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実家は京都でしたが、帰省には銀河を利用していました。当然ながら大阪までの切符を買い、大阪から京都まで引き返していました。値段も高いし新幹線の方が楽なのですが、洗脳されたように銀河を利用し続けました。高額な寝台列車ばかりではなく、また旅情溢れる寝台列車で移動したいです。
151系こだまは日帰りできることに因んだ名前だったが、当時から何か不自然な感じがしていた。動画にあるように大阪滞在時間はわずかで、実際には市内での移動時間を考えれば乗客自体が日帰りすることは非現実的だった。新幹線ができて初めて実際の日帰りが可能になった。
小学生の頃初めて乗った寝台列車が銀河でした。「探検」してて貫通扉開けたらEF58がコンニチハしたときはびっくり。走行中の風と振動、轟音は今でも忘れられません。
銀河は特急格上げが何度も噂されたが、結局廃止まで急行のままでした。途中駅で運転停車し高速貨物列車を待避するダイヤでは、さすがに特急としては、運転出来なかったと言う事だろうか。
終着駅に早く到着できないのが寝台列車の難しいところですね...特急化されると、それこそサンライズ並みの早さになりそうですので...
銀河は速度より便利な時間帯につく、仕事、遊びと本当によく利用したわ今はサンライズはなかなか予約取れないから遊びでは3列夜行バス使ったりするけど仕事で行くのも....新幹線での往復はしんどいから嫌だああ...んでこれはサンライズ!!銀河に583系投入していればなああ.....でも銀河は最高だったわ
自分も横になって移動するのが好きで...高速バスでは無いんですよねでも自分みたいな変わり者は少ないと思いますので、やっぱり定期運転させるほどの需要は無いのかなぁと
銀河。お世話になりました。飛び込みでも。岐阜で折り返すかたちでした。上りは名古屋止まりましたので。最終で追っかけてました。
「銀河」「新星」「天の川」が20系で運転されていましたけど、最後まで残ったのが「銀河」。運行区間の違いと言ってしまえばそれまでなのでしょうけど、やはり銀河は最強の急行ですね。
当時、こんだけ列車が頻発すると夜中の保守が過酷だったのが想像できる
今でも寝台列車を運行すれば需要ありそうな東京新大阪間、専用の寝台車で運行するのはコストパフォーマンス悪いので庶民が使えるような寝台列車が再び運行されることはないでしょうね…
でしょうね。1960年代半ば以降に登場した高速鉄道を除く、従来型の鉄道は通勤ラッシュ地獄レベルの輸送密度でない限り、基本的には儲かりにくいシステムですから。
ネーミングが全て粋で秀逸でしたね。
普通列車(実質快速電車)より遅い急行(臨時)だったら、急行料金をぼったくるより、大垣夜行救済の快速として走らせたほうがよかったかも。
今は東京~熱海、普通でも2時間切ってます。時代を感じます。
4:32 あと、「不可能を可能にする」金ピカも。
定義としては間違ってはいないですが、寝台急行をブルートレインと呼ぶのは違和感があります。寝台特急こそふさわしいですが、581系・583系はブルートレインと呼びません。また座席車がついている急行は寝台急行ではありません。全車寝台車が寝台急行、それ以外はただの夜行急行です。
その辺は、人によって見解が分かれそうですね。まさに、ブルトレ伝説という本の序章に書かれていました(その筆者はkazuenokamikato3171様と同じ考え方でした)。私が子供の頃に読んだブルートレイン入門では、20系以降の客車寝台特急だけでなく、20系使用で時刻表では白地に星マークが付いた寝台急行(「銀河」など)、さらに20系の座席車が連結されていた「だいせん」なども掲載されていました。後の版では14系で運転されていた「利尻」なども載っていました。一方で、20系寝台車が連結されていても、座席車が12系だった「さんべ」や「かいもん」などは載っていませんでした。最広義では、片上鉄道の客車列車まで含まれます(それは違うか)。
コメント主が何を言っているのか、さっぱり理解できない。上のリプライとも重複するが、寝台列車とは、「寝台車を主体とし、全車両が指定制の列車」のことであり、座席車が数両しか連結されておらずそれが全て指定席の場合は、全車両が寝台車でなくても寝台列車である。
銀河、何度も利用しました。最初に乗ったのは32年前の平成4年。混雑していて寝台が取れず、小学生だった自分は親と添い寝でした。あれこそが銀河の姿でしたが10年以上たって、自分一人で銀河に乗る頃になると寝台は前日でも下段を易々と確保でき、上段は殆ど利用されていない有り様で、名門、銀河も流石に陰りが見えていることを実感したものでした。夜行高速バスに客を奪われた、というのも事実でしょうが、バス運転士の安定的確保すらままならなくなった今、銀河のような列車を残しておけばよかった…と皆が思うような時代が近づきつつあるように思います。
「名門」「さすがに陰りが見えている」など、その表現から「コメント主が好きな寝台列車、そしてその表現自体」に酔いしれている滑稽さが伝わってきますが、基本的な見立てとして、全くの的外れですね。寝台列車に明白な陰りが見え始めた年はハッキリしていて、コメント主の二度めの乗車はおろか、初乗車の1992年ですらなく、1976年です。原因は、寝台料金の大幅な値上げです。1974年から1976年のわずか2年の間に、寝台料金は131%値上げされ、2.31倍になりました。その結果、一気に乗客の寝台列車ばなれ、ひいては国鉄ばなれ自体が加速し、寝台数の供給過剰となった国鉄は、B寝台を三段式から二段式に順次変更する方針転換を行っています。1992年の乗車体験はおそらく、夏休みや年末年始、大型連休などの特異日の体験でしょう。1992年当時の、東海道山陽筋の寝台列車は、普段はすでに空気輸送でした。また、「夜行バスに客を奪われた」というのが末期の相次ぐ廃止そして全廃の主たる原因でないことも明らかで、主たる原因は「新幹線網の拡大と高速化」「航空運賃の多様化」「ホテル宿泊料金の低廉化」です。バスの運べる人数など、たかがしれています。
平成に入ってしばらくすると安価な夜行バスが大量に運航されるようになりそちらに流れたと思われます。
「のぞみの登場による新幹線の高速化」「航空運賃の多様化」「ホテル宿泊料金の低廉化」が、主たる原因ですね。バスの運べる人数など、たかがしれています。
急行銀河は、20年前の夏に名古屋から東京迄1回乗車したのみでした。車両の老朽化や高速バスに押されて赤字になり、H20年3月のダイヤ改正で消えました。乗車したくて、一月前に旅行会社に行きましたが、初日にたった10分足らずで完売した為に乗れず、大阪駅迄行き、追いかけ撮影致しました。普段はスカスカなのに、さよなら運転の時期には、すぐに満席になりやがる。
そんなに乗りたければ、スカスカの時期に乗車なされば良いのではないでしょうか。もし廃止されなかったら、どうせ永久に乗らないんでしょ。ということは、そんな列車を営業する必要はないですよね。
彗星の前って流星だっけ
実家は京都でしたが、帰省には銀河を利用していました。
当然ながら大阪までの切符を買い、大阪から京都まで引き返していました。
値段も高いし新幹線の方が楽なのですが、洗脳されたように銀河を利用し続けました。
高額な寝台列車ばかりではなく、また旅情溢れる寝台列車で移動したいです。
151系こだまは日帰りできることに因んだ名前だったが、当時から何か不自然な感じがしていた。動画にあるように大阪滞在時間はわずかで、実際には市内での移動時間を考えれば乗客自体が日帰りすることは非現実的だった。新幹線ができて初めて実際の日帰りが可能になった。
小学生の頃初めて乗った寝台列車が銀河でした。「探検」してて貫通扉開けたらEF58がコンニチハしたときはびっくり。走行中の風と振動、轟音は今でも忘れられません。
銀河は特急格上げが何度も噂されたが、結局廃止まで急行のままでした。
途中駅で運転停車し高速貨物列車を待避するダイヤでは、さすがに特急としては、運転出来なかったと言う事だろうか。
終着駅に早く到着できないのが寝台列車の難しいところですね...
特急化されると、それこそサンライズ並みの早さになりそうですので...
銀河は速度より便利な時間帯につく、仕事、遊びと本当によく利用したわ
今はサンライズはなかなか予約取れないから遊びでは3列夜行バス使ったりするけど
仕事で行くのも....新幹線での往復はしんどいから嫌だああ...んでこれはサンライズ!!
銀河に583系投入していればなああ.....でも銀河は最高だったわ
自分も横になって移動するのが好きで...高速バスでは無いんですよね
でも自分みたいな変わり者は少ないと思いますので、やっぱり定期運転させるほどの需要は無いのかなぁと
銀河。お世話になりました。飛び込みでも。岐阜で折り返すかたちでした。上りは名古屋止まりましたので。最終で追っかけてました。
「銀河」「新星」「天の川」が20系で運転されていましたけど、最後まで残ったのが「銀河」。運行区間の違いと言ってしまえばそれまでなのでしょうけど、やはり銀河は最強の急行ですね。
当時、こんだけ列車が頻発すると夜中の保守が過酷だったのが想像できる
今でも寝台列車を運行すれば需要ありそうな東京新大阪間、専用の寝台車で運行するのはコストパフォーマンス悪いので庶民が使えるような寝台列車が再び運行されることはないでしょうね…
でしょうね。
1960年代半ば以降に登場した高速鉄道を除く、従来型の鉄道は
通勤ラッシュ地獄レベルの輸送密度でない限り、基本的には儲かりにくいシステムですから。
ネーミングが全て粋で秀逸でしたね。
普通列車(実質快速電車)より遅い急行(臨時)だったら、急行料金をぼったくるより、大垣夜行救済の快速として走らせたほうがよかったかも。
今は東京~熱海、普通でも2時間切ってます。時代を感じます。
4:32 あと、「不可能を可能にする」金ピカも。
定義としては間違ってはいないですが、寝台急行をブルートレインと呼ぶのは違和感があります。寝台特急こそふさわしいですが、581系・583系はブルートレインと呼びません。また座席車がついている急行は寝台急行ではありません。全車寝台車が寝台急行、それ以外はただの夜行急行です。
その辺は、人によって見解が分かれそうですね。まさに、ブルトレ伝説という本の序章に書かれていました(その筆者はkazuenokamikato3171様と同じ考え方でした)。
私が子供の頃に読んだブルートレイン入門では、20系以降の客車寝台特急だけでなく、20系使用で時刻表では白地に星マークが付いた寝台急行(「銀河」など)、さらに20系の座席車が連結されていた「だいせん」なども掲載されていました。後の版では14系で運転されていた「利尻」なども載っていました。一方で、20系寝台車が連結されていても、座席車が12系だった「さんべ」や「かいもん」などは載っていませんでした。
最広義では、片上鉄道の客車列車まで含まれます(それは違うか)。
コメント主が何を言っているのか、さっぱり理解できない。
上のリプライとも重複するが、
寝台列車とは、「寝台車を主体とし、全車両が指定制の列車」のことであり、
座席車が数両しか連結されておらずそれが全て指定席の場合は、全車両が寝台車でなくても寝台列車である。
銀河、何度も利用しました。最初に乗ったのは32年前の平成4年。混雑していて寝台が取れず、小学生だった自分は親と添い寝でした。あれこそが銀河の姿でしたが10年以上たって、自分一人で銀河に乗る頃になると寝台は前日でも下段を易々と確保でき、上段は殆ど利用されていない有り様で、名門、銀河も流石に陰りが見えていることを実感したものでした。
夜行高速バスに客を奪われた、というのも事実でしょうが、バス運転士の安定的確保すらままならなくなった今、銀河のような列車を残しておけばよかった…と皆が思うような時代が近づきつつあるように思います。
「名門」「さすがに陰りが見えている」など、その表現から「コメント主が好きな寝台列車、そしてその表現自体」に酔いしれている滑稽さが伝わってきますが、
基本的な見立てとして、全くの的外れですね。
寝台列車に明白な陰りが見え始めた年はハッキリしていて、コメント主の二度めの乗車はおろか、初乗車の1992年ですらなく、1976年です。
原因は、寝台料金の大幅な値上げです。
1974年から1976年のわずか2年の間に、寝台料金は131%値上げされ、2.31倍になりました。
その結果、一気に乗客の寝台列車ばなれ、ひいては国鉄ばなれ自体が加速し、
寝台数の供給過剰となった国鉄は、B寝台を三段式から二段式に順次変更する方針転換を行っています。
1992年の乗車体験はおそらく、夏休みや年末年始、大型連休などの特異日の体験でしょう。
1992年当時の、東海道山陽筋の寝台列車は、普段はすでに空気輸送でした。
また、「夜行バスに客を奪われた」というのが末期の相次ぐ廃止そして全廃の主たる原因でないことも明らかで、
主たる原因は「新幹線網の拡大と高速化」「航空運賃の多様化」「ホテル宿泊料金の低廉化」です。
バスの運べる人数など、たかがしれています。
平成に入ってしばらくすると安価な夜行バスが大量に運航されるようになりそちらに流れたと思われます。
「のぞみの登場による新幹線の高速化」「航空運賃の多様化」「ホテル宿泊料金の低廉化」が、主たる原因ですね。
バスの運べる人数など、たかがしれています。
急行銀河は、20年前の夏に名古屋から東京迄1回乗車したのみでした。車両の老朽化や高速バスに押されて赤字になり、H20年3月のダイヤ改正で消えました。乗車したくて、一月前に旅行会社に行きましたが、初日にたった10分足らずで完売した為に乗れず、大阪駅迄行き、追いかけ撮影致しました。普段はスカスカなのに、さよなら運転の時期には、すぐに満席になりやがる。
そんなに乗りたければ、スカスカの時期に乗車なされば良いのではないでしょうか。
もし廃止されなかったら、どうせ永久に乗らないんでしょ。
ということは、そんな列車を営業する必要はないですよね。
彗星の前って流星だっけ