえて嬉しいですし、
他の動画も見て頂いているようで、ありがとうございます。
また、新しい気付きや深堀できるようになりましたら、していきますね。
神々のイラストがとてもカワイイです。シールにして欲しいです。ニギハヤヒの深掘りすばらしいです。ニギハヤヒは天孫降臨、東征の第一波で、ニニギが第二波ですね。だから同じ弓を持っていたわけです。ここがポイントです。長髄彦の「長」は、長の国の「長」だと思いますし、中臣は、「長富」じゃないかと思います。忌部がニニギ系の司祭で、中臣がニギハヤヒ系の司祭だったというのはいかがでしょうか?
@akiraooq8498 さん
ご視聴・コメントありがとうございます。
イラスト可愛いと言ってもらえて、嬉しいです。
シールですか、なるほど。ちょっと時間のある時に何ができるか考えてみますね。
中臣ですよね。気になりますよね。
ただ私が、中臣を紹介出来る程のものを未だ得られていないので、
今後調べて行く中で証拠・気付きがありましたら、紹介するようにしますね。
勉強になります。小生の調査では饒速日を祭っている神社は愛媛県が一番多く21件でした。多いからなんだという意見もあるとは思いますが、マイナーな神なのにと思った記憶があります。伊予の伝承では、山口から松山に来て、今治、新居浜と伊予を征服していって香川に向かったことになっています。 工学博士芸人 遼子規キンジロウ
@user-sh8tc8xw7m さん
いつもご視聴ありがとうございます。
そうなんですね。愛媛が21社で一番多かったんですね。
私も、少し気になる事がありました。
先代旧事本紀の説明の個所で述べていますが
饒速日は降臨の地を定める前に、先に河内の河上の哮の峯に行っています。
そして四国の左側(愛媛県及び高知県)に、河内神社が非常に多いのです。
つまり降臨の地を定める前、四国中央部の山間部から、伊予(四国の左側)を経由して
その後、海岸線を東へ向かうかたちで、今の天忍穂別神社の方に向かったのかもしれません。
貴重な情報ありがとうございます。
連絡ありがとうございます。さらに、饒速日命は越智氏ー村上水軍の祖とも言われています。乎致命は愛媛県一宮大山祇神社の境内に2600年前に楠を植えたと伝えられています。大濱八幡大神社
祭神 主神 乎致命(おちのみこと)
相殿
饒速日命・天道日女命・仲哀天皇・応神天皇
神功皇后・武内宿禰・市杵島姫命・大穴牟遅命
同社境内の中心には「乎致命」の大きな石像が建立されていて、その台座部分には越智氏の系図が刻まれています。
越智氏族略系図
饒速日命──宇摩志麻治命──彦湯支命──出石心大臣──大矢口宿禰──大綜杵命──伊香色雄命──大新川命──大小千連──乎致命〔越智氏族之祖〕──天狭介──粟鹿──三並──熊武──伊但島──喜多守──高縄〔現大濱八幡大神社創建者〕 工学博士芸人 遼子規キンジロウ
またまたすみません。「鏡川と江ノ川に挟まれた地域を「河内」と呼んだことが後に「高知」となった」と帝国書院HPにありました。生駒に空から来たより、黒潮に乗って土佐沿岸にたどり着いたの方がしっくりきます。活躍の場は河内奈良かもしれません。(坂本龍馬も高知市で生まれていますが、活躍したのは長崎とか京都とか江戸とか・・・岩崎弥太郎も東京で成功しています。これと似たようなものかと。)神社ねこさんのお陰で、郷土の歴史楽しみまくりです。四国、ごりごり掘ってください!
@user-vs7ej4vp1w さん
返信遅くなりすみませんm(_ _)m
鏡川と江の川に挟まれた地域を「河内」と呼んだことが後に「高知」となったのですか、
これはとても面白い。
ぜひぜひ郷土の歴史を楽しんで、新しい情報がありましたら
SNSや動画、コメントなどで発信して下さい。歴史を楽しみましょう!
「ニギハヤミコハクヌシ」とは饒速日と事代主を掛け合わせて作った神名ではないでしょうか?
つまり宮崎駿監督はこの二神が実は同一神である・・と言っているのではないかと思います。そして私もこの考え方に賛成です。
以前コメント欄で言ったように、事代主は神武天皇(のモデルの一人)と考えられますので、饒速日が事代主であった場合、
神武東征では神武天皇(事代主)vs饒速日命(事代主)という同一人物同士の戦いが描かれている事になってしまいますが、
私は神武東征の話はフィクションである・・と考えていますので、同一人物同士の争いというありえない出来事が描かれていても特に不思議には思いません。
饒速日の周辺人物として長髄彦(義兄)と登美夜姫(妻・長髄彦の妹)がいますが、この3名の関係は、まさに神武天皇と阿多之小椅君(義兄)と阿比良姫(妻・阿多之小椅君の妹)との関係と全く同じで、唯の偶然とはとても思えない物があります。
恐らくは 饒速日=神武、長髄彦=阿多之小椅君、登美夜姫=阿比良姫 なのであり、同一人物たち同士を戦わせる・・という異様な構図が神武東征の話には用いられているのだろうと思われます。
@ernest-tachibana さん
コメントとご視聴ありがとうございます。
鋭いご指摘ありがとうございます。鋭いですよ~、私もほぼ似た考えを持っています。
まだまとまっていませんが、次回の動画で、そこに触れるかもしれません。次回もご視聴よろしくお願いします。
なお不確かなので、動画で言っていませんが、千尋はニギハヤヒの母の「栲幡千千姫命」かなと思っています。
栲幡千千姫命は「天棚機姫命」と同一神という説があり、徳島で「天棚機姫命」を祀っている神社が千尋衣神社でしたので。
もしかしたら「千と千尋の神隠し」は、母と子の物語りなのかもしまれません。これは、あくまで推測になるため、あしからず。
@@right-post
「安房忌部家系図」によると栲幡千千姫命は天日鷲命の妹となっているそうです。
私の考えでは栲幡千千姫とは天日鷲の妹で神津島の「阿波命神社」の祭神「阿波咩命」と同神であろうと思っています。
ですので、饒速日=事代主(ニギハヤミコハクヌシ)であった場合、阿波咩命は事代主の妻神ですので栲幡千千姫命(阿波咩)と饒速日(事代主)は親子ではなく夫婦って事になりますね。
そうなんですか。
まー夫婦が一番わかりやすいですもんね。
神武天皇のモデルが忌部氏・物部氏(出雲口伝)などの各氏族の物語りで
コトシロヌシ、天村雲命、ニギハヤヒ、ウマシジマジだったりと
幾つかのパターンが出てきてきて、いつか整理しないと少し混乱しそう・・・です。
地元民ですが、この神社の伝承で個人的に一番のポイントはアメノオシホミミを慕ってニギハヤヒが来たって所ですね。
移住して来た物部氏が祖神を祀っただけなら凄く違和感を感じる伝承です。
旧香美郡には物部、蘇我、富家など有力な豪族が密集してるのも何か秘密が有りそうですよね!
@mayonyo さん
ご視聴・コメントありがとうございます。
そうなんですよね、ニギハヤヒだけが祀られているんじゃないですものね。
あれっ旧香美郡には、蘇我もいるんですか。
私、見逃していますかね・・・
秘密は、きっとありますよ。
伊予の浮嶋神社は宇摩志麻遅が生まれたとされていますよ
@PJ-yo8bl さん
情報ありがとうございます。
宇摩志麻遅命が気になっていました。
浮嶋神社見てみます!
伊豫國の豪族に越智氏がおり、孝靈天皇祖とする系譜と物部氏を祖とする系譜が有ります。今治(旧越智郡)辺りが小市國造で應神天皇時代大新川命の孫子致命が國造に任命。風早國造、東豫には豫讃線伊豫小松、伊豫氷見、野々市、、と越前國(加賀能登は元は越前)や越中國の氣に鳴る地名。越中富山市には新川神社、能登七尾市の大地主神社には(東海道の安房國が先に使用した漢字の阿波の)阿波國造祖の伊許保止命が祀られています。叉、伊豫の別名豫州は中國の洛陽あたりを指し、九州は天下を示します。律令制下國名採用に当たっての意識しているのはかなりあるかと思います。
相模線香川、寒川、そして寒川神社。伊豫寒川。寒川は日本各地に地名がありますね。近江國草津市の伊砂砂神社の寒川大明神。
以上は宝賀寿男氏の古代氏族の研究シリーズや、佐藤洋太氏の神社伝承で読み解く古代史神武天皇と卑弥呼の時代からの氣附いた処です。系譜や地名から思わぬ発見があり、それを元に日本各地の寺社を訪ねると面白いですね。
@wa33785 さん
ご視聴・コメントありがとうございます。
阿波や四国を調べ始めた時に、私の住む神奈川や東京にも、阿波や他の四国の県と同じ場所があって
不思議だなと思いました。少し勉強した今は、忌部氏・海部氏・物部氏などが全国を開拓している事を知り
地名も広がっていたのかなと思っています、がまだまだ知らない事ばかりです。
本当に、系譜や地名から、思わぬ発見があり、ワクワクします。
また実際に行ける神社や寺があるというのは、それを何代にも渡って維持して下さった方々のおかげです。
このワクワクが、人生を楽しいものにしてくれると思っていますので、自分も楽しみながら、
また知った情報を、少しでも皆さんのワクワクに繋げて頂ければ幸いです。
※ 那賀郡那賀町→なかぐんなかちょう
@sama-io2me さん
ご指摘ありがとうございます。
正誤表に記載しておきます。
オーテピアの蔵書「神人系譜」にニギハヤヒの物語が記されています。
@user-ti5sz8tn4j さん
貴重な情報ありがとうございます。
オーテピア高知図書館にあるのでしょうか。
高知に行った際には、ぜひ「神人系譜」を読んでみたいです。
古史古伝のスピンオフです。
古事記は、実は柿本人麻呂が編纂し、日本書紀は太安万侶が中心で編纂したそうです。この二人は歴史書編纂の功績を奪われ、別の人間による制作とされる事が決まっていたそうです。
人麿は石見に流刑となりました。安麻呂も流刑になり、彼は自分の死を偽装し、母方の姓である山辺姓を名乗ることで赦免されたそうです。
実は、山辺赤人は太安万侶です。最後に赦免される前に、上総の国に流されていました。
日本の三大格式の一つ、「阿波の人たちが大好きな延喜式ですが」、そこには口伝を伝える旧家の話が具体的に出ています。
美濃に八人、丹後に二人、但馬に七人、淡路に二人、因幡に二人、出雲に四人。
「日本で初めて文化が開けた所として地方の歴史を伝承し続けてきました。」
ここに四国はありません。もういちど書きます。四国はありません。
淡路島は蛭子=恵比寿=事代主なので、出雲系の伝承。あと一つは倭国大乱期に、伊都島と淡路島に逃げ込んだヒボコ系の口伝と考えられます。
実は、古事記や日本書紀は、そのうちのひとつ、稗田流がベースになっています。
語り部の仕事は原本となる書類があり、お役目として引き継がれていました。必ずしも宇佐家の分家である稗田家である必要はなく、単なるお役目であった為、別の家系に職が引き継がれることもあった様です。これが石見の人麿の実家である綾部家に口伝が引き継がれた経緯です。引継ぎ者は人麿の母親でした。
飛鳥時代に奈良の戸田に移住していた和邇氏の分家を称する柿本家の親戚に小野家があり、その家で稗田流の口伝が守られていました。稗田流は、本来は宇佐家の系譜である豊姫(トヨ=豊来入姫=ウズメ)の分家の稗田氏の口伝です。その仕事を大海人皇子の乳母であった人麿の母親の失職に伴い、仕事を世話されて稗田流の継承者になったのだそうです。
人麿は綾部家から柿本家に養子に入り、歴史書編纂で煮詰まっていた安麻呂と一緒に歴史書を書くことになったそうです。
架空の人物「稗田阿礼」を登場させることにより、昔の人から見れば、記紀がどのような話がベースになって作られているか、わかる様に作られていました。
古事記の写本は、人麿が密かに残したバージョンと、太安万侶が残したバージョンに分かれ、後者は、複数の人間が役職として書かれた大国主の17代に渡る全ての人間が冒頭に追加されています。その際に山辺赤人は、自分のかつての名前である太安万侶の名前をこっそり追加していました。
日本の三大格式の一つ、「阿波の人たちが大好きな延喜式ですが」、そこには高天原の本当の場所が明確に書かれています。
豊葦原の瑞穂の国。これは日本を代表する言葉になりましたが、瑞穂の国は、石見の人麿の実家の近くの地籍名です。四国ではありません。
稗田流は、前2世紀の徐福の頃からの時代をはじめとする伝承で、基本的に海部家からの村雲をはじめとする王朝の事を書いているだけの内容で、男系物部の血が入った宇佐家と、海部の共通の話がかけるので稗田流が都合がよかったのです。
当時の右大臣は物部氏でしたので、稗田流であれば物部氏の協力を得ることが出来たのも大きかったのです。(記紀編纂後に物部氏は隠され、石上家に名を変えられました)
八井耳系の子孫は最初に伊予国に移転し、そこで分家として多臣氏と中臣氏が生まれましたので、元々中臣氏の協力は得られる状態にありました。(と言いますか、右大臣が黒幕なんですがね)
残念ですが、四国は我が国の中心の歴史とは無関係の地域です。それが記紀の位置づけ、延喜式の位置づけ、稗田流の立場です。
それが延喜式に出ているから~とか言っちゃってる辺り、本当に阿波説は気の毒に思います。
阿波の歴史を消して上書きしているのは、今現在動いているごく一部の阿波説の人たちなんですよね。本当に恐ろしい事です。
@110nari8 さん
コメントありがとうございます。
「美濃に八人、丹後に二人、但馬に七人、淡路に二人、因幡に二人、出雲に四人、日本で初めて文化が開けた所として地方の歴史を伝承し続けてきました。」とありますが、こちら延喜式の何巻(具体的にここと教えて頂ければ助かります)に書かれているのでしょうか。また、上記の具体的な話は、どの書物(稗田流でしょうか?)をベースに書かれているのでしょうか。興味がありますので、ぜひその書物を読ませて頂きたいと思います。
@@right-post さま
「語部(かたらいべ)」で検索
稗田流の原本は残されていません。
安麻呂バージョンの古事記写本の冒頭にある通りです。架空の人物、稗田阿礼が記憶した物をと、そのままになっています。
@@right-post さま
まず、簡単に大枠を把握するのであれば、大元出版の「人麿古事記と安麻呂書記」を読まれてください。
現在も続く気付い大社上官家に伝わる出雲の口伝です。
この本は、先に出された「古事記の編纂室」の内容が難解であったため、内容を簡素化して出された本で字も大きく読みやすいですよ。
記紀の編纂方式と合わなかったので、語り部の内容と、風土記の内容は隠される形になりました。
元々、地方の口伝には「欠史」は存在していません。
我が国には欠史は存在しません。その伝承と記紀を比較すれば、何が隠され何が採用されたのかは理解できるようになると思われます。
@110nari8 さん
返信ありがとうございます。
出雲口伝ですね。大元出版の本は何冊か読んでいますが具体的で面白いですよね。ただ自分の中では参考程度にとどめています。
「人麿古事記と安麻呂書記」は興味ありますので、購入しました。他の方からの紹介本があるので、すぐではないですが読もうと思います。情報ありがとうございました。
@@right-post さま
あれが唯一、風土記と記紀の制作の場に一番近い情報になってるのが非常に特徴あると思います。
普通の口伝とは違った側面がありますね。
ニギハヤヒ(=徐福)を暗号化したのが
ニニギ。
イザナギの降臨~国生み
ニニギ(天孫)降臨~神武東征、即位
は同じ歴史を
メルヘン化したもの。
@user-fw5jy1zf7y さん
ご視聴・コメントありがとうございます。
今回ニギハヤヒを調べて行く中で、出雲口伝も読みました。
なかなか具体的で、引き込まれました。
また、四国の中の物部氏ゆかりの地を調べると
出雲口伝を四国の地に置き換えてみると
符合する箇所もあり、もしかしたら、という感覚も出てきました。
ただ、私がまだ出雲口伝を、あまり理解できていないので
今後も調べていこうと思います。
@@right-post
淡路島が
国生み神話で最初に
リストアップされる理由を愚考しますに
要するにヤマト(奈良盆地)を攻略するに当たり
淡路島が橋頭堡、前線基地と化していたとすれば
全てが氷解します?
洲本市は元来の表記は
須本。
旧市街地の大半は
物部郷
今も物部地域が広がります
奥座敷の千草(千軍)には
千草神社(式内社)に
物部の祖神、スサノオ(徐福並びに物部(神武)の暗号)さま。
ダメ押しで、
物部がヤマトを二度侵攻した時期と
淡路島西浦側の高台に点在する鉄器工房遺跡の稼働時期がピッタリ合致するのは偶然ではないのでは?
記紀の世界が阿波とその周辺とすると凄く狭いお話になってしまいますね。国家民族の争いと言うより村落の争いと言う感じでしょうか😊
狭いとか広いとかは関係なく、物語の繋がりを記紀と古地図と本と神社で調べた結果です。
私は私の道を行くので、貴方はあなたの道を進んで下さい。