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日本のアイビーファッション史を20分強で語り尽くす、これは素晴らしい動画です!馬場さん、ありがとうございました。私はまさにPOPEYE世代なので、馬場さんが紹介された「これがポパイのアイビーだ!」特集号は、穴が開くぐらい読みました。社会人になったばかりの頃で、ブルックス・ブラザーズはちょっと手が出ませんでしたが、POPEYE裏表紙の糸井重里さんのコピーに触発され、オンワード樫山メイドのJ.PRESSのブレザー、スーツ、シャツは、山ほど購入しました。だいぶくたびれていますが、そのいくつかは今でも着ています。
20代のガキンチョですが、アイビーの魅力に虜です。実際に映画を見てより理解を深めていきたいと思います。貴重なお話ありがとうございます。
「アイビーファッション」懐かしいです。私が中2、3くらいの時に一部の男子の間で流行りました。「メンズクラブ」という雑誌もありましたね。ボタンダウンシャツ、タータンチェックの巻きスカート、ローファーを履きました。男子はVANとかMcGREGOR、ラコステとか着ていたみたいです。
他界した父がバリバリのアイビーファッションで私も徹底的に教え込まれたものです。今回の馬場さんのお話は本当に父の話を聞いてるようで嬉しい気持ちになりました。エルボーパッチのついた当時物VANのバルキーセーターと初版のアイビーボーイ図鑑は大切な形見です。
監督のファッションブランドはブルックスだったのですね、上京し青山通りでブルックスの看板観た時心躍りました、当時敷居が高く入る勇気がなかった。監督の棒タイ姿は勇気を与えてくれます。年に何回か棒タイするけど田舎じゃ変り者のおっさんとしか認知されません。
80年代第二次アイビーブームに大学生だったバブル世代です。当時はレタードのカーディガンやスタジアムジャンパー、ボタンダウンシャツ、白山眼鏡店のボストンタイプのフレームの眼鏡、コインローファーなど、みんな同じような格好に熱中していました。メンズクラブは毎号買っていました。カウチンセーターとウイルソンのラケットでテニスをしていました。出始めのポカリスエットは今より塩っぱかった気がします。ホンダシティとマツダファミリアは定番でした。ドクタースランプもアイビーに影響されたおしゃれな漫画でした。懐かしいです。
トムブラウンはVANにインスパイアされたとは知らなかった❗️ブラックフリース大好きで結構持ってます。私は子供の頃に観た60sのアイビー大好きです!まもなく60代ですがバキバキ鍛えてるてんでピチピチがっつり着てまーす❤邦衛さんの「あーそういう事?」って仰ったエピソード最高ですね❗️一時的にあったジェイプレスのイェールモデルとかラルフローレンラグビーとか最高過ぎですよ❗️無くなっちゃったけど。
ありがとうございます。これは神回、神動画です。企画、脚本、演出どれも凄すぎます。タイを外すされる動き、カッコいいです!何度も繰り返し拝見して感動、感心、感謝してます。
頷きながら動画を観ました。私が高校生1975年代もmc sisterが女の子のメンクラとして女の子のIVYファッションを載せていました。私がIVYに興味をもったのは兄の影響で兄が「メンクラ」「TAKE IVY」「トラッド歳時記」「男の服飾図鑑」を持っていて後に私自身も永久保存版として自分用にTAKE IVYを購入して今も現在北米在住ですが、こちらに持ってきました。兄が深夜映画で若大将シリーズを観に連れていってくれ、夜中から朝まで何本も若大将の映画を観てすごいファンになってしまいIVYが大好きになりました。まだ日本に上陸していないBBをアメリカに留学した友人に頼んで手に入れた時は感動ものでした。
映画とファッション、アイビーについての解説、馬場さんのお話しは面白くてわかりやすいからいつまでも聞いていたいです❤馬場さん、いつもおしゃれでステキです🎉
ポパイの特集記事ではないのですが、「VANが先生」でした。小学生の頃はVAN MINIでボタンダウンを両親に買ってもらい、高校生の頃はVAN SHOPに入り浸って、ショップの店員にVANのノベルティをもらって・・・当時のVANはファッション・スタイルだけではなく、まさにアメリカのライフ・スタイル〜音楽(JAZZ)、スポーツ(アメフトやボート、ラクロスなどIVYリーグのスポーツ)を教えてくれる「文化」でした。是非VAN特集もお願いします。ちなみに石津さん(VAN創始者)、下山さん(ボートハウス、キャプテンサンタのオーナー)と同郷であることが誇りです。
自分はアンソニーパーキンスとポールニューマンです。のっぽ物語と動く標的が大好きでした。日本人ではやはり村上春樹大先生です。小説はライ麦畑で捕まえてかな。確かオンワード樫山がjpressの販売を日本で最初に行ったと思う。その後ブルックスが登場してポールスチュアートも買う事が出来る様になった。田舎に住んでいた当時本当に夢のブランドでした。ティファニーでのジョージペッパーもカッコ良かった。追憶のロバートレッドフォードも忘れないで下さい。
最高でした、できればアメリカングラフィティーやアニマルハウス辺りにも触れて頂けたと想いましたが、紹介されていた本を書棚から引っ張り出して見なおしています。解説楽しく拝見いたしました、ありがとうございました。
最高でしたありがとうございます♪、ホイチョイノの映画でスキーにハマって青春を謳歌した63の爺さんですが、ファッションはVANのboysから今だにこだわった爺さんになりました。懐かし過ぎて色々思い出が蘇って来ました。今思うと今より皆さんファションによりこだわった方が多かった様に思います。楽しい時間をありがとうございました♪
そうかなるほど!アイビーの残党が、フォーマルにボタンダウンを合わす赤面コーデをしているのか!なんでおじさんの張り切りスーツはボタンダウン多めなんだろうとずっと不思議でした😂。3回目は無いって言葉を付け加えるホイチョイさんに、好感度up。来ますよきっと3回目♡
初めて観ましたよ。面白かったです。私をスキーに…が好きで何度も観てたんですが、確かに田中邦衛さんのファッション、IVYの雰囲気もありましたし、三上さんが原田知代さんとのデートのシーンで、三上さんはIVYでしたね。
映画でのアイビーと言えば「のっぽ物語」や「サイコ」のアンソニーパーキンスでしょうね。たしか、くろす・としゆきさんのトラッド歳時記でも「扉の影にいる人」というところで紹介されてました。
映画とファッションって密接ですよね。監督が当時と変わらない熱量で話されている姿に感激しました。いつかイベントなどあれば、生でお話し聞いてみたいです。
面白かったです!1964年生まれです、自分の学生の頃はDC全盛でもありましたが、ひたすらプレッピーというかアイビーにこだわっておりました。
1930's~1940'sはタイトな砂時計シルエットのジャケットに太めのトラウザースが流行ってました。フレッド・アステアやケーリー・グラント、ヒッチコック作品に出てくるグラマラスなスタイルですね。要するにアイビースタイルというのはそういう30's頃のドレープスーツに対するカウンターとして構築されて行った感がありますね。その元ネタは1800年代末から1910年代初頭のサックスーツ(初期の背広)を再構築して、30'sのブリティッシュよりも古くて正統なスタイルであることの証左としたのだと思います。
私をスキーに連れてってが公開された時は東京の東側の中学生だったので、OPの三上博史のファッションはダサく見えて、冴えない男の感じを表現してるのだと思ってました。私立の附属校に進学して初めてエルボーパッチの付いたセーターや履き込んだ501、ビーンブーツ等を知る事になり、都内と言えどファッション格差と言うか文化の違いが大きい時代でした。田中邦衛さんの一言はなんか良いですね。アイビーだとは気付かなかったので、あらためて観てみます。アイビーに限らず、映画やドラマのファッション史を定期的にお願いします。
小6の時、母が買い与えてくれたVANのヘンリーネックTシャツが私のアイビーのスタートでした。高3でバタフライの結びをマスター。70歳になる今でもネクタイを締める時はこれが多いです。映画解説もとても面白いですが、馬場さんのファッションにも共感しています。
30年以上前後前でしょうか、その頃2週間おきに発刊されていた小学館の「テレパル」という雑誌の中に「酒とバラと映画の日々」というコラムを馬場さんが書かれておりました。取り上げられた映画は東宝映画「エレキの若大将」でしたか、その中でも 「この頃の青大将のアイビーファッションは一番キマっていて・・・」と書かれていた記憶です。今の時代となって その話が馬場さんご本人から再びアツく語れるのを直に聴けることになるとは・・思いませんでした。
Brooks BrothersHarvardJ PressNew Yorker‥学生時代、ずっと憧れのブランド群でしたね。あの頃はMen's Club を眺めながら心底、アメリカの大学生になってアイビーリーグ校に通いたいと想い続けたものです。せめて格好だけでもと思っても、まぁ、ビンボー学生にとっては上記のアイテム一つ買うにも高過ぎて厳しいものがありましたが。(半泣)話は変わりますが、「 私をスキーに連れてって」の あのイラストの作者が穂積和夫氏だったとはビックリ。私が氏の名前を知ったのは、故 徳大寺有恒氏著の「間違いだらけのクルマ選び」で挿絵を担当されてた事がキッカケでしたが、「まさか」という感じでした。そういえばあの映画の中では矢野君(三上博史)と優 ちゃん(原田知世)のデートシーンもアイビールックでしたね。
ファッションって鼻につきそうなネタなのに、いつも通りグイグイ楽しく聴かせてもらいました!😊
1970年~1976年に中学高校生、一浪、1977年~1983年大学・院生。中学高校の頃はメンクラ(メンズクラブ)は愛読書、別冊Take IVY特集は未だ書庫にあります。 保住和夫先生と平凡パンチ表紙パステル画の大橋歩先生懐かしいです。 1971年頃の映画『愛の狩人』は1950年代のドーム相部屋のジャックニコルソンとポールサイモンがアイビーリーガーズ、キャンディスバーゲンがセブンシスターズでしたね。もろにアイビーファッションでした。 中学高校は休日の私服はVANでしたけど、平日は黒詰襟学生服でワイシャツはボタンダウン、手にはマディソンスクエアガーデンバック、脇にはLPレコードを黒赤ビニール製DISK UNION/紙製黄色の石丸電気の袋。 就職後スーツは3釦1掛段返り/センターフックベント/ナチュラルショルダーのアメリカントラディショナルスタイル。 1986年頃、昼休み隣の丸ビル1階のキャノコピア販売のブースでアップルのマッキントッシュを買ったんだけど、対応にてくださったのはホイチョイの方でした。
穂積さんね😊
ポール・サイモンではなくアート・ガーファンクルね。
楽しく拝聴させていただきました!有難うございます。
40年以上前、メンズクラブの街のアイビーリーガーズに出たくて彼女と一緒に原宿のクルーズで揃いのブレザーを購入し、エンブレムも付けて銀座を闊歩してました。青春の1ページ。
私をスキーに連れてって、アイドル映画は興味なく、公開当時に誘われてイヤイヤ鑑賞しましたが、田中邦衛、中真知子両氏がキャスティングされていることであ、ボーイミーツガールの若大将映画そのものだ!と思いました。当時のJR新宿駅から出発する西武バスやら雰囲気が懐かしく、今では、冬になると鑑賞したくなる作品です。
仰るとおり1954〜1959年のCAPITALレコード時代はBrooks brothers 製の羊のボタンのブレザーを来たスタジオ録音風景の写真も見受けられます。但し、白いピンポイントオックスフォード生地と思われるポロカラーシャツの袖口はドレッシィなフレンチカフとなっています。Dean Martinも服地のグレード仕立てから最高級で似たような服装に見える。コレが当時の米国式スタイルだったのでは
わたしも映画からアイビースタイルなど影響受けました中でも高三の時に仲間と観に行った「ペーパーチェイス」はバイブル的な作品でした。
初めて観ました(笑)面白いです。ほんま、IVVYは完全に死語になったようです。タモリさんがIVVYをしていたとは知りませんでしたが(笑っていいとも自体観てませんでしたからね)、ぶらタモリの服装を観たら、IVVYぽいですよ。
映画のなかのアイビーといえば、「ティファニーで朝食を」のジョージ・ペパードを外 (はず) しちゃいかんでしょ。
1986年頃、メーカー工場勤務の友人がアンダーセン・コンサルティング(現在のアクセンチュア)に転職する事になりユニフォーム以外にはリクルートスーツしか持たないので、ボーナス全額を予算で青山のブルックスブラザーズに行き、事情と予算を説明してワードローブを一気に揃え、その後は懇意になった店の人に相談しながら定期的に補充していたなあ。
馬場さんのお人柄と想いが伝わる素敵な動画でした!
UNIQLOの24春のカタログ雑誌がアイビーリーグのファッションみたいになってきました。
お薦めに上がって来たので懐かしく拝聴しました。馬場さんとは逆側に勤務していた者でお手洗いで用を足していてジャラジャラと鍵の音が入ってくると「あ、馬場さんだな。」と判ったものです。私は或ブティックでどうしても欲しくなったポロの14000円のスウェターを有り金の12500円まで負けてもらった代わりにトラディショナルバイブルと言う本を後日買ったものです。NYに研修駐在した時、ブルックスも試したのですが、私には縫製が甘く感じました。と言う訳で私はマディソン街78丁目に入り浸ってました。上の本の伊藤紫朗氏によるとチップスではなくチップだそうです。
河毛さん、このチャンネルで初めて御姿拝見しましたが何かカッコイイなーと思ってました。あの動画の時にされてた腕時計、どこのか知りたいなー今回の動画もめちゃ面白かったです。馬場さんもオンチどころかかっこいいですよ!
各IVY系書籍にある内容が滑舌の良い整理された言葉でまとまられ、あっという間の20分でした。私もこの末裔のメーカーズシャツ鎌倉のボタンダウンが愛用品です。
アイビースタイルのスーツは通信販売でサイズが合わせやすいように決められたと言う説があります。僕も会社に入ってから10年くらいはアイビーを着てました。1950年生まれです。
私をスキーに連れてってのポスターは穂積和生先生だったんてすね!!知らんかったです。ビックリしました。
第2次ブームの頃と云ってももう40年以上前ですが、田舎のため近所にVANやボートハウスクラブ、ブルックスブラザースの店がなく今のように通信販売もなかったので、デパートまで出かけてJプレスを購入し着ていました。友達が中村雅俊さんの影響で「ムッシュニコル」を着ていたので二人が歩いているとおかしな画になっていたと思います。映画でいえばいろいろ思いつくのですが一番は「炎のランナー」でしたね。正確にはアイビーではないですけれど。又アイビー関連のお話をお聞かせください。南無阿弥陀仏
話題とは外れるんですが監督として東京ラブストーリーの作中になぜ Tennessee Waltz が流れたとかも付随で解説していただけたら面白かったです。あと、すべて番組を見ていませんが「彼女が水着にきがえたら」でSAAB900を使ったのか? 当時私も乗っていましたので。今後お話していただけると幸いです。
映画のファッションについて語っていただける動画って意外と少なくて、こういう歴史と蘊蓄を語ってもらえるチャンネルは本当にありがたいと思います。馬場監督はこの動画では常に“正装”でゲストをお迎えして話されていますね。こういう“マナー”や“常識”もいつの間にか語られなくなりましたね(人と会う時にネクタイをしない、上着を脱ぐのは失礼、なんて怒られた時代がありました)。
私はHappy daysというドラマがお手本でした。
是非若大将シリーズの解説をやってください、お願いします
ケネディ大統領はchippの服をよく着ていたけれど、公の場では殆どボタンダウンも着なかったし、いわゆるサックスーツ、3つボタンのスーツや上着はほとんど着ず、もっぱら2つボタンのスーツを着ていたようです
ファッションとは関係ありませんが、奥様は魔女で「ハロウィン」のことを無理な日本語訳をしていたのを思い出してしまいましたが、何と訳してたか思い出せずに気になってます。というより、ハロウィンの習慣や概念が無かった当時の日本で、訳すのに相当苦労したのではと、ハロウィンが輸入されたあとの再放送で見かけてそう思った事を思い出しました。お化けに仮装してお菓子をもらいにいくお祭りみたいに描かれてたのを、なんとなく『アメリカのお祭りなのかな?』という風になんとなく見ていた記憶があります。○○祭とか言ってたような気がするのですが、多分苦労の末の造語だったと思います。どなたかご存じな方いらっしゃいますか?できれば纏めて再放送してほしいです。
1980年代に僕のトラッドの教科書は「メンクラ」とわたせせいぞうの「ハートカクテル」でした。👍
( ´∀`)人(´∀` )ナカーマ
1961年も62年も同じスタイルでした。
高校生のころ流行っていたなぁ~夏は白の半袖はGQ、ベルトはコードバン、靴は白のテニスシューズをふんずけ、アルミの櫛とポマード溶かしてリーゼント、カバンは風呂に浸けて重石を付けてペッタンコ、学食はカツカレーだったなぁ~♪
令和は、Z世代アルファー世代に、アイビールックを、流行らせましょう〜😙😙😙令和の若者よ〜😙😙😙VANジャケット🧥着ましょう〜👍原宿にVANショップ原宿開店させましょう〜😙😙😙
卒業のダスティンホフマンってアイビーじゃなかったっけ??
メンクラの記事のコーナーは忘れてしまいましたが、アイビーファッション好きの人達を紹介する読者コーナーで、あるスポーツサークルが紹介されたのですが、どうみてもリーゼントヘアのヤンキー丸出しの男性がアイビールックに身を固めてリーダーで掲載されていました。後年、その青年が、テレビのお笑い番組に出演し、有名司会者になりました。島田紳助さん です。どうやら、サークルはメンクラに載りたいがための偽物だったらしい。😂
アイビーリーグのファッションの復活しましょう!アイビーリーグの本よく借りてましたよ。ブルックスブラザースはRUclipsrの小野田さんも好きですよ。大手町のお店まだありますね!コラボしてください。
懐かしく、すべて涙物のお話でした。メンクラ同様、くろす氏の「トラッド歳時記」で勉強しました。ただ今と違って全体にアパレル物は高価。学生なのでバイト代が服で消えていました。
トランプ大統領もアイビーリーグですか😅私はユニクロ東京の銀座の通りをユニクロの紙袋をさげて歩いてます😂
自分はわたせせいぞうさんの漫画やビデオで観た若大将映画の影響でアイビーにのめり込みましたが、自分がアイビー着出した1980年代後半はもう第2期アイビーブームが終わって世間は一様にDCブランドやアルマーニに代表されるイタリアンファッションの時代になっていて、アイビーは完全にオワコン的扱いをされてしまっておりました。その後バブル崩壊の辺りからそうした金満的なファッションが衰退し、逆に「キレカジ」と称したネイビーブレザーをブルージーンズに合わせるスタイルが流行りましたが、これってアイビーじゃないかと思いました。
半世紀以上前の中学で風紀委員だった委員会では毎回「アイビー禁止」なる標語があったがナンのコトなのか誰もちゃんと説明できずフシギだったなァ
ババヤスオ?
日本のアイビーファッション史を20分強で語り尽くす、これは素晴らしい動画です!
馬場さん、ありがとうございました。
私はまさにPOPEYE世代なので、馬場さんが紹介された「これがポパイのアイビーだ!」特集号は、穴が開くぐらい読みました。
社会人になったばかりの頃で、ブルックス・ブラザーズはちょっと手が出ませんでしたが、POPEYE裏表紙の糸井重里さんのコピーに触発され、オンワード樫山メイドのJ.PRESSのブレザー、スーツ、シャツは、山ほど購入しました。だいぶくたびれていますが、そのいくつかは今でも着ています。
20代のガキンチョですが、アイビーの魅力に虜です。
実際に映画を見てより理解を深めていきたいと思います。
貴重なお話ありがとうございます。
「アイビーファッション」懐かしいです。私が中2、3くらいの時に一部の男子の間で流行りました。「メンズクラブ」という雑誌もありましたね。
ボタンダウンシャツ、タータンチェックの巻きスカート、ローファーを履きました。
男子はVANとかMcGREGOR、ラコステとか着ていたみたいです。
他界した父がバリバリのアイビーファッションで私も徹底的に教え込まれたものです。今回の馬場さんのお話は本当に父の話を聞いてるようで嬉しい気持ちになりました。エルボーパッチのついた当時物VANのバルキーセーターと初版のアイビーボーイ図鑑は大切な形見です。
監督のファッションブランドはブルックスだったのですね、
上京し青山通りでブルックスの看板観た時心躍りました、当時敷居が高く入る勇気がなかった。
監督の棒タイ姿は勇気を与えてくれます。年に何回か棒タイするけど田舎じゃ変り者のおっさんとしか認知されません。
80年代第二次アイビーブームに大学生だったバブル世代です。当時はレタードのカーディガンやスタジアムジャンパー、ボタンダウンシャツ、白山眼鏡店のボストンタイプのフレームの眼鏡、コインローファーなど、みんな同じような格好に熱中していました。メンズクラブは毎号買っていました。カウチンセーターとウイルソンのラケットでテニスをしていました。出始めのポカリスエットは今より塩っぱかった気がします。ホンダシティとマツダファミリアは定番でした。ドクタースランプもアイビーに影響されたおしゃれな漫画でした。懐かしいです。
トムブラウンはVANにインスパイアされたとは知らなかった❗️
ブラックフリース大好きで結構持ってます。私は子供の頃に観た60sのアイビー大好きです!
まもなく60代ですがバキバキ鍛えてるてんでピチピチがっつり着てまーす❤
邦衛さんの「あーそういう事?」って仰ったエピソード最高ですね❗️
一時的にあったジェイプレスのイェールモデルとかラルフローレンラグビーとか最高過ぎですよ❗️無くなっちゃったけど。
ありがとうございます。これは神回、神動画です。企画、脚本、演出どれも凄すぎます。タイを外すされる動き、カッコいいです!何度も繰り返し拝見して感動、感心、感謝してます。
頷きながら動画を観ました。私が高校生1975年代もmc sisterが女の子のメンクラとして女の子のIVYファッションを載せていました。私がIVYに興味をもったのは兄の影響で兄が「メンクラ」「TAKE IVY」「トラッド歳時記」「男の服飾図鑑」を持っていて後に私自身も永久保存版として自分用にTAKE IVYを購入して今も現在北米在住ですが、こちらに持ってきました。兄が深夜映画で若大将シリーズを観に連れていってくれ、夜中から朝まで何本も若大将の映画を観てすごいファンになってしまいIVYが大好きになりました。まだ日本に上陸していないBBをアメリカに留学した友人に頼んで手に入れた時は感動ものでした。
映画とファッション、アイビーについての解説、馬場さんのお話しは面白くてわかりやすいからいつまでも聞いていたいです❤馬場さん、いつもおしゃれでステキです🎉
ポパイの特集記事ではないのですが、「VANが先生」でした。小学生の頃はVAN MINIでボタンダウンを両親に買ってもらい、高校生の頃はVAN SHOPに入り浸って、ショップの店員にVANのノベルティをもらって・・・当時のVANはファッション・スタイルだけではなく、まさにアメリカのライフ・スタイル〜音楽(JAZZ)、スポーツ(アメフトやボート、ラクロスなどIVYリーグのスポーツ)を教えてくれる「文化」でした。是非VAN特集もお願いします。ちなみに石津さん(VAN創始者)、下山さん(ボートハウス、キャプテンサンタのオーナー)と同郷であることが誇りです。
自分はアンソニーパーキンスとポールニューマンです。のっぽ物語と動く標的が大好きでした。日本人ではやはり村上春樹大先生です。小説はライ麦畑で捕まえてかな。確かオンワード樫山がjpressの販売を日本で最初に行ったと思う。その後ブルックスが登場してポールスチュアートも買う事が出来る様になった。田舎に住んでいた当時本当に夢のブランドでした。ティファニーでのジョージペッパーもカッコ良かった。追憶のロバートレッドフォードも忘れないで下さい。
最高でした、できればアメリカングラフィティーやアニマルハウス辺りにも触れて頂けたと想いましたが、紹介されていた本を書棚から引っ張り出して見なおしています。解説楽しく拝見いたしました、ありがとうございました。
最高でしたありがとうございます♪、ホイチョイノの映画でスキーにハマって青春を謳歌した63の爺さんですが、ファッションはVANのboysから今だにこだわった爺さんになりました。懐かし過ぎて色々思い出が蘇って来ました。
今思うと今より皆さんファションによりこだわった方が多かった様に思います。楽しい時間をありがとうございました♪
そうかなるほど!アイビーの残党が、フォーマルにボタンダウンを合わす赤面コーデをしているのか!なんでおじさんの張り切りスーツはボタンダウン多めなんだろうとずっと不思議でした😂。
3回目は無いって言葉を付け加えるホイチョイさんに、好感度up。来ますよきっと3回目♡
初めて観ましたよ。面白かったです。私をスキーに…が好きで何度も観てたんですが、確かに田中邦衛さんのファッション、IVYの雰囲気もありましたし、三上さんが原田知代さんとのデートのシーンで、三上さんはIVYでしたね。
映画でのアイビーと言えば「のっぽ物語」や「サイコ」のアンソニーパーキンスでしょうね。たしか、くろす・としゆきさんのトラッド歳時記でも「扉の影にいる人」というところで紹介されてました。
映画とファッションって密接ですよね。
監督が当時と変わらない熱量で話されている姿に感激しました。
いつかイベントなどあれば、生でお話し聞いてみたいです。
面白かったです!1964年生まれです、自分の学生の頃はDC全盛でもありましたが、ひたすらプレッピーというかアイビーにこだわっておりました。
1930's~1940'sはタイトな砂時計シルエットのジャケットに太めのトラウザースが流行ってました。フレッド・アステアやケーリー・グラント、ヒッチコック作品に出てくるグラマラスなスタイルですね。
要するにアイビースタイルというのはそういう30's頃のドレープスーツに対するカウンターとして構築されて行った感がありますね。その元ネタは1800年代末から1910年代初頭のサックスーツ(初期の背広)を再構築して、30'sのブリティッシュよりも古くて正統なスタイルであることの証左としたのだと思います。
私をスキーに連れてってが公開された時は東京の東側の中学生だったので、OPの三上博史のファッションはダサく見えて、冴えない男の感じを表現してるのだと思ってました。
私立の附属校に進学して初めてエルボーパッチの付いたセーターや履き込んだ501、ビーンブーツ等を知る事になり、都内と言えどファッション格差と言うか文化の違いが大きい時代でした。
田中邦衛さんの一言はなんか良いですね。アイビーだとは気付かなかったので、あらためて観てみます。
アイビーに限らず、映画やドラマのファッション史を定期的にお願いします。
小6の時、母が買い与えてくれたVANのヘンリーネックTシャツが私のアイビーのスタートでした。高3でバタフライの結びをマスター。70歳になる今でもネクタイを締める時はこれが多いです。映画解説もとても面白いですが、馬場さんのファッションにも共感しています。
30年以上前後前でしょうか、その頃2週間おきに発刊されていた小学館の「テレパル」という雑誌の中に「酒とバラと映画の日々」というコラムを馬場さんが書かれておりました。
取り上げられた映画は東宝映画「エレキの若大将」でしたか、その中でも 「この頃の青大将のアイビーファッションは一番キマっていて・・・」と書かれていた記憶です。今の時代となって その話が馬場さんご本人から再びアツく語れるのを直に聴けることになるとは・・
思いませんでした。
Brooks Brothers
Harvard
J Press
New Yorker‥
学生時代、ずっと憧れのブランド群でしたね。
あの頃はMen's Club を眺めながら
心底、アメリカの大学生になって
アイビーリーグ校に通いたいと想い続けたものです。
せめて格好だけでもと思っても、
まぁ、ビンボー学生にとっては上記のアイテム一つ買うにも
高過ぎて厳しいものがありましたが。(半泣)
話は変わりますが、「 私をスキーに連れてって」の
あのイラストの作者が穂積和夫氏だったとはビックリ。
私が氏の名前を知ったのは、故 徳大寺有恒氏著の
「間違いだらけのクルマ選び」で
挿絵を担当されてた事がキッカケでしたが、
「まさか」という感じでした。
そういえばあの映画の中では
矢野君(三上博史)と優 ちゃん(原田知世)の
デートシーンもアイビールックでしたね。
ファッションって鼻につきそうなネタなのに、いつも通りグイグイ楽しく聴かせてもらいました!😊
1970年~1976年に中学高校生、一浪、1977年~1983年大学・院生。中学高校の頃はメンクラ(メンズクラブ)は愛読書、別冊Take IVY特集は未だ書庫にあります。
保住和夫先生と平凡パンチ表紙パステル画の大橋歩先生懐かしいです。
1971年頃の映画『愛の狩人』は1950年代のドーム相部屋のジャックニコルソンとポールサイモンがアイビーリーガーズ、キャンディスバーゲンがセブンシスターズでしたね。もろにアイビーファッションでした。
中学高校は休日の私服はVANでしたけど、平日は黒詰襟学生服でワイシャツはボタンダウン、手にはマディソンスクエアガーデンバック、脇にはLPレコードを黒赤ビニール製DISK UNION/紙製黄色の石丸電気の袋。
就職後スーツは3釦1掛段返り/センターフックベント/ナチュラルショルダーのアメリカントラディショナルスタイル。
1986年頃、昼休み隣の丸ビル1階のキャノコピア販売のブースでアップルのマッキントッシュを買ったんだけど、対応にてくださったのはホイチョイの方でした。
穂積さんね😊
ポール・サイモンではなくアート・ガーファンクルね。
楽しく拝聴させていただきました!
有難うございます。
40年以上前、メンズクラブの街のアイビーリーガーズに出たくて彼女と一緒に
原宿のクルーズで揃いの
ブレザーを購入し、エンブレムも付けて銀座を闊歩してました。
青春の1ページ。
私をスキーに連れてって、
アイドル映画は興味なく、公開当時に誘われてイヤイヤ鑑賞しましたが、
田中邦衛、中真知子両氏がキャスティングされていることで
あ、ボーイミーツガールの若大将映画そのものだ!と思いました。
当時のJR新宿駅から出発する西武バスやら雰囲気が懐かしく、今では、冬になると鑑賞したくなる作品です。
仰るとおり1954〜1959年のCAPITALレコード時代はBrooks brothers 製の羊のボタンのブレザーを来たスタジオ録音風景の写真も見受けられます。但し、白いピンポイントオックスフォード生地と思われるポロカラーシャツの袖口はドレッシィなフレンチカフとなっています。Dean Martinも服地のグレード仕立てから最高級で似たような服装に見える。コレが当時の米国式スタイルだったのでは
わたしも映画からアイビースタイルなど影響受けました
中でも高三の時に仲間と観に行った「ペーパーチェイス」はバイブル的な作品でした。
初めて観ました(笑)面白いです。ほんま、IVVYは完全に死語になったようです。タモリさんがIVVYをしていたとは知りませんでしたが(笑っていいとも自体観てませんでしたからね)、ぶらタモリの服装を観たら、IVVYぽいですよ。
映画のなかのアイビーといえば、
「ティファニーで朝食を」のジョージ・ペパードを外 (はず) しちゃいかんでしょ。
1986年頃、メーカー工場勤務の友人がアンダーセン・コンサルティング(現在のアクセンチュア)に転職する事になりユニフォーム以外にはリクルートスーツしか持たないので、ボーナス全額を予算で青山のブルックスブラザーズに行き、事情と予算を説明してワードローブを一気に揃え、その後は懇意になった店の人に相談しながら定期的に補充していたなあ。
馬場さんのお人柄と想いが伝わる素敵な動画でした!
UNIQLOの24春のカタログ雑誌がアイビーリーグのファッションみたいになってきました。
お薦めに上がって来たので懐かしく拝聴しました。馬場さんとは逆側に勤務していた者でお手洗いで用を足していてジャラジャラと鍵の音が入ってくると「あ、馬場さんだな。」と判ったものです。
私は或ブティックでどうしても欲しくなったポロの14000円のスウェターを有り金の12500円まで負けてもらった代わりにトラディショナルバイブルと言う本を後日買ったものです。NYに研修駐在した時、ブルックスも試したのですが、私には縫製が甘く感じました。
と言う訳で私はマディソン街78丁目に入り浸ってました。上の本の伊藤紫朗氏によるとチップスではなくチップだそうです。
河毛さん、このチャンネルで初めて御姿拝見しましたが何かカッコイイなーと思ってました。あの動画の時にされてた腕時計、どこのか知りたいなー
今回の動画もめちゃ面白かったです。
馬場さんもオンチどころかかっこいいですよ!
各IVY系書籍にある内容が滑舌の良い整理された言葉でまとまられ、あっという間の20分でした。
私もこの末裔のメーカーズシャツ鎌倉のボタンダウンが愛用品です。
アイビースタイルのスーツは通信販売でサイズが合わせやすいように決められたと言う説があります。僕も会社に入ってから10年くらいはアイビーを着てました。1950年生まれです。
私をスキーに連れてってのポスターは穂積和生先生だったんてすね!!
知らんかったです。ビックリしました。
第2次ブームの頃と云ってももう40年以上前ですが、田舎のため近所にVANやボートハウスクラブ、ブルックスブラザースの店がなく今のように通信販売もなかったので、デパートまで出かけてJプレスを購入し着ていました。友達が中村雅俊さんの影響で「ムッシュニコル」を着ていたので二人が歩いているとおかしな画になっていたと思います。
映画でいえばいろいろ思いつくのですが一番は「炎のランナー」でしたね。正確にはアイビーではないですけれど。
又アイビー関連のお話をお聞かせください。
南無阿弥陀仏
話題とは外れるんですが監督として東京ラブストーリーの作中になぜ Tennessee Waltz が流れたとかも付随で解説していただけたら面白かったです。
あと、すべて番組を見ていませんが「彼女が水着にきがえたら」でSAAB900を使ったのか? 当時私も乗っていましたので。
今後お話していただけると幸いです。
映画のファッションについて語っていただける動画って意外と少なくて、こういう歴史と蘊蓄を語ってもらえるチャンネルは本当にありがたいと思います。
馬場監督はこの動画では常に“正装”でゲストをお迎えして話されていますね。こういう“マナー”や“常識”もいつの間にか語られなくなりましたね(人と会う時にネクタイをしない、上着を脱ぐのは失礼、なんて怒られた時代がありました)。
私はHappy daysというドラマがお手本でした。
是非若大将シリーズの解説をやってください、お願いします
ケネディ大統領はchippの服をよく着ていたけれど、公の場では殆どボタンダウンも着なかったし、いわゆるサックスーツ、3つボタンのスーツや上着はほとんど着ず、もっぱら2つボタンのスーツを着ていたようです
ファッションとは関係ありませんが、奥様は魔女で「ハロウィン」のことを無理な日本語訳をしていたのを思い出してしまいましたが、何と訳してたか思い出せずに気になってます。というより、ハロウィンの習慣や概念が無かった当時の日本で、訳すのに相当苦労したのではと、ハロウィンが輸入されたあとの再放送で見かけてそう思った事を思い出しました。お化けに仮装してお菓子をもらいにいくお祭りみたいに描かれてたのを、なんとなく『アメリカのお祭りなのかな?』という風になんとなく見ていた記憶があります。
○○祭とか言ってたような気がするのですが、多分苦労の末の造語だったと思います。どなたかご存じな方いらっしゃいますか?
できれば纏めて再放送してほしいです。
1980年代に僕のトラッドの教科書は「メンクラ」とわたせせいぞうの「ハートカクテル」でした。👍
( ´∀`)人(´∀` )ナカーマ
1961年も62年も同じスタイルでした。
高校生のころ流行っていたなぁ~夏は白の半袖はGQ、ベルトはコードバン、靴は白のテニスシューズをふんずけ、アルミの櫛とポマード溶かしてリーゼント、カバンは風呂に浸けて重石を付けてペッタンコ、学食はカツカレーだったなぁ~♪
令和は、Z世代アルファー世代に、アイビールックを、流行らせましょう〜😙😙😙令和の若者よ〜😙😙😙VANジャケット🧥着ましょう〜👍原宿にVANショップ原宿開店させましょう〜😙😙😙
卒業のダスティンホフマンってアイビーじゃなかったっけ??
メンクラの記事のコーナーは忘れてしまいましたが、アイビーファッション好きの人達を紹介する読者コーナーで、あるスポーツサークルが紹介されたのですが、どうみてもリーゼントヘアのヤンキー丸出しの男性がアイビールックに身を固めてリーダーで掲載されていました。
後年、その青年が、テレビのお笑い番組に出演し、有名司会者になりました。島田紳助さん です。どうやら、サークルはメンクラに載りたいがための偽物だったらしい。😂
アイビーリーグのファッションの復活しましょう!アイビーリーグの本よく借りてましたよ。ブルックスブラザースはRUclipsrの小野田さんも好きですよ。大手町のお店まだありますね!コラボしてください。
懐かしく、すべて涙物のお話でした。メンクラ同様、くろす氏の「トラッド歳時記」で勉強しました。
ただ今と違って全体にアパレル物は高価。学生なのでバイト代が服で消えていました。
トランプ大統領もアイビーリーグですか😅私はユニクロ東京の銀座の通りをユニクロの紙袋をさげて歩いてます😂
自分はわたせせいぞうさんの漫画やビデオで観た若大将映画の影響でアイビーにのめり込みましたが、自分がアイビー着出した1980年代後半はもう第2期アイビーブームが終わって世間は一様にDCブランドやアルマーニに代表されるイタリアンファッションの時代になっていて、アイビーは完全にオワコン的扱いをされてしまっておりました。
その後バブル崩壊の辺りからそうした金満的なファッションが衰退し、逆に「キレカジ」と称したネイビーブレザーをブルージーンズに合わせるスタイルが流行りましたが、これってアイビーじゃないかと思いました。
半世紀以上前の中学で風紀委員だった
委員会では毎回「アイビー禁止」なる
標語があったがナンのコトなのか誰も
ちゃんと説明できずフシギだったなァ
ババヤスオ?