Toyohama tunnel disaster and dog rock waiting for loved persons. Syakotan, Hokkaido, Japan.
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- Опубликовано: 19 окт 2024
- In Sapporo snow festival website, I found the unforgettable accident in 1996. February 10, a huge rockfall happened on Toyohama tunnel in route 229, in which 19 persons in a bus and one in a car were involved. Families waited for the return of 20 precious persons near the collapse site for 4 days. I talk about my feelings at Setakamui Road Disaster Prevention Square.
地元出身です。この事故は衝撃でした。旧旧道復活の時も、旧道仮復旧の時も通りました。事故現場通過の際に皆さんクラクションを鳴らしていましたね。
私も事故当時は20代。今は結婚して家族を持ち高校生の娘がいます。犠牲者の親御さん達の年齢と同世代か超えました。
もし自分の子がこの様な事になったら・・・悲しみで精神崩壊してしまうのでは。そして何年経っても癒えることは無いと思います。
「どうして人々の運命は違うのだろう。」おっしゃるとおりです。
この事故だって、もしこのバスが古平町内で赤信号に引っかかって30秒現場へ遅れて到達していれば、全員犠牲にならずに済んだのでは、とか考えてしまいます。
私もバイクに乗りますが、独身の時はリッターバイクでかっ飛んでいましたが、子供が出来てからは家族を悲しませないために「絶対に死なないこと」を最優先に、60キロしかでない原付二種に乗り換え、プロテクターと無限電光さんの着るエアバッグを装着して走っています。
車の時も、ここでもし対向車がはみ出て突っ込んできたらどう回避するか、を常に考えて運転しています。
運命には抗えないところもあるのかも。だけど私は出来る限り抗いたい。家族を悲しませないために。
この事故以来、そう考えるようになりました。
あらためて、犠牲となられた方々のご冥福をお祈りします。
豊浜ー古平が地元なのですね、旧道の仮復旧時に現場でクラクションを鳴らしたということをはじめて知り、しみじみ感じております。ゴローさんと私はほど同年代のようですね。娘さんはバレンタインチョコ買うこともあると思います。そんな子たちが余市へ買い物へ向かうバスに乗っていたなんで怖すぎる想像です
2度と起きてはならない事故ですね。ご冥福をお祈りします。
現役大学生でリアルタイムで見たわけではないですが、このような事故が実際に起きたというのが信じられません。私の母が小樽で高校教員を務めていた頃、教え子の1人がこの事故で犠牲となったことを聞いたときは鳥肌が立ちました。二度とこのような惨劇が起きないでほしいと切に思います
尊いお言葉ありがとうございます。現場に近くにある慰霊碑に立つと、身が引き締まります
96年当時は私はまだ内地に住んでいて、
ニュース映像で、巨大な岩が崩落しているのを見ていました。
去年、現在の私の地元で、観光船のとんでもない事故(事件)により多くの方が亡くなりました。
亡くなった方の事を考えると、やりきれない気持ちになります。
「何故?どうして?行くのを止めてさえいれば」そんな考えが堂々巡りします。
TVに映った岩はとてつもなく大きさで、崖がまるごととおちたみたいでした。人間がとても立ち向かえない災害や事故は絶望感に押しつぶされそうになりますね。気高い北海道にいる事実をときに意識しなければ。
あの時のニュースは今でも記憶にあります。
亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。
NHKの歴史的報道、出来事にも残ってますね。そのとおり亡くなった若者たちの冥福をお祈りする次第です
確かおばあさんが、たとえ生きてても寒さでダメになるって泣いてらしたのを記憶してます。ただその後、命懸けで救助された関係者を訴えるということがあったようですが、どうなんでしょう……自分が遺族ならどうやって気持ちの整理をしたらよいのか。欧米のように災害にあわれた本人もさることながら遺族にもメンタル医療の確立が求められますね。
2月はしばれるので、その言葉に頷くしかできませんね。訴訟はたしか開発局幹部に対する道路管理の遺漏を問うものだったと記憶してます。4日間バスの中で寝ずに待っていて倒れた方もいたとききます。心配、疲労、苦悩、辛かったと思います。
いつまでも風化させてはいけない出来事ですね。
失くなられた方々の御冥福を御祈り致します。
追伸
雪や凍り付いた岩場も危険ですので充分に気を付けて下さい。
この事故はもうずいぶん前になりますが、道民としては忘れることできない出来事ですね。ご助言ありがとうございます。冬の海岸はリスク高いのでほどほどにしておきます。
前回の動画からも既に2年経ったのですね…
しかしあの事故の衝撃は今でも鮮明に蘇ります。
こうして事故の記憶を伝えていただけることに感謝いたします。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。
2年たち、夏も寄る広場ですが、冬に行ってみようと思い立ちました。ねぎらいのお言葉ありがとうございます。
北海道が好きなアラフィフです。
ちょうどその時、大学四年の卒業前の旅行中でした。たまたま、札幌のホテルのテレビで事故を知りました。自分もいた可能性もあったし、なんでこんな酷いことが、起きるのかと思ったのを思い出しました。
あらためてご冥福をお祈り致します。
余市、古平、積丹に至る観光ルートでもあった道でこんなトンネル崩落がおきるとは想像できませんよね。私も観楓会で通ったばかりのトンネルで衝撃的でした
あの旧豊浜トンネルが崩落した時は、北海道に居らずに仕事で千葉県で暮らしていましたが「どうしてあのトンネルが、、、」と言う思いでした。亡くなった方の御冥福をお祈り致します。
セタカムイトンネル~旧豊浜トンネルは観光道路として注目集めてましたね。崩落の原因は地質的に理解できるものの、こんな事故がおきるとはなんとも理解しがたいですね。
事故当時子供で
連日のテレビ報道みてました。
トンネルからバスが見えた時
衝撃的だったのを覚えてます。
子供の目からみても、あの巨大な岩がトンネル突き破っている光景は、どうしょもない、不可抗力のようなものを感じたと思います。不条理の極みが実際に起きうるのですね。
@@SteelonHayabusainHokkaido
事故の年代を確認すると子供時代じゃなくて学生でした😅
こんばんは 2度と起きてはならない悲惨な事故でしたね 当時高校生だったので鮮明に覚えています
社会人になってから 何度もセタカムイ道路防災記念広場に行ったことがあります
亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします
ということは、亡くなった方たちの多くと同級生ということになりますね。
信じられないトンネル事故、不条理の極みとしか表現できません。
あのショッキングな事故からもう27年なのですね。先の動画のときにもコメントしましたが、テレビ画面を凝視して、巻き込まれた方々の生存を祈ったものです。非常に残念な結果になってしまいましたが、亡くなられた方々の犠牲の上に、道路の安全性が向上したわけですね。厳冬期の再訪で、セタカムイ岩に近い場所で慰霊ができて良かったですね。管理もきちんと行われていて、事故の教訓がちゃんと語り継がれていることがよくわかりました。ありがとうございました。
視聴ありがとうございます。亡くなった方たち、そのご家族の人生は大きく変わってしまいました。一方、北海道の道の在り方も大きく変わりました。また折に触れて訪問したいと思います
当時 私もまだ若く結婚して子供が出来て 毎年の海水浴が正にこの場所でした。事故前のトンネルの上の凄い岩盤は今でも覚えています。
事故のニュースで見て妻と震えたのを思い出します。
忘れられない事故の一つです。
セタカムイ岩周辺は一直線の海岸道路ができ、景勝と両立した開発の成功のようなとらわれかたをしていたと図書館で知りました。でも、不可抗力を痛感せざるを得ない事態がおきてしまいましたね。
私も2月8日に祖父母と花を手向け合掌しに参りました。
私はこの事故当時生まれていないので、事故自体を知らない世代ですが、私の祖父は当時消防に勤めており、事故にあった車両を外に出すために派遣されましま。派遣された日は事故から1日が経過してお。、バスの天井が腰の近くまであり、辺りは血で広がっていたそうです。祖父は別の消防の人から即死だったと思うと聞いたと言っておりました。
私も豊浜トンネルの事故はRUclipsの動画で知り、祖父に話を聞きました。私の周りの世代にはこの事故を知らないという人もいると思います。
このような事故が二度と起きないよう事故を風化させない取り組みも何かしていったほうが良いのかと考えてしまいます。
同じころに手を合わせに行ったのですね!
本当に寒い時期に崩落が起きたことが痛感されました。私はその前年の秋に、会社の観楓会でバスで通ったばかりで、連日TVに釘付けでした。開発局の方は冬も祈念広場きちんと除雪してくれますが、地元の方はこの件にふれたくない方もおり、複雑です。ただ、犠牲者の若者が存命なら、遊び、働き、育て、いろいろな人生を歩んだと思ってしまいます。
昔 現在の豊浜トンネルを通った事ありました。崩落事故はTVのニュースで見ました、本当に悲惨な事故でした
現在の豊浜トンネルの妙に急なカーブが崩落地なんですよね。。。
そうか。
今日でしたか。
当時北海道を離れたばかりの社会人二年目、
場所を知っているだけに、居たたまれない思いでニュースを見ていました。
どうか安らかに。合掌。
ということは私とほぼ同級生ですね。この海岸道路は地元では自慢の観光ルートでもありました。そこでこんな不条理が起きるとは。
1:29変わった名前の橋だと思っていたらそういった由来が有ったのですね
このあたりはかつてかなり有名な観光スポットだったらしいです。トンネル崩落後はかなり雰囲気変わってしまいました。
雪祭り時期なのは重々記憶しておりましたが
昨日だったのですね…
かなり前にも洞窟トンネルの時にコメントさせて頂いた者ですが、時が経つと…
困ったものです…
ありがとうございました。
これからも応援しております。
おかえりなさい、この場所は今後も折に触れて訪問したいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。
89から92年に2代目豊浜トンネルは何回か通っていたので、96年にニュースで一報を聞いた時は震えました。原因的にもっと早く崩れてもおかしくなかったかと考えるとおそろしかったです。新トンネルは2000年12月開通ということは、2000年9月ころに仮復旧したのを通ったかもしれないですけど記憶が定かではありません。こう書きながら、安全のため長大トンネル化する前の、特に道南から留萌までの日本海の海岸線ギリギリ崖下を通る道はよかったなぁ、なんて記憶を持っているので、なんとも矛盾しています。冬場や天候が荒れたら地元の方には大変で失礼な話でしょうけれど。でも仮復旧まで旧旧道が使用出来たのも不思議な気もします。それとここではないですが慰霊碑を訪ねた場所は、旧国鉄常紋トンネル受難者追悼碑と、群馬県上野村の日航機事故慰霊の園に行ったことがあるんですが、手を合わせて頭を下げたりしましけれど、どちらも自分以外誰も居なくて、冥福を祈りつつもちょっと長居は出来ない感じを受けてしまいました。
私も旧豊浜トンネルを通っております。図書館で開通直後の写真とか見る限り、車幅もしっかりとられ、また直線となっておりいい仕事をしたみたいな記念写真がのってました。しかし、その上の岩盤の調査は甘かったと思います。図書館では旧セタカムイ隧道時代の様子もみました。景勝と調和した海岸道路と誇らしげに解説ありました。常紋トンネルですが今年行ってみたいと思います。電車のるか、林道をいくか。。。
常紋信号場は2000年に行った時は、元の金華駅北側付近から常紋信号場(跡地)へ行く未舗装林道は規制なく通行できました。今はどうなのかなとグーグルマップStreet Viewで見たら、2022年9月撮影で常紋方面入口という青い看板があるので行けそうですね。距離的に長く歩きはオヤジさんと出くわしそうで危ないですね。林道に車も入れるでしょうけど、隼だと距離もあって砂埃とダメージに耐えてもらわないとならないと思います。
@@3poko どうも6月ごろ、現地で慰霊祭をやっているようです。その直後にアクセスする方法をよく検討して、場合によっては電車からみるだけかもしれませんが、見てみたいと思います。
慰霊祭毎年されているんですね。発見時の慰霊やその後の調査は本やネットで見て知っていましたが。それとネットとかで、実際に犠牲になってる方がいる場所を心霊スポット的に紹介するのはさすがに辟易します。
私が北海道の旧道・廃道に関心を持ったのが、この豊浜トンネル事故の動画でした。
改めて犠牲になられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
話は変わり、この28日には51年前「あさま山荘事件」が終わりを告げた日です。
当時小学生だった私も非常に関心がありましたが、長野県人として未だ事件現場を訪れたことはありません。
一度訪れてみようと思っています。
セタカムイトンネルー豊浜トンネル付近はトンネル掘って埋めて、また掘ってと考えるところいっぱいですね。私は本州出身であさま山荘事件よくきくことがありました。籠城した山荘を破壊した鉄球、まだ残っているらしいですね。
鉄球
ひとつはレプリカ(当時の予備球)もうひとつは映画制作時の物。本物はクレーン車を操縦していた方の元にあるそうです…(定かではありません)
人が亡くなっているので当然なのですがこの事故は調べれば調べるほど悲しい事しか出てきません。
当時亡くなった方々、泣き崩れる遺族の方達を見ると
「なぜ世の中にはこんな目に遭う人がいるのだろう」
「岩盤崩落が起こる前に時間は巻き戻せないのだろうか」
そして私も
「どうして人々の運命はこうも違うのだろう。」
と取り留めのない事を考えてしまいます。
いつか行きたいとずっと思っていたセタカムイ道路防災記念広場へ近々行くことになりましたので慰霊碑へ手を合わせお線香をたこうと思っています。
お線香をあげる所にカバーがかかっていなければいいのですが…。
この事故は真冬に起きて、焦燥と絶望感ないまぜになる巨大な岩盤崩落事故でしたね。巻き込まれた若者、その家族の立場は想像するしかないですが、想い馳せることは尊いです。ぜひ、手を合わせるだけでもお願いします。防災シミュレーションも見学されてください🫡
6:16現道規格のトンネルが塞がれている....。
それは、重い理由があるから...。
崩落地へ向かう、旧旧トンネル、旧トンネルとも封鎖されてますね。
Bardzo smutna historia. Niech ofiary zawalenia tunelu spoczywają w pokoju. Dziękuję Ci za napisy.
I am happy to know you understand the tragedy and my feelings!
この事故のことを考えると、様々な思いが錯綜します。自分が巻き込まれた立場だったら? 自分の親族が巻き込まれた立場だったら? 道路防災を守る立場だったら? トンネルを開通させた「現場の人」の立場だったら? トンネルルートを決定した立場だったら? 現地を分析した地質学者の立場だったら?
事故報告書に関連した学術論文の一つに、都市工学(土木工学)では地盤災害の危険性評価で地質学的な側面を軽視する傾向がある、というくだりがあるのが気になりました。土木やさんの経験だけでゴリ押ししたりしてないのか、と。北海道の道路防災を大きく前進させた事故ですが、この1年後に島牧の第二白糸トンネルでほぼ同じ原因の事故が起きていますし、現時点での事故予見性はどの程度なのだろうと思います。
今回の映像ですが、全方位カメラ、とてもいい感じですね! 自分の目ではこうは見えないのに、臨場感が凄い。
Koさんは思慮に富む方です。この事故は現場の当事者、トンネル建造した企業、行政と様々な視点で考えるべき話です。その論文読んだことあります。予算要求し、執行しなければならない状況ではリスク過小評価されうることを示唆しているように思います。しかし、今はきっちり道路管理していると信じたいです。Insta360は撮影アングルを気にしなくていいのでとてもラクでです!
線香持参…自分のホームページに慰霊碑のコーナーを作る程度に(?)何か所かお参りしていますが、そこまで気が廻っていませんでした。迂闊でした…
実は2年前も線香を持参してたてることできなかったことを忘れており、また持って行っていしまいました(^^;
豊浜トンネルの事故はTVニュースでも大きく取り上げられましたが、27年も経つと人々の記憶からは消え去って行く・・それは仕方のない事なのかもしれません。
私の妻の実家は東日本大地震の地域に有り、やはり悲しい記憶を残しました。
しかし2011年3月11日14時46分に起きたあれだけの事が、10年と少し経過するとその同日近くにTV番組で少し取り上げられるだけになってしまっています。
未だ明るい兆しの見えない福島も、その傷跡の喉元が乾かない内にエネルギー危機の元、原発に対する規制を緩めようとする政府や産業界、そして国民の中からも電気供給の為には・・との声が出始めます。
暗いコメになって申し訳ないのですが、Steelさんがおっしゃるように、世の中理不尽で平等な人生ではないのかもしれません。
あの信じられない光景となった事故も四半世紀がたち、最近はとりあげられることは少なくなりました。原発の再開、寿命延長とかどんどん前向きになってますね。はたして10年、30年の月日でのど元過ぎれば、でいいのか疑問に感じます
@@SteelonHayabusainHokkaido
同感です・・核燃料棒の最終処分場さえ決まらない日本で、無害となるまでの気の遠くなるような時間の処分コストは膨大であり、かつ子・孫・ひ孫と延々とその処分費用を払い続けて行く事を考えると、現代日本人の背信はやはり世代を超えて不公平を生出していくと思っています。
起こるべくして起きた崩落事故。
利権や私腹を肥やす事しか頭に無い役人の現場を無視した結果だと。
これでいいべ!
これくらいだべ!
大体建設丸出しの結果なんですよ。
だのになのに奴らは大した罪に問われる事は無かった。
あまりにも無念です。
今年も手を合わせに行く事でしょう。
未来を担うはずだった若き命の為に。
図書館で旧豊浜トンネル開通の記念写真をみましたが、当時は全く地質的リスクが考慮されてなかったと思わざるを得ません。開発は企業任せだった可能性もあります。訴訟ありましたが、幹部は罪を問われなかったですね。