ルマン史上最強マシンはどう生まれた?伝説のLMPマシンの秘話【解説】【アウディR8】
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- Опубликовано: 12 сен 2024
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今回は2000年代のルマン24時間レースで5勝を上げた当時の最強マシン、アウディR8の歴史やエピソードを解説していきます。
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02年型から採用されたFSI(直噴エンジン)&ターボエンジンによるチャレンジが、後の市販車でのダウンサイジング直噴ターボに繋がってたことを考えると、この当時のアウディ(後のディーゼルでの挑戦も含めて)がモータースポーツを市販車の開発に活かしていたことが、今となっては嬉しく思いますね〜
ぼ
チーム郷のルマン優勝で日本国歌…モータースポーツの
トップカテゴリ世界選手権で
響く思い出深いマシンです。
生放送で観ていたので尚更
耐久王チームヨーストの力のおかげもあるけど当時キャデラック,パノス,MG,童夢といったところも参戦していたけどアウディを倒せるほどの力がなかったことの影響もあるんじゃないかと
思えばベントレースピード8がル・マンを制覇した年はテレビ朝日でル・マンの放送を行った最後の年だったけどもうそれから今年で20年という事実…
04年のチーム郷はマシンのおかげもあったと思うけどトム・クリステンセンやリナルド・カペッロなんてのがいればそりゃ勝てるわけだよな…と
余談だが04年のル・マンでチーム郷のR8と激戦を繰り広げたヴェロックスのR8に乗っていた3人のうち1人はジョニー・ハーバートだったりする
MGはLMP675クラスでしたが、速さでは負けてなかったんですけどね。。。
ナムコ→DOME S101
コナミ→Audi R8
ソニー→Pescarolo C60
この頃は日本のゲームメーカーも広告塔として躍動していましたね…。
C60はGTのロゴが入っている車でもありましたね
壊れない車から壊れてもすぐ直せる車への設計思想の転換は、今はプロトタイプカーだけでなくGTカーでも当たり前なったけどこれが最初だっけ?
耐久レースではトラブルを発生させないマシン作りが当たり前だったのをメンテナンス性の向上でレースに勝つ仕様に当時はビックリでした❗️
当時はギアボックスのトラブルは即リタイアだったけど、5分で交換は衝撃でしたね‼️👍️
モジュール構造はまさにコロンブスの卵。R8を見た後だと「そんな単純なこと、もっと早く思いつかなかったの?」と思ってしまうが、そんな単純なことにも気づかなくなる程に「壊れたら終わり」という固定観念は大きかったんだなって。
お前やったら気づいたのかのような言いぐさやん(笑)
アウディR8って耐久レース(特にル・マン)を作り変えたマシンだと個人的に思ってます。
R8参戦以前のル・マンって昔ながらの耐久レースの戦い方だったんですよね。
壊れたら終わりなのでそれを嫌って常時100%の能力では走らせていなかった。
(それなのにも関わらずブレーキパッド等一部の消耗品はレース中の交換が必要だった。)
R8が採用したモジュール設計に代表される整備性を極限迄高めた設計思想は「ど〜せ部品交換が必要なら時間が掛からない様にしちゃえ」って事。
部品交換を厭わないという事はそれだけハイペースで走らせやすくなるという事になる。
その結果何が起きたかといえは24時間耐久レースが24時間スプリントレースになっちゃったという…
なので以前とは違って24時間常に全速力で走破しなきゃ勝てなくなりました(^_^;)
01年、ギアボックスを5分で交換したのは驚かされましたね。
と同時にカウルを外すだけで苦労していた童夢のマシンとの完成度の違いに絶望しましたね。。
オープンプロトを格好良いとは思ったことはないんだけれど、R8の速さは本物だった。
ミケーレ・アルボレートの事故死(タイヤバースト)は、本当に不運な事故でもあった。
99年に初めてR8Rが登場してル・マン総合3位を獲得したのは衝撃でした✨その後はかつてのポルシェのような圧倒的な強さで連覇を重ねましたが、アウディ以外のワークスが役不足だったことも事実。熟成したR8とトヨタ、メルセデス、BMWらとのバトルが見てみたかったです。でもクリステンセンの偉業は素晴らしかったですね✨
2001年のテスト中、名手アルボレートがタイヤトラブルの事故で亡くなった時はショックでした。(最初に名前と顔とヘルメットが一致したF1ドライバーでした。中嶋さん以外で)
弔い戦とも言える同年のレースでアウディが制したのは、素直に嬉しかったなぁ。
なお鈴鹿1000kmでアウディR8を打ち破ったエッソスープラ()
最近の車ですがポルシェの919ハイブリッドの解説を聞いてみたいです いつも楽しい動画をありがとうございます!
ミケーレさんがテスト中に亡くなる1ヶ月前にはポルシェマイスターのボブ・ウォレクもセブリング12時間の最中にレース以外ですが交通事故で亡くなってたんですね…。その時のウィナーはミケーレさんが乗るR8だったと言う…。
ヨーストポルシェで走ってたジョン・ヴィンター氏もその年だっけ…
R10でディーゼルエンジンの未来を切り拓いたアウディだったが、その後の不正で何もかも台無しに。
意外と知られてない話ですが、初期のアウディR8は制作にダラーラが携わっていた(トヨタ TS020もダラーラが関与していた)こともあり、アウディR8/ダラーラ SP1(クライスラーLMPとしてデビュー)が採用したフロントタイヤハウスを独立した設計は当時トレンドとなりましたよね。
フロントタイヤハウスを独立した設計、今は違うんですか?
Fノーズの先の口を無くす+フォーミュラぽいデザインのノーズは、今はもう廃れてる(GR010も9x8もでかい口を開けてなんかCカー時代に逆戻りしてる感じ)
R15まではモノコックがダラーラ 製
04年勝者のチーム郷仕様のR8の絵が、どういうわけかNATS(日本自動車大学校)に飾られているという謎
R8Cを製作して走らせていたアウディスポーツUK、元々はトムスGBだったのよね(^_^;)
アウディR8を取り上げていただけるとは…m(_ _)m
当時はまだテレ朝の中継が見れた頃でビデオに録って見てまして、この車が動画の中でも取り上げられている、
「後ろ半分がぱっくりとれる」
って言うのを見たとき、
「ブラモみたいやな」
って子供ながら思ったものでした😂
ただあれはラリーならではの考え方で、壊れそうなところは
×「直す」
◯「取り替える」
っていう考え方をレースにもすぐ持ってこれたからあんなに速い車ができたんですね。
次は…史上初のディーゼル優勝マシンのR10位行っときます(笑)?!
正直、何時だった忘れたけど2000年代の初め頃の全日本GT選手権かSGT鈴鹿1000kmのエキシビション?でアウディ-のR8がポールからスタートして一周回ってホームストレートに着く頃にはGT300の最後尾に着いていたのにはビックリした(,,•﹏•,,)
アウディ=ル・マン。そしてアウディのマシンといえばこれ!
GTP規定のマシンも最終的に2003年型のベントレー・EXPスピード8として結実してルマン優勝してる事からポテンシャルは十分合ったという事ですね。
(一応ゼネラルマネージャーだった鮒子田寛氏は否定してますが……)
このころのアウディは速さ安定性が圧倒的で黄金時代でした
R8ではないけどR18は外観と音が好きでゲームでもよく使いました。R10、R15 もカッコいい。
アウディ・ベントレー・ポルシェ。
結局、フォルクスワーゲンにまとめると、大記録ですね。
99年ぐらいにルマンの規定が変わる際、ポルシェも新規定に合わせて新車投入する予定だったけど、親会社のVWグループの総帥がアウディをルマンで活躍させてスポーツブランドにしたかったそうで、目の上のたんこぶとなったポルシェを自分の立場を濫用?してポルシェに圧力かけた。それでR8が活躍したそう。その裏で誕生したのがポルシェ・カレラGT
その圧力をかけたVWグループの総帥が
フェルディナント・ポルシェの孫の
(Fポルシェの娘ルイーゼ=結婚後は夫の姓ピエヒを名乗る の長男)
フェルディナント・ピエヒ。
アウディアウディいうけど、完全自社開発ではなくルマンで実績のあるヨーストに゙おんぶにだっこだった印象が否めないし、勝ちまくっていた頃って競合メーカー皆無状態。おまけに帰ってきたポルシェやプジョーに簡単に勝たれてしまうとかそんなに強くないイメージ。トヨタはその点グループ企業の応援があるとはいえ完全自社開発だし、ワークスのポルシェを追い詰めるところまで行ってたもの。
トニーサウスゲートはトヨタTS010も設計していますね。
このアウディはすごい😂カラーも良かったけど、早い😖
2004年もテレビ朝日がル・マン放送をしていればチーム郷の総合優勝が放送出来ていたのに、そうなれば2005年以降のル・マンもテレビ朝日の地上波で見れていたでしょうね!><
この子はグランツーリスモ4のイメージしかない
GT4でこの子には、よく助けてもらった記憶がある。
良い子でしたよ。
ところで郷社長ってル・マンウイーク以外は1年間何やってるんですか?前から気になってwテレ朝が中継やめた年に優勝するとかすごい強運ですけどw
なんでこの車そんな速かったんだろう、信頼性とリアセクションカセット交換式以外になんか凄いイメージがない ライバルが弱かったから?
99年00年はベンツ以外も離陸してたけど、R8は離陸対策は何かされてましたか?(R8は離陸してないので)
あとベントレーの解説もお願いします(エンジン以外もR8なのか、また99年R8Cとの関係が気になります)
12:36
逆に言うとペスカローロが優勝する最後のチャンスだったんでしたが………、
残念ながらフランス系チームが優勝出来るチャンスを……という訳です。
チーム郷には当時びっくりさせられた👍
ヨーストのベントレー2代目?のスピード8改のデザインがアウディR8より
なぜかクラージュ
ペスカローロC60の方が似てる💦👍
チーム郷の優勝にはそういう経緯があったのか。
次はディーゼルかな?
ディーゼルレーサー、デイライト、でかグリル、アウディは何かと革新的
リアウイングの長さ規制に対して箱を付けて解決したのには笑ったなぁ
6連覇...クリステンセンすご
好きなマシンやったわぁ、😊
アウディといえばルマンですねー。😂
クライスラーもワークスで出てたような…
R8もスピード8もカッコ良かったし強かったイメージしか無い。
ヨースト最強伝説
そしてトムクリは優勝請負人
この2000年~2005年のすべてで優勝(トム・クリステンセン)
話の本筋からは離れますが、ラリー、ツーリングカー、とこれでもかと4WDに固執した割に、プロトタイプカーではそんなこと忘れたかのようにあっさりと本流のマシンでしたね。ついでに、フォーミュラEでも4WDになった今季も姿はないですし、、、かつてと違ってクワトロだけのアウディではもはやない、ということでしょうかね〜
アウディはどこに行ってしまうんだろう…
今後はF1で戦いますよ
プジョーもだけどラリーから流れてきたチームは組織運営が洗練されている。
Audiの場合はそこへル・マンを知り尽くしたヨーストという百戦錬磨の猛者を実戦部隊として加えた。
これで善戦しない方がおかしい。
ライバルが不在だから勝てたイメージが。
これ、ホント『たられば…』に感じるのが、日産の存在なんですよね。。。
熟成されたR391との対決が見たかった…
この後プジョーと戦ってるからセーフ?
トヨタも今年勝ったらこれまでの優勝も本物
@@telkor-tzm50r 富士1000kmは優勝しましたからね~
@@UsSieGT7 そうでしたよね〜
トヨタ側にペナルティやトラブルが出た形となり、日産側は楽勝に近かったですが、それが無くともピットのロス(燃費とタイヤ交換回数)が少なかったので、勝てたレースだったと思います。
タイムもそれほど差がなかったですから、00年に継続して参戦していたら…って当時から思ってました。。。
キャデラックがDAMSではなくペスカローロやローラと組んでいれば一回くらいは勝てたのでは
チーム郷・・・なんかあの郷秀樹が坂田レーシングを買収して参戦してきたんじゃないかと妄想しちゃった。
アウディ王朝の始まり
冒頭のコースアウト笑
チーム、ヨーストだからね!
世界のARAを生み出したマシン
8歳未満禁止車両はGT6で敵車で出てきたイメージしかないなぁ…
動画関係ないんですけど、月収30万あれば、ランエボ10MT買えますかね?
フランスのACOと結託したのもあるけど、アウディ内で何処を優勝させるか決めてたと言うデキレースだった事実を去年知ってから、アウディ自体嫌いになりました
他のワークスが撤退してたから。勝てて当然でしょ
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当たり前にアウディの強さも素晴らしいですが、アメリカのプライベーターのパノスの挑戦も気になりました。今度特集よろしくお願いします。